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2014/08/31
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カテゴリ: 歴史
三条大橋橋げた・京都府庁w400


訪れて中庭のベンチで一休み。その片隅に円筒形の石柱が置
かれてます。何だろうと思って説明板を見ると五条大橋の
橋脚とありました。

秀吉が京都改造に先立ち、三条と五条の大橋を架け変えた時
に設置した御影石です。橋は何度も流されてますが橋脚は残り、
明治に近代橋に架け替えた時や、昭和の川底工事の際に沢山
引き上げられてます。

用済みとなった石柱は現在、各橋のたもと以外に京都の各所

神宮の池、丸山公園、どれも明治の作庭名人・七代目の小川
治兵衛が手掛けたものです。彼の技のひとつ、古材の巧みな
リサイクルだそうです。

彼は市中の別荘庭園も手掛けているので、そこにも天正年代
が刻まれた石柱が見られるかも知れません。京都で石柱を見
かけたら、秀吉に思いを馳せてみるのも一興かも。

ご参考:
そすいのさんぽみち/池泉用水  (21)三条・五条大橋の旧橋桁の利用例-1
現存する天正時代の橋脚をレポートした中西一彌さん(83歳)のHP

広重・三条大橋-w400
<広重の三条大橋図>

さて三条の橋脚に関しては、ひと騒動ありました。

彼の描いた三条大橋の橋脚がおかしい。秀吉の石柱橋脚で
あるべきなのに木造です。

三条大橋・明治-w400
<明治の頃の三条大橋>

彼は江戸から京都まで、都に献上する馬の行列に同行して
「東海道五十三次」を描いたことになってますが、不自然な

されていたりとおかしなところが多い。おまけに広重は当時、
火消同心だったので旅など出来るわけないという人もいる。

そこで、広重は東海道を旅せず、司馬江漢や歌川国貞の絵を
コピペして「東海道五十三次」を仕上げたという説が出てい
ます。まあ、たぶんそんな部分もあったようです。
(司馬江漢の絵そのものが贋作だという説もありますが)

しかしコピペがあったとしても、仕上がった作品は広重なりの
感性と美が溢れ、ゴッホを始め世界の人々に感動を与えています。
模倣や引用は美術技法上の一手法とされる場合もあり、安易な
気分で盗作どうのこうのとケナすべきではないでしょう。
後年には広重は正確な三条大橋を描いてます。

三条大橋・現在-w400

京阪電車に乗る際に何気なく渡っている三条大橋もじっくり
見直すと、様々な歴史やドラマが浮かんできますね。


ご参考: もさくの浮世絵はじめました。/





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最終更新日  2022/03/24 01:35:10 PM
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