椿荘日記

椿荘日記

アトリエとサンクチュアリ


と顔が合うなり、先生がにこにこしながら仰いました。

月水金は日本画の先生のアトリエに伺う日です。
今日も、いつものように、茅ヶ崎の先生のアトリエ(古い木造家屋の二階部分全部を使っています)の階段を上がり、入り口の扉を開けると、いつもの光景の中で先生が、作業台に向かって仕事をしています。
そう、「いつもの光景」とは、所狭しと積まれたの資料の山と丸まってあちこちに点在する紙束、無数の使用済みの溶き皿、高価な岩絵の具の袋、菓子パンの袋、スナック菓子の袋、横になったり灰皿になったりの缶飲料、満杯の灰皿、飲み残しの紙パック等の残骸におおわれた六畳間のことです。
よく見ると写生に使った柘榴の、変わり果てた姿もあります。

「あのね、仕事してるとアウグスト(オニグモ。マリの掌よりひとまわり小さいくらいの大きさ。先生と二人でそう呼んでいます~笑)が出て来て、ずっと隣にいたの。それから暫くして壁際に移動したらしくて・・。」

先生が話しているのを聞き、相槌を打ちながら、自分の場所である四畳半を片付け、満杯の灰皿と、灰皿になった缶を捨てて、溶き皿を洗い始めました。

「それで、壁のパネル(襖絵など大物を描く時に使います)にくっついてじっとしているところにまぬけな蛾が飛んできて止まったら、ぱっと捕まえてぽりぽり(!!)って食べちゃったんだよね・・。」

今度は私も座り込んで道具を並べます(相槌を打ちながら)。
「で、結構大きい蛾で、どこから来たのかなって思ってて・・紙にはつかないし。そして朝片付けてたら、紙とかの下に何かわからない粉上のものが・・(笑)、抜け殻と一緒に(笑)。で、退けてみたら、バナナの皮の形通りに跡がついてて(爆)!もうびっくりしたよ」。

すっかり慣れてしまいました(笑)。人間は逞しいものです。
一番最初にお伺いした時(もうかれこれ三年前になります)は、それ程ひどいとは感じませんでした(今は以前より状況が進んで(?)いるのです~苦笑)。
唯、モデルの残骸(!)らしき柘榴や蜜柑(余りに変わり果てた姿で何だか判らず、試しに打ち付けたところ、漢方薬の陳皮の匂いがしたそうです)が流しや机の上にある位でした。
でも流石にお手洗いの土壁にぶら下っているゲンジグモのミイラを見たときは、取ってくれるようお願いしました(マリはそれまでは、蜘蛛の類は全く駄目だったのです)。
すると先生は「モデルになる時もあるかもしれないから・・」と微笑して、やんわり逃げてしまいました。

先生は今は専ら、画廊からの依頼の花鳥画と仏画を描いていますが、個展、グループ展の時はもっと自由な発想の、仏教的・神話的寓意を芯とし、自然の動植物をモチーフに取った素晴らしい作品を描いています。
暗い、藍が目に残る森の中で金色に光るタテハ達が見守る<涅槃>
琳派の孕み月と左右に伸びる天の川を背景に、絡み合うように空行くジャノメチョウを追うガガイモと蛇を描いた<スクナヒコ>など。
初期の作品では南米の神話に想を得た作品も少なくありません。
最初は単に、忙しい、創作に携わる人の放縦かと思っていたのですが、ある時、先生の視線に気がついたのです。それは観察者の、科学者の視線でした。

「二た月くらい放置した<ピルクル>(乳酸飲料)~中身入り~のパックを持ち上げたら、底とおんなじ形の,オレンジ色の何物かが畳に張りついててさ、まあ、何かの生物には違いないとは思ったんだけど・・4,5日経ったら十センチほど移動(!?)していて形も不定形になっていて、あ、こりゃ粘菌だ(!)と思って面白いから放っておいたら黒くなって(笑)粒粒がでてきたので、胞子を撒くつもりだなと(笑)、で、やっと片付けたんだよね。」

見る人間によっては、家の内外に徘徊する虫、ごみにわく単なる微生物に過ぎないのでしょうけれど、先生にとっては、生命の不思議、自然の法則を教えてくれるメッセンジャーなのでしょう。
その姿勢は、何故どうしてという、素朴にして重要な問題提起と観察、分析、実証という科学の手法と同じなのです。
単に自然を描写するのでなく、自然の有り様を見抜き、画面に再構成し表現する美意識と、それを支える技術は、優れた芸術家に欠くべからざる要素であると思います。
そのサンクチュアリ(聖域)の中で、マリが出来るのは、吸殻入りの缶、紙パック(生命の観察は不可能なので)を、分別して処理することだけでしょうか(笑)。

*平成12年12月3日(月)記



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