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テイラー・デインみたいになっていました。
2006年08月21日
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以前メルマガに取上げたグレッグ・キーン・バンドの他には例のないプロモビデオ3部作がYouTubeにアップされていた。最初の作品「Jeopardy」('82)はメルマガで詳しく触れたので特にないけど、案外ちゃんとした造りの作品。オチもついているし、この当時の作品としては一級品だと思う。ttp://www.youtube.com/watch?v=Y2AzFGXhc5Aで、問題が次の作品「Reunited」いきなり作風ガラッと変えてパンク風の曲にしてしまったため全く売れなかった曲だけど、このビデオはかなりイっている。まるでコミックバンドだ。しかし混沌とした曲の雰囲気はよく伝えている。ちなみにこの映像。どうやらあの有名洋楽番組からの拝借らしく日本語訳が付いている。その歌詞がなかなかおかしいうえに凄くシンプル。やはり「Jeopardy」のヒットは結構プレッシャーだったのだなあと思わせてくれる。監督のサイトによればこのビデオエミー賞受賞作らしいが本当か?ttp://www.youtube.com/watch?v=hkFZULhXvLcこの曲が当たらなかったためかどうか知らないが彼らの所属していたバークレーレコードが活動停止となり結果グレッグ・キーンとソロ名義でEMIに移籍。サウンドも打ち込み中心となったのが3部作の最後の曲「Lucky」比較的曲は短く(3分ちょっと)、また歌詞も単純なのだけど、よくここまでイメージを膨らましたものだと関心するほど場面転換が多い。私このビデオ20年振りに見たけどこんなに出来が良かったとは気が付かなかった。このプロモ3部作は3つとも同じ監督が撮っていてそれはこの人。http://www.joedea.com/このサイト結構いろんな映像あって面白かった。いきなり女性の裸出てきたのには驚いたけど。とにかく典型的な職人監督という感じで、様々なジャンルの作品を手かげていたりする。
2006年08月05日
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一応メルマガは今週末か来週初めに発行予定です。なお今号から月刊とします。また一部内容が変更になります。一応新しいコーナーが出来る予定です。実は何曲かリクエスト受けていたのですけど、これはかなり遅れますのですいません。ただ必ず取上げますので気長に待っていて下さい。まあそんな所です。
2006年04月12日
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今日メルマガ出ますけど、今回はとにかく時間がなくて苦労しました。詳しくはまた後ほど
2006年01月25日
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いかん。私どうやら曲のタイトルのスペル間違えているな。とにかく今回のメルマガ、どういう訳か極端にマイナーなリクエスト曲だったため、つい取上げて見ました。でもWeb上で普通に聴ける状況なのがまあよかったかなと。シンセやら英国勢優勢の'84年初頭にこんな訳のわからない曲がヒットしていたというのはなにやら以前ラジオで大滝詠一御大が言っていた'63年にビートルズ旋風が吹き荒れていた米国のチャートで、何故かルイ・アームストロングの「ハロー・ドリー」がチャートの1位になったという現象に似てなくも無い。多くの人には忘れ去れた曲かと思いきや、実の所「Three Stooges」関連のテーマ曲のような扱いを受けているのだからこの曲作った人も本望だろう。この曲、いわゆるノベラティソングの扱いを受けているけど、実は歌詞自体は至極普通の事を歌っていたというのも今回発見だった。途中のカーリーの奇声を真似た部分がノベラティソングとなっている所以だろうけど、いい歌詞だと思う。このまま懐かしい物ばかり取上げるバンドというスタイルならこのジャンプン・ザ・サドルというグループも生き残ったかもしれないけど、一発屋になってしまったのはやむおえないか。そういえばこの曲がヒットしていたリアルタイムで日本のラジオで放送された番組は当然「全米TOP40」(ラジオ日本)とリクエストアワー(NHK)だけだったと思うけど、「リクエスト・アワー」では石田豊氏がこの曲について「キャブ・キャロエイなどのコール&レスポンスを参考にしている」などと珍しく解説(石田さんは末期は全く曲について解説しなかった。本来は'50年代の映画音楽やイージーリスニングがメインの人だからだろう。)していたのを思い出した。間違ってはいないだろうけど、実際のところはどうだったのだろう?というのも今回調べていて、作者のピーター・クインがこの曲についてインタビューを受けている本があるという事に気が付き私この本買おうと思っていたりする。これはいい資料本になりそうだ。しかし「3バカ大将」は来年には映画でリメイクされるらしいけど、この映画に「Curly Shuffle」は使われるだろうか?近頃のアメリカ映画って、やたら'80年代の洋楽使われているので可能性はあるかな?結構今のアーティストがカバーすればいいのにななどとおもったりして。
2006年01月12日
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という訳で少し遅れましたがメルマガ今日発行です。今回ななかなか有意義でした。やはり私はマニアックなものに燃えるという事かな?とりあえず詳しくはまた後ほど。
2006年01月10日
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という訳でかな~り久しぶりの更新になりますけどとりあえずメルマガに関して。明日多分発行できると思いますが、もしかして明後日になるかもしれません。で、これだけでは寂しいので、今日あった有馬記念について。結局ディープインパクト負けたけど、ディープが弱かったというより元々あれぐらいの力の馬じゃないのかなと私は思ってしまった。結局ディープの世代があまりにも弱すぎるので、ディープの強さが引き立ったという面はあるのではないかなあ。ただコンディションがあまりいい状態ではなかったとは思うけど。勝ったハーツクライは今年のG1戦線の常連。私この馬はどうしても母親のアイリッシュダンスの影がちらついて、G1には少し足りないかなとおもっていたけど、今回はなかなか強かったと思う。結局馬券は外したけど、その後のツタンカーメンでちゃんと取り戻したのでまあいいか。やはり「宇宙から来たツタンカーメン」をDVDで出して欲しいという要望が最後に利いたのだと思う。(ちなみに今年の条件戦で一番お金賭けたレースでした)新世代DVDのソフトがついに出る段階になっていて、すでに映画のDVD化は出尽くしたなどといわれているけど、まだ「宇宙から来たツタンカーメン」は未DVD化の筈。最後の駆け込みDVD化してくれる素晴らしいメーカーは現れないだろうか?
2005年12月25日
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ここ数日の冷え込みのためか、見事風邪にやられてしまい現在寝込んでいます。なのでメルマガは少し遅れます。誠にすいませんです。
2005年12月15日
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今週の月曜にメルマガ発行などと言っていた記憶はありますけど一応明日か明後日発行します。また遅れますけど、今の生活では発行している事自体が奇跡なので許して下さい。で、ここも久しぶりなので小ネタでも。それもマイケル・ジヤクソンネタだ。まず米ヤフーのMusicのコーナーで、今マイケルの懐かしいビデオが3曲見れます。「Beat It」と「Billy Jean」と「Rock With You」ですけど、惜しくも「Bad」はないのでした。しかし久しぶりに「Beat It」見ましたけど、今見ても前半部は出来が全く古くなっていない。やはりマイケルがなかなか登場しないというのがいい。後エディ・ヴァン・ヘイレンのギターソロの部分でギターが出ない所とかやはりプロモ界の古典と言えると思います。もう1つありまして、それはマイケル・ジャクソンをモチーフにしたパチンコ台が出るという話。ネタかと思ったけど、どうやら本当らしく、来年2月が予定らしい。どんな台になっているか楽しみだ。近頃パチンコなんて久しく遊んでいないけど、これはもし近所に導入されたら打ちに行こうと思う。どうやらこれを見てみると4種類の確率違いの機種が出るみたいで出来れば遊べる確率の機種を導入していただきたいものだ。しかしこの話、一体誰がパチンコメーカーに働きかけたのだろう。もし海物語みたいに大ヒットしたらマイケルの借金返済できたりして。それはないかもしれないけど、今バーレーンに住んでいるマイケルが日本に住み着いたりして。なんか楽しいな。
2005年12月13日
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今回のメルマガ、当初はある有名グループを取上げようかと思ったのですけど、結局一度断念して以前から取上げようと思っていたカトリーナ&ザ・ウェイブスにしました。このグループ。今となってはメルマガで取上げたあの曲のみで語られる事が多いですけど、今回メルマガで取上げる際にいろんな曲聴いてみると、なかなかポップスの王道を行っていたグループだったのだなあなどと少し関心しました。大体メルマガで取上げるきっかけがあって、ある日たまたま昔FMラジオを録音した古いテープ聴いていたら、この人達のセカンド・ヒットになった「Do You Want Crying?」が入っていて10年以上聴いていなかったこともあってか凄くいい曲に聞こえてしまい、それで取上げた訳です。この「Do You Want Crying?」という曲は彼らがインディーレーベルで出した2枚目のアルバムに収録されていますけど、実は大手から出たデビュー盤とアレンジがほとんど同じ。もしかしてインディで出した盤をそのまま収録したんじゃないかと思えるぐらい手を付けていなかったりします。個人的にはパワーポップの範疇に入るグループだったんだなあなどと思えるぐらいいい曲だと思います。しかし本当にいい曲はこの初期の2枚のアルバムに集中していてその後は結局普通のグループになってしまった印象が強いです。当初はギター担当のキンバリー・ルーのグループだったのが、次第にボーカルのカトリーナさんが主流になっていった結果でしょう。少しメルマガに書きましたけど、大手からの2枚目「Waves」が出たときに日本にプロモーション来日したと書きましたけどあれは多分1枚目出た後に来日したんじゃないかと思います。一応訂正です。このとき「ベストヒットUSA」にも出ていましてその時の模様は私ビデオに収録している筈なんですけど、今回は確認できませんでした。一発屋的印象がありながらグループは不思議と長い間活動していたのも少し意外です。SKBから新作出たときにはすっかりイメージが変わっていたので驚きましたけど、その後も欧州を中心に活動して、'97年には英国でヒット曲出していたのも知りませんでした。結構欧州では根強い人気があったようです。しかし日本でも結構「ウォーキング・オン・サンシャイン」ヒットしたような印象ありましたけど、今となっては入手困難になりつつあるのは少し寂しいです。2イン1CDでいいから再発してくれないかな。
2005年12月01日
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え~どうやら21日予定とか書いていたみたいですがメルマガ明日発行予定です。大変遅れましてすいません。まるでヒューザー社長みたいな謝罪だ。などと怒らないように。今回は不振でもうメルマガ辞めようかなどと思ってしまいました。とはいえ一応書き上げる事が出来たので許して下さい。ここの更新もすっかり少なくなりましたけど、これではさすがにマズイので、新しいテーマを始める予定です。それではまた。
2005年11月29日
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今回ハニードリッパーズの「Sea Of Love」を取上げた訳ですけどいい曲ですね。しかし今でもよくわからないのが、このグループの実際のメンバーで、数名クレジットされていますけど、誰が何を担当したとかは今でもよく分かりません。「Sea Of Love」のギターソロなんて、いかにもジミー・ペイジ風ですけど、結構元々発表する予定でないリハーサルか何かの音源を誰かのアイデアでバンド形態で録音してみましたという流れだったかもしれない。しかしプラントのサイト見たら、ハニードリッパーズでちゃんとツアーとかしていたんですね。この時期は結構プラントも本腰いれて活動する気があったんでしょうか?しかし「Sea Of Love」以外にアルバム「ヴォリーム1」に入っている曲はレイ・チャールズの「I Got A Woman」以外はどれも結構渋い選曲。次のシングルになった「Rocin' At Midnight」はエルヴィス・プレスリーのヴァージョンを参考したからこのタイトルで出たのでしょうけど元々は「Good Rocin' Tonight」という曲。ロイ・ブラウンという人が作ったのだけど、ヒットしたのはワイノリー・ハリスのヴァージョンで、かなりのヒットだったらしいけど、なにせ'48年の頃なのでどの程度かはよくわからない。とはいえいわゆるジャンプ・ブルース全盛時の時代の典型的な曲の1つとして有名。アルバム冒頭の「I Get A Thrill」もワイノリー・ハリスの曲で、プラントはワイノリーよほど好きだったみたい。しかしZEP時代からは全く想像つかない選曲だ。この曲がアルバム中一番マイナーな曲でめぼしいカバーはこれのみという現状。2曲も取上げているのだからこれを機会にワイノリー・ハリスが再評価されるなんてことは当時も今もないけど、ロック音楽創世記を考察するなんて事が好きな人(殆どいないだろうけど)には外せない歌手の1人だ。最後に「Young Boy Blues」については、フィル・スペクターがニューヨークでリーバー&ストーラーの下で裏方修行していた時期にドグ・ポウマスと書いた曲でスペクターの数少ない曲の中でも1,2を争う名曲だと思う。しかしあまりカバーは多くないのでやはり隠れた名曲という感じに今はなっていたりする。めぼしい所ではエルヴィス・コステロが本人が一番嫌っているらしいアルバム「Goodbye Cruel World」のセッションで録音した事があるぐらい。なかなかいいカバーなのだけどオクラ入りなのはもったいない。(今はリマスター盤のボーナストラックで聴ける)しかしこうしてみると、いかにもオールディースの懐かしい雰囲気という曲が全く無い事に驚かせされる。大体'80年代当時にジャンプ・ブルース聴くなんて事はなかった訳でいかにプラントが音楽オタクかという事を知らしめた意味でも価値ある作品だろう。後は「Sea Of Love」のコンビ盤については確かボビー・チャールズあたりも入っていた記憶があるけど思い出せない。今はこういったコンビ盤はなかなか著作権の壁があるので出せなくなったから一種の珍品だと思う。最後にアル・パチーノ主演の映画に関しては一応DVD借りてきたので今から見てみようと思います。
2005年11月04日
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物凄く久しぶりの更新だったりしますけど、いろいろあって確実に一週間はネットに繋げないという現状なのでやむおえない状況です。で、久しぶりの更新もメルマガに関してなのですけど今回も2日程発行までおくれてしまいました。遅れの理由ですけど、まず先週ぐらいからパソコンの調子が悪くなり、極端に重たくなってしまいました。メモリの不足が原因というのは分かっていたので日曜にメモリを増設。前増設した時は3時間程かかったのに今回は30分程度で終了。そうしたら以前のように快適になり、ここ1ヶ月程更新不能になっていたiTunes も快適に使える様になりいろいろ検索してみたら結構新しい音源が増えているのでダウンロードしたり視聴していたら眠たくなり日曜は終了。月曜は睡眠不足のためダウン。火曜に一気に今回のメルマガ書いたのですが、元々親しんでいた曲のためか何と1時間で書き終わる。「やればできるじゃん」と思いつつ、検索で使用しているAMGがビデオ視聴が可能になっていたので、どんな曲があるかといろいろ調べていたら最後まで書けなくなってあっさりギブアップ。で、今日なんとか発行にこぎつけたわけですけど、よく考えたらこれは「遊んでいるため」に遅れたものだということですね。反省です。なおAMGのビデオ視聴については後日書きます。また今回の曲については明日書きますのでそれでは。
2005年11月02日
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そういえば私は一応メルマガ出していたのだった。やはり長い間休むとそれが習慣になってしまうという訳で10月初旬の予定が結構延びていたりする。しかし今のところの予定では来週の月曜日には発行という予定ですのでそのつもりで。
2005年10月07日
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今回はリクエストでロビー・ネヴィルでした。本当は時流にあわせた曲をチョイスしたかったのですけど時間がなく断念しまして、以前から書いていたロビーさんを取上げました。こういう中庸なアーティストはどうしても忘れ去られる運命にあるのか今となっては米国でもオリジナル作品は廃盤状態ですけど、彼が裏方となって関わっている作品郡を見れば、こういうアーティストの楽曲が現在の米国のポップシーンを支えているのだなという事がわかります。さて本文では少しだけ触れた松田聖子との仕事ですけど、結構長い間続いているらしく、'96年の作品から'02年までいくつかの作品にソングライターやプロデューサーとして参加しています。中にはデュエットしたシングル曲もありますし、全米進出が目標の彼女にとっては有能なプロデューサーという事なのでしょう。ただこの作品群私は聴いた事ないので何ともいえませんけど。ロビーさんはこれ以外にも日本での仕事がありまして、桑田佳祐の曲を海外のミュージシャンがカバーした作品に参加しています。All of Mid-Summer Blossoms/桑田佳祐の名曲カヴァーアルバムという作品ですけど、この作品無駄な3枚組のくせに、参加アーティストはフィリップ・ベイリー、ビル・チャンプリン、レオン・ラッセルエドガー・ウィンター、ダジ・マハールと無駄に豪華です。全編聴いた事は私もないですけど、タジ・マハールの「Blue Avanue」は名曲です。これはオリジナルを超えている。というか単純に近年のタジおじさんの仕事が好きなのでそうかんじるのだけかもしれませんけど。なおロビーは3曲参加しています。
2005年09月07日
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今頃メルマガの話題というのも少し恥ずかしいのだけど今回はドン・ヘンリーでした。どうでもいいけど、ドン・ヘンリーって、マイケル・ダグラスに似ていると思うのは私だけかな?手元の資料本にドンの写真があるのだけど、この写真がかなりおかしいもので、マイケルダグラスが主演した傑作「フォーリング・ダウン」の主人公D-Fensにそっくり。いきなりマシンガンぶっ放しそうな写真だ。それはともかく、「ボーイズ・オブ・サマー」のような有名曲ともなると、さすがに様々な情報があるので今回は書きやすかった。この曲が収録されたアルバム「ビルディング・ザ・パーフェクトビースト」は実はかなり散漫なアルバムで、シンセなどのテクノノジー全快の曲があるかと思えば、イーグルス調のAOR風の曲に大別できるのだけど、基本的に社会時評を歌う時はシンセ使ってラブソングに関してはイーグルス調だったりする。私がリアルタイムでこのアルバムを聴いて驚いたのは、ドンヘンリーという人はとにかく皮肉屋だという事だった。本当にこの時期は政治に関して熱くなっていたという事だろう。ただ基本的に書斎派なので、これについてはブルース・コバーンみたいな人だと批判されたりしたのだけど、同じ政治ネタならやはり「エンド・オブ・イノセンス」の方が出来がいい。あの曲の歌詞はなかなか重たくて好きだ。しかし2作連続ですばらしいアルバム作ってしまったためか、'90年代以降の活動はどうもよろしくないね。イーグルス再結成自体は私も楽しんだ方だからいいとしてもその後新作もつくらず大規模なツアーばかりというのはいかがなものか。このままでは単なるナツメロバンドになってしまうのではないかと心配している。ちょっと途中でフェイドアウト
2005年08月20日
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という訳で大方の予想通り2日遅れで発行です。相も変わらずすいません。今回は夏にちなんだ曲なんだけど、実は違うという曲です。(なんだそりゃ)詳しくままた後ほど。
2005年08月17日
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今頃メルマガについてですけど、とりあえず今月はもう一度発行予定です。結局今までどうり隔週と殆ど変わらないではないかと思った人も多いでしょうが、9月は一応月刊予定です。(なのでもう一号発行したら間隔を空ける予定です。)しかし今回のネイキッド・アイズというグループ。殆ど「二発屋」ともいえるデュオにもかかわらず、片割れが未だにこの名前でツアーしているのには少し驚きです。ネイキッド・アイズだけでなく、今でもかなりの数の'80年代洋楽のバンドが健在で、中にはこういうアーティストばかり集めたプロダクションもあったりします。これに関してはメルマガでそのうち紹介してみたいと思います。今回少し時間が足りなくて、プロデュースを担当していたトニーマンスフィールドや、メンバーのロブ・フィッシャーについては殆どふれませんでした。トニーは'90年代は日本での仕事もあってもしかして日本が一番知名度高いのではないかと思える人ですけど、今でもファンの多い人です。ロブ・フィッシャーはやはりクライミー・フィッシャーでもう少し詳しく書いてみたいと思っています。
2005年08月05日
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すっかり今日発行だと思い今配送予約していたら、前号のメルマガには「8月1日発行」と思いっきり書かれていてありゃまあ。しかし自分が書いた事忘れるのは何とかならんかな。という訳で待ちわびていた人はすいません。今日発送となります。関係ないですけど、何故か私のメルマガ。今週になって異常に読者が増えている(いままでの記録を超えてしまった。)何故だろう?何処かで紹介されたわけでもないのに凄く不思議。何かあったのかな?嬉しい反面これからどんどん読者が減るだろうから(なにせマニアック過ぎる)複雑だったりします。でもこれからも「おじゃまんが山田くん」の三橋美智也のテーマ曲のように「チョボチョボで」頑張るぞ。
2005年08月02日
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ついにメルマガ月刊にする事を決定しました。隔週間隔で何とか発行してきましたけど、さすがに限界です。近頃の自分で書いたメルマガ読み直してみると、かなり文章がおかしいものがいくつかあります。推敲する時間がない状態でそのまま発行するにはさすがに無理があるという事です。内容充実にはやむおえない選択でした。とにかく今回は一部では根強い人気のある曲でしたけど当初は検索は困難を極めました。しかし近頃は検索業界を競争時代でして、今回は殆どヤフーの検索を使用する事で、予想以上に様々な情報に接する事が出来ました。(普段はグーグル使っています)リアル・ライフについては大体メルマガで書きましたので「Send Me An Angel」を再ヒットに導いたカーブ・レコードについて少し。マイク・カーブという人がオーナーの会社ですけど、基本的に大手レーベルに配給を任せるインディペンデントなレコード会社です。このオーナーが有名なのは政治家としての活動歴がある点で共和党員でありながら民主党員の加州州知事のジェリー・ブラウンの副知事として実際に政治の世界にいた時期があります。ジェリー・ブラウンという政治家は'70年代にはかなり人気があって、実はあるミュージシャンと付き合っていたいた時期もあった程です。しかしこの人クリントンの最初の大統領選指名選挙で負けた以降話を聞かないと思っていたら、今はオークランドの市長してるそうです。日本でいえば大阪府知事がその後府下の人口10万程度の町で市長しているみたいな話ですけど、まだ公式サイトもあって元気なのがおかしかった。とにかくカーブに関してはここを参照あれhttp://en.wikipedia.org/wiki/Mike_Curbこういうエグい人物のレコード会社から出ていたとは'84年当時全然知りませんでした。なおカーブ・レコードは同時期にもBenny Mardonesの「Into The Night」を再録させて発売しています。この曲についてはそのうちメルマガで取上げてみたいと思います。またライチャス・ブラザースの「アンチェイド・メロディ」(実は私のカラオケの十八番だったりする)が再ヒットしている際にも再録させてこれはカセットのみのシングルで発売されてヒットしています。しかしここに挙げた2曲の再録バージョンははっきりいってかなり出来は悪いです。よくこんなもの発売するなあと思います。リアル・ライフについても再び彼らの名前を耳にしたのは嬉しかったですけど、ミックス自体は平凡な出来だと思います。やはりオリジナルバージョンの再発が待たれます。後はスティーブ・ヒレッジがどういった経緯でプロデュースする事になったのか不思議ですけど(アルバム『Heartland』中の数曲です)彼は'80年代はヴァージン・レコード所属のプロデューサーだったので意外な感じがします。この人はミュージシャンとしても有名ですけど、'80年代には忘れ難いアルバムをいくつかプロデュースしています。(コック・ロビンはいい仕事でした。)
2005年07月12日
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メルマガは多分明日には発送見込みです。しかし橋本真也死去のニュースにはショックだった。
2005年07月11日
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しかし私の住んでいる所も例年の降雨量の一割という状況。比較的水は豊富な地域ですけど、さてこれからどうなるか?そんな訳で熱心なファンの多いケイト・ブッシュの登場と相成ったわけですけど、実はこういうタイプのアーティストはこういうメルマガには不向きな人だなあと感じました。とにかく詳しいファンサイトがいくつもありまして批評も多い、こうなると独自の視点というのはなかなか出てくるものではないです。とはいえウィリアム・ライヒなんて名前が出てくると10代の頃の現在思想オタクの血が久しぶりに騒いでつい音楽にあまり関係ない記述が増してしまいました。読者が増加したにもかかわらずついマニアックになってしまうこの性癖はどうも直せそうにありません。ライヒは確か大学の授業で習った事がありました。ただそれは彼の初期の活動についてのみで、その後彼が迫害される事となった「オルゴン」エネルギーについては私は詳しくは知らないし、さすがに行き過ぎた考えだと思います。ただフロイドの思想を発展的に解釈すれば、こういう考え方が出てくるのもやむおえないかなとは思います。実際性的抑圧を解放させる方向に向かえば、精神病のかなりの部分は治癒に向かうのではないかと私は思っています。(ただ解放の仕方は大問題ではありますが。)とにかくこういう人を父に持ったピーター・ライヒという人も苦労の連続だったのではないかと推測します。しかし彼は父親の思想を理解しようと努めたのでしょうね。なかなかこれは出来る事ではないと思います。しかしプロモでのケイトの少年役には少し無理あったような気がしますけど、ちゃんと髪切ってそれ風に役造りしているのだからこの人も凝り性ですね。さすがに近影は年相応の容貌になってきたという感じですけどいろいろあったのでああなるのは仕方ないですね。仲の良いピーター・ゲイブリエルも今や黒沢年男みたいなオヤジになりましたし、年月の重みを感じますけど。さて新作はやはり相変わらずなのかな?
2005年06月28日
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どういう訳か、私のメルマガがまぐまぐのメールマガジンでまた紹介されてしまった。まぐまぐにはわざわざお金払ってメルマガの紹介してもらう発行者がいるのに、私のように投げやりな発行者が2度もタダで紹介してもらうのは心苦しい。真面目にメルマガ取り組んでいる発行者の方すいませんです。でも今回は全然スタイル変える予定ないので、またすぐ読者数は落ち着くんじゃないかな。とはいえ少し新企画でも考えなくてはいけないかな。書いている自分が言うのもなんだけど、本当によくメルマガ続いているねえ。例えば検索して何か調べている時、「お、これは」と思って閲覧してみれば実は私の書いたメルマガでしたという事が何度もある。自分で書いたメルマガ忘れるようになったという事はそのうち以前書いた曲を紹介してしまうという事もあるかもしれない。明石屋さんまは自分が出たテレビ録画して後で見て自分が出ている所で笑っているらしいけど、その心境が何となくわかる話だ。しかし単純にボケが進行しているだけなのかもしれないけど。という訳でこれからもメルマガ頑張るつもりなのでよろしくです。
2005年06月21日
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少しメルマガの補足。ジャズ・オルガン奏者のジミー・スミスの事を少し書きましたけど、ジミー・スミスは今年2月に亡くなっています。メルマガ作成時にはすっかり忘れていました。近年まで新作結構バリバリ出していた人なのでまだ健在だと思っていました。ジミー・スミスの名前は知らなくても、「The Cat」という曲なら大体の人は聴いた事あると思います。今でもよくテレビやラジオのBGMで流れる事が多いです。あとこれはどうでもいいことですけど、アルバム「Bad」の中に「ダーティ・ダイアナ」っていう曲が収録されていましたけど、この曲を私は「汚いダイアナ」と勝手に邦題つけていました。ダイアナ・ロスに結婚申し込んで振られたのでこんな曲を作ったといわれましたけど、本当の所はしりません。しかしこれが本当の話ならマイケルはえらくストレートな人だという事ですね。でこの曲になると思い出すのがダーティ大和というプロレスラーなのだけど、それはまた後ほど。
2005年06月20日
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しかしテレビのニュース見ているととってつけたようにマイケルに「さん」付けしているのは可笑しい。つい先日まで「マイケル・ジャクソン容疑者」と呼んでいた罪滅ぼしだろうか?有名人なので敬称なしでもいいと思うのだけどね。無罪評議はメルマガでも書きましたが、ある程度予想していました。結局確実な証拠がなく、陪審員の心象次第で罪が認められるという事になれば、これは大金を掛けた方が有利に働くのは当たり前。陪審員の記者会見で、マイケル側より、被害者とされた親に対する心象がかなり悪い印象だった事が露呈されていたけどよく考えたら罪状認否に関して実際の行為に関係のない第3者が認否に影響を与えるというのは日本の刑事裁判に慣れている私などにとって見ればかなり奇異に移る光景でした。しかし数年後日本もこうなる可能性が高い(裁判員制度)のだから少し大丈夫かなあなどと思ってしまった。とにかくメルマガの内容に少し補足すれば、「Bad」のプロモですけど、発表当時はかなり酷評されました。確かに陳腐なストーリー。見せ場の少ないダンスシーン。余韻も何もない終わり方といい「スリラー」には到底比べれない出来ですけど、スコセッシにしてみれば畑違いのダンスミューックの世界でそれなりにクオリティの高い映像を撮った(一応'87年当時の水準で)と自負しているのではないかと勝手に思っています。スコッセッシはその後殆どプロモは撮っていませんけどロビー・ロバートソンの「Somewhere Down The Crazy River」のビデオは素晴らしい出来です。そのうち何かDVDで出てくれたらいいんですけどね。メルマガで触れた「Leave Me Alone」という曲のプロモはトーキング・ヘッズやピーター・ゲイブリエルの映像で有名なスティーブ・R・ジョンソンが監督でした。トーキング・ヘッズの「And She Was」風の映像ですけど、なかなか面白い映像だったのだけど何故かこの映像を最後にスティーブ・R・ジョンソンの名前は聞かなくなった。やはりマイケルと一緒に仕事するのはクリエイティブな人程影響が強いという事だろうか?しかし今後のマイケルは何処に行くのかな?
2005年06月15日
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まず最初に、今回のメルマガが大幅に遅れた原因を。なにせ休みがとれない。結局労基法ぎりぎりまで勤務が続くという状況。さすがに精神的にこれは堪えた。そのためやっと休みが取れたのでなんとか書き上げたのですが、多少消化不良な感じになってしまったのが悔やまれる。てなわけでこういう状況にもかかわらずまだ購読してくれる人は本当に有難いです。今回はさすがに解約する人も多数いましたけど、私も読者なら解約するかもしれないので仕方ないです。本題に入って、ブルジョア・タッグなんて素晴らしくプロレス的な名前だと思うのは私だけだろうか?この名前の響きで最初のアルバムが出たときからそれなりに注目していたバンドだったけど、2枚目がトッド・ラングレンがプロデュースするという事になり、かなり期待したのを覚えています。「I Don't Mind At All」を始めて聴いた時はちょっと肩透かしを食らったような気分になりました。それだけ短く、いかにもビートルズ風のアレンジに「これがシングル曲?」という感想でした。しかしいい曲だ。今聴いても全然古くなっていない。全米38位というマイナーヒット曲1曲のみというアルバムなのに今でも輸入盤とはいえCD購入が可能なのはこの曲のおかげだろう。(なおアルバムが廃盤ならば取上げなかったと思います)しかしアルバム全体としてこのバンド方向性がよくわからない所があって、ひねたポップな曲もあれば、AOR風の曲もある。何に一番似ているかといえば、やはりトッドのいたユートピアなんだけど、スクイーズのような曲もあれば、チューブス風な面もある。要するにどこをとってもB級然としていて、そういう所がバンドとしては成功できなかったという所以でしょう。しかしバンド解散後も1人を除いて今でも音楽活動を続けているのはなかなか出来る事ではない。ブレント・ブルジョアはこのバンドの核のメンバーだったけど、彼が最初のソロ作を出した時はプロデュースがダニー・クーチマで、「AOR風」などという紹介が多かった。シングルもヒットしたのでこの路線でいくのかと思ったら今やコンテンポラリー・クリスチャン・ミュージックの大物なのだから世の中分からない。ちなみにこのCCMという音楽。基本的に歌詞のみが神様の事を扱っていて、音楽自体は大きな変化はないのが普通。なので興味ある人は聞いてみるとそれなりに楽しめる。ブレントはこの業界の中でも最王手のワードレコード所属なので比較的入手は簡単。プロデュース作もかなりの枚数ある。ところでラリー・タッグはリー・リトナーの「Is It You」のボーカル担当したエリックタッグと血縁関係あるのだろうか?ラリーはエリック・タッグのソロ作に参加した事あるのでそう思ったのだけど、誰か知らないかな?このバンドの先鋭的な面はこのラリーが担っていたと思うけど、解散後の活動が地味なのは残念。という訳で次もトッドのプロデュースした曲を取上げてみようかな?
2005年06月03日
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メルマガ「'80年代洋楽この1曲」ですけど、今週月曜発刊予定でしたが、現状では月曜はおろか、いつ発刊できるか未定です。筆者多忙のためですけど、時間が出来次第発刊する予定ですので今週中には発刊予定です。気長に待っていて下さい。
2005年05月30日
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という訳でタコの続編。メルマガにも書いたけど、タコは2枚目のアルバムで「サヨナラ」という曲をシングルで発売していた。もしかして日本だけでシングル化されたのかもしれないけど、この曲を出した当時日本に来日して、何かの歌謡祭で歌った映像を見た記憶がある。一応私カセットにこの曲ラジオから録音していたのだけどもう10年以上聴いていなかった。そこでいい機会なので聴きなおしてみた。そこで感想。いや~ユルユルでいいわ。何と言うか、いいお湯につかっているような感じの曲だ。日本ネタで、女性との別れという訳で、多分「喋々夫人」あたりをベースにしたのだろうけど、カヨコという女性との別れを歌った曲だ。冒頭から日本語が出てくるけどこれが何かおかしい。”愛する南人さん、何が我らを切り離しても、この愛を裂く事はできません”などと抑揚のない女性(一応カヨコという日本人らしいが怪しい)の声で語られるが何かたどたどしい。大体「南人さん」って何だよ。そのうえセリフ自体が直訳風。で、タコの歌になるが、どうも冒頭のメロディは中華風。サビになるとかなり曲調が替わり、どちらかといえばハワイアン風になる。後の方で貧弱な女性のスキャットが聴こえるのがいい。で、またセリフ”広い海よ、愛する南人さんを、私の元に連れ戻して下さい”ちなみにタコは”カヨコ”しか日本語を喋らない。しかし英語の歌詞の中に「さよならの意味はグッドバイだよ~」なんて言っているのは、日本で以前かなりヒットして、私も以前ここに書いたサム・カプーの「ちょと待って下さい」を思い起こす。なおこの曲の全体のイメージはレゲエ調なのだ。なかなか凄いと思わないか?タコのオリジナル曲って、結構こういうユルユルの曲があっていいんだよね。しかしこれで日本で受けようとしたのはさすがに'80年代では無理があっただろう。という訳で、'80年代擬似レゲエの名曲「サンシャインレゲエ」(レイドバック)と並ぶ素晴らしい出来の曲だと思う。是非再発希望。
2005年05月17日
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という訳で今回のメルマガは「タコ」だった。しかし面白い名前だ。'80年代洋楽では「プリンス」も「マドンナ」も実は本名だけど、「タコ」も本名なのだからおかしい(そういえば『プリンセス』という歌手もいたけどさすがにこれは本名ではないだろう。)とにかくメルマガに告示したように、タコの今は閉鎖された公式サイトは以下の手順で一部閲覧が可能。1、これをコピーする。http://www.taco-online.de/us-version/2、ここへ行くhttp://www.archive.org/3、http:// と書いてある所に1を貼り付ける。4、"Take Me Back"を押す。関係ないが「Take Me Back」といえばボニー・タイラーの「愛の翳り」の第二弾シングルで不発だった曲だね。いかにもジム・スタインマン的な曲で私は好きだけど。とにかくこうすると不思議な事に、いくつかタコの公式サイトの更新分が閲覧出来たりする。なおバイオグラフはかなり詳しく書いている。実は私はあまりここから引用していないのでもっとタコに関して詳しく知りたい人はじっくり読めばいいと思う。なお少し上記のアドレスをいじくればドイツ語の公式サイトが閲覧できて、タコの近影を見ることが出来る。(何故かこれは表紙のみのサイトだったみたいだ。)何故かサイトをリニューアルした途端に閉鎖したので少し不思議だけど、エストニアでライブを行うという告示が目を引く。もしかして活動の拠点をドイツから移したのかもしれないね。公式サイトのライブの所は「連絡してくれたらコンサートするよ」という告示だけなので、やはり本国でも厳しい状況だったのだろうか?アマゾンのドイツ語圏のサイトも除いてみたけど、特に珍しい作品は手に入らないみたい。'91年に出したというシングルCD「Tico Tico」はあるけど入手困難みたいだ。そんな寂しい状況なので、私としては是非番組改変期になると相変わらず放送される「あの人は今」に是非タコを登場させて欲しい。決してマイナーという訳でもないと思うので、出てくれないかな?で、タコの話はまだ続くかもしれない。(今のところ未定)
2005年05月16日
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あ~今日の森山周一郎面白かった。2度とないだろうから貴重な時間だったなあ。で、本題のメルマガですが、今回は私がどちらかといえば苦手の部類の音楽だったのですけど、キャラクターがあまりにもいいので取上げてみたのでした。プロレスの世界では様々なギミックが使われるわけで、近年のWWEなんてそういう人達の宝庫だけど、やはり同じく芸能の世界(異論もあるだろうが、私はそう思っている)であるポピュラー音楽の世界も様々なギミックがこれまで多用されてきた。しかし、「記憶喪失の男」というのは、凄いのか大した事ないのかよく分からない。確かに注目を浴びるけど、どうしても色物扱いされてしまうだろう。実際日本での彼のネット上の記述の大半は「記憶喪失」という言葉が枕詞となっている。そのためかジョン・パーの全盛時は極端に短い物となったけど俺は忘れないぜ。たとえ産業ロックだとしてもいいではないか。ミートローフの曲提供でプロの道に入った人だけど、'80年代のミートローフは本国米国より英国で人気が高く、アルバムやシングルは結構チャートインしている。英国では彼の「Bad Out Of Hell」は約20年程売れ続けたロングセラーになった。ジョン・パーとは英国のみの発売みたいだけど「Rock'n Roll Marcenaries」という競演曲も'86年にヒットさせている。ロジャー・ダルトリーに提供した「Under The Rising Moon」という曲は、彼もコーラスで参加しているけど、それ以上に7人のドラマーの競演というのが売りになった曲だった。コージー・パウエルとかロジャー・テイラーとかスチュワートコープランドとかが参加していたけど、確かに途中のドラムソロは結構聴き所なのだけど、私には誰が何処を叩いているのかわかりませんでした。このように結構裏方仕事も多い人なのだけど、何故かその方でも名前を残す事なく今では何しているか分からない人になってしまった。またこの人のCDは何故か全く再発されておらず、近作の「Under Parr」ですら入手が困難というのは少し不思議だ。何か権利的に問題でもあるのだろうか?
2005年05月03日
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ゴドレイ&クレームの事をネットで調べていたら、やたら日本語の記述が多かった。すでにミュージシャンとしての活動は停止して15年以上、大きなヒット曲は「Cry」ぐらいだし、プロモ監督としての名声も今や過去のものなのだなと痛感したけど、ちょっと寂しい現状だった。私が洋楽を聴き始めた時代は、すでにゴドレイ&クレームはプロモ監督として精力的に活動していたので、ミュージシャンとしてのゴドレイ&クレームに触れたのは後追いだったのだけどその偏屈振りにはかなり影響された。私が万人が認めるひねくれ者になるきっかけの1つだと今でも感謝している。プロモ監督としては、いくつかのパターンがあって、それは1、最新ビデオ機材を惜しげもなく使う。2、ワンアイデアの作品が多い。3、手抜きかと思うぐらいプロモになってない作品も多い4、実はオーソドックスな作品も多い5、バラードに名作はない。(除く『見つめていたい』)こんなものかな。他にもあるけど今思いつた事を書いてみた。なお、ここに彼らのビデオグラフィがあるけど、ここにも載っていない作品がいくつかあるので付け足すと、Howard Jones 「Life In A One Day」映像の素材をコラージュして、様々な映像実験を試みた意欲作なのだけど、全くプロモーション・ビデオになっていない(曲がどんな曲か分からない程切り刻まれている)作品。そのうちこの作品はレビューを書く予定。なお再編集版も存在する。ハワード側がビデオを取り直すという事になっていたらしいが実際に取り直したかどうかは不明。Rush 「Mystic rhythms」この作品監督はGerald Casaleという事になっているけどゴドレイ&クレームも製作に参加している。(ゲティ・リーがMTVのインタビューでそう言っていた)映像は様々なオブジェを登場させて、映像自体にもかなり後で加工して神秘的な曲のイメージに合わせた素晴らしい作品。最後のバンドの演奏シーンを上から撮った映像はいかにもゴドレイ&クレーム風。傑作だ。なおGerald Casaleはディーボのメンバーだった人で、ディーボのプロモの殆どを担当している。米英のひねくれ奇才の競演だった訳で、もっと競演作を見たかったなあ。
2005年04月21日
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私が思うにマイケル・ジャクソンは自分のそっくりさんが増えてきたのが嫌で整形に整形を重ねたような気がするがどうだろうか?今の顔を真似するには特殊メイクが必要になるだろうし'80年代沢山いたマイケルのそっくりさんはみんなどうしているのだろうか?ラスベガスなんて「職業 エルヴィス」な人が沢山いるけど私としては「職業 マイケル」を沢山見たかった。そのうちカート・ラッセル主演の映画「スコーピオン」みたいにマイケルのコスプレした映画とか出てきてこれが当然B級映画で一部で笑われるという事になったらよかったのにな。という訳でこれからもマイケルは自分のセルフ・パロディを演じる事になるだろう。あの裁判も予想通りマコーレ・カルキンまで出てきて訳わかんなくなってきてるし。ちなみに今日はさんざん手を抜いて書いたけど、それはじっくり時間かけて書いたのに間違って消してしまったから。しかしこれ書いたらまた「スコーピオン」見たくなったな。あのアイスTのシーンは何度見ても面白い。「こいつは1人で2人分の働きをする」いや~本当にそうでしたよ。しかしアイスTもあんな主演依頼断れよ。すっかりB級映画の常連になっているけど、ボディカウントで全米騒がせたのを忘れたのかな。
2005年04月10日
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昨日食べた「ホームラン軒」は美味しかった。それはともかく、まぐまぐの発行システム変更によってもしかしてメルマガ届かない可能性もあります。でも確認メール送られてきたので多分大丈夫でしょうが。発行作業中に何度かサーバーダウンの表示が出てきたので確実とはいえませんけど…メルマガの内容についてはまた明日以降という事で。
2005年04月04日
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いかん今日のメルマガ「トレイシー・チップマン」って表記しているような。正確には「チャップマン」の方がいいのかな?でもデビュー当時は「チップマン」っていう表記が多かったような気がしないでもない。トレイシーのデビューの時はよくフィービー・スノウに比較されたのだけど、確かに似てなくもない。両者ともグラミーの新人賞取っているし、そもそもこういうスタイルの音楽はグラミーの投票権持ってるインテリ受けしやすいのだろう。でも作品出す度にトレイシーは間口が広くなっていったという印象が私には強い。デビュー当時のデビッド・ガーンシュバームのプロデュースは今考えると少し行儀良すぎたって所なのだろうけど、当時の音楽シーンを考えると大正解だった。フォーク系のアーティストなんて皆無だったし、リビング・カラーがかなり話題を集めたという時代だからねえ。(トレイシーはリビング・カラーのヴァーノン・リードと同じ黒人の音楽団体に所属していた事がある。)トレイシーのデビューのきっかけは彼女の同じ大学の学生が、自分の父親に「こんなアーティストがいる」と紹介し、気に入ったその人物がエレクトラレコードを紹介したという話があるのだけどこの父親とはCharies Koppelmanという人で、当時は音楽出版社の社長。その後彼の会社はEMIグループに買われ、EMI傘下でSBKレコードという会社も設立し、ヴァニラ・アイスで大当たり、'91年にはEMI北米の最高責任者に就任しています。このコペルマンという人、'60年に「Yogi」という冗談ソングをヒットさせたアイビー・スリーのメンバーだったという人なのが面白い。同じメンバーのDon Rubinも彼の事業の長年のパートナーでした。この「Yogi」という曲。聴いたことありますけど、かなり変な曲で(だって『ヘイ・ポーポー』とか言ってるんだよ)一度聞いたら忘れられないような曲だけど、こんな真性の一発屋がそのまま業界に残って成功するのだからあの国は奥深い国だ。それはともかく、「Baby Can I Hold You」という曲、私も少し痛い曲でした。しかしこんな曲デビュー盤に入っているのだからやっぱり凄い才能ある人だ。そういえばトレイシーがデビューしてまもなくの時期に、ネルソン・マンデラが釈放されてその歓迎コンサートが行われた時、彼女も参加していたのですけど、同じく参加していたピーター・ガブリエルの「Don't Give Up」のケイト・ブッシュのパートを歌うというシーンがあったのですけど、彼女の声のキーでは全然合わなくて照れくさそうに歌っていたのを思い出した。しかしあの時他にあのパートを歌う人はいなかったのだろうか?(ちなみにこのコンサートのトリはシンプル・マインズだった。そんな時代もあったんだねえ。)
2005年03月21日
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ビル・ウィザースとカール・ウィザース(アポロ)は似ているのは名前だけ。しかしカール・ウィザースの映画に「アクション・ジャクソン」という映画があって、この名前の発音の難しさと、昔SPWFというプロレス団体にバイトで出場していた外人選手がこの名前を使っていたという事もあって思い出深い俳優だ。などとメルマガに全く関係ない事を書いたけど、名曲の多いビル・ウィザースの曲の中でも特に有名なのがこの「Lean On Me」だろう。ちょっと調べてみたらカバー曲の数は膨大にあって、演奏しているアーティストもかなり多い。そんな有名曲をああいう軽いダンスナンバーにしたのはどうなのかという感じもしないでもないけど、元がいい曲だからいいんだよ。しかし男女子混合のボーカル・インストゥルメントグループというのが'80年代のR&Bグループには腐るほどいたけどこれだけの大ヒット飛ばしたのはバラードで人気になったアトランティク・スターぐらいだったね。タイメックス・ソーシャル・クラブの「ルーモアズ」って曲はなんとも変な曲だけど、ドラムマシンの音が凄く印象的で、サビとかは覚えやすい曲。成る程ヒットしそうな感じはあるけど、全くのインディレーベルからのヒットという事で当時は珍しかった。当然日本盤の発売はなかった記憶があるけど、どうだったかな?しかし一時期はかなりジェイ・キングのサウンドは時代の先を行っていたのだけど、今や何しているかわからないという状態になっているのは少し悲しい。'80年代以降のR&B業界の移り変わりの速さを感じるものだ。
2005年02月21日
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今頃になってメルマガの話題。メン・アット・ワークといえばすぐに「ベストヒットUSA」で小林克也氏が「メナワーク」と発音していたのを思い出す。しかし人気絶頂の時期に不眠症の歌なんか歌っていたのはなんか可笑しい。「オーバーキル」は結局米1位は取る事はなかったけど、やはり歌っている内容が訳わからんというのが一番大きかったかな?「カーゴ」というアルバム。私はとにかく好きなアルバムで、全曲好きなのだけど、ここからシングルカットされた曲には総てプロモーション・ビデオがあって、大体がメンバー出演したコミカルな映像。そのうえ数を重ねるごとに豪華になっていっているのが可笑しい。「It'sA Mistake」なんて本当は歌詞は抽象的な内容だけどビデオ見ると内容は一目瞭然。よく出来たプロモだと思う。結局アルバム3枚で解散してしまったけど、当時を振りかえってみたら、「カーゴ」から「トゥ・ハーツ」まで約2年しかインターバル空いていないんだよね。でも当時はこの期間がやたら長く感じられたものだ。やはり人気のあるうちに作品は出すべきだという事かな?少し惜しまれるのが、このバンドは基本的にセルフプロデュースのバンドなのだけど、3作目の「トゥ・ハーツ」だけはちゃんとしたプロデューサーがいた方がよかったと思う。このアルバム基本的に地味な曲が多くて売れそうにないアルバムなんだけど、長い間スタジオにこもりきりで方向性が見えなくなったんじゃないかなと思わせる所がある。で、コリン・ヘイのソロアルバムはちゃんとしたプロデューサーがついたので、作品としてもかなり良い出来だったのだけど、すでに'87年当時はメン・アット・ワークは過去のグループだった。本当にこの時期は流れが速い時代だった。
2005年02月09日
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駄目か… いきなり海の上では間抜けだな。という訳で珍しく'80年代洋楽の定番曲を取上げたのだけど、ちょっと書きすぎたかな?でも海外はシャレのわかる土壌があっていいね。今日もゴールデン・ラズベリー賞でブッシュがノミネートされたというニュースしていたけど、是非受賞していただきたいものだ。そういえばスターシップの前身バンドも米国大統領の名前を使ったバンドだった。そのためか「シスコはロックシティ」のプロモーションビデオではリンカーン・メモリアルのリンカーン像が出てきていきなり歌うというシーンがあった。私はこのシーンが何故か可笑しくて仕方がなかったのを思い出した。でもスターシップってMOR系と考えたらそんなに悪いバンドじゃないと思う。「セーラ」とか「愛は止まらない」あたりはミッキー・トーマスのボーカルによく合う佳作だと思う。ただギタリストが若手でハードな曲得意にしていたからいかにもな産業ロック然とした曲も多かったけど。このアルバムが出た後に、ミッキー・トーマスがソロでも活動すべくサントラ盤に参加していたりしていたなあ。「ヤングブラッド」というロブ・ロウ主演の映画で普通の青春映画だったけど、何故かプロモでトーマスは白塗りで仮装して出ていた。ありゃどういう意味があったのだろうか?てっきり恐怖映画のサントラに参加したのかと思ったものだ。本文では触れなかったけど、このスターシップの成功に刺激された訳ではないだろうけど、ジェファーソン脱退組が「KBCバンド」というバンドで活動したのもこの時期だった。しかし工夫のないバンド名だ。メンバーの名前の頭文字をとっただけ、私は九州朝日放送かと思いました。(当時私の田舎ではラジオが深夜聴くことが出来たのだった)このバンド音も冴えなかった。なにせマーティン・バリンの選曲だろうけど、オフコースの「サヨナラ」カバーしている。また情けないカバーなんだな。予想通りこのバンドは売れず、この1枚のみで自然消滅しちゃったけど、その後脱退したグレース・スリックも加わってエアプレイン再結成して、これはなかなか個人的にはよく出来た作品だと思ったけどまたコケたのだった。しかし今やミッキー・トーマスも小田和正作品のカバーしているとは不思議な縁だね。マーティン・バリンで思い出した。この人日本だけで小田和正作品をシングルで出しているんだよね。これが枯れまくった曲で何故か「ビートたけしのオールナイトニッポン」あたりでも流れていたのを思い出す。なんてタイトルだったか忘れたけど。ちなみに私が初めて見た有名邦楽アーティストのライブはオフコースだったりする。
2005年01月26日
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’97年にヒットしたDuncan Sheikの「Barely Breathing」という曲は当時のチャートの中でもずば抜けて地味な曲だったけど、何となしに懐かしさを感じた曲だった。ちょっと調べてその懐かしさの正体が判明した。この曲のプロデューサーはルパート・ハインだったのだ。ただこの曲に関しては、数多くのヒット曲を出した'80年代のサウンドではなく、ルパート自身のソロ作の感触に近い。Duncan Sheikはルパートのソロ作聴いていたのかな?(コーラスの入れ方とかもうそのままだったりする)そんなルパートとの愛称が一番良かったのが今回のメルマガで取上げたフィックス。一時期はかなり人気があったけど落ちるのも結構早かった。彼らのヒットしていないけど代表曲の1つが映画「ストリート・オブ・ファイアー」のサントラに収録されていた「Deeper And Deeper」今考えると何故この曲をシングルで出さなかったのか理解に苦しむけど、ロック系のラジオではかなり長い間オンエアされていて、ちゃんとシングルカットしたらかなりヒットしたのではないかと思います。なお今回取上げた「アーウィ・アーウィ」のB面に結局収録された筈です。後ティナ・ターナーの「Better Be Good To Me」のビデオにサイ・カーニンが出ていたけど、完全に別格扱いで出ていて結構驚いた記憶があります。なおこの曲はボーカルのサイとギターのジャミーウエスト・オーラムが客演しています。当然プロデュースはルパート・ハイン。この曲とかはフィックス色があったけど、後にシングルで出した「Secret Separetion」は、全然このバンドに合っていない曲でした。同じティナターナー用の曲として作られたようですけど、ボツになった曲をそのままシングルにしちゃなあ。どうも人気があるうちに結構早い間隔でアルバム出していて曲が煮詰まらないままレコードにしていたという感じがどうしてもある。などといいながら私はルパートがプロデュースした彼らのアルバム3枚も持っていたりするけど。メルマガの中で少し紹介したサイ・カーニン&ルパートハインの「With One Look」という曲。'85年の発売だったと思うけど映画のサントラ用の曲で、シングルとしても発売された筈です。たまたま私はプロモーション・ビデオを持っているけど変なビデオだったなあ。このビデオのおかげで「BetterOff Dead」という映画はてっきり恐怖映画だろうと思ったんだけど、実際は普通の青春映画だった。とにかくルパート・ハインも彼の公式サイトを見る限りでは現在もプロデュース業中心に活動しているみたいだし、フィックスもまだ頑張っているという訳で、何気に息の長い活動だ。これからも頑張って欲しいものだ。
2005年01月10日
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今週と来週のメルマガは週刊でクリスマスソング特集なのですけど、去年もなかなか好評だったこの企画。さて今年はという訳で、いきなり'80年代の曲の中でも一番暗いクリスマス曲を選んでしまいました。とはいえ元々プリンスの曲の中でも人気の高い曲で、例のB面曲も集めたベスト盤発売までは再発希望の声が高かった曲でした。しかし今でもあのベスト以外には収録アルバムがないのが少し惜しい。B面曲ばかり集めたCDも出して欲しかったものです。A面曲の方はその後のプリンスの名前騒動を考えるとかなり重要な曲で、本来ならこの曲単独でもメルマガに取上げるような曲なんですけど、さすがに2曲ともなると仕方ないかな。しかし鼻歌でも歌えるようなポップな曲なのに歌詞があれだから面白い曲だ。近年のプリンスは私はあまり興味が薄れたのですけど新作の曲はなかなかいいのではないかと思います。とはいえさすがに以前程インパクトは感じませんけど。しかし来週何の曲にするか、今でも決めていません。どうも弱ったなあ。そろそろ決めなきゃいけないんですけど候補が多くて迷っています。
2004年12月22日
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という訳で今回のメルマガは思いっきり自分の趣味で選んでしまいました。「ヒル・ストリート・ブルース」を最初に見たのは大体日本での本放送が始まった時期で、うちの田舎でもフジ系の中継局がなかったにも関わらずなぜか深夜帯で放送されていた。別に興味ないままダラ~っと見ていて、そのうえすぐ打ち切りになってしまってこの時は殆ど記憶がない。それから大阪に出て映画に興味を持ってから、海外ドラマも見なくちゃという訳でまた再見したのだけどこの時はシーズン後半の話が多かったにもかかわらずすぐ引き込まれて、とにかく面白いドラマだと関心しながらみていた。もう見ることはできないと思ったけど、'90年代になって関東ローカルで全話再放送されて、この時殆ど欠かさず見ることが出来た。私は海外ドラマに興味を持ったのが、シットコムの「かっとび放送局」という番組からなのだけど、「ヒルストリート・ブルース」は「海外のドラマは凄い作品がある。」という事を教えてくれた。とにかく人物描写が異常に優れていた。主要な出演者はみんな何かしら人間的弱さを抱えていて、それにも関わらずつらい日常を毎日乗り切っていく。1日の始まりの通達を主任が読み上げる所からドラマは始まり深夜大体フリロ署長とジョイスがベットに入っている所で終わる。それまでに様々な出来事が起こり、大体出演者のうち誰かが主役級となってトラブルやつかのまの幸福や捕物や様々な話が起こるという感じのドラマだった。たまに大きな出来事がヒル分署にも起こる時がある。あれは今考えると視聴率のレイティング調査がある時に起きていたのではないかと思うけど、ヒル分署が火事になったりフリロ署長が撃たれたり、殉職する警官が出たり、自殺を試みる人がいたり、バッジを剥奪されそうな人がいたり(これは最終回。でも米のドラマに最終回という概念は普通はない)一応'90年代後半に衛星チャンネルで再放送されたらしいけど、当然私は見れなかった。今後再放送の可能性は限りなくすくなそうだから是非DVDボックスみたいな形で発売してくれないかなとも思うけど、なにせ6年も続いたので難しいかな。米ではビデオで何話か集めたベストみたいなものが発売されているらしいけど、それだけでは少し物足りない、このドラマは前半と後半がかなり違った雰囲気なので、(後半は殆どバンツ警部補の土壇場となってくる。デニス・フランツはこれで刑事役の役者として有名になる。『ダイ・ハード2』では刑事じゃなかったけど)せめてビデオでも3本ぐらいは出して欲しいものだ。しかしバンツって変な癖があって、この人常にガムをかんでいるんだけど、車から降りる時にそのかんでいるガムを車のハンドルにつけてから降りるんだよね。あれは訳のわからん癖だけど何となく可笑しい。あとはハンター警部補。SWAT隊長として常に犯人を撃ちたがっていて、パイプ煙草の愛好家でインテリという不思議なキャラだった。後半には自殺未遂したり降格して主任になったりなかなか大変だけどこのキャラも好きだった。とにかく同じ製作者の「L.A ロー」だとか「NYPDブルー」だけではなく、その後の米テレビドラマに多大な影響を与えた作品としては、このドラマをおいて他はない。しかし本当に視聴率悪かったのだろうか。テーマ曲もヒットしているし、ブラック・フラッグの「TVパーティー」という曲では人気番組の1つとして名前が出てくる。エミー賞は何度も受賞しているし、いかにもすごい視聴率の番組みたいな話は沢山あるんだけどね。という訳で、これからもたまに'80年代(たまに'90年代)の海外ドラマの話をしてみようと思っている私であった。
2004年12月14日
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という訳で続き。演奏以外にもう1つ「Backstage Pass」というこの番組を製作する過程で取材したインタビュー集が作られたらしく、番組に出演したアーティストだけではなく、ボツとなったバンドのインタビューも紹介されたみたいです。ここではコモドアーズのメンバーのインタビューが少し視聴できますけど、全然バンドの事語っていなくてジミ・ヘンドリックスの思い出話ばかりしていた。しかしジミヘンとつながりがあったとはねえ。コモドアーズ以外にボツとなったらしいバンドは、Generation X,Shalamar,The Smiths,らしい。しかしスミスなんかいくらなんでも無理だろうって。あとのバンドは全て演奏シーンはなく、Web上では写真ぐらいしか見れない。と思っていたらヘアカット100の演奏シーンがあった。(見落としたのかな?)演奏するは「Favorite Shirts (Boy Meets Girl)」みんな程よく年食ったなあという感じだけど、ニックヘイワードの声が出ていない以外はいい演奏。この映像を見る限りヘイワードはあまり変わっていないような感じをうけるかもしれない(金髪に戻しているし)けど、写真では腹も出て、完全にいいオヤジとなりつつある。つい'90年代後半まではやせていたんだけどねえ。実はニック・ヘイワードは一時期メルマガで取り上げようかと思い、結構調べた事があったのだけど、今では公式サイトもないし、活動している気配が全然見られなかったので断念したのだった。ただ'80年代ナツメロコンサートみたいなのには出演していたらしく、もしかして今でもたまにヘアカット100としてコンサートをしているのかもしれない。それ以外のバンドでは個人的に興味があったのはイングリッシュ・ビートぐらい。あまりメンバーは変わっていない。でもデイブ・ウェイクリングの姿はなかったのは残念。後はスキャンダルで人気が失墜したニュー・キッズ・オンザ・ブロックのメンバーは普通の大人になっていた。そういう訳で、もっといろいろ見たいという人はBands Reunited へGoだ!
2004年11月18日
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という訳でメルマガに書いたように、懐かしの'80年代洋楽バンドの1日だけの再結成の模様をドキュメントした米ケーブルTV「VH-1」の番組「Bands Reunited」にまた新しい出演者が出ていたのでその視聴記。前回取上げた後出演していたバンドは次の通り。ABCHaircut 100Information SocietyNew Kids On The BlockThe English BeatThe MotelsVixenScandalこのうち再結成ライブの模様が視聴できるのはABC,MotelsVixen,Scandal の4組。これとは別にBackstage Pass と題したインタビュー集が作られたらしく、ここではコモドアーズのメンバーのインタビューが視聴できます。惜しい事にライブ風景の視聴が出来るのは4組だけになってしまいましたが、結局バンド側に断られたという事なんだと思います。ただ今回のバンドの選択は前回のように実はまだ活動していてツアーしているといったバンドは少ないのでこれは仕方ないかと思います。とにかく最初はABC。デビューからかなり様々にスタイルを変えたバンドでしたが、一貫してボーカルのマーティンフライの色が強く出たバンドでした。このライブが唯一スタジオライブではなく、コンサート風景を録画したもの。メンバーはマーティン・フライしか多分いないという内容でしたが、「When SmokieSings」を演奏しています。ABCは'97年までこの名義(最後はマーティンのみがオリジナルメンバーとなっていた。)で作品を出していますけどたまにこういったコンサートとかしているんでしょうね。なお番組の模様を収めた写真では、マーティン以外のメンバーの近影が見れます。特にYMOとのつながりもあったデビッド・パーマーは懐かしかった。(あまり変わっていない。)しかしマーティン・フライはガンだか白血病にかかったというニュースを聴いた事あったんですけど見た限りでは元気そうだった。ガセの情報だったんだろうか?次はモーテルズ。ボーカルのマーサ・デイヴィスをフーチャーしたLAのバンドでしたが、日本では人気出なかったバンドでした。というか私もあまりこのバンドは好きでなかったりしますけど、それは多分グリール・マーカスがこのバンドをボロクソにけなしていたせいだろうと思います。そのマーカスにけなされた「想い出のラストサマー」を演奏していますが、なんともライブ映えしない曲なので少しこれは選曲ミスかな。でもマーサ・デイヴィスの声はあまり変わっていなかった。どうやらモーテルズは再結成して現在もライブ活動はしているみたいです。しかしマーサ・デイヴィスもガンの闘病をしているという話聴いた事あるんだけどあまりそんな風に見えなかった。(他のサイトでも闘病していたと書いていたので、全快したという事だろうか?)一応マーサの公式サイトはここどうやらまだ作ったばかりのサイトみたい。今回のこの番組の出演は自身のニュー・アルバムの宣伝も兼ねてという事なんでしょうね。次はヴィクセン。何と言うか私全然興味ないバンドだったんだけど、とりあえずリチャード・マークスのカミさんがいたバンドというぐらいしか記憶にない。しかしこの名前は今年亡くなったラスメイヤーの映画から取ったのだろうか?'90年のヒット曲「How Much Love」を演奏するのだけどこれが思ったよりいい演奏。あれ?って思ったら'98年にアルバム出しているんだね。すぐ見かけなくなった印象が強かったけどそうではなかったという事。しかし今はさすがに活動していないみたい。最後にスキャンダル。メルマガ38号で取上げた時、「カムバックの意向あり」みたいな事を書いたけど、こんなに早くテレビに出るとは思わなかった。しかし私結構この人のファンだったけど、いや~年月の重みを感じました。あえて書くけど「二の腕おばさん」になってしまっている。(西原理恵子著「できるかなv3」を参照あれ。)成る程これではすぐ復帰とはいかないかもしれないけどでもライブではそこそこ声は出ていた。ただしやはりブランクは感じたけど。まあゆっくり時間を掛ければ声も戻りそうだけど、どうかな?写真では夫のマッケンローも一緒に写っている。この人も今では芸能人だからこれからは夫唱婦随で活動していくのかな?しかしスキャンダルのメンバーって今まで何していたんだろうか?1人のメンバーは今でも鼻にリンク刺しているし現役バリバリのパンクスみたいだけどよく出演OKしたなあ。演奏する曲は「Love Is Gonna Get You」。演奏はなかなかしっかりしていた。なおヴィクセンとスキャンダルは今月に放送されたもの。どうやら1月に2組出演させる意向みたいです。という訳で多分明日に続く。
2004年11月17日
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どうやら米大統領選がリアルタイムで観戦できそうなので少し浮かれている私であった。選挙オタとしては最高の楽しみだ。仕事休んででも観戦しなければいけない。それはともかく、メルマガについて、今回は初めて「全く入手困難な音源」を紹介したのですけど、実際はそうでもないかもしれない。近頃よく中古の古本とCD屋が一緒になった店を探しているのだけど、そういう店で中古の洋楽CDのコーナーには、驚くほど'80年代洋楽が多い。しかしその多く、'80年代中期に洋楽ブームの時にデビューしてCD1枚とか2枚出して解散したバンドや何処へ消えたかわからないアーティストばかり。今回取上げたケーン・ギャングもその中の1組として、今でも何処かの中古CD屋に1枚300円とか500円で売られているであろうなあと思う。音楽性そのものは結構マニアックな姿勢はあったのに何故か熱心なファンがつかなかったのでこれは仕方ないかもしれないけど、もう少し再評価されてもいいのではないかなあと思う。特に「孤独の街」という曲。本当に素晴らしい曲でそのメロディはいかにも日本人向きで、もっと話題を呼んでもよかったと思うけど、唯一松村雄策氏が当時気に入ってる事を広言していたぐらいだった。メルマガにも少し書いたけど、米盤にはこの曲の再録バージョンが収録されていて、このバージョンは少し洗練されすぎの感があってあまり好きではない。ピートウィンフィールドのプロデュースって少しあっさりとまとめすぎの嫌いがあるねえ。それはプロクレイマースでも感じた事だ。しかしなんですぐ解散したのだろう?いろいろ調べたけど原因についてはわからなかったのだけど、知名度も増したし、これからという感じになりつつあったのではないかと思うけど、少し不思議だ。後ボーカル担当のフィル・ウッドとダニー・ウィルソンのゲイリー・クラークって容姿もそっくりで、そのうえくどい歌い方もそっくりだ。私はこの2人の見分けがつかない。そのうちダニー・ウィルソンもアルバム全部持っているのでメルマガにとりあげよう。
2004年11月02日
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しかしこんな時刻に更新しなくてはいけないとはなかなか厳しい。今回のメルマガ、ピート・タウンゼントだった訳ですけどこの時期のピートは完全にソロ活動が軌道に乗って活発な活動をしていました。「ホワイト・シティ」を出してから少しして、半年程度でソロとしては初のライブアルバムとなる「Deep End」を発売、その翌年には自身のデモ録音を集めた「AntherScoop」を発売と毎年のようにアルバム出していました。「Anther Scoop」は'83年に発表した「Scoop」の続編で元々以前から発売予定だったんでしょうけど、有名曲のデモ(ピンボールの魔術師とか)からカバー曲(ビギンザ・ビギンとか)実験的な曲(アスク・ユアセルフ)とか映画音楽のような作品(ザ・フェリーマン)とかデモなのに不思議とバライティに富んだ作品でした。「Deep End」というライブ盤は、確か彼のチャリティコンサートの模様を収めたものですけど、ホーンセクション入りの編成で、やたらカバー曲の多いアルバムでした。ちなみにこの2作品はどちらも日本では発売されなかったアルバムです。当時の人気のなさがこういう面にも現れていますけど、せめて「Deep End」ぐらい出して欲しかったです。ちなみに私はこのライブアルバムが録音された音源とは多分別の日(このチャリティコンサートは2日間行われた)の音源を持っています。'90年ぐらい?にNHKーFMでオンエアされたものを録音したテープです。これがなかなかかっこいいライブで、フー時代の曲は少なめで、有名曲は何故か1曲除いてピートの弾き語り。「ビハインド・ブルー・アイズ」のみバンド演奏があって、あとは自身のソロ作からの曲と、R&Bのカバー曲という構成でした。デイブ・ギルモアがゲストで参加していて、彼の曲である「ラブ・オン・ジ・エア」とか演奏して、そのまま引っ込んだかと思えば、ピートが「ギルモア~」って呼んだら「ホワイト・シティ」収録曲で、ギルモアがギターで参加している「ギブ・ブラッド」が始まるんですけどこれがとにかくかっこいい。私は「ビハインド・ブルー・アイズ」はピートがボーカルのバージョンの方が断然すきなんですけど、これは個人的な意見なので違うと思う人も多いと思います。でもこの曲から私はザ・フーに興味を持ったので、思い出深い曲です。他にもいろいろ書きたい事(ピートvsマイケル・ムーアとかロジャーの『After The Fire』とか)ありますけど、これはまた近いうちに。今週中には無理かもしれませんけど。
2004年10月19日
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今回のメルマガ。どの曲を取り上げようか悩んだ末に突貫工事で仕上げたけど。思ったよりまとまったのでよかった。'80年代のキンクスは途中レコード会社の移籍とかもあって段々地味になったとはいえコンスタントに活動していて作品数も多いし、大きなヒット曲もあったし総じてこのグループにとっていい時代だったと思います。ヒットした「カム・ダンシング」という曲は本来なら当時のサウンドからすれば本当に古臭いアレンジ(キーボードの音やアコギやホーン)で、曲間に語りが入るというのも当時の曲ではあまりなかった。にもかかわらずかえってそういう面が脚光を浴びたという感じのヒット曲でした。またジュリアン・テンプルのビデオも歌詞をなぞった内容ながらよく出来ていた。しかしジュリアン・テンプルっていう監督は、はっきりとしたコンセプトがないと本当に駄作ばかりの人で例えばストーンズの「アンダーカバー・オブ・ザ・ナイト」とかシャーディの「スムース・オペレータ」とかはとにかく編集下手糞だったりしますけど、それだけストーリー性のあるプロモなんていう変なものを作る人が少なかったという事です。(というかアクション・シーンが下手糞過ぎるだけなのかもしれないけど)でもいくら話題になったからといえ、当時のヴァージンレコードがかなりの金額をかけて「ビギナーズ」って映画撮らせて、予想通りコケたのは少し可哀想だった。しかし、その後のテンプルの作品にはかなりいいものがあるから不思議だ。MTVの大賞とったニール・ヤングの「ジス・ノート・フォーユー」とかCSNYの「アメリカン・ドリーム」(デビッドクロスビーがシャレにならない役で出ている)デヴィッドボウイの「デイ・イン・デイ・アウト」あたりはなかなかいい。しかしどれも皮肉な政治的メッセーズがある映像ばかりだなあ。当時のキンクスのプロモも軒並み彼が撮っていますけどレイは「ビギナーズ」出ていたし、「ドント・フォゲットダンス」でのダンディ振りを撮ったのはさすがという感じ。不思議とこのバンドの作品には駄作がない。そういう中でレイが監督として撮ったのが「リターン・トゥウォータールー」だったわけですけど、この映像についての話は明日書こう。
2004年10月05日
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という訳で本来なら今日届くはずのメルマガは来週までお休みなのだった。いや~本当に休みがない。そのうえ脳味噌が腐るような仕事なのでなかなか精神的疲れが取れない。まさしく○○○絶望○○という状況だったりする。当然長期そんな状況ではないと思うけど、まだ未定なのでしょうがない。それにしても、よくみんな過労死しないものだ。若いからもつのかな?いろいろ面白い話もあるので、これはそのうちまとめてみよう。そんな状況でありながら、1つ現在計画しているのがインターネット・ラジオの公開だ。時間がないうえに、音源の所持がアナログばかりなので自分でインターネット・ラジオはまだ到底無理なんだけど少し前にもここに書いた米ヤフーの「LAUNCH」の無料ラジオなら、ある程度自分の好きなアルバムやミュージシャンを反映できる自分だけのラジオが作れる。それを公開しようかなと思っているのだ。公開といっても、自分のID晒すだけだからたいしたことではない。ただこれは非会員には聴けないかもしれないのでそこは不便だけど。そう思い立って様々な音源を捜しているけど、残念な事にあまり'80年代の音源が多くない。もう少しオムニバス盤を置いてくれたらいいんだけど、殆どないのではっきりいって'80年代洋楽ラジオではない。じゃジャンルはなにかといえば、自分でもさっぱり訳わからんラジオになりつつある。大体スティーブミラーの後にビュークがオンエアされたり、フランクザッパの後にジュエルがオンエアされるようなラジオになってしまった。今も聴いているけど、ウォーレン・ジヴォンの次にカサンドラ・ウィルソン(いい歌手だ)がオンエアされている。しかしこの流れはなかなかいいね。でもウォーレン・ジヴォンとジョニ・ミッチェルとボビー・ウォーマックは確実にオンエアされると思う。(いままでこの3人は確実にオンエアされている。)でもまだオンエア音源を増やすので、今後もっと訳わからんラジオになるだろうな。もう少ししたら公開する予定なのでそのつもりで。メルマガはそろそろまた英国勢を中心に取り上げようかなと漠然と思考中。近頃マニアックな物が続いているのでメジャーな所も久しぶりに書いてみよう。
2004年09月27日
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昨日の続き。今回同じ曲とはいえ3曲も取り上げたのだけど、エアサプライだけは実は私もあまり聴いた事なかった。というのもタイトルが少し違っていて、(You Are My Lady)という副題がついていて、ジェニファー・ラッシュの曲とは別の曲だと当時は思っていたのだ。男性が歌うのだから少し歌詞を変えていたという訳だけど。なかなか早いカバーだ。メルマガに少し書いたけど、ギリシャの有名な歌手のナナムスクーリはもっと早く、'84年にカバーを発表している。この人の声質に凄く合っていて、このバージョンも結構有名だろうとおもう。しかしエア・サプライの英語題のアルバムタイトルはシンプルに「Air Supply」なのに、「潮風」だとかやたら海関係の言葉と毎回ジャケット差し替えと完全にイメージが同じスタイルで売り出す日本のレコード会社も面白い。でもどれがどのアルバムが全然分からないのが難点だけど。最新作はこの間お家騒動のあったあのレコード会社から出ているのは少し驚き。だからCCCDでの発売だけどよく考えたらこの会社前号のワックスのメンバーだったグレアム・ゴールドマンのいた10ccと独自に契約してアルバム出していたんだよな。しかしこの作品はメンバー2人とも「出すんじゃなかった」とか言っているのが悲しいが。彼らは大袈裟なバラードが得意だけど、一番大袈裟だと私が思う曲はそのうちメルマガに書いてみようかな?一つ間違えばお笑いネタになるくらい大袈裟な曲だけどあの頃はそんな曲がやたら流行ったのだった。そのうちそんな曲ばかり特集してみたいけど、さていつになるだろうか?
2004年09月14日
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メルマガの前に、何故か予想通りプロ野球のストは回避されたけど、よかったというべきか残念というべきか複雑だ。しかしあの内容ならスト突入すれば選手会の旗色は悪くなっただろうから一応賢明な判断だったと思う。しかしやはり球団側の勝手な解釈により、かえって今週のスト突入の可能性は高くなったかもしれない。しかし予想以上に回避してよかったという感じの報道が多かったのはやはりストに対する国民意識という事か。でメルマガの話。AMGで「Power Of Love」で検索すると確か500近くの曲がヒットする。実際は同じ曲が何度も別のCDに収録されれば1曲としてカウントされるのでそんなに多くは無いものの、何故か'80年代以降の曲が多いのは少し不思議。この中で一番多いカバー曲が今回紹介した曲。'80年代洋楽はもう1曲ヒューイ・ルイス&ニュースの曲が定番だけど、この曲のカバーはさすがにないみたい。本来ローラ・ブラニガンが亡くなったというニュースを聴いた時に、今回のメルマガの半分ぐらい同様の内容の文章を書いたんだけど、あやまって消してしまって全然違う内容の事を書いたんだけど、やはり消したものの何処かで再生できないかなと思いメルマガにまとめてみようというのがきっかけでした。本当ならローラの曲単独で行こうかとも思ったけどそれも「いかにも」という感じがしたのでやはりオリジナル曲についても触れたいなという所から珍しくアーティスト単位で取り上げないという事になりました。という訳で今日はこの辺で、なにせ疲れのピークなのでもう今日は寝ます。明日続くかな?
2004年09月13日
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メルマガ週刊発行を久しぶりにトライしてみたけどやはり現状ではとても週刊は無理だという事に気が付いたという事は収穫だった。やっぱり余裕がないといけませんね。とにかく今回もメルマガの話題。今回取上げたワックスというのもやはり少しマニアックかなあと少し反省しているけど、一応10ccは有名だしまあいいかという感じです。10ccといえば、90年代にいきなり活動再開して、日本でコンサートとか行っていましたけど、この再結成はレコード会社主導で行われたらしく、特に'95年の「ミラー・ミラー」は契約が日本の近頃お家騒動のあったあの会社だったため2人共にあまり乗り気でないのに無理に作ったアルバムだったらしいです。「ミーンワイル」というアルバムのプロデューサーだったゲイリー・カッツなんて、インタビューで「あの2人の仲が険悪で困った」というような事をインタビューで言っていたような記憶があります。今ゴールドマンはエリック・スチュワートよりもアンドリュー・ゴールドの方が気も合っているし、作品もいいものが多いと思います。しかしなんであの会社が10ccのアルバム出したのだろうか?税金対策だろうか?そういえばゴールドマンがまだ10ccとして活動していた時期に、ソロシングル出した事があって、これが映画の主題歌。「サンバーン」という映画で、人気のあったファラ・フォーセット主演の映画でした。しかしなんでこんな映画の主題歌歌ったのだろう。かなりしょうもない映画だったような記憶があります。しかしソングライターとしてかなり重要な人なのに、何故かあまり重みを感じさせないのがゴールドマンの不思議な所です。パフォーマーとしての活動も活発だったという面もあるでしょうが、あまり癖のない作風なのがそう感じさせるのかな?アンドリュー・ゴールドといえば一番有名な曲は「ロンリー・ボーイ」でしょうけど、この曲私かなり好きな曲です。この人はとにかくビートルズとビーチ・ボーイズの影響がかなり強烈にある人で、ソロ作中にはもろビーチ・ボーイズというかブライアン・ウィルソン(新作発表嬉しいな)の完全コピーみたいな曲もあります。その風貌に似合わずマニアックな側面を感じさせてくれる人です。しかしワックスってもっと売れても良かったような気がします。ファーストアルバムは米でもそこそこ売れましたけど、英国でも「ブリッジ・ツゥ・ユワ・ハート」がかなりヒットして、もう少し盛り上がるかと思ったら3枚目がコケたので活動休止とは残念でした。しかしこのディオが気に入るかどうかは、ゴールドの声が気に入るかどうかにかかっているかもしれません。あの声は変に明るい感じなので、「能天気なポップス」と感じたら楽しめないだろうな。
2004年08月30日
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今週のメルマガ。少しマイナー過ぎる人かもしれませんけど元々こういったアーティストの発掘を目的にしたメルマガなのでご理解して下さい。でも英国では堂々のベスト10入りしている曲だしそんなにマイナーな曲でもないと思うのだけど、検索してみても悲しくなる程記述が少ない。やっぱり忘れられているんだろうなあと思います。関係ないけど検索で思いだしたけど、英語でToni Basilで検索すると私のメルマガの文章がかなり上位で出てくるね。以前は出てこなかったけど少し驚いた。しかしタジャ・シビルの事はメルマガに書いた事以外に特に書く事はないけど、なんで今の活動を公式サイトに載せていないのか不思議だ。もう少しで見逃す所だった。そういえば公式サイトにチャリティがどうのこうのという場所があったりして訳わからん。以前はあの場所はなかったように記憶しているんだけどね。しかしペイズリー・パークというレコード会社は良くも悪くもプリンス色が強すぎて失敗した会社だと思います。プリンス作品を除けば多分21枚のアルバムがここからリリースされていますけど、今では殆どの作品が廃盤。わざわざ権利買い取ってまで再発する気はプリンスにはないだろうな。殆どファミリー関係の作品ですけど、そうでないものとしてはジョージ・クリントン、メイヴィス・ステイプルスリー・オクロックなどがあります。スリー・オクロックに関しては日本盤も出ていたネオアコ系のバンドだったのが、ペイズリー・パークでのアルバムは何故か日本盤未発売。この作品も売れなかったためそのまま解散という悲しさでした。なんでこのバンドがプリンスの会社からアルバム出したかといえば、プリンスがファンだったためらしいですけど私はてっきり「ペイズリー・アンダーグラウンド」に引っ掛けたのかなと思っていました。それはともかく、個人的にはプリンス以外に有能な裏方が参加していればもっと面白い会社になったのではないかと思いますけど、リアルタイムではかなり期待していた会社でした。しかしこれが元でプリンスはワーナーと険悪な仲になるんですけど、その前に映画で失敗しているからあまり大きな事出来なくなったんじゃないかと思います。そういえばプリンス主演の「アンダー・ザ・チェリームーン」という映画は、褒めているレビューを未だに見たことのない映画ですけど、そんなにひどい映画なんだろうか?かえってここまで評判悪いと見たくなってしまう。そのうち見てみよう。今でもプリンスはNPGというレコード会社で、他のアーティストの作品も出しているけど、相変わらずの自分の趣味丸出しなのが面白い。しかしマッドハウスとエリック・リーズは是非再発してくれないかな。
2004年08月23日
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