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嬉しいことがありました。
担任している絢香さん(仮名、小6)が書いた作文
「私の宝物」が社会を明るくする運動の作文コンクールで
全国連合小学校長会会長賞
なるものを受賞し、全国6万3千の応募の中から選ばれたとあって
わざわざ伝達式なるものが催され、新聞、テレビの取材があって
書いた本人自身 … びっくり。
昨日は聴覚障害者センターのテレビ番組取材の依頼もありました。
2月に取材があって、ケーブルテレビとcs障害者放送で全国放送
されるそうです。
でも、賞を受賞したのも嬉しいけど
彼女が綴った作文は家族の宝物でもあり
私にとっても、これからの私の生き方に絶えず問い続ける
バイブルのようなものになりました。
彼女は先天性の感音性難聴で、両耳デジタル補聴器を装用してくらしています。
聴力レベルは平均75dB 高音部が聞こえにくいようです。
高学年になって女性としての体の変化が始まってから
少し聴力が落ちているようです。出産などを機に聴力が大きく下がることも
あるし、ほとんど聞こえなくなることもあるらしいです。
1年生に入学した頃、私も難聴学級担任は初めてで何もかもが
手探りの状態でした。自分だけが補聴器をはめていることを気にし始め、
2年生の頃、お母さんに
「おかあさん、生まれてきてごめんね、絢香がいるからお母さんは大変だもんね。ごめんね、みみがきこえんで。」
と、泣きながら伝えたこともありました。
友だちとの悩みを個別指導の時間に勉強そっちのけで
ずっと話を聞いたこと。数えきれません。
彼女が背負うものも大きい。でも、彼女のきこえのおかげで
出会うチャンスも他の人より多くなる。
あとは自分次第。自分を信じて楽しく生きる力「学力」をつけること。
それがこの6年間のテーマでした。
もうすぐ卒業を迎えます。
彼女との出会いは親として、教師としての私の視点を
180度ぐらい変えるものでした。
卒業して離れても、ずっとずっと応援団として、友人として
付き合っていきたいなと思っています。
最近は私が悩んでいると
「先生、ちゃんと話してみなっせ。話して伝えていかんと解決せんばい!」
な~んて、小生意気なことをいってくれます。
将来の夢は補聴器やさんになることだそうです。
新聞にも載ったので彼女の作文を掲載したいと思います。
何か感じるところがあったら
コメントいただけると嬉しいです。
****************************
「わたしの宝物」
私は補聴器をはめています。 一歳になる前からはめています。
補聴器は私にとってとても大切なものです。でも、最初からそう思っていたわけではありません。
小学校一年生になったばかりのことです。今でもはっきりと覚えています。となりの組の男の子が近よってきて、
「何でそぎゃんとばはめとっとや?」
と、言ってきました。
改めて見まわすと、補聴器をはめているのは私一人です。みんなとちがうからバカにされたような気持がしました。自分だけがちがうということがとてもいやでした。
初めて会う人が補聴器のことを聞いてくるのがこわいと思っていました。できたら聞いて欲しくない、知られたくないと思っていました。
早く耳がよくならないかなと思って、神社でお参りするときにお願いしていました。
「補聴器はもう嫌だ!」
と、家で暴れたこともあるし、補聴器を投げつけてしまったこともあります。
そんなわたしが変わりはじめたのは四年生の頃からです。
四年生の総合学習で、私のお母さんが学校に来て四年生のみんなの前で私のことを話してくれたのです。
お母さんは私がまだ赤ちゃんの頃に
「もしかして聞こえていないのでは...。」
と一人でとても悩んだことや、検査をした後、
「お子さんは聞こえていませんね。」
と、簡単に言われた時の気持を話してくれました。
補聴器をはめてからも、外に出ると、知らず知らずのうちに赤ちゃんだった私の補聴器を隠していたそうです。
そんなお母さんは、ある日、私のことを「恥ずかしい」
と思っている自分の心に気がついたそうです。そしてその自分の心は 障がいのある人を差別していたんだということにも気がついたそうです。
お父さんも私の耳のことが分かったときに
「絢香の人生は終わったな。」とつぶやいたそうです。
そして職場の人影のないところで一人で泣いていたそうです。
このお父さんの言葉にはいろんな思いがありました。
実はお父さんのお父さん、私が大好きだったおじいちゃんも耳が聞こえなかったのです。
だからおじいちゃんもとてもきつい思いをしたし、お父さんもおじいちゃんが耳が聞こえないことでバカにされたそうです。
差別がたくさんあっておじいちゃんがその中で苦労して生きていたことを知っていたから、私も苦労していくんだと思ってそんな言葉を言ったんだと思います。
でも、お母さんがひばり園での私の様子や、そこでなかまができて元気になった話をしてくれて、ほかにも補聴器をはめている人がいて、私だけじゃないんだなと気づきました。 不安になる気持ちも私だけじゃないと気づきました。
私の耳のことが分かって三年目。お父さんがお母さんに、こんな質問をしたそうです。
「もし、神様が何でも願いを叶えてくれるなら何を頼む?」
お母さんは、
「もちろん、絢香の耳が聞こえるようになってほしい!」
しかし、お父さんは
「宝くじで一等!」
と言ったので、お母さんはあきれましたが、お父さんは続けてこう言ったそうです。
「俺は、
全部のお金を使って、
世界に唯一の
絢香の耳にぴったりな
補聴器を作ってくれる人を捜して、
作ってもらう。」
私はこの話を聞いて、
お父さんがそんな風に私の事を考えてくれているんだととてもうれしくなりました。
そしてお母さんは、
「絢香、私たちの所に生まれてくれてありがとう。あなたはいつもたくさんの人に愛されているよ。」
と言ってくれました。
お兄ちゃんも、ちいさいころからやさしくて、私が小学校に入学したときも、お兄ちゃんは4年生の仲間に
「下の教室には絢香がおるけん、大きな音を立てたりすると絢香がきこえんけんあばれんで!」
と言ってくれたそうです。うれしかったです。お兄ちゃんがいたから私は安心して学校に行けました。
今、補聴器は私にとってとても大事な宝ものです。
補聴器は私の周りの大事な人たちみんなの声と気持ちを私に届けてくれます。
そして、私の気持ちも補聴器が私自身の心に届けてくれる気がします。
六年生になって一年生と遊んでいると、
「ねえ、それなんばはめとっと?」
と、一年生が聞いてきます。
「これはね、『補聴器』だよ。みんなは何もなくて聞こえるけど、私はこの機械でみんなの声が聞こえるようにしているんだよ。大事なものなんだよ。」
と教えます。
まだ不安な気持ちもあります。中学校に行けば知らない先生がたくさんいます。正直に言うとこわいです。
でも、一年生に話すように、
少しずつ誰にでも話せるようになっていきたいです。
私の大切な補聴器の事、
そして私の事を。