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2005.12.27
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カテゴリ: プーケット生活
やはり、ナナイの入り口付近まで海水は到達していたようだが、なんとか無事に到着する事ができた。

この後何が起こるかわからない。
自分を含め皆不安に駆られている様子だったので、お腹がすいていては何も出来ないと急に思い立ち昼食にスパゲティーを作る事にしたのだが、ニンニクが生憎きれていた。
友人の息子さんに市場に行ってニンニクを買ってきて貰うことにした。

数分で戻ってきた息子さんの手ににんにくは握られていたが、彼曰く市場に野菜は普通に並んでいたが、呼べど探せど人っ子一人いない状態だったという。
仕方がないので、ニンニクのお店に40Bを置いて貰って来たそうだ。
なかなか妥当な値段だと皆納得する。
市場の人々は取る物もとりあえず、どこかに逃げていったのであろう。
野菜類をそのままにしてあった事から、そうとうな慌てようだった事が伺える。


何かをしていないと、落ち着かない。
皆夢中で大量のスパゲッティーを食べた。

この時点で友人のニランさん(ブログ仲間でもある。日本人)だけ連絡が取れない。
ニランさんは時間的に丁度ビーチ近くの仕事場に向っていたか、一人ビーチ目の前のオフィスにいた可能性がある。
何度電話をしても、一向に携帯は通じない。
普段ニランさんは何も用事がなくても我が家に来る人なのに、こんな非常事態にうちにこないなんてあり得ない。
ニランさんが無事やってくる事を願ってスパゲッティーを残しておく。

その後、午後2時ごろになってようやくテレビで報道され始めた。
ただ、映像はこの時点ではなかったように思う。
テロップで繰り返し、スマトラ島付近で大きな地震があったことと地図が映し出されていた。
タイの報道はあまりあてにならないので、BBCやNHKやCNNを交替に見ていた。


午後1時ごろになって、どろどろになったニランさんの夫が尋ねてきた。
どうやら、彼は友達と共に来たようで、やはりニランさんと連絡が取れず絶対に我が家にいると思って来たらしい。
いない事を知ると、涙を浮かべながら
「探してくる」
と言って飛び出して行ってしまった。


避難しなかった家の子供達が、暇を持て余し続々と遊びに来る。
仕方がないので、プールで遊ばせる事に。
少し静かになった頃、泣きべそをかきながら旦那に連れられてニランさんが来た。

思わず私も涙ぐんで、無事だった事にほっと胸を撫で下ろす。
彼女は丁度仕事に向う途中でバイクの運転中だったらしい。
パニックになりながら、逃げ惑うタイ人に紛れてバイクでひたすらナナイまでたどり着いた。
だが、ナナイは大渋滞。
何がおこったか全くわからないニランさんは、他のタイ人達と同じように崖をひたすら登り、山の中で膝を抱えて待機していたというのだ。
あとほんの300メートルの距離なのに、うちまでたどり着けなかったのだと言う。

さて、家を飛び出ていったニランさんの旦那は偶然その崖の下でニランさんのバイクを発見する。
そして、崖を登るとそこにニランさんがいたというのだ。
あのパニックの最中で、二人が出会える確立なんてゼロに等しいと私は思っていたがきっとニランさんを思う旦那の気持ちが強かったのだろう。
その少ない確立で、二人は出会ってしまうのである。
そんなほとんど奇跡に近い二人の再会を聞いて、ああ、二人はやっぱり結婚する運命だったんだと私は思った。
その後、残してあったスパゲッティーを食べ、彼女も落ち着きを取り戻したようだ。

しかし、心配なのはオヤジのいとこである従業員のカマラの家である。
カマラの家には、彼女達の両親と自分の子供がいるはず。
しかし、全く連絡はとれない。
おまけに一番危険と思われるのが、彼女達の弟。
弟はパトンビーチで観光客相手にロングテールボートを運転している船頭である。
確実にあの時間にはビーチにいたと思われるが、時折繋がる携帯電話での彼の嫁からの情報では、最後に彼の姿を見たのは津波が来る直前に船を出すところだというのだ。
どう考えても、津波に巻き込まれた可能性が高いので姉二人はランドリールームで泣き崩れていた。

ところが、その1時間後に連絡が入り、確かにその時海に出たがなんとかして沖に出たので転覆する事はなくしばらく海の上で様子を見つつ待ってから陸に上がってきたのだと言う。
もう少し海に出るのが遅かったら、彼の船も彼もどうなっていたかわからないが、本当に運のいいことに彼も船も無事だったのだ。
本当に人の運命というものはわからない。
秒刻みで変わることもあるわけだ。

その後彼女達を家に帰らす事にした。
両親や子供の様子を見に一刻も早く帰りたかったろうが、ビーチがどうなっているか想像もつかない状態だった為帰すこともできなかった。
しかし、バイクなら何とか通れるといって彼女達は帰っていった。

家に帰った彼女達からしばらくして連絡が来たが、両親と子供は走って山の方に逃げた為無事だったらしい。
今はうちのオヤジの実家に身を寄せていると言っていた。(オヤジの家は少し小高い山の中腹にある)
しかし、やはり彼女達の家は入る事もできない状態だったらしい。
家自体はビーチから200メートル程はなれているのだが、カマラはもともと海抜が低いのと村の中央に小さな川があって津波はそこを逆流したらしい。
カマラの津波勢いは恐らくパトンよりも強かったようで、翌日彼女達の家の裏でビーチの目の前にある寺のお坊様のご遺体が流れ着いているのが発見されている。

彼女達は着の身着のまま、その他多くの人達が着替えも無いままオヤジの実家の辺りに非難してきているという。
オヤジは早速私の人が一人入れるぐらい大きなバックに、自分のあまり着なくなった服を詰め始めた。
私も、家にある小さくて着れなくなった子供の服や、私の服も加えバックに入れる。
この先何があるかわからないし、こんな時はオヤジにいてもらいたいと思ったが止めても絶対に行くとおもったので、オヤジに協力することにする。

結局オヤジはバイクで巨大なバックを担いで自分の村に行ってしまった。
相変わらず携帯電話は繋がらないので、無事帰ってくるのを待つしかない。
その後数時間してオヤジが空のバックを持って帰ってきたときは、ほっと胸を撫で下ろしたものだ。
今オヤジにいなくなられては、私もどうしていいのかわからない。
普段必要な事も喋らない位の無口なオヤジだが、フットワークは抜群なのでこういう時にはかなり頼りになるのである。

その日夕飯を何を食べたのか既に忘れてしまった。
この頃にはもうくたくたで、記憶も曖昧である。
ただ、日本の友人からの連絡で、ダイビングトリップに行くはずだった彼のお客さんが空港で立ち往生しているという。
タクシーも1台もいない状態で、このままでは空港に寝るしかないのだが何とかならないかと聞かれた。

こんな時なので、家族で2部屋使っていたお客様に事情を話し1部屋心良く譲ってもらうことに成功。
さっそくオヤジがそのお客さまを空港に迎えに行かせる。
その後お客様と直接電話で話す事ができたのだが、空港には何人かの日本人がやはり立ち往生しているらしい。
私はもし困っている女性がいたら、4人までは乗れますから是非シェアーして乗ってきてくださいとお願いした。

そこで立ち往生している人達が、朝空港を出た時は津波はまだ来ていなかった為、飛行機は普通に離陸してプーケットに到着してしまっているわけだ。
お客様も狐につままれたような話だと思ったろう。
空港に到着しても、ホテルの迎えや、タクシーも1台もない状態である。
結局そのお客様は近くにいた3人の日本人女性に声をかけ、ここまで同乗して来た。

女性3人に話を聞くと、メリディアンに泊る予定だったらしいのだが空港から電話をしても全く繋がらないのだそうだ。
とりあえずオヤジに彼女達を乗せてメリディアンに向かわせたのだが、あえなくして全員戻ってきた。
一応彼女達には、何かあったらうちのベッドルームで泊ってもらうことはできるので遠慮せず戻ってきてください、こんな時ですからといっておいた。

メリディアンは一応空いてはいたが、電気がストップされている状態で全室停電状態。
泊り客の人達もろうそく片手に歩いている状態。
レセプションの人に
「どうしてもというなら、寝る事はできますがお水も電気もエアコンもなにもないです」
と言われ、ちょっと怖くなってしまったらしい。
困った時はお互い様なので、うちのもう一つのベッドルームで寝てもらうことにした。

こうして、ものすごく長い1日が終わった。
テレビでは、山の上で夜を明かす人達の姿などをずっと写していた。
そうやって避難している人もいるのに、本当にここが大丈夫なのか非常に心配で不安で、体は疲れているのに寝られない。

プーケットはどうなってしまうのか?
そして私の住む町パトンはどうなってしまうのか。
ぐるぐると頭の中を今日一日あったこと、そして先のこと、我が家の商売のことが駆け巡る。
その横で、何が起きたのか良くわかっていない息子がすうすうと寝息を立てて寝ていた。
私達はどうなってしまうのだろう。

あの夜、パトンの山の上で、ピピ島の山の上で、カオラックで、皆が不安な気持ちで夜を明かしたに違いない。
そして、次の日からこの津波被害の大きさが次第に明らかになっていくわけである。

ここに住んでいて良く感じる事は、死を非常に身近に感じる事。
車を運転していても、バイク事故でたったさっき亡くなった人が道路にたおれている人をよく見かけるし、新聞には亡くなった人の遺体の写真が毎日掲載されている。
人の運命は常に死と隣りあわせだ。
1秒の違いで亡くなる人とそうでない人がいる。
だから、やはり私達は自分の大切な人生を、一分一秒大切に刻んでいかねばならないのだろう。

この災害により、いろいろな津波、地震に関する様々なシステムが造られたが、あの津波を教訓にというにはあまりにもその被害は膨大だった。
あれから一年、あの津波や地震で亡くなった方々の心よりの冥福を祈ると共に、大切な人を亡くされた人々の心が少しずつ悲しみから開放されることを願ってやまない。
















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Last updated  2005.12.27 13:58:17
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日記、ありがとうございます。  
Plaa  さん
とっても大変で辛く・悲しい思いをたくさんされたと思いますが、
こうして体験した方々が鮮明に伝えてくれることが1番だと思います。
涙ぐみながら読ませて頂きました。
戦争もそうですが、こういう被害も、毎年悲しく思い出しながらも語りつがれていくことを願います。
そして、プーケットがこれからも愛され続けることを願います。
(2005.12.27 14:39:28)

1年経ってみて  
さとり さん
日記、書くことが辛かったと思うけど、文章にすることで心の整理がつくと思うよ。
でも、すごいドラマだった。何回も読んでしまった。 (2005.12.27 17:01:51)

しっかり覚えてるよ  
二ラン  さん
しっかり自分でどうやってナナイにたどり着き、メオタイ家に行きたいのに、車に道路を閉ざされ泣きながらまた高台に行き、落ち着いた頃貴重品を取りに部屋に戻った。
その後また「津波だ!!山に逃げろ!!」と言われ、PCをかつぎ山を駆け上がったのも覚えてる。

私もメオタイ家あたりがどうなってるか想像も出来ずにいたので、無事でよかった。と思って顔を見た瞬間泣き出してしまいましたね。
でも、旦那に会った瞬間は泣かなかったんですよ。
大きな声で名前を呼んだ記憶はあります。崖の上から。 (2005.12.27 17:27:59)

Re:日記、ありがとうございます。(12/27)  
メオタイ  さん
>Plaaさん

ありがとうございますなんてとんでもない。

書いているうちに、自分でも収拾がつかなくなるほど長くなってしまって、だらだらしてしまいました。
最後まで読んでいただいて、こちらこそありがとうございます。

昨日は朝から、また津波の映像を見てしまって気分がどんよりしてしまってどこにも出かけず一日中オパソコンの前に座っていました。

これからもプーケットがより良い観光地になっていくよう微力ながら頑張って行きたいと思ってます。
(2005.12.27 18:05:38)

Re:1年経ってみて(12/27)  
メオタイ  さん
>さとりさん

ありがとうございます。

私達は運よく被災しなかったので、この日も大変でしたがこの期に訪れた観光客が来ないという危機もなかなかつらいものがありました。

その中で、バリから来た日本人とバリ人のカップルが
「自分達がテロの影響で観光客が来なかった時に、観光客の来ない観光地がいかに経済的危機にさらされるかということをいやというほど知った。
今プーケットに大切なのは観光客が訪れることだと思って、お金を使いにやってきました」
と言ってくれた事。
ものすごくうれしくて、思わず涙ぐんだこともありました。 (2005.12.27 18:12:40)

Re:しっかり覚えてるよ(12/27)  
メオタイ  さん
>二ランさん

旦那が探すって行った時
「絶対ここに来るからここで待ってた方がいい」
って止めたんだけど、全く耳を貸さず飛び出ていったのよ。

あの中で出会える確立なんて絶対奇跡としか思えなかったから。
でも、出会えるなんてあの時は本当にすごいと思った。

うちのオヤジだったら絶対探してなんてくれないよ。うらやましいね。
(2005.12.27 18:16:14)

一分一秒  
GODZILLA さん
ニランさんの話に感動した! 

こうゆう話を読むと未知の力(神の力)が働いたのかなぁと思ってしまう。

>うちのオヤジだったら絶対探してなんてくれないよ。うらやましいね。

ってそんな事ないよ! メオタイさんの事きっと探すって。

>やはり私達は自分の大切な人生を、一分一秒大切に刻んでいかねばならないのだろう。

重い言葉だなぁ・・・GODZILLAも良い機会だから胸に刻んでおこう。 (2005.12.27 22:09:15)

この日記の大切さ  
るくちゅぷ さん
私もこれを、うるうるしながら見ました・・・。
私が、津波後プーケットに行ったのは1ヵ月後。メオタイさんのおやじ(パパ)が、空港まで迎えに来てくれ、遠回りしてパトンの様子を見せてくれた時初めて、その凄さを実感しました。と、同時にひどく後悔したのを覚えています。
口に出して、その時言わなかったけど、どうして、すぐにここへ来て助けてあげなかったんだろう・・・・。と、本当に後悔したのです。自分は、本当に至らない。と、思って日本に居る友達にメールをしたりしていたのを思い出します。
実際、現場に居ないと分からない事や、現状の様子や心情、これはよっぽど明確にうまく言葉で伝えない限り、第三者には伝わらない。という事も現地に行って分かりました。
多分、日本で客観的にニュースを見ている人には、凄さがどこまで伝わっているか・・・・。
日本には、多くの国からの災害援護の声がかかります。私がプーケットに訪問する前も日本で多くの友人に声をかけました。でも、日本住民からしてみると、当事、新潟の地震や、国内の災害も有り、ボランティアを装った詐欺も増えていたようです。
私は、日本に居ながらタイに近い所に身を置いていたので、力を入れていましたが、なんだかんだとボランティアにも困難があり、イライラしました・・・。タイを好きだという人も、そう簡単にはおうじt (2005.12.28 03:33:35)

Re:あの津波から1年   
るくちゅぷ さん
・・・続き・・・・。
タイを好きだという人も、簡単には応じてくれないのが現状で・・・・・・。
この、メオタイさんの細かい心情や、現実なんかが、本当に後の何かに役立つと、私は思いました。
ありがとうございました。 (2005.12.28 03:42:32)

Re:一分一秒(12/27)  
メオタイ  さん
GODZILLAさん

>ニランさんの話に感動した! 

私もこれにはびっくりしたんですよ。
パトン中大パニックでしたから、あの最中で出会えるのはやはり縁があったとしか思えません。

>ってそんな事ないよ! メオタイさんの事きっと探すって。

あはは。。。
ありがとうございます。
でも、それはそうかなあ。

>重い言葉だなぁ・・・GODZILLAも良い機会だから胸に刻んでおこう。

そうなんですよ。
日々の暮らしの中で、何事もなく生活していると忘れてしまう事なんです。
悲しい事に私は、傲慢にもそんな大切な事をこんな事があったときぐらいにしか思い出せない。


(2005.12.28 11:23:17)

Re:この日記の大切さ(12/27)  
メオタイ  さん
>るくちゅぷさん

あの津波の後、プーケットのリピーターのお客様はキャンセルしないで来てくれた方が多かったようです。

うちも、ファランのお客様も日本人もリピーターのお客様は一組もキャンセルしなかった。
皆プーケットがどうなってしまったか心配できてくれたのと、どうしても自分の目で確かめたいと言われた方もいました。

今はすっかり元通りの忙しいビーチになってしまいましたが、あの時の何にもないビーチは美しかったですよね?
覚えてる?
(2005.12.28 11:27:36)

大変でしたね  
tropical_monkey  さん
日記に残しておくというのは、これからの私たちの生活にとって、とても大切なことですね。

私も頑張って、いつか、全てを書き残したいと思います。 (2005.12.28 14:02:00)

読みました  
まじゅのまま さん
日記よませて頂きました。
私はタウンなので実際の津波は目にしてないのですが・・・
ピピ島の状況がつかめず子供抱えて震えていました。
ここ1年、夜中にフッと目が覚めることがありますが無事に寝ていることを確認してようやく安心できます。

子供がいなかったら(もっと)ダメな私になっていたなぁ~。 (2005.12.28 16:13:45)

Re:大変でしたね(12/27)  
メオタイ  さん
tropical_monkeyさん

>私も頑張って、いつか、全てを書き残したいと思います。

はい。
私もあの時皆さんがどうしていたのか、知りたいので、読める日が来るのを待ってます。

夢は見ませんか?
私はたまに子供が海に消えていく夢をみて、ドキドキして泣きながら起きることがあります。
(2005.12.28 19:13:27)

Re:読みました(12/27)  
メオタイ  さん
>まじゅのままさん

そうですよ!
あの時ご主人はどこにいらしたんですか?
まさか、ピピにいたのでは?

確かに子供がいてくれたお陰で、ちゃんとしなくてはと思う気持ちは大きかったです。
あの不安だった時に、そばにいてくれるだけで、安心できると言うか。。
小さいのにほんと頼りになる存在でした。
(2005.12.28 19:17:09)

Re[1]:読みました(12/27)  
まじゅのまま さん
メオタイさん

>あの時ご主人はどこにいらしたんですか?
>まさか、ピピにいたのでは?

ピピに向かっている途中でした。
運良く港に着かない沖に泊まる船だったので無事でした。
でもハイシーズン真っ盛り、島にはスタッフもお客様もいましたし・・・。
本当に運良くすべてが無事でした。
ましてやクリスマスの週末、私たちもピピにいたかもしれません。

>小さいのにほんと頼りになる存在でした。

本当にそう思います。
いてくれて良かった~。
(2005.12.28 21:49:36)

新年はプーケットがより幸せでありますように  
GUGI さん
私が津波の情報をプーケットにいた彼から受けたのは、のんびり正月の買出しをしている最中でした。「今津波が来た!沖に出て助かった。別の船は飲み込まれている」と。彼はパンワの船着場に船を停泊させ船内にいたため、津波が来る前に津波の情報が入り、沖に逃げることができ無事でした。スマトラでの地震の情報は既に1時間前から入っていたものの、津波が来るとの情報が入ったのは津波が来る10分にも満たない間だったと言います。そして彼は、船着場に停泊してる別の船が波に飲み込まれていくのをただ沖から見守るしかなかったようです。海洋関係の仕事のため年末にかけインド洋に出航する予定だった彼の仕事場の船は急遽ピピ島への救助船となり、沈没した船の引き揚げ作業にも入ったそうです。そこで撮った写真は現実と思えないくらい凄まじい光景でした。

私は津波があった二ヵ月後にプーケットとパンガーへ行きました。
プーケットの彼の身近な人達は幸い無事で、パンガーの親戚も家を破壊されたものの命は無事でした。しかし、近隣の友人を失った悲しみや憤りは何ら語ることなくとも心に伝わってきました。

メオタイさんが「人の運命は常に死と隣りあわせだ」とおっしゃっていましたが、実は私も津波が起きてからというのも、プーケットの地を踏むとそう感じるようになりました。裏を返せば、私が今までのん気過ぎたのかもしれませんが。

現実にその場に遭遇した方を思うと心が痛みます。しかし、復興に向けて前向きに取り組む人達が大勢いることが元の明るいプーケットに立ち返る原動力なのでしょうね。
今年はプーケットの皆様がより幸せに過ごせますよう、心からお祈りしています。 (2006.01.01 14:22:37)

Re:新年はプーケットがより幸せでありますように(12/27)  
メオタイ  さん
>GUGIさん

そうですか。
同じ船でも、浜近くにいた船と沖にいた船では状況が全く違いますから、彼が沖にいて本当に良かったです。

その為不思議な事に、ダイビングをしていた船や、ダイビングをしていた人で亡くなったという人の話し聞きませんでした。

プーケットは徐々にお客様が増えつつありますが、それでも今年の年末年始のホテルの稼働率は、津波以前とは比べ物にならないほど低いようです。
まだまだ、時間がかかりるのかもしれません。

それでもこうやって普通のお正月が迎えられること、本当に喜びを感じています。

(2006.01.01 16:11:35)

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