不安とプライドと自己嫌悪

不安とプライドと自己嫌悪

交通事故



1回目は高校生のとき。
高校2年生の3月2日、雪がちらつく寒い日だった。
わたしは自転車に乗っていて、おまけに美術の課題であるでっかい画用紙を丸めて片腕に抱えていた。
そしてある信号を無視して渡った、そのときぽんっと車にぶつかった。
自転車は結構派手に宙を舞ったけれど、わたし自身はほぼ無傷だった。
ちょうどその前日が高校の卒業式で、好きだった先輩がいなくなるのを見送った翌日に事故だなんて。
なんてツイてない人生なんだろ。そう思った。

2度目は、社会人2年目の8月17日。
これまた日付まで覚えているのにはわけがある。
その日は、部署の先輩の送別会だった。
当時わたしはまだ飲み会皆勤賞人間だったし、その先輩のことは好きだったから、当然参加した。
寂しい気持ちで先輩を見送った。
ところでその2日前、会社のPCでウイルス騒ぎがあって苦労した。
ちょうど終戦記念日だったのでよく覚えている。
結局ウイルスはたいしたことなくて、大事にはならなかったのだけど、始末書を書かされたりして、憂鬱だった。
その2日後に、先輩は去り、自分は事故。
先輩の送別会が、危うく自分の送別会になるところだった。
つくづくツイてない人生である。

でもその事故ではいいこともあった。
跳ね飛ばされて倒れている瞬間(今回は自転車ではなく生身だった)、携帯が鳴ったのだ。
電話の主は現在の配偶者(仮)。
当時まだ出会ったばかりで、その人と将来結婚することになるなんて思ってもいなかった。
寧ろそのときは、彼の押しにちょっと疲れていて引き気味だったから、
普段なら電話も出なかっただろう。
でもそのとき、動転していたわたしはごく普通に電話を取った。
そしてこれだけ言って切った。
「あのね、今車にはねられて倒れている最中なの。後でかけなおす。ごめんね」
言ってる内容は全部事実である。
しかし聞く方からすればどう考えても酔っ払いのたわごとである。終電の時間だったし。

しかし彼はそれを信じた。
ただ事ではない、と思い、場所も言わなかったわたしの電話だけを頼りに、
駅からわたしの家までの間の道を、深夜、自転車に乗って捜し回ってくれた。
地元じゃなく、まだ街の方にいるかもしれないのに。
そして救急車で搬送されるわたしを見かけた。
もうわたしは死んだものと思ったら猛烈に腹が立ち、
その場にまだいた加害者殿(泥酔)を殴りそうになるのを我慢した。

後から聞いた話である。
彼と一旦付き合って、でも別れることに決めた、その最後の電話のときにその話を聞かされた。
事故当時わたしは搬送されていたから、彼が探しに来てくれたなんて知らなかったので、驚いた。
そのとき初めて、彼が本当に自分を好きでいてくれたんだなと思い、
別れを決めたことを後悔した。

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