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神社について、最近このブログを見られた方には「なんのこっちゃ?」ってなるかもしれないので、改めて説明を。詳しくは、うつ病の原因4.幼少期編 性格形成(生まれた家) [ うつ病の原因と対策 ] 私の実家はど田舎の神社。規模は大きくはない。明治神宮、出雲大社、伊勢神宮、熱田神宮等々を想像しないでほしい。あくまでも田舎の、過疎化が進行中の村にある神社。昨日、年収を聞いてみた。年間12万円。年間ですよ年間!12万円ですよ、120万円ではありません。。。(もちろん兼業で生活しています。)それで、神社の運営管理を任されています。お寺は、「檀家さん」があって、定期的にお経を読んである程度の定期収入はあるところが多いだろう。まぁそちらも、規模の問題はあるでしょうが・・・。神社の場合は、所有者はあくまでも「氏子さん」。都会の人はわからないかもしれませんが、要は、その神社の管轄する範囲の家や人。。。うちの場合は、氏子さんが500軒程度。毎年、1000円から2000円をお願いして集めてもらって、それを元に、神社の修繕費用や、祭事の費用等に当てられる。その中から、給与として年間12万円ということ。神社は、古い建物で、老朽化が進み、修繕箇所は山ほどある。それを、氏子代表で話し合って、今年はここを直そう、あれを直そうと決める。それ以外にも、いろんな費用(たとえば電球が切れたり・・・)が発生する。メリットとしては、12万円のほかに、各種お祓いのお礼。金額は決まってはいないが、大体3000円から10000円程度。地鎮祭とか、初宮参り、七五三など。。。月に、1回か2回程度はあるようだ。。。でも生活は成り立たない。。。また、実質土日営業の神社であるので、お断りせざるを得ないことも多々ある。さらに、過疎化が進むこの地域では、それほどの件数はない。しかも、最近の若い人は、「信仰心」自体がなくなってきているのも事実。それに、若い人は就職で都会に出て行く。戻ってくる人もたまにはいるのだが・・・。信仰心の低下は、実際に現れ始めている。毎年2月に、厄年(42歳?)の人が中心となり、厄神祭が行われる。今年から、「やる派」と「やらない派」に分裂いているらしい。人数が少ないと、お祭り自体の規模も縮小し、派手さもなくなり、益々、参拝者が減る。このような現状である。イベントごと(初宮参り、七五三、初詣等)は、大きな有名な神社で、というのが普通だろう。皆さんもそうではないだろうか。。。ほかのメリットとしては、お供え物が、正月等にあること。でも、ほとんどが「お酒」。うちはお酒を飲む人がいないので、誰かにあげることが多い。後は、行事で使うとか。。。たまに、「お米」のお供え物がある。これは直接「食費」として助かる。その程度である。あとは、デメリットのほうが大きいだろう。境内の掃除や、運営、その他諸々の雑用。。。将来的には、信仰心が厚いお年寄りがいなくなり、信仰心のない若者が増え、ますます衰退していくことは間違いない。それでも、うつ病になって、実家に毎日いるようになって、宿命のようなものを感じた。私が今まで、子供の目で見てきた神社の見方と、今大人になってからの見方、実態は少し違っている。私は、後を継ぐために生まれてきたのかもしれない。と、少しは思うようになった。神様が実態を見せるために、私を「うつ病」にして、実家での生活をさせたのかもしれない。。。もともと、人のために何かをすることは嫌いではない。まぁ、父母が元気なうちは任せて、亡くなったら、そのときに考えようと思う。とりあえず、今は復職して、「うつ病を治すこと」が先決だ。↓↓一日一「ポチッ」お願いします↓↓m(._.)m ランキングに参加しています。宜しくお願いします。↓余裕がございましたら、こちらも宜しくお願いします。人気ブログランキングへ
2009.01.11
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久々ですが、今度は高校時代の話。うつ病には直接関係ないと思う・・・。高校1年のときは、まだ真面目なほうだった。高校は男女共学の公立高校。自転車で片道10kmの道のりを毎日通った。今考えるとすごい距離。毎日20km自転車に乗っていたのだから・・・。夏場の雨の日は、学校に着くと、学生服は汗でビショビショ。冬場の雪の日もつらかった。高校2年になるとき、迷わず「理数系」を選択した。理由は、「神社」から少しでも遠いところに行きたかったから。。。理数系は、男子が多く、自分は通称「男組」といわれたクラスに入った。全員男子。ある意味気楽だった。そのころ、早くも「浪人」を決意した。いままで、自分の好きなことは何一つといっていいほどしてこなかった。少しは「遊ぼう」と思った。一年浪人してもいい、その分、自分の好きなことをしてみたいと思った。ただ、部活動はやはり剣道部。2年の後半からは主将(キャプテン)となった。2年から勉強をしなくなった自分の成績はどんどん下がる一方。それでも、一応理数系はがんばった。成績の落差(日本史、古文、漢文は最下位近く、物理、数学、化学、生物はトップクラス。)がかなりあったが・・・。意図的としか考えられない(笑)。神社を継ぐのが本当にいやだったのだろう。また、2年の初めころから、3年の後半にかけてバンド活動もした。もちろん親には内緒で。楽器はできなかったので、ボーカルで。一軒家の空き家を借りたり、スタジオを借りたりして練習した。賭けマージャンもしたし、禁止のアルバイトもした。タバコは中2から吸い始め、このころピークだった。酒も飲んだし(時効?)恋愛経験もそれなりにした。確か5人と付き合ったが、長続きはしなかった。でも、今考えると、そんなに真剣では無かったのだろう。別れるときも意外とあっさり。このころが一番楽しかった。「本当の自分」が出せていた唯一の時期かもしれない。今考えると。。。「心」も健康だった。鬱になる要素なんて、これっぽっちも無かった気がする。あるとき、高校の帰り、遠回りをして帰っていたら、母が中学時代の隣のクラスの先生を乗せていたのを目撃。母への不信感は募っていった。中学のころから、自宅によく電話があった。隣のクラス担任がかけてくること自体おかしい。。。電話があると決まって、別の部屋へ行ってコソコソ話していた。明らかに怪しい。。。その後よく車で外出していった記憶がある。(いいように考えてあげれば、まぁ母も人間、父親は仕事一筋で寂しかったのかもしれない。)そんなこんなで、高校時代はそれなりに楽しかった思い出がいくつもある。今回のうつ病になるきっかけのようなものは見当たらない。性格もこのころが一番明るかったと思う。このまま、人生を進んでいれば・・・次回は予備校編の予定です。↓↓一日一「ポチッ」お願いします↓↓m(._.)m ランキングに参加しています。とっても励みになります・・・。↓余裕がございましたら、こちらも宜しくお願いします。人気ブログランキングへ
2008.09.15
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中学2年の頃、突然歩けなくなった。足腰が痛くて。当時は自転車通学。自転車にも乗れない。毎日、車での送迎。体育も部活動もずっと見学。ほぼ一年間。原因不明。気分は落ち込んで最悪。何に対しても気力が無くなり、勉強もできなくなった。今思えば、「うつ状態」だったような気がする。今と精神状態が似ている。。。もし精神科等に行っていれば、「うつ病」と診断されていたかもしれない・・・。足腰が痛くなったのは、たぶん、いや、ほぼ剣道が原因。精神的なものから来ていたのかもしれない。その剣道も1年間休んだ。歩くのがやっとだったので当然といえば当然。中学に入学したとき、軟式テニス部に入部した。幸い剣道部は存在していなかった。ラッキー!ところが、中学2年になる前に、剣道部を創部することになった。私を含め5人の経験者で・・・。もちろん私の祖父も絡んでいた。泣く泣くテニス部もやめ、また剣道をすることになった。その頃から、足腰の痛みがひどくなっていた気がする。ほとんど見学だったが・・・。中2の後半から剣道を再開し、試合のたびに膝の痛みを抑える注射を膝に打ちまくった。医者に「注射で成長が止まるけどいいか?」と何度も確認された。痛みから逃れるため、そんなことはどうでもいいと思ったし、注射ごときで成長が止まるなんて、ありえないと思っていた。でも、本当に成長がピタッと止まった。なので、自分の身長は今も中2のまま・・・。169cm。中2にしては大きいほうだった。友達はみんな高校になっても成長し、どんどん抜かれていく。なんか屈辱的だった。父親の身長はは175、母親も160以上。もう少し伸びてもいいはずだった。遺伝的には。。。途中で成長が止まったので、なんとなくアンバランスな体型。これもちょっとコンプレックス。(今考えると、人生に、身長なんてそれほど影響しない。少なくともこれからは・・・。自分で納得・・・。)でも、それもこれも、みんな剣道のせい。(剣道をさせた、母親にやはり矛先が向くのであった…)腰と膝の痛みを抑えるため、整形外科、整体、鍼、漢方、サプリメント、、、あらゆる手段をとったが、治らなかった。。。だんだんと歩くことすらできなくなっていた。そんなある日、父親の知り合いの知り合いのバスの運転手(なぜか僧侶)がマッサージもどきの治療を何度かしてくれた。治療費も取らなかった。(その人は、膝の痛みは、腕や肩、腰、背中からきていると言っていた。なので、膝を触らずに、膝を治してくれた。)そのおかげで、信じられないくらいに回復した。歩けるようになったのだ一年のブランクがあるにもかかわらず、駅伝の選手にも選ばれたり、剣道の試合でも上位に名を連ねることができた。精神的にも回復してきた。3年では剣道の副キャプテン。あの人には、一生頭が上がらない・・・。(あの人との出会いは何だったのだろう。あの人には本当に感謝している。あの出会いが無ければ、今も車椅子生活だった。誰に感謝すればいいのか。神様か。いや、それでも父親が一生懸命いろいろ捜してくれたからこそだ。元はといえば、母親が無理やりさせた剣道が原因なのだが・・・。今考えると、両親とも必死だったに違いない。少しは理解できるようになってきた。ただ、こういう事実を、今、反省してほしい。それだけで救われる気がする。)いろいろ書いて、だいぶ、「過去との決別」をすることができてきた。あとは、「今」と「未来」のみ考えることで、うつ病も逃げて行ってくれるだろうと思う。一応、次は高校編少し同情してもらえたら↓お願いします。↓↓一日一「ポチッ」お願いします↓↓m(._.)m ランキングに参加しています。とっても励みになります・・・。↓余裕がございましたら、こちらも宜しくお願いします。人気ブログランキングへ
2008.09.09
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[うつ病] ブログ村キーワード今日の睡眠時間4時間半。釣りの後は6時間。やはりちょっとした肉体の疲労も必要なようです。気管支炎、2回目の病院にいってきました。抗生物質を変えて4日間様子を見ることに。熱は下がったので、後は時間の問題だと思います。セキとたんもだいぶましになってきました。ただ、昨日ネットカフェに来たとき、めまいと動悸、冷や汗ダラダラ、座っているのも辛い、このまま死ぬんじゃないかという不安、顔面蒼白、PCの前に座っているのにパソコンの画面が見れない、何もできない、動けない・・・30分くらいじっとして目を瞑っていたら、マシになってきて、正常に戻りました。これって、パニック障害??詳しくないのですが、釣りで疲れていただけかな・・・たまーにこんな症状が出ます。。。ところで、先日の講演会の話の続きです。メモったことと私見を書きます。これが最後です。★周りの声のかけ方★■「これを一緒にやらない?」(「一緒に」というのが大事。でも本人の意思を尊重して。自分も体調さえ悪くなければ、「一緒に」といわれればやってみようかなって気になります。)■「がんばって休め!」(「頑張れ」は禁句だけど。この「がんばって」は許せますね(笑))■出来ないことを認めてあげる。(どうしてこんなことも出来ないの?といった無理解をやめる。本人はしたくても出来なんですよね。。。)■「すごいね、出来たね。」(「できるんだ」というメッセージ。確かに、こういわれると自信につながります。)■「いまはこれでいいんだ!」(これだけしか出来ないという患者の自信を回復してあげる事が大事なのかなと思います。)■とにかく普通に接する。(腫れ物に触るような接し方は、かえって疎外感を与えてしまうよね。普通に接してもらえると、気が楽になります。)■せかさないようにする(自分もせかされると、焦って情緒不安定になる・・・。イライラしたり・・・。)★性格★■真面目、几帳面、一人で頑張りすぎる人(どこにでも書いてあることですが・・・変えることは至難の業。『出来なかったこと』に目を向けず、『出来たことに目を向ける』訓練が必要かも知れないですね。)■真面目は悪くない(細かすぎる→丁寧。人のことを気にしすぎる→気遣いの出来る人。よい面を見るようにする、よい面を生かすようにする。そうすれば、真面目を悪者扱いしなくて済みますよね。)★その他★■ある種の抗うつ薬は、神経を再生する効果も確認されているようです。 (性格が変わってしまうのでは?副作用が心配。依存性が気になる。。。心配は絶えないでしょうが、飲み続けることが重要です。副作用が心配なら主治医にじっくり納得するまで聞いてみることだとおもいます。完治するまでは主治医の指示に従いましょう。だいたいよくなってから、半年から一年くらいは飲み続けたほうがよいみたいです。これも、よく本とかに書いてあることですが、聞いてみて実感。あと、初期のころ、母から、「そんな薬に頼っていたらもっと悪化するよ」といわれ、無理解に苦しんだ経験あります。。。周りの人も、薬について正しい知識を持ってもらいたいですよね。)■アルコールはやめましょう(睡眠を浅くしますし、アルコールを薬物として考えた場合、うつには悪影響を及ぼす作用を持っているようです。どうも、アルコールに逃げる人が多いみたいです。。私の場合は、もともとあまり飲めないので、助かっています。たまーに、一口だけって飲んでしまいますが。口を潤す程度です。。。)最後に、、ちょっと話はそれますが、★双極性障害(躁うつ病)について★■双極性障害の60-70%はうつの状態から始まる。(躁の状態が出ないと、なかなか専門家でも判断がつきにくいようです。双極性障害は、うつ病とは治療法(薬)がちがうので、早めに診断をつけてもらうことが大事ですね。海外の研究では、うつ病と診断されていて、実は双極性障害だったとわかるまで、15-20年かかってるようです。他人事ではありませんね。。。もし『躁』の状態がたまに現れてきたら、主治医に要相談です!長引くうつ病は、ちょっと気にしておいたほうがいいかもしれませんね。。とにかく症状は詳しく先生に報告しようと思いました。)一応これで、講演会のフィードバックは終了します。読んでくださりありがとうございました。↓↓一日一「ポチッ」お願いします↓↓m(._.)m ランキングに参加しています。とっても励みになります・・・。↓余裕がございましたら、こちらも宜しくお願いします。人気ブログランキングへ
2008.09.07
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[うつ病] ブログ村キーワード今日の睡眠時間は4時間。昨日2時間昼寝したのでこんなものかな。中途覚醒なしで、目覚めもそんなに悪くない。ちょっと短めな気もするけど、以前に比べたら倍。良しとするしかないのかな、今の段階では・・・。昨日の続きでも書いてみます。。。★前兆★(まだ「うつ病」と診断されていない人、もしかして「うつ」かもと心配な人。当てはまることが多ければ早めに精神科か心療内科を受診してくださいね。すでに「うつ病」の人、懐かしんでください(^.^))■新聞、本を読めなくなる(まったく興味がなくなりました。本なんて読む時間も無かったけど・・・。今は、新聞は1,2週間に1回程度、本は、たまに寝る前に睡眠薬代わりに数ページ読む程度。それでも、改善してきたと思う。)■眠れない(もともと不眠症気味だったけど、どんなに疲れていても、眠れなかった。あれこれ考えていたからかな。今日あったことの反省、明日の心配。。。理由はわからないけど、とにかく眠れなかったなぁ。そのため、疲労の回復ができずに悪循環・・・。)■考えが纏まらない(仕事で、論文の下書きをしたり、簡単な書類を作ったり、メールを書いたり、、、簡単なことですら出来なくなっていたなぁ。。。あと、会議でも何を言っているのか頭に入ってこない。一人蚊帳の外にいる気分がしていた。なんか脳みそがぐちゃぐちゃって感じ・・・)■今まで出来ていたことが出来なくなる(本当に簡単なことが出来なくなっていた。「考えが纏まらない」に通ずるところもあるけど・・・。自分の場合は、いろいろありすぎて書ききれない。。。)■身体の不調(あらゆる体調不良。心療内科を受診したきっかけ。特に消化器症状がひどかった。自律神経の乱れでしょうね。あと、頭痛、歯痛、目の痛みや視力の低下、動悸、息切れ。。。数え切れないくらいの症状。。。でも、内科受診では「異常なし」・・・「まずは、心の病気を治してくださいね」って内科医にサラッと言われたときはショックだった。)■楽しかったことが楽しくない。何事も楽しめない(当時、楽しいことなんて何も無かったし、飲み会でも楽しめない。テレビはもちろん。子供といても楽しくない、逆にうっとうしく感じた・・・。PCなんて全くしなくなったっけ。)■気分の落ち込み(気丈に振舞ってはいたけれど、自分はなんて「出来ない人間」なんだ、「最低の人間だ」とかいろいろ自分を責めていた。「何のために生きているんだろうか」とか。自殺を意識しだしたのもこのころ。。)■笑えない。お笑い番組を見ても笑えない(テレビさえ見る気がしなかったのだが、家族がお笑い番組を見ていても、全く笑えなかった。冷たい目線で芸人を見ていた。不思議ですよね。。。今は少し笑えるときもあるので、回復のバロメータとしては、「お笑い番組」いいかも。)■他人がうらやましいという気持ちからスタート(自分の場合、今思い返してみると、そんな気分もしていたのかなぁという程度。確かに、飲み会やパーティで、大笑いしている人や、テレビを見て大笑いしている家族を見て、うらやましい気持ちになったことはある。そういえば、元気いっぱいの人を見て、自分の不健康をうらんだこともあったかな。)★うまくいかないときの考え方★(いまうつ病で苦しんでいる人、停滞期?って思っている人、焦りが出てきてしまっている人。(まさに自分なんですが・・・)わかっちゃいるけど・・・なかなか出来ないんですよねぇ。)■できたら100点、できなかったら0点という考え方を改め、出来なくても95点と考える(何かをする、行動することに意味があると考えればよいのでしょうね。)■何もやらないよりは、一歩踏み出してみる(何でもいいんです、時間が許す限り。ゴロゴロするのもいいじゃないですか。今しか出来ませんよね。私の場合は、今現在、釣りに行きたいです。でもなかなか、一歩が踏み出せない・・・)■とにかくはじめてみる(何かをしてみないと、次の何かが出来ない)(上記と同様、今、自分が出来ること。無理をしないで出来ることを。ただし、休養が必要なときに無理にすると逆効果になるので主治医とご相談を。今の自分には、釣りのほかに、ゴルフかな・・・。せっかく今年両親に買ってもらったゴルフセット、まだ使ってない・・・)■しなければならない思考をやめる(ありがちですよね。まず出来ることを考えてみる。自分も「○○しなければならない」とよく考えてしまいます。でも、もっとよく考えると、意外とどうでもいいことだったりする。)■やりがいを見つける(やりがいのないことをやっても楽しくないし、続かない。今の自分に足りないのはこれかな。。。でも、『ブログを書くこと』に少しやりがいを感じています。意味のあることだと信じて・・・。本当は意味の無いことかもしれないけれど・・・。実際、ブログを始めてから、調子がよくなったような気がするのは、気のせいかな?)■人間関係で支えられる部分をどう作っていくか(家族はもちろん、友人や同僚。心から相談できる人を作っておくことも大事。今頃になって、妻を信頼できるようになってきた。結婚13年目?くらいで・・・。ほかには父親。これまで心を開いて話したことも無かった。最近少し心から話せるようになったかな。娘にも悩みを相談したり。。。意外と的を得た回答が帰ってきたりする。。。今は、友人や同僚で心から信頼できる人はいないのが残念。今まで心を閉ざしてきたツケ。社会復帰したら、心を開いて本当に信頼できる人を探そうと思っている。)★「うつ病」は本当に治るのか?★(究極の質問ですね(笑)。)■少しずつ変化をしてくる(確かに、ゆっくりと変化をしてきていると思う。)■100%治るとはいえない(ガクッ。治らなくても良くなることはあると思う。でも80%でもいいじゃない。そしたら、「頑張らない自分」になれるかも。100%治ったら同じ過ちを繰り返しそうだから。)★よくなったという判断は?★■気持ちが楽になったというのが一番■出来なかったことが出来るようになる(どちらも、納得!いま、少し気持ちが楽になってきている気がする。波はあるけれど。。。これもブログのプチ認知療法のおかげかななんて思ってみたり・・・。出来なかったことが出来るようになるには、まだまだ時間がかかりそうです。でも、改めて考えてみると(長期間で見ると)、少しずつ出来ることが増えてきたような気もします。)次回、あと少しだけ講演で得た情報を書けたらなぁと思います。これも気分しだいですが。。。d(^-^)いま、ネットカフェです。いつも、気力が少しあるとき、家に帰ったら、あれしてこれしてって考えるんだけど、結局出来ないことのほうが多いです。"/(;-_-) では、また明日・・・かな?(もう金曜日なんですねorz)↓↓一日一「ポチッ」お願いします↓↓m(._.)m ランキングに参加しています。とっても励みになります・・・。↓余裕がございましたら、こちらも宜しくお願いします。人気ブログランキングへ
2008.09.05
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[うつ病] ブログ村キーワード今日の睡眠時間4時間半。DVDを見ながら、字幕についていけなくなった頃に睡眠薬服用。やっぱり、自然と眠くなったときに飲むのがいいみたい。経験上。。。先日の講演会で音無さんのお話を聞いて、共感できたことや、なるほどと思ったことを書いてみたいと思います、少しだけですが。。。先日、大地の歌さんに教えていただいたサイトに、大体のことは書いてあるのでご参考まで。当日の講演内容とは若干異なりますが、基本はこんな感じでした。今うつ病で苦しんでいる人、うつ病になりたてホカホカの人、うつ病を克服した人、うつ病の家族を持つ人・・・、それぞれ感じ方は違うと思いますが、あくまでも、たぶん回復段階にあるだろう、私自身の感じたこと、心に残ったことを少しだけ書いてみます。いろんな「うつ病の本」に書いてある事とかぶっている事も多いと思いますがご了承ください。パクったわけではありません(笑)音無さんは、もともと頑張り屋さん。(私も、自分で言うのもなんですが、頑張り屋さんの典型例です。)つらいことがあっても、弱音を吐けないタイプだったようです。(同じく、弱音をはかない。妻に対しても親に対しても、自分に対しても・・・)それで、音無しさんは、乳がんになり、子供のことや家庭のこと、女優業のことで、「いっぱいいっぱい」になった。(私も、腰痛や仕事、家庭、子供・・・いろんなことで「いっぱいいっぱい」の状況でした。一人で抱え込んでしまっていました。)そんな時、どんなに疲れていても2時間で目が覚めるようになってしまったようです。(まったく同じです・・・)そのような状況で、ついに、仕事をドタキャンせざるを得ないような状態にまでなったようです。(私が発症したのも同じで、大事なアポを、ドタキャンで、代理で行ってもらいました。そのまま休職となりました。本当に共通点が多く驚きました。)音無しさんは、そのころ、どう頑張っても「プラス思考」が出来なくなってきたようで、マイナスの方向にしか考えられなくなっていたようです。明らかにうつ状態ですね・・・。音無しさんと大野先生のアドバイスとして心に残ったこと。。。もっとたくさんいわれていたと思いますが、メモれたことは以下■のとおりです。( )は、私なりの考えや経験。。。■出来ないことは出来ないと認める。(今まで出来ていたことが、急に出来なくなるのですから本人にとっては認めたくない気持ちになりますよね。私もそうでした。でも、病気なんだから、出来ないことを出来ないと認めることで気持ちが少しでも楽になるのだと思います。そのうち少しずつ出来てくるときの喜びもあります。)■一つ一つ何かをやっていく。(小さいことでもいいと思います。何もしないと前に進めないのだと思います。一つ出来たらまた一つと、進んでいけばいいと思います。少し元気になってきてからのことでしょうが、何か行動してみることが大事だと思います。行動することで、新しい発見があったり、新しい世界が開けてくるかも。)■笑う練習をする。(音無しさんは笑顔を忘れていたようです。確かに私も笑顔を忘れています。最近少し笑えるようになりましたが・・・。ワンコを飼いはじめた頃くらいからかな?少し自然に笑えるようになったのも。しぐさが可愛くて。。。笑顔を忘れた人は、鏡の前で笑う練習をするといいみたいです。今度鏡の前で笑う練習をしてみようと思います。普通なかなかしないですよね(^^)。笑うことで、心の中も少しは楽しくなってくるのかも・・・。お笑い番組を見れるようになって心から笑えるのなら完治は近いですね。私は少し見れて、「ニヤッ」と位は出来るようになってきたかな??)■気楽な人生に。完璧を求めない。(人生の正解は無いと思うようになりました。どんなに完璧な人生を求めても、完璧な人生など存在しないことに気付きました。ならば、気楽で楽しい人生のほうがよい。そう思えるようになってきたかな?少しだけ・・・もともと人生に目標なんて無い私ですが・・・)■今が一番若い、明日には年をとる。今日一日を生きる。(確かにそうですよね。今が一番大事。今を充実させることで、より良い「明日」が迎えられるような気がしてきました。人生は、一日一日の積み重ねですもんね。。。今を楽しめるようになることが理想ですね。)■頑張らない。「まだ頑張れる」は要注意!(がんばって得るものも大きいかもしれないけど、失うものはもっと大きい気がする・・・ただし、頑張らなくてはならないときもあるだろうとも思います。「身の程を知る」というのでしょうか。自分の出来る範囲を知るのは大事ですね。私は明らかに「身の程知らず」でしたorz. 「まだ頑張れる」、私もずっとそう思って生きてきました。倒れるまでは「頑張れる」と思っていました。自分の限界を知らずにいました。今考えると馬鹿みたいですが・・・。)このほかにも、アドバイスや、周りの接し方など役立ちそうな情報もあったので、次の機会に書きたいと思います。(調子のいいときにリハビリとして・・・)そういえば、「過去の振り返り」の下書きも、予備校時代くらいまで書きました。やっぱりつらいことを思い出すのは辛いですね・・・でも克服していきたいと思います!少しでもお役に立てたら↓よろしくおねがいします。m(._.)m おねがい↓↓一日一「ポチッ」お願いします↓↓m(._.)m ランキングに参加しています。とっても励みになります・・・。↓余裕がございましたら、こちらも宜しくお願いします。人気ブログランキングへ
2008.09.04
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それは小学3年生のとき。図工の授業中か、自習の時間だったと思う。突然の腹痛と冷や汗が出てトイレに行きたくなった。小学の時って、トイレに行くのも勇気が要る。ましてや、授業中に。それでも我慢ができなくて、とにかく走った。これがまた、トイレが遠い。廊下を走って、下駄箱で靴に履き替え、運動場を駆け抜けてトイレに。。。もたなかった・・・途中でお漏らし・・・。完全に下痢。(食事中の方すみません)水様便。当時は短パン、外からも丸分かり・・・。授業中だから、誰もいないと思いきや、体育の授業をしていた5年生がいた。その中には、札付きの「悪」も。その「悪」の中の、3番手くらいの子が、このとき以来、ひどい言葉で、自分をなじった。いじめに近い。水道で、手足を洗い、教室に戻る途中、担任の教師と出くわした。「すぐに自宅に帰って、シャワーを浴びて、着替えて来い」とのこと。よほど、ひどかったのだろう。自分は、もう冷静ではなかったので、分からなかったが、体中が「う○こ」まみれだったに違いない。家まで走れば5分。そのまま、自宅に帰った。ところが!!!!!自宅には、誰もいない。母がいるはずなのにいない!もちろん鍵もかかっているので、入れない。どうしよう、どうしよう、どうしよう。あせりまくった。、ヽ`(~д~*)、ヽ家の周りをぐるぐる回りどこか鍵の開いている窓を探した。そしたら、トイレの小窓が開いていた。(またトイレかよっ!)確か、何か「台」を使ってよじ登り、とりあえず進入成功。泣きながらシャワーを浴びて、泣きながら着替えて、泣きながら、学校へ戻った・・・。すでに2時間近く経過していたと思う。そのときのショックは尋常では無かった。今でも鮮明に覚えているくらいだから・・・。教室に入ると、みんな、普通。あえて、その話題に触れてこない。(と記憶しているが、脳がいやな記憶を消し去っているのかもしれない。30分程度で帰ってくるはずが、2時間近くも帰ってこなかったのだから、質問攻めにあっていたに違いないし、その光景を見ていた同級生も何人かいたはず・・・)小学3年生ともなると好奇心の塊。「どうしたの?」「どこにいたの?」質問攻めにあっていてもおかしくない状況。もしかしたら、担任の先生が、事前に注意をしていたのかもしれない。それ以来、このことについて、クラスメートは何も触れてこない。知っているはずなのに。いや、完全に知っている。知っているのに、気を遣ってあえて触れられない。同級生のいじめっ子タイプの子にまで気を遣わせていた。。。逆に落ち込んだ・・・。もっと笑ってくれれば、よかったかもしれない。腫れ物に触れるような感じで接してこられていた。当時。その後も、ずーっとそのことにはみんな触れない。自分だけが心の中で傷ついていた。5年生のある人物だけが、毎日のようにからかいに来る。私が中学2年になるまでずっと。中学1年になったとき、「悪」の3番手のそいつは3年。卒業するまで、嫌がらせは続いた。まるで鬼の首を取ったかのごとく。。。悪の1番手、2番手でさえ、その事件以降、その話題には触れてこなかった・・・。とにかく、これだけ苦しんだ理由は、「下痢」。下痢の原因は、母親。とにかく、母親の出した食べ物にあたったのは、ほぼ間違いない。いつも、腐りかけの食べ物をよく出されていた。精神的なものかもしれないが、それでも原因は母親にある。(習い事や塾に無理やり連れて行かれたことでの精神的なものからくる消化器症状の可能性も。それに、事件当日の大事なときに家にいてくれなかった。せめて置手紙でもあれば連絡がついたのに・・・。。)そして、当然の如く、その怒りの矛先は母親に向かった。でも、表には出せなかった。心の中だけでの恨み。幸い悪の3番手以外からの、いじめには一度もあわなかった。(と、記憶している・・・)自慢になってしまうが、勉強もできて、スポーツ万能、友達も多く、不良グループには入っていなかったが仲は悪くなかった。不良グループの一人一人とは、仲がよかったほう。う○ち事件以外は、これといってからかわれる要素は無かった。当時。一人だけ、自分が目障りだったようで、よく階段下とかに呼び出されて、胸ぐらをつかまれたりしたが、それくらい。そいつも、手は出してこなかった。そいつの家は複雑な環境で、誰が見ても「不幸」な家庭。気に食わないのもわかる気がした。同情していたわけではないが、不良になって当然って感じ。そいつは、空手か少林寺拳法を習っており、体もごつい。誰も逆らうものはいなかった。私も体は大きいほうで、けんかをしても勝つ自信はあった。まぁ、剣道をしていたおかげもあるのかもしれない。そんなこんなで、子供のころ、心に深い傷を負ったのは、このう○ち事件のみかもしれない・・・。でも、いまでも鮮明に覚えているし、忘れられない。よほどショックが大きかったのであろう。深い傷となって心に残っている・・・・。この事件をきっかけに、自分への自信という感覚がなくなったことだけは確か。暗い影をずっと引きずっていた。。。いまでも、自分に自信がない。自信が無いのはこの出来事が大きくかかわっていることは間違いない。また、このとき以来、何事にも消極的になってしまった。心のどこかで、引きずっているのだろう・・・。長文になりました。すみません。でも、書いてすっきりしました。全国の人にカミングアウトしたので、もう恥ずかしくもなんとも無い!!!「自分は、小学生のとき、う○ちもらしましたぁーーー!!!」次は、中学編です。「今考えるとウツ?」を予定しています。少し同情してもらえたら↓お願いします。↓↓一日一「ポチッ」お願いします↓↓m(._.)m ランキングに参加しています。とっても励みになります・・・。↓余裕がございましたら、こちらも宜しくお願いします。人気ブログランキングへ
2008.08.29
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[うつ病] ブログ村キーワード小学生の嫌な思い出を書いていると、母親に無性に腹が立ってきた。ここで、先に母の「秘密」をぶちまけてやります。自分の苦しみの一部はこのことから来ています。母は、所謂、片付けられない女、ゴミ屋敷の主人です。(うつ病発症当初、主治医から実家でゆっくり休養することを薦められた。しかしながら、以下のような状況で、自分の居場所が無い。居場所を作ってくれと頼んでも、断固拒否。今日に至る・・・)まぁ、世間体を第一にしているので、見えるところはきれいにしています。玄関など。自分の服やアクセサリーもブランド物で統一したりと、おしゃれにもお金をかけています。はっきり言って、湯水のごとく、お金を使います(少しくらい財産の残しといてほしい。老人ホームに入るにも、家をリフォームするにもお金がかかる。葬式代くらいは残しいて欲しいものだ・・・)。近所でも、「上品な奥様」で通っています。付き合う友人も、上品なお金持ちとかが多いようです。まずは、今までマジで苦しんできた、食事。何度食中毒になったことか。。。台所の写真を見てもらえるとその『深刻さ』がわかっていただけると思います。築10年ですが、2年目くらいからこの状態でした。その前の家も同様。こんな、台所で食事を作ったら、そりゃ食中毒にもなります。火事にならないかも心配です。子供のころから何度言っても、片付けません。私がしようとしても断固拒否です。意味不明な塔が立っています。(笑)ちなみに、私の自宅マンションは、築5年でこの程度です。↓まぁ妻はきれい好きなのでこの程度で済んでいるのでしょう。冷蔵庫の中も、酷いもので、もうまったく何も入りません。なぜなら、腐敗した食べ物で満タンだからです。なぜ捨てないのか理解できません。中学生のとき、あまりにも酷いので、私がゴミ袋片手に片っ端から捨てたことがあります。異様なにおいで気分が悪くなりました。出てきたものは、賞味期限を何年も過ぎた真っ黒な得体の知れない食品や、パンパンに膨れ上がった缶詰。。捨てるのにも一苦労でした。それでも、数週間で、元通り。。。ヽ(TдT)ノ母は「買い物依存症」なのかもしれません。だから、家にあるものをどんどん買ってきて、結局入りきれない。それで、古いものは腐っていく。腐ったものを捨てられない。冷蔵庫が満タン。何らかの病気なのでしょう・・・。洋服なども迷わず即買いです。(◎-◎)(母親は、嫁に来て、親戚だらけの中で、プレッシャーと戦い、毎日遅く帰ってくる父親に対する淋しさを紛らわせるためだったのかもしれません。そう考えると、同情の余地はあります。)冷蔵庫は、何台目でしょうか。腐ったものでいっぱいになったら、新しいものに買い換える。そんな馬鹿な話があるでしょうか。。。いまは、「要冷蔵」の食品は実家にありません。冷蔵庫がいっぱいで何も入らない 当然、氷すらないので、真夏でも生ぬるい飲み物しか出てこない・・・。怒りを通り越して、あきれるばかり。父親も、このことに対して何も言いません(昔は言っていました)。もうあきらめているのでしょう。もしくは、弱みを握られているか。(笑)この事実を知っているのは、私と妻と妹です。妹の旦那は、リビング、ダイニングには入ってきません。。。っていうか入れません。。。↓ダイニングテーブルの上です。どこで食事をすれば・・・。こんな実家に誰が帰りたいでしょうか?「将来あんたのお家や」っていうけれど、床は多分腐っています。ドアも機能を果たしていません。子供のころ、食事が出てきて、一口食べると変な味!「変な味がするっ!」って言ったら、「やっぱり?」と母。「じゃあ、やめといて」だって。殺す気かぁ~!!!そんなこんなで、よく腹痛になっていました・・・・。(「忘れられないある出来事」に関係してきます。。。)実家を継ぎたくない理由、こんなところにもあるのだと思います。次回こそ、「忘れられないある出来事」。お楽しみに!あ~、ちょっとスッキリした!同情してもらえたら・・・↓↓↓一日一「ポチッ」お願いします↓↓m(._.)m ランキングに参加しています。とっても励みになります・・・。↓余裕がございましたら、こちらも宜しくお願いします。人気ブログランキングへ
2008.08.23
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[うつ病] ブログ村キーワード今回も、下書きに長い時間をかけたので、長文になりました。ご了承のほど宜しく御願いいたします。小学1年生のとき、ソフトボールクラブに入った。自分の希望とかではなく、男子はみんなが入っていたので。田舎なので、スポーツ教室みたいなものは、当時これしか無かった。(当時、「自分の意思」というものは無くて、親の意思に従うだけだった。小学1年ではこんなものか。。)小学2年になって、ソフトを辞め、剣道を始めることになった。(本当は、みんなと一緒にソフトボールを続けたかった。)剣道の道場は地元には無く、隣町まで車に乗せられ通うことになった。剣道をするきっかけは、母方の祖父が剣道の師範で道場を持っていたから・・・。(当然、自分の希望ではなく、母親の勝手な判断で嫌々ながら・・・その、嫌いな剣道は、その後中学、高校まで続くことになる・・・。)剣道の練習は、基本週2回。試合前になると、ほかの道場に出向いて練習をさせてもらう熱の入りよう。学年があがるにつれ、週2回と、別の道場に週2回、日曜日には、地域全体の中から有志が集まり「特練会」という、とても厳しい稽古があった。なので、週5回。ひどいときには、3つ目の道場に顔を出していたときも・・・。ほぼ毎日の時期もあった。(おかげで、試合ではいつも上位に名を連ねることができていたわけだが・・・。本当の自分は「負けず嫌い」な面もあったかも・・・。)ただ、自分は、剣道が嫌いで仕方なかった。いつも憂鬱な気分になり、吐き気を催し、熱が出た。泣きながら、吐きながら練習に励んだこともあった。にもかかわらず、母親は、毎回のように車に引き擦り込んででも連れて行った。(今思えば、母も大変だっただろう・・・でも、あのときの苦しみは今でも忘れられない。「剣道」と聞くだけでもいやな思い出が甦ってくる。)母親は、当時、道場へ車で送るとき、「ニューミュージック」のカセットを聴きながら走っていた。そのため、剣道の無いときでも、その音楽を聴くだけで、体調が悪くなり吐きそうになっていた。(今でもその曲を聴くと、当時を思い出してしまう。予期不安?トラウマ?曲名は覚えていないが・・・よほど嫌いだったのだろう剣道が。)小学3年になると、塾にも通うようになる。はっきり言って売れっ子芸能人並みの忙しさ。塾も、地元のならまだよかったのだが、市内の中心部まで。特進塾。(母親は、有名私立中学に入れたかったらしい。自分は、友達と同じ中学に進みたかった。これも親のエゴ。だから自分は、娘には無理強いしない。本人の考えを優先する。ただアドバイスはしてもいいと思う。自分の場合は、有無も言わせず。。あぁ腹が立つ!!)その塾は、スパルタ教育で有名で(今なら大問題)、往復ビンタ当たり前。問題に答えられなかっただけで、黒板消しで、顔と頭を真っ白にされる。帰りは、人通りの多い商店街を、その顔と頭で帰らなければならい。屈辱的だった。(おかげで、県内でもトップクラスの成績を取ることができ、有名私立中学合格間違い無しといわれていた。)剣道と、塾のおかげで、「体調に異変」が起きていた。常に。・原因不明の皮膚炎(病院に行っても治らず、最終的には漢方薬をせんじて毎日飲んでいた。)・吐き気と食欲不振(ガリガリに痩せ、給食もろくに食べることができず、掃除の時間になっても食べていた。パンをほんの一口、口に入れただけでおなかいっぱいで吐きそうになる。そんな日々が続いた・・・)・微熱(剣道や塾の前になると、いつも微熱が出た。それでも母親は、引きずりながら連れて行った。逆にすごいエネルギーだ!)(今考えると、上記のような状態は、うつ病の症状に似ているではないか。たしかに、その頃、何も楽しくなかったし、特に思い出もない。辛かった記憶しか・・・。そのときのストレスは尋常ではなかったことだけは覚えている。母を恨んでいるのもその事が一番の原因である。)幸いなことに、小学校5年で担任が変わり、母を「そこまでしなくてもいいのでは?」と説得してくれた。そして、塾をやめ、地元の公立中学に行くことになった。もちろん、上記のような症状は、自然となくなり、5年以降の楽しい思い出は今でも思い出すことができる。(明らかに、心の病だったのだろう・・・30年近く前は、心の病なんて誰も想像しなかったに違いない。)そんなこんなで、習い事によるストレスは酷かった。ただ、母親も一生懸命だったのだろう。田舎の神社の嫁に来て、立派な息子に育てなければならないという、ある種の「強迫観念」に駆られていたに違いない。先日もらった「手紙」にもそれらしきことが書いてあった。母もある意味「心の病」を抱えていたのかもしれない。(そう考えると、同情の余地はある)ということで、いろいろ思い返してみて、また辛い思いがこみ上げてきた。ただし、母を恨む気持は、このことに関しては、少しは軽くなった。。。かな???今回の話も、あくまでも「うつ病の原因」ではなくて、「うつ病になりやすい性格になった経緯」みたいなものとお考えください。次回は、「小学生編3性格形成(忘れられないある出来事)」を予定しています。「まだあるのかよっ!」て感じです(笑)まだまだあります・・・。38年間生きてきましたから。↓↓一日一「ポチッ」お願いします↓↓m(._.)m ランキングに参加しています。とっても励みになります・・・。↓余裕がございましたら、こちらも宜しくお願いします。人気ブログランキングへ
2008.08.11
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[うつ病] ブログ村キーワード父は、毎晩午前0時を過ぎてからの帰宅が多かった。理由はマージャン。一応付き合いだというが、本人の趣味でもあり、ストレス解消法だったのだろう。(今なら少しは理解できるが、そのときはとても理解などできず、遊んでばかりで自分にかまってくれない父親として写っていた。)そのため、子供のころから父と話す機会は、極端に少なかった。たまの休みにも、ゴルフ三昧。これも付き合いだという。(今のコミュニケーション不足もこの頃の名残だろうと思う。)確かに、父はとんとん拍子で出世していった。子供ながらにすごいと思った。昔ながらの日本企業で、お中元に、お歳暮を、母が社長や重役の自宅まで持っていっていた。マージャンや、ゴルフの相手も社長や重役。。。出世のためにそこまでやるか?と思っていた。(このようなことを見てきて、自分は外資系企業に就職した。子供心にも日本のドロドロした派閥争いのような会社には入りたくなかった。)でも、結果的に、異例の出世。最終的には、子会社の社長。定年後も関連会社へ、取締役か副社長かで出向。定年後にそんな職が与えられて、幸せ者だ。普段は天然ボケで、仕事ができるとはとても思えない。ただ、人柄はよく、嫌う人間はいないかもしれない。信頼感も厚かったのだと思う(何れにせよ、自分には真似できないので、そこだけは尊敬する。)まぁ、そんなことはどうでもよくて、父と母はいつも喧嘩をしていた。(それがとっても嫌だった。自分も娘の前でよく夫婦喧嘩をしていた。最近少なくなったけど。いつも娘が仲裁に入る。反省。子供の前での夫婦喧嘩は絶対よくないと思う。今更ながら・・・。)母は、実家の手伝いと、習字教室の手伝いをたまにしているくらいで、後は何をしていたのか・・・。遊んでいたとしか思えない。ほとんど家にいなかったという記憶しかない。(本当は、家にいた日の方が多かったのかもしれない。ただ自分の記憶では、遊んでばかりの母親に写っていた。)家族団らんもあまり無かった。(勿論あったのかもしれないが、自分の記憶にはほとんど無い。)おもちゃもあまり買って貰えなかった。買ってくれるとしたら、勉強に役立ちそうなもののみ。テレビもかなり制限されていた。友達やいとこのう家に行くと、おもちゃがたくさんあり、テレビも見放題。羨ましかった・・・。(なぜ、自分のうちだけ?という疑問がいつもあった。悔しい思い、うらやましい気持ちを何度も持った覚えがある。)旅行や遊びにもあまりいけなかった。(神社という職業上、仕方ない面もあるが。年に一度だけ、海水浴に行った覚えがある。会社の保養所があるところに。それくらい、記憶に残っているのは・・・。)平日は、一人で山で遊んだり、近所の友達と川や山で遊んでいた。後は本を読んだり。小学校時代はこんな感じで育てられてきた記憶しかない。よって、今の性格に、このような『幼少期の記憶』は、少なからず影響していると思う。あくまでも、タイトルから誤解を受けるかもしれませんが、今のうつ病の原因ではなくて、「性格形成」についての話でした。。。次回は、『小学生編2 性格形成(習い事)』の予定です。↓↓一日一「ポチッ」お願いします↓↓m(._.)m とっても励みになります・・・。↓余裕がございましたら、こちらも宜しくお願いします。人気ブログランキングへ
2008.08.04
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[うつ病] ブログ村キーワード 自分はある職業の家に生まれた。それは、神社。(「僕!イケメン!」の狩野英孝の実家も神社らしい(プチ情報))しかも田舎の。規模は大きいが、何分田舎な物で、参拝客は少ない。収入も少なく、それだけでは食べていくことは不可能。なにか地元で兼業しなければならない。伊勢神宮や、明治神宮、熱田神宮、出雲大社などなら迷わずあとを継いでいただろう。うちの神社は1100年以上続いている。自分の代で途切れさせるのは心苦しい面もある。(何代か前に、跡継ぎを放棄した人物が何人かいるらしい。その遺伝子を受け継いでいるのかもしれない。それでもまた、自分の先祖に戻ってきたらしい。)ただ、小さいときから、自分は後継ぎに成らなければならないと、言われながら育てられてきた。それに、神社の子供だから、「まじめ」に、「礼儀正しく」・・・と言われていた。世間体をとにかく気にする母親。近所の上級生からも、よくからかわれた。「神様の子、神様の子」って。自分は、それがいやでいやでしょうがなかった。だから、国語とか社会とかは嫌いだった。歴史なんて一番嫌い。神社を継がなくてもいい方向に進みたかった。だからかどうかは、わからないが、理系の科目が好きだった。いま、一番といっていいほど悩んでいるのは、将来のこと。神社のあとを継ぐにしても、ほかにメインの仕事がいる。しかも地元で再就職。今の時代そう簡単に見つかるものでもない。田舎なので余計に。幸い父は地元企業。。。それに、土日の休みは神社の仕事をしなければならない。はっきりいって自信がない。それどころか、無理。そんなことを考えるだけで鬱な気分になる。資格も取りにいかなくてはならない。そのためには今の会社を辞めるしかない。お金もかかる。こんなストレスが、子供のころからずっと続いている。これまでも、年末年始の正月をはじめ、秋祭りや、2月の厄除祭、毎月のようにある行事の手伝いをしていた。みんなが休んでいるときに仕事。物心ついたときから。なので、あまりどこかに連れて行ってもらった記憶は少ない。仕事をしながら手伝うのも結構体力がいったし、本業の休息もろくに取れていなかったとおもう。ストレス発散どころか、ストレスはたまるばかり。それに将来はもっと大変になることは、容易に想像できる。父親もそう長生きはしてくれない。父親も、サラリーマンをやりながら、神社の仕事をし、本業では結構大きな地元企業の子会社の社長まで上り詰めた。高卒で。相当な苦労をしたようだ。父親と自分の性格は違う。父親は強い。自分は弱い。こんな風に育ったので、人生の目標は立てられなかった。本業をいずれはやめることになると思うと、真剣に取り組むのも馬鹿らしく思えてきた。その割には一生懸命働いたのだが・・・。どうしようどうしよう、とばかり考えていて、気がつけば30代後半。そんな時、父親が定年退職。幸い再就職先がみつかり、今も働きながら神社のこともしている。尊敬に値する。父の定年退職の時期と同時にうつ病になった。少なからず影響はあったのだろう。現実問題が目の前に迫ってきたのだ。今まで現実から目を背けていた。『将来に対する不安。』うつ病の原因のひとつと考えている・この問題も、今の休職中に、両親とちゃんと話し合わなければならないと思っている。もちろん、ほかにもストレスは山のようにあった。抱えきれないほど・・・。ほかの要因は次回に・・・。一応、補足しておくと、今回のうつ病の直接のきっかけは、間違いなく仕事上の過労とストレスである。睡眠不足のため、よくわからない文章になったが、なんとなくわかってもらえただろうか・・・。↓↓一日一「ポチッ」お願いします↓↓m(._.)m とっても励みになります・・・。↓余裕がございましたら、こちらも宜しくお願いします。人気ブログランキングへ
2008.08.02
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[うつ病] ブログ村キーワードもう、7月も終りですね。。。またまた、あっという間に過ぎ去った日々。嫌になってきます。今日はよく眠れたので、比較的気分はよいです。夕方から釣りにでも行こうかなという気分。でも天気が悪くなりそうで。。。結果はまた今度・・・。今日は、シリーズの続き。。。ネットカフェでコツコツ書いていました。-------------------自分にはひとつ下の妹がいる。いわゆる、年子。自分が2歳になるときにはもう生まれていた。(今は結婚して、二人の子供に恵まれて幸せに暮らしている。)子供のころの話。親は当然下の子に目がいく。なので、自分は愛情を受けていなかったんだと思う。いちばん甘えたい時期に甘えることができなかった。甘えることを知らなかったし、今も甘えられない。自分は、小さい時とにかく泣き虫で、ずっと泣いていたらしい。親の気を引きたかったのかもしれない。それに引き換え、妹はおとなしく、愚図らずに眠るし、「やりやすい子」だったと両親はいう。自分は、妹にも「恨み」を持っている。どういうことかというと、よく、事ある毎に、「お兄ちゃんでしょ」「お兄ちゃんの癖に」とか言われていた。そのたびに、いろんなことを我慢していた。悔しかった。妹は、兄の自分と同等であると思っていた。なので、しょっちゅう喧嘩をした。あるとき、妹と喧嘩をして、あまりにも腹が立ったので、蹴るまねをした。そしたら、妹が泣き出し、母親に、「お兄ちゃんが蹴った~」とうそ泣きをしながら告げ口をした。蹴ってないのに、蹴るまねをしただけなのに・・・。なのに、親は、蹴ったと信じ込み、酷く怒られた。そのときのことが今でも悔しくて悔しくて。今は、お互い大人になって、喧嘩こそしないが、たまにイラッとくる。世間一般の兄と妹の関係とは明らかに違う感じ。どこかよそよそしい気がする。このような、幼少期の体験も、今の性格に何らかの影響を与えているのかもしれない。でも、たった一人の妹。血のつながった一人の人間。これから、なにかと頼ったり頼られたりするかもしれない。子供のころのことは、この記事に書いたことで、水に流そうと思う。↓↓一日一「ポチッ」お願いします↓↓m(._.)m とっても励みになります・・・。↓余裕がございましたら、こちらも宜しくお願いします。人気ブログランキングへ
2008.07.31
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[うつ病] ブログ村キーワード自分の性格を列記してみる。・正義感が強い(ルールを守らない人を見るといらいらする。暴走族とか大嫌い、人に迷惑をかけない犯罪なら許す。60キロ規制の高速道路で100キロ出すとか。もちろん安全な運転で。)・正直(正直者が馬鹿を見る世の中にうんざり。うそをつけない性格、うそをついてもすぐばれる。)・無理を無理と言えない(とりあえず、「がんばります」と言ってしまう。できません!って言いたい。)・他人のために尽くす(自分のことより他人のことを優先する。他人に尽くすことで安心感を得てしまう。)・他人の評価を気にする(どう思われているのか、とても気になる。変な人とか、いやな奴とか思われているんじゃないかとか。)・自分に自信が無い(客観的に見れば、他人より優れた面もあるはずなのに、劣っていると考えてしまう。)・真面目(真正面から向き合う。ずるは嫌。約束は守る。できない約束は絶対しない。)・完ぺき主義(中途半端が一番嫌い。きっちりしたい何事も。)・凝り性(一度やりだすと、とことんまで。反面興味の無いことには見向きもせず。)・人生に目標が無い(将来像が見えないし、考えたくも無い。将来に漠然とした不安と具体的な不安がある。)・執着心が強い(「物」への執着、こうでなければならないなど。)・人をあまり信用していない(親友は少ない。心から信頼することができない。)・人に頼れない(親を含めて、小さなことでも頼むのが嫌。なんだか申し訳ないと思ってしまう。)・自己犠牲の精神(自分が我慢すれば丸く収まると思ってしまう。)・断れない(頼まれると嫌といえない。できるだけのことはやってしまう。しかも、責任感が強いからストレスになる。)・物事を心底楽しめない(飲み会などでも心から楽しめていない。本当に心から楽しんだのは何年前だろう・・・。)・人付き合いがわずらわしく感じている(できれば一人が好き。人を信用していないからかも。)・主体性が無い(自分がしたいからすると言うより、どちらかと言うと周りに合わせてしまう。自分が何をしたいのかさえよくわからない。)・頑固(人からなんと言われようと、心の中では、「違う」と思っているがいえない場合もある。)・神経質(耳栓をしないと眠れないとか、本当は部屋も整然とした部屋にしたい。本当はきれい好き。風呂に入っていないけど。。。)・白か黒かという考え方(どうしてもデジタル的な考え方になってしまう。)・心を開けない(家族、友人に対しても、本当の自分を出せない。本当の自分がどうなのかさえわからない。)・先のことを考えすぎる(先の先まで考えて、取り越し苦労。しんどい性格)等々、同じような項目もあるが、自分の性格はこんな感じ。人からどう見られているのかは別問題。また、うつ状態になってからこのような性格になった部分もあるかもしれない。(ちなみに、自分は一般的に嫌われている、B型です。B型特有の性格も上記にあるのかも。。。それから、うつ病の皆さん、「うつ病を治す」ということについても完璧を求めていませんか?完璧に治ることなんて無いと思うんです。自分は、子供のころから、かるーーーーい、うつ状態だったのかもしれないと思う今日この頃。だから、元に戻っても、軽いうつ状態は続くであろう・・・と思う。でもそれでもいい。ちゃんと眠れて、ある程度仕事ができれば。最近そう思えるようになって来た。↓↓一日一「ポチッ」お願いします↓↓m(._.)m とっても励みになります・・・。↓余裕がございましたら、こちらも宜しくお願いします。人気ブログランキングへ
2008.07.28
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[うつ病] ブログ村キーワードこれから、少しずつですが、うつ病になった原因を改めて振り返ってみて、再発予防(まだ治っていないけど・・・)に努めたいと思う。ということで、まずは第一弾!「性格」について。(以前から、こつこつとメモっていた。ネットカフェで・・・。)あくまでも自分の場合であるが、もしかしたらうつ病の人に共通する部分もあると思うので、ご参考まで。今後、エピソードを交えながら書いていこうかと思う。それにより、自分自身を見つめなおすことができると思うから・・・。--------------うつ病になりやすい性格ってあると思う。っていうか、自分の性格は、きっとそんな性格。結論から言ってしまえば「真面目(まじめ)人間」ということ。責任感が強く(押しつぶされそうになる)、几帳面で、完璧主義。凝り性でどれだけやっても、満足しない。何度確認しても、まだ納得しない。完璧主義でありながら、完璧にこなすことが出来ない。(と思ってしまう・・・。)仕事熱心(休日返上、サービス残業当たり前)で、仕事命。他人との関係を気にするがあまり、自分を押し殺してしまうことも多い。また、他人の評価を気にしすぎる。人に頼まれるとイヤといえないタイプ。よく、うつ病の本とかに書いてある「うつ病になりやすい性格」はほとんど当てはまってしまう。とにかく、少しでも性格を変えていきたい。先日の認知行動療法の講演会で聞いた話だが、気質(もって生まれたもの)は変えるのは困難だが、性格は、育ってきた過程で形成されたもの。考え方を変えることで少しは変えられるといった内容のことを聞いた。「気質」と「性格」は違うのだ。あと数ヶ月で、復職しなければならない(「しなければならない」と考えるところが・・・)。その間に、少しでも性格を変えたい。誰かが変えてくれるわけではない。自分で変えるしかないのだ。よーし、明日から少しずつ変えて行こう!と思ってみたりする・・・。今後、このような記事をブログに書いていこうと思っている。エピソードを交えながら。そしてシリーズ化する。と書きつつ、自信は無い。あくまでも気が向いたらということで・・・。↓↓一日一「ポチッ」お願いします↓↓m(._.)m とっても励みになります・・・。↓余裕がございましたら、こちらも宜しくお願いします。人気ブログランキングへ
2008.07.26
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