父の死






私の父は『JH、日本道路公団」に勤めていた。
そのお陰で私達家族は日本中、転勤について回り色々な場所に暮らした。
転勤すればその近くの観光地によく家族で出掛けた。

その父が、2000年2月21日に死んだ。
突然の出来事だった。

その日の朝私はイギリス人の友達を連れて母と娘と東京ディズニーランドへ向かっていた。
まだ家を出てそんなに離れていなかった。

私の携帯が鳴った。弟だった。
「今病院から連絡があって、お父さんが危篤だって。
お姉ちゃん直ぐXX病院に行って!」
と言う内容の物だった。

母は別れた夫とはいえ20年以上連れ添った。
事情をイギリス人の友達に話し、私は友達に電話。
XX病院で待ち合わせた。そこでイギリス人の友達とは別れた。

病院に入り、受付で父の名前を言うと父は7階のICUに居た。
人工呼吸器をつけ、高い熱を出し動かなかった。
手を触ると、熱いやかんに手を浸している様な感じがした。
とにかく暑かった。

先生が来て状態の説明。
「脳幹部の血管が切れたようです。
この場合、一時的な処置しか出来ません。
もう手の施しようがありません」
などの長い説明の後、私の母は静かに
「延命処置はしたくない」とつぶやいた。私も同感だった。

弟夫婦が来た。
突然の事で彼等もまた驚いていた。
私がお母さんが「延命処置はしたくないって。」と伝えると、
「お母さんが言う通りにしよう」と弟はすっぱり決断した。

その日は病院から離れられなかった。
容態がいつ変わるか予測不可能だったからだ。
先生からも「病院の5分圏内に居て下さい。」と言われた。
私達は、病院の「付き添い待合室」と言う部屋に通されそこに居た。
それまでに一体何人の人が病院に来ただろう。全員道路公団関係者だった。

夕方になり、「コンビニにお弁当でも買いに行ってここで食べよう」と母が言い出した。
買いに行って戻って、お弁当を開けたその時、病棟から内線。
「お父さんが死んじゃった~」と思った。

「もう最後になると思います。すぐに上がって来て下さい。」
その言葉を聞くや否や、私と母は飛び出して父の所に駆けつけた。

父のベッドの側で母が「お父さん,お父さんっ!」と懸命に叫んでいる。
普段全然取り乱さない母が、周りの事など気にせずに泣きながら大声で叫ぶ。
「お前も何か言いなさいっ!お父さんはお前が全てだったんだからっ!!」
叱る様な口調で私に叫ぶ。
私が「お父さんっ!」と言ったその瞬間、父の息が戻った。
すかさず弟が「お父さん、しっかりしてっ!」と言う。
「88keys お前じゃないと駄目だ!」と母に言われもう一度
「お父さんっ!!」と言ってみる。息が戻っている。
先生が「息が戻っています、そのまま言い続けて下さい」と私に言う。

何度か繰り返されたが結局父は死んだ。

その日の朝は相当冷えていた。
父は朝起きてトイレに行って、布団に入ろうとしたその時、
一緒に寝ていた飲み友達に最後,「身体がしびれる」と言ったそうだ。

それが父の最後の言葉だった。



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