★RYUの事・・『11』



ここで私達は家の間取りを後悔する事になる。

RYUがトイレを使う事はないと思っていた為(最初に入院していた病院では無理と言われていた)

家の間取りを決める時洗面所、風呂を出来るだけ大きく作る為にトイレは最低限の大きさにしていたのだ。

玄関を入ってすぐRYUの部屋へ入れるアプローチにした為 トイレ前の廊下も狭い。

車イスで通れるがトイレの入り口へ直角へ曲がるのはかなりきつい。

しかしRYUは座薬を使って週に2回 日にちを決めて便も出来るようになっていた。

「ちょっと狭いと思うけど何とかいける?」と聞くと「うん。行けるけど傷が入ったとか文句言わんでよ」と言う。

それはもう仕方ないと諦めた。


週に1~2回脊損センターにリハビリ通院しながら あとは家で好きな事をして過ごした。

でもその頃の私とRYUはよく衝突して喧嘩ばかりしていたと思う。

身の回りの事が自分で出来るようになり私に対して「悪いね」って気持ちがなくなったのだろう。

何につけても横着な物言いになり、下の子達を叱っていても 口を挟んでくる。

それに対して私もイライラして喧嘩に・・

今思えば 一日中いつも2人でいた為お互い何となくストレスに感じていたのかもしれない。

よく私に「どこか出掛けたら?」と言っていたが いくら家の中がバリアフリーになっていてRYUが

身の回りの事が出来るといっても私はRYUを1人で置いて出掛ける事が出来なかった。

「もし何かあったら・・」取り越し苦労だったのだろうが いつもそう思えて不安だった。

RYUにとってはそんな私が逆に重荷だったのかもしれない。

喧嘩しては RYUは兄弟に当たり 私は主人に当たった。


週末主人が帰ってきてRYUに注意してくれたり 私を慰める言葉を言ってくれても素直に聞けず

「いいよね。週末しか状況はわからないんだから」とか長女が生まれてから長距離に乗っている主人に

「結局育児だって私が1人でしてきたみたいなものじゃない、いいよね可愛がるだけで 

育児の美味しいとこ取りできて・・叱るのはいつも私の役目だからみんな私には反発するのに・・・」と

泣き出したり・・・

何故自分がこんなにイライラして主人に当たってしまうのかわからなかった。

「もう少し気楽に考えろよ」主人がよく言った。

きっと主人には私が今までの介護の疲れとこれから先の不安で情緒不安定になっている事がわかっていたのだろう。

短気で二言目には喧嘩ごしの物言いをする人なのにいつも優しかった。

でも私は自分がそんなに疲れているなんて思っても無かったし 何故かいつもと違って優しい主人もカンにさわった。

ヒステリー状態である。


ひとつ良かったのは私もRYUも長い喧嘩ができない。

ワーッてやり合っても1~2時間もすればどちらともなく普通に話をしていた。

どちらかと言えば仲のいい親子だ。

喧嘩していない時は RYUとはもう大人の会話もできて楽しいのに。


8月になり、毎年恒例の友人家族と一緒に三泊四日のオートキャンプに行った。

RYUは事故後初めてだった。

場所はその2年前に行ったキャンプ場がサイトも広く障害者トイレなどもあったので そこに決めた。

3日間珍しく雨に祟られたが 合間にグランドでみんなで野球をしたり RYUも家にいる時とは違って

車イスでも人目も気にせず楽しく遊んでいた。

とても楽しい4日間だった。


お盆も開け、リハビリに病院へ行くと、リハビリ担当の先生が「アキレスが固まったままのこの右足では立つ事も

うまく行かないし歩行するにも不都合だからアキレス延長手術をしませんか?」と言われた。

RYUは手術はもう嫌だと言っていたが このままでは 室内歩行は無理でリハビリだけでは限界だと言われた。

「OO病院ならこの手の手術は有名だし右の足首だけだから」の言葉にRYUもしぶしぶ納得。

「もう一度頑張ってみようよ。室内歩行だけでも出来れば大分いいでしょ?」私も言った。


9月に入りそのOO病院へ初めて行った。

そこの病院自体とても大きく リハビリ施設も設備が整っていた。

足を診察して貰うとそこの先生が「すぐに手術ではなく しばらく様子を見てからにしましょう。

アキレス延長をすると確かにかかとは直角につけるようになりますが、今ある踏むという力が弱くなってしまいます。

どちらがメリットがあるのかリハをしながら検討して行きましょう」と言われお任せする事にした。


そして9月10日に入院が決まった。

この入院は煮詰まった親子関係だった私達にとっていい方向へ導いてくれる。







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