YOSSY’S DIARY

YOSSY’S DIARY

2007年07月23日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
昭和63年に塾をつくって、生徒数3名からスタートしたことを、(1)に書いた。
本当は(2)にあたる事件があるのだが、それは後回しにしようと思う。

その後、プレハブ塾としては順調で、3年後には生徒数が約100名になった。
不満だったのは、プレハブ塾ではトイレがないことと、もう一つ、他人の土地を借りているということだった。
それで新築・移転する決意をした。
今にして思えば、何と間の悪い。
平成3年。
バブルの絶頂であり、それは正に破裂寸前の時期だったのだ。

結局、今の塾の場所に、土地と建物合わせて6千万円以上をかけて新塾舎をつくって移転した。

もちろん大学院を卒業してわずか四年の、20歳代の僕に大きな貯金も、資産もあるはずがない。
移転時には、不動産屋の仲介でお金が借りられることになっていた。
それが、新築工事も終わろうとする時期にダメになったことを伝えれた。
あとで考えてみて分かったことだが、不動産の総量規制が始まって、ノンバンクが困ったことになりはじめていた時期なのだろう。
結局、かなりの苦労をして、地元の地方銀行からの融資が実現した。
そのときの副支店長が、僕と同じ高校の出身であったのが、最後に決め手になったものと思われる。
正直、そのとき初めて母校に感謝したものだ。

今度は、トイレも水洗で、男女各2つづつある。
教室も、1名あたり1畳の広さと、ゆったり。
しかも、自習・補習用の部屋も1クラス確保した。
もちろん、塾の前にはたっぷり駐輪スペースも設けた。


設備的にも、初代のコピー機から2代目のコピー機になり、印刷機も入れた。
とにかく、生徒のためになる、授業に利用できるものをどんどん準備した。
「いい授業」のための「いい教材づくり」にはいちばん力を入れた。
その頃、大手塾が駅前にきたが、お陰でかえって生徒数が増加する、という感じだった。

ただ、僕は不安だった。

何かを変えていかねば・・・と、気ばかり焦った。
教材屋さんも「5年目あたりが塾の経営も節目ですよ」と言った。
でも、何をどう変えていけばいいのか、皆目見当がつかなかった。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007年07月23日 19時54分37秒
コメント(0) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.

Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: