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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。野菜を食べよう posted by (C)みえこ55今年は庭で育てているゴーヤが大豊作で、食べても食べても、人にあげてもあげてもまだ余ってしまいます。佃煮やゴーヤチャンプルーにして毎日食べています。それと、我が家で今大人気なのは、兄が教えてくれた、山形の郷土料理の「だし」です。なす、キュウリ、オクラなどをフードプロセッサーで細かく切り、ミョウガと紫蘇の葉をみじん切りにします。オクラ以外は全部自宅でとれました。だしのもととなる細かく刻まれた昆布は山形から持ってきてもらいました。これはこちらで手にはいるものなのか?今度スーパーで探してみます。味付けはめんつゆのみ。子供たち曰く、「おじちゃんが作った方が美味しかった。」そうです。どうやらフードプロセッサーで野菜を細かく切りすぎたようです。月曜日から昨日までの3日間は、ジムがお休みでした。この七ヶ月半の疲れを取るためにのんびりと、予定を入れないで過ごそうと思っていました。ところが、二日目の火曜日の朝、耳鳴りと耳の詰まりを感じ病院へ行くと、低音が聞こえづらくなっていて難聴であると言われました。ストレスや疲労、睡眠不足が原因であることが多いとも言われました。昨日も一日中耳鳴りがやむことはありませんでした。薬のせいもあってか、夜はぐっすり眠れ、朝の目覚めも良かったのですが、午前中は眠気と倦怠感が襲ってきて、横になっていました。いつも元気だった自分とは別人になってしまいました。いつに間にか眠っていたのですが、電話で起こされ出てみると、母の病院からでした。洋服が足りないので持ってきてほしいという電話でした。洋服なら十分なほど持って行っているし、いつも面会に行くとパジャマで過ごしているのに、変だなと思いました。3日ほど行かないと、こうして電話がかかってくるのです。なので週に2回ほどは面会に行っていました。昨日は、体調も悪かったし、息子が車で出掛けており車がなかったので、看護師さんには体調が悪くてしばらく行けないと答えました。実は、いまだに、あの荒れ狂った日の母が怖くて、またそうなるのではと怖くて、会いに行くのがとても気が重いです。この七ヶ月半、何度も何度も安堵と恐怖を繰り返して来たので、今は穏やかな母を見ても、安堵の状態に戻れなくなってしまいました。普通の生活を取り戻さなければと思うのですが、それが出来ないのです。母を連れてきた当初は、私に限界が来たときには、兄の住む家の近くで施設に入れるという約束をしていました。その限界の時が来たと思います。兄に電話を入れると、今は私の気持ちが落ちているからだと、考えさせてくれと言われました。また、移転に関しての資料を送ってほしいとも頼まれました。そこで、とりあえず、母を転居させる為に、地元の地域包括センターに相談しに行ってほしいとお願いをしました。私の方でも、もう一度こちらのケアマネージャーさんと病院のソーシャルワーカーさんに、今後の相談をしてみますね。昨日は、これまでもずっと励まし続けてくれた友人がラインをくれました。振り返らず前を向きましょうと。その言葉にはっと目が覚めました。相談できるお兄さんがいて良かったねとも言われました。一人で抱え込まずまず相談。それが大事だと思います。今まではずっと抱え込んでいたように思います。今私は動く事が大事だと思いました。じっと同じ場所で耐えるのではなく、前に向かって歩く。なんだか力が湧いてきましたよ。有難うBerlinゆり子さん! ←ポチっとお願いいたします♪
2018年08月16日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。今日は予報では34度、雨も降るようですがどうでしょう?今のところは晴れています。雨、降ってほしいです。また庭の水やりを休めますので。昨日の最高気温は34.5度でした。35度を切ればまだましだったと思うようになってしまいました。初セセリ posted by (C)みえこ55先日、熱中症になったので、庭に出る時間は極力短くすることにしました。短い時間内でのトライアル、けっこう厳しいですがなんとか撮影に成功しました。梅雨前から咲いているオカトラノオにセセリが来ていました。今期初のセセリ蝶の写真です。ヤマトシジミらしきものも、ずーっと前から、よく来てはいるのですが、なかなか撮れませんです。さて、月曜日から3日間、ジムがお休みでした。そこで私は、この3日間でこれまでの疲れを癒す事にしました。母が入院するまでは、この休みでどこか遠く海にでも連れていってあげようと考えていました。母が入院をしてしまい、更に、夫に仕事が入った事で、出来た自由時間。はじめは、なかなか会えなかった知人と会う予定を入れようか?と考えました。しかし、あえて何も予定を入れない3日間を過ごす事に決めました。それが一番自分のケアに必要な事だと思ったのです。この8ヶ月近く、いつも何かに追われるように暮らしてきたように思います。母のデイサービスやショートステイを、先々まで入れて、それに会わせて自分の予定を入れる。この日はダメだし、この日は早く帰らなければ。と、いつもカレンダーとにらめっこをして暮らしていました。なので、時計もカレンダーも見ない3日間を過ごそうと思ったのです。一日目は、昼寝をしたり、息子と買い物に行ったり、何もないようで、あった一日を過ごしました。二日目の昨日は、長女はまだ旅行から帰っていないし、息子も部活やデート。本当の自由な一日を過ごす予定でした。ところが、朝起きてブログを書き始めたとき、何やら右耳に違和感を感じました。耳が詰まるような感じと、脈が打つような音が聞こえてきます。以前突発性難聴を患った事があり、その時の症状と似ていると思いました。突発性難聴は、早く治療を始めないと治らなくなってしまう事があります。なので、私は、直ぐ様病院に行くことにしました。以前通院したことがある耳鼻科のホームページで休みでないことを確認し、病院に行きました。ところが、車を駐車場に停めて入り口まで行ってみると、お盆中は休診であるという張り紙がしてありました。さて、困ったどうしましょう?駐車場に戻り車の中で、スマホを検索しました。お盆中で休みの多い病院ばかりで、やっとやっている病院を見つけましたが、駅前のために駐車場のない病院でした。しかし、今いる場所からも近く、確実に昨日はやっていると分かったので、その病院に行く事に決めました。ナビに電話番号を入れて、車を発進させました。目的地が近づいてきたので、有料の駐車場を探しながら走りましたが、なかなか見当りませんでした。目的地を過ぎたところで、以前母をコンサートに連れてきて、駐車場を探して道に迷い、キップを切られた場所に来てしまいました。駐車場!あるある、あの時奇跡的に停めることが出来た駐車場。そこに停めることが出来ました。突発性難聴の時と同じように聴力の検査をすると、低音が聞こえづらくなっている事がわかり、難聴ですと言われました。軽度な難聴なので、疲れやストレス、睡眠不足を解消すれば直るでしょうとも言われました。出された薬はダンドストピロンクエン酸塩錠とアルプラゾラム錠という薬でした。効能は、どちらの薬も不安や緊張をやわらげたり、寝付きをよくする作用があると書かれていました。どちらも耳とはあまり関係がないと思われる薬です。今の私には、不安や緊張を、睡眠不足を解消することが、必要だという事なのですね。今までの私の生活は、小さなボートの上で、連れない魚を必死で釣り、楽しくもないのに、楽しいと無理矢理思い込もうとしていたのと似ています。嵐が来たら、陸に引き返せばいいのに、その場所でじっと嵐が過ぎ去るのに耐えていました。今は、暗い海の底にいるような感じです。暗いけど、静かで殆ど何も聞こえませんが、上を見上げれば、明るい光が見えます。もう少しここで過ごして、水中散歩でも楽しんでから、陸に上がろう。そんな気持ちです。彼女のスープ posted by (C)みえこ55高校三年の時に、同じ高校の同級生の彼女が出来た息子は、卒業と共に遠距離恋愛となり、フェイドアウトするかとおもいきや、益々ラブラブに。その彼女が、休みになるとよく我が家にやってくるようになり、昨日は二人でコストコに行き、二人で台所に立ち、トムヤムクンスープを作っていました。今までは、作ったものを、2階の息子の部屋に持っていき、彼女はリビングにやって来ることはなかったのですが、なぜか昨日は、私の分まで作ってくれただけでなく、3人でリビングで食べるという事になっていました。どういうことか?2世帯住宅の生活ってこんな感じなんだな…悪くないかもと思ったり…息子がやけにウマイウマイを連発していました。息子はエスニック料理好きだったかな?と、大きな疑念がわきましたが、まあいいか。恋愛によって味覚も変わるのかもしれないし。お盆休み最終日、夕方と寝る前の2回飲めばいいという薬を飲んだせいか、いつもは4時半過ぎに目覚めていたものが、6時過ぎまで眠ることが出来ました。目覚めもすっきりしています。長女は仕事で夕飯もいらないと、息子も一日デートです。今日がいよいよ私の久しぶりの自由時間ですね。車も息子に取られたし、さて何をしようかな。これから、長女がお土産に買ってきてくれた、伊勢の赤福を食べながら考えようと思います。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年08月15日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。昨日は夕立がありました。庭の植物にとっては恵みの雨となりました。今朝は朝からよく晴れ渡っています。予報では曇りのち雨ですが。介護が始まってからのこのブログときたら、書いている自分もそうですが、読まされる方の身になってみたら、どよんとする内容ばかりで、キッパリ、この話題はやめてしまおうか?と、何度も思いました。しかし、自分でも思うこともあり、書き続けてきました。母の介護だけでなく様々な自分の問題を、ここで書くことで気持ちが整理され、まだ解決はしていませんが、解決の方向に向かっていることを実感出来ます。また、同じ問題を抱えている方もいるでしょうし、周りに似たような人がいるかもしれません。そんな方の何かヒントにでもなれば幸いかなとも思ったりしいています。介護をしている人は、それに追われて、自分の身に何が起きているのかを客観的に見れなくなっている場合が多いように思います。私自身はそうでした。いつも、何を優先して何から行えばいいのか?日々突発的に起きる出来事に対処していかなければならないのが現状でした。その頃を振り返ってみると、明日は何が起きるのかわからない毎日を送っていました。不安だけがつのる毎日でした。母を引き取ってから、ほどなくというか、眠れない日が続きました。母は昼夜逆転で、毎晩何をしているのかがわからないような変な物音に目覚めました。不可解な行動に次は何が起きるのかと、不安と恐怖におびえる日々が続きました。にもかかわらず、母は、自分はどこもおかしくないのだといい、親戚や友達に電話をしては、連れてこられた、連れてこられたを連発していました。食事やトイレ以外は寝て過ごし、時には食事や薬を飲むときさえも寝たままでとろうとしていました。そんな寝たきりの状態にもかかわらず、毎日私に頼んで来るのは、コンサートやカラオケに行きたい。高級ステーキや鰻やを予約してほしい。日本橋まで連れていけ。などなど。また、ある日はドジョウが食べたいとしつこく頼んできた事がありました。 方々探しましたが、結局手に入れることは出来ませんでした。 私は、突然環境が変わってしまった母を、さぞ切なかろうと思い、なるべく母の好きなようにさせてあげようとも思ってしまいました。しかし、そうは言っても、、毎日外食やコンサートに行くわけにはいきませんし、もう少し待ってねと言わざるをえない状況になることが多くなりました。なぜ毎日鰻を食べたいというのか?昨日行ったばかりなのに、また今日もカキフライを食べに連れていってくれと言うのは何故なのか? 母は、自分の欲求が通らないと、次第にイライラしはじめて、怒りをあらわにするようになり、私もへとへとになり、ケアマネージャーさんに泣きついたことがありました。その時の過酷な状況は、今思えば、私の緊急事態であったと思いますが、その時は、どう解決すればいいのか全く分かりませんでした。認知症について書かれた本を何冊も買って読んでみたり、ネットで調べてみたりして、困った行動をとる母の対応を色々と試みてはみましたが、母の場合は、それらに書かれている方法で行っても、うまくいかない事が多かったと思います。そもそも認知症の本に書かれている事は、認知症の患者の立場に立って書かれたものばかりです。例えば、代表的なものは、認知症の人は不安を抱えているから怒らずに優しく対処してあげましょう。気持ちを別に持っていくように話題を変えましょう。などです。どれもある意味は正しいのですが、介護する側のメンタルな部分についての解決方法はあくまでも介護者が自分で何とかしなければいけないものばかりでした。金属疲労にようにたまっていく、介護疲れは、デイサービスやショートステイ程度では取れませんでした。臭いものに一時的に蓋をしただけだと思います。日中はなんとかリフレッシュしたところで、夕方になればまた交代のない毎日夜勤が続くわけですから。母は私に頼んだことをすぐにやらないと、自分が頼んだ事だけは忘れずにしつこく言ってきたり、都合が悪いので別の日にと言っても、都合が悪いのでと言われたことは忘れ、ものの数分もたたないうちに同じ事を頼んできました。頼んで断れば断るほど、母は自分がやりたいと思いながらも断られたと、自分の希望が叶わなかった事を脳に刻む事になりました。意思の疎通がとても難しく、それが毎日続いていたのです。7月23日の月曜日、母が大暴れをした日、私はショートステイを受けて下ると来てくれた職員お二人と、ケアマネージャーさんに私への不満を言う母の話を黙って聞いていました。母はここに来たとき、何もせず好きなように生活することが出来て楽だったと語っていました。家事もせず、これまで通りの生活して好きなように生きていくつもりだったようです。やっぱりそうだったのだなあと私は思いました。母が何もしようとせず、全てを私にやらせ、横目で見ているのをなんとなくは感じていました。自分の手元にテレビやこたつのリモコンがあるにもかかわらず、テレビやこたつを消してと命じてくるようにもなって行きました。いつもトイレに立つときは、膝や腰が痛いと顔をしかめ、壁や家具につかまりながら、やっと歩いていました。ところが、脳を調べてもらう為に行った病院の待合室で、母の携帯電話が鳴った瞬間から、母は別の顔を見せはじめました。今まで何も出来ない可愛そうな老人だった母は、瞬時に総婦長になったのです。病院の職員に携帯電話をやめるように注意されても、全くやめる様子はなく、ものすごい形相で私の手を振り払い、椅子からすっと立ち上がり、片手で携帯電話を持ち、話を続けながら、杖も持たずに普通に歩いて行ったのです。脳の切り替えスイッチが完全に壊れたあの日、私の家を出て行って、精神病院に入れられた日です。 母は来たばかりの頃の本音を全て白状していました。私がなんとなくはそうだろうなと思っていた事が、なんとなくではなくそうだったのだと、母の行動がなぜそうだったのかが理解できました。母は昔から人に何かを頼むとき、「やらせる」「やらせればいい」という言葉を使う人でした。人に何かを頼むときは「やっていただく」「やってもらう」「お願いをする」という概念になるはずなのですが、長年総婦長をやっていたからなのかどうかわかりませんが、やって頂くという概念が著しく欠けている人でした。「やりたくないことは人にやらせればいいのよ。」そう言うのを何度も聞いたことがあり、もはや、母の口癖だったのではないかと思えるほどです。認知症ではなかった頃は、私に対して「やらせればいい」という対象ではなかったのですが、認知症になってからは、私は母の娘ではなくなり、自分の手助けをしてくれる人でもなく、用を言いつける家政婦だと思っているかのような態度で接していました。認知症の本に書かれていたように、怒らせないよう、かなり気を使って接していましたが、母はデイサービスに通い始めると、当所思い描いていたここでの自分の理想の生活とは違うと感じはじめていたような、そんな気がします。それまでは、私を家政婦がわりにして、融通がきく天国でしたが、デイサービスに行けば、自分は他の人とは違うと、精一杯のプライドをむき出しにして生活をするようになりました。デイサービスがはじまり、私に時間が出来るようになると、自分の世話をしていないと言ってみたり、文句が次第に多くなりました。母は何が面白くないのか?漠然とした母の何か得体の知れないオーラというのか、言葉ではうまく言い表せない、嫌な感じの空気を感じるようになっていました。今でもあれは何だったのか?と思います。母は元気だった頃の自分とそうでないいまの自分を行ったり来たりしていたのかもしれません。そんな母を見て、私は「今日は調子が良さそう」とか「今日は悪魔が降りてきたな」とか、日替わりで変化する、あるいは日替わりでなく、瞬時に変化してしまう母に戸惑いを感じていました。気功の先生が人間には気というものがあるとおっしゃっていたことがありますが、その気というものなのでしょうか?母は健康な人が発していない独特の気を発していたと思います。そんな毎日でした、どう頑張ってみても、母を満足させることが出来ないことで、私は疲弊していきました。前頭側頭型の認知症と言っても、色々なタイプがいると思いますが、母の場合はその瞬間にやりたいと思ったことはやる。あるいはやりたがる。できない場合でも、ああいえばこう言いう。というのが特徴でした。一見、単なるわがままと見分けがつきにくいです。今なら、それが病的なものだと思えますが、その時は、まだらボケの症状が激しく、あるときは普通なのに、しばらくするとわがままでごう慢な人にになりました。母が私の家を出ていった日も、時間単位で人が変わりました。あるときは、72歳まで働いていた総婦長となり、私に意識が向いた瞬間には、気がふれた人になりました。そして、イライラがピークに達したときには、一旦は、その振り分けができなくなりましたが、道に迷い交番に駆け込んだときは、二人の警官がどこもおかしくはないというほどの普通の人になることが出来たのです。私は、このような病気の人と半年以上も暮らしてきたのです。介護うつの症状で代表的なものは、睡眠障、食欲不振、疲労感や倦怠感、不安感や焦燥感憂鬱感や思考障害などがあります。私はその全てがが当てはまっていました。体重は、もともと痩せていましたが、そこから更に五キロ近くも痩せました。体脂肪率は一時期は8.5%にまで減少しました。今でも10%前後しかありません。先程書いたように、うつの症状のひとつである思考障害もあったのではと思います。自分や母が危機的な状況にあることも判断できなくなっていたのです。介護うつになるまで、一ヶ月とかかりませんでした。うつはある日突然やってきました。三太郎の日 posted by (C)みえこ55私はこれから、自分のケアーをしていかなければいけないと思っています。それが優先すべき事なのではないでしょうか。さあ、何からはじめましょう。まずは、気の向くまま、過ごしてみましたよ。はじめに庭に出て蝶々の写真を撮りました。それから、今まで気になっていて出来なかった場所の掃除をしました。次は茄子とゴーヤを収穫し、いくつかのお総菜を作りました。夜は、長女は友達と旅行に行って、息子と私の二人だけでした。息子が買い物に行きたいと言ったので、買い物にも行きました。息子と一緒に帰りの車で聴くCDを二枚選び買いました。気分が上がる軽快な音楽にしましたよ。買ってきたコーヒー牛乳を一緒に飲み、携帯電話のサービスでもらったドーナツも食べました。息子が自分で選んだドーナツを「お母さんも食べるよね?」と言いながら、残そうとしていました。ひっくん全部食べていいよ。と言うと、一瞬ためらいながら最後の一口を食べました。息子は私に自分の好きな味のドーナツを食べさせたかったのだと思います。何でもない一日が、とても心を癒してくれました。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年08月14日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。今日は予報では曇りと雨でしたが、今のところ雲ひとつない快晴です。玄関先のノウゼンカーズラ posted by (C)みえこ55夏にこの花を見かけると嬉しくなります。そこで、我が家でもシンボルツリーにしようと思い、玄関先に植えました。すると、ご近所のガーデニング好きな奥様が、「これ、植えると大変なことになるわよ。」と教えて下さいました。暴れ放題になり、管理が大変になるというのです。抜いても抜いても出てきて、以前大変な目にあったと言います。素直にそのご意見に従い、ノウゼンカズラは鉢植えで育てることにしました。地植えに比べると、花数も少なく、迫力にかけますが、ガーデニングにかける時間が極端に減ってしまった今年。手間をかけないガーデニングに切り替えていくひとつのきっかけになったと思います。先日も書きましたが、介護をしながら突然死をする人がよくいると聞きました。確かに、私も母を引き取ってから、たった一ヶ月で血圧は180にまで上がりました。母の病状が落ち着いてくると、ようやく私の血圧も正常に戻りましたが、この度の大騒動で、160まで上がってしまいました。心臓病や脳卒中、そんな病気が自分の身近に迫ってきたことを感じました。実際の統計は知りませんが、私の周りで介護をしていて、身体を壊さなかった人は、一人もいません。しかも、原因不明の、今まであまり聞いたことがなかったような病気に患っている人が多いです。そういう人達を見ながら、いつも運動や食事など特に問題がなさそうなのに、なぜこの人達は、不調なのだろうか?と、不思議に思っていました。年齢的に、本人達もよく言っていましたが、更年期のせいなのかな?と。しかし、最近気づいたのですが、不調を訴えている人の多く、私の知る限りでは100%の確率で、介護や家庭でのトラブルを抱えていました。その人たちと会話をしていると、いつも私は最後に、「大変ね。よく頑張っているわ。無理しないでね。」そう言って別れるのが常になっていました。そして、次に会うときは「調子はどう?」そんな会話から始まるのです。そして、気がつけば私も同じような事を言われるようになっていました。 それからは、大丈夫かと、聞かれない自分を見せるようになりました。介護でボロボロになった自分を人に見せたくない。その思いが、どんどん強くなっていきました。 そして、介護で病気になんてなってたまるか!とも思いました。 しかし、その思いとは裏腹に、私の体調はどんどん悪化して行きました。 12月にダンスの発表会があります。これまでは、どんな辛い状況でも、笑顔で踊ることが出来ると思っていました。しかし、母との壮絶な別がやってくる少し前から、私はその自信を失いかけていました。もしかしたら、踊れないかもしれない、母にも何かあったら発表会には行けなくなる。そう思って、私は先生にラインメールを送りました。突然のドタキャンがあるかもしれないので、私の出場はやめた方がいいかもしれないと。先生からの返事は、やれるところまでやろう、なんとかなるから。でした。事前に相談していた仲間二人も、練習ははじめよう。もし、当日出られないということになってもいいじゃない。と言ってくれました。ダンスと仲間に支えられて、今私は再び笑顔でいられる場所を見つけたように感じています。それと、夫や夫の田舎の両親、子供達に見守られているという安心感があります。だから、ここまで頑張れたのだと思います。私は、毎日夫の両親が送ってくれた野菜を食べています。枝豆やミニトマト、茄子やキュウリ。この夏、一度も買ったことがありません。色々な人に元気で生きろよと言われているのだと思います。 「介護は一歩間違うと死に至る」私はそう感じています。命がけの行為なのだと思います。他の人はどう感じているか知りませんが、私にとってはそうだと思います。楽しく、とか気楽にとかそれは出来ませんでした。もっと力を抜いたら?ともよく言われる事ですが、母と関わりのあるうちは、とても難しい事だと感じています。介護は命がけですけど、命をかけてはいけない。その事だけは肝に命じておこうと思います。誰も私の命の保証はしてくれませんから。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年08月13日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。この頃朝とても早く目覚めてしまいます。今朝も時計を見たらまだ朝の4時30分でした。しかし、夜も早く眠くなり、昨日は9時には布団に入ったので、 7時間半は寝ています。リビングにあるベランダの窓を開けると無風状態で、まだムッとしていましたが、しばらくすると、急に冷たい風邪が部屋に入ってきて座って投げ出した私の足の上を通りすぎました。するとほどなく雨が降りだしました。ブログを書きはじめてほどなく、夫が二階から降りてきて、私はリビングを追い出されました。平日に録りためた車などのテレビ番組を観るのです。白いサルビア posted by (C)みえこ55サルビアが宿根草だと初めて知りました。しかし、幾つも植えたサルビアでしたが、全部が生き残った訳ではありませんでした。サルビアの白、自分で植えた記憶がないので、サルビアって白もあるんだ?と、思ってしまいました。先週、母の唯一の親友が山形から、特産品のだだちゃ豆を送ってくださいました。枝豆なのですが、山形のある地域で採れたものしかだだちゃ豆と言わないそうで、東京で流通しているのは今まで見たことはありません。独特の甘味というか旨味があって、食べると「だだちゃ豆だ。」と、 故郷の夏を思い出す味です。毎年誰かから頂いただだちゃ豆を、母は送ってくれました。お盆に帰省したときも、帰りの空港で買ってくれたなと。あの日買ってくれたときの母を思い出す味でもありました。空港のゲートの中に入って、ガラス越しに見送る事ができるのですが、声は聞こえません。電話があって、その電話で会話が出来るようになっていて、いつも孫達とお別れの挨拶をしていました。普通の、普通のおばあちゃんでしたね。 あの頃は… だだちゃ豆が届いたお礼を言わなければと、届いたその日に電話をかけました。このまま、向こうから連絡がなければ、何も言わず、施設が決まってから知らせようと思っていました。親友が変わり果てていることを知ったら、ショックだろうし、言われても、見舞に来なければ?あるいは行けない事で、気を使わせてしまうかもしれないと思ったからです。しかし、だだちゃ豆が送られてきて、母の近況を、さてどう伝えればいいのか?私は、少し迷いましたが、山形に帰りたいと家を出ていってしまい、病院に入院していると伝えることにしました。多くを語らなかったにもかかわらず、母の親友は、静かに語りはじめました。自分もかつて義理の父親の介護をしていたことがあると。今までは普通だった人が、急に人が変わったようになり、自分が何か悪い事をしたかしらと、ずいぶん悩んだと言います。そして、目が見えなくなってしまうほどの大病を患ってしまったともおっしゃっていました。30年も前の話よ。と語る様子から、今でも心に傷が残っていることを感じました。何度も何度も言って下さったのは、あなたを大事にしなさいね。あなたが倒れたら、お母さんだって、家族皆が困るのよ。優しく、ゆっくりと、何度も語る言葉が、かつて経験した人の心の叫びのように思えました。さぞ大変だったのだろうなと思います。嫁という立場で、介護サービスもなかった時代の話でしたから。私は母の親友の話を、詳細を聞かなくても、どんな状況であったかがわかりました。それは、母の親友も同じだったようで、私は母が病院に入った状況など、ほとんど話していませんでした。それなのに、母の親友は、 全てわかっているかのようでした。母はいつも、人をよくいう人ではありませんでしたが、唯一この親友だけは、神様のような人だと言っていました。 私もそう感じていました。なぜいつも、こんなに母に優しくしてくださるのだろう?なぜこんなに暖かい人なのだろう?そう思っていました。その訳がなんとなくわかってきました。いつも、影ながら誰かの支えになって来た人なのだと思います。思いやりの塊のような人。そう思います。そんな人でさえ、認知症になった義理の父親を怒らせてしまったのですから、私も、仕方がなかったのだと、少しは思えました。しかし、兄からは母を怒らせる度に、「おまえは母さんの地雷を踏んだな。」と言われました。大きな地雷は携帯電話を夜に預かった事でした。夜中にあちこちに電話をかけていたからです。それをそのまま自由にさせておくことなど出来ませんでした。あのときも母は荒れ狂い、私に向かってきました。本当に怖かったです。怒りや、怒りの言葉というものは、これほど人を破壊する力を持っているものだと、その時実感しました。そして、同時に怒りを抱いた人自身をも蝕むものであると、私は思いました。怒りといものから生まれるものは、何もありません。破壊だけです。 母は怒る度に壊れてきた人なのだと思います。 自宅での介護というものは、年中無休(一年もやってませんけど)、そして、毎日が夜勤です。介護職員の教育も何も受けていない素人が、ある日突然、たった一人で、精神病院の夜勤を命ぜられたようなものなのです。しかも夜勤明けのない夜勤です。そう思うと、自分がいかに過酷な環境にいたのかがわかります。最近ジムで仲良くなった友人がいます。奇遇にも母が入院している病院の看護師でした。 その友人に「とてもいい病院で本当に助かっている。」と伝えると、 特に母が入っている病棟は難しい患者さんが多いので、優秀な看護師が配置されていると教えてくれました。 私は今までは、とても難しいことをやってきたのだと気づかされました。 介護の経験のある人は必ず口々に言います。「カラダ壊すよ。」と。人一倍健康には気を使っていた私でさえ、たった一ヶ月で、これまで何の問題もなかった人間ドックで異常がいくつも見つかりました。介護保険や医療費の問題、色々言われていますが、今の制度では、これからますます深刻になって行くのではないかと思います。共倒れ社会なのかなと思ったりもします。自分だけが楽をして生きていこうと思ったら、そうはいかないと思います。人生ってそういうものなのかな。そうは言いながら、嫌なことから逃げ出したくなることは、私にも沢山あります。小さな事ですけど、今日はご飯作りたくないなからはじまって、色々です。難しい所ですが、時に逃げ出す事も必要だとは思います。と、最後歯切れが悪く、とりとめがなくなりましたが。 最後逃げ出したのは、母でした。私の7ヶ月半の夜勤がそれで終わりました。さて、自分の健康をどう守りましょうか?7ヶ月半過ぎて思ったのは、 自分の健康を守れるのは自分しかいない。という事です。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年08月12日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。計画通り posted by (C)みえこ55今の家に越してきて3回目の夏が来ました。始めの年に植えたきんかんが、初めて実をつけました。庭仕事をしながらきんかんをつまんでビタミン補給をする計画でした。計画通りです。さて、最近面白い事に気がつきました。一年前から、新しいジムに通い始めたのですが、色々な人がいて面白いのです。色々なタイプがいますが、まず大きく分けると、次の5つのタイプに分かれます。1.スタジオに入るとき、必ず一番前でないと気がすまない人。2.一番前は少し気が引けるので2列目がいい人。3.まあいいか、と3列めで妥協する人。 4.最後列を好む人。5.特に場所はこだわらず、空いているところに行く人です。1の最前列を取るためにはスタジオ前に一時間以上も前に行って場所を確保しなければなりません。2の場合も30分ほど前です。2列目までは、鏡の見える場所に立てますが、3列目以降になると、鏡が見えづらかったり、先生の動きもよく見えなくなります。ですから、ガッツのある人や、レッスンに対してこだわりのある人は、1~2列目にやってきます。最前列に来る人を更に細かく分類すると、 少し失礼な言い方もありますが、ここだけの話、私の偏見と思ってお許しください。 1経験年数も長く、ある程度の技術がついている人2経験年数は長いけれど、技術が伴わない人3経験年数も浅く、技術もあまりない人 私はと言いますと、以前は違っていたのですが、ジム生活が長くなり、ある程度自分の技術に自信がついてきたこともあり、最前列を選ぶタイプになっていました。自分で言うのも恥ずかしいですが、大きく分けたものも、細かく分けたものも1のタイプです。なので、全てのレッスンではありませんが、自分が力を入れているレッスンでは、一時間も早くスタジオに行き、場所を確保していました。ところが、一時間も早く行って、ようやくお気に入りの場所を確保したというのに、2と3のタイプ、失礼な言い方ですが、あまり技術が向上しないタイプの方々に、 右往左往されてしまい、踊りにくいという結果になる事が多くなりました。また、それだけならばいた仕方がないのですが、最前列を目掛けて来る人がには、割り込みを平気でしてくる人がいるのです。後からやってきて、最前列に割り込んで来るので、レッスンが始まると、両手を広げて踊れなくなってしまいます。そんな事になると、せっかく早く来て並んだのにと、いつもイライラしてしまう事になりました。そんな折、ふと、後ろの方で楽しそうに踊っている人達を見て、最前列に行くのをやめてみようと私は考えました。母の介護もあって、時間がもったいないなとも思いましたし。後ろの方で踊ってみると、これまでに見えなかった景色が見えるようになってきました。昨日の日記で、前方にいて後ろから切り裂きジャックに切られた人が、何が起こったかわからず倒れていき、後ろにいた人が事態を把握するというのと、とてもよく似ている状況だなと思いました。後ろに来る人達は、自分の前後左右にいる人に気遣いながら踊らなければならなくなります。ここいいですか?とか、人に寄りすぎた時は、ごめんなさいね。と言える人が多いです。ところが、最前列にくる人の中には、後からやってきたのにも関わらず、自分の位置を絶対に譲らない人がいて、必然的に、私は一歩下がるという事になりました。全員ではありませんが、一言であらわせば、「人に譲れない人」が存在するという事に気づいたのです。「人に譲れない人」は、当然の事ながら、誰からも信頼されていませんし、陰口を言われることもあります。それでも、あまり気にしないのか、常にマイペースです。譲らない人達の中で踊るのはストレスフルでした。後ろに下がってみると、どうぞどうぞと言いながら、自分の場所をずらして下さる方が多く、自分の姿や先生は見えにくくとも、実に気持ちよく踊れました。踊る場所ひとつでも、ずいぶん心持ちは変わるものだということに気づいて、私は変わったと思います。今までは、早く行って並んで、それなりに技術があるのに、後からやってきて、割り込んできて、なおかつ自分よりも技術が劣る人に、ものすごい嫌悪感を抱いていました。自分が正しくて、相手は正しくないから私の怒りは当然の事だとも思っていました。しかし、相手は変わらないのだから、怒ってみても仕方がない、自分が変わろうと思ってからは、今までと全く違う自分になれた気がしています。お互い様という気持ちも忘れていたかもしれません。なんて、タカビーで嫌なヤツだったのでしょうね。私は。後ろで踊るようになってから、私はジムで友達が増えました。いつも上手ねと褒めて下さる方も多いです。最前列にいると、皆、負けず嫌いな方が多いせいか、褒められた事などありませんでした。逆に自分も褒めたりなどしませんでし。自分が一番だと思っているわけですから。ほんと、はなもちならないですね、私って! ああ恥ずかしい! 母の口癖は、「私は何でも一番じゃないと嫌なのよ」でした。そう思う気持ちは決して悪い事だとは思いません。そういう気持ちがあったから、母は72歳まで大きな病院で、総婦長勤めていられたのですから。それなりに、人知れず努力や我慢をして、頑張っていた事も知っています。しかし、今の母を見ていると、私の目指す場所はそこではないと思いました。これまでも思ってはいましたが。知らず知らずのうちに、母寄りの思考になっていたのではないか?そんな事を感じるようになっています。昨日もジムの帰りに母の面会に行きました。隣に住んでいる方が、市内の人気店でプリンとシュークリームを、母に持っていってほしいと持ってきて下さったからです。私の分も下さって、行く前に食べたのですが、高級感あふれる濃厚なプリンとシュークリームでしたが、母はきっと食べないだろうなと思いました。この7ヶ月半、毎日母の食事を用意してきた私です。大体どんなものが好きかわかります。私は、母の親友が送ってくれた、山形の特産品であるだだちゃ豆を少し、茹でて一緒に持っていきました。思った通り、母は始め、プリンもシュークリームもいらないと言いました。とりあえず一口だけでも食べてねと、食べてもらい、私に突き返してきたので、保冷バックに戻しました。だだちゃ豆は、あれあれよと、全ての一人で食べてしまいました。始めに、親友が送ってきてくれた事は伝えましたが、食べ終わると、「これどうしたの?」と、親友が送ってくれた事は忘れていました。その後は、「ここにいるのは3ヶ月よね?3ヶ月したら施設を探すの?」と、同じ質問を繰り返すだけ。今までなら、親友に何かお礼をしなきゃとか、電話しなきゃとか言う人でしたけど。プリンも、誰がくれたかなんて忘れているでしょうね。「お礼に何か送っておくね。」私はそう母に言いました。山形に帰りたい、みえこの家に戻りたいと、言われる前に、帰らなきゃ。そう思って、席を立ち、母に別れを告げました。昨日のブログに書きましたが、別れが辛くなるので、ホームでの見送りを断った時のように、座ったままでいいよ。と母に言いました。これまで、泣きながら車を運転し病院を後にしていましたが、だいぶ私の心の痛みも軽くなって来たように感じました。 いつも長文にもかかわらず、最後までお読みいただき有り難うございます。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年08月11日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。朝日です posted by (C)みえこ55昨日は怖い夢を見て、夜中にぱっと目が覚めました。40~50センチ位の長さの、半月状の大きなナイフを持った男が、自転車に乗りながら人を切りつけて行く夢です。切られた人は、はじめは切られたことに気づきません。切り裂きジャックが自分の側を通りすぎた後で、切られた人は、前を走り去る男が片手にナイフを持っている事に気づき、同時に自分の片腕が切られていた事にも気づくのです、慌ててその傷を、自分のもう片方手で押さえるも、そのまま道に倒れ伏してしまいます。その時には、まだ血は吹き出てはいなく、白いシャツが切れた所しか見えません。自分に何が起こったのか?おおよそ検討はつきつつも、訳がわからぬまま人々は倒れ、たまたま、後ろから見ていた私だけが、事態を把握し、逃げ場を探している。そこで夢は終わりました。悪夢ですね。久しぶりに幼き日の優しい母に再会してから目覚めた朝も、私は悪夢から覚めたような感覚になっていました。朝、母が寝ていた寝室の戸が開いていて、リビングの自分の席から見えると、母がいないリビングも寝室もやけに静まり返っていて、この7ヶ月半にあった出来事が全て夢だったのではないか?と思うような錯覚に陥りました。病院の白い鉄の二重扉の向こうで、私が乗るエレベーターのドアが閉まるまで、手を降り続ける母を見ながら、大学時代に夏休みなどで帰省し、東京に戻る時の事を思い出しました。いつも母の運転の赤い小さな軽自動車で、駅まで送ってくれて、 ホームで見送ってくれました。電車が動き出してもいつまでも手を振る母を見るのが切なくて、私はいつも泣きながら、穏やかな日本海を見ながらまた東京へ帰るのでした。あるときからは、それが辛すぎて、駅の前で自分だけ下ろしてもらい、もうここでいいからと、ホームまで来なくていいと言うようになりました。母とは、ずっと仲良しだったと思います。今まで、ここで書いてきた話だけかから想像すると、どんなに厳しく、自分勝手で嫌な人だと思った人もいるかもしれません。しかし、誰にでもという事はないかもしれませんが、失言や言わなくても良いことを言ってしまう事があるのではないでしょうか。そこだけを見ると、なんだかとても嫌な人に思えてくるのですが、違う面を見ていくと、実はそんなに嫌な人ではなかった。そういう経験はありませんか?私はこの7ヶ月半、ほぼ病気状態だった母を看てきました。かつては、たまにしか出現していなかった嫌な母が、最強になってやってきました。母の良かった時代を全て打ち消していくほどの力があり、私を惑わせました。次第に、母はいつもこんな風だった、それが病気で更にひどくなったとも思いました。その一方で、こんな人だったのだろうか?違う、違う…そう思う自分もいました。昨年末、母がスーパーで万引きをしたと警察から電話がありました。母は一度レジを通った後でセリを買い忘れたことに気づき、売り場に戻ったのですが、セリを手に取った後で、レジ袋を持っていたために、支払いをしているものだと思ったようなのです。普通の人には分からないかもしれませんが、一緒に暮らしてみると、母が分からなくなったということは容易に想像がつきます。その時はまだ母が認知症でだとは診断されていませんでした。また、私も認知症という病気の事をあまり深くは知りませんでした。しかし、その数ヵ月前から、激しい物忘れをするようになり、電話で物忘れ外来に行った方がいいのでは?地域包括センターの人に来てもらったらどうかと再三言ったことがありました。その度に「なんともないわよ、大丈夫よ。」を繰り返す母でした。私は心配になり、兄に頼み家に様子を見に行ってもらいました。兄は看護師をしており、介護施設で働いています。その兄が見に行って、普通の老化だろうと言って、特に問題意識を持ってはいませんでした。しかし、兄が見に行ったとき、メロンが腐っていて、家中がものすごい異臭賀していたと言います。メロンの季節から数ヵ月経っていることから、母はその異臭のする家で何ヵ月も生活していたのでした。私は、やはり変だと思い、様子を見るためにこちらでしばらく預かると提案しました。警察から電話があったのは、母が来る予定だった3日前のことでした。あの時、私は警察に平謝りでしたが、母がそのような事をする人ではなかったと、長年真面目に働いていたので何かおかしいと伝えました。警察の方も、私の話を聞いて、認知症の可能性もあるということを感じて下さったようで、本来は帰すことが出来ませんが、今回だけは帰しますと言って下さいました。あの日迷わず母はそんな人ではなかったと言えた私なのに、7ヶ月半経ったところでは、もしかしたらそんな人だったのではないか?と、思うようにもなっていました。悪魔がどんどん母を壊し、知らず知らずのうちに、私にまで、魔法をかけていたのかもしれません。悪夢から目が覚めた私は、一年前の夏の終わりに、母の様子が変だと思い始め、心がざわざわとし始めた頃より少し前の正気の私にやっと戻れたような、そんな気がしています。さて、悪夢はまだ続いているのでしょうか?それは私にもまだよく分かりません。自宅での介護は終わりましたが、介護はまだ続きます。私は今朝夢で見たような、いきなり後ろから切りつけられて、訳もわからず道に倒れ伏す人になっていたかもしれません。また、これから倒れてしまう事もあるにかしれません。 切られながらも逃げ惑い道を探していた人なのかとも思えます。介護とはそういう事なのではないのかな?我関せずと、遠くから見ている人もいれば、口だけ出してくる人、手助けをしてくれる人など、色々な人に出会ったなと思います。窮地に立たされないと見えなかったものが沢山見えました。さて、介護をしている人に突然死をする人がよくいると聞きました。 私も母を看てたった一ヶ月で、それまで異常がなかった人間ドッグで、 血圧が上がり、痩せているのに血糖値も上がりました。 血尿が出て、心電図にも異常が出ました。怖いですね。 今朝、血圧を測ってみました。112/76と、正常値に戻っていました。血圧は自宅でも簡単に測定できます。健康のバローメーターになりますので、皆さんも是非、定期的に測定してみてください。睡眠不足やストレスによって、あっという間に上がりますし、正しい生活を心がければ戻ることも多いです。思えば追い詰められていた頃の血圧は高く、落ち着いている時は正常値と、血圧は私の心理状態と実によくリンクしているなと思いました。内科の固定客にならないよう、あるいは突然棺桶に入る事にならないよう、 これからも健康を大事にして過ごして参りたいです。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年08月10日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。昨日は一日中雨がやむことはありませんでしたが、台風の風はそれほどでもなく、窓が少しガタガタと音がする程度で、今はしとしとと雨が降っているだけです。その雨もようやく上がろうとしています。山形の特産品 posted by (C)みえこ55母が入院をして2週間が過ぎました。はじめの1週間は、各所への挨拶回りや手続き事などに追われました。今思えば心身ともに疲弊しきった体で、しかも酷暑の中よくやれたなと思います。 特に心のダメージが大きすぎて、放心状態で、なおかつ風邪をひいてしまい、血圧は160にまで上がってしまったり、体調がとても悪かったです。母の見舞いに行くことが怖くなり、重い足取りで病院に向かうと、悪魔の見栄隠れする母がまだいて、病院を出てからも、母をこれからも看ていかなければならないことへの恐怖が消えませんでした。私にだけ向けてくる敵意と、もはや私にだけしか頼れないと頭を働かせていた母は、私には「観念したわ」という言葉で気持ちを伝えてくるその目は、どこか計算をしているようにも見えました。 普通のアルツハイマー型の認知症の人とは違うような気がします。 その一方で自分がやったことは全く記憶にないと言います。これまでもそうだったのですが、記憶にないと言ったことも、どうやらどこかの引き出しにしまわれていたらしく、母が家を出ていこうとしたとき、母が何度も言ったのは、「私、全部分かったの!今まであったこと全部が分かったのよ!」という言葉でした。本当に全部思い出したのかどうかは定かではありませんが、確かに母が言うように、その時にはわからないと答えていたような事も、思い出していた事が、話からも推測できました。認知症の本にも書かれていましたが、認知症の人は起きた出来事は忘れても、その時の感情は残っていることが多いと言います。母に多く残された記憶は、私や孫達と笑って過ごした日々ではなく、悲しいと思った出来事ばかりだったようです。全力で怒りをぶつけてきたのは、ほぼ、全部私が関わっていたことばかりでした。脳によくないから早く寝た方がいいよ。夜中に誰かに電話するのは迷惑だから、夜は携帯を預かるね。車はもういらないから処分するね。などなど、母はどれも面白くない出来事だったようです。エアコンの設定温度をいつも最低に設定してしまうので、適温と思われる温度にしてリモコンを取り上げたことも、とても恨んでいました。自分から朝御飯は食べない主義だと言って食べなかったのに、朝御飯は食べさせてもらっていないと親戚や兄には言っていました。こちらとしては、あまりにも不理屈で、やりきれないものばかり。こんな母をもう看るのは嫌だと思っても、私がどんなに体調が悪いと言っても、母を看ようか?と代わってくれると申し出る人も誰もいません。何度も逃げ出したいと思っている中で、小さな光になっていたのは、幼かった頃、そして晩年の母の記憶です。小さかった頃、母はよく絵本を読んでくれました。手袋も編んでくれたり、とても優しい母でした。しかし、父親の転勤で地方に移り住んだ頃から、父はお酒を沢山飲むようになり、ガンで入院するなど、私は親戚に預けられる事が多くなりました。その頃から、両親の喧嘩がたえなくて、私の記憶の中では、家族の団らんというものはゼロになりました。家族でどこかに行った記憶もないし、揃って食事もありません。 授業参観は一度だけ、運動会は全く記憶にないです。 海に行くのも、修学前なのに兄と二人で行ったこともありました。 今思えば、その頃はまだ泳げないのに、私はよく生きていたなと思います。 その辺りからの私の記憶の母は、瞬間湯沸し器のような怒りっぽい母です。ところが、晩年の母はとても穏やかで、私や孫の事には本当に優しくなり、とてもいい母だと思っていました。 なせこんなに穏やかになったのだろうと、不思議にも思っていました。 母を嫌だと思ったこともありましたが、晩年は大好きでした。そんな、母の記憶をたぐりよせると、認知症になってからの母が、別の人になっている気がしてなりませんでした。母を看ていて変だと思った私は、もう一度別の病院で診てもらうことにしました。その病院での検査で、母の認知症は「前頭側頭型の認知症」と、「アルツハイマー型」の認知症の混合型であることがわかり、なぜ、母がこんな感じだったのかが、なんとなく分かりかけてきました。 しかし、「前頭側頭型認知症」に関する情報を集めるのはとても大変で、医師や看護師でもよく分からないようでした。 「前頭側頭型の認知症」は70歳以降に発することはまれだと本にも書かれていました。多くは40~60歳の間に発症するそうです。母が時々噴火するようになったのもその頃からだったと思います。この病気の原因は不明なのだそうですが、私は強いストレスが大きな原因にあるのではないかと思います。母は、そのストレスの向き合い方は、誰にも頼らず一人で切り抜けることだったようです。上昇思考が高く、いつも頂点に立つことを支えにして生きてきたようです。母は仕事では72歳まで現役で病院の総婦長を勤め上げ、仕事をやめてからも、習字を教え続けるなど、自立して有意義な生活を送っていました。その事はとても立派な事だと思います。しかし、事あるごとに、自分と私を比較し、主婦中心の生活を送る私に、 大学までだ入れてやったのにと言い続けていました。私は、言われっぱなしの中で、確かにそうだけど、 私はよく親戚に預けられていたり、小学校の2年生からは、一人で留守番をするなど、自分で言うのも変ですが、比較的手のかからない子だったから、だから母は仕事も続けて来ることができたのでは? などと思ったこともありました。また、父が早く亡くなったのも、母のせいじゃないか?父に対してもっと優しくしてあげれば、健康を気遣ってあげれば、父は早くに亡くならなかったのでは?とも思っていました。そんなこともあって私は、結婚してから家族の健康をより深く考えるようにもなりました。母が「私は幸せだ」と、事あるごとに言う母を、その幸せは誰の犠牲の上に成り立っているのか?と、聞いてみたくなる事もよくありました。もちろん言いませんでしたが。というか、ここで言うほどは嫌悪感を持っていたわけではありません。 色々な事情があって、母はそうせざるえなかったことも分かっていたし、 歯をくいしばって頑張ってきた努力は凄いなとも思っていたからです。 私自身も同じように、こうして幸せでいられるのは、母が頑張ってくれたからあるわけですしね。そんな事を考えると、たとえ悪魔が乗り移ってしまったとしても、母を見捨てるわけにはいかないと思っていました。しかし、その一方で、だんだんに私の心の中には、かつての母と同じように、家族を思う気持ちと、自分を大事にしたいという思いが交差し始めました。本来、母親は自分を犠牲にしても子供を守ろうとする本能があるそうです。私自身の中にもそれは存在していると自分では思います。しかし、母が来て、心身ともに追い詰められて来ると、自分を守ろうとする気持ちが強くなりはじめてくるのがわかりました。ギリギリのところまできて疲労困憊してくると、私は子供や夫の世話をだんだん出来なくなり、自分の事を優先したい気持ちが出てきたりもしました。こうなってみて、怒りっぽくなってしまったあの頃の母もそうだったのかもしれないと思うようになりました。私も、母が来てからイライラするようになり、台所に誰かが食器を起きっぱなしにしたり、リビングが散らかっていたりすると、家族に切れた感じできつい言い方になる事が多くなりました。昨日は、病院から、病院に預かってもらっている母の小遣いが、少なくなっていると電話があったので、入金をしに行きました。その後母の面会に行くと、母はテレビのある広間で、 椅子に座ったまま寝ていました。私が行くと、とても喜んで、お金を入れておいたから、売店で好きなものを買ってねと言うと、「ありがとう。」と母は言いました。差し入れにお煎餅を渡すと、また「ありがとう。」と言ってくれました。母は私と長い時間を過ごすことで、また嫌な記憶を取り戻すのではないかと思った私は、今日は用事があるからもう行くねと、すぐに母の元を去ろうとしました。いつもなら、しつこく「もう少しいいじゃない。」と、私を引き止めていた母は、そうなのというような、少し寂しそうな顔で「ありがとね。」と言いました。母にありがとうと言われたのは、久しぶりの事だったように思います。そして、いつぶりに会ったのでしょう。そこにいたのは元気だった頃の優しい母。ここに来る前よりも、もっと優しい、幼かった頃の母だと思いました。後ろ髪引かれる思いで病院の鉄の二重扉の前に立ち、母の方を振り返り、母に手を降ると、母は重い腰をやっとの思いで上げて、扉の前までやってきて、鉄の扉のガラス越しに、私が乗るエレベーターの扉が閉まるまで手を振ってくれました。家に帰ると、母の唯一の親友からだだちゃ豆が届いていました。母を忘れないでいてくれてた人がいた事がとても嬉しかったです。私自身、元気だった頃の優しい母を忘れかけていた事に気づかされた瞬間でした。 台風がゆっくりゆっくりと、私のいる場所をそれて去っていった日です。 この7ヶ月半の間、私は、ずっとずっと待っていました。幼かった日のあの優しかった母が戻ってきてくれるのを。2週間前、もう2度と来ないからと言って、私の家を出ていった日、もう会えないのだなと覚悟していましたが。その母にまた会えて、私の心はすーっと軽くなっていくのを感じました。そして、ああこれが私のお母さんなのだとも思いました。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年08月09日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。昨日は小雨が降ったりやんだりの一日でした。外に出て暑いと思わなかったのは久しぶりのことで、私は暑がりなのでちょうどいい気温だと感じましたが、人によっては寒いと感じたようです。昨日の最高気温は23.6度で、ちょうどよいと思った夕方5時頃に時刻の気温は23度でした。今日は台風が近づいているらしいですが、まさに嵐の前の静けさという感じです。ストックが咲いています posted by (C)みえこ55毎年秋口に出回り、買って育てているストックです。いつもは梅雨前には枯れてしまうのですが、今年は雨が少なかったことや、軒下の雨が当たりにくい場所で育てていたせいか、今も花を咲かせています。9ヶ月も咲き続けていることになります。昨年の12月20日の水曜日、母は毎日利用しているスーパーで万引きをして、警察に捕まりました。認知症による記憶障害のため、支払ったと思ってしまったらしいのです。 警察の方は、同じ県内の実家から車で三時間ほどの所に住む兄に電話を何度もかけたそうですが、つながらなかったため、東京の私の家に電話をかけてきました。夕方五時過ぎだったと思います。電話で言われた事は「店長さんが激怒しています。かなりタチが悪いと言ってます。」そう言われました。スーパーで万引きをしたあと、全く反省するでもなく、逆ギレをして、店長さんにくってかかったらしいのです。その話を聞いて、母がどんな言い方でどんな感じになったのか、おおよそ見当がつきました。昔から、人に注意をされることが嫌いで、相手構わず怒鳴り散らすことがあったからです。多分、多かれ少なかれ誰にでも経験があることをかもしれませんが、こちらがわに非があって、何か注意をされたとき、相手の言い方や態度が悪いと、自分の事はさておき、何もそんな言い方をしなくたっていいじゃない。そう思ってしまい、反省するどころか、言った人を非難したくなってしまう。そんな経験はないでしょうか? と、ここまでは多くの方が多少は経験があることですが、母の場合は、そんなときの反応の仕方が、尋常でなくなる事があるのです。普通の人は非難をしたくなっても、思い止まるか、多少ふてくされる程度で終わります。ところが、母の場合、一度何かが切れるといわゆる激高という形になるのです。普段は分別があり、優しい面も沢山ある人なのに、瞬間的にそうなるのが母でした。そういう人を瞬間湯沸し器に例えられることがありますが、まさにそんな感じの人です。私が今まで見た限りでは、確かに怒りたくもなるけど、と若干母に同情は出来る事も多かったです。 しかし、悪いのは母だし、 どんな言い方をされても謝るべきではないのかなと思ったりしていました。普通の人は何か文句があっても、そこまで言わないだろうなと言うこともよく人に言ったりもしていました。身近にいる人は、「あの人に何か言っても無駄だから何も言わない方がいいよ。」と、思うようになり、やがて誰から何も言われなくなり、母の周りには多分ですが、自分の特になる事があると思った人だけが残ったのでは?と私は想像していました。何故なら、母がここに来てから、母が認知症になったとなんとなく広まったあたりから、私の知る限りで、母の携帯に電話があったことは一度もありませんでしたから。年賀状も驚くほど少なくなり、母に何かが届くのは、ごくごく近い親戚からだけになりました。いつも高みを目指して生きてきて、自分の思い通りに生きてきた事を自慢していましたが、そんな母を見て、それで本当に幸せなのだろうか?といつも思っていました。そして、7ヶ月半の間、母を看てきて、一人で山形に帰れば、もっと惨めな事になるだろうと思っていました。以前の母であれば、さほど問題ではありませんが、今は以前とは全く違う母になっています。誰が以前のように婦長さん婦長さんと寄ってくるでしょうか?そんな母をあわれに思い、最後ぐらいは幸せに終わらせてあげたかった、その一心で今まで母を看てきました。ある日のブログでは、母の事が嫌いかのような表現で書いた事もあったと思いますが、正確には、嫌いという言葉は適切ではないと、自分なりには思っています。嫌いというのは、ある行動や言動があったときの母が嫌だという意味です。いいところも沢山あったのにと、残念な気持ちもあります。自分の親ですからね。特に孫達にはとても優しくて、普通のおばあちゃんでしたし。私に対してもいつも文句ばかり言っていたわけではなく、思えばなのですが、病気が出た時にそうなったのではないか?とも思えるようになったので、今まで我慢をしてこられたのです。母はそんな人じゃないはずという気持ちは今で持っています。しかし、長い年月、自分が受けてきた事を振り返ってみると、やはりそういう人だったのではないか?と思ってしまうのです。母が悪魔になったり優しい人になる、その行ったり来たりが、極端に激しさを増して来ています。そして、その異常な行動は、最近特に私だけに向けられるようになってきました。あの日警察に言われたタチの悪い人が、私にだけ向けてくる敵意。それがとてつもなく辛いです。私は過去の辛さを降りきって今生きているので、今の辛さも、何とかして抜け出したいと、今は必死にもがいています。今までは、誰にも相談も出来ず、また、自分の中でどんな問題が起きていたのかを、よくわからないまま、孤独のなかでこの問題と向き合って来ました。しかし、限界に来たのだと思います。助けを貸してほしいと、声を上げる事が、今は一番大切なことなのかなと思っています。弱音を吐いてばかりの自分を見せるのはとても恥ずかしい事なのですが、これが今の本当の私です。でも、必ず、あの時こうだったね。と笑えるような自分になります。それだけはお約束します。どんなことがあっても、皆さんと笑い合える道を探します。いつもお付き合い下さり有難うございます。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年08月08日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。昨日も日中はとても暑くて、一昨日よりも1.2度下がりましたが、34.6度ありました。夕方からは激しい雷雨となり、テレビが何度も切れて、停電にもなりました。しかし、庭の水やりをまぬがれて嬉しかったです。今朝は台風が近づいているからか、窓が風でガタガタと音をさせていて、どんより曇り空です。一日一魚生活 posted by (C)みえこ55子供達と一緒の食事をしていると、つい肉中心の食事になってしまいます。そこで、意識して魚を食べようと、「一日一魚生活」をスローガンにすることにしました。なるべく多くの野菜とタンパク質、そして少量の炭水化物です。炭水化物も大切な栄養素ですが、意識してとらなくても、私の場合は不足する事は少ないと思います。少量のと思うくらいでちょうどいい量になります。このブログをはじめたきっかけは、夫の転勤に伴い地方へ転勤したことだったと思います。友人も仕事もなくなり、夫は仕事オンリー、子育てに追われる日々でした。多分、多くの女性は思ったことがあるかもしれません。自分だけが社会から取り残されていくような、一言では言えませんが、もしも選ぶとすれば、孤独感、そして焦りです。不妊治療の末やっと一人子供が出来て、(正確には一人流産をしているので、 二人目かな?)二人目も同じく不妊治療の末に出来、子供は二人になっていました。夫は仕事が忙しく、運動会にすら来ない、家に帰っても話を聞いてもらえるでもなく、私は常に大きな孤独感を抱いて過ごしていました。そんな私に追い討ちをかけるかのように、母は山形からやってきて、くどくどと大学まで出したのに仕事もせずと、延々と私に文句を言いつづけました。あまりにも辛くて、「もう二度と来ないで!」と母に叫んでしまい、母を追い出してしまったことがありました。自分でも悩んでいた事を、重箱の隅をつついて、さらにえぐり出そうとする、その執拗さ。今思うと、二週間前の7月23日に母がこの家を出て行った日の母と同じです。私は後で母に、なんという事を言ってしまったのだろうと、自責の念にかられました。あのとき二度と来ないでと言った瞬間、親子の縁はこれで切れたかとも思いました。しかし、その後母はその事には全く触れるでもなく、ケロリとして接してくれました。そんな母を「サバサバした人なのかな?」と思っていましたが、前頭側頭型の認知症になってやってきた母がまさにあの日の母と同じだったことに、 今気づきました。そして、大抵は母がそうなるのは、私と母が二人きりの時でした。そんな事で、悩み苦しみ、もがいていた頃、私は一羽のカワセミに出会いました。カワセミを追いながら歩いていたら、なぜか痛くて痛くてたまらなかった心の痛みが、すーっと消えていくのを感じました。なんとも言えないカワセミの美しいブルーは、私が大好きで、食器にも選んだほどのターコイズブルー。それからです、私は息子を幼稚園に預けた後で、ひたすらカワセミを探しながら歩きました。子育てや転勤で健康作りの仕事が出来なくなって、同期やかつての仕事仲間が世の中で活躍し始めていた頃、私は何もないただの主婦になり、誰からも感謝や尊敬をされるでもなく、母親に息の根を止められて、意気消沈していました。どうやって立ち上がればいいのかと、訳がわからなくなっていたときに出会った一羽のカワセミ。あの時出会っていなかったら、今の私はいたのだろうか?と思うほどの出来事だったと思います。歩いていたら何で元気になったのか?そんなことを自分なりに紐解きながら、今は仕事は出来ないけれど、ブログを通して健康について発信していけたらいいなと思い、このブログをはじめました。その後、色々調べていくうちに、私が元気になれた要因が、セロトニンという脳のホルモンが大きく関係していることがわかりました。セロトニンは鬱病などを改善する薬などにも使われています。心を安定させる効果があります。脳内には様々な脳内ホルモンがあります。皆さんも耳にしたことがあると思いますが、よく耳にするのは、セロトニンの他にドーパミンやアドレナリンというものがあるかと思います。詳しくは長くなるので割愛しますが、どちらも運動ともよく関わりがあり、人が生き生きと生きて行く上でとても大切な、やる気や達成感、幸福感とも関係があります。しかし、その二つが暴走をしはじめると、アルコール依存症になったり、ギャンブル依存症になるなど、快楽だけを求めるようになってしまいます。そういった脳の暴走をやめさせてくれる働きを担っているのがセロトニンです。よくオーケストラに例えられていることが多いのですが、セロトニンは脳の指揮者です。心を穏やかにし、中庸を保つ働きがあります。セロトニンをよく出す方法は、朝日を浴びることや、リズム運動が良いと知りました。その事を知ってから、私はそれまでも行ってはいたのですが、より朝日を意識しながら、早朝に毎日一時間歩いていました。自然の中を歩いていると、不思議と心が軽くなってくるのを実感出来ました。しかし、本当に落ち込んでいるとき、いっぱいいっぱいの時は、早朝に歩く気持ちなど起きないものですね。今の私です。早朝から心臓がドキドキして目が覚めて、覚醒しているにもかかわらず、全身の力が入らなくなり、このまま一日中寝てようかと思うほどだるかったです。家に引きこもり、誰とも会いたくないし話もしたくなくなりました。あの頃朝日を浴びて歩けば元気になったことを覚えていましたが、まったくやる気が起きてなど来ないのです。母の事で、どうしてやらなければならないことをようやくやって、ソファーに倒れ込むと、もう一歩も動けないと思うほどの倦怠感が続きました。それなのに、無理をしてでもジムに行くと、なぜかさっきのだるさは何だったのか?と思うほどの元気が出てきました。ジムに行くと沢山の人達に出会います。知り合いも沢山いますが、あまりなみじのない方だったとしても、すれ違うときは意識して笑顔で挨拶をしていました。笑顔でいる事が、セロトニンを出してくれる事を知っていたからです。笑顔を作るためには、口角をきゅっと上に上げることになるのですが、この上げるときに使う筋肉は、抗重力筋といいます。抗重力筋を使うと、セロトニンがよく分泌されることがわかっています。抗重力筋はこの他、背中にも多くあり、体を真っ直ぐに保つときにも使われます。なので、笑顔で背筋をピンと伸ばして行うジムでのエクササイズは、どよんとした気分を変える方法として実に利にかなったものだったわけです。母を引き取ってから、私はいつも鬱と戦っていたのかもしれません。落ちていく気持ちをどうすれば上げる事が出来るだろう?そんな事を毎日人知れず考えていたように思います。運動も様々なものにトライしてやってみました。その中でも、私に最も効果が感じられたのは、格闘技系のエクササイズと、バーベルなどを使って行うパワー系のエクササイズでした。かなり自分を追い込んで行うので、無心になれるのも良かったのはかもしれません。更に、続けていくと着実に全身の筋肉が増えて、機能面での向上と、体型の変化があらわれました。もうすぐ56才になる私でも、ここまで自分を変えることが出来るって、運動って凄いなと思いました。抗重力筋を使うことや、リズム運動も兼ね備えたそれらのエクササイズが、メンタル面に大きく関係していることが、肌で感じられたので、私は極力休まずにレッスンを受け続けました。私を支え続けてくれたものは、ここ皆さんであったり、家族だったり友達でもありましたが、それと同時に、自分で鍛えた筋肉だったと、今強く感じます。猫背気味だった私の背中は筋トレによって、すっと立ち上がるようになり、お尻の筋肉は、グッと腰から上へと体を引き上げているのを感じます。大地をしっかり踏みしめて、自分の足でしっかり立っていることも感じます。筋肉を鍛えることによって、やる気と幸福感を感じる事の出来る、ドーパミンやアドレナリンが刺激され、笑顔やリズム運動でセロトニンが分泌され、私が作られてきたことを今、とても強く実感しています。苦しい時こそ筋トレなのです。無意識に休んじゃいけないと思ったことが、私の心の回復におおいに役立ちました。私には生きる力があると思います。そう思うようになったのは、多分幼い頃だったような気がします。その力を信じて、支えにして生きてきました。しかし、一人で生きていくことは出来ないと思うようになったのは、ごく最近のことです。周りにいる人達にどれだけ支えられていたのでしょうか。こんにちわと挨拶をすれば、ほとんどの人ははにかんだ笑顔を見せてくれたり、次に会ったときは向こうから挨拶をしてくれるようになったりします。そんな些細な事でも、繰り返していくうちに私は、知らず知らずのうちに元気になりました。母がいなくなって、数日止まってしまった日めくりカレンダー。めくってみると「つまづく石も縁の端」とありました。ネットで調べると大切なご縁は、育み保っていく努力が必要とありました。さて、それはさておき、昨日は兄と二人で母の面会に行きました。母は、はじめ兄を見て、孫である私の息子だと思ったと言っていました。穏やかで大人しくなり、久しぶりに親子三人で、普通に笑顔で会話が出来ました。しかし、認知症の人との会話はそう長くは続きません。数分で、兄はそれじゃあ帰るね。と言って立ち上がったのですが、母は、そう、という感じで一度も引き止める事はありませんでした。兄が話しているときも、素直に聞くだけ。私の時とはまるで違っていました。私が帰ろうとすると、何度も何度も引き止めて、立ち上がっても引き止められ、なかなか帰られませんでした。何かといえば「山形に帰りたい」としか言わず、何か話しても、自分の希望しか言ってこないのです。その希望は山形に帰りたい以外では、おなじみ、「カキフライを食べに連れていってくれ。」「鰻が食べたい。」「友達に会いたい。」「みえこの家に帰りたい。」などです。なぜ、私にだけそうなのか?不思議です。今は穏やかな母ですがー、どんなに一生懸命に母の希望を叶えようと努力をしても、二度と来ない。死んでも葬式に絶対来るな。来なきゃよかった。そう言われるのが私です。病気だから仕方がないと言われても、私の心の傷はまだ治っていないです。昨日、母と会ってみて母と向き合うのは、今の私には無理だと感じました。主治医の先生も時間を作って、私達兄弟の話を聞いて下さいました。しかし、たった二週間前、薬で大人しくなった母しか先生は知りません。私が母を看る事がなぜ出来ないのかをわかってもらう必要が出てきたと思いました。私が今やらなければならないことは、自分を守りきる事だと思いました。私を守る事は母や家族を守る事でもあると思います。私をないがしろにしてはいけない。今は強くそれを感じています。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年08月07日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。 食欲もりもり posted by (C)みえこ55熱中症だったのか、下痢嘔吐、胃痛に襲われた(金)から2日たった昨日は、ようやく普通に食べられるようになりました。皆さんから色々と水分補給のアイディアを頂き、とても参考になりました。ネット以外でも、知人等からの評判が良かったのはOS―1という経口補水液でした。それと、昔は薬として使われていたという梅干し、それとお粥、根拠はありませんが、良かった気がします。昨日も最高気温はおとといより一度上がって、35.8度でした。すっきりと晴れてもいたので、シーツを洗い布団を干しました。今までは母のシーツや枕カバーなどもあり、2回洗濯機を回し、一階で寝ている母の布団を2階のベランダまで運んで干していましたが、洗濯機は一回回すだけで、布団も2階の自分の布団を干すだけですみました。これだけでもずいぶん楽になったと思います。母が家にいた頃、友達からの誘いを断る際に、うっかり電話口で、「母の世話があるから行けない。」と言ってしまった事がありました。それをそばで聞いていた母が、「なーに言ってんのよ!あんた何を世話をしているっていうの?」と激怒しはじめたことがありました。私もそのときはカチンときて、病院に連れていったり、銀行にお金を振り込みに行ったり、細々としたことをやってるでしょ。と、言った事がありました。やんわりとですけどね。その時の苦虫を噛み潰したような母の顔を、私は今でもはっきりと覚えています。母は、どんな時も、相手が誰であっても、負けることが大嫌いでした。一歩引くとういう事が出来ないのです。母自身も自分でもそれは自覚していましたが、変える気はさらさらなく、最後は相手が折れることを学習し続けて生きてきたのです。ですから、私にいくらやんわりと言われたからと言っても、言い返さなかったことは相当悔しかったに違いありません。母がそんな風になったのは、何時からかと言うと、 ずーっと、物心ついた頃からそうでした。母は認知症になる前からこんな感じだった人です。何かを言うと「なーに言ってんの!あんたね!」という言葉ではじまり、最後は「いやらしい子だね。」と言われました。いやらしいという言葉は最も傷つく言葉でした。いやらしいという響きは、本当に気持ちが悪いなと子供心に思ったものでした。いやらしい子と言っても、変な事をしたわけではなく、たいした事ではなかった事ばかりでした。母がその言葉を使うのは、自分の意にそわない受け答えをしたときに発せられました。晩年、ずいぶん穏やかになって、あの頃の母とはずいぶん変わったと思っていましたが、認知症になって、ここに来てから、時々その母が戻って来るようになりました。そんな母が嫌いで山形を出たいと思い、私は必死に勉強やスポーツに励みました。その時、多分私の生き方が決まったというか、我慢強くまじめにコツコツという習性が出来て、今に至るような気がします。しかし、我慢強くまじめにコツコツは良いことも多いですが、自分の中に大きな不満を溜め込んでいくことにもなっていたと思います。その時は自分で気づかなかったのですが、「このまま母のいいなりになってここにいたくない。」高校生の時に思ったのを覚えています。 それは、口には出したことがありませんでしたが、母への大きな反発心だったと思います。母は本当は私を地元にとどまらせたかったのです。夫との結婚の時も最後まで大反対でした。いいお見合いの相手がいると強く言ってきて、それをずっと長い間あっちのほうが良かったのにと言われました。なにしろ、自分が決めたこと以外は気にくわないのです。自分の家柄はさておき、いい家柄に嫁がせたかったようです。そんな母でしたけど、晩年は驚くほど丸くなり、特に山形で習字を教えていたのですが、子供たちに注ぐまなざしは、本当に優しくて真摯に指導をしていたように見受けられました。幼い私に「いやらしい子だね。」と言った母と、穏やかで思いやりに溢れた優しい母。二人の母が同時にここにやってきたのでした。孫たちに接する母は優しいおばあちゃん、しかし私に対する態度はあの頃の母でした。それがこの七ヶ月半交互にやって来るのです。意に沿わなければ激怒する。言いなりなるしかない。そんな子供時代を過ごしてきたので、私は腑に落ちない何かを抱えながら生きてきました。大学進学とともに、母から離れてから色々な事に気づきました。 母がいつも私に言った言葉で、「いやらしい子ね。」という決めゼリフがありましたが、 決めゼリフはもうひとつありました。 「なーに言ってんの、決まってるじゃない、そんなわけないじゃない!」母のこの言葉の使い方が間違っていたと言う事も、母から離れて気づいた事のひとつです。 母が言った事が正しい事ばかりではなかったことを、家を出て初めて知ったのです。 さて、母がこの家を出ていくことになった日、私は朝から午後4時半過ぎ病院に入るまで、いやらしい子ねと言った時の何倍ものエネルギーで激怒する母と戦わなければなりませんでした。母は今でも、自分の意にそわず、大学進学し意にそわない相手と結婚をしたことを面白くなかったようで、介護職員やケアマネージャーに、何度もそのことをくどいていました。しかし、私はその時に確信していました。「私が選らんだ道で良かった、私はとても幸せなのだ。」と。その幸せな家族を、最後の最後に壊して出ていくつもりなのか?その言葉を飲み込んで、私は母に言いました。「お母さん、いつもはそんな物の言い方をする人じゃなかったよね?どうしてそんなことを言うの?」母はその言葉で、一瞬黙りましたが、また鬼の形相に変わってしまいました。子供の頃からずっと抱き続けていた母への疑問や、自分が今何かをしようとするときの行動パターンの疑問が、 今ようやくわかってきた気がします。私は否定され続けて育ち、その否定を覆すことをエネルギーにして生きてきたのだと思います。母に反対されて、ほら見たことか!と言われたくなかったのかもしれません。素敵な家族を作って幸せに暮らすこと、これが私の一番大事な事。必ずそれはやりとげたいと思い続けて来たことです。普通に子供や夫、友達と笑い、なんでもない毎日を送る事が幸せです。なんだか、まとまりのない文章になってしまいました。いつものことか!?色んな事がありすぎて、何から書けばいいのか混乱中です。とりあえず、言えることは、私の心は曇りのち嵐のち晴れに向かっているという事です。昨日は生まれ故郷で川が増水しているというニュースが流れていました。 私の実家は大丈夫でしょうか… しかし、そんな心配をする余裕はまだありません。 昨日は兄が上京しました。母が来てから2回目の上京です。これから二人で面会に行き、主治医のお話を伺うことになっています。施設を探しに行ったり、これからの方向性を話し合わなければいけないのです。 どうか、家が流されていませんように… ところで、いつも長文にもかかわらず、最後までお読み下さってどうも有り難うございます。ブログランキングが先日一位になっていることに気づきました。応援して下さっている方がたくさんいらっしゃるのですね。とても嬉しかったです。本当に有り難うございました。どんな事でも一番になることは嬉しい事です。私も母と同じよう負けず嫌いなところはあります。しかし、勝つってどういうことだろう?と考えたとき、自分だけがと思ってやってもうまくはいかない事が多いと思います。多くの人と分かち合える勝利を、これから沢山見つけて行きたいと思います。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年08月06日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。昨日も一日中快晴で、最高気温は34.8度と暑い一日でした。おとといが37度と、それよりも2度以上も気温は低かったですが、たいして低くなったという感覚はありませんでした。昨日の朝食 posted by (C)みえこ55母の介護をはじめてから七ヶ月半たちました。運動をよくやっていたおかげというか、せいもありますが、もとも少なかった体重が2キロ、体脂肪率は3%減り、体脂肪率に関しては9.2%と、女性にしてはかなり少ない数値になりました。いつもこんな食事をしているわけではありません。おととい、お腹を壊してしまったからです。 いつもは、激しいトレーニングをしているので、タンパク質やミネラルなど栄養価の高い食事を心がけています。でないと、しょぼしょぼの痩せかたになってしまいますので。昨日は、みるみる回復して、日中はいつも通りの、激しい格闘技系のレッスンを二つ受けるまでになりました。 私は元気です!元気になりました!ご心配をおかけし、どうもすみませんでした。そして有り難うございました。スイカ前線 posted by (C)みえこ55毎年2ヶ所からスイカが送られてきます。はじめに届くのは、夫の職場の先輩で、長野に住んでいる方からです。ゴンちゃんスイカというスイカで本当に美味しいです。それが食べ終わった頃、山形の尾花沢スイカが送られてきます。こちらは、山形に住んでいる兄からです。いつも買って送ってくれていますが、兄自身は食べたことがなかったようです。今年は、母の見舞いにやって来るということで、兄が来る日に合わせて送ってくれました。これから、兄が来るまで冷蔵庫で冷やしておくとしましょう。隅っこに4本とうもろこしが入っています。これもまた絶品です。尾花沢スイカももゴンちゃんスイカも外れなしですよ。水分補給 posted by (C)みえこ55おとといの夜に、急に吐き気がしたと思うと、嘔吐と下痢、胃の痛みに襲われました。吐き気がひどくて水すら飲めなくなって、かなりの脱水になっていたと思い、次の日の昨日は、家に買い置きしてあった経口補水液を飲みました。その後は、みるみる回復して、いつも通りに生活できるまでになりました。昨日は、フォト蔵の皆さんにも水分補給などのアイディアを沢山頂き、どれもとても参考になりました。OS-1がいいと聞き買いに行ったのですが、液体のほうがなくて、ゼリー状のものを買いました。飲みやすく気に入ったので、ストックすることにしました。他にも色々な種類があったので試飲してみようかなと思います。ただ、飲みすぎには注意が必要なものもあるようです。たいして汗もかいていないのに、ガブガブ飲むとペットボトル症候群になり、肥満の原因にもなるようです。ジムで汗を流している方達で、よくスポーツドリンクを飲んでいる方がいますが、私が知る限りでは皆さん太っている方が多いように感じます。これまで、ジムで汗を流す程度のとき、私はいつも普通の水やむぎ茶などを飲んできましたが、熱中症になったことは一度もありません。外の蒸し暑い場所で、例えば庭仕事や農作業などをして過ごす方などは、こういったもので水分補給が必要なのかもと思います。個人的な意見ですが。さて、嘔吐下痢がおとといの昨日ですから、昨日の朝はさすがに体調はいまいちでした。この状況で運動は無理かな?もう一日寝て過ごそうかな?と思うような状態でした。しかし、いつもの如く、体内時計が働くのか何なのか、レッスン時間が近づいてくると、「なんだか今日は行けそうな気がする」という感じになってきます。具合が悪ければ途中で帰ろうと思って出掛けて、途中で帰って来たことはないです。今まで100%の確率で、行けそうだと思って行ってみると、終わる頃には、調子がよくなりました。長年運動を続けて来たから、些細な体調の変化がわかるのかもしれません。しかし、何度か、運動のやりすぎが原因で、足の故障をした経験はあります。治すまでに運動を全くせずに一ヶ月かかったこともありますし、運動を続けながら治した事もあります。運動は、とにかく休めば確実に筋肉や心肺機能は低下します。疲労を溜め込まず、からだを衰えさせることなく運動を継続させ、現状維持かそれ以上に発達させるためには、かなりのコントロール能力が必要なのではと感じます。分かりやすかったのは、フリーウエイトといい、バーベルでベンチプレスを行った場合でした。はじめの頃は25キロのバーベルを3回上げるのが精一杯でした。週に3回ほど続けると7回上げられるようになりました。しかし、何かの用事で二回ほど休み週に一回になると、7回は上がらなくなりました。今は、30キロのバーベルを7回上げられるようになりましたが、上げられなくなるまでの時間は驚くほど早いです。故障をしないように気を付けつつ、今よりも体力を向上させていく事は、私でも難しいなと感じます。しかし、それがまだ可能だと感じているので、やりがいはあります。ところで、昨日は母の面会に行きました。風邪をひいていたので、うつしてもいけないと思い、火曜日以来行っていませんでした。日増しにボケがひどくなっているようだったので、私のことを忘れてしまうのではないか?という心配もしましたが、今のところ全くその心配はないようです。しかし、以前よりは確実にボケは進行している感じです。同じ質問しかしてこなくて、私がいる間中、何度も何度もしてきます。聞いてくる内容は同じです。「山形に帰れるの?」「施設を探すのよね?」「みえこの家に行きたいわ」どの質問も私にとっては、施設以外は、否定からはじまるものなので、答えるのが辛いです。そして、ダメな理由をいくら言っても、答えは「山形に帰りたい」なのです。これまで、何度か母にそう言われて、兄に来てもらおうとか、お茶を濁す言い方をしてきました。しかし、現実、母を山形に帰すことは出来ないと、はっきりわかった今は、出来るなんて言わない方がいいという結論に達しています。母の希望を叶えるためには多くの犠牲が必要になるのです。今まで親戚や知り合いに「山形になぜ帰してあげないのか?可哀想ではないか?」と言われたことがありました。確かに母は可哀想だと思います。しかし、反面私は可哀想じゃないのか?とも思えます。苦しいのは私も同じ。だからいいんだ、もう無理しなくて…そう思いました。母は、ずいぶんおだやかになりましたが、ふとした瞬間にあの日の母の怖い目になります。また、罵倒しはじめるのではないか?と思う瞬間が何度もありました。連れて帰る事は今の段階では出来ないと思います。精神病院のロビーで母親に罵倒をされながら追いかけられるという結末。まだあのトラウマからは抜け出せていません。でも、はっきり言えるのは、さっきも書きましたが、私は元気です。やっと元気になったのです。もう後戻りしたくないです。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年08月05日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。昨日も暑かったですね。こちらの最高気温は37でした。買っててよかった! posted by (C)みえこ55昨日は、2週間ほど風邪の症状で体調が悪かったのですが少し体調も戻ったので、水やりだけのつもりで庭に出ました。 しかし、雑草が気になりはじめ、雑草を取ったのち、 調子に乗って、暴れまくって、地をはいはじめたミニトマトを仕立て直し、庭を埋め尽くそうとしはじめていた紫蘇の葉を抜きました。その量は大きな俵二束にもなり、汗だくだくに。それがいけなかったのか、その後太らなきゃと思って食べた夕食を全部吐いて、また痩せるという結果に。 何やってんだ!?ですよね。前日の息子と同じ症状でした。これってうつるのですかね? 昔岩手にある宮沢賢治の博物館に行ったとき、「雨ニモマケズ、風ニモマケズ…」のくだりの続きがあることを初めて知りました。続きの言葉は、丈夫なからだをもちと続き、途中は忘れましたが、最後そういう人になりたいでしめくられていました。結局どういう人になりたかったのか? 「健康になりたい」とはか書かれていなかったと思いますが、自然体でぜいたくはぜず、すこやかに、ささやかな幸せを、身近な人と共有して生きて行きたかったのかな?そんなふうに思いました。今まで大方絶好調である事がほとんどだったので、絶不調になっている今、宮沢賢治さんのお気持ちがよくわかります。 雪国育ちだからかわかりませんが、夏にはめっぽう弱いです。 夏の鍛え方だけはわかりませんです。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年08月04日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。昨日も暑い一日でしたね。私の地域は日中の最高気温は37度でした。岐阜県の多治見市では40度を超えたそうですね。皆さんのところはいかがでしたか?昨日はとうとう息子もダウンして病院に行きました。吐き気と食欲不振、倦怠感で一日中寝ていました。夜になって起きてきて、うどんを食べていたので、少しは食べられるようになったようです。母が通院していた内科では、最近ネット予約が出来るようになり、順番が来るとお知らせが来るので、病院で長い時間待つ必要がなくなりました。私の携帯に息子の名前を登録し、待つことなく診察を受ける事が出来ました。このシステムは実に便利です。豊作の年 posted by (C)みえこ55今年は、花だけでなく野菜の手入れもほとんど出来ませんでした。ミニトマトは茎が勝手に伸び放題で、本来はわき芽をかいたり、支柱にからませたりしなければならないものが、自由奔放に延び放題になっています。ゴーヤもカーテンのようにするはずでしたが、みかんの木や隣との境目にあるフェンスに、好きなように伸びていますし。にもかかわらず、ミニトマトもゴーヤもきゅうり、ミョウガなど、どれも食べきれなくなって、冷蔵庫にも入らないほど収穫が出来ました。中でも、ゴーヤが食べきれないほど出来たのは初めてです。一体なぜなのか?肥料もはじめに一度やったきりだったのに。ところで、昨日は、私にとって師匠である先生のダンスレッスンがある日でした。どんなことがあっても、今まで休まずにレッスンを受けて来ました。ただ一度だけ休んだのは、母の大好きな演歌歌手のコンサートに行った日だけ、ただ一度だけです。母の介護認定がなかなか降りなくて、デイサービスに行けなかった4ヶ月間、幸いというのかそれが心配の種でもあったのですが、母は、昼夜逆転で、昼間はほぼ寝たきりで過ごしていました。台所に水さえも汲みにいかないほど、薬を飲んだり、ものを食べるときでさえも寝ながら飲んだり食べたりしようとしていました。ですから、徘徊の心配だけはありませんでした。しかしその分、家の中で母は色々な事件を起こしていました。トイレをつまらせるとか、大便を部屋に落とすなどなど…どっきり仕掛けられているような日々でした。今なら笑えますが。物がなくなり、探し回らなければいけないのはしょっちゅうだったし、毎日、何が起きたの?と思うような、日替わりで母の様子が変わっていたり。急に怒りだしたり、極めて普通な感じだったり。食事や茶碗にまで文句を言ってきたりもしました。こんな茶碗で食べたことなどなかったなど…同じことを何度も何度も聞かれるのに答えるのも大変な事のひとつでした。最近は、特に母がおかしくなりはじめたのは、猛暑が始まった頃だったと思います。デイサービスに通えるようになった4月から、昼夜逆転の生活がおさまり、夜も比較的寝るようになり、昼間も寝たきりではなくなって、楽しそうににデイサービスにも通っていました。ようやく安定してきたとほっとしていたところだったのに…エアコンをつけずには寝られなくなってきた頃から、だんだん様子が変わってきたのです。夜中にリビングや母の寝室の電気がつけっぱなしになっていることが、多くなってきて、次第にそれが毎日になってきていました。見に行くと、電気をつけっぱなしで寝ているときもあれば、起きて何かをしているときもありました。はじめの頃は、もう寝たら?と声をかけていましたが、後半は、なんとなくうるさいと思われてもいけないと思い、起きていればそっとその場を離れ、寝ていれば電気を消して去るという毎日でした。留守番電話に母が親戚の家に私の悪口を言っている内容が、全て録音されていたと、先日も書いたかと思います。ずいぶん沢山の不満があったようですが、そのひとつに、「私は夜早くなんて寝られないのよ、だからね、夜中二時までおきてやったのよ。テレビの音を消してね、起きててやってるの。」と言っていました。母が夜中に起きて、母がどう考えても興味がなさそうなスポーツや、小難しい大学の先生の講義などを、無音で見ていたのは知っていました。なぜ無音なのかずっと不思議だったのですが、私は我慢してやってるのよ。という私への抗議というかあてつけ、抵抗だったのです。私は、その事は薄々感じてはいました。なので、そう感じてからは、何も言わずに母の寝室から、なるべく気づかれないよう去っていました。そんな毎日を過ごしているうちに、私の頭の中は24時間母の事に埋め尽くされるようになっていました。大好きなダンスをしていても、家に帰ったら母を怒らせないように、同じ質問をするモードや攻撃的なモードのときは、庭に出ようとか、買い物していても、これを食べないと言われたらこっちにしよう。毎日言ってくる、カキフライを食べたいと言ったら、今度ねと言おう…などなど、思ったことをそまま言うのではなく、母を怒らせない言葉に、一度変換して言うようになっていました。そうしているうちに、頭のなかが常に心配事で埋め尽くされるようになりました。考えることをやめたくても、やめられなくなり、頭の中は不安だらけになってしまいました。夜中に寝ているときでさえ心配で目が覚めました。母が入院してからも、それはしばらく続きました。色んな嫌なこともありましたが、ようやく母が笑顔でデイサービスに通うようになって、孫達とも楽しそうにやりとりをしていたり、それがなくなって、寂しいという気持ち。母を病院に入れなければならなくなった原因が、私にあるのではないかという自責の念にもかられました。一生懸命頑張ったのに、何の成果もなかったことへの無念さ。色々な思いが頭から離れなくなり、ただひたすら辛くて仕方がありませんでした。無気力になり、気がつくと泣いて、全く笑えない感じ。多分、あれが鬱っていうやつでしょうね。しかし不思議です。今日はもう起き上がれない、寝ていようと思うほど、倦怠感で襲われているというのに、レッスンの時間が近づいてくると、徐々に行けるかもしれないという感じになってくるのです。私はこの八年間ほぼ同じような時間のレッスンを受けて来ました。その時間になると、やる気のスイッチが入るようになっていたのでしょうか?人間には体内時計があり、毎日同じ時間に寝て起きれば、その時間になると自然に目覚め、自然に眠くなります。また、食事や排便の時間もその時間になればお腹がすき、トイレにも行きたくなります。運動もそうなのでしょうか?多分そうなのだと思います。調子が悪かったら、途中で帰って来ようと思って出掛けると、終わる頃には元気になる事を、何度も経験してきたので、私はレッスンは休んではいけないと思っていました。そして、それはいつも100%正解でした。何で運動をすると、力がみなぎってくるのでしょう。その不思議体験の極地だったのは、おととい受けた格闘技系のレッスンのときでした。自分だけでなく、先生や一緒に受けている元気な人たちのエネルギーが、ものすごく大きな力になって、私を支えてくれるのを感じました。いつか太極拳の先生が言っていた、気というものの存在を初めて感じました。そこで私はある本に書かれていた言葉を思い出しました。正確には忘れましたが、「人は幸せに生きているだけで、それだけで社会貢献になる」という言葉でした。私は、ただ元気な笑顔で運動を人達に大きく勇気付けられました。ああ、私も元気を出して、このまま負のオーラを出し続けてはいけない!あの人たちのようにまたなりたい!そう思いました。気というものが発せられていて、いつも誰かに影響を与えている。だから幸せで生きていることが社会貢献になるのだ! 本には書かれていませんでしたが、こういうことなのだろうなと思いました。そして、昨日も大好きな師匠のレッスンに行ったのですが、今までどんなに努めても出来なかった、頭の中から母の心配事を消す事が、気がついたら出来ていました。ごく自然にです。眠れない眠れないと思うほど眠れないのと同じように、考えない考えないと思えば思うほど考えてしまっていた今までが嘘のようです。これが出来るようになるまで七ヶ月半かかりました。介護はまだ続いているわけですが、こんな晴れ晴れとした気持ちを味わえたことが、奇跡のようにも思えるほど、それほど大きな出来事でした。これまで、色々なピンチがあって、そにたびになんとかなっていたので、どこかに神様がいると思っていたのですが、神様というのは時には悪魔なって、時にはピンチとなってやってくるのだと、私はそう思いました。その時に、間違った行動をすれば、神様はお灸をすえにやってきます。そして正しければ、幸せな気持ちで過ごせる心を与えてくれます。きっとどこかに神様がいると思っていたのですが、なんとなくいる場所がわかってきました。多分ですが自分の中にいつもいるのだと思います。わかりませんけど。母の介護がはじまってから、きっとどこかに神様がいる! そう思っていました。 神社やパワースポットにも行かない私に、いったいどこの神様なのだろう? どこにいるの?と思い続けていましたが、いつもいつもそばにいたのですね。 私の中にも、皆さんの中にも神様がいて、いえ、皆さま方ご自身が神様なのかもしれません。 いつも、どこに向かってお礼を言えばいいのか? 悩んでいましたが、まずはこちらで励まし、応援をして下さった皆様に真っ先にお礼を言わなければですね。 皆さんの今までどうも有り難うございました。そしてこれからもどうぞ宜しくお願いします。 私はもう大丈夫です! ←ポチっとお願いいたします♪
2018年08月03日
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おはようございます♪今日も朝からかんかん照りです。気温も全く下がらず、朝からエアコンを入れっぱなしです。ウグイスの鳴く声が響き渡っていて、エアコンの効いたお部屋で、とても心地よく感じられます。 予想最高気温は36度になっていました。 39.3度を経験しているので、まあいいかと思えるようになってきましたが、 油断せず水分補給など熱中症予防を心がけて過ごして行こうと思います。 頑張らなくてもいい posted by (C)みえこ55ガーデニングをはじめたばかりの頃から、園芸店で見かければ必ず買っていたバーベナ。道端に毎年咲いているのを見かけるけど、なぜ家では育たないのだろうと不思議でした。今まで何度植えても次の年に咲くことはありませんでした。あんなに、ガーデニングを朝から晩まで頑張っていた時もあったというのに。今年は母の介護などもあって、庭の手入れは最小限しか出来なくて、今年の庭は自分の理想通りにはいかないと諦めていたところ、なんと、このバーベナが庭の数ヵ所から勝手に咲いているではありませんか!頑張らなくても咲くときは咲くものだなと。じたばたしていた自分が懐かしいです。さて、昨日の朝は、一日中寝て過ごそうかと思うほど体がだるくて、起きたばかりなのに眠かったです。しかし、友達との約束もあったので、軽いレッスンだけでも受けにいこうと、ジムに行きました。ひとつめのレッスンを受けながら、やっぱり体調がいまいちだなと思って、次のレッスンはやめて帰ろうと思ったとき、仲良しの友達が「この頃来ないから寂しかったよ。良かった、次も行くよ!」と言って手を握ってくれました。彼女も自宅で義理のお母様を介護されていて、私が来れなくなった理由を知っていたので、心配してくれていたのです。なんとなく、調子が悪かったのですが、その言葉で次も出てみようと思いました。すると、不思議なことに、体を動かしていると、全身からエネルギーがみなぎってくるのを感じました。今までのだるさは何だったのか?と思うほど、私はいつもの私に戻っていました。そして、そのあとも、いつものメニューをこなし、家に帰りました。放置して植えっぱなしだったきゅうりのつるがあちこちにからまっていましたが、それをしたてなおす事も出来ました。七か月ぶりに、母が来る前の日常に戻ったのです。皆さんのコメントのおかげで、ようやく自分がどうなっていたのか、まだ完全ではありませんけど、見えはじめてきました。人のことはよく見えても、自分のことは意外とわからないものなのだなということが、今回よくわかりました。母は、荒れ狂い悪魔のようでもありましたが、悪魔の顔をして私に何かを伝えようとしにやって来た神様だったのかもしれないと思います。今回、自分がどこを目指しているのか、それはずっと子供の頃から描いていたのですが、普通に幸せな家庭を築くことでした。母が来てだんだんバラバラになっていく家族を、崩壊させることなく、笑顔の日常が戻りました。私は大丈夫かな?と思っていましたが、大丈夫だなと思えるようにやっとなりました。普通に幸せな家族を築くという一番の夢を忘れかけていたから、きっと神様が忘れちゃいけないよと、それを言いにやってきてくれたのかなと思います。いつも励ましを有り難うございます。もう大丈夫です! ←ポチっとお願いいたします♪
2018年08月02日
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おはようございます♪今日も晴れです。朝10時前ですが、もう外はかなり暑くなっているようで、エアコンを入れています。親子 posted by (C)みえこ55毎日読んでくださっている方はもうお分かりですが、先週の月曜日、認知症の母が入院しました。ある朝突然一人で家に帰ると言って、ケアマネージャーさんや引き取りに来てくださったショートステイの職員さん、大人四人の手を振り切って酷暑の中、キャリーバックを引いて、一人で家を出ていってしまったのです。警察まで動員して総勢九人で病院へ搬送しました。あの日は全国で最も高い気温で岐阜あたりでは41度でした。こちらは39.3度でした。あの暑い最中、自分の住む町を走り回りました。水分補給をすることなどに頭が回らない状況で、ほぼ飲まず食わずで一日いましたが、母も私も、そこに居て手伝ってくださった方も熱中症にはなりませんでした。良かったです。あの日口にしたのは夫の実家から送られてきたミニトマトと小さなおにぎり2個。母に至ってはミニトマトだけでした。少し風邪気味だった私は、その後悪化して、まさにこれが共倒れっていうやつだな。という状況になりました。しかし、お陰様で母の容態は落ち着いています。健康状態も悪くはなさそうです。私もジムで運動ができるくらいには回復しました。ただ、昨日見た母は、よく一人でも山形に帰ることが出来ると言ったなと思うほど、歩く足元はたどたどしく、病院内も手すりを使って歩いていました。いったい、あの日の母は何だったのか?今朝、大好きなエキナセアを見ると、ひとつが枯れかかっていました。まるで、私と母みたいだなと思いました。枯れかかっていても、なお立ち上がろうとした母と、これから立ち上がろうと思っている私。先週の土曜日も結構暑い日でした。午前中病院から印鑑を持ってこいと言われて、私は病院に向かいました。その日は絶対に休みたくないお気に入りのレッスンがありました。印鑑を押しに行き、レッスンの時間までギリギリでした。そんなジムへ急ぐ道で、交差点で何やら人が倒れたために、前の車が止まってしまい、前に進めなくなってしまいました。一人の人が車から降り、道路の真ん中を歩き出し、数人の方と一緒に倒れた人を道の脇にあった民家の軒先に移動させました。ある人は、車の誘導をはじめました。お陰で、私の車も動き出す事が出来ました。交差点を通過するときにふと倒れた人が目に入りました。自転車に乗る若者で年は30才前後に見えました。ピタッというシャツとスパッツをはいて、かなり自転車のキャリアがある、鍛え抜かれた体と、精悍な顔立ちでした。しかし、意識はなく反応も無さそうでした。四人ほど人がいましたので、大丈夫だろうと思って、私はジムに向かいました。しかし、あの時私も車を降りて向かうべきだったのではないか?なにかしら出来ることがあったのではないか?と思いました。しかし、私は自分を優先させたのです。その話を息子にしたら、息子は「えーっ!わりーなあ。行かなかったの?」 と言いました。 きっと息子はこういうときに真っ先に行く人なのだろうなと思いました。人は誰かが困っていると、本能では助けたいと思うのでしょうね。しかし、同時に自分を優先させたいという気持ちも出てくるようです。まさに今の私は、母が困っている状況で、私は無意識に助けたいと思ってしまう状態なのかもしれません。同時に自分も優先させたいという欲求もあるのですが、それを押さえて押さえて暮らしてきたわけです。それは、母も同じだったのではないかと思います。元気だった頃の頭がまだ残っている母は、昔のように、山形で自由気ままに過ごしたかったのです。家にいれば誰かしら訪ねて来てくれて、つきに一度は仲間とカラオケに行く。自分で車を運転し、お気に入りの鰻やステーキを食べに行く。それがやりたかったのです。荒れ狂ったあの日、母はこれからそうするのだと言っていましたから。頭完全に壊れてしまい、本能である母の部分はなくなり、自分を優先する気持ちしかなくなっていた母。私はね、自分が一番大事なのよ。子供なんて欲しくなかったの。産むんじゃなかったわ。と、全力で怒鳴り付けられて、その時はショックでした。しかし、よくよく考えてみると、私も時々、子供や夫の世話だけで一日が終わると、早く自由になりたいなあと思ったことは一度や二度ではなかったなあと思います。無償の愛を注ぎ続けるお母さんに比べると、どこかまだ大人になりきれていない、中途半端な母親であるような気持していました。しかし、子供達は二人とも本当に優しくて、いいこだし、この程度でいいんだなとか。そんな風に勝手に思い込んでいました。親が適当でもけっこうまともになるもんだ。などと思ったりもしていました。しかし、反面なんでこんなにいい子なのだろう?という疑問もありました。抑圧された家庭の中で育つ子は、親に気を使い、いい子になる場合もあると、ある本に書かれていたのを読んだことがあります。特に長男は小さい頃から遠慮深く、人に気を使い過ぎるところがありました。私に顔も性格もそっくりで、何かをやろうとするときの気持ちが手に取るようにわかってしまいます。昨日は、ジムに息子からラインがあり、買いものに付き合ってくれ。というメールでした。その一行だけで何をしたいかわかりました。その日は彼女が遊びにやって来る日だったのです。彼女に食べさせるものを買いに行くつもりだったのです。大学生になったばかりの男の子が、彼女の夕飯に刺身を賈って、アイスと和菓子を買う姿はほほえましくあり、応援すしてあげたいと思います。 しかし、反面、遠慮ばかりして疲れてしまわないかなと思ったりもします。 まあ、今のところは大きな心配はする必要はないかもしれませんが。 さて、息子と買い物に行く前に、昨日も母の面会に行きました。大変だから毎日いかなくてもいいのではと、兄にも言われたので、風邪をひいたからしばらく来れないねと、母には言いました。そう言ってもその事をすぐに忘れてしまうので、ノートに、その事を書かせました。みえこは風邪をひいたので、治るまで来れない。そう書いた先から、その事を忘れて、次に出てくる言葉は、みえこ、私は山形に帰るのだっけ?そう聞いてきます。3か月後に退院して、私と八王子の施設を探す。そう書かせたあと、またしばらくすると、みえこ、私は山形に帰るのだっけ?と同じことを聞いてきました。私は息子との約束があったので、病院が5時に閉まってしまうから帰るね。と、言ったのですが、母はまだいいじゃない、大丈夫よまだ。と言って何度も引き止められました。時計は5時はとっくに過ぎていたのですけどね。娘が具合が悪いのだよということはおかまいなしになってしまったのだなと思いました 。 認知症は本能が壊れてしまう病気なのだなと思いました。人を愛したいとか守りたいとか、そんな本能がもし、自分になくなりかけていたら、それが病気のはじまりなのかもしれないと私は思いました。かつてまだ結婚して間もなかった頃、私は思いがけなく子供を授かりました。その時に、今まで全く子供などほしくないと、むしろいらないかもと思っていた私が、妊娠と同時にどこから沸き上がってくるのか、母性が自分にあったことに気づきました。残念なことに流産をし、それと同時に母性が焼失し、また、子供はいなくてもいいかと思うようになっていました。そんなとき誰が言ったかは忘れましたが「私は夫はいらないけど子供は欲しい」と言った人がいました。また、夫の母親は、子供が捨てられていたニュースを見て、「私だったら拾ってきて育てる」と言っていました。私は、その時は、夫がいいなら子供はいらないと思い、子供が捨てられていたら、拾いはするだろうけど、自分で育てるなんていうことは思いませんでした。そんな風に思う自分は、どこかおかしいのだろうか?そういう疑問を持ち続けていたので、子供は産んでみなければいけないと、なんとなく思っていました。振り返ってみると、よく耳にすることで、子育てをした経験のある方は思ったことがあると思いますが、自分は子供に育てられたなと思います。さて、今日こそは短いブログにしようかな、読む人も大変だろうなと思いつつ、長い長いブログになりましたね。何を言いたいかというと、本能に従い本能を大事にしていくと、けっこう物事がうまくいったなということです。世間では、なぜあの人はあんなことをしてしまったのか?という人がいますが、本能が壊れたからなのかもしれません。そうは言いながら、自分自身も時に過ちをおかすことはあるし、道に迷うこともあると思いますが、本能だったらどう判断するのだろう?そう考えると、比較的正しい答えが出やすいような気がします。親しい人何人にも「病院に入ると一気に認知が進むよ」と言われました。正にその通りで、母は日に日に大人しくなっています。今まで見たことがなかった穏やかな母になっていました。忘れ方も日増しに大きくなっています。そうそう、これをお読み下さっている方は、私がどうにかなってしまうのでは?と、はらはらドキドキ心配になってしまうかもしれませんね。昨日もコメントを頂いて、有り難く思いました。皆さんのコメントのおかげで、私も頑張りすぎる心にブレーキがかかったと思います。心配をおかけしてすもませんでした。そしてお心遣いをいつも有り難うございます。116/79になっていましたよ。ずいぶん元気になりました。もう大丈夫です。いつも心配して下さり有り難うございます。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年08月01日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。台風が日本列島を逆走するという異例の事態が起こっていた先週は、毎日病院やら市役所やら施設にやら、行ったり来たりの毎日でした。とても一週間の間にあったこととは思えないほど色々な事がありました。世間では今何が起きているのかもわからず、 明日の天気予報も晴れなのか何なのか? そして録りためたテレビのハードディスクは、とうとう録画可能時間が0になっていて、 予約していた番組が録画されていないという事態になっていました。夏のジキタリス posted by (C)みえこ55バラが咲く頃に咲いた一番花の時は、一メートル以上に大きくなって咲いていたジキタリス。今は50センチほどの高さで咲いています。植えてから2年ほどは、種を撒いても発芽しなかったのですが、今年は雑草並みにあちこち、こぼれ種で発芽して、 間引き間引きの日々です。欲しい方がいればいくらでも持っていってと言うほど増えています。なので、以前は近所の方が、どうぞどうぞと下さった気持ちがようやくわかるようになりました。その時は、こんなに立派に育ったジキタリスを頂いてしまっていいものかと思いました。いいものだったのです。さて、昨日はこれまでにない倦怠感で起きていられなくなりました。しかし、長女を連れて面会に行くことにしましました。おととい母と別れるときに長女に会いたいと言われて、長女の仕事の休みの日に連れてくると約束をしたからです。長女の休みは不定期で、しかも休みの日は大抵予定を入れていることが多く、次に連れてこれるのはいつになるかわかりません。ですから、昨日でなければと思いました。長女を連れていくと、母はとても喜んでいました。11時過ぎに病院に入り一時間近く話をしていたのですが、これまでに見たことがないほど、母はおだやかであり、聡明な受け答えをしていました。ただ、記憶の中枢が壊れて、同じことを何度も何度も聞いてきて、その聞き返す頻度はこれまでよりも更に多くなっていると感じました。昼御飯の時間になり、一人で食事をさせるのは可愛そうだと思い、昼御飯を食べるのを見届けて帰るつもりでした。しかし、何度も母が引き止めるので、時間ぎりぎりまでいようと思いました。時間ギリギリというのは、昼で帰ってくることになっていた長男と、このあと娘と3人で久しぶりに食事に行こうという約束をしていたのです。母はしきりに山形に帰りたいと言ってきましたが、その願いは叶えてあげられません。その理由を話してあげると、母はよく理解してくれました。しかし、数分たてば全て忘れてしまって、山形に帰れるんだっけ?と聞いてくるのです。その度に、私は同じことをはじめから説明をしなければなりませんでした。本当は母の好きなようにさせてあげたいのですが、それはとても難しいことです。してあげたいけど出来ないという理由を分かりやすく伝えるしかありませんでした。そんな事を何度も繰り返しているうちに、今までは何度言えば分かってくれるの?と、今までであればこちらの堪忍袋が切れそうになっていた場面でも、私は母の心境を理解し、同じ話をすることが、以前よりも苦痛ではなくなっていることに気づきました。もう帰らなければいけない時間になる少し前、私の携帯がなりました。長男が家の鍵を忘れて家に入れないでいるというのです。その事を伝えるも、母は「それは大変だわ」と言ったかと思うと、私と長女が立ち上がろうとするのを引き止めました。何度かそんなやり取りをしたのち、ようやくそれじゃあねと言ってくれました。認知症でない母だったら、すぐに行ってやりなさいと言ったでしょう。 暑い中で息子は家に入れず私達を待っているのですから。 本当はだるくて家に帰って寝ていたかったのですが、ランチを楽しみにしていた子供たちを思い、ランチに行きました。。家にようやくたどりついたのですが、風邪の薬がなくなってしまったので、病院に行きました。痰が黄色くなり、鼻水の量が急激に増えたので、抗生物質をもらいました。先生は相変わらずとても優しくて、お母さんの様子はどうですか?と聞いてくれました。とてもよくなり、安定しています。薬が変わったからか今までと違う母になっていました。と言うと、そうか、それは良かったね。これからは専門の先生に診てもらえるから安心だね。とおっしゃいました。そのお言葉を聞いて、診察室を出たあとああ余計なことを言ってしまったなと思いました。薬を出してくださっていた先生になんてことを言ってしまったのかと。お薬を処方して下さったのは先生ではなく、専門医からの引き継ぎにより先生が出してくださっただけだったので、先生に責任はないと思います。きっと先生はそのことも少し思っていたのかもしれません。先生が気にしていなければいいのですが。言葉というものはよくよく考えて発しなければいけないものだと反省しました。病院から帰り、一寝入りしたあと、どうしてもやらなければならないことがあったので、最後の力を振り絞って、その事をやりました。幸い、薬が効いたのか、今朝はここ最近の中では最も調子がいいと感じられるようになりました。今朝は兄が心配をしてくれて電話をくれました。少し休んだ方がいいから、母のことは病院にまかせてはどうかとも言ってくれました。毎日病院から呼び出しが来るようになって、休む暇がなくなっていることを心配してくれていました。兄も長い間母と接してきているので、今私が置かれている状況がよくわかるのだと思います。これまで、誰に話しても分かってくれなかったことも、兄に言えば、少し話しただけで、ほとんどの事を分かってもらえます。一人でも理解してもらえる人がいるというのは、大きな支えです。私の隣に住む奥様も認知症の母親の介護を弟さんとふたりでやってきたことがあります。徘徊が激しくて、何度も警察などから呼び出しがあり、引き取りに行って、泣きながら帰ってきたと言っていました。しかし、そのことがあったから、今も弟さんとは仲がいいとおっしゃっていました。母のことがあって、一時期は私も兄も私の家族も、みんなバラバラに引き裂かれるのかと思った事もありました。しかし、今ようやくそれぞれが同じ方向に向かって歩き始めたことを感じられるようになりました。色々なストレスが重なって、血圧が160まで上がってしまいました。兄に塩分を控えるようにと言われました。 こういうアドバイスも非常に助かります。それと、ブログの誤字脱字も注意してくれるのは兄だけです。いつも有り難うございます。なんとなく私は大丈夫かな。そんな風に思えるようになってきましたよ。 いつも応援をしたり心配をして下さり有り難うございました。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月31日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。今朝はとても涼しいです。窓を開けるとひんやりとした風が、優しく肌を通り過ぎていきました。朝五時45分、セミが鳴き始めました。夏なのですね、今は。 ここ一週間、体調を崩してしまい、庭は荒れ放題です。 ミニトマトは自由奔放に勝手に茎を方々に広げ、 茄子は紫蘇の葉っに養分をすいとられてスリムな長ナスになっていました。 ゴーヤは放置したわりに大豊作で食べきれません。 クレマチスも支柱などへ仕立て直さねばならないのですが、 自分で好きな場所にからまっていてね。という状態です。 この台風が、今回は、水やりから解放させてくれるという形で、 私の味方になってくれましたが、他の地域の皆さんは大丈夫でしたか? テレビなど全く見られない状況で、世の中では何が起きているのか全くわからない状態です。 忘れられたクレマチス posted by (C)みえこ55 先週の月曜日に母が荒れ狂いました。私にとってはこちらのほうが台風でした。これまでにない罵詈雑言を浴びて、最後は私に執拗に立ち向かってきた母。病気のあることは、重々理解し、母も苦しい時期なのだと思ってはいます。しかし、頭では分かっていても、ズタズタに引き裂かれた私の心の回復は、一日や二日では出来ませんでした。死んでも私の葬式には来るな。子供なんか産むのではなかった。自分だけが大事で自分がよければいいのだ。と、オウムがえしに言われて、それはまるで壊れた嘘つきマシーンのようでもあり、本当に本気で思っているだろうと思えてくるような、これまで嘘つきマシーンにしまわれていた本心のようにも思えてしまうのです。早朝になると、自分の激しい心臓の鼓動で目が覚めて、涙が止まらなくなってしまいます。日中もジムでからだを動かしたり、何かやっていれば何とか平静を保てるのですが、ふとした瞬間に自分をコントロールできなくなり、泣きたくなってしまうのを、必死に我慢して過ごすのです。その度に、大きく深呼吸をし、自分を落ち着かせていました。寝るときも、自分でブレンドしたハーブのエッセンシャルオイルを部屋に吹き掛けて、気持ちを切り替えたり。どちらもとても効果があったように思います。私と同世代の友人にも、眠れない悩みを抱えている人が多くいます。眠れないときどうすればいい?と聞いてみたところ、エッセンシャルオイルをすすめてもらいました。ミントやベルガモット、オレンジ、ラベンダーなどのエッセンシャルオイルを、精製水とアルコールで薄めて、100Yenショップで買った霧吹きのスプレーに入れて使います。アルコールが入るので、スプレーはガラス製のものを選びます。ある100Yenショップのものは、一回使っただけで壊れてしまい、別の店で買い直しました。同じ100円でもずいぶん質が違うなと思いました。先週の月曜日に母が入院し、火曜日は入院手続きや、各種の申請で市役所に行ったり、あちこちに行っていました。それと師匠のラテンダンスのレッスンも受けました。ラテンダンスのレッスンは一度休むと、次の回についていくのが大変になります。それと、私が受けているレッスンの中でも一番気に入っているレッスンです。レッスンを休んだことがほぼなく、休むときは先生や仲間に連絡をしていたので、どうしたの?と言われるのも面倒だでした。それと、一日も早く普通を取り戻したいという気持ちから、私はレッスンに出掛けました。やっと立ち上がっていられる状態で、今思うとよく行ったなと思います。火曜日の夜に、ぐったりしているところに、夫が帰宅し、安心感からか、これまでの緊張が抜けて、より倦怠感が大きくなりました。水曜日はさすがにジムに行ける元気がなくなり、お世話になった方への挨拶回りも、夫が休みでいる日にやってしまおうと、一日かけて挨拶回りをしました。苦しかったですが、デイサービスで、母がどんな風に過ごしているのか、また、施設の方に大事にしていただいたかを知ることができました。どの施設の方も母が来なくなることを残念に思って下さっていました。私もそうなのですが、介護に当たっていると、少しでも良くなるよう、祈るような気持ちで日々母に接するようになります。今日は調子が良さそうだとか、食事はとれているか?水分は?トイレは何回行ったか?などなど、些細な変化も見逃さないように注意を配るのが癖のようになってきます。そんなふうにして看て来たわけですから、それでも状態が悪くなると、これまでの自分達がやって来たことが無駄とはいえないまでも、無力感を感じてしまうのです。施設の方の無念そうな表情が忘れられません。せめて母は喜んで通わせていただいていたと、家族も感謝していると、それを伝えるしかありませんでした。木曜日、やはりものすごい倦怠感や不安感が襲ってきて、家に引き込もっていたい気分でしたが、からだを動かすと、なぜか平素の自分が戻ってくるのを経験的にわかっていたので、レッスンに行きました。やはり、踊っていると不思議と元気が出ました。金曜日、午前中病院に呼び出されたので行ったとき、病院まで行き母の様子を伺うと、ずいぶん落ち着いたと言われました。しかし、山形に帰りたいと言っていると聞き、また、母に会えばその事で激高されてしまうかもしれないと、母の気持ちがもう少し落ち着くのを待った方がいいかと思い、会わずに帰りました。しかし、家に帰ったら、今度は主治医から電話があったので、再度病院に行きました。長男が母に会いたいと言うので、長男も連れていきました。そこで、主治医の話を聞いて、かなり落ち着いていると聞いたので、会って帰ることにしました。母は私以外の人に敵意を向ける事は少ないので、その日は医師にも立ち会ってもらっての面会でした。そのせいなのか、まだ病気がおさまっていないのか、なんとなくよそ行きで不自然な母の様子から、まだ二人きりで会う勇気が持てずにいました。その日は、母が病院で履くスリッパを買ってきてほしいと頼まれたので、次の日土曜日に台風の中買いにいったのですが、あまりにも雨風が強くなってきたので、届けるのはやめました。というか風雨のせいにして、母に会うのを避けたのです。そして、昨日の午前中私は頼まれたスリッパと新しいタオルを病院に届けました。母には会いませんでした。その日の午後になりまた病院から携帯電話に留守電が入っていたので、電話をかけると、母が葉書を書きたいと言っているのでいいかという電話でした。その時に私が思ったのは、午前中に私が病院まで来たのに会いもせず帰ったことに、また腹を立てて、あることないことを書きたててしまうのだろう。その度に、それは違いますといちいち電話をかけるわけにもいかなくなるし、これはやっかいだなと思いました。母がここに来たばかりの頃、あちこちに電話をしてはここに連れてこられたを連発していて、中には私に直接怒りの電話をかけてきた親戚もいました。親戚だったので、ある程度の事情を説明出来たのですが、それでも最後まで信じられないと言われました。友達関係の人にはいちいち言い訳もできませんので、おそらくとんでもない娘に連れていかれた事になっているでしょう。また、お叱りの電話対応に追われるのかなと、あきらめの気持ちが沸いてきたと同時に、鉄の扉に中で母がどんな気持ちでいるのかを考えたとき、母はさぞ寂しい気持ちで過ごしているに違いないと思いました。私は、仕事からもうすぐ仕事から帰ってくる娘の夕飯の食材を家に置くなり、すぐに病院に向かいました。母の話をもっと良く聞いてあげなければいけないと思ったのです。母の好きなおせんべいと、気晴らしになりそうな本を二冊選び、時間は夜6時半。まだ面会時間は間に合うかなと、日曜日の面会時間を確認しました。母は、金曜日に会ったときとは全然違う人になっていました。おだやかで、ものわかりがよく、普通の会話が成り立つ母でした。記憶が出来ないという面では、同じことを何度も聞いてきましたが、それ以外は、優しく穏やかな母でした。話を聞いていると、母はこの病院で一生を終えると思っていたようでした。何度話しても、ここで終わりたくないと言っていました。母はとても寂しく不安なのだと思い、この病院は必ず出られる。心配しないで。何も気にするな。大丈夫だから安心して。とそれだけを、何度も言い聞かせ、枕元にあった病院の紙にメモするように言いました。「病院は必ず出られる。」と。とにかくこれからは母に出来るだけ不安にならないよう会いに行こうと思いました。多分それが一番の薬になるのではないかと思います。私は母に寂しかったのだね、私が悪かったよとあやまりました。すると母は、みえこは何も悪くない、よくやってくれたと言ってくれました。鬼のようになってしまった母と、優しい母が交互にやってきて、しまいには、どっちが本当の母なのかわからなくなってしまいました。病気なのだから、病気なのだからと頭では理解しても、私に襲いかかろうとしてきた母の顔が怖くて、またあの母いつが戻ってくるのかと思うと、私の家に連れて帰ることは出来ないと思ってしまいます。出来ることなら、また皆で楽しく暮らしたいのですが、今回は、沢山の人を巻き込んでしまいました。ですから、残念ですが母の希望は叶えてあげられないと思います。かたくなに、一人で山形に帰ると言っていた母は、一緒に近くの施設を探そうという提案を快く受けてくれました。今度こそは、安心していられる場所を探してあげなければと思います。朝方に鳴き始めたセミの声はいつのまにかしなくなりました。 何の鳥かはわかりませんが、鳴いていたかと思うと、 急に静けさがやって来た朝8時前です。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月30日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。昨日は台風が来る来ると言われ続けていたので、外出を控えた方がいいものなのか、外出しても、帰宅時間は何時ぐらいにすればいいのか?長女は仕事の帰り、帰ってこられるのか?などなど、どう判断すればいいのかわからないまま、結局一時的に強く雨が降ることはあったものの、長時間降り続くことなく、直撃することもなく、台風は去っていきました。遅咲きのカサブランカ posted by (C)みえこ55カサブランカも昨日と変わらない状態で咲いていました。さて、予想もしていない日に、ある日突然警察から電話があって、自宅での母の介護がはじまりました。そして、最後も警察で終わりました。あの日、大人四人で引き留めても腕を払い家を出てしまった母。目の前に駅があり、タクシー乗り場もあったのに、なぜか通りすぎて、道に迷い、運良くあった交番に入り、遠隔で電話をやりとりし、交番で保護をしてほしいとお願いをし、ようやく病院に連れていくという結末になりました。はじめにお世話になった警察でも、今回お世話になった警察でも、母が認知症であることは全く気づいてもらえませんでした。特に今回は、なぜ交番で保護しなければいけないのかと言われて、地域包括センターの方は、かなり協力に働きかけてくれました。私が掛け合ったときも、そうは見えませんが…と言われて、もしかしたらこれは動いてくれないかもしれないと、かなり焦りました。あの時、あの場所にいた私以外の8人の方がいなければ、多分母は一人で、タクシーに乗って、どこかへ行ってしまったかもしれません。いくつもの幸運が重なって、母は今ここに生きていられるのだと思います。病院にやってしまったことは不幸だったようにも思えましたが、幸運だったと思った方がいのではとも思えます。というか、思うしかありません。警察とのやりとりで、ようやく警察が協力的になったのは、母が警察の前で転倒してしまったという幸運がありました。そして、はじめに対応してくださった警察の方が、母は普通の人だと思っていましたが、後から駆けつけた警察官の方が、これはと気づいてくださったことが、もうひとつの幸運。いつも忙しくてなかなか電話もつながらないケアマネージャーさんも、速やかに駆けつけてくださったり、包括センターの方も動ける状態だったこと、母を引き取ってもいいといってくださった介護施設や病院がすぐに見つかったことなど、いくつもの幸運があったのです。しかし、これらの幸運を導くためには、必死で働きかけたからこそ出会えた幸運でもあったように思います。これからも、まだいくつもの問題はありますが、少しずつ解決していこうと思います。まずは、健康第一ですね。体力勝負だったなあと、この7ヶ月間をふりかえると思います。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月29日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。先程まで強く降っていた雨がぱたっとやんで、嵐の前の静けさがやってきたかと思うと、また雨が降り始めています。あんなに雨が降らないかと思っていたのに、こんなに降らなくてもいいよというくらい、これから降るのでしょうかね。 風邪の清浄はだいぶおさまってきましたが、まだ少し残っていて だるさがあります。だるいのが風邪のせいなのかどうかはわからないのですが、 無気力状態で何もする気が起きてきません。 これまで、どんなときも頑張らなきゃ、もう少しだけ頑張らなきゃと思っていたのに、 もう頑張るのはやめようと思ったとたん、全く力が入らなくなってしまいました。 昨日は血圧を測ったら、上の血圧が159もありました。 これは何とかせねばです 二番手 posted by (C)みえこ55さて、月曜日に母が入院をしてから、毎日病院から呼び出しの電話があり、書類や母が必要だというものを届けています。一日に二度も行くこともあったりして、ジムにも行けない日が多くなりました。昨日は主治医からの呼び出しがあり行ってきました。先生はとてもお若い女医さんです。見た目には二十代では?という印象です。母の様子を伺うと、とても落ち着いているという事でした。これまでも何度も母が暴言を吐いて来たことが何度もあったので、このあと母がどうなるのかはだいたい予想がついていました。最大限に最後のエネルギーを振り絞って、自分を押さえながら要求を通そうとしてくる。私はそう予想をしていました。先生が面会をしてもいいとおっしゃったので、私は息子と先生と3人で母の部屋に入りました。母は一番気に入っているドレスを着て、個室の椅子に座っていました。母は自分がしでかした事の大きさは理解しているようでした。しかし、口から出てくるのは今までと全く変わりはなく、兄にも私への配慮もなく、ただ自分がやりたいことを言ってくるだけでした。そして、やっぱりダメよねと言った表情になり、ポツリ本当はみえこのところに帰りたいわ。と言いました。母の様子はやはり予想通りでした。 私は笑顔で冗談っぽい言い方で、あれ、もう二度と来ない、縁を切るって言ったじゃない。と言うと、何のことかしらというそぶり。 その目は全て自分がやったことを覚えている目でした。 まあその話はお兄ちゃんとも相談しなくちゃいけないから、まずはお母さんからだを治してね。それが先だから。と言うと、どこも悪いところなどないと思っている母は、 何を治すのという顔になったので、お母さんは脱水などがあってまだ治療が必要なのだよ。と言いました。また来るからね。母はこうなる直前に母は全てのことが分かったと言いました。今まではぼんやりとしかしていなかった記憶が、一度に戻ってきて、混乱してしまったのです。私に世話になり悪いという気持ちもあっただろうし、母なりに遠慮もしながら、私達家族の役にもたちたいと思っていたようです。しかし、病気の症状が一旦出てしまうと、自分自身では全くコントロールが出来なくなってしまうのです。母の目を見たときに、まだその病気の根が残っていることを感じました。凛として、これまでにない丁寧な物腰で自分の希望だけを伝えてくる。 先程まで強く降っていた雨がぱたっとやんで、嵐の前の静けさがやってきたかと思うと、また雨が降り始めています。あんなに雨が降らないかと思っていたのに、こんなに降らなくてもいいよというくらい、これから降るのでしょうかね。二番手 posted by (C)みえこ55さて、月曜日に母が入院をしてから、毎日病院から呼び出しの電話があり、書類や母が必要だというものを届けています。一日に二度も行くこともあったりして、ジムにも行けない日が多くなりました。昨日は主治医からの呼び出しがあり行ってきました。先生はとてもお若い女医さんです。見た目には二十代では?という印象です。母の様子を伺うと、とても落ち着いているという事でした。これまでも何度も母が暴言を吐いて来たことが何度もあったので、このあと母がどうなるのかはだいたい予想がついていました。最大限に最後のエネルギーを振り絞って、自分を押さえながら要求を通そうとしてくる。私はそう予想をしていました。先生が面会をしてもいいとおっしゃったので、私は息子と先生と3人で母の部屋に入りました。母は一番気に入っているドレスを着て、個室の椅子に座っていました。母は自分がしでかした事の大きさは理解しているようでした。しかし、口から出てくるのは今までと全く変わりはなく、兄にも私への配慮もなく、ただ自分がやりたいことを言ってくるだけでした。そして、やっぱりダメよねと言った表情になり、ポツリ本当はみえこのところに帰りたいわ。と言いました。私は笑顔で冗談っぽい言い方で、あれ、もう二度と来ない、縁を切るって言ったじゃない。まあその話はお兄ちゃんとも相談しなくちゃいけないから、まずはお母さんからだを治してね。それが先だから。と言うと、何を治すのという顔になったので、お母さんは脱水などがあってまだ治療が必要なのだよ。と言いました。また来るからね。母はこうなる直前に母は全てのことが分かったと言いました。今まではぼんやりと していたけれど、記憶が戻ったと言うのです。 記憶が戻ったことがイコール認知症が治ったとも言っていました。 72歳まで精神科のある病院で働いていた母は、 認知症が治った患者と会ったことがあるのでしょうか? 聞いてみたかったですがそれはやめましたけどね。 こ数日、家族も色々と気を使ってくれていることをひしひしと感じます。有り難い事ですが、これ以上余計な気遣いをせず、いつも通りに過ごせるようにしたいです。家というのは、なにも考えずに気楽に過ごせる場所であってほしいです。愛想笑いもいらないし、しゃべりたくなきゃしゃべらなくてもいい。話をしたければ話せばいい。テレビがうるさかったらうるさい!と言える家です。そして、私自身も早く自分を取り戻したいです。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月28日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。昨日は久しぶりに過ごしやすく、最高気温は29.0度でした。夜もエアコンなしで寝られ、久しぶりにゆっくり眠れました。これもマチルダ posted by (C)みえこ55(風邪をひいたので休みます)おとといは、私を心配していいと言ったにもかかわらず夫が帰ってきてくれました。全力で、家族一丸となって私を支えてくれる気持ちがとても嬉しかったです。お世話になった施設や包括センター、病院など、一日でかけて5ヶ所の施設を回ってくれ、私の話を聞いてくれ、ねぎらいの言葉をかけてもくれました。ここ数ヵ月、どんなに運動をしても疲れなくなってしまい、特にここ数日は夜も眠れなくなって、朝も早く目覚めてしまうようになっていました。しかし、昨日は本当に久しぶりに疲れたという感覚と、お腹がすいたという感覚を覚えました。私は今まで極度な緊張の中で過ごし続けていた事に気づきました。かなり情緒が不安定なのが自分でもわかり、とめどない涙がおさまらなくて、風邪の症状もあったし、昨日ははダンスのレッスンを休もうかと迷いました。しかし、ダンスの発表会があり、その打ち合わせがあるということで、先生を交えて大切な話があり、休めないなと思いました。しかも、このミーティングではあらかじめ母のことがあるので、もしかしたら、発表会の当日に私のドタキャンの可能性が、ゼロではないという事を伝えるためにも開かれたものでした。今年は5人組だったメンバーの一人は子供の受験のため、もう一人はPTAの会長さんを勤めているため出られないことになり、先生と残りの3人の合計4人で出ることになっていました。かなり過酷な練習を重ねての出場ですし、少なくなったメンバーで、もしも私が抜けて当日に出られなくなった時の事の大きさは、誰もが知っていることでした。というのも、昨年の大会で、一週間前にメンバーの一人が病気で入院し、一週間前にフォーメーションをやり直す練習をしての出場を経験していたからです。ただでさえも少ない人数でやっいるので、一人欠ける穴の大きさは、誰もが分かっていることです。あらかじめ二人に相談をすると、もしも途中でダメということになっても、練習ははじめようと言ってくれました。そう言ってくれたのは、はじめのころ今年3人になったなら出ないと言っていた彼女でした。踊りのキャリアが一番短くて、自分でも自信がないと思っている彼女です。まだ二人が出られないと決定する前に、もし3人になったときは、今年は出るのをやめたいともいい、私が出たければ他のチームに入ればいいのではと言っていました。そんな大切なミーティングがあるということと、今までどんなに苦しくても、涙が出ていても、ダンスをしていると、不思議と笑顔になれ元気が出てきて、何とか自分を立て直す事ができていたので、とりあえずレッスンに出ようと思いました。ところが、いつも母の事を相談していた、介護経験者の年配の人から、頑張ったわねと言われたとたん、涙が止まらなくなり、突然泣き出してどうしたのだろう?と、事情を知らないのできょとんとしている周りにいた人に、私も「すみません、母が入院し少し情緒不安定になってしまいました。」とだけ伝えました。はじめは変な空気になってしまいました。そに後、レッスンがはじまったのですが、なかなか気分がが上がってこなくて、泣けてくる自分ををどうやって沈めるか苦労をしました。今回踊っている曲は私がリクエストしたフェイデットという曲です。ああ、好きな曲だ好きな曲だ、そう思いながら、何度か踊っているうちに不思議と元気が出てきて、いつもに戻れたことを感じました。仲間が楽しそうに踊る姿や一生懸命に教えてくださるいつもの先生の姿を見るだけで、元気が戻って来るのを感じました。人の笑顔や懸命な姿はそれだけで人を勇気づけるものなのだなと思いました。レッスンが終わる頃には、平常心になっていることを自覚でき、やっぱりダンスってすごいなと思いました。そうしてミーティングがはじまりました。長年ダンスの大会があったにもかかわらず、そこに先生は出場をしたことがありませんでした。先生も参加しているチームも多い中、我がチームの先生だけは、自分が出れば先生が目立ってしまうという理由から出場をしないと決めていたようです。今回はいつもの大会がなくなり、別の発表会の出演依頼だったことで、初めて生徒と先生が舞台で踊るということになったのです。なので、先生はいつになく張り切っていて、今回はこんな風にしようかと思っているというプランを話されていました。その話を聞きながら、どのタイミングで言い出せばいいのかみはからっていたのですが、とうとう私の口からは言えないままミーティングが終わってしまいました。私は、もしかしたら、いつもチームを引っ張っていってくれている、リーダー的な存在の彼女が切り出してくれるかもしれないと思っていましたが、私が言い出すのを待っていたような様子でした。普段ざっくばらんに何でも話せる方の私ですが、どうしても切り出すことが出来ませんでした。ミーティングが終わり、先生と別れたあとメンバー二人には、私から直接伝えると伝えました。さて、何と伝えればいいのやら。レッスンから帰ると息子がコストコに行こうと誘ってくれました。私の気分転換になると思っているようでした。別に買うものなどなかったのですが、息子の気持ちに乗ることにしました。片道30分、往復一時間、買い物の間さえも、カートを引きながら、私達親子は、ずっと話をし続けて、母の思出話や介護の苦労話などを話していました。その足で休みをとって夫の実家に帰っていた長女を迎えに行き、楽しかった新潟の出来事を聞かせてもらい、自宅に帰ると、娘が私を呼ぶのでリビングに行くと、録画してあった音楽番組を見ろと言います。仕方なしに見ると、プリンセス・プリンセスのダイヤモンドでした。なんとなく、歌え的な感じになって、仕方なしに歌って、私が喜んでいるという風にしなければいけない空気になっていました。子供達の私への励まし方は、絶妙だなと思います。大人とは全然違います。言葉では一言も励ましなどないのに、もにすごい大きなエールを感じました。そして、実際に大きな力となって、私を奈落の底から引っ張り出してくれたのです。こんな励まし方もあるのだなと、子供ってすごいなと思いました。子供というか、いつのまにか大人になっていたのだということに気づきました。やっと元気になれて、もう私は大丈夫と思えた昨日の夜は、久しぶりに寝付きもよく、ぐっすり眠れました。しかし、朝になると強い緊張を感じ、心臓の鼓動が高まり過呼吸になってパッと目が覚めました。そして止めどなく流れる涙を押さえられなくなり、寝ていられなくなりました。優しかった母や楽しそうに孫達と笑っていた母を思い出してしまい、またここで一緒に暮らしたいと思ってしまうのです。親戚や近所の人に母が可愛そうだと、山形に返してやればいいと、しつこくいう人がいます。帰りたがっているのに返してやらない無神経な娘に見えるようです。私だってそうしたいだけど出来ないのです。言う人は母になりかわって私に苦言を言いたいようでした。いくら事情を話しても、冷たくて最後はわけのわからぬ人ねと言う表情になり、最後は優しくていいお母さんで可愛そうでしょ。と言われてしまうのです。だから、最近はそうですねと、早く話を早く終わらせる方法だけを考えるようになりました。どんなに早く話を終わらせても、そういう人の話は長いです。そしてしつこいです。そして、そのあとにどういうことになえうかなんて、責任も持ってはいないし、何かあっても決して手を貸す気持ちはさらさらないのも大きな特徴です。出してくれるのは口だけです。母が山形で一番やりたいことが何なのか、知らないから言えることです。多分私以外誰もこの事はわからないと思います。いや、もしかしたら、兄だけはわかってくれるかもしれません。母は自分がやると言ったことは、どんな手を使ってでもやる人でした。そんな人が前頭側頭型の認知症になてしまったのです。万引きや殺人、ストーカーを繰り返す人と同じ脳になってしまったのです。この病気の人は、その瞬間その人がやりたいと思ったことを、後先考えずにやってしまいます。ふと、我に帰ることもありますが、またやりたいというこことに戻ります。やりたいことをやめさせることが困難であり、無理であるのがこの病気の一番大きな特徴であり症状なのです。この事は、一般の人には理解できないことだと思います。私でさえも母だけは他の患者と違うかもしれないと思っていましたから。ただ、これまで7ヶ月間と子供の頃から見てきた母をふりかえると、楽観してはいけないと思いました。母は昔から本音を言わない人でした。外でい言っている事と家では全く違います。誰しもそういう面はあるとは思いますが、その降り幅の大きさは尋常ではありません。昔から嘘を平気でつくことも知っています。嘘をつくことは天才かと思ったこともあります。色々と苦労を重ねて来たので、とっさに思い付く気転の早さはものすごく、認知症になってからも、健在でした。ですから、母をあまり知らない人は、というか私でさえも母は時にとてもいい人に見えます。皆さんの周りにもいるかと思いますが、あの人ああでなければとってもいい人なのにね。という人です。一癖も二癖もあって、やや扱いにくいところはあるけれど、頼みごとをすると他に人がやらないようなことも引き受けてくれるような人。面倒見が良いけれど、熱くなりすぎて、周りを困惑させる人です。そうやって、人がどうすればどう動くのかを知っていて、認知症になってからも、その性質が染み付いているのです。小さな頃からずっと母を見てきた私は、母がこれから何をしたいのか、他の人よりもわかります。昨日も書きましたが、母はこれから全力で車を運転することに力を注いで来ると思います。母がと書きましたが、母の中に住んでいる悪魔がと言った方がいいかもしれません。ですから、優しかった母になったとしても、母をどんなに可愛そうだと思っても、私は心が揺らいではいけないのです。実は母の行動が変だと思い始めた頃、実は包丁が一本なくなっていました。母が入院してから必死に捜索したところ、あり得ない場所から出てきました。母は認知症ですから、ここに来て色々なものを別の場所にしまってしまい、色々なものをなくしてきました。なので、包丁が別の場所にしまわれていても不思議ではありません。しかし、この7ヶ月の間、なぜかわかりませんが、包丁をしまう場所だけは間違った事はないのです。別の場所に入れていた包丁も、しまうときは必ずいつも使っている場所にしまっていました。あんなにいつものをしまえないのに、包丁だけはただの一度も間違えたことなどなかったのです。包丁は、もし見つかったとしても、間違えたにのねと言いのがれできる、ぎりぎり絶妙な場所に隠されていました。考えすぎだと思われるかもしれません。しかし、これまで母は認知症になってからも、なる前からも、母は自分のやりたいことを通そうとしてきました。その思いが今は最大級に膨れ上がっています。今までは、それが分かっているのは今まで私だけでした。しかし、今回はじめに駆けつけてくださった介護施設の職員さんと、ケアマネージャーさん、地域包括センターの方は、実際の場面に立ち会われ、母の危険性を理解できたのではと思います。この病気と立ち向かうのは、もう私一人では無理だという段階になりました。決して決して揺らがないよう、母を可愛そうだと思う気持ちを封印して、今日も過ごしていかねばです。苦しさは続きますが冷静になり対処していこうと思います。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月27日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。昨日も暑い一日でしたね。こちらは33.8度でした。昨日は夕方、花に水をやり終わって、ホースを巻いていると、突然夕立が降り始めてあせりました。あと数分水をあげるのを遅らせていれば…洗濯物を先に取り込んでいれば…軽いショック。昨夜も雨が降っていたようで、今朝はエアコンが必要ないほど涼しいです。マチルダ posted by (C)みえこ55(風邪をひいたので休みます)プランター植えのマチルダです。さて今朝も調子が悪いです。今回の風邪は頭痛からはじまって、喉の痛みと痰がからみ、咳が出る症状からはじまりました。今は少しだるいです。熱はまだないですが、悪化している感じかなと。だったら早く寝ろって話ですが。早く元気になってマチルダのお世話もしたいなあ。母の様子が激変したのは先週の日曜日、エアコンを16度のハイパワーにして寝てしまった日からでした。朝、なかなか起きてこないので見に行くと、部屋の温度が驚くほど寒くなっていました。母の様子を見るとすやすや寝ていたので、温度を上げて部屋を出ました。昼頃やっと起きてきたかと思ったら、おう吐しはじめて、だいぶ辛そうだったのですが、その後は大丈夫と言って、また寝てしまいました。五時間ほど寝たのでしょうか。母は起きてリビングで寝そべりながらテレビを見ていました。私はもう起きても大丈夫なのかと驚いて、大丈夫?と言ったら、「何が?」と言われました。吐いたことも具合が悪かったことも忘れていました。体調は確かに良くなったように見えましたが、何か様子がおかしいなと思いました。今までよりも更にぼんやりした感じになっていたのです。吐いたことも忘れているし、こりゃボケが進行したかな?と思い、私の名前は分かるか?と聞き、分かったので兄の名前を聞き、すんなり出てきました。次に、この家に他に誰が住んでいるか?と聞くと、長女の名前は言えたのですが、あとは?と聞くと、「さて?誰かしら」「男の子がいたっけか?」と考えて、とうとう名前までは言えなくなっていました。たった一日寝ていただけで、大好きな孫の名前までは忘れてしまうほどボケというものが進行するものなのか?と、とても驚きました。しかし、体調は良さそうだったのでひとまず安心したのですが、そこからの母の急展開ぶりには、何か異変が起きていることを感じ、日増しにその症状はエスカレートしていきました。あのときと同じだと、ここに来たばかりの、わがままばかり言い、意に沿わないと激高してばかりの母。とは言っても、月曜日から土曜日までは素直にデイサービスに行っていました。なので、あのときの一歩手前くらいかなと。ところが、日曜日の朝には興奮が更に高まって、全ての事が分かったので山形に帰りたいと言ってきました。自分は完全に治ってしまったと言うのです。今までは4ヵ所の施設に通い、その施設が全て同じ施設だと思っていて、帰ってきてからも、そこで何をしてきたかなどは、全く覚えていないほど、忘れるといい症状は大きく出ていました。ですから施設の名前も、毎回同じ人が迎えに来てくれていても、何も記憶をしていませんでした。ところが、日曜日には、全ての施設の名前を言えて、施設ではどうだったかを話し、全て分かったと言いました。昨日はお世話になったデイサービスに挨拶に行ったのですが、この事を話したら、そのような事もあるのですねと驚かれました。ぼんやりとした中で数ヵ月いたのですが、今ははっきりとわかり、母は大混乱してしまったようです。母が言うように全てが分かったと、確かにここ数ヵ月の間にあったことは、大方思い出してはいるのは間違いなさそうでした。ですからあのときの一歩手前状態からこれまでに経験したことがない、10歩先に進んだのではないか?という心配が先週いっぱいつづきました。私は今まで夫に一度も言ったことがなかったのですが、いつも週末だけ帰ってくる夫に、明日も仕事から帰ったら来てもらえないかと頼んだほど、大きな胸騒ぎを覚えていました。その杞憂は現実となり、母は大暴れをして病院に入院のすることになってしまいました。エアコンをつけさせてもらえなくて殺されそうになったとか、自分がやったミスだけは一切認めず、私が留守の間に親戚の家に電話をかけて私の悪口を言っていたり、驚いたことに、兄に葉書も出していました。それは、昨日分かったこことです。色々と悪口が書かれていたようですが、その中で、「朝御飯を食べさせてもらえない」「夜は素麺ばかり」と言うものがありました。それは事実に近いのですが、ここ最近、食欲がないようで私は昔から朝は食べないのよ。ここに来てから太ったしいらないわ。と言って、食べなくなってしまったのです。夜も自分から「暑くて素麺が食べたいわ」と、素麺くらいしか食べる気がしないと言っていました。これらの現象が何なのかはわかりませんが、今回の山形に帰りたいという願望の爆発につながったようです。母の気持ちもわからないでもありませんが、私はここで苦しくても、揺らぐことなく母の希望を叶えることはやめようと決めました。はじめは、母が可愛そうだと思うあまり、施設に行きたくないという希望を叶え、できるだけ好きなようにさせてあげようと思いました。しかし、母が今一番望んでいることは、ただ山形に帰ることではありません。母が今一番やりたいことは、今まで通り独り暮らしをすることで、その中には車を運転するということが含まれています。母を引き取った直後から、車に対する執念がものすごく強く、始めの頃によくその事で喧嘩になりました。住所変更をするついでに、免許証も返納しようと提案したときに、それだけはやめてくれと言われたのです。私もそこで、可愛そうだからと返納するのを保留しました。母が普通に暮らしているときは、毎日車を運転していました。連日高齢者の起こす事故のニュースを見ていたので、いつか誰かの命を奪うのではないか?その心配が大きくなっていました。誰かの命を守るために、一刻も早く何とかしなければと思っていたところで、母が認知症であることが分かって今に至ります。母の病気は、普通の認知症とはかなり違っています。病状が強く出ていないときは、普通のボケ老人で、自分で自分のことができるので、扱いがかなり楽な分類になってしまいます。しかし、病気が強く出ると、どんな手を使ってでも、目的を達成させようとします。多分、その事は普通の人や専門家でもわからないかもしれません。子供の頃から母を見てきて、この七ヶ月の様子を見たからこそ分かったことだからです。認知症と言えども、巧みに人をあやつることが出来ます。母は自分を可愛そうだと思ってくれる人を使って目的を達成させようとします。はじめは、私を使ってやろうとおもったけれど、もう騙せないことを悟ったのです。昨日デイサービスに挨拶に行ってわかったのですが、母はデイサービスのドライバーの車を止めさせ、お金を渡して葉書を出させていたのです。母は4ヶ所の施設のスタッフさんを認識できませんでしたが、唯一そのドライバーさんだけはなんとなく認識しており、「今日はあの優しいドライバーさんの日ね。」と言っていました。ドライバーさんはその事を私には言わないつもりだったようです。それほど、人を信用させる事が出来るということです。これから私がしなければならないことは、母の命を守る事だけでなく、関係のない人まで巻き込んでいかないようにすることではないかと思っています。お金を渡され、私に内緒事をさせられていたドライバーさんも、母の言うことを信じて母を可愛そうだと心配している親戚の叔母もある意味被害者です。恐らく事実を知ったときに後味の悪さを感じているに違いありません。母を引き取ってから、私以外の家族が母のために困ることがないように、出来るだけ私が全てをやっていくつもりでした。しかし、実際は母のことで色々な人に無理を頼んだり我慢をしてもらうことも多くなっていました。夫が仕事を休んでまで駆けつけてくるような事になってしまったうえ、今回はデイサービスや介護スタッフ以外の人にまで迷惑をかけてしまいました。迷惑のかけかたが、どんどん大きくなっていくのがわかります。母を迎えに来てくれた介護スタッフや私に襲いかかかっていく母を見たとき、これからは母が可愛そうだと思う気持ちを封印し、母を含めて周りにいる人たち全てを守らなければいけないと思いました。これは本当に今までになく大きな葛藤だなと感じています。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月26日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。昨日も暑い一日でしたね。こちらは36.7度でした。今日は曇り気味ではありましたが、やはり暑い一日でした。ウェルカムコーナーのお花 posted by (C)みえこ55玄関先のプランターのお花たちです。通りを歩く人たちから最も目に入る場所にあります。手前がコンペイトウという紫陽花、エキナセア、紫はラベンダーです。昨日の日記にも書いたばかりですが、おとといの母が入院した日、病院の駐車場を出ようと車に乗った瞬間、仕事が終わってこれから帰ると娘からラインが入りました。母を説得することに追われて、朝から小さなおにぎりを2個だけ口に放り込んだけだったので、息子は夜遅くなると言っていたし、何か美味しいものでも食べようと、その足で長女を駅に迎えに行き近所のレストランに行きました。それほど深刻な感じでなく、勤めて明るく報告したつもりでした。いつも明るく、どちらかというとクールな娘が、急に泣き出したので、かなり大きなショックを与えてしまった事に気づきました。その時、私は、ますますしっかりしなければと思いました。そう思うことがますます自分を追い込んでいるのかもしれません。夫の単身赴任生活が長いので、いつも多くを自分一人で抱える癖がついていて、なかなか、特に子供たちの前では弱音を吐けない自分がいます。次の朝である昨日は、朝一番に母のかかりつけ医に紹介状を取りに行き、その足で入院の手続きをしに行く予定でした。一昨日から、喉の痛みと頭痛、鼻水と咳が出始めていたので、診断書を取りに行くついでに自分も診察をしてもらうことにしました。診察室に入ると、いつもは寡黙な内科の先生が、お母さんが言ったことは病気が言わせているのだからね。と、とても優しく言って下さいました。その言葉に思わず全身の力が抜けて、先生の前で泣いてしまいました。何も私からは話はしていなかったのですが、おとといあった全ての事を、地域包括センターの方が報告して下さっていたようで、この後私がどうなるのか分かっていらしたのか、睡眠薬はいりますか?と聞いてくださいました。私は、母がいなくなったし、昨日はゆっくり眠れるだろうと思い、薬はいりませんと答えました。病院に行った後は、母の病院に書類と着替えなどを届けました。普段通りの生活をした方が気が紛れるだろうと思い、その足でジムでダンスのレッスンを受けてはみたものの、頭の中はおとといのことが離れませんでした。ジムがおわると病院に提出するための書類をもらいに市役所に行きました。三ヶ所の窓口を回り、必要な書類をもらい家に帰りました。昨日は、長女は休みを取り、夫の実家に行き、長男は帰りは遅くなると言うので、今日は一人でゆっくりしようと思っていました。すると、夫からお母さんは大丈夫か?とラインが入ったので、入院したことを伝えると、大丈夫だからいいと言ったのですが、単身赴任先から仕事の休みをとって飛んできてくれました。夫には心配をかけたくなかったので、週末に伝えればいいと思い、入院したことは伝えないでおこうと思っていました。これまでも、自分の母親のことで夫の手をわずらわせることはしたくなかったので、あまり事細かに夫に母の事を伝えていませんでした。今回の事をはじめ、この7ヶ月にあったことを話すと、これからは家族で問題を共有しようと言ってくれました。そして、今日は夫と二人で、これまでお世話になったデイサービス3ヶ所と、病院に搬送するのを手伝って下さった施設と地域包括センターの、合計5ヵ所の施設にお礼の挨拶に行きました。そして、最後はまた母の病院に昨日言われた書類を届けに行きました。合計6ヶ所の病院や施設を回りましたが、まだ2ヶ所、母の関係で世話になった所への挨拶が残っています。それはまた明日以降ですね。それにしても私自身の心のダメージが今回は大きすぎて、どうやって立ち直ればいいかなと思います。夜はなかなか寝付けなく、朝はからだの力が入らずに、呼吸も苦しく、動悸が激しくなって目が覚めました。それからは神経が高ぶって眠れませんでした。母がこちらに来たばかりの頃に同じような症状になりました。その時は血圧や血糖値、心電図等にも異常が出たので、今回は、そうならないよう、ゆっくりと静養するつもりです。最近疲れたという感覚が全くなかったのですが、今日はさすがに疲れたなという感覚があります。今日こそはゆっくり寝れるかな…すぐに元気になれる気もします。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月25日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。エキナセアとコンペイトウ posted by (C)みえこ55昨日は41度を越えたところもあったそうですね。こちらは39.3度でした。本当に暑かったですね。さて、昨日は突然一人で山形の自分の家に帰ると言い、荷物を持って家を出ようとする母と格闘の一日でした。家を出て歩いて駅に向かう母を追いかけたり、介護スタッフの方と連絡を取り合いながら母がいなくならないようについては歩き、外を走り回りました。 汗は流れ続け、一日で体重が1.5キロも減っていました。ジムで三時間運動しても100グラムも減らないのに。高校時代から今までの体重で一番少ない体重でした。朝7時半、母はすでに着替えて化粧もし、ゴールドのネックレスを二連もかけて、ソファーに座っていました。勝ち誇った顔で「今日これから帰ることにするわ」と言った後は何を言っても聞く様子はありませんでした。兄が迎えにくるまで待っていてほしいと頼んでも、ハイヤーを呼んで一人で帰ると言い、一人では帰るのは無理だと言っても、大丈夫出来るの一点張り。はじめ、急な依頼にも関わらず飛んできて下さった施設のスタッフの方2名と、ケアマネージャーさんとで一時的に施設に行くことを説得してもらいましたが、かたくなにこばんだ為に、最終的にはこの施設での受け入れは出来ないという判断がなされました。まずは話をしましょうと1時間、玄関で説得してもらい、やっと家に入らせてからも2時間リビングで説得が続きました。説得と言っても、話をしているのはほぼ母でした。私を含めて大人4人が3時間以上、話を聞いていました。介護スタッフの方達は、実に丁寧に、根気よく、母に寄り添って下さっていました。その姿には頭が下がるというか、大きな尊敬と感謝、あとはすがる思い、色々な感情が沸いてきました。しかし、かなり辛抱強く付き合っていただきましたが、強行に家を出ていこうとする母の制止をするのは、大人4人でもできませんでした。更に援軍5人が加わり、合計9人の人間で母を病院に連れていきました。午前11時に介護施設のスタッフとケアマネージャーさんがいらして、入院手続きが終わるまで八時間半。長い長い一日でした。ケアマネージャーさんは最後、私が病院を出るまで付き添って下さいました。地域包括センターの方も迅速に対応して下さり、はじめに来てくださった介護スタッフの方も、自分の施設では引き取れないと判断したあとも、母が安全に病院まで行けるように最後まで付き添って頂きました。本当に有り難いと思いました。やれやれ、家に帰ると8時半。急な入院だったので、母の必要なものを届ける必要があるので、色々と母の持ち物を準備していたのですが、母の寝室が静かすぎて、寂しいという気持ちが沸き上がってきました。その寂しさは一言では言い表せませんが、残念という気持ちも含まれていたと思います。母は何も分からないようで、実は何でも分かっていた所もあったようです。一見おかしな行動ばかりに見えたことも、理由があり、ちぐはぐながら、つじつまがあっていたようにも思います。本人もこの7ヶ月間頑張っていたのだと思います。辛かったのだろうなと思いました。そんなことを思いながら、母の支度をしているち、庭の水やりを忘れていたことに気づきました。真っ暗な庭で花に水をやりました。母はもうこの庭を見ることはないだろうと思います。2度とここには来ないと言って出ていきましたから。放心状態でいるところに、 息子が帰宅しました。するとまた家を出て行ったかと思ったら、戻ってきて私の寝室にゼリーと杏仁豆腐を買ってきて届けてくれました。元気を出してと言いながら…昨日のこの話はまだ息子にはしていません。長女に話したら泣かれました。明るく話したつもりだったのに、泣かれるとは思っていませんでした。自宅での介護は終わりましたが、介護はまだ終わっていないのだ。 さて、次は何をするのが先なのだろう? ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月24日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。昨日の最高気温は37.3度でした。さすがに35度台とは違いました。夜になっても窓から熱風が入って来るので、窓は開けられませんでした。1532300001216 posted by (C)みえこ55こちらは玄関先に咲いているエキナセアです。プランターで育てており、冬になると地上部は枯れてなくなりますが、春になるとまた葉が出てきます。管理はとても楽です。昨日は母はデイサービスが休みでした。朝、寝室から一階に降りると母は固定電話からどこかに電話をしていました。どこに電話をしていたのかとたずねると、書道の手本を取り寄せたと言いました。書道の手本は、以前同じ本を何冊も注文したり、注文しすぎて、何ヵ月分も購入してしまったりしていました。ここに来てから習字など一度もやろうとしなかったのに、急に何を思ったのやら。以前は固定電話からかけることはなかったのですが、固定電話から電話をかけることを覚えてしまったようです。昨日はもう一つ驚いたというか、ショックなことがありました。留守電が来ていることに気づいたので、聞いてみると、なんと、留守電から聞こえてきたのは、母の声でした。なぜそうなったのかは、私もわかりませんが、多分間違えて録音ボタンを押してしまったようで、母が私の留守中に親戚の家に電話をしたときの会話が録音されていました。話の内容は、エアコンを入れてくれないので熱中症になり死ぬところだった。娘に殺されるので迎えに来てほしい。もう自分はもう治ったので、今まで通り一人で暮らす。習字をまた教える。帰ったら車をまた買う。などとも言っていました。エアコンを入れなかったことなど一度もないし、むしろ、ちゃんと入っているか、温度は大丈夫か見に行っていたのに。設定温度を16度にしてしまい、体調を崩したことは、私がエアコンを使わせないために熱中症になったという話に置き換わっていました。また、車を処分したことは相当恨んでいるようでした。早く寝るように言われたこともストレスだったようです。最近はある程度は仕方がないと思い、また、口うるさく思われないようかなり気を配っていたのですけどね。母の為に良かれと思っていたことのほとんどは、迷惑だったようです。何しろ私と夫の悪口オンパレードでした。夫の悪口の内容も事実とは違っていましたし。自分の親にこんなに恨まれていたとは、かなりショックでした。ここで暮らしているほうが楽しいだろうと思っていたのに、私の見当違いだったわけです。空回りだったようです。自分ではしっかりやってきたつもりでも、こうなっちゃうのですね。母の言動は、認知症という病気のせいだとはとても思えなくて、今は心の整理がつけられません。認知症は家族にとって残酷すぎます。本人よりも周りがズタズタになっていきます。昨日は、母の言動に振り回され、夜も眠れぬまま朝を迎えました。今朝は重い気持ちでリビングに下りてくると、母はお気に入りの服に着替え、たくさんのアクセサリーを身につけて横になっていました。そして私に言ったのは「これから山形に帰るわ。」でした。ごきげんマックスです。そこからは、兄が迎えにくることになっている。家の水道管が壊れているから。など、色々と嘘八百を並べてみても、全く言うことを聞きません。ケアマネージャーさんに電話を入れましたが、9時にならないと出勤してこないと言われました。母は今日の夕方には山形に帰られると思っており、大喜びでトランクを開けたり閉めたりを繰り返しています。とりあえず、私は歯医者を予約しているので、それが終わったら駅まで送っていくからねということで、話を伸ばす濁す。ING話は続くです。さて、これからどうしましょう。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月23日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。こちらの最高気温は36.1度と、おとといより暑くなりました。今日は予報では37度になっていました。やはり暑い一日になりそうです。フランネルソウがやってきた posted by (C)みえこ55引っ越しをする前によく歩いていた散歩道で、毎年咲いていたフランネルソウ。毎年同じ公園で咲くので管理は簡単なのだろうと思って、昨年庭に植えたのですが、今年は咲きませんでした。がっかりしていたところで、垣根越しに隣の家に咲いているのが見えました。あれ?昨年まではなかったのに…と、たまたまその家の住人さんが出てきたので、フランネルソウを植えたのですね。綺麗ですねと言うと、半分あげるわ。と分けて下さいました。嬉しくて嬉しくて。お庭一等席に植えました。昨日はこんなに一生懸命にやって来たのに、母にもう二度とここには来ないわと言われ、母の言うことをそのまま信じこんだ、親戚にも母が可愛そう、なぜ山形に帰さないのだ?だなど色々な事を言われて、私も正直心穏やかではいられなくなりました。母が高揚の嵐に包まれている一方、私の心に中には、やるせない気持ちや、これからどうすればいいのか考えなければいけないことなど、違った嵐が吹き荒れてきました。風に揺れる西洋ニンジンボク posted by (C)みえこ55そうして、嵐の中、どこか静寂はないかとを探していると、ふと目に入ってきた西洋ニンジンボクの花。そよそよと風に揺れていました。すると、自分自身の中で、誰にも恥じることはないやり方で今までやってきた。母もはじめの頃よりも元気になった。杖をつかなければ歩けなかったのに、今は杖なし出歩ける。一人で暮らせるとまで母自身が思えるほど元気になった。私はいつも精一杯やっている。そんな思いが出てきはじめ、何を言われても、気にすることはないという結論に達しました。完璧とはいませんけど、やれることはやってきましたから。その辺は、記憶が戻った母もわかってくれているらしく、シーツが夏用に新しくしてくれたのね。洗ってくれたのね。洋服がずいぶん増えたわ。など、自分の世話をそれなりにやってもらえたことはわかっているようでした。そうそう!いつもおしゃれな母のために、デイサービスでみんなにセンスがいいと誉めてもらえるよう、素敵な服を買うのも私の仕事でしたよ。家族に大事にされて幸せなおばあちゃんに見えるよう、身なりをきちんとしなくちゃと、心がけていましたしね。幸せな最後だったと思えるよう頑張っていたのですよ。ところで、不思議というか、母が元気になりはじめて変わったことの一つに、とても暑がるようになったことがあります。元気だった頃の母はとても暑がりで、外から帰ると、エアコンを最強にして部屋を冷やしていました。山形に帰省したときなど、私が寒いんだけどと言うと、暑くてだめよ。とギンギンに部屋を寒くしていました。私もどちらかというと、暑がりなほうなので、その上を行く人がいるの?と、それくらい暑がりでした。今までこんな暑がりの人は見たことがないというほどでした。そんな母が、認知症になってここに来たときは、寒い寒いと言い、梅雨に入る頃まで電気毛布を使わないと寝られないと言うようになりました。暑くて窓を開けていると、寒いと言ってすぐに閉めてしまいますし。これはいったいどうなっているのか?と思っていましたが、数日前から、急に暑さに敏感になってしまったのです。はっきりとした変化があったのは、先日の日曜日の朝。設定温度を最低の16度のハイパワーにし、一晩中寝ていました。そのせいかわかりませんが、嘔吐して一日中寝て過ごし、その次の日は孫の名前も言えなくなったかと思うと、ショートステイはもう行きたくないと言い始め、リハビリの施設は気に入ったと変わり、その次の日は、デイサービスに行くのはもう嫌だ。山形に帰るとなりました。昼間も寝なくなりましたが、夜も遅くまで起きて、早朝も早くから起きています。昨日の朝は、これまでにないほど元気というか高揚した感じで、40分間、自分はもう治ったので山形に帰るのだとたたみかけて、それは、時には涙ながらに訴えてみたり、今度は自信たっぷりな笑顔でと、劇場型の母になっていました。デイサービスのお迎えのベルがなって、私もようやく母から解放されて、ほっとすることができたのですが、デイサービスから帰ってから、この調子で話をされ続けるのはとても憂鬱で、どうやって過ごそうか?気がつけばそのことばかりを一日中考えて過ごしていました。一緒にご飯を食べていても、色々言われるので、自分は先に食べておこうとか。母に食べさせたら、私は台所で片付けをして、風呂に入り、早めに寝室に行こうとか。いくら何か言われても腹を立てず母を怒らせないように、私自身が耐えられるのだろうか?と、そんな心配をしながら過ごしていました。と、そんなことを考えていると、珍しく夫が早く帰宅し、自分の好きな録画してあったテレビを観始めました。いつもは、私がテレビを観ていると、少しでも席を立ったらチャンネルを変えてしまいますが、夫にはそれをしません。母は夫のことが嫌いです。そのせいかわかりませんが、朝の勢いは全くなくなっており、ほぼ一言も話をせず、私達が寝室に上がった10時過ぎには寝ていました。なんだか拍子抜けです。夜中に、母の寝室の電気がついていたので消しに行くと、リビングのエアコンはつけっぱなしでした。それを消すと、奥の寝室からエアコンの温度は25度にしたわ。と母が言ってきました。昨日はものすごい形相で23度にしてと言っていたのですが。以前夜中にあちこちに電話をかけまくって携帯電話を取り上げてしまったときと同様、今回はエアコンの設定温度を16度にしてしまい、体調を崩したことでエアコンのリモコンを取り上げたことも、今回の母のイライラにつながったのかもしれません。あまりにしつこく言ってくるので、昨日はリモコンを渡しました。前回は人様に迷惑がかかることだったので、携帯は最後まで母には渡しませんでした。しかし、今回は母に根負けして渡してしまいました。夜中に大騒ぎをして、長女に文句を言い困らせたからです。今まで母のことは多目に見てくれていた長女も、さすがにげんなりしたようです。しかし、小さな駄々っ子のように、騒げば主張が通ると思われては困るなと思います。また、体調が悪くならないか、夜中に様子を見にかなければなりません。ほぼ寝なくなって、ハイになったのが、水曜日のデイサービスから帰ってから。それから昼も夜も寝なくなり、土曜朝にハイテンションがマックスになりました。いつまでこれが続くのか?と思っていたら、昨日はデイサービスに出掛ける直前の母と、帰って来たときの母とではまるで別人でした。さて、今日はデイサービスがお休みです。母のハイテンションが戻って来るのか?あるいは静かに何もしゃべらない母なのか?どうなるんだろう? ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月22日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。昨日も暑い一日でしたね。こちらの最高気温は35.2度でした。おとといが35.8度でしたので、多少は下がったようですが、その差は感じられませんでした。 夏のお庭で posted by (C)みえこ55西洋ニンジンボクのお花がとても綺麗です。大きくなると三メートルほどに成長するらしいですが、狭い場所に植えてしまったので、バサバサと思いきり剪定をし、小さく育てています。とても育てやすい木です。伸びすぎた枝を切る程度で、あとは何もしていません。枝も細いので簡単に切ることが出来ます。梅雨ごろ?梅雨前だったか、ずいぶん前から咲き始めて、花期が長いのも気に入っています。手作りの梅干し posted by (C)みえこ55庭の垂れ梅で、昨年初めて梅干しを作りました。ビギナーズラックというものでしょうか、とても美味しくできたので、今年も作ってみました。しかし、味は美味しかったのですが、日差しが強すぎたのか?硬くなってしまい、カリカリ梅とも言えない、中途半端に柔らかい仕上がりになってしまったようです。味は梅干しに間違いはないのですが。昔ながらの、塩辛い梅干しの味で、これはこれで美味しいかなと。塩分補給にもいいようで、ジムに行く前に、半分だけかじって出掛けています。さて、昨日は、母が気に入っていると言っていたデイサービスの日でした。喜んで帰ってくるのかと思ったら、昨日は少し様子が変でした。「今日はカラオケがあるところだったわ。」と言った後、他の利用者さんがいかに歌が下手だったかをくどくど言い始めました。おかしいな…前回行ったときは、急に元気になって帰ってきたというのに…嬉しそうではなかったのです。しかし、口数が極端に減っていた頃と比べると、ずいぶん様子が違っています。ぼんやりとした目をしながら、何をするでもなく、庭をただ見つめていたときの母の方が、誰が見ても認知症で、一見そのほうが、面倒をみるのは大変に思われるかもしれませんが、実際は活発になっている今の方が、はるかに大変です。文句や要求が多くなるからです。昨日ははデイサービスから帰るとポテトサラダを作りたいと、母がジャガイモをゆで始たので、マヨネーズを出そうと思ったら、マヨネーズがないことに気づきました。近所のスーパーに買いに行ってくるねと言い、母を残してスーパーに行き、さあ帰ろうと思ったときに、兄から携帯に電話がありました。母が私が家を出た後に、親戚の叔母に電話をかけたそうなのです。その内容は、もう自分は治ったので、山形に帰りたいので、兄に連絡をして迎えに来るよう兄に伝えてほしいと言ったそう。そこで叔母から兄経由で私に電話があったというわけです。エアコンが入っていないとも言ったようで(実際は入っている)、ずいぶん可愛そうな扱いを受けているようだと親戚の叔母は思ったようです。家にか帰ってから、叔母に確認の電話を入れたら、叔母も母はどこもおかしくない、可愛そうではないかと言われました。事情を話すも、そうは思わないの一点張りで、山形に返してあげればいいとも言われ、最後まで腑に落ちない様子でした。完全に私は悪者になってしまいました。はた?何が起きたのか?買い物から帰った母は私に何も言いませんでした。とりあえずふれないでおこうと、兄とも相談し、昨日はそっとしておくことにしました。昨日は母の心の中に色々な不満がうずまいているのだと思いました。今まで自由に生きてきた記憶だけが大きくなっているわけですから、その不満は想像できますけど。これからどうなるのやらと、緊張状態のまま朝を迎えました。今朝は起きてくると、昨日よりも更に母のテンションは上がり、ここに来るまでの思いや今の気持ちを語り続け、私は気持ちを逆立てないように気を付けながら、ただ傾聴し続けました。母が今言いたいことは、ただ一つ「自分の家に帰りたい」それだけです。自分はもうどこもおかしくはない。だから帰ることができる。それがなぜ大丈夫と言えるのか、必死に私に説明をしてくる様子は、狂気にも見えます。とりあえず、本人は極めてご機嫌で、ひたすら嬉しい様子だったので、その状況を見守るしかありませんでした。一刻も早く山形に帰りたい。そして帰ることが出来ると思っている母です。ここでそれは無理などと言えば荒れ狂うのは目に見えていますので。ひたすら話を聞いて、結局デイサービスの迎えが来るまでの40分間、機関銃のように喋り続け、多分もうすぐ山形に帰られるという喜びで、一杯になって笑顔でデイサービスに行きました。母の話を聞きながらおおよその母の心に何が起きているのかわかってきました。確かに、母が言うように記憶の機能が今でとは格段に良くなっているようです。しかし、一方的に自分の意思だけを通そうとしてくるところは、まさに前頭側頭型の認知症の症状だと思われます。今やりたいことを今やる、やろうとする。それを止めることがとても難しい状況です。山形に帰りたいのならば、私が帰宅してから私に言えばすむことを、わざわざ親戚の家に電話をかけて成し遂げようとする。冷静な人のすることではないです。夜中にあちこちに電話をかけまくって以来、携帯電話は使わせていなかったにですが、固定電話から親戚に電話をかけたというのも、強い意思の現れです。執念がものすごく感じられて、怖くなるほどです。ありゃりゃ、これからどうなるか?また、以前のような恍惚になるのか?このままハイテンションが続くのか?先日までは、嵐の予感だったのですが、予想は的中。嵐が来ました。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月21日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。昨日も暑かったですね。最高気温は35.8度でした。昔は32度もある日が続くと、これは暑い夏だと思ったものでしたが、今は32度は涼しくなったと思うようになってしまいました。昨日は京都で39度を越えたそうで、過去最、高気温とのこと。京都は盆地で暑いイメージがありましたので、39度が過去最高と聞き、意外でした。山形でも40度を越えた事がありましたからね。しばらくは最高気温の記録を保持していましたけど、熊谷に抜かれ、高知、おとといは岐阜に抜かれ、現在4位です。今年のブルーサルビア posted by (C)みえこ55ほぼ毎年買ってきて植えているブルーサルビアです。春の花が一通り先終わった頃に園芸店に行くとあります。大概、梅雨前に売られていて、梅雨の長雨で傷んでしまうことも多かったのですが、今年は雨が少なかったので、生育がとてもいいようです。ブルーサルビアは一年草だとばかり思っていましたが、昨年植えっぱなしにしていたものも咲き始めています。園芸店では梅雨前に売られていますが、年を越して咲いたものは、今ごろようやく咲こうとしています。もしかして、ブルーサルビアって、本来は夏以降に咲かせる方がいいのでは?と思いました。梅雨を乗り越えるのがとても大変だからです。いつ撮るの? posted by (C)みえこ55グラジオラスの写真を撮るタイミングが難しいです。こちらは咲き始めたばかりの頃に撮りました。上まで咲いて、満開になったら撮ろうっと♪と思っていましたが、今日見たら、一番下の花はしおれていました。ガーン!って感じ…今日もいなかった posted by (C)みえこ55前にも書いたように、蝶を呼ぶために植えたブットレア、毎日、何度も見ているのですが、やっぱり蝶はいませんでした。笑っちゃいますよね。私は笑っちゃいます。いなーい!って言いながら…昨日も、母はデイサービスから帰ってくるなり、「今日の所ダメだわ。良くないわ。」と、少し興奮ぎみに話し始めました。今までは、どこに行ってもよく分からなかったのが、違いが分かるようになって、嬉しかったので、私に報告をしたかったのでしょうか。真意はよくわかりませんが…でも、文句を聞かされるのは、あまりいい気分ではありませんでした。なぜなら、はじめに見学に行ったときには気に入ったと言っていたし、通い初めてからも、お風呂に入れてくれたり、至れり尽くせりでいいと言っていた施設だったからです。反対に、おととい気に入ったと言っていた施設は、お風呂に入れてくれないから、はじめは断ってと言っていたのに、今は風呂は家でも入れるからいいわと、180度言うことが変わっています。とりあえず、母の言うことを軽く受け流し、私はその場から離れることにしました。昔からそうだったのですが、母は言う事がコロコロと変わり、それにまともに付き合っていると、振り回される事が多々ありました。ただ、一緒に住んでいなかったことや、この間はこういってたじゃない!なんて、強い口調で言っても、以前だったら、あらそうだった?などと、喧嘩になることはありませんでしたので、私自身は、さほど大きな問題とは思っていませんでした。しかし、今は以前のような言い方は出来なくなりました。非常に気を使います。母の所からさりげなく席を外したのは正解でしたその後はまた、いつもの静かな母に戻りつつありました。変に話を聞き入らない方が、この場合は良いようです。話に耳を傾ければ傾けるほど、文句はヒートアップしていくからです。いつもはデイサービスから帰ると、ほぼ寝たきり状態になるのですが、おとといからは、少しハイになって帰宅し、横になることもなく、12時を過ぎても起きて活動をしていたようです。朝もずいぶん早くから起きていましたし。昨日も同じでした。よく寝れるなというほど、寝て過ごす日々もあるのに、今は睡眠時間がかなり少なくなっていて、何時に寝て何時に起きたか、正確にはわかりませんが、4~5時間になっています。しかしながら、それ以外では今のところは特に問題は無さそうで、対応を間違えなければ、機嫌よく過ごせるのかなと、そんな感じです。ところで、認知症はじめうつ病などの問題を解決する鍵として、脳内ホルモンが大きく関係していると言われています。皆さんも聞いたことがあると思いますが、たくさんありますが、代表的なものとして、セロトニン、ドーパミン、オキシトシンなどがあります。この三つのホルモンは愛情を司っているとも言われます。幸福感や、やる気などに大きく関わっています。ドーパミンの働きが悪いと、脳が暴走しはじめ、例えばアルコール依存やギャンブル依存など、依存して、自分をコントロールできなくなります。なんとなく母を見ていると、その傾向があるのではないかと思う時があります。アルコールやギャンブルはやりませんけど、ある行動をやめられなくなるということが、しばし見受けられたからです。ある行動とは、いくつかありますが、夜中も、延々と洋服を選び続けるとかです。それ以外にも、脳は複雑に働き、人をコントロールしています。それらの働きを活性化させていくことがとても大事らしいです。活性化させる方法は色々ありますが、基本は健康管理と一緒で、適切な睡眠や食事、運動などです。それと、意識しなければならないと思うのは、脳の働きがどうなっているか理解して、ピンポイントで鍛えて行く事を意識することではないかということです。筋肉を鍛える方法も同じなのですが、例えば右の太ももだけを鍛えてもダメなように、からだ全体にある筋肉をまんべんなく鍛えつつ、それらがうまく連動するように、鍛えて行くことが大事だと思います。筋肉は見てくれだけを重視して鍛えても、実際スポーツをやらせても、全く使えないという事があります。使えない筋肉などとも言われています。脳も使える脳も鍛えていかなければならないのではと思います。ということで、脳を意識した生活をしていかねばと思う今日この頃です。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月20日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。昨日は岐阜では40度を越えたそうですね。こちらの最高気温は36.5度でした。いつもよりエアコンの設定温度を下げて寝ました。24.5度と寒いかなと思いましたが、丁度良く、朝までぐっすり眠れました。私はタオルケットがあまり好きではないので、夏も羽毛布団で寝ています。暑いときは半分だけかけるとか、お腹だけとか。すると、昨日たまたま見ていたテレビで、睡眠や疲労回復について研究されている梶本先生も、羽毛布団で寝ることを推奨されていました。理由のところはよく聞いていなかったので忘れましたが、経験的に羽毛の方が快適なので、なるほどという感じです。エアコンをタイマーにしないで朝までつけっぱなしにするようになったのは、今年からなのですが、これも正解とのこと。猛暑が続いていますが、昨年までは夏バテをして、なかなか疲れが取れなかったものが、今年は全然違います。それからもう一つ気を付けていることがあります。それは、部屋に入ってくる光の量です。夏は日の出が早いので、四時くらいから外が明るくなります。なので、いつもの年だと朝早く目覚めてしまい、日中睡魔に襲われていました。しかし、今年はカーテンを厚くし、隙間から漏れる日差しも、ほんの少し程度に調整しています。これにより、早朝に目覚めることがなくなり、睡眠時間をいつもの夏よりも多くとれるようになりました。お陰で、日中の睡魔は全くなくなりました。静かに咲いています posted by (C)みえこ55さて、薔薇通りと言われる通りに越してきて、ご近所さんが切った薔薇を下さるので、挿し木にして育てはじめました。その薔薇が少しずつ開花し初めています。まだ一つとか二つとか、ぽつりぽつりと咲く程度なのですが、それがまた何とも言えない嬉しさを運んでくれます。これから、どんな風に育っていくのかな?嬉しさの次は楽しみになります。夏のクレマチス posted by (C)みえこ55春に咲いて、一度終わったクレマチスがまた咲き始めています。春に比べると少し勢いがないです。あと二種類咲いているのですが、暑さに負けて撮りに行けませんでした。庭の水やりと、野菜の収穫、雑草とりまでやって退散しました。引っ越しをしたグラジオラス posted by (C)みえこ55庭のグラジオラスが見頃になりました。3年前に初めて庭に植えたのですが、背丈が高くなるお花なので、庭の後方に植えました。ところが、部屋からあまり見えなかったので、今年から庭のメイン花壇に移しました。引っ越し前のグラジオラス posted by (C)みえこ55グラジオラスが咲く今は、あまり花がないので、庭の中で存在感が際立って、移して正解でした。来年は、移し変えていない球根を移すとしましょう。昨日はデイサービスをどう選んだかについて書きました。昨日まではどこも同じと言い、デイサービスは3ヶ所、ショートステイは1ヶ所を利用していましたが,母が言うには、「全部同じ施設に行っていると思っている」と言い、一日何をしたのかも記憶がないと言っていました。ところが、昨日はデイサービスから帰るなり、「今日のところはとても気に入ったから、昨日の所は断ってほしい」と言いはじめました。さて、困りました。気に入らないと言ったの所は、デイサービスではなくショートステイなのです。実はデイサービスは見学をして、母が良いと言ったところに決めたのですが、ショートステイはケアマネージャーさんに紹介していただいた所をお願いしました。見学せず決めてしまったのです。はじめに紹介されたところは、入浴をさせてくれないから嫌だと言い、今のところに変えたばかり。今度の所は食事がまずいし、何もさせてくれないと言います。ショートステイの場合基本的には、ただ泊まるだけで何かさせてくれるところは少ないと聞きます。ホテルを予約するように、電話一本で変えることが出来ればいいのですが、新たな施設にするとなると、また施設の方と、ケアマネージャーさんを家に招き、説明を受けて、何枚も契約書を書かなければならなくなります。とりあえず、もう少しだけ今の施設に慣れるまで様子を見ながら、別の施設を新たに探すかケアマネージャーさんに相談して検討しようと思います。母はなぜか、少しだけ記憶の回路がつながりはじめたようで、4ヶ所の施設の名前を言えるようになっていました。そして、全てではないのですが、それぞれの施設の違いもわかって、ここはこんな部屋だったなど、詳細を語りはじめています。今まで、全ての経験を忘れていたかに思えたのですが、どこかに記憶の引き出しがあったようで、そこから今は引き出そう引き出そうとしているかのようでした。昨日デイサービスから帰ってからの母は、口おかず喋り続け、聞いている方も参ってしまうほどで、かなり興奮しているようにも見えました。今までの経験からすると、いつもは静かでほとんど話をしない母なので、元気になって会話もするようになり良かったなと思っていると、ご機嫌だったのに、どこかでスイッチが入れ替わり、攻撃的なモードになることが多かったです。そのスイッチが入るきっかけは、よくわかりませんが、テレビを見ていてネガティブなニュースを見たときや、気に入らない情報、例えば美味しくなさそうな料理が出てきたときです。美味しくなさそうな料理とは、カフェや今時の流行りのお店の、斬新でおしゃれな料理などの時です。自分の概念にない料理を見たとき、私にもありますが、味の想像がつかなくて、これは食べなくていいやと思うのと同じ感覚だと思われますが、その後の反応がなんと言いますか、ボロクソ言い始めるという流れになり、そこから文句の羅列になっていくパターンになります。こんなもの不味いに決まっているわとか、高すぎる。など、私たちもよくそんな会話をすることがありますが、健康な人と違うのはそこからの頭の切り替えです。普通はそこで怒りのスイッチは終わるのですが、母の場合はどんどんヒートアップしていくのです。前頭葉の働きが老化すると頭の切り替えがしにくくなるといいますが、その現象を目の当たりにすることになります。また、色々な要求も多くなり、あれを買ってきて、あそこに連れていってと、行動的になります。そして夜も寝なくなり、朝も早くから起きているようになります。そんな時に決まって言い出すのが、「カキフライを食べに行きたいわ」ということです。ここに来たばかりの頃、いくら連れていっても、次に日にはまたカキフライを食べたいと言い、困ってしまったことがありましたので、私にとっては、カキフライを食べたいと言われることが恐怖です。今までの例でいうと、この後に大抵色々な文句や要求が多くなり、それが叶わないと、かんしゃくを起こす事が多かったです。ですから、私にとっては最も緊張が強いられる事になります。この緊張が続くと、ぐったりしてしまいます。とりあえず、昨日はカキフライを食べたいの答えは、分かったとだけ答えておきました。長女にも言っていたそうですが、長女の答えは、「夏だからないんじゃなーい?」だそうでした。ゆるい感じです。一日で母の様子ががらりと変わってしまいました。元気で活発になることはとてもうれしい事なのですが、そこからズドーンと下がって行く事が多いです。よくわかりませんが、躁鬱のような感じなのか。今までは振り回されることが多くなり、しばらく気が抜けないですが、元気になった母を見守るとしましょう。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月19日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。昨日も暑い一日でしたね。こちらの最高気温は35.7でした。今朝も、朝から見渡す限りの青空で、暑い一日になりそうです。ガーデニングは水やりだけでおしまいです。カラッカラに乾いた庭の水やりで、今回の水道代は、いつもより6000円ほど高かったです。あんずジャム 3 posted by (C)みえこ55昨日は頼まれたあんずの写真を沢山アップしました。選んでいただきどうも有難うございました。フォト蔵でも選んでいただき、一番人気はこの写真(4番)でした。空夢zone さんとみなみたっちさん、昼顔desuさんも選んで下さいましたね。フォト蔵では8票入りました。こちらでの票を足すと11票入りました。これもいいですね。などコメントは他に入りましたが、これに一票と書かれたものが8票です。コメントを含めると10票入り、こちらの票を足して13票入りました。花に囲まれて posted by (C)みえこ55こちらはフォト蔵で5票、みなみたっちさんも選んで下さり6票を獲得。「これもいいですね。」などのコメントも含むと9票入ったことになります。あんずジャム投票結果 posted by (C)みえこ55今日のこの写真はエントリーしていないもので、これまでの投票結果から見ても入らなかったのでは?と思います。が、まあまあいいかなと思ったものです。何枚か連続して見てみると、ときめくものとそうでないものが、はっきりわかって面白かったです。皆さん、ご参加頂きどうも有難うございました。結果は依頼主にも伝えようと思います。いい仕事してくれました posted by (C)みえこ55この紫陽花は、その時に背景に使っていた紫陽花です。もう終わりかけて、ピンクや紫だったものが色が抜け初めて、緑色になっていました。ダンスパーティーという紫陽花です。剪定して捨ててしまおうかと思っていたのですが、切ってみると、これはこれで綺麗だなと思い、部屋に飾っていたのでした。ジャムの作った季節感も出せて、なかなかいい仕事をしてくれたなと思います。一瞬の切り取りを作る posted by (C)みえこ55カサブランカの球根を買ってきて、さてどこに植えたらいいかな?大きく育つので庭の後方に植えました。部屋から見ると、庭の片隅になってしまい、ちょっと可愛そうな場所だったかな?と思っていたら、隣の奥様が、カサブランカがとても綺麗ねと、道路から見たアングルのカサブランカを指差して言いました。なるほど、家の横の一メートルほどの通路から、ちょうどカサブランカが見えていました。道行く人が、一瞬、一秒、横を向けば見られる光景。ここをこれから作っていこうと思いました。このときはカサブランカだけが咲いていますが、その後の、紫色のブットレア、手前の低い場所には白いソープワートが加わりました。さて、デイサービスやショートステイは、今、本当に沢山あって、私の母4ヶ所利用しています。ここが嫌だと言われたときのためにはじめに3ヶ所を選びました。一つ目は、こじんまりしてアットホームな施設で、ある程度融通が聞くところ。二つ目は、土日祭日でも利用できるところ。三つ目は、機能回復のリハビリをしっかりやってくれるところです。内容や雰囲気も重要ですが、あづかってくれる時間の長さもけっこう重要です。例えば帰の時間が4時45分と5時とでは、たった15分の差ですが、出掛けたときのプレッシャーはだいぶ違います。また、お迎えに来てくれる時間も、9時のところと8時20分の所があります。銀行や歯医者などに行きたいとき、早くお迎えが来てくれる日を選び、その後の用事を足しに行けますが、遅いとその後のスケジュールが組みにくくなります。ジムで同じく介護をする友人は、いつも汗まみれのまま、慌てて帰宅していきます。ゆったりお風呂に入って帰る時間がない彼女を見ていると、大変だなあと思います。彼女がみているのは義理のお母様で、認知症がない方なので、簡単に施設を変えられないのだと言います。私の母ぼ場合は、結果ですけど、どこも同じで、どこに行っても記憶がなくなるので、施設を変えても問題はありませんでした。しかし、いくつか選んでみて良かったなと思います。見学に行き、説明を受け、契約までの行程は大変でしたけどね。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月18日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。昨日は各地で猛暑日で、岐阜では39渡の所もあったそうですね。 こちらは最高気温は34.1度でした。それでも相当暑かったですけど。 今朝も9時の段階で31.3度もあります。厳しい暑さが続きます。 1番ギリギリセーフのジャム posted by (C)みえこ55先日も書きましたが、若手農家の支援をするあんずプロジェクトに参加しています。ジャムにして写真を撮ってもらえないかと依頼されたので、何枚か撮ってみました。あんずジャムを作るのは初めてだったので、うまく出来るかどうかとても心配でした。とりあえず味はどうあれ見た目が大事と、あんずジャムの出来上がりの色が気になりました。2番あんずジャム 1 posted by (C)みえこ55ここからも、先日も書きましたが、お読みでない方もいると思い。あんずを常温で何日か置いて、いい色合いになったところで鍋に入れて、コトコトと丁寧に煮はじめました。と、その段階で母の月一回のケアマネージャーさんの訪問があり、火を止めて話を伺う事に。ケアマネージャーさんが帰って、続きをやろうと思って鍋の蓋を開けてびっくり!ジャムが煮込まれて黒焦げになっているではありませんか!ケアマネージャーさんの話を途中で聞いているのが嫌になった母が、台所に行き、煮込んでしまっていたのでした。鉄製の高かった鍋もダメになっていました。IHの火加減を最大にして煮込んでしまったようです。これはだめだな、写真はどうしようと愕然としましたが、とりあえず、焦げた部分を丁寧に取り除いてみることに。本来はもう少し明るめに仕上がるはずだっジャムの色は、少し黒っぽくなってしまいました。しかし、編集機能を使って何とか明るさを補正してみると、何とか美味しそうな色になりました。ほっとしました。3番あんずジャム 2 posted by (C)みえこ554番あんずジャム 3 posted by (C)みえこ55 5番あっちから posted by (C)みえこ55あっちから撮ってみたり、こっちから撮ってみたり…6番こっちから posted by (C)みえこ557番花に囲まれて posted by (C)みえこ55色々撮りすぎて、自分でもどれがいいのかわからなくなってきました。皆さんはどれがお好きでしょう?こうして、ジャムを作り、写真を撮って編集作業するようにまでは良かったのですが、さて、タブレットに入っている写真をどうやって送ればいいのでしょう?電気やさんでタブレットとパソコンにつなげられるUSBを買ってきて、家でやってみましたが、出来ませんでした。タブレットを買ったauの店員さんに聞きに行ってもわかりませんでした。そこでまた電気やさんに行き、もう一度やり方を聞いて、何とかUSBに入れることが出来ました。 そのやり方はかなり複雑で面倒でした。昨日はauと電気やさんを行ったり来たり、パソコンの作業で終わりました。やっと依頼されていた仕事がひとつ終わってほっとしました。ジャムを撮るという仕事は、ジャムを煮て、可愛くラッピングし、背景を作り、いい日差しの日を見計らって撮って、写真を編集し、パソコンへ取り込み、と、数日要しましが、けっこうこの仕事は嫌いじゃないかもと思いました。昨日は、母はショートステイでした。前日に体調を崩したので行けないかもしれないと思っていましたが、昨日は施設からの連絡もなく、元気に過ごしているようでほっとしていました。 ところが、今朝になって施設から電話がありました。 やっぱり具合が悪くなったのかと思ったら、 いつもの血圧の薬の数がひとつ足りないとの問合せでした。ドキッとしますね。 そうそう、血圧が下がり気味だったため、最近になり薬が変わったのでした。 一包化されていたので、薬の数が減っていたことに気づきませんでした。 昨日は、皆さんから色々アドバイスを頂きどうも有難うございました。母の部屋の室温管理など、もっと気を配らねばと思いました。私たちの事を忘れて、会話もままならなくなることは、母を引き取った時から覚悟はしていて、色々な経験者からの話を伺うと、それがすごくショックな事らしいですが、実際に言われてみるまでそのショックは、まだ想像が出来ません。今のところ、はじめの頃の衝撃が大きすぎたので、それよりは小さいのでは?と予想していますがどうなのでしょうね。介護というのは、やってみないとわからないものだなと思いました。この先何があるのかもわからないし、その時に自分がどう感じるかもわかりません。変な話ですが、最近はどうなるの?どうするの?楽しみまではいきませんけど、それと似たような感覚になってきているような感じもしています。どうしようかなと、いつもすごく困っているのに、変ですよね。よくわかりませんが、何かを乗り越えていく手応えを感じているからなのかもしれません。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月17日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。あんずプロジェクトの関わり方 posted by (C)みえこ55仕事先の先輩が、今年から若手の農家さんを支援するために、あんずプロジェクトなる事業を立ち上げました。私も賛同し、微力ながら何かお手伝いをできればと思っていましたが、とりあえず定期的に購入することがお手伝いになるのかなと思っていましたところ、写真を撮ってほしいと依頼がありました。さて、気に入っていただける写真が撮れるかな…美味しいあんずの写真 posted by (C)みえこ55あんずにはあまり馴染みがなかったために、どんな風に撮ればいいのかわかりませんでしたが、とりあえず何枚か試しに撮りました。あんずが届いてから、すぐに撮ったので、まだあんずの色が黄色みがかって、光が強すぎた関係もあり、あんずらしい色が出せなかったので、私的には失敗です。何日か常温で置いてから撮ればよかったなと思います。毎日エキナセア posted by (C)みえこ55このところ毎日エキナセアでスミマセン…私は毎日必ず今日はどうかな?と見ているのですが。昨日と比べて大きく変わるわけでもないのに、でも、少しずつ何かが違っている、それを見つけるのが癖というか、常になっています。さて、昨日は焦りました。母の体調が悪くなってしまったからです。なかなか起きてこないと思って見に行ったら、すやすやと寝ていたので、疲れているのかなと思ったのですが、その前に、部屋の温度が低すぎることに驚きました。見ると、設定温度が16度で、ハイパワーになっていました。温度を落として、部屋を出て、一寝入りした母がやっと起きてきたかと思ったら、台所で吐きはじめて、ずいぶん辛そうでした。その後母を寝せて、経口補水液やゼリーなどを買いに近所のドラッグストアに走りました。気がつくと、夕方まで寝ていた母がリビングで寝そべりながらテレビを見ていたので、「大丈夫?」と聞いたところ「何が?」と言われました。吐いたことも何もかも忘れていたのでした。熱もなく、お粥も食べられるようになり、笑顔も見られたので、まずは一安心という感じにはなりました。しかし、表情を見ると目つきがいつもと少し違っていて、ぼやっとした感じの顔つきになっていました。今朝も、元気は元気なのですが、おとといまでの母の顔つきとは違っています。やはり体調が悪いのかな?と思っていると、母は、「なんだかわけがわからないのよ。私はなぜここに来たのかしら?」と、半年前にここに来た頃によく言っていたことを聞いてきました。簡単に状況を説明したら、困ったわと困惑していたので、私は、何も困る必要はないよと言いました。何も問題はないから心配はしなくて大丈夫と念を押しました。デイサービスにさえ行っていればいいんだよ。ここにいると色々危ないこともあるからね。と言うと、「そうデイサービスに行っていればいいのね。」と安心した様子でした。一日寝ていただけで、脳に何か変化が起きたのでしょうかね。家族の名前が分かるか?と聞いてみたら、私、山形の兄、私の娘の名前までは言えたのですが、もう一人いるよと聞いてもすんなりとは出てきませんでした。しばらく考えて、「男の子がいたね。」と言ったきり、とうとう名前は出てきませんでした。ありゃりゃ。一番母に優しい息子の名前が出てこないとは!しかし、これまでの経験で言うと、母自身が、自分が何か変だと訴えて来るときのほうが、まだましで、「こうだからこうだよ。」と、簡潔に説明すれば、穏やかに事がすすみます。ところが、「自分はどこもおかしくはない」と言いはじめた時のほうが、その後の扱いにはかなり気を付けなければならなくなります。いやはや、すぐに元気になったので良かったですが、これからは、こんな母の体調の急変があるという事を念頭に入れて、予定を立てていかなければと思いました。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月16日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。昨日も各地で猛暑を記録していましたね。こちらは最高気温は35.5度を記録しておりました。3人で見た夕焼け posted by (C)みえこ55おとといの夕方台所に立っていると、息子が空が綺麗だよと言ったので、スマホを持って外に出ました。写真を撮って家に戻ると同時に、帰宅途中だった娘から空を見てとラインが入りました。「見たよ」と、この写真を返信しました。久しぶりにこんな綺麗な空を見たなと思いました。日向のエキナセア posted by (C)みえこ553年前に数種類のエキナセアを庭に植えたのですが、このエキナセアが一番大きく育っています。日当たりが良いからだと思います。エキナセアコレクション posted by (C)みえこ55濃いピンクもあれば、薄いピンクもあり、濃いオレンジや薄いオレンジ、白などもあり、花の形も幾つかあって楽しいです。庭に中でもやや時辺りの悪い場所のエキナセアは、やはり元気がないです。こちらの写真のエキナセアは比較的日当たりがいい場所のエキナセアです。マチルダの居場所 posted by (C)みえこ55薔薇を綺麗に咲かせるのはとても大変です。管理が比較的楽なものもありますが、多くは手がかかります。このマチルダは四季咲きで、よく花が咲きますが、葉っぱが病気になりやすく、こまめに手入れが必要です。また、花びらもすぐに散らばってしまうので、よく咲く分だけ、こまめに花柄を剪定しなければなりません。豆な人でないと育てるのは大変かもしれません。我が家の場合、鉢植えで育てており、大きくはしていないため、まだ何とか管理出来ていますが、それでもちょっと目を離すと、状態が悪化してしまいます。なので、鉢植えを置いている場所は、至近距離で目に入らない、粗が目立たない場所にしています。しかし、粗が目立つため、必死に管理する場所のほうがいいのかな?悩みます。昨日、ジムで二人のご婦人の会話が面白かったです。ボランティアで老人ホームで楽器の演奏をしてきたというAさんが、ジムのフラダンスで元気にダンスをしているBさんを見て、老人ホームの老人とは全然違って見えたとBさんに言ったのです。ぼんやりとしてはきのない老人ホームの老人と、生き生きと優雅にフラダンスを踊るBさんとのギャップに、きっと驚き、誉め言葉のつもりで話をされたのでしょう。ところが、誉められたBさんにしてみると、誉められて嬉しい反面、老人ホームの老人と比較されたのは心外でもあったららしく、比べないでほしいわと、冗談混じりに口を尖らせていましたが、その表情からは、本音だったのではとも思いました。女心は複雑ですね。誉め言葉も選ばねばと思いました。 確かに、私も毎日ぼんやりと、恍惚の人になってしまった母を見て、ジムに行くと、生き生きと体を動かしている年配の方たちを見ると、とても眩しく見えますので、Aさんが感じたことはよくわかります。そして、昨年までは、母もこんな目をしていたのになと思います。それだけに、明日はわが身と思うようになりました。母が来るまでは、認知症とは、どこかで対岸の火事とでもいうのでしょうか、全くの他人事で、自分には関係がないくらいに思っていたかもしれません。デイサービスの車が、道に出れば必ず走っているけれど、それにたいして、何の思いも抱くことなく、目の前を通りすぎる、景色のような感覚でした。今は、どんな人が乗っていて、どんなスタッフの方が働いているのかな、と、何かその先にある人たちの姿がが見えてくるようになったから不思議です。さて、母の様子は特に変わりはありません。デイサービスから帰ってくると、リビングに横たわり、ほとんどの時間を寝て過ごします。健康な人も、リビングなどでゴロゴロすることはありますが、起きて脊柱を起立させている時間を長く保てるかということが、生きていく上でとても大切なことなのだと、母を見ていて気づかされます。母の場合は、ほんの少しの間でも楽な姿勢になってしまうのです。それは、できないからというわけではなく、そのほうが楽であるからそうするのです。はじめは、できないからそうしているのだと思っていましたが、初めて病院に連れていった時、日中かなり長い時間、起きていられるということがわかりました。母に、なぜそんなに寝てばかりいるのか?と聞いたことがあります。すると、返ってきた答えが「楽だからよ」だったのです。もはや、、本能でしか動かなくなってしまっている母は、理性で、健康を保つことを意識して生活することは難しいです。健康である私たちは、無意識の行動の中に、「楽だからよ。」という気持ちで行っていて、 それが健康を害することに繋がっていないかを、意識する必要があると思います。楽をしたり、人生を楽しむことは決して悪いことではありませんが、その行動が自分のからだにどう影響するのかは、よく考えたほうがいいと、私は思います。私は介護を通じて、人の一生というものをより深く考えるようになりました。 今ある健康を大切にしていかなければと思います。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月15日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。今朝も朝から晴れ渡っています。暑い一日になりそうです。昨日は水道代の領収書が届いていました。いつもより五千円程高くなっていました。例年に比べてもだいぶ高いです。雨が少なかったですからね。雨がお金に見えてきました。昨日は大きなゴーヤ一本ときゅうりが二本、ミニトマトが10個ほど収穫出来ました。ゴーヤはチャンプルにして頂きました。とても美味しかったです。あんずプロジェクト posted by (C)みえこ55梅雨が明けるちょっと前、長野からあんずが届きました。知り合いが若手の農家を支援する事業を始めたからです。私も賛同し、これからあんずを応援することにしました。これから毎年この季節になると長野からあんずが届くのです。来年が待ち遠しいなあ。ジャム用と書かれていたのですが、近所のスーパーで売られているものよりも、はるかに立派で、ジャムにしてしまうのはもったいなくなり、半分以上はそのまま食べてしまいました。なので、ジャム用は少しになってしまいました。あんずのほどよい甘さと酸味は、ジメジメした梅雨に食べると、スッキリしてくるから不思議です。梅雨の疲れを吹き飛ばす効果があるのかな。湿度が高い日、無性に食べたくなりました。あんずってすごいなと思いました。ギボウシの隠れた魅力 posted by (C)みえこ55ギボウシは以前住んでいた家の近所の散歩コースに咲いていました。毎年梅雨の時期になると咲いていて、写真に撮ろうと思うのですが、雨で散歩に行けなかったり、次に見たときは元気がなくなっていたり、晴れた日に撮ったら白ボケしていたりと、そのうちすっかり私の被写体のターゲットから外されていた花です。縁あって、ご近所の方から頂いた時は、さほど好きではない花だけど、まあ育ててみるか…などと失礼な気持ちで頂いたのですが、家の片隅に植えてみたところ、葉っぱの美しさがコーナーを明るく彩ってくれて、なんとまあ美しいのでしょう!とギボウシを見直しました。アガパンサスと並べて植えたのですが、花が咲いている間は、アガパンサスの存在感が際立ちますが、花が終わればギボウシだけが際立ちます。葉っぱがとても美しいのです。この写真の段階ではまだ背景の一部という感じですけど。日陰でも元気なギボウシ。大好きになりました。最後のダンスパーティー posted by (C)みえこ55沢山あるなかで、一番最後まで咲いていたのが、このダンスパーティーでした。今は切り花にして部屋に飾っています。ピンクが紫になりやがて最後は緑色になりました。毎日表情を変えてくるので、本当に楽しい紫陽花でした。一昨日は、母がショートステイに行って、時間を気にすることのない一日を過ごす予定でした。まずは大好きな先生のダンスレッスンを受けに行きました。終わって帰る電車のホームで娘からのラインが入りました。休みで美容室に行ったのですが雨が降ってきたので迎えに来てほしいとのこと。いつもだったら、おばあちゃんのお迎えがあるから行けないよとなりますが、昨日は行ってあげられました。それから二人でスーパーをハシゴし、家に帰ってからは、それらを調理して食べました。途中から息子が加わり、彼女が遊びにやってくるというので、彼女に食べさせるデザートを三人で作って試食をして盛り上がりました。スーパーの帰りに古本屋で何冊か本を買ったのですが、結局読む暇はありませんでした。撮りためたテレビ番組を見たり本を読んで、自由に過ごそうと思っていましたが、娘にご飯を作らされ、息子の彼女を迎えるために息子に買い物を頼まれ、買い出しに行って終わってしまいました。楽しかったのでまあいいですけど。ところで、息子に彼女が出来てから、息子が面白いです。彼女が家に遊びに来る前日に「お母さんアイスを買いにいこう。」と言ってくるのです。アイスなら自分で買ってくればいいのに、なぜ私と行こうとするのでしょうね?色々やりたいことがあって、はじめはめんどくさいなと思ったのですが、最近はその姿が可愛くなってしまい、喜んでお供するようになってしまいました。アイスを買うのはお値段の安いお菓子屋さんのチェーン店です。その店に入ると、息子はまず先にアユの形をしたどら焼きのようなお菓子をかごに入れます。今まではそんな和菓子を食べることがなかったので、息子に聞くと、彼女が好きなのだそうです。それからも彼女の好きなチョコミント味のアイスを買い、自分の好きなアイスを選ぶのです。それから、家に帰ると、浅漬けを作り始めます。これも彼女に食べさせるためだと思われます。彼女が帰るときは、彼女の荷物を持ち、一時間ほど電車に乗り、送っていきます。彼女の家は私の家から二時間ほどの隣の県です。すごく可愛くていい娘さんなので、息子と結婚してくれたらいいなと思いますが、この恋の行方はどうなるでしょう。応援しなければと思っています。今のところ家に何度も来てくれているということは、居心地は悪くないということだと思われます。この調子で、我が家が彼女にとってかけがえのない家族になっていけたらなと思います。 彼女のためにアイスを買いに行く息子にお供出来るのはいつまでかな。 彼女の愛すというタイトル、誤字じゃないですからね。念のため。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月14日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。薄紫のスポットライト posted by (C)みえこ55庭のアガパンサスがとても綺麗です。以前も書きましたが、散歩道で楽しみにしていたアガパンサスが、ある年からなくなっていて、がっかりしていたところで、我が家にやってきたアガパンサスです。ご近所の方が、これあげるー♪と持ってきてくれたのでした。その時点でかなり大株に育っていました。アガパンサスを毎日部屋から眺められるなんて最高!ミツバツツジの前に植えたのですが、それも大正解でした。ミツバツツジが咲き終わって、少し暗めの葉っぱだけになったエリアが、アガパンサスでぱっと明るくなっています。地道にコツコツ posted by (C)みえこ55今の家に越してきて3年目、3回目の夏になりました。家を買ったときは、隣の家が見えないほどジャングルのような庭でした。木や雑草を伐採するところからはじまり、あちこちから出てきた大きな石を掘り起こしたり、朝から日がくれて真っ暗になるまで、来る日も来る日も土まみれの農夫のようになっていた事が懐かしいです。今からそれをやれと言われたら無理!と言うと思います。いったいあの時の自分は何に突き動かされていたのだろう?今は宿根草などに助けられて、それなりに華やいだ庭になりました。あの時の勢いは私にありませんので、これからは地道にコツコツで行こうと思います。 小さな薔薇が咲いています。 posted by (C)みえこ55地道にコツコツといえば、こちらの薔薇ですね。この薔薇はご近所の方から頂いた枝を挿し木にしたものです。まだ小さな鉢植えで育てています。四季咲きのようで、葉の状態も良いことから、丈夫な薔薇なのかもしれません。これからの成長が楽しみです。花だけじゃない posted by (C)みえこ55 今は花にしか目がいきませんが、 ギボウシは葉もとても綺麗なので、咲き終わると、アガパンサスよりも存在感が増します。 昨日は、母はショートステイ(お泊まり)の日でした。週に一度の割合で利用しています。ショートステイの日は、来ていく服をはじめ、コップや歯ブラシなど、すべての持ち物リストを毎回提出します。なので、着ていく服を前日に決めておきます。ところが、毎回朝見ると、前日に決めた服は着ていません。100%着ていないという確率に驚かされます。今度からは着ていく服は決めずに、朝着たのを確認して記入しましょう。ここ数日の母は、夜もよく寝ていますし、落ち着いていて、特に大きな問題はありません。むしろ元気だった頃は、口おかず喋り続けて、その口調も攻撃的な感じだったりもしていて、話を聞くのが大変だったので、静かで良いかもと思えてくるほどです。しかし、デイサービスに行くようになり、日中心配なく外出できるようにはなりましたが、いつも帰りの時間を気にしながらの外出になるので、電車での遠出は、途中で遅延などがあると困るのでできませんし、用事を足しながら、あと何分で帰らなきゃとか、焦りながら帰宅を急ぐこともしばしです。なので、週に一回、そのプレッシャーから解放されるショートステイは有り難いです。こういう風に時間に縛られる毎日がとてもしんどいのですが、実は前頭葉を鍛えていることに繋がっているかもしれないと思い始めています。今までは、いつでも出来たこと。例えば銀行に行くとか、買い物に行くなど、今は母の送迎を外した時間でなければ行けなくなりました。色々とやらなければならないことを、計画性を持ってすすめなければなりません。前頭葉が老化すると、こういう計画性を持って行うことが苦手になるそうです。前頭葉の老化度チェックの項目の一つに、「旅行などの計画を自分でやらない」と言うものがありました。私は、もう何年も、何十年も旅行の計画などたてたことはありません。旅行の計画を立てたことがありませんでした。旅行に限らず、物事を段取りよく進めることは苦手です。ということは、かなり昔から前頭葉が衰えていたのかも。母の世話をするにあたり、色々なことを段取りよく進めなければなくなりました。母がいる日に母の病院を予約し、いない日に自分の用事の予定を入れるなど、スケジュール管理は複雑です。めんどくさいなあと思うのが正直なところですが、前頭葉を鍛えているにだと思えば、少し嬉しく感じます。前頭葉を鍛えることは、融通のきかない頑固な老人にならないこと、健やかに、柔軟に生きられるようになること、そして、認知症の予防にもなること。などなど、楽しく老後を生きるために必要なトレーニングのようです。人は色々な機能を持っていますが、それだけに鍛えるべき場所が沢山あるものですね。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月13日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。今朝は朝からまとまった雨が降っていて涼しいです。庭の水やりがお休みできて少し嬉しいです。チドリソウの咲く庭 posted by (C)みえこ55こぼれ種で増殖中です。オカトラノオVSジキタリスVSチドリソウの戦い。今年はややチドリソウが優勢かな。来年はどうなるかな。まいどエキナセアです posted by (C)みえこ55今年の夏の庭はエキナセアがとても綺麗です。毎日眺めてますが、見ると嬉しくなりますよ。元気を出して posted by (C)みえこ55私にとってエキナセアは元気をもらえる花だからです。話の種 posted by (C)みえこ55 薔薇が咲く頃、真っ白なレースのようなオルレアが咲きました。薔薇を引き立てるように咲いてくれて、とても美しかったです。今は種になりました。以前友人にあげたらとても喜ばれました。綺麗に咲いたのよと、話も弾みます。オルレア2 posted by (C)みえこ55そのオルレア、咲いていたときはこんな花です。私のお花畑 posted by (C)みえこ55薔薇との相性がいいのですが、我が家には肝心の薔薇がまだ少なくて、こんな写真しかありませんでした。昨日もデイサービスから帰ってきた母は、夕飯を作ってくれました。ジャガイモとサヤインゲンのお味噌汁と、茄子とピーマンの味噌炒め、牛肉の野菜炒め、と、3品も作ってくれました。どれも、とても美味しかったです。いつもそうなのですが、長女が食べているのを、横からじっと見つめています。食べさせることが喜びなのだなと思います。美味しいと言う言葉を待っているのです。美味しいという言葉はすごいと思いました。世の中の、特に男性の方、奥様や料理をしてくれた人に、美味しいと言っていますか?有難うという言葉と同じくらい、言われると嬉しい言葉です。先日、友人が里帰りしたときのお土産のお菓子をくれました。食べたあとすぐに美味しかったとお礼のラインを送ったら、何人かの人にあげたけど、ラインが来たのは私だけだったと言われました。たったそれだけのことでしたが、その友人がとても喜んでくれて、もらって喜んでいるのは私のほうだったのに、感謝されて変な感じでした。美味しかったという言葉、すごいな。美味しいものをいただいたら全力で美味しいと、言葉で伝えましょう。さて、昨日は脳の老化について書きました。脳が老化すると、融通がきかなくなり、ちょっとしたことで怒ったり、嫌なことを引きずって、いつまでもくよくよし、頭の切り替えができなくなるそうです。そして、脳の老化がはじまるのは、大体40才くらいからなのだそうです。また、こうした現象を感情の老化とも言うようで、和田秀樹氏が著書でも紹介していました。そう言われてみると、夫の転勤であちこち移動したときに、新しい環境に慣れなくて、自分の適応力がなくなっていると感じた事がありました。それがちょうど40才位だったなと思います。その時に色々な葛藤から抜け出すのにずいぶん苦労をしました。更年期なのかな?とか思ったりもしましたが、脳の老化がはじまっていたのですね。あれから15年も意識せずに過ごしてきたわけですので、更に老化は進んでいるのかもしれません。ストップ ザ 脳の老化ですね。昨日も書きましたが、特に老化、あるいは萎縮がはじまるのが早いのが、前頭葉だそうです。前頭葉が老は感情や意欲、創造性を司っているそうで、老化がすすむとイライラしやすくなったり、やる気がなくなったり、その先にあるのは母のようなタイプの認知症です。ただ、母を見てきた限りでは、意欲というかやる気は、ごく最近までありました。昨年くらいまで、もうすぐ習字の作品展があるから、作品を出すと言っていましたし。なので、私自身やる気とか意欲とかまだあるから大丈夫。などと安心ばかりも出来ないなと、他にある前頭葉の働きを、刺激し続けなければと思います。興味のある方は和田秀樹さんの著書を読んでみてはいかがでしょう。私もこれから買いに行ってみようと思います。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月12日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。暑い日が続きますね。ついつい暑い暑いなんて言ってしまいますが、豪雨で被害にあった地域の方は酷暑の中で毎日耐えていますね。現地でも情報が少なくて、助けが足りないと困っている方も多いようです。そんな中で、いち早く助けに動いている起業や個人の方もいらっしゃり、一生懸命に手助けする姿に感動します。こうやって平穏無事に過ごしていることが申し訳ないような気もしてきますが、すこやかに過ごしていることも少しは誰かの役にたってはいるのではと思います。被害にあわれた皆様、方心よりお見舞い申し上げます。早く復興がすすみますように。ダイナミック posted by (C)みえこ55庭のカサブランカがとても美しいです。まだ今年で2年目ですが、株を大きくして花の数が増えています。背丈が二メートル以上もあって、ダイナミックな咲きっぷりです。先日、ここ数日で急に暑くなったので、母の夏のパジャマや服を買いに行きました。母は腰回りが100センチ以上もあるので、普通の服は入りません。しかし、最近は大きなサイズの服が売られているので助かります。3lにしようか4Lにしようか迷いましたが、4Lにしましたところどんぴしゃりでした。それにしても4Lの服って大きくてびっくりですよ。幾つか買った服の中にで、500円の黒いサマードレスがあり、安かったので、私も同じものを買いました。色違いもあったけどピンクだったから買わなかったよと言うと、ピンクもほしいと言ったので、次の日に買ってきてあげました。とても喜んでいました。母が喜ぶことは、うなぎやステーキなど美味しいものを食べさせることなど色々ありますが、その他に洋服やアクセサリーをプレゼントするととても喜びます。母の好きな食べ物はどれもカロリーや糖質が高く、また値段もはるものばかりなので、そうしょっちゅうは食べさせることが出来ません。服に関しても、以前はデパートの一点ものやオーダーメイドばかりでしたが、そんな贅沢できないので、安くてもいものを探してきます。母がこちらに来てから、いろんなことで文句を言われましたが、洋服選びでだけは文句を言われたことがありません。なので、母が喜ぶ姿を見ると、ちょっとした勝利者の気分になります。次の日母に買ったのと同じ黒いサマードレスを着ていると、母は、「あら!いいのを着ているわね。私にも買って来て。」と言ったので、一昨日買ってきたよと言うと、とても驚いていました。あんなに喜んでいたのに、すっかり忘れていました。もちろん次に日に追加で買ってきてあげたピンクのドレスのことも覚えていませんでした。はじめの頃はこんなことがあると、もう忘れたのかと、かなりショックを受けてしまいましたが、今は笑えます。そう、笑えるようになりました。認知症になって母も変わりましたが、私も変わったのだなと思いました。環境が変わると認知症が悪化すると、どの本にも書かれています。そして同時に家族もその現実を受け入れられなくて混乱するとも書かれていました。実際にほぼ、本に書かれていた通りの経路をたどっています。しかし、本を読んだからといって、そうなんだ、と納得して、困惑した状態を変えられるかというと、そうではありませんでした。時間がある程度必要なのだなと思いました。年をとると、新しいことに慣れるのに時間がかかるそうで、それは脳の老化によるものらしいです。適応力がなくなるのであります。それは脳の前頭葉の働きだそうで、私自身、前頭葉がずいぶん老化しているのだなと感じました。母が来てから、自分の生活環境が大きく変わり、それに適応するのに時間がかかったのです。昨年、今まで利用していたジムが閉鎖され、多くの会員さんが新しいジムに移りました。新しいシステムに、すぐに適応する人もいれば、前の方がよかったと、なかなか馴染めない方もいます。そういう私も、慣れるまでに半年ほどかかりました。母を引き取ってからも同じく約半年です。新しいジムに移って、すぐに適応する人もいれば、一年経ってもなかなか馴染めない人もいると書きましたが、 細かいことは気にせずに、新しい環境に馴染んで楽しんでいる方の方が、幸せなように見えます。さて、自分はどちらかなと思うと、やや馴染むのに時間がかかるタイプのようです。気持ちを切り替えるということが難しいと感じます。 なので、前頭葉の働きを意識して、変化に強い自分を作っていかなければならないのだと思います。前頭葉を鍛える方法は色々あるようですが、認知症の介護もどうやら前頭葉をかなり使っている事がわかりました。まさか認知症の介護が脳トレになっていたとはねえ。ちなみに母の認知症は、前にも書きましたが、前頭側頭型認知症です。やりたいことだけしかやらない、指示されたことしか出来ない、気遣いが出来なくなる、日にちがわからない、同じことを繰り返す、同じパターンが好き。など幾つかの特徴があります。母が今苦手としていることをいつまでもできるようにすることが、認知症の予防用になると思います。ある意味これから先の自分の行く道を学ばせてもらっているのだなと思いました。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月11日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。セイヨウニンジンボク posted by (C)みえこ55名前がわからなかった、この庭に咲く紫の花は、「セイヨウニンジンボク」であることがわかりました。hanahanaさんが教えてくださいました。どうも有難うございました。低木なのでいいだろうと植えたのですが、生育が旺盛で、どんどん大きくなって来るので、思いきってバサバサと選定をしましたので、たいして花が咲かないのではないかなと思っていましたが、けっこう沢山咲いてくれて、しかも花期が長く管理が楽です。薄い紫も爽やかで、暑苦しくないのも気に入っています。挿し木でも増やせるそうなので、やってみようかなと思います。ところで、私は一年ほど前から、ウエイトトレーニングをはじめました。はじめは一番軽い重さでも、やっと上がったバーベルが、今ではその時の約5倍以上の重りを持ち上げられるようになりました。ウエイトトレーニングをはじめて半年ほどたったくらいの頃から、私は人によく痩せたねと言われるようになりました。その頃、実際は体重は変わらないか、やや増えていました。しかし、見た目は細くなり、ウエストのサイズは3~4センチ細くなっていました。これはどういうことかというと、脂肪が減って筋肉が増えたということです。筋肉は同じ体積で量ると脂肪より重くなります。なので、同じ身長と体重の人でも、脂肪ばかりの人は太って見えます。私はジムでよく体重計に乗りますが、こっそりのぞいていた方が、あらっ!あたしと同じ体重!けっこうあるのね。などと言われることがあります。見た目が細い私と同じ体重で嬉しそうにしているので、良かったですねと言いたいところですが、あなたの身体は脂肪ばかりですよ。とも言えませんので、おなじなのですかあ…でなんとか会話を濁しています。ウエイトトレーニングをはじめて半年ほどたって、体重もさほど変わらなかった、むしろ増えていた時期、体脂肪率が3~4%ほど減っていました。そしてはじめて一年になろうとしている今は、体重は二キロ減り、体脂肪率は6%減りました。ウエストは最終的に5~6センチ細くなっています。と、これくらい絞り上げると、とても体が楽です。軽い体を沢山の筋肉で支えたり動かしているので、日常動作や運動がとても楽で快適です。ただ、ひとつ困っていることがあります。これだけ運動をやっても全く疲れなくなってしまい、以前はバタンキューだったのが、やや寝付きが悪くなりました。そこで、更にきつめのレッスンを増やすのですが、また更に疲れにくくなってしまいました。悪循環ならぬ、好循なのですけどね。さて、昨日の母の様子は変わりなく、テレビを見たりゴロゴロしたり、好きなようにして過ごしていました。尿酸値が上がって、しばらく控えていたうなぎを出してあげると、とても喜んでいました。しかし、ここに来た頃に比べるとずいぶん食べる量が減りました。かなり太っているのでいいのかもしれませんけど。昨日は珍しく夜中に電気もついておらず、よく寝ていたようです。夜ちゃんと寝てくれるかどうかで、介護はずいぶん楽になるものだなと思います。以前、医者に睡眠薬を出しましょうかと何度か言われたことがありました。しかし、睡眠薬を飲ませることに抵抗があった私は、まだいらないと断りました。睡眠薬を飲ませたために、夜中にトイレに起きたときに、ふらついて転倒したという話を聞いたことがあったからです。しかし、実際はどうなのでしょうね。また夜中に活動をするようになった場合飲ませた方がいいのか、医者はおそらく喜んで薬を出すと思うので、どうしたらいいのか迷います。多くの事例では、飲ませている場合が多いようなのですが。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月10日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。今日は晴れてとても暑い一日でした。豪雨の被害があまりのも大きくて驚いています。被災された皆さま方、お見舞い申し上げます。おふくろの味 posted by (C)みえこ55認知症になった母を引き取って半年が過ぎました。少しずつ認知は進んでいるようにも思えますが、来たばかりの頃の強い症状はおさまって、落ち着いた生活を送っています。この頃料理をしてくれるようにもなり、以前と同じ美味しい茄子とピーマンの味噌炒めが出てくるとほっとします。なす、ピーマン、紫蘇は庭で収穫しました。なすがとれたよと言うと張り切って台所に立ってくれます。今のところまだ脇役 posted by (C)みえこ55我が家にはまだ主役となるバラがなく、挿し木で育ち咲き始めたバラが少しあるだけです。「あ、咲いてたんだ…」なんて感じで、気づくのが遅くなってしまったり、防虫を怠ったために葉っぱが無惨に虫に食べられてしまっていたりと、すみませんでした…ということもしばし。我が家で主役になる日がくるかな。頑張って育てよう…さて、昨日と今日はデイサービスがお休みでした。今日は、母が毎日飲んでいる血圧の薬と膝と腰に貼る湿布薬、認知症の貼り薬をもらいに病院に行きました。血圧が低くなってきているので、薬を変えましょうと言われました。認定が遅れたためにデイサービスに行けなかった4ヶ月間、寝てばかりいたからでしょう。血圧がどんどん高くなってしまい、強い薬に変えたのですが、デイサービスに通うようになって、血圧が下がったのでした。相変わらず保険やら何やら、更新などのて続きがらみのお知らせが届いています。住所変更もされていないため、山形から転送されてきるので、解約のタイムラグが出来てしまいます。そにため、返ってくるはずのお金が少なくなってしまったりしているものもあります。また、保険関係は問い合わせをしても本人にしか教えられませんと言われるものもあり、なかなか話がすすまず苦労をするものもあります。電話口に出しても、母は複雑な話を理解できないのです。今のところ、文字を書けることと、自分の誕生日を言えることで、なんとか切り抜けられていますが。そんなことで、電話口に出てもらうため、母のいる今日はずっと手続きごとを片付けていました。母はだいぶ落ち着いたとはいえ、相変わらずおかしなことを言ったりやってしまいます。例えば、掃除用の歯ブラシと歯を磨く歯ブラシが、いつの間にかひとまとめにされていたり、今日が何日なのか?という質問に答えられないので、子供たちが今日は何日だよと母に教えると、毎回「えーっ!」と目を丸くして驚くので、面白がられています。気負うことなく気楽に母に接している様子を見ていると、理想的な介護って、こん感じなのかなとも思うようになりました。なぜなのかわかりませんけど、子供たちと母のやり取りを見ているうちに、肩の力が抜けて、気持ちが楽になってきました。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月09日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。昨日は曇りで湿度が高く、ムシムシとしていました。 今朝は久し振りに太陽が見えてきました。 雨の被害が拡大してしまったようですが、皆さま方大丈夫でしたか? エキナセアの庭 posted by (C)みえこ55庭のエキナセアがとても綺麗です。エキナセアの庭 2 posted by (C)みえこ55梅雨が始まるまえにひとつ、ふたつ花が咲き始めて、今はだいぶ花の数が増えてきました。秋になるまでずっと咲き続けてくれます。さて、昨日の日記に母が杏子ジャムを焦がしてしまったことを書いたところ、途中で見に行けば良かったですねなど、アドバイスを頂けて、そうだった、これからはそうしなければと思いました。ケアマネージャーさんの話を聞きながら、母が何をしているのか、音を聞きながら気にはしていました。はじめに、がさごそと段ボールの中から何かを取り出す音がしたので、ジャガイモを茹でているのだと思いました。今まで、ジャガイモをゆでるのを失敗したことがなかったので、ボコボコボコという、火加減が最大になっている音は気にはなりましたが、ジャガイモをならば大丈夫だろうと思ってしまいました。ところが、出来上がったものはジャガイモではなく枝豆でした。しかも、枝豆と杏子を同時に煮ていたのでした。完全に騙されました。毎日、色々なことに注意をしながら暮らしているので、いつも次は何をしてしまうのだろうと、母を監視するのに疲れてしまい、時々多少は失敗してもいいか…あるいは大丈夫だろう…と油断をしてしまいます。大丈夫なときもあれば、ドッキリなときもあり、予測不能です。皆様方、またお気づきになった事がありましたら、ぜひ教えて下さいませ。アドバイス、とても参考になりました。どうも有難うございました。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月08日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。昨日は一日雨でしたが、強く降ることはありませんでした。今朝は曇りです。豪雨の地域の雨はおさまったでしょうか。こちらがギボウシでした posted by (C)みえこ55昨日はフォト蔵という写真サイトに、アガパンサスをギボウシと紹介してしまいましたが、これがギボウシです。庭に咲いています。この花のイメージは梅雨の真っ只中の、どんよりした空の下で咲いているイメージでしたが、こと時は、梅雨が開けた夏に咲いていました。そして今日はまたイメージ通りのシチュエーションで咲いています。ギボウシが咲いています posted by (C)みえこ55こちらがアガパンサスです。憧れのアガパンサス posted by (C)みえこ55以前住んでいた近所の散歩道で今の季節になると咲いていたアガパンサス。何年もの間、この時期になると、つぼみが膨らんでくるところから、咲き始めるまで、毎日今日はどうなっているかな?と楽しみにしていました。ところが、ある年から誰かが抜いてしまったのか、その場所からなくなってしまいました。あの風景はもう2度と見ることは出来ないのだと思うと、とても残念です。そんなある日昨年だったか一昨年だったか、近所の方がこのアガパンサスを下さったのでした。まだ4本の茎しかありませんが、そこそこ見ごたえがある感じにはなっています。散歩道まで行かなくても、毎日リビングから眺める事が出来ます。しかし、散歩道で咲いていたアガパンサスのほうが、幸せそうだったなと思います。我が家のアガパンサスは私にしか見てもらえないし、狭い場所で窮屈そう…おまけに私からギボウシと間違えられたり…満開のベルガモット posted by (C)みえこ55庭のベルガモットです。とても華やかで綺麗ですが、うどん粉病になりやすいのと、花期がさほど長くないのがちょっと残念ポイントです。満開のフロックス posted by (C)みえこ55 昨日はフロックスが満開となり、少し傷んできたのでこれらは切り戻しました。脇目からまだ2番花が出ていますのでまだ楽しめます。昨日の夜は珍しく、母はよく寝ていました。朝も早くから起きている事が多かったのですが、今朝は7時を過ぎてもまだ起きてくる気配はありません。気温が低く寝苦しくなかったからなのかもしれません。一階と二階で寝ていますが、これまでは物音で夜中に何度も目が覚めてしまいました。久し振りに静かな夜中になり、私もゆっくり眠る事ができました。昨日は月に一度のケアマネージャーさんとの面接日でした。ケアマネージャーさんご自身も介護をされているそうで、実の母親親(要介護3)を四年半も自宅で介護されているとのこと。話を聞くと、私の母と同じ程度の認知症ではとも思えたのですが、私の母は要介護2です。どこで介護認定に差が出るのでしょうね。ひとつ違うとすれば、ケアマネージャーさんのお母様は、ヨーグルトの上にブロッコリーを乗せて出して来るそうで、私の母はまだそのような事例はないです。しかし、色々他に聞いてみてもやはりやってしまう内容には大差がないように感じましたが。認定する医師の診断や住む地域によっても変わるようです。ケアマネージャーさんには色々困ったことを相談していたのですが、いつの間にか、ケアマネージャーさんの介護の話となり、その話を伺っているうちに、母の介護をすることは悪いことばかりではないなと、なぜか思うようになりました。イライラしてしまい喧嘩になることもあるとおっしゃっていました。大変であるともおっしゃっていました。それでも親を自宅で介護しているお気持ちは、多分私と同じではないかと思いました。親の介護をしながら辛いと感じても、可愛そうで施設にはやれないのです。ケアマネージャーさんが話をしている間、母は座ったままこっくりこっくり寝ていました。そして目を覚ますと、台所に行き何かを煮はじめました。ボコボコボコと、相変わらずIHコンロの火力はマックスになっていて、気にはなっていましたが、ケアマネージャーさんが話を続けていたので、見に行けませんでした。やっと終わって帰ったので台所を見に行くと、わざわざ長野から取り寄せた杏子、ジャムにするために追熟させ、煮はじめたところでケアマネージャーさんが来てしまって、一旦火を止めておいたものに、倍量の砂糖が加えられ、鍋底が焦げていました。ジャムは激甘。色もあまり美味しそうではなくなっていました。あのボコボコボコ音はジャムだったのでした。ショック!さっきまでは、介護も悪いことばかりではないなと思い始めていましたが、気分は一転しました。思わずくそーっ!て言いたくなる出来事。これが日常なのですよね。美味しい杏子ジャムはまた来年。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月07日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。今朝は朝からまとまった雨が降っています。久し振りにエアコンがなくても過ごせています。豪雨などの地域もあるようなのですが、皆さんのところは大丈夫でしょうか?テレビなどを見る暇がないので、全く情報が入っていないです。庭に咲く紫の花 posted by (C)みえこ55こちらは今お庭で咲いているお花です。爽やかな紫色が気に入っています。しかし、毎度のことながら名前を忘れました。葉を触ると、爽やかな柑橘系の香りがします。サポナリア(ソープワート) posted by (C)みえこ55サポナリアあるいはソープワートと言われるお花です。シャボンソウと言うこともあるようです。花を水に入れて揉むと泡が出てきて、ヨーロッパでは石鹸がわりに使われていたこともあるらしいです。飛翔 posted by (C)みえこ55庭に咲くチドリソウです。以前写真サイトのフォト蔵の方がが後ろから見ると鳥のようですね。とコメントを下さって、なるほどなと思いました。確かに角度によってツルが飛んでいるみたいに見えます。 さて、昨日はデイサービスから帰ってくると、張り切って味噌汁を作ってくれました。こんなときの母は、何も問題などない母のようにも見えます。この状態が一日続けばいいのだけどなと思うのですが、それはつかの間の間のことです。それ以外の時間はリビングの床の上でで寝て過ごすのです。その過ごし方はちょっと横になるというものではなく、傾眠という病的なものです。健康な老人あるいは人がゴロゴロしているものとは違うのです。我が家は皆が比較的早く寝る習慣があり、10時になると消灯という感じになり、それぞれの部屋に行きます。ところが、母は一旦部寝室に入るのですが、ほどなくリビングに舞い戻り、テレビをつけたまま床の上で寝てしまいます。布団に入り寝ることを促し、テレビを消して皆が2階に上がると、またしばらくするとリビングに舞い戻りテレビつけて、そのまま床の上で寝てしまいます。そのまま放置すると、夜中に台所で何かを食べたり、料理をしはじめるので、布団に入るように注意をしなければならなくなります。布団で寝付いてしまうと、比較的寝ていることが多くなりますので、リビングで寝させることはさせないようにしています。リビングで寝ると布団で寝るよりも眠りが浅くなるようなので、昼夜逆転の生活がひどくなります。また、ベランダの戸を全開にしてしまうのでそれにも困っています。先日部屋の中からかけられる鍵を買ってきたのですが、なぜか取り外されていて、それがどこにも見当たりません。いったいどこにやってしまったのか?夜中に何度かリビングの戸が開けられていないか確認をしなければならないので、また別の鍵を買ってこなくてはなりません。このように、母はデイサービスから帰ってから夜10時位の間はリビングで寝て過ごし、夜中は起きてテレビをつけ、電気もテレビもつけっぱなしで寝ては、また起きるという繰り返しの毎日です。デイサービスというシステムは本当に有り難いです。日中何か起きていないか?心配なく外出が出来ます。IHのロックをいちいちしなくてすみます。たったそのひとつのことだけで気分的に楽になります。介護は母の洗濯ものだとか食事の世話やなど身のまわりの世話などをすることでの、家事的な労働が増えるだけでなく、生活面で病院にも連れていくことや、きちんと生活できているか見守ること、様々な手続き事に代行などがあります。それらの事は肉体的な労働であり、自分の持ち時間をさきながら行うものです。それにプラス、窓が開いていないか?火の始末は大丈夫か?など、精神的な負担が加わります。肉体的な負担よりも精神的な負担のほうが大きいと感じます。ただ、よかったなと思うのは、母が徘徊するタイプの認知症ではないということです。いなくなって探し回ったという話はよく聞きます。しかし、私の母の場合、徘徊しないのではなく出来ないというのが正しいのかもしれません。元来歩くことが大嫌いでしたし、膝や腰が痛くて長い距離は歩けません。徘徊しないのは有り難い事ですが、それは同時に足腰が衰えるという事でもあり、足腰が衰えれば全身の機能は衰えていきます。なので、実際は徘徊しないということが良いことのようでもありますが、喜ばしいことなのかそうでないのか、微妙な感じですよね。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月06日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。今朝は曇っています。予報では暑さも和らぐらしいですが。 雨も降るようなので、庭の水やりをさぼれるなと思うと嬉しくなります。 たとえほんの少しの間でも虫除けをしないで出ると蚊に刺されますし、 帽子や長袖で出ないと日焼けをしてしまいます。 最近日に焼けたねと言われてしまう事が何度かあって、 ふと、自分の腕を見たときに、明らかに日に焼けた部分が老化しているのを感じました。 以来外に出るときは手袋をしています。 変わり行くを楽しむ花 posted by (C)みえこ55咲き始めは真っ白だったピラミッド紫陽花ですが、今は葉っぱは、ほんのりとピンクが差し色に入り、だんだん渋い感じになっていきます。雨が似合う花 posted by (C)みえこ55こちらの紫陽花は他のものに比べると遅く咲き始めたので、先週くらいまでは綺麗に咲いていました。しかし、いよいよ切り戻しをしました。この時は、どんよりした天気が続いて、久しぶりの晴れ間が見えた日だったので、嬉しくなって撮影をしたのですが、梅雨が明けてカンカン照りの日が続いた今見ると、なんだか暑苦しそうに見えてくるから不思議です。黄色いお花 posted by (C)みえこ55このお花の名前は忘れました。この時期になると出てきて勝手に咲きます。丈夫なお花らしく、ほぼ、ほったらかしです。蔵にアップしたらキバナコスモスでは? というコメントが多数寄せられましたが、 キバナコスモスでないことだけはわかっています。 ゴックン posted by (C)みえこ55 先日、北海道の友人が夕張メロンを送ってくれました。もうとっくに食べてなくなり、残ったのはこの写真のみ。思わず生唾がゴックンとなりませんか?ところで、自分について、どれくらい客観的にわかっているのか?という問題について、最近よく考えるようになりました。母は自分が太っていると思っていないことを知ったからです。ウエストが100センチ以上もあり、体脂肪率からいっても、紛れもない肥満なのですが、お母さんは肥満だよと言うと、目を丸くしてウソー!と言います。本気で驚きを見せるので、それがおかしくて笑ってしまいます。 そして、私の長女よりも自分の方が細いと思っていたと真顔で言います。皆さんは認知症だからと思うかもしれませんが、元気だった頃もよく言っていました。その頃から認知症だったのかもと言われたら、もしかしたらそうなのかもしれませんけど。 であれば、家族でさえも、認知症というものにはなかなか気づけないものということになります。ジムにも似たような人がいて、皆から陰口を言われています。自分はとても上手なのだと言って、一番前のど真ん中に場所をとるのですが、あまりにも下手くそすぎて、周りの人がとても迷惑をしているのです。あっちにふらふら、こっちにふらふら、近くにいる人たちは落ち着いてレッスンを受ける事が出来ません。下手くそであることが、ここまで人を怒らせてしまうものだということを、初めて知りました。ジム生活長いですが…面白いなと思うのは、そういうことをしてしまいがちな人の年齢です。 60才くらいまでの人は、自分が下手だと認識すると、あまり前には行きません。ところが70才くらいを境に、自分がどれくらいの力量があるのか、判断できなくなるのか、 どんどん人を押しのけてでも前に行くようになります。この、「どんどん人を押しのけて」というのも特徴です。そのマナーの悪さが目に余るほど。もちろんそううい行為をするのはごく少数なのですが、少数でいつも同じ人なのでかなり目立ってしまい、ジム内では有名人になってしまいます。その振る舞いを見ていると、とても恥ずかしくなります。自分も何か気づかないまま誰かに迷惑をかけていないか?と思ってしまいます。 そのような行動を見ていると、やっていることの内容は全く違うのですが、認知症の母とやっていること質が同じなのではないかと思うようになりました。それはどういうことかというと、人の迷惑を考えられなくなったり、自分を客観視出来なくなるという現象。自分が今やっている事が周りの迷惑にならないのだろうか?と考えたり、人のためになっているのだろうか?と考えるられるか?などです。そういう人達を見ていると、そういう自分は自分をどれくらいわかっているのだろう?そう考えるようになりました。そうでない人はどういう人なのだろう?割り込みなどをされてある人が怒っていたのですが、昔からその人を知っている人は、「ああ、あの人昔からそうだったのよ。でも最近もっとひどくなったわね。」と言います。その言葉を聞いて、今自分が考えて行動している事が、まさに認知の連続で、わきまえない考え方と行動がひどくなった状態が、認知症なのではないかと思うようになりました。自分のこともわからなくなるし、人への配慮もなくなる。それが認知症の母とジムで問題な高齢者との大きな共通点です。こんなことを考えながら我が身をふりかえると、人の事を言えるほど立派な人間ではないと気づきます。身近にいる立派な人はどういう人なのかな?と思ったとき、普段静かで目立たないけれど、さりげなく声をかけてくれたり、優しくしてくれる人達だなと思うようになりました。そして、自分もそんな人達のようになりたいと思います。普段の自分の何気ない行動や考え方を、見直しながら生きることも、運動や食生活を見直すことと同じように大事な認知症の予防になると、私は考えるようになりました。 認知症の母と暮らさなければ思わなかった事かもしれません。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月05日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。蝶が来る庭 posted by (C)みえこ55以前、「蝶が来る庭」というテーマの園芸の番組を見たときに、このブットレアという花が紹介されていました。一応蝶はよく来ていますが、ブットレアに来ているのは、今のところ一度も見たことはありません。満開になったベルガモット posted by (C)みえこ55庭のベルガモットが満開になりとても美しいです。昨年までは梅雨の真っ只中で咲き始めるので、うどん粉病になってしまいましたが、今年は状態がいいです。早めに殺菌することが大事だと学びました。お庭のひょっこりはん posted by (C)みえこ55最近テレビでよく見るお笑い芸人さんで、ひょっこりはんという方がいます。何かの物陰からひょっこり顔を出すだけなのですが、思わずわらってしまいます。私のお庭のひょっこりはんは笑うというよりは、笑みが出てくるという笑いになります。咲き始めのフロックス posted by (C)みえこ55今は満開になっていますが、咲き始めはこんな感じです。兄が毎日ブログを読んでくれていて、昨日、電話があったので、何かなと思ったら、ブログが大変なことになってるぞ!と、同じ文章が2つ貼り付けてあると知らせてくれました。ランキングも必ずチェックしてくれて、兄なりに下がったり上がったりする理由を分析してくれたりしているようです。有り難いことです。本来は自分なりに勉強してきた健康について書こうとはじめたブログでした。しかし、最近は認知症の母の兄への報告書のような感じにもなっています。もちろんそれだけではありませんが。母の事について書くと、どうしてもネガティブな話になってしまいますので、もっと楽しくなるような話にした方がいいのではと思ったりもしました。介護は何しろ日々迷い、苦悩し、試行錯誤の連続で、ぐちゃぐちゃの頭になってしまいます。しかし、書いているうちに頭が整理されて、新たな発見をすることにつながりました。ある程度、不特定多数の人が読んでいるということを考えて書くので、緊張感も生まれます。また、時々、読んだ友達や兄から言われることで、自分では気づかなかったことを気づかされたりもします。そして、母のことを書きはじめて半年が過ぎた今、認知症と言う問題は自分の問題でもあり、今までも書いてきた健康というテーマの終着点のようなものであると思うようになりました。母がいつも口癖のようにいう言葉があります。「私はお酒もタバコもやらなかったのよ。だから90までい生きられたのよ。」と、実際は89才ですが、母は一年前から自分の年齢を90才だと言っています。その言葉を聞くたびに、長く生きてきたことをとても自慢気に話しているようですが、自分の力で生きていくことが出来なくなった今、自慢話をされればされるほど、ただ生きているだけでは周りが困ると思ってしまう自分がいます。ここまで一人で頑張って生きてきた事に感謝をすべきなのでしょうが、心の叫びはそうはなりません。こんな思いは、恐らく介護をした経験のあるかたであれば、一度や2度はあるのではないかと思います。何もかもほったらかしにして逃げ出したくなるような気持ちになりながらも、今まで世話になった親を見捨てるわけにはいかないと思い直し、時に心ないことを言われながらも聞き流す。そんな繰り返しです。新潟に住んでいる夫の両親が、時々作った野菜を送ってくれます。届いたと電話をすると、母の面倒をよくみてやるんだぞと言われます。義理の母は農家に嫁いでからは、長い間姑の世話をしてきました。帰るたびに、大変だろうなと思っていました。しっかりみてあげなさいと言うのは、それをしてきてよかったと思っているからだと思います。私が嫁いでその姑であり夫の祖母が亡くなるまで、私は同居はしていませんでしたが、長年その生活ぶりを見る機会がありました。その長い年月を思い起こしてみると、義理の母がどうやって介護をしてきたのか?参考になることもあります。と、話が迷走しはじめましたが、認知症の問題は健康問題なのであります。すいません、毎度のことながらとりとめがなくなって。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月04日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。 昨日も猛暑となり、建物から出た瞬間熱風に包まれました。 今朝も晴れ渡る空です。 毎年咲く花 posted by (C)みえこ55去年も一昨年も、夏に庭仕事を頑張りすぎて熱中症らしき症状にみまわれました。ようやく、危険行為であることを学習した私は、夏は頑張らないことにしました。そんな今年の夏は、3年前に植えた宿根草が頑張っています。さて、昨日は母はショートステイの日でした。母の住民票と課税証明書を取ってくる必要があったので、市役所に行きました。住民票は、世帯を別にしてあったので、委任状がないとダメで、課税証明書は、転入届けを出したのが年明けだったので、山形から取り寄せるようにと言われました。家に帰って、取り寄せる方法を問合せ、送付する書類を用意しました。半日仕事です。このところ、夜明けが早まっているので朝早く目覚めます。5時に目覚めたので、庭の水やりや雑草とりをやりました。まだ庭に日が当たっていなかったのでとても楽でした。水やりと雑草とり、野菜の世話を少しだけ、玄関まわりの掃除しかしていませんが、一時間かかりました。 母は歩く姿も一段とたどたどしくなってきています。いつまで自分の足で歩けるのかなと思います。89歳という年齢を考えれば、自力で歩けるだけでいいと思えばいいのかも、とも思えなくもないのですが、歩く能力が低下している原因が、年齢だけの仕方がない現象には思えません。日頃から体重管理や、運動機能を低下させないことを意識して生活をしていなかったことが、一番の原因だと思います。体型を見ると、よく歩けるなと思います。細い私でさえも、立ち上がるときに膝や腰にかかる体重を感じるのですから、100センチ以上もあるお腹周りの人間が、立ち上がるのは、相当大変なことではないかと想像できます。2年前にここに来たときはハツラツとしていたのに、たった2年でずいぶん変わってしまいました。こうした母のような状態をロコモティブシンドロームといいます。筋肉や運動機能が衰えたことが原因で介護になることをロコモティブシンドローム、あるいはロコモと言います。皆さんはご存知だったでしょうか?もうかなり前から問題視されています。私も講演では必ず取り上げているテーマなのですが、ロコモティブシンドロームという名前も意味も知っている人はほとんどいませんでした。これほどテレビなど情報化がすすんでいるのに、浸透していないことに、毎度の事ながら講演の度に驚きを感じます。はじめにロコモティブシンドロームについての資料を見たとき、私も、そうなんだ…それは大変!などと思いはしましたが、こうやって母の状態を目の前で見て、初めてロコモティブシンドロームの恐ろしさを実感しました。それと同時に、ロコモティブシンドロームは自分の努力で予防できるものなので、放置し、何もしないでいることはとてももったいないことだとも思います。原因がどこにあるのか全くわからない得たいの知れない病気でなく、普段の生活のあり方がロコモにつながるのです。ジムに毎日休まずに通ってくる高齢者が沢山います。通ってくるだけでいいだろうと思うかもしれませんが、ある年齢を境に、来られなくなる人がいて、その多くはロコモティブシンドロームだと思われます。適切なプログラムを受けていないため、運動をやっているにも関わらず、筋肉が衰えて行くのです。見ていると、流れてきには膝や腰の痛みを抱えはじめ、運動でなんとか持ちこたえさせようとはしてみるものの、大した成果もなく、あるとき些細なところで転倒し、ジムをやすみがちになる。そしてやめてしまう。あるときまでは、皆と同じように元気だった方が、ある日を境に同じことを出来なくなるのです。高齢者の場合、徐々に衰えながら、ある日を境にガクンとくるパターンが多いです。はじめの頃は緩やかな体力の下り坂なので本人は下っていることに気づきにくいようです。しかし、はたから見るとよくわかるようで、あの人最近年よりくさくなってきたわね。などと言われるようになります。年よりくさくなったという現象を具体的に言うと、筋肉が落ちはじめて、手足が細くなり、棒切れのようになってきます。膝の後ろ側の筋肉が硬くなり、膝が伸びなくなります。背筋が衰えて背中が曲がり首は前傾してきます。太ももを上げることが困難なので、歩く時にさっそうと歩けなくなります。運動をすると、よろめくことが多くなり、特に横移動がしずらいようです。全体に安定感のない動きかたになります。しかし、同じ年齢の方でもしっかり動いている方もいらっしゃいます。話を聞くと、ご自身で考えてレッスンを受けているようです。バランスよく、筋力を高めるプログラム、柔軟性を高めるプログラム、心肺機能を高めるプログラムを選んでいました。どんどんと衰えていく方は、自分が楽しいと思えるものに出ているだけで、本人の体力レベルに合っていないレッスンばかりを選んでいます。どんなメニューをどれくらいやればいいのか、実はとてもま難しい問題だと思います。私自身は自分の責任のもと、自分なりのトレーニングプログラムを考えて行っています。それでも、ぎっくり腰にはなりましたし、四十肩の経験ももありますし、手首の腱鞘炎もあります。腱鞘炎は庭石を持ったことが原因でしたが。一人一人に合った運動プログラムを考えることはとても難しいことだと思います。そして、それを考えられる人は専門家でもあまりいないかもしれません。ということで、現状は皆さんは自分で自分の運動プログラムを考えて、ロコモティブシンドローム予防に励まなければいけないのであります。自分の健康は自分で守るしかないのです。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月03日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。昨日も夏本番の暑い一日でした。そして、今朝も強い日差しが朝から照りつけています。6月に梅雨明けをして、何かの間違いではないかと思いましたが、やはり今日も本格的な夏でした。寝ているときもエアコンなしではいられませんでした。以前はタイマーにして寝ていましたが、朝まで最近はつけっぱなしです。タイマーにしていたときは、タイマーが切れる度に目が覚めてしまい、またエアコンを入れるということをしていました。つけっぱなしの方が朝までゆっくり眠れるということがわかってからは、タイマーをしないで寝るようになりました。まだ綺麗です posted by (C)みえこ55キキョウが咲き始めてどれくらいたつでしょう。梅雨が始まる頃に咲き始めたような。意外と長く楽しめますね。まだ綺麗に咲いていますし、つぼみもあります。妖精のいる庭 posted by (C)みえこ55まだ子供達が小さかった頃、園芸店で見つけたこの支柱が、子供達が庭にいるみたいになるなと思って購入しました。天使のいる庭 posted by (C)みえこ55今では本物の子供達は、私よりも背丈が大きくなってしまいましたが、こちらはあの頃のままだなと思いました。夏が来たぞ! posted by (C)みえこ55夏が来てなんだかとても嬉しそうです。暑さに強いお花です。さて、昨日は母のデイサービスがお休みの日でした。デイサービスが休みになると、とたんに生活リズムが崩れてしまうのが常で、リビングに寝転んだまま過ごし、せっかく平日のデイサービスで生活リズムが整ってきたのに、たった一日で昼夜逆転に逆戻りをしてしまいます。なので、私にとって日曜日はちょっとした恐怖になっています。母と一緒に過ごし、適度に相手をしてあげつつ、うまく距離をとりながら生活をしなければなりません。ちょっとした対応の間違いで母の機嫌が変わってしまうこともあるからです。なるべく自然体で接することを心がけてはいますが、緊張を伴います。特に母がやってはいけないことをやろうとしてるのを注意するときが、最も気を使います。以前は普通に文句を言っていましたが、認知症になってからは、こういう言い方をしてもいいのだろうか?と考えてから言うようになりました。以前、ドイツに住んでいた頃、ドイツ語を話すときに、日本語で言おうと思っていたことを、一旦頭の中で、ドイツ語に変換して話していました。まさにそんな感じです。しかし、こういうことを続けているうちに、母に限らず誰かと話をするときには、それなりに気を使って話さなければならないと思うようになりました。認知症の人はある意味分かりやすいのかもしれません。面白くないと思えばあからさまに嫌な顔をしてきます。普通の人であれば、顔で笑って心でムカつくなんてこともあるのではと思います。そう思うと、認知症の人とうまく接する事は、コミニュケーションのスキルが高くなるということにつながるのかもしれません。同じことをな何度も聞いてくるし、同じ間違いを何度もしますから、イライラせずにはいられません。しかし、イライラしていても何も解決はしないし、どちらかと言えば、母よりも私の方が先に参ってしまいます。怒るだけ損するのです。母は、いつもどこ吹く風といった感じで、マイペースです。こんなにやらかしてよく平気でいられるなと思いますが、健常者であれば、こんなに何も出来なくなった自分が自分でわかれば、落ち込みすぎて生きているのが辛くなると思います。なので、腹が立つことはありますが、楽しそうに生きているわけなので、いいのかもしれないと思ったりもします。というふうに、気構えながらも、母と前向きに暮らすことを考えて、日曜日ははじまったわけですが、意外にも昨日は比較的元気に過ごしていました。母はうどんを茹でて、ポテトサラダを作ってくれました。料理はいいリハビリになっているようです。前回ポテトサラダを作ったときは、玉ねぎときゅうりを切ってそのまま入れてしまい、マヨネーズを入れすぎてしまったものだから、ジャバジャバと水っぽいポテトサラダになってしまいました。そこで、今回は母が台所を離れている間に、野菜の水気を絞り、最後の仕上げを母に頼みました。母のプライドを傷つけないように、ほぼ全部母が作ったという形にして、完成させることが大事なのかなと私なりに考えてサポートをしています。料理は途中で何を作りはじめたのかわからなくなることもあります。できる限り先に口や手を出さないよう、一人で出来そうなものはやってもらっています。失敗もありますが、大惨事にならない程度ならまあいいかと思います。母が唯一自らの意思でやることは、洗濯物をたたむことと、料理くらいだからです。洗い物も雑なので、洗い直しをすることにはなりますが、すすんでやってくれます。普通の会話はあまり出来なくなってきました。なぜ会話が出来ないのか良くはわかりませんが、言われていることを理解出来ないというか、記憶出来ないため、次の会話に繋がらないのかもしれません。家事を通してならば会話は成立します。何を食べる?次は何をする?と、断片的な会話です。それと子供達といるときは楽しそうです。子供達の会話も腹へったとか、アイスでも食べるかな。など、短い言葉でしか話さないので、分かりやすいのかもしれません。こうした会話ともいえない会話でも、母にとってはいい刺激なのかもしれないなと思います。それから、昨日は窓に取り付ける鍵を買ってきました。夜中に母が一階のベランダの戸をを開けてしまうからです。夜に補助の鍵を取り付けて、これでよしと寝たのですが、朝起きてみると窓は全開でした。補助の鍵が取り外されて開けられていました。また別の種類の鍵を買ってこなくては…「この辺は空き巣も多くてお向かいの家も入られたんだよ。」と、言ったときはそれは大変!という反応でしたが、そこは認知症ですから、そんなことは忘れて、開けたければ開けてしまいます。その時は大丈夫開けないわよと自信満々に言っていましたが、それをうのみにしてはだめなのですよね。しかしどうやって開けたのか?補助の鍵がなくなっているのですが、どこにあるのか?探さねば。ところで、夜中にトイレに起きたとき、テレビがつけっぱなしになっていたので見てみると、息子でした。サッカーの試合を見ていたのでした。昨日の夜は、母は珍しく寝ていました。この暑さに慣れてきたのかもしれません。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月02日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。昨日も朝からよく晴れて、夏らしい一日でした。庭仕事は水やりと、紫陽花の切り戻し程度にとどめました。昨年も一昨年も熱中症のような症状にみまわれたので、今年からは、夏はほどほどにすることにしました。ほどほどとは言いつつ、全くほったらかしとはいかないので、こまめに、短い時間で雑草を取ったり、効率を考えながら管理をしています。エキナセア本番 posted by (C)みえこ553年前、お店にあるだけエキナセアを買って、庭に植えて良かったです。ほぼほったらかしで大丈夫なので。その点バラは大変です。咲きもしないのに、こまめに手入れをしなければなりません。家庭菜園 posted by (C)みえこ55今年は茄子を4株庭に植えました。地植えのほうがよく育つと思い、地植え3株、鉢植えを1株にしましたが、意外にも鉢植えのほうが育ちがいいです。ヤマトシジミとオカトラノオ posted by (C)みえこ55さて、昨日は近所のショッピングモールで福引きがありました。ちょうどエアコンを買ったばかりだったので、25回もガラガラを回せました。しかし、もらえたのは24個のポケットティシュ(ハズレ)と、1個のボックスティッシュだけ。惨敗でした。今日はエアコンの取り付け工事の日でした。買って二日後に取り付けてもらえたのはラッキーだったようで、ボーナスも入って、この週末辺りからは、工事も混みはじめるのではと、早く出来て良かったですねと工事の方がおっしゃっていました。急に暑くなったなという日に壊れて、最悪と思っていましたが、そうでもなかったのかな。ところで、壊れた原因がこの家をリフォームしたときの業者のせいだったと言うことがわかりました。さて、母の様子は今日はとても静かでぼんやりとした感じでした。デイサービスから帰ってきてもほとんどこ言葉を発することはありませんでした。母が静かなのは、正直ほっとしてしまいます。何かを言い出す時はどちらかというと攻撃的になるからです。受け答えをする際に緊張を強いられます。言われたことを受け流すのは以前よりは慣れてきましたが、耐えられなくなることもあります。以前は夫の悪口だったりすることが多かったですが、最近はあまり言わなくなりました。夫が気をつかい、母がいる時間外出したり、帰って来なくなったからです。相変わらず、デイサービスに行く直前までリビングで寝て、帰ってくるとまた寝てという、傾眠傾向にあります。夜中に活動することもはじまったので、IHのロックを忘れないようにしなければなりません。昨日は業者さんが来ていた関係でベランダの鍵を買えなかったのですが、やはり朝見ると一階の窓が全開になっていました。この辺は空き巣が大変多く、向かえの家でも入られたことがあるので、窓を開けたまま寝るなど大変物騒です。起きている間に何かあればなんとかできることもありますが、寝ている間に何かあると対処ができないです。このまま昼夜逆転が続くようであれば施設への入所をさせようと思っています。夜中に何をやっているかというと、冷蔵庫や台所にあるものを食べたり、お茶を沸かし飲んでいるようです。料理もしようと思うらしく、作りかけのものが、朝起きると台所に放置してあります。IHのロックははずせないようで、諦めるもようです。以前試行錯誤の上、ロックを解除してしまったことがあり、学習してしまったかなと思ったのですが、どうやら最近は諦めてやめてしまうようです。夏は健康な人でもだるくなって活動的ではなくなるので、高齢で認知症のある母が昼間活動て時でなくなるのは、無理もないことなのですが、このまま放置すれば、昼夜逆転の状態がより悪化し、そこから様々な病気の進行に繋がることも考えられます。デイサービスで働く友人が、ここ最近入院してデイサービスを休む入所者が増えているといていました。原因は熱中症とのこと。母は水をすすめても飲まないので、水分はお茶だけになります。食事からとる水分は量が少ないのであまり期待できません。お茶を飲んではトイレに何度も行くので、果していいのかわかりませんが、もはやお茶を好きなだけ飲ませておくしかないのかな。夜中に何度もトイレに起きる程度だったものが、夜中に起きている、という風に生活のサイクルが変わってしまいました。難しいところは、あれはダメとかこれをしたほうがいとか、注意事項を伝える伝え方です。本人にしてみれば好きなようにして何が悪い?今まではそうしていたのにという気持ちがあります。なので、どんな言い方にせよ注意をすればいい顔はしないので、私も言うことを躊躇してしまいます。非常に気を使います。しかし、私が言わなければ家族が困ります。さて、どうしたらいいものか。とりあえず今日こそはホームセンターでベランダの鍵を買ってこなければ。。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年07月01日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。昨日は関東で梅雨明けしたそうですね。いつも訪問させとぃただいている、空夢zone さんのブログで知りました。知らずに一日を過ごしていました。夕方に見た青い空ともくもくした白い雲を見て、夏空だなと思いましたが、やはりそうだったのかと思いました。シジミ蝶 posted by (C)みえこ55庭の蝶々もなんだか昨日は朝から沢山来ているなと思いました。上下とも同じ個体です。翅の裏側はグレーに斑点があり、表側は薄紫色です。とても小さな蝶々です。シジミ蝶 posted by (C)みえこ55シジミ蝶はヤマトシジミだとかルリシジミとか、同じようなグレーに斑点がある蝶が数種類いるようですが、見分けがつきません。フォト蔵の方には虫に詳しい方がいらして、これはヤマトシジミのオスだと教えてもらいました。根強い posted by (C)みえこ55少し前にもアップしたオカトラノオがまだ綺麗に咲いています。花壇の中で、あまり目立ちはしないのですが、なんとなく見かけると嬉しくなってくるお花です。このオカトラノオ、繁殖力が旺盛で、地下で根を広げて、どんどん増えます。なので、随分間引きをしました。毎度同じような事を書いていますけど、母がこちらに来て半年経ちますが、いまだに、住所変更などがなされていなかったり、解約してしまった地方銀行から引き落としが出来なかったと、転送されてくる書類があります。また、先日は新たに存在を知らなかった通帳が3冊見つかりました。まだ解約の手続きが続いています。自分以外の名義のものを、何かひとつでも解約の手続きをするということは、とても手間と時間がかかります。そして遠隔地であるということが、その手間を倍増させます。さて、なぜ解約をしなければならないかというと、介護サービスを安く受けるために通帳を提示する必要が出てきたからです。新しい入金などがないか記帳しなければならないのです。地方銀行の通帳は記帳すら簡単ではありません。2つの銀行に解約をしたいと電話をかけたのですが、これが実にやっかいです。一つの銀行は書類をやりとりすれば解約をしてくれると言い、もうひとつは、書類を持って近所の金融機関に行くようにと言われました。そんなこんなで、昨日は半日作業に追われました。とにかくめんどくさいの一言です。普通なら一度ですむものが、二度三度と手間が増えます。母が来てから一ヶ月以上は、どこかに問い合わせの電話をしたり、役所や銀行に行く日々で、それが今は毎日ではないけれど、まだ続いているということです。今のところ母は文字が書けるので、まだいいのですが、書けなくなったときには、もっと大変になるかもしれません。こんなことから、私自身も通帳を整理しようと考えています。ちなみに私はクレジットカードは一枚も持っていません。全く不便を感じたことはないです。今利用しているショッピングモールやスーパーなどでも、クレジットつきのカードをすすめられましたが、おっちょこちょいなので、財布をなくしたり、カードをなくすなんてことになったりしたときのことを考えると、持っていないほうが気分的に楽です。ネットでの買い物は夫のクレジットカード一枚があればすみます。介護というのは母の身の回りの世話だけでなく、様々な手続き事の代行も含まれます。今なんら不都合を感じていないことも、いつか子供達の迷惑になるかもしれません。こんなに迷惑をかけることになるのだと思うと、今から自分自身の身辺整理もしなければと思ったりします。しかし、実際は何からやればいいのかわかりません。今やっていることは健康作りくらいなもので…とりあえず、銀行をひとつ解約をしましょう。そういえば、こういうブログってどうなるのかな?パスワード、子供達に教えておいたほうがいいのかな?そうそう、一番大切なこと、それはお金を無駄遣いしないこと。介護にはお金がかかります。お金があれば解決できることも多々あります。皆さん貯金を頑張りましょう。母はしまりやだったのですが、晩年金遣いがとても荒くなりました。特に近年はひどかったです。母をあずかったとき、財布の中には高級ステーキ屋さんの領収書が山のように入っていました。今でもその感覚がふと戻り、ステーキ屋さんを予約してほしいと訴えてくることがあります。一人一万円以上はするお店なので、早々に連れては行けませんし、近所でもないし予定を組むのも大変です。今は無理だと言うと機嫌がとても悪くなるので困っています。機嫌が悪くなるというよりもキレるという感じになります。はじめの頃は根負けして、言うがままに母を連れて外食をさせたり、連れだしていたのですが、歩くことさえままならない、家のたった数段の階段を下ろすだけで大きな手間がかかり、それが最も私にとって大きなストレスになりました。また、一度言うことを聞いてしまうと、要求がエスカレートし、聞かないと暴言をはきはじめるようになりました。泣きわめく子供の言うことを聞くと、さらに泣くようになるという状況ととてもよく似ています。そんなことで、いちいち言う事を聞いているともたないので、今は聞かないようにしています。しかし、しつこい性格というか病気なので、一度言い出すと毎日それが続きます。 それと、ここ最近今は母がいる間はリビングにいることが出来ません。リビングのど真ん中床に上でで寝ているからです。この暑さのせいでしょう。夜中も起きていることが多くなり、生活リズムが狂い初めています。またここに来た頃の状態に戻ってしまいました。この家は私と母だけではないので、家族全員が我慢を強いられています。これはまずい状況になってきたと思います。冬の寒さも母の状態を悪化させましたが、夏も同じく、寝室よりもリビングのほうが快適なので、リビングで寝てしまうのです。寝室にはエアコンがあるのですが、リビングは風通しがよく、エアコン無しでも過ごせるため、リビングがいいようなのです。昨日は夜中にベランダの戸を開け寝ようとしていたので、この辺は空き巣が多いのでやめるように頼みましたが、きっと忘れてまたやってしまうかもしれません。ホームセンターで簡単に開かないよう鍵を買ってこなければと思います。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年06月30日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。今朝は朝から気温がグングン上がっています。というか、昨日から気温が下がらないという感じ。猛暑です。一昨日、泊まりがけでディズニーランドに行った娘から、自分の部屋のエアコンが壊れたとラインが入っていました。ネットで説明書を検索し、復旧作業を試みましたが、自力では無理であることがわかりました。そこで、ディズニーランドから帰宅したばかりの長女と買いにいってきました。中くらいのお値段のものを買いましたが、工事費などを含めると12万円にもなりました。商品の値段は7万円と書かれているのに、なんだか詐欺にあったような気分です。エアコンの値段の表示方法は疑問です。主役になったエキナセア posted by (C)みえこ55庭に咲くエキナセアがとても綺麗です。グングンと増えていき、間引きしなければなくなる植物もありますが、このエキナセアは、じわりじわりと、年々株を大きくして増えています。初めて植えたときは、さほどの存在感はありませんでしたが、今は庭の主役になっています。さて、このところ母は昼夜逆転の方向に向かっているような状況です。夜中に起きていることが多くなり、お茶を沸かし飲み、テレビを見ていたりします。頭が働かないらしく、ボーッとした感じです。昨日は福島でフルーツ農園を営んでいるいとこからプラムが届いたのですが、毎年送ってもらっていたのに、買って送ってくれたのかしら?と言っていました。更には、今年はさくらんぼを送ってくれなかったなどと、さくらんぼなどは一度も送ってもらったことのないのに。 最近のことは覚えていなくても昔のことは比較的よく覚えていた母が、 こんなことを言い出すなんてショックです。 ケアマネさんに相談してみようと思います。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年06月29日
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おはようございます♪今日もお忙しい中、訪問頂きどうも有難うございます。今日は曇りです。ムシムシはしていますが、多少風もありエアコンはなくてもまだ大丈夫です。庭の紫陽花 1 posted by (C)みえこ55今もお庭で綺麗に咲いている紫陽花です。庭の紫陽花2 posted by (C)みえこ55とても可愛いのですが残念なことにリビングから見えない場所に植えてしまいました。庭の紫陽花3 posted by (C)みえこ55今日は三枚の紫陽花をアップしていますが、いずれも同じ紫陽花です。日々色が変わったのではなく、同時にピンクや紫が咲いています昨日は、母のショートステイの日でした。子供達も、それぞれに用があって、夕飯もいらないというので、のんびりできるかなと思っていましたが、はは宛のお中元が届き、食べきれない量だったので、小分けして近所に配ったり、お礼の電話をしたり。母の海保関係の書類を書いたり、それに伴う電話をかけたり、母のことで時間がすべて使われたという一日でした。ということで、今日もまだ終わらないのでブログはこの辺で。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年06月28日
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