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奈良県の大和は国の発祥の地と考えられ、卑弥呼伝説もあります山の辺の道は最も古い道と言われ、桜井の大神神社から新薬師寺まで、奈良の都に向かって南北に伸びています〜石上神社裏手へ〜一日目は桜井駅から石上(いそのかみ)神社までの南コースを歩いて、天理駅からJRで桜井駅に戻り、駅前のルートイン桜井に泊まりました築3年目の宿は綺麗で便利、大風呂もあって朝食つきでした二日目は天理駅前に駐車して、続きの石上神社から新薬師寺辺りまでの予定ですタクシーがなかなか来なくて困っていると、神社までのご夫婦が同乗の声をかけてくださいましたありがたい。神社に着いたのは8時過ぎ、丁寧に掃き清める人たち、朝の時を告げる放し飼いの鶏たち、さわやかな杜の朝ですタクシー夫婦のお接待にお礼をして、その方は南コースへ、私たちは本殿前を通過して北コースをスタートしました〜白川ダム〜神社の奥は竜王池に続く道竜王池の前には懐かしい昭和感ある茶屋が数件、ほとんどの人は池を見て神社に戻りますが、その前を左に入り細い道を行きます竹が生えて、人気は一気になくなります細い古留川の脇道を歩き今はコンクリート製の<高橋>を渡り、豊田城趾の森の脇道をぐるりと回って進みますこんな奥まで天理教の寮がひろがり、広大なんですね白川貯水地の東屋で一休み、この日の予想気温は27度、喉が乾きます強い日照りの中、沢山の人が釣りをしていました学園の運動場を右手に車道を登り、そして下り、また弘仁寺への階段を上がります南コースに比べると、アップダウンが多く、コースの標識があるにはあるのですが、小さくて数も少ないですね〜弘仁寺〜弘仁寺は山岳仏教で栄えた真言宗のお寺で、子供の十三参りで有名だそうです小高い山の上にあり、青紅葉が綺麗、さぞや秋も素敵でしょう門前に入山料の木箱がありました連休中も奈良の有名な寺社は観光客でごった返えしていましたが、そうでないお寺は維持が大変と察します北コースでは外国人にひとりも会いませんでしたね対面の廊下に腰掛けて本堂を眺めるひと達、癒されますね住居の方からは昼食の煮物のいい匂いがしてきます山の辺の道には竹林が多いですね小道まで張り出してきた筍を掘り倒して脇に放ったのをいくつも見ました車道にでたら下り坂、奈良盆地が見えてきましたお次は、円照寺別名、山村御殿、尼寺で華道山村流の家元だそうです〜円照寺〜境内のトイレは利用できますが、それ以上は立ち入り禁止、非公開です上りは脇から山道を、下りは広い緩やかな参道を行きます長い砂利道はとてもきれいでゴミも落ち葉さえもありませんだんだん町中に入ってきましたちらり見えるのは春日山この辺りの畑は柵が張られていて、猿?イノシシ?と思いましたが、シカ!ですね大きな雄雌の鹿を見かけましたよ〜癒しの石段〜家並のとっつき、階段を登ると白毫(びゃくごう)寺奈良市東部の若草山春日山に続いて連なる高円山の麓にあります萩や椿など花の寺として有名綺麗に手入れされたこじんまりとした境内、ひっそりとした庭にうぐいすの声が重なって心安まります〜興福寺の五重の塔〜西側は奈良盆地が一望できますアップすると興福寺の塔がわかりますねこの日南円堂を訪れた友人が言うには、すでに塔の足下は修復工事の準備が始まっているとかで、この姿も当分お目にできなくなりますそう言えば、ここで納経帳をお願いしたのですが、その方の所作がとても丁寧で素敵でした 味のある家並みを抜けて、新薬師寺はもうすぐです薬師寺は何度か行ってますが、新、がある事は初めて知りました、申し訳ありません新薬師寺はかなり広い寺領でしたが、幾度もの災いにあって縮小、残ったかつての食堂が今の本堂ですひなびた感じが時空を超えて在る感たっぷりで、天平時代の本堂が国宝、堂内の十二神将が円を作り中心の薬師如来を守っています1体は地震で倒れて修理してあるため、11体が国宝、薬師如来も国宝ですその像の解析ビデオ上映はぜひお勧めしたい!作り方や、再現された本来の色彩は、更に新薬師寺の魅力がわかります道の分岐で迷うことが多かった北コース、歩く人もまばらですが、ちょっとした山登り感もあっていい道です水分と軽食は忘れない様に〜京終駅〜あおによし奈良の大路は行きよけどこの山道は行き悪しかりけり道沿いにはいくつもの歌碑があり、楽しみながら歩けますこれはクスリと笑えた歌です門前のジェラート屋さんでご褒美を食べたかったけど、テイクアウトなのに30分以上の待ってもまだなので食欲消沈、慌てて駅に向かいました山の辺の道、お疲れ様でした
May 6, 2024
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子供の頃、いつか歩いてみたいと思っていた奈良県の山の辺の道50年近く前、NHKで新日本紀行という旅番組がありましたそこに映った景色がずっと印象に残っていました調べてみると近畿では有名なウォーキングコースの様です大神神社〜天理の南コースが人気で、天理〜春日大社の北コースはわかりにくいようで…今回、お遍路仲間のMさんに相談すると詳細な地図をいただき、とても助かりました百人力です〜大和川〜近鉄のてくてくマップ、山の辺の道・南コースの地図を頼りに桜井駅からスタートです大型連休が始まる4/27土曜日、天気は曇り時々雨でしたが、涼しくて歩きやすかったです町中を通り、大和川を渡ると、仏教伝来の地碑や万葉歌碑が並んでいます(2k地点)この辺りには日本最古の海柘榴市があり、伊勢参りや長谷寺参りをする人はここを通って向かいましたほとなく金屋の村外れの収納庫に石仏二体が祀られています高さ2.14幅83.5厚さ21.2の泥板岩に彫られていて、平安時代後期の作とか金網越しの仏さんは、素朴で技術が発展していない頃の温かみがあります大神神社、三輪明神とも呼ばれ御神体は背後に見える三輪山なので本堂はありません(3k地点)酒の神様でもあるそうで、大神が蛇神に化身されたと言う伝承が日本書紀に記されていて、白蛇が住むという杉の木にはお酒や好物の卵が供えてありました〜巳の神杉〜 ポツポツ雨が振り出しできました桧原神社は珍しい三ッ鳥居でこちらにも本堂はありません(4.5k)本格的な雨になったので、入口の売店でそうめんランチを食べながら雨宿りとしました野菜の煮物が色々と箱に入ったヘルシーなおかずです晴れた夕方、この辺りから柿畑の向こうに見える二上山は絶景だそうです私は昼時でかつ曇天なので、全く見えなかったけど〜〜大神神社〜道行く人が少なくて、しっとりとして静かな山道です寺社の前後は道が舗装されたり手が入っていますが、その他は自然な土道で、多少のアップダウンはあるけれど、歩きやすいですね〜渋谷向山古墳・景行天皇陵〜桧原神社からは雨が上がって奈良盆地が見えだしましたこの辺りは次々と古墳が続き、古墳の脇を通り抜ける様に歩きます小高い盛土の周りを水が張り巡らされたはっきりわかる古墳から、小さい盛土で畑と同化している古墳橋本古墳群と呼ばれています〜行燈山古墳・宗神天皇陵〜Google mapsで航空写真で見ると、前方後円墳や円墳の形がくっきりわかります長岳寺(8.5k地点)9世紀に淳和天皇の勅願を受けて弘法大師が開いたと伝わります早緑が溢れんばかりの境内の奥に、苔がついた笠を被ったお姿の良い大使像を見つけました今まで拝見した大師像の中で1、2のイケメンです南コースは表示板が多く、トイレや茶店もこまめにあって不自由なく歩けますお寺付近には天理トレイルセンターやおしゃれなお店があって、コーヒーでも飲んで一息入れたくなりますよ 〜私は食べたばかりなので、先を急ぎます〜10k地点に大きな屋敷が目立つ集落にきました環濠集落と言って、戦国乱世が生んだ自衛の集落で周囲に用水をかねた濠を張り巡らし、内側に竹やぶを植え込んだ名残だそうです 杉板の壁の家も多く、生活する人の暮らしあっての道、大切に守られてきたんですね〜このあたりも放置田畑はありますが、田植えを前にしてあちらこちらで草刈りをしていましたこの辺りの標高は100mほど西側には鉄道、国道、県道が南北に並行して走っていますが、山の辺の道はそこから少しズレて東側を走っていて喧騒とは無縁です南コースは約16kあと1.5kで石上神社いう地点から突然!すごい石畳の坂が現れますいままで余裕で歩いて来たから最後のこの坂にはびっくり、青色吐息ですスタートから14k、石上神社到着、ギリギリ納経に間に合いました鬱蒼とした杜の中に、朱塗りの本殿奈良朝以前に神宮の号を使ったのは伊勢神宮とここだけだそうですこちらは様々な剣が有名で御朱印も剣の印でした境内にはたくさんの鶏がいて夕方の時の声を上げていました〜二代目・山嵐〜ここからゴールの天理駅まではあと2kあちらこちらに並ぶ天理教の施設に驚きながら本部前を通過、日本で一番長いアーケイド街にもまたまた驚きながら通過、駅近の居酒屋で夕飯にしました翌日は北コース、できるだけ北へ北へと歩く予定です
April 30, 2024
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冬は献血🩸される方が少ないため協力のお願いPRが増えます私がするのは400mlの全血ですでも献血コーナーで勧めるのは成分輸血実際に採血している時間(血を抜いている時間)は普通の献血で10分位、成分輸血は1時間近くかけます血液の不足は、この年末年始と暑いお盆の頃私の献血は不足になる時期に、年に2回のペースでしてます400mlの献血にも慣れましたが、今も献血は200mlと思っているかたが結構います昔のイメージと違って献血は随分変わりました利用するのは名古屋駅前のゲートタワービル26階ですとても綺麗で広くて静か、予約をしておけば全て済むのに1時間もかかりません事前の検査や採血中の機械も改良されて、無駄なく安全に行われています私達の血液は急な手術や事故に直接使われる以外に、製薬会社で薬になったり研究に利用されたり、血液を使う機械機材の開発などにも利用されているそうです私の唯一?のボランティア高校生の頃から献血をしたかったのに貧血傾向があるので、できる様になったのは生理がなくなってからです💦若い頃ヘモグロビン値は8位でしたが、更年期を過ぎたら13以上と男性並みです献血前の問診と水分補給、献血後の水分補給と体調確認にしっかり時間をかけますいつも暖かい飲み物を飲みながら大きな窓から眺めるのは濃尾平野多度山と左手に四日市コンビナート、その向こうは伊勢かな手元に目を落とすと、新幹線ホームが見えます西口は着々とリニア駅の開発工事が進んでいます〜八かく庵の窓から〜そしてお楽しみ、自分へのご褒美は駅ビルのランチですこの日はセントラルタワーズの豆腐と蒸し料理の<八かく庵>ちと、少ないかな…と、思ったが、手作りおぼろ豆腐がお変わり自由だったので充分満足でしたでは、次回は夏、次は何を食べようかな
January 12, 2024
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今年、健やかで心穏やかな日々となります様にお祈ります元旦の夕方、家族が集まって早めの夕飯を食べだした頃でした今年はお節に、初めて鯛の姿焼きと赤飯を加えてみましたしばらくして〜グラッと一発目、その後ずっとグラグラグラグラ…長かった💦家中の携帯が警報音を鳴らし続け、東日本大震災の揺れと似ていて、心のザワザワが止まりませんでした能登半島の被災の様子が徐々にわかってきて、新年早々の災いに今年はどうなってしまうのか、不安になってしまいます〜金華山〜二日は晴れたので、恒例の岐阜城登山に行くことにしました暖かくて、ジャンバーもマフラーもいりません金華山はH329m.山頂には岐阜城があります登山・ハイキングコースは10コースあり、岐阜公園から登る登山道は4つあります道の状態もいいので、久しぶりに馬の背道にしました金華山の正面、西側にある公園の左手から入るコースです くねくね登ると丸山という広場に出ます ここで北側に廻り込む<水手道>別名めい想の小径と、一気に登り上がる<馬の背道>に別れます ちなみに公園からの登山道は 難易度の高い順に、馬の背道、百曲がり道、瞑想の小径、七曲がり道、30〜60分かかります余談ですが…ロープーウェイという手段もありますよ😊広場で腰を下ろして一休みそこへリス🐿️がチョロチョロ〜何年も登っていますが、初めて会いましたかなり慣れていて、手からポップコーンをもらっています頂上のリス園から逃げたのだろうか?聞くところによると、麓にある北側の神社の方に住んでいて1日何往復もして餌をもらいにくるそうですさて、荷物をまとめて、手袋をしてスタートです 丸山から馬の背道を登るのは20人に1人いるかいないか、ほとんどはめい想の小径へと進みます 馬の背道はチャートという岩が特徴 手すりも鎖場もないので、岩が次々と続く時は四つん這いになってよじ登っていきます 私より年上の人は会わなかった様な…若者や少年達はピョンピョンと登っていきます若いってすごい!羨ましい!〜チャート〜 金華山はチャートという硬い岩石からできています。チャートは、深海底で堆積した微小な生物(放散虫など)の死骸等が固まった岩石で、地球のプレートが動いて、表面に現れた岩石ですチャートの岩はカードの様に斜めに重なっていて、足をどこに置こうかと考えながら登りました稜線が見えて明るくなってきましたチャートがなくなり岩に変わると頂上はもうすぐです階段を上がると大手道にぴょこんと出ましたこの日は雲一つない快晴、そのうえ無風馬の背道では腰を下ろして一服する様な場所はなかったので、ベンチに座って汗が引くのを待ちましたコロナが五類になった、暖かいお正月だけど、意外に山頂は空いていますコロナで自粛していた時の方がずっと混んでいましたね〜高山ラーメン〜頂上のレストランでお昼ですここからの眺めはとても良いのでお気に入り、この日も長良川からはるか向こうの山並みまでよく見えました帰りは大手道である、よく整備された<七曲り道>を下りました年が明けてから地震、航空機火災、商店街の火災と辛い事が重なり悲しくなります命が何より大切ですね
January 3, 2024
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今夜、「どうする家康」はいよいよ関ヶ原の合戦ですね視聴率が低いとか、史実に基づいてないとか、大河ドラマは色々と言われますそれだけ話題になっているのですよ私は今までとは違う家康と武士団を楽しんでいます地元にいながら、規模が小さくて地味なのか?知ってはいるけど行った事が無い人が多い小牧城へ行ってきました以前から、堀や土塁を見たかったので久しぶりのウォーキングも兼ねて、ちょっと外歩きです小牧山は小牧市の中央にあり周囲を市街地に囲まれたH86mの可愛い小山です戦国時代に織田信長が城を築いて沢山の曲輪を作り武家屋敷を配置して、南側に城下町を整備しました信長が居たのは4年ほどで、岐阜に移った後は廃城、城下町も廃れていきました〜帯曲輪跡と右手の土塁〜17年後、小牧・長久手の戦いで織田信雄・徳川家康連合軍が陣を置いて、城を囲む堀や土塁を作り強固な城にして豊臣秀吉と戦いました今も遺構が良好に残されているので史跡になっています〜信長の頃・永禄期の城の予想図〜〜家康の頃・天正期の城の予想図〜北側駐車場から入ります、虎口だった所です山頂までは30分たらずで登れてしまいます大手道コース、自然満喫コース、からめて道コースと三本の散策コースがあります自然満喫コースを通って東側から南側へ向かいますこの辺りには昭和22年〜平成10年まで小牧中学校がありました今は広い芝生公園になり親子がのびのびと遊んでいました正面の南側には資料館<れきしるこまき>がありましす 以前、小牧市役所があった場所ですここは子供や歴史がいまひとつ…という大人にも視覚聴覚を使ってわかりやすく小牧城を紹介してくれますほんと❗️今風❗️模型や映像を使ったすごい資料館です〜小牧城へ〜資料館を出て、大手道コースを上がります以前、城好きの昇太さんと千田先生が興奮して解説していた土塁が拡がってますとても綺麗に整備されていますからめて道コースへ折れて山頂を目指します緩やかな坂を少し登ればすぐに城が見えてきます南側には今も発掘中でブルーシートがかけられた入れない箇所がありました発掘や工事で出てきた沢山の石はまとめられ、いずれ石垣を再現するときに使われるそうです江戸時代以降、尾張徳川家は一般の入山を禁止して小牧山を保護してきました昭和5年徳川義親氏が小牧町に寄贈されたそうですこれが小牧城です💦S41年、名古屋の実業家・平松茂氏が山頂に城を建てようと発案、西本願寺飛雲閣をモデルにした鉄筋コンクリート造の城を建て、S43年小牧市に寄贈されました内部は歴史館となっています三階建の天守閣からは四方に尾張平野が丸見え状態、ここが戦いの要なのは頷けますね〜南側、小牧市役所〜う〜ん💦天守閣は資料が残ってないので、復元ではありません潔く、何もない方が良かったのではないかな〜と、私の感想です、ペコリ。〜空堀〜木立の中、静かなからめて道コースを下りますコース道はよく整備されていて各所にトイレや休憩所があって、ゆるやかな坂や芝生が足に優しく、雑木林は季節を感じさせてくれます市民に愛される公園ですねもうこれ以上近代的に整備保存をしない方が、本物がある平城ではないかなぁ〜ウォーキングより、<れきしるこまき>で過ごした時間のほうが長かった小牧山でした遅いお昼は小牧山の北側にある蕎麦屋<三八屋>でわんこ蕎麦をいただきました
November 6, 2023
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高知出身の牧野富太郎さんの朝ドラらんまんも残すところわずかになりました朝、優しい穏やかな気持ちで1日がスタート、楽しく見せていただきました高知の牧野植物園は、30番・善楽寺から31番・竹林寺を結ぶ歩き遍路道が敷地内を通っています早朝にお庭を抜けた時、ラジオ体操の音が流れていました毎朝仕事初めに職員方がラジオ体操をしているのです多分、今も。草花は心癒されますね写真は9月のお茶の稽古の時に、床に飾ってあった籠花です素敵な山野草の組み合わせに、みんな歓声を上げてしまいました涼しげです山しゃくやくりんどう斑入りすすきわれもこう野菊男郎花金水引真ん中の「私を見て!」という個性的なのは山しゃくやくの実ですざくろの実がはじけたみたいです春によく見る芍薬は観賞用に改良されたもの芍薬は昔、中国から薬用として入ってきて、その後改良が重ねられて今の様な沢山の花びらをもつようになったそうです 山しゃくやくは野生種で、赤い実は結実していない種、黒い実は結実した種です急に秋ですねぇ〜夜は涼しくて窓を閉めて寝ています十五夜は29日ですね
September 27, 2023
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手術翌日、朝食を食べたのを確認すると点滴はおしまいベットに寝たまま大部屋へ移動してくれる誰もいない大部屋、窓側が私の位置、それから順に2人移動してきて4人部屋は3人となった他の方も状態が安定したので個室から移動してきたようだ私は入院前から大部屋希望の申込書を出していた綺麗な部屋八階からの景色は開放的で気が晴れる昔、ベット周りのカーテンは夜だけ閉めていた大部屋で仲良くなった患者さんたちは、将棋をしたり、編み物をしたり、折り紙を教えあったりしていた動ける世話好きな人が、老人や動けない人の世話なんかもしていた子供の頃、祖父母の見舞いに行くと、同室の患者さんに可愛がってもらった記憶がある、もう50年も前の事今はプライバシーだね、カーテンでベットの回りをぐるりと閉めている一人の方とは退院まで一言も話さず、顔もろくにみなかったまぁ〜そんなもんか、その方が気楽と言えば気楽手術1日目、もう自由に病棟内を歩いていいですよ!と言われたけど、部屋横のトイレがやっとで、全く動く気にならないベットの上でイヤホンをつけてテレビを見たり寝たりの繰り返し身体が重くてあり苦しい全身麻酔のせいだろうか、体に刃物を入れたダメージだろうか、それとも内視鏡手術で腹腔内を膨らませるために入れたガスがまだ体内に残っているのだろうか何もしたくない、ゴロゴロダラダラ、ただ時間だけが過ぎていく感じ動かないせいかご飯もまずい翌日はお粥、2日目からは普通食になったけど、食欲がない食中毒を防ぐため、野菜には全て火が通っていて、生野菜果物は並ばないおかずの色が悪く、味付けも工夫しているのだろうが、変わった味付けで美味しいのかなんなのか…カロリーが満たされて、栄養素は十分なんだろうが〜食べれない座っているだけで、お腹の皮が張ってきて、途中で食べるのを放棄してしまう昼も夜もなく寝ているだけでも疲れる、横になっていることがこんなに大変とは世の中にどれだけ寝たきりの人がいるだろう毎日毎日ま〜いにち、寝てる辛さでも心は動いている、考えている、感じている2日目、女医さんから、順調なのでいつ退院しても良いと言われるえっ、もう?事前の予定表では5日目に退院となっているけど自信がなくて、せめて排便を確認してから退院にしてほしいと申し出る手術前日にあんだけ下痢にして、ご飯は半分くらいしかとれてないからそう便も溜まってないだろうこのまま病室の生活でもいいかな〜なんて排他的になる若いナースが度々訪室に来るどの患者さんにも離床を促す90才の女性にはリハビリの方がきて、歩く訓練をするシャワーの許可も出て、少しふらつくが入ってみたまじまじとお腹の傷を見ると、おへそに器具が入った穴の傷、それと並行して左右に二つづつ計四つ、ガスを入れる穴の1センチの傷、パンツのゴムで隠れる様に位置を工夫されている様だ昔の様にガーゼははらずに、透明の医療用ボンドがペタペタと傷に貼ってあるだけ疑心暗鬼だったけど、このコーティングはひと月過ぎる頃に、日焼けの後の皮剥けのようにポロリポロリととれた3日目、便意がある気がするのに力が入らない、情けないマグミットと言う薬を一錠飲んでみる翌朝、楽に排便できて気分もスッキリ、日にち薬とはよく言ったもので、体も軽くなり、あのご飯も美味しくなってきた(味付け海苔とふりかけの差し入れに助けられた)明日、退院します、と申し出て、入院は6日だったナース方は20〜30代の若い子が多く、接遇もよく、ハキハキと業務をこなしていたほとんどの方がこの数年、コロナ禍の中で懸命に働いていたはず三次救急で働く医療スタッフの方がた、ありがとうございました色々と体験のできた入院生活、床上の時間が十分あって色々思う日々でした
September 20, 2023
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8月の初め、台風が過ぎた翌日、雨をたっぷり受けたせいか、季節の変わり目がわかるのか、葉っぱばかりだった蔓に朝顔がいっせいに咲いた暦では立秋、朝顔が秋の季語と知ったのはつい最近だ今日から9月、あれから毎朝、涼しげな花をつけてくれているお盆休みを利用すれば職場にかける迷惑が少なくて済むと思って、ずいぶん前から手術の予約を入れてもらった大病では無く、いわゆる老化現象で入院は一週間とはいえ全身麻酔でもちろん挿管(人工呼吸器)をしてバルンカテーテル(尿管)も入れた今は負担の少ない内視鏡手術が増えたのですね〜そして、主治医から当日空いていたら機械を使用しますと話されていた、ダビンチを使った手術となったいつか自分も手術台にねるのだろうか…主治医、麻酔医、ナースに囲まれるた景色はどんなだろう…麻酔でスーッと意識が落ちるのはどんな気持ちなんだろう…麻酔から戻る時はどんなだろう…傷はどのくらい痛いのだろうか…30年前、緊急手術になった父親を思い出した手術室に入る父の「まな板の上の鯉だ」と言った姿はなんとも哀しげだった手術は10時から、歩いて手術室へ入り自分で手術台の上に上がる広い部屋の隅にカバーされた大きな機械、あれがダビンチだな主治医、麻酔科医、ナース2名、男性2名(サブの先生と研修医だろうか)主任看護師の名札のついたナースが手の甲に点滴を刺してくれた前の日に部屋まで説明に来てくれた麻酔科の女医さん、主治医の女医さんと話したら少し安心する話をしていたが急に意識がスーッとした「先生、何が入れましたか?」ナース「まだ、麻酔してませんよ」麻酔医「いえ、少し入れましたよ」あっ、そうか…と、思ったらもう病室に戻っていた15時半、予定通りの時間だった同僚から〜内視鏡は傷痕がほとんど目立たなくていいけれど、ガスでお腹を膨らませるから2、3日は残っているガスが抜けきるまで、体が張って痛いよと聞いていたこの体のあり苦しさはその為だろうか?身の置き場が無くて体を投げ出して一晩中ゴロゴロ動き回るその同僚は〜人工呼吸器を抜く時は、麻酔が切れ出していたのか、深い水の底で溺れて顔を出そうと必死でもがいた夢を見たのを鮮明に覚えていると言ってたところが私は、全く覚えていない知らないうちに抜管されて、幸いなんともなかった喉の奥にメロンを食べた時にヒリヒリする様な感じが残っていたが、それも翌日には無くなり、黄色いどろりとした痰が2回出ただけだった下肢に血栓ができない様に、エアポンプを膝下につけていたので、一晩中空気の音が個室に響いたプシュ〜プシュ〜絶え間なく朝までずっと加圧された傷のせいか、麻酔のせいか、ガスのせいか、エアポンプで寝不足のせいか…次の日はだるくてだるくて辛かったあぁ、こんなに辛いならやめておけばよかったあと20年位我慢して老いていく方を選べばよかった、ぼーっと考えていたら、日勤の看護婦さんが来て次々と本日の予定がこなされていく指先の心電図モニター回収、エアポンプ回収、流動食が食べれたら点滴抜去、尿管抜去、タオルで清拭をして病室着に替えたら、ベットまま個室から大部屋に移動医療は日進月歩してるんだ!入院前の確認事項で、私はあえて大部屋を希望した退院まであと4日、つづく
September 1, 2023
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桜も昨日の冷たい雨風で葉桜になってしまいました今年初めての里山歩き、春日井市の弥勒山に行ってきました気温は徐々に上がってきて、暖かく優しい風が心地よいです動植物公園の東側には400メートルほどの山が連なっています弥勒山、大谷山、道樹山、見晴らしの良いハイキングコースです親子連れは公園に陣取って可愛い動物園や植物園で楽しんでいます程よい広さに色々揃っているので、どの年代にも楽しめる公園ですね山に入っていくのは中高年の地元の方が多いですコースは色々ある上にショートカットの道が沢山あるので、道に迷いそう?だけど、どこを歩いても坂を登れば山頂に行けるし、どこを下っても日のさす方に降りれば公園に戻れます〜大谷山からの眺め〜今日で4回目ほとんどの人は道樹山、大谷山、弥勒山の順に歩くようで、わたしも初登山の時はこの順で歩きました〜名古屋市街〜今日は植物園の裏から入り北側の道を上がります森林浴ですウグイスや小鳥がさえずってます1時間ほどで尾根に出ました大谷山まで50メートル😄なので、寄って行こう大谷山にはベンチが一つ、見晴らしも一方向だけ〜笑〜さぁ、弥勒山に向かいましょう〜関ヶ原、伊吹山方面〜来た道を戻り、尾根を少し下って、急な坂を一気に登りますこの坂が一番辛かった💦弥勒山の山頂はほかの山より広くて沢山の人で賑わってますベンチも沢山あって、みんなお弁当を広げて🍙一休み南側の展望台からは尾張平野が見渡せ、北側にははるか向こうに御嶽山が見えます〜御嶽山〜野鳥に餌付けをしたり、岐阜蝶をカメラに収めたり、みんな春を楽しんでますさて、下りましょうか北側の道にしましたこちらを歩く人は少ないので、静かな木道を味わえます昨日の雨で道が湿ってます他の道と違ってこちらはシダが目立ちます前回は初夏だったのでもっとシダが生い茂り、歩くのに躊躇しましたジャングルみたいな箇所もあります1時間ほどで公園に戻ってきましたのんびりと3時間ほどの里山歩き、無理せずに歩けましたなまっていた体が目覚めたようですお風呂に入ったら疲れが出てきたようで足が重くなってきました今夜はよく眠れそうです
April 9, 2023
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明けましておめでとうございます お天気がまぁ恵まれたお正月で、のんびりと過ごす事が出来ましたそんなわけで、今年も岐阜城のある金華山へ初登りに行ってきました2日、10時半、逆光になってしまいましたが、織田信長像のある正門からスタートですお城のある金華山は標高322m、街中にあるので、地元の方々がよく登る愛されている山ですいくつかあるコースの中で私がよく利用するのは、北側の長良川を見下ろしながら登る瞑想の小径、下りはポピュラーな大手通りの七曲り道昨年の正月、瞑想の小径はアイスバーンになっていてヒヤヒヤしながら登りましたそして秋には青年が転落する事故が起きているので今回は違うコースを選びました七曲り道を右手に折れて、唐釜コースに入り1キロほど歩いたら左東坂コースに合流、一気に岩道を上がると再び大手門通りに合流しますほぼ等高線に沿っているので林道を気軽に歩けます野鳥の声が聞こえ、時折光が差し込み、南斜面なので風も遮ら れて汗をかいてきましたこちらの道を歩く人はすくないですねずっと平らだけど大丈夫かな?と、思いかけた頃東坂コースと合流、ここから一気に岐阜城目指して登りますチャートの岩がゴツゴツして歩きにくいが登山気分を味わえます元気な園児達が登れるので初心者にも安全です一箇所不安定な岩場があり、ここからの眺めは正面から見える岐阜城とは違う荒々しい顔を持ち、さながら武士になった気分です唐釜に40分、合流してからの東坂に20分、七曲り道にぴょこんと出て、しばらく歩けばロープウェイ乗り場、売店、そして岐阜城です石垣の中には斎藤道三や織田信長が築いた野面積みが残っており、以前より標識が整備されているのでわかりやすく、戦国時代を身近に感じます今回初めて天守から木の陰に見下ろせた小径を歩いてみると、古い井戸跡と石垣を見る事が出来て、石垣マニアとしてはたまらなかった濃尾平野を見渡すには、天守のある頂上かレストランの上にある展望台からがオススメ 東から流れる木曽川が蛇行しながら太平洋に向かい、名古屋の高層ビル群が霞んで見えます 本当に広い濃尾平野で、みんなここを治めたかったのですね〜西には長良川が流れ、遠く伊勢湾、養老山系に伊吹山が繋がり、そして向こうは琵琶湖、都です年の始めにここに立つと、大志をいだいた武将の気持ちがわかる気になりますレストランで光秀味噌カツ定食を食べて、満足なリ〜、このレストランからの眺めも最高です道三、信長、光秀ランチはそれぞれお得で、岐阜グルメを味わえます今年も健やかな年になります様に
January 4, 2023
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11月初めヘブンス園原の紅葉が見頃です!と、たびたび耳にしたので、文化の日に行ってみましたこの秋は好天に恵まれて、連日快晴、行楽日和が続いています ヘブンス園原は岐阜県にあります中央道恵那山トンネルを抜けて園原インターで降りるとすぐです早めに出てきたのに、トンネル工事による渋滞で予定より遅れて到着しました ここはスキー場なので、ロープウェイで簡単に上がれ、リフトやバスを利用するとさらに奥の富士見高原にも行けます 10:00、ロープウェイは定員12名ですが、コロナ以降は一台ひとグループに制限しているので結構人が並んでいましたロープウェイは800mの山麓駅から1400mの山頂駅まで全長2549m、15分で一気に610m上がります山肌の木が黄色に染まり、まさに見頃です点在するもみじの赤が🍁映えますね後ろを振り返ると、麓に雲海?流れ雲?その向こうに南アルプスが見えます 山頂駅は標高1400m、葉っぱがキラキラと輝いて舞い落ちていますここの見頃はすっかり過ぎていました💦天空広場の奥には「いわなの森」があって、一周1時間程の遊歩道があります前回は池の周りを散歩したのですが、水面に木立と空が映り込みとっても綺麗でした それから歩いて富士見台高原まで登ったのですが、思いのほか時間がかかってしまい、最終下山のロープウェイに乗り遅れそうになって、冷や汗ものでした今回は寄り道はしないで富士見台高原を目指します展望リフトと池の間にある小道、りんどうコースを登ります りんどうコースはスキーの林間コース唐松にすっかり葉を落とした白樺や岳樺が絵のようにとてもきれいです りんどうコースは2キロ、カーブの多い坂道で展望台まで登り50分(下り40分)ちなみにリフトでは7分片道400円です 展望台(1600m)からの景色も最高です赤石岳、荒川岳、北岳、甲斐駒ケ岳…南アルプスがくっきり見えます ほとんどの人は展望台をリフトで往復してましたが、富士見台高原目指して山小屋までバスで移動する人もいます展望台〜萬岳荘間を走る富士見台高原バスは小型バスで片道400円私たちは歩くことにしました3. 3キロ、緩やかな車道を1時間ほどです車道が交差するところが神坂峠、じきに萬岳荘が見えてきますこちらの美味しいコーヒーと持参した朝炊山菜ごはんをデッキで開げて昼飯としましたさて、ここから車道とは別れて、登山道を登ります整備されていますが、石がごろついて不安定なところもあったので念のためにストックを使いました笹が一面に広がる見晴らし抜群の道です頂上は360度の大パノラマ、壮観です(13:00)すぐそこに恵那山、傘置山、南アルプス、中央アルプス、向こうに小さく八ヶ岳、御嶽山、北アルプスも見えます槍ヶ岳のシルエットも確認できましたよ〜富士見台高原1739m〜午後は風が吹いてきます北からの風に冬の到来を感じますバスに間に合うように焦る気持ちを落ち着かせて、足元に気をつけて下ります今回は余裕で間に合いました満員バスに乗ってゆらりゆらり15分ロープウェイにも余裕があるので、またりんどうコースを下ることにしました澄んだ空気が肺の奥まで広がるような、気持ちのいいウオーキングができました歩行累計約10キロ
November 15, 2022
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五月最後の日曜日、岐阜の遠見山に登ってきましたH272m、登山口から山頂までは160mの高低差で気軽に登れる里山です近場の低山を検索していたら、岐阜にマチュピチュとグランドキャニオンと呼ばれる山がある事を知りました❗️遠見山は眺めが素晴らしくて地元では岐阜のグランドキャニオンと呼ばれているのです〜右側 登山口〜川辺町は高山線の下麻生駅で下車するか、国道41号線を北上しますさらに山あいを北上すると下呂や高山に通じます車は公民館か老舗の酒屋さんの前に駐車できます(無料)私は酒屋さん前に停めて、お店に寄ってパンフレットをいただき、トイレをお借りしました旦那さんは早々に色々と試飲してお土産の品定め、抜かりない奴です💦〜さぁ、スタート〜酒屋の向こうに今から登る岩山が見えます岩の上で手を振る人が見えましたよ👀登山口は民家の隣、看板があるので迷う事はありませんJR線をくぐる小さなトンネルから入っていきます千と千尋の神隠し、みたいな雰囲気で、ここを抜けると異空間に通じる気がしてきます通過するとすぐ登り坂💦木立の中を快適に登りますところどころに微笑ましい看板が立ててあって、地元の方の登山道への思いが感じられますこの日の予報は真夏日❗️ギラつく日差しを見ていると、低山歩きはそろそろ無理かな〜と思えてきました看板には、壱の笑・弐の笑・参の笑という表示もあって、「まぁ、一休みしていきなされよ」的な感じでしょうか?〜展望岩〜参の笑を過ぎたら、すぐ尾根です展望岩と南天の滝の分岐を左手に行くと、すぐに視界がひらけます上の写真の茶色い岩の上から絶景が広がります〜飛騨川〜 うわぁ〜❗️爽快!かつて木材を運んた飛騨川緩やかに蛇行して流れ、この先、木曽川と合流して太平洋に流れていきます狭い展望岩の先端は見下ろしたい人で混み合ってます💦大部分の人はここで折り返してきた道を下りていきますが、私たちはもうひとつの岩場に寄ってみました写真では足場が広そうにみえるけど、足の踏み場に迷うところもあって、3点歩行で進みましたここで滑るわけにはいきません!行った先には…特に何もない💦そして来た岩場を下ります必死で登って来た岩場、下りは嫌でも下の景色が目に入り、ビビリますねぇ💦この時、私たち以外にこちらの岩場にきた人はいませんでした 笑💦〜岩場の向こうはこんな感じ〜こちらの岩場、学童と高齢者にはオススメしません分岐を南天の滝コースへ進みますそちらには下麻生城址(遠見山山頂)があります〜枯れない池〜コロナ禍で山を楽しむ人が増えて、この日も結構人が来ています遠見山山頂はパス〜後からやっぱり寄れば良かったと思ってます〜池の北側から滝コースを下っていきます木陰の擬木階段を下ると、林道になりますと、言っても車は入ってこれないので、静かな歩きやすい道です再び線路の下をくぐる滝が近いのか水の音が聞こえてきました南天の滝は、かつてこの辺りに南天が自生していたことから名付けられたとか20mほどあります大正時代に観光地計画があったのですが、その後手付かずのまま放置されていました令和になって滝壺の手前にヒノキの橋を架け、登山道が整備され、酒屋やこの後寄る鰻屋さんも改装して、地元の方々が地域活性化を図っています展望岩までの往復は約60分、ぐるりと回る滝コースは約90分私はビビリの岩場をブラスしたので?2時間かかりました鰻屋さんでパリパリのひつまぶし定食をいただきました御亭主が山梨の南部出身、鰻は浜名湖産だそうです酒屋さんでお酒を買って、ご機嫌に帰宅しました
June 5, 2022
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今日はお友達に会いに出かけます。5年前、ひょんなことから岐阜にあるNHKのカルチャースクールに通い始めました。そこで92才と75才のおばさまと知り合いました。10人ほどの生徒がいたのですが、コロナの影響で生徒がへり、講座は無くなってしまいました。毎週土曜日、仕事を終えると、その足でJRの駅前に車を停めて階段を駆け上がり、キヨスクでミックスサンドとお茶を買って今度は階段を駆け下りて岐阜行きに飛び乗ります。ほっと一息着いたらガサゴソと袋から出して、ランチタイムです。ひと昔前は電車の中でモグモグする人は結構いたのですが、目立たぬようにパクパク。車内に匂いが広がって、一体誰が食べてるんだ〜と思われているだろうなぁ。家並みを見下ろし伊吹山や養老山脈を眺める、遠足気分です木曽川を渡ったら終点は間近、荷物をまとめますどうしても毎回10分遅刻してしまうけど、中国の先生は寛大でした。90分受講した後は、駅ビルのオープン喫茶店でお茶をします。参加しない人、時々顔を出す人、いつも参加するのは私達3人。二人からしたらわたしは親子ほどの年の差だけどなぜか気が合いました回を重ねるごとに、個人的な話をするようになり、たわいもない話に驚く事や学ぶことがありましたそして何より、作為のない懐の広い二人に癒され、周りからみたら、若くない3人が長話していると映るでしょうが、私達はゴールデンタイムを過ごしていたのですコロナでもう会う事もないだろうと残念に思っていましたが、自粛が緩む度に、一緒にお茶しましょう〜と、誘いの電話を掛けあいます昨年の春、秋、、そしてこの春92さんは岐阜の山奥で一人暮らし、現役ドライバーで高速道路を使ってやってきますお互いに次は無いかもしれないと思いながら、3人で会えることに感謝していますみんなちょっとした手土産を用意してきますたいがいお菓子だけど、わたしは刺繍にしました何年かぶりに引っ張り出して刺してみました初心者の我流だから、練習をしながらなんとか形になりました 義母が残していった切れ端や刺繍糸を使い、芯にはダンボール、紐は贈り物のリボン、と再利用づくしこれなら気軽にもらっていただけるし、断捨離もしやすいはずさてと〜、雨も上がったし、行ってきます
April 15, 2022
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家時間が増えました今日は風もなく良く晴れて窓際がポカポカといい気分です一月はあっと言う間に過ぎて、今月は更に何もなくあっと言う間に過ぎていきそうです今年も玄関に花を飾り、しめ縄を飾り水場や自転車置場に豆しめも飾り、歩いて初詣に出かけてクジも引きました今年も薄い吉、ここまで例年通りとはね〜おせち、七草粥、左義長…年賀状も書きました何年もしていたことを簡略化せずにまた繰り返しています写真は投げ入れといういけ方ですここ数年お花やさんが、花代をあげる!と言ってますが、今年も値上がりナシでしたただ、花材は年々貧弱になっています投げ入れは剣山を使わずに、壺の向こう縁に切り口を引っ掛けて次々と入れていくのですが、何年たってもコツがつかめず、先生の手直しで形になってます年をとると覚えが悪いですね、センスの問題かな〜名古屋駅献血ルームより〜年末から献血が不足していると連絡がきていました献血は不要不急に当たらないそうですマンボウが出る前でしたが、急いで行ってきました年に2回、夏と冬の献血はやっと8回目になりました日赤側は成分献血が希望なのですが、わたしにはとても無理なので全血400mlをしてます献血した後、飲み物を片手にホッとして外を眺める時間が好きです大きく広がる窓から見える西側の景色、この日は雲がたなびいて霞んでいますが、遠くに多度大社、向こうに伊勢が見えます名古屋西口側は古い家が残っていたのですが、随分変わってしまいました真下にはリニアの駅が出来る予定で、来るたびに工事が進んでます30年前にわたしも利用した結婚式場は跡形もありません以前そこに何があったのか、記憶から薄れていくのは寂しいですね
February 9, 2022
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令和3年もコロナで制限のかかる日が多かったけれど、初春から県内を中心とした日帰り登山を楽しみました。低い山ばかりでしたが私の足には調度いい加減。沢山登ってブログが追いつかずここにUPした低山は一部です。(せめて月に2.3回は更新したいとおもっているのですが・・・笑)中山道は和田峠を越えている予定でしたが、やっとこさ手前まで歩き次回は諏訪に入ります。岡谷は母のふる里で成人するまではよく遊びに行った第二のふる里、次回が楽しみです。今年最後は11月3日に行った秋の低山歩きのお話です。その時の写真を見ていると、今日の雪雲はそっちから流れてきているんだなぁ~向こうはさぞや冷え込んでいると察します。~賤ケ岳~余呉湖は琵琶湖の北にある、とても小さな湖、地図を拡大するとちょこんとあります。賤ケ岳(しずがたけ)は琵琶湖と余呉湖の間にある標高421.9mの山です。~大岩山登山口~(湖畔道路を造る際に岩は撤去されてしまった)初めて訪れた時は、木之本駅から3㎞歩いて、リフト乗り場の脇から入る南側登山口から登りました。1.5km1時間で山頂です。山頂から見た余呉湖の綺麗な事。その時、見晴らし台の影に北側の登山道が見えて、いつか余呉湖側から登ってみたいと思っていたのです。ところが!木之本インターで降りそこない、次のインターで下りることになってしまいました。山、山、山の谷間を走ると、なんと福井まで行ってしまいました!もう日本海です。昔、日本海の海産や蝦夷からの海産物はこの峠を越えて琵琶湖北湖畔の道を通り都に運ばれ、その道は鯖街道と呼ばれていました。~中川清秀の墓への分岐~湖の北側にある観光館に車を停めて湖畔道路を歩き、大岩山登山口から入り急な坂を登り、尾根伝いに右回りで賤ケ岳に向います。途中に中川清秀の墓、首洗い池(確認できず・・・)猿が馬場と戦を物語る場所があります。~頂上はあと少し~ここは1583年賤ケ岳の戦いがあった場所。豊臣秀吉勢と柴田勝家勢がいくつもの砦を築いて対峙しました。岐阜の織田軍を討つために出陣していった秀吉の留守中に、勝家家臣・佐久間が中川の守る大岩山に奇襲をかけました。ところが!秀吉軍は大垣から52kmを5時間で戻り、家臣の活躍で柴田軍に勝利しました。~南に琵琶湖~1時間余りで頂上です。登山道では人に会いませんでしたが、ひらけた山頂にはリフトで上がってきた人たちが結構いました。この日は秋の訪れを感じる日本海からの風が強く、奥琵琶湖の厳しい冬はこの谷を越え、その風は関ケ原を抜けて濃尾平野にやってくるのですね~~北に余呉湖~風に飛ばされそうですが、眺めは最高です。琵琶湖水面には日差しが当たってキラキラと白く輝いています。合戦の案内板を見ていると余呉湖ボランティアの方に「案内如何ですか?」と声をかけられました。ふたりのおじ様はこの強風の中、ずっと待機しているのです。(寒いなぁ~長くなるのかな・・・)迷い半分、興味半分、やっぱり聞く事にしました。~向こうは関ケ原~実際の砦となった山々を示しながら戦国の世の歴史を聞きました。南側には小谷城、姉川、山本山も見え、こちらの説明も聞くことが出来て、敦賀からこの奥琵琶湖、関ケ原にかけては、歴史マニア、とくに戦国時代が好きな方にはたまらない場所ですね。とても丁寧な説明をありがとうございました。歴史がチンプンカンプンな夫も熱意に応えようと懸命に聞いていました(∩´∀`)∩~北側の登山道~賤ケ岳には登山道が3つ、登ってきた<江土登山道>、南側の<リフト乗り場登山道>、北側の<旧国民宿舎登山道>下りは展望台の裏から入る北側の道を一気に下ります。湖畔に出ると、つい最近まであった廃墟の国民宿舎はすっかり取り壊されて更地になっていました。帰りは歩いてきた湖畔を戻ります。秋、訪れる人の少ない湖畔にひとりキャンプをする人、スケッチをする人、バスの釣り人・・・湖畔にはすっかり葉を落とした桜やクルミ並木が続いています。木の下でくるみ拾いをしている人、私も真似して拾ってきました。この日のお土産は素朴な秋の恵みです。尾張は雪が降ったり晴れたりの繰り返し、とても寒い大晦日になりました。暖かくして流行り風邪をひきませんように、みな様佳き年をお迎えください。
December 31, 2021
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高山に行ってきました。観光バスは皆無でしたが、街を歩く顔はみんな嬉しそうでした。城跡のある低い山に登ると、この夏行った乗鞍、穂高の山並みが手に取る様に見えました。青い空にくっきりと白い稜線が見えて輝いていました。もうすっかり冬です。前回の<乗鞍>のブログ更新から2か月が過ぎています((+_+))鈍足の私でもロープウエイを利用すれば日帰りで穂高の入口辺りまで歩く事が出来る、9月の末に行った西穂高の山歩きです。西穂高ロープウエイを利用して岐阜県側から登ります。山頂駅はH2156m、4階建物の3階には売店、4階はレストラン、展望台からは大パノラマが広がります。麓との気温差は5℃、街中とは10℃の差があるので、長袖にして念のために上着も持ってきました。若者達や家族連れが目の前に連なる山々と眼下の景色をバックに写真撮影に熱中しています。陽が登るにしたがい青空も見えてきました。駅の周りにはチョットした散策道がありロープ―ウェイの下り時刻までふらりと散歩する人もいます。アップダウンが少ない歩きやすい散策道ですが、眺望はできません。この先、穂高を目指す人たちはさっさと登山口を目指して奥へと進んでいきます。~登山道入り口~突き当りの小屋の横に登山口がありました。ここから先は軽装では進めません。観光客が軽い気持ちで入り込まないように、注意書きがバシッ!と明記されていました。私たちは日帰りで、西穂山荘の先の<丸山>まで往復する予定です。その先に西穂高岳がありますが私の足では無理、残念ですが。北アルプスは更にその先、穂高岳・北穂高岳・南岳・中岳・そして槍ヶ岳と続きます。歩いたのは9月20日足元の草木がわずかに色ずいて、秋が下りてきている気配を感じました。山頂駅は約2150M、約2450mの丸山までは標高差300メートルほどです。自分の中で300mは岐阜城のある金華山くらい、とは言え高い山は岩が多くて手ごたえ大です。ストックを持参しなかったのを後悔しながら、膝と右股関節をかばってゆっくり登ります。下りてくる人が結構います。大きなリュックの人は丸山の先の山小屋利用かテント泊をして険しい道を歩いてきた方々。前日には穂高で震度4の地震があったので、さぞや怖かっただろうと察します。眺望はありません。ひたすら登ります。黙々。道が平らになって空が見えてきたら、西穂山荘です。やっと腰が下ろせます。広場では多くの登山者が思い思いに寛いでいます。ここでコンビニ昼飯、私は山荘名物の<ラーメン>も頂きました。事前に見た評判はさまざま、麺の湯で加減がいまひとつなのは標高が高いせいではないかな?でも山頂で食べるどんぶりラーメンは塩分補給にも最適、コロナ禍で経営の苦しい山荘に応援です。東に上高地が見えます。あの赤い屋根は・・・帝国ホテル。昨秋、GOTOトラベルを利用して行った上高地、下から見上げた時に登ってみたいと思った山並の<入口>に立つことが出来ました。さてと、山荘北側の登山道を登り<丸山>へ進みます。あれよと言う間にまた雲が流れてきました、ガスの中ですが不安定な岩場はそう続きません。展望が開けて気分は山女です。前日の地震では落石事故がおきていて、この日も捜索ヘリが山肌ギリギリに飛んでいました。向こうの登山道から下りてくる人たち。あ~体力があったらなぁ、あ~若かったらなぁ~これ以上先に私はいけません。引き返します。オバはんに出来るゆる山歩きを楽しんでいくつもりです。低山とか、時には車で途中まで登ったり、ロープウエイなどを利用して高い山気分を味わったり。色んな楽しみ方がありますよ、ねっ。2021・9.20 晴れ時々くもり進穂高ロープウエイ西穂高口駅(2156m)~西穂高荘~丸山(2425m)~西穂高荘~駅歩行時間 4:20(休憩含む) 歩行距離 4.8km 登り標高差285m
November 30, 2021
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2021年7月25日 ほうのき平 発 9:55 畳平 着 10:40 畳平 発 15:50 ほうのき平 着 16:35 乗鞍岳は北アルプス連峰の南端、23の峰と7つの湖8つの平原から構成されています。遠くから見ると馬の背に乗せる鞍のように見えることから<乗鞍>と名付けられたそうです。乗鞍岳という名前の山はないそうで~岐阜県と長野県にまたがる剣ヶ峰(3026m)を主峰とする山々の総称です。畳平(2702m)までバスで行けれるので身軽に高山気分が味わえます。岐阜側からは乗鞍スカイライン、長野側からは乗鞍エコーラインが通っていて、自家用車の乗り入れは出来ません。岐阜側から目指します。(往復5000円)麓のほうのき平駐車場に車を停めて(無料P)<ほうのき平>から<畳平>までバスに乗る事約1時間。~中央が畳平~晴れの予報を確認して6時に出発したけれど、岐阜に入ると雲だし、バスで上がるほど霧は濃くなる一方、この先どうなることやら。昨年は豪雨による土砂崩れのために閉鎖されていましたが、7月22日から通行可能になりました。車窓からサイクルで登る人たち、すっごく大変な坂。でも、登りきった山頂は最高ですよね。~お花畑~畳平には広いバス駐車場、山荘が2件、売店、管理事務所に診療所、乗鞍本宮があります。普段なら沢山の観光客でにぎわうことでしょう。まずは、社務所で御朱印を受けて(あとに上社を参ったので順番が反対ですねぇ~)トイレを済ませて、目指すのは<剣ヶ峰>です。高山なので、どこのトイレも100円の協力金を払います。ありがたいことです^^~不消ヶ池~時間が経つにつれてガスが流れて四方の山が見えてきました。雲の切れ間から青空がのぞき、残雪や所々にある池が神秘的に光ます。畳平の周りにある魔王岳・大黒岳・富士見岳には遊歩道が整備され気軽に登れます。帰りのバスに間に合うように、今回はまず、剣ヶ峰に向います。この日下界は32℃、畳平は12℃だったので、ウインドブレーカーを羽織りました。畳平から肩の小屋までは未舗装の広い道路があるので小さい子も歩いてます。また、ガスってきました。左下にわずかに残る雪で夏スキーを楽しむ人たちがみえます。結構いますねぇ~向こうに見えるのは長野県側のエコーラインです。肩の小屋まできました。ここには売店・食堂があり、宿泊もできます。トイレはここが最後なので注意しなくちゃね。小屋の広場で大勢の人が集まっています。草むらにライチョウの親子がぴょこんと出たり入ったり、かわいい贈物です。広場に腰を下ろして、今から登る剣ヶ峰を眺めながらコンビニランチとしました。また晴れてきて、頂上はきっと良い眺めですよ~登山道は1本なので、道に沿って行列です。登る人、降りる人が半々くらいでしょうか、譲り合って進みます。小学生以上なら登れそうですが、いくらなんでもサンダル履きは無理、私はストックがあって助かりました。大きな岩場が増してきました。足をどこに着こうか考えながら登ります。目の前で下る方がドスンと尻もちを着くとこちらまで冷や汗かいて、思わず「いたいですよねぇ~」なんて声が出てしまいます。慌てない、慌てない。先を譲って登ります。すっかり高山植物も這松もなくなりました。腰を下ろす場所もなくなり、たったままで一休です。蚕玉岳を過ぎると剣ヶ峰が目の前に迫り、山頂の鳥居がはっきり見えてきます。~雪山岳と権現池~右手に権現池が見えます。雲がドンドン流れていきますが山と青空の色々な表情が見れて、雲のある日も面白いものです。さてピッチを上げてあと少しだ。~頂上小屋~ここが最後の小屋です。(トイレはありません)この先は左が登り、右が下りになります。景色は登るほどに素晴らしいのに、体はしんどくなってきます。先日、NHKラジオ山カフェで「日本の山では高山病にならない。高山病になった気分になってしまうのです。」と言ってました。血液検査でもヘモグロビン値は13もあったし、畳平から300Mの山に登っていると思って行きましょう。足元の小石がゴロゴロ転がっていきます。登頂です。13:00北側に朝日権現社、南にまわって乗鞍本宮奥宮。こちら側に鳥居があり、奥宮には宮司さんがおられ、お守りも販売していました。狭くて混みこみなので、360℃眺めて下山します。あんなに混んでいた登山道も空きすきで、本日もどん尻メンバーです。でもマイペースで下れます。下りは転びそうで緊張し、股関節や膝が辛いですね~緊張する岩場を抜けて頂上小屋でひと段落、登りで通過した時にここで飲むのを楽しみにしていました。引き立て珈琲とマシュマロ入りのココアを注文。(各500円)木のベンチに腰かけて大パノラマの中で飲む、美味い事おいしい事、す~っと体中に入っていくようです。肩の小屋まで戻り、ここでは軽くうどんをいただきました。コロナ禍なので、出来るだけ地元で消費しようと心がけているんです。まわりの山を見ても区別がつかないのが悲しいけど、もしかしたらあの個性的な形は<槍ヶ岳>かな?方向的にはそうなんだけど・・・コマクサ、クロユリ・・・ほんのひと時の山の春夏秋。紅葉の乗鞍も来てみたいし、山小屋に泊まって満点の星も見てみたい、そしてまた頂上小屋でお茶したい。乗鞍岳、次ありですねぇ~
August 10, 2021
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連休が始まりました。お天気もよさそうで、窓を開けていると爽やかな空気が入ってきます。奥飛騨に行く予定を立てていましたが、まん延防止が出た時点でキャンセルしました"(-""-)"愛知なので県外に出るのも控えて、のんびりGWを過ごします。R3年 2月28日 晴れ時々曇り多度山(H403m)歩行距離 約10km 歩行時間 5時間(10時~15時) 歩行速度 遅多度山は三重県と岐阜県の間にある403Mの山です。麓には<上げ馬神事>で知られる多度大社があって、神体山として仰がれていました。最近は低山歩きのスポットです。~健脚コース入口~この日は東側のポケットパーク駐車場に車を停めました。ここはすぐに満車になりますが、愛宕神社付近に停めるか、多賀大社の門前有料駐車場(300円)あるいはみそぎ橋横の駐車場とどこでも停めれます。~つづら折りの舗装道路~山頂公園までは愛宕神社横の<健脚コース>、車道の<眺望満喫コース>があって、わたしは眺望満喫コースを登りました。歩きやすいですね。部分的に土道があるので、なるべくそちらに入って歩きました。この日は多度山の往復ではなく、ぐるりと一周する10㎞以上の行程ですが、クサリもはしごも無い優しい道です。~手前から、揖斐川・長良川・木曽川~車道は山頂公園まで続き途中に4ヶ所の見晴らし台があり、揖斐川木曽川長良川が太平洋に流れこむ河口がよく見えます。1時間ほどで公園に到着。バブルの頃の公園?入口の看板アーチは昭和を思い出します。麓には木曽三河公園や長嶋スーパーランドがあるので、公園に遊びに来る人は少ないようです。~多度山頂上~トイレをすまして(ここが最後)、階段を登ると山頂です。山頂には高峯神社があります。みなさん東屋に腰を下ろして、濃尾平野を眺めながらカロリー補給してますよ。眼下に木曾三川、その向こうに名古屋の街、黄砂が無かったら更に御嶽山や中央アルプスも見えます。三本杉の<相場振り>明治の初め、通信が発達していなかった頃、この場所に三本杉があり信号所(中継所)があった。大阪、桑名、名古屋、大垣など米相場は<旗振り信号>で伝えていた。この場所から桑名米穀から送られる旗信号を望遠鏡で確認して、同じ信号を四日市・名古屋・高須で見て次々と中継されて各地に伝えた。多度山を往復する人が多いですが、ここから瀬音の森コース、親水コース、のんびりコースとぐるり一周するコースを歩きます。一周の歩行時間は3時間半、私は5時間位かな(#^^#)最高地点はまだ先、鉄塔の下を通りなだらかなアップダウンを繰り返し、多度峡・石津御嶽分岐を過ぎると長い緩やかな下り坂になります。瀬音の森コースです。~左:健脚コース 右:多度峡へ~サイクルの人もいるし、逆向きで歩いてくる人もチラホラ、空いてますねぇ~木立の中、北側に下る道や美濃松山、石津御嶽への登山道の分岐がありますが、標識があるので迷うことはありません。伊勢湾を見下ろせる展望場でお昼ごはんにしました。杉とひのきの中を延々と歩きます。森林浴ですね。まだ春浅いせいか鳥のさえずりも聞こえません。変化のない似たような道、一体どこまで続くの?と思いながら歩いているとかわいいお地蔵様。見上げると壁の様な大岩、ビックリ、そして岩肌に<四王神>と刻まれた文字、更にビックリ。眼が覚めるようです。道のりには歴史を感じる石碑や物がないので印象的でした。何の説明もありませんが、誰がどうやって彫ったのでしょうね。この後コースは西谷川に沿って歩くのですが、近道の登山道を選びました。かすかに水の音が聞こえてきました。道のりは半分なのでその分坂は急でしたが、川鹿橋の手前にひょこんと出ることが出来ました。~多度川にでる~河鹿橋を渡るともぅ麓は目の先です。山肌から水がしみ出してビショビショしている川に沿った広い林道を下ります。多度大社のみそぎの場、25mのみそぎ滝辺りが多度峡です。春は新緑、夏は川の水をせき止めたプールやBBQ、秋は紅葉と人気スポットのようですが・・・この時はまだ2月。そんな賑やかな歓声が想像できず、昭和感たっぷりの多度峡です。ほどなく麓の集落に出て、みそぎ橋を渡ると親水コース、ゴールはあとわずかです。多度峡から20分程で多度神社に到着。~多度大社~今回はお参りはパスして、愛宕神社の前を通りポケットパークの駐車場へもどりました。最後の上り坂にひと踏ん張り、本日もよく歩きました。
April 30, 2021
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暖かくなったらどんな春を楽しめるだろう^^♪みんな楽しみにしていたのに、このところの状況にはため息ですね。外の空気はいいですね。空も草木も、鳥の声も・・・今日は久しぶりの本格的な雨ですがもぅ冷たい雨ではないですね。自粛前の2.3月の週末は晴れた日が多くて人気のない低山歩きをしていました。今頃ですが、その時の話です。R3年 3月14日 晴れ大桑城(古城山)407m 歩行時間 2.5時間 水平距離 5.6km岐阜県美濃市にある古城山(H407m)は地元では城山と呼ばれているそうです。美濃国守護の土岐氏の守護所、大桑(おおがた)城がありました。山頂付近が本丸、南に二の丸・三の丸が続いて400Mの曲輪が連なっていたと言われています。<麒麟がくる>で観光客を期待していたのですよね、よく手入れされています。昨年はコロナで観光客が来なくて・・・明智の青い旗が悲し気です。登山口はふたつ、東側と南側にあり、どちらにも駐車場と新設のトイレがあります。東側の旧登山道から登る事にしました。~左:旧登山道~<健脚コース>突き当りを左手へ。古城山登山口から山頂まで約2km。60~90分で登れます。わずかに残る大桑城の遺構を見ながら山頂を目指して木立の中を歩きます。~右:車道へ~<ゆったりコース>遠回りですが歩きやすい車道を登り、はじかみ登山口から新登山道入ります。山頂まで750m。20~30分で登れます。登りは旧登山道、下りは新登山道と車道をつかって駐車場にもどる事にしました。歩いてみると、この順がお勧めです(*^^)v~古城山登山口~土道に所どころゴロタ石がありますが、岩場がなくてストック不要の歩きやすい坂です。見落としてしまいそうな石垣、崩れかけていますがわずかに残っています。無造作に大きな岩が転がっているように見えますが、岩の門があったと伝わります。~伝・岩門~馬場、堀切、土塁や曲輪跡もありますが、こちらも看板がないと見落としてしまいそうです。もぅ400年以上の時が流れているから無理もないですね。平らな台所の向こうに頂上への道があります。この辺りからは新登山道と合流するので、観光客の為に真新しいロープが張られています。~伝・台所~これは観光客に優しくて、坂がきつくなってくるのでたすかりますね。観光目的で見晴らしをよくしたのでしょう、南斜面の木々を伐採してありました。頂上の本丸には昭和63年に建てられた高さ3Mの天守閣が見えます。写真では様になりますが、まじかで見ると思います。(なにもない方が良かったかなぁ・・・)頂上から南側が広範囲に視界が開けていて、良い眺め。越前朝倉氏の一乗谷を参考にしたという城下町があった景色が手に取る様に見下ろせます。写真では確認できないけれど、一直線南に岐阜城も見えます。すぐ手前が駐車場、そこから向こうの川沿いに桜並木が続いていたので、この春も綺麗な花を咲かせてくれたでしょうね。古城山は金鶏山(きんけいざん)ともよばれています。斉藤道三に敗れた土岐氏が落城の際に家宝の金のニワトリを城内の井戸に沈めて落ち延びた、という伝説があるそうです。<麒麟がくる>の中でも土岐頼芸(尾見としのり)が観賞用のニワトリを溺愛してましたね。頂上には祠もあり、丸太の腰掛があります。お弁当をひろげて一休み。多くの方は新登山道を往復しています。下りの新登山道は階段が多いのですが、ロープの手すりが張りめぐされているので、安心です。気を配りながら一気に下りてきた感です。車道は車が通らないので、春風に吹かれて気ままにど真ん中を歩いてきました。道脇にチョコンと芽を出したタラの樹が沢山ありましたよ。1時間ほど車道を下って麓の駐車場に到着。今日もいいお山でした。
April 13, 2021
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桜、満開。暖かい日は外へ出たくなりますよねぇ~上手に春を感じたいですね。自粛中は毎週の様に、近場の低い山を歩いていました。2月半ば、陽が長くなって登りは汗ばむようになっていました。その時の話です。R3年 2月14日 晴れのち曇り 猿投山 629m 歩行時間 6時間 水平移動距離 11km~トロミル水車~猿投山は愛知県東部、豊田市と瀬戸市にまたがる標高629mの山です。幾つもあるルートの中で一番スタンダードな猿投神社のある南側の登山道を登る事にしました。三河地方では人気のある山、案の定、登山口の50台停まる駐車場は満車。麓の第1Pも満車((+_+)) 棒の手ふれあい広場に停めて、野球場の裏手から東昌寺の横を抜けて、登山口駐車場に通じる近道を使いました。 駐車場でトイレをすます。途中に一つあるのですが、是非!ここで済ますことを勧めます。舗装された歩きやすい林道を10分ほど行くと、珍しい形の赤い水車がありました。土を粉にして瀬戸物の粘土や陶土を作るものでトロミル水車と言うそうです。さらに10分ほどで御杉門。登山道は左手、林道は右に迂回していずれこの先で登山道と交差します。この辺りまで林道に路肩駐車している車があって、驚きました。本日も沢山の人が訪れています。~東海自然歩道~ここからは東海自然歩道、階段と土坂が繰り返された道で林の中をひたすら登り続けます。道幅が2~3mと広いので、行き来する人の肩が触れることも無く、老若男女が気軽に登っていきます。東屋で(340m)一休みして、ほどなく武田分岐、ここにもベンチがあります。右手の東海自然歩道を登る事にしました。すぐの所に展望のいい<大岩>があるので是非立ち寄りを。丸太に腰かけてお弁当をひろげたり、珈琲を淹れてくつろいでいる人もます。いいなぁ。~奥の院・東宮~舗装林道を横断、ここに唯一のトイレががありますが、循環型排水のため詰まってしまいひどい事になっていました。(504m)♪言葉に~出来な~い ♪ららら・・・県の担当者様、シーズン中や週末は見回りおねがいしますm(__)m30分ほど登ると道はまた合流、ほどなく猿投神社奥の院・東宮(632m)です。印象的な<カエル岩>を過ぎれば頂上はあと少しです。それにしても・・・誰が岩に赤い目を書いたんでしょうねぇ(∩´∀`)∩アップダウンを繰り返して30分程歩くと、何やらみんなが集まっています。~カエル岩~ 頂上です。東から北に視界が開け天気が良ければ白山や御嶽山が見えるのですが、今ひとつの眺めです。狭い頂上は込み合っていて、空いたベンチを捜してお昼にしました。頂上手前にはベンチを段々に並べた休憩所もあるので、眺望はないけれどこちらもお勧めです。~猿投山頂上~掲示板の裏には時計、温度計、人名と登頂回数を書いた表があって、地元登山者の想いが伝わってきます。帰りは歩いてこなかった道を下ります。ほとんどの人は来た道を下るので、こちらの道は空いています。自然観察分岐を右手へ、自然観察路を歩きます。10分程で<御船岩>ここからの眺望もお勧めですよ。~御船岩~林の中ばかりで見晴らしがきくのは<大岩><頂上><御船岩>の3ヶ所だけでしたね~~自然観察路・武田道はこんな感じ~更に下ると宮内庁管理の皇太子・おおうすの陵墓、急な石段を下ると奥の院・西宮。東宮に比べて規模が小さく、こちらの道を歩く人も少ないので、ひっそりとした境内です。~猿投神社奥の院・西宮~石段を降りると西宮の鳥居がある林道出合、この舗装された林道を左に行くと、唯一のあのトイレに通じます。私たちは戻らずに鉄階段を登って自然観察路の登山道に入っていきます。~奥の院西宮鳥居~道なりに行くと登りで通った東海自然歩道に合流して武田道分岐に戻ります。ここでもやっぱり歩いていない武田道を歩く事にしました。こちらを選ぶ人は更にいません。静かな山歩きを楽しめますが、歩いても歩いてもアップダウンの尾根道が続き、山を下っている感じがありません。眺望も無く、分岐が沢山あってそのたびにどちらか迷います。どの小道を選んでも合流するので迷うことはないけれど、武田道は標識が少なくて登りの東海自然歩道とは雰囲気が違います。時折吹いてくる南風が気持ちをほぐしてくれるようです。45分ほどで城ケ峰にきました。地図上ではトロミル水車の位置まで下ってきているはずなんだけど、こっちは標高が高くて人の気配を感じません。ところが、この後は一気に下り坂。短いながらもはしごや鎖のある場所もあり、「一体どぅなってるのぉぉ~?」と思って下ったら、スタート地点の林道にポ~ンと出れました。出てビックリです。スタートした時は、ここに道があるなんて全く気が付きませんでしたねぇ。後半はなかなかの登山道でした ((+_+)) 低山を甘く見てはいけませんね。あんなに沢山あった車のほとんどがもぅ帰った後でした。今日もまた、です。
March 27, 2021
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先日、愛知県の緊急事態宣言が解除されました。陽も長くなったし20℃近い日もあって、光や風、草花、鳥の声・・・外が楽しい季節到来です。1年前とは違います。これからも気を付けながら、生活の中に楽しみを見つけて平凡に感謝して過ごしていきます。宣言中の2月は近場の低山を歩いていました。その時の話です。<八木三山> 愛宕山・269m 双子山・247m 八木山・296m2月11日 晴れ 5.5キロ 3時間 八木三山は岐阜県南部の新興住宅内にあります。国宝犬山城の北側にあり、八木山・双子山・愛宕山の連なる低山ですが、意外に展望が良くて中でも愛宕山は急な岩場があり低いながらも楽しめる山です。~東登山口~つつじヶ丘の住宅地から入り、東登山口から右回りに歩き始めました。ここは道端に5台ほどしか駐車できません。すでに満車です。~配水施設~なだらかな雑木林を西へ歩きます。山の南側、配水施設の駐車場にも車を停めれたのですね。トイレはここから南側にある鵜沼中学校の校庭にあるトイレか、更に南の羽場公園の利用を進めます。松ヶ丘の緩やかな道を進み、まるで里山の散歩みたいな気分ですよ。住宅や学校があるので、子供の声や灯油の販売、地区の放送・・・生活音が手に取る様に聞こえてきます。西登山口で道は右にカーブ、そこからは段々と急坂に変わっていきます。頂上が見えだすと岩場が増えて眺望も開けてきます。足元に苧ヶ瀬池(おがせいけ)、遠くには伊吹山も見えます。八木三山の北側には各務原ドライブウェイが囲むように走り、以前名鉄ハイキングで この池からぐるりと回って犬山駅まで歩いた事を思い出しました。~苧ヶ瀬池、はるか向こうは京~八木三山は管理する団体が小さいせいか、低すぎるからか、標識が少なく歩く人も少なくて会ったのは10人程でした。愛宕山の岩場はスリル満点。短いながらロープや鎖場もあって気を抜いたら池まで転げ落ちそぅな雰囲気です。~西登山道、途中の祠~頂上で昼飯にしました。眺めの良さにみなさん満足顔ですよ。急な岩場を慎重に下り、さて、次は双子山。~双子山頂上~展望のない平坦な尾根道を歩き、見過ごすとこでした。えっ?ここが山頂?小さな標識に気が付かなかったら通り過ぎていた双子山。~木曽川の向こうに犬山城~そこからもぅ一度下って八木山に登ります。低山ながらもなかなか辛い、岩場もありますが愛宕山よりは安心して登れます。八木山頂上は古い石碑が並んでいるが、風化して文字は読めません。伊勢を向いているのだろうか。こちらも展望がよく南には眼下に木曽川、川沿いに犬山城や成田山、向こうには山並み、先日歩いた西山・鳩吹山も見えます。さて、岩場を下り、ジグザグの道を下り、そしてしばらく緩やかな道、最後に階段。下りたらスタートした東登山口です。~八木山から東登山道口へ下る~
March 9, 2021
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この冬、自宅ばかりでは辛くなり、2月の暖かい日は愛知県内の山を歩きはじめました。今日は風が強くて、栃木の山火事はいつ消えるのかと心配です。あの山も民家の近くの低山ですね。2021年 2月11日 晴れのち曇り西山登山口~西山(334m)~鳩吹山(313m)~大脇口 6km鳩吹山は(H313m)愛知県犬山市にあります。近くに国宝・犬山城、成田山、犬山遊園地があります。名鉄犬山駅で下りて、紅葉で有名な寂光院の参道から登山道の入口があり、継鹿尾山~西山~鳩吹山と縦走して西可児駅に向かうコースが人気です。このコースは7.5km程、鳩吹山の麓の温泉に入ってシャトルバスで西可児駅に向かう、なんてのもいいですねぇ~今回は車で向かい、山の南側にある<真禅寺>の先の登山者専用駐車場を利用して、西山~鳩吹山に登る事にしました。広い墓地を抜ける所にトイレがあるので、是非!ここを利用して奥へ進みましょう。トイレはここにしかありません。ここに遊歩道案内図もあります。鳩吹山への真禅寺ルートの登り口はトイレのすぐ横にありました。9時には満車になるという通り、すでに駐車場はいっぱいです。道を更に進むと路肩に延々と車が停めてあります。どんどん進んで林道の脇に停めることが出来ました。ぜんぶで50台はありそうです。~西山登山口~林道は途中から進入禁止になっていましたが、フェンスの一部が開閉できるので、そこから入っていきます。しばらくすると西山(334m)登山口です。林道とは打って変わり、しょっぱなからパンチの効いた道で岩場もあります。途中で西山ルートと北回りルートの分岐があります。コロナで自粛期間中、子供連れやハイキングの方は西山ルートを選んでます。北回りルートは長良川が見下ろせて眺めがいいそぅなので、分岐は迷わずに左手に進みました。ほどなく西山休憩所の東屋。みなさん距離を保って腰かけ、飲食以外はマスクをしていますよ。~眺望ナシの西山山頂~東屋には、30余年前のここの山火事の記事を掲示して火の注意を重ね重ね警告してありました。私が愛知に来る前の出来事。今は樹木が生い茂りその災いを感じる場所はありません。東屋から少し行くと、継鹿尾山からの登山道・石原ルートとの分岐点があり、その先に山頂がありました。三山コースでは最高地点の西山(H340m)なのですが、何も見えず・・・座るところも無く・・・あっさりと通過。ここからが北廻りルートの醍醐味です(*^^)v気がひきしまる急な岩場。余裕がなくてカメラに納められず~足場が悪いので反対から来る人と道を譲りあう、ここは園児には無理かなぁ。~木曽川~岩場を過ぎると眼下に木曽川。以前、中山道歩きでトコトコ歩いた川岸も見えますよ。右手前に見えるのが温泉施設<可児・湯の華アイランド>ここに駐車したりシャトルバスで駅までもどれます。起伏と眺望の変化に富んだ面白い北廻りコースですね。西山から1時間ほどで西山ルートと合流します。やはりこちらのルートを利用する人が多いですね。岩場の後は尾根の様な穏やかな道を歩き、ほっと一息。視界が広がると向こうに鳩吹山が見えます。一度下って小川の橋を渡るとまた登る事30分。道は北廻り道とは違って歩きやすい登山道です。~向こうに鳩吹山~鳩吹山頂上は広場になっていて、天気が良いと御嶽山や北アルプスまで見えるらしいのですが、この日は春霞(黄砂かな?花粉かな?)で見えませんでした。みんなそれぞれテーブルやベンチでくつろいでいます。休憩所の東屋では餌付けされた小鳥が集まり、餌付けする人、俳句を詠む人、スケッチする人、お弁当を食べる人・・・ここから先は湯の華アイランドへ下りるカタクリコースと、最初の<真禅寺>のトイレ横に下りる大脇ルートに分かれます。大脇ルートも一気に下るのでストックを利用して転ばないように、残りも気を引き締めて下りました。
February 27, 2021
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年始には毎年登る金華山、今年は外出を控えた冬でした。少し春めいた先日、運動を兼ねて登ってきました。この日は暖かかったので、麓の岐阜公園では地元の中高年や子供連れが外の空気を満喫していました。武将姿にコスプレした美青年が、<麒麟がくる>大河館の割引入場券を懸命に配っていました。コロナ禍で放送に影響が出てしまいましたが、地元の観光にも予定外の影響でした。気の毒です。茶屋でみたらしを頬張って、さて今日はどのコースで岐阜城を目指しましょうか。金華山は標高329M、四方から幾つものコースがありロープ―ウェイでも上がれます。人の少ないコースにしよう!前の日に雪がちらついたし、北風が当たるコースは避けて、南側を登る事にしました。大手門通り(七曲り登山道)の途中から右手に入って 唐釜ハイキングコースを進み、東坂ハイキングコースを上がります。~左:七曲り登山道 右:唐釜ハイキングコース~金華山に登る人のほとんどは、この七曲り登山道を利用します。林道も階段も幅が広くてよく整備されていて、子供や足の弱い方にも安心して利用できます。やっぱり、人が少ないですねぇ~~唐釜ハイキングコース~林道から階段に替わる辺りに 唐釜道の入口があります。金華山はよく整備されて看板も多いので迷うことはありません。こちらは七曲りの1/10位の人かな?さらに空きすきです。ほぼ等高線に沿った道なので、森林浴をしているみたいで気持ちいいです。時々木から雫がおちてきたり、ややぬかるんでいますが、気温も上がってきました。~唐釜と東坂の合流点~1km程行くと合流点、ここから左に折れて頂上の岐阜城を目指します。所どころ岩場があるので<登る>感が味わえますよ。右手に岩肌が剥き出ている山並みと岐阜城が見上げれる好ポイントがあるのですが、ハヤブサが巣を作っているとかで・・・今期は通行止めになっています。残念。と、言うことで、もぅ一つの優しい岩場の方を登りました。ほぼ垂直なコースなので、ちょっとしんどいと感じ汗がにじむ頃、七曲り道に合流します。あ~、お城が見えます。天気が良くて素晴らしい眺めです。コレコレ、新年には見たくなる景色なのですよ。去年のお正月に登った時は、すごい人でした。外国人の姿もあったし、旗をもったガイドさんが引率する観光客の団体さんもいました。沖縄からのツアー客でした。<麒麟がくる>に合わせて、色々考えられた催し、1年前にこんな事になるだろうなんて誰が思ったことでしょう。その大河も終わってしまいました。~西・京を見る~出演者をはじめ制作関係者も、お疲れ様でした。最終回を見て、頑張ったねぇ~と泣けてきました。明智光秀を主役にして、視点を変えた戦乱物語が新鮮で面白かったですね。その大河館も今日でお終いだそぅで、明日からは新しい番組が始まります。来年の年始の金華山はどぅなっているでしょうね・・・
February 13, 2021
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車のラジオから「今日10月3日は登山の日です」と流れてきました。NHK、石丸謙二郎の山カフェという番組で、最近よく聞きます。天気予報は曇り、思い切って向かった先は伊吹山です。高速道路や新幹線で関ケ原を通過する時、北側に見える1377mの山です。いつもは有料道路を使って上り9合目の駐車場から登っていますが、「いつか!下から登りたい」と思っていました。 表登山道は登り3時間、下り2時間、休憩を入れて往復6時間が目安。オバはんの足では往復8時間てとこでしょうか?集落の三ノ宮神社横が登山口。受付で300円を払って入山書を書きます。かつてスキー場でにぎわった伊吹山。民宿や貸スキーの看板が寂し気です。庭先を駐車場にしている家が並ぶので利用しますが(400~500円)、米原からはバスがあるので沢山の登山者がきています。~1合目~4合目まではスキー場の跡地で建物もそのままに残っています。リフトはないので下から歩くしかありません。伊吹山は下から見上げると二段になって見えます。下の段は3合目辺りまで、上の段は傾斜がきついゴロタ石の登山道になります。~2合目~「3合目まではタラタラ道で楽!」とありましたが、登山口から1合目までは雑木林の中の石がゴロつく坂道で、この先が大丈夫かと不安になってきました。視界が開けるとスキー場跡、ここが1合目です。トイレと売店があり、ハングライダー場もあります。スキー場の道を登って2合目。伊吹山スキー場は、かつては皇室の方もいらしたスキー場で、昭和31年から営業、平成20年に閉鎖されました。~もうすぐ3合目~なだらかな斜面に一面のススキ、そこを過ぎると3合目。トイレと東屋があります。緊急時用かな?ここまでならタクシーが来てくれるようで、電話番号のある張り紙がありましたよ。トイレは3合目のここが最後です。4号目は「えっ?」という位すぐです。スキー場の面影が残るのはここまで、ここから道は狭くなります。~4合目 3合目のトイレが見える 向こうは宿とゴンドラ乗り場~5合目の小屋はしまってますが、自販機は利用できます。ここが最後なので水分確保しましょう。ベンチに腰かけて、下を見おろし上を眺めて・・・ここから上はベンチはなく腰を下ろすスペースも限られてます。山肌を見上げるとポツンと小屋が見えます、きれいな避難小屋でした。その辺りが6合目。坂はいよいよゴロタ石のつづら折りの登山道になります。もぅ頂上から降りてくる人たちがいます。半袖半ズボンでピョンピョンと降りてくるトレイルランナーたち。すごい、そして綺麗ですね~狭い岩場なので譲り合いながら足の置き場を選びます。下は小学生の女の子から上は登山経験のある70位の男性まで、列を作ってひたすら登ります。7~9合目が最も急坂でした。その辺りになったら急にガスってきて一瞬で霧の中。盛んに鳴く鹿たちの声が響いて幻想的。ふと、見上げると稜線に牡鹿の影が浮き上がり、まるで映像のようで感動的な一瞬でした。鹿などの獣から山草を守るために頂上の一帯はぐるりと柵で保護されています。その扉を開けて入っていくと遊歩道になっていて、この辺りが9合目。北側の駐車場から散策に上がって来る人たちと合流するので、観光客と登山客で山頂は賑やかです。20年前には柵がな く天空の花園>と言われて、山花が沢山咲いていました。苦肉のサクですね。なんとか、頂上に到着。予定どうり?4時間かかりました~伊吹山寺を参拝して売店でオムライスを食べました。頂上には売店や山小屋が並んで、ご褒美は沢山ありますが、食べ過ぎは下り坂によくないのでほどほどにしました。店の外に出ると濃い雲に覆われて視界が効きません。気温も14度、寒くて身震いします。上着を重ね着してジャンバーを着て、来た道を下ります。~もぅ秋、花はないですねぇ~人が随分減りました。登ってくる人がほとんどいないので、下りやすいけれど、どこに次の足を置くか考えながら滑って転がらないように慎重に降ります。ビクビク。膝がカクカクして筋肉がパンパン。6合目に来ると視界がよくなりました。縄張り争いか繁殖期か、古い木戸を開けたような、ジェットコースターの女性の悲鳴のような鹿の鳴き声が四方から絶え間なく聞こえ、草を食む姿も見えます。5合目まで来るとあとはひたすら歩きます。人はほとんどいません。マジで、ラスト・・・麓に着いたのは17時。辺りは薄暗くなっていました。疲れた~何とか登ってきました。筋肉痛が消えたのは4日後でした。
October 11, 2020
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お正月が過ぎて、いつもの日常が始まりました。暖かい日が多くて過ごしやすかったですね。 今年も玄関に生け花を飾りました。剣山を使用しない<投げ入れ>は今年で3回目・・・やっぱり難しい。このご時世、生花は売れず、生け花の生徒さんは先細りで、今まで注文していた花屋さんも生花から手を引くそうだ。毎年3000円で花材を作ってもらうのだが、今年は数ばかり多いけれど細くて個性的な枝がないような・・・メインの百合もこのタイプの百合は初めてで、小さくて向きもいまひとつ・・・「花材を拡げて、どの位置に入れ込むか、まず全体をイメージしてから向きを決めながら順に入れていくのよ」大先生のお言葉じたいが、学びになります。でも、毎回迷いが出てしまうのです。弘法筆を選ばず、オバさん、花を選ぶ前に腕磨け~~チャート岩~ここ数年、新年に岐阜城に行くのが恒例です。2日に金華山に登りました。金華山は標高320m程、岐阜駅からほどない市街地にあり頂上には岐阜城があり、地元の方が体力造りに登る親しみやすい山です。~向こうは北陸方面~登山ルートは幾つかありますが、今回は腰痛があるので登りは<瞑想の小路>下りは<七曲り>にしました。他にも、百曲がりコース、馬の背コース・・・ロープ―ウェイもありますよ^^~転がっている石は信長時代の門の基礎石~今年の大河ドラマ<麒麟がゆく>は明智光秀が主人公ですが、わき役には織田信長・豊臣秀吉・斎藤道三もいます。岐阜は縁が深く、地元ではかなり力がはいっていますよ。お正月にNHKで最強の城という番組があり、岐阜城も取り上げられていました。瞑想の小路は2.5kmほど1時間で登れますが、前半はゆるやかな林道、後半はチャートという岩が特徴の石の多い手ごたえのある坂道になります。残り僅かという辺りに門があった証明になる基礎石が無造作に?ありました。今までは気が付かずに通り過ぎていました。~東側 向こうから中山道を歩いてきました~番組では解りやすく解説していました。大河ドラマの影響か、看板や案内説明が新しくなっていましたね。頂上はロープ―ウェイで上がってきた家族連れや七曲りなどから登ってきた人でにぎわっています。売店の展望台に上がると360度濃尾平野が見渡せて清々しいです。~南側 木曽川が流れる。遥か向こうに名古屋の駅ビルが見える~さっきまで晴れていたのに北陸から雲がどんどんと流れてきました。帰りは大手通り<七曲り>を下ります。整備された広い道なので子供はピョンピョンと石段を下りていきますが、私には登りよりも膝に負担がきます(´;ω;`)~西側、足元に長良川、山の向こうは京都~ゆっくり下っていきましょう。後半は薄っすらとした林道で気持ちいいですよ。お正月の金華山ウォーキングを数えてみたら今年で7回目でした。いつも家を出るまでは腰が重いのですが、登ると気持ちのいい歩きです。暖かくて助かりました。今年、幸のある年でありますように健やかに過ごせますように祈ります。
January 7, 2020
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なかなか書かなかった9月初めに行った北海道旅行の事、台風19号がきて家に居ることが多かったので、思い出しながら書いてみました。自然はありがたく、美しい。でも、手を翻したように恐ろしく、怖い。映像を見ていると胸が詰まり悲しくてたまりません。晴れてどうか早く水が引きますように。よく目にする格安ツアーで北海道に行ったのは9月の初め。もぅ1ヶ月も前のことです。セントレア空港を出発したのは15時過ぎ。新千歳空港から戻るのは14時なので正味2日の北海道ですね (*´ω`)積乱雲の中を抜けたので機体がガタンと揺れました。「おおぉ~‼」夫が大きな声を出すから、こっちの方がビックリ!あわてて脇を突きましたよ ('Д')日本海に出ると夕焼けがひろがり始め、その美しさにうっとり。この向こうに広大なアジア大陸があるのですね。到着したのは夜。一日目は移動だけのツアーで添乗員とガイドさんは2日目からの合流です。空港からホテルまでの移動手段は各自にお任せ (*´ω`) 空港のラーメン横丁の<空>で夕食を済ませて、バスでアパホテルリゾート札幌に移動しました。郊外に位置するので露天風呂もあり広くてなかなかのアパホテルでした。後で気が付いたけれど、ここの居酒屋で海鮮夕飯でも良かったかな~2日目の朝から4日目の空港までツアーバスを利用します。ロビーで初めて皆さんと顔合わせ。え~!こんなにいたの?参加者は満員。6人のオジサングループ、一人旅のオジサン、夫婦・親子・カップルと二人づれがほとんどです。車窓から札幌市内をぐるりと回り、時計台や大通り公園を見おろして市内観光終了。この街中にバスを降りて大勢で観光し歩くのは無茶ですよね~車窓からが正解です。次は洞爺湖へ向かいます。まずはお決まりの記念撮影。ツアー中の天気予報は雨でしたが、この日は青空に恵まれてラッキーです。なんと~4日間、傘をささずに済みました。<サイロ展望台>で各自予約しておいたランチを食べて1時間ほどいたでしょうか。余談ですが、先日の<相棒・北海道編>では洞爺湖や展望台が出ていましたね。~五稜郭タワー~さてお次は函館朝市に向います。もぅすっかり午後ですが「私たちのためにお店を開けて待っていてくれます」とガイドさん。ツアー会社と申し合わせてあるんですね・・・(*´ω`)高いのか安いのかわかりませんが、イクラ・ホッケ・ホタテなどを詰め合わせてもらって冷凍便を2つ、自宅と田舎へ送りました。味は、良かったですねぇ~(^O^)/~五稜郭公園~そして、五稜郭。「ただ上から見るだけよ~」なんてよく耳にしますが、オバはんにとってはなんでもお初なので楽しめます。青森からの修学旅行の小学生がいて賑やかで活気がありました。~五稜郭奉行所~タワーから見下ろした五稜郭公園にも行ってみたくなりました。真ん中に見えた建物は復元された奉行所です。さあ、急いで駐車場まで戻らなくっちゃ~みなさん、ツアー慣れしているのか、集合時間にはピッタリ戻ってきます。2日目は行程が目白押しです。陽が傾きだした函館元町でバスを降りて函館山ロープ―ウェイまでお散歩です。「洗剤のコマーシャルで老夫婦が手をつないで坂を下りていくシーンはここですよ~」とガイドさん。あぁ~チャーミーグリーンのCM、もう30年も経ちますね~この時間なので通りには人気がありません。政治情勢の影響で海外(隣国)観光客が激減したそうで旅行中も少なかったですね。~カニ3種食べ比べ膳~ロープ―ウェイ乗り場まで歩いて、近くの広い居酒屋<沙羅の月>でみんなで夕飯です。「はいはい!いらっしゃいませ~」みんなザワザワ・・・さっき函館朝市で元気に商品を売りさばいていたオジサンではないですか~格安にはそれなりの理由とやりくりがあるのですなぁ~もっともか( ;∀;)食後はバスで函館山に登り夜景を見おろしました。まだ9月に入ったばかりですが、涼しいですねぇ~お決まりの記念撮影。買いませんでしたよ。山頂は結構な人ですが、これでも空いているとか。2日目の宿はホテルみなみ北海道鹿部。安くてなるべく良い宿を捜すようで、移動に時間がかかり着いたのは21時でした。声の大きな団体さんに気を使ったのかは不明ですが「ホテル側の都合でデラックスルーム」へのサービスを受け、身に余るほどの部屋でぐっすり眠れました。朝起きると駒ヶ岳と広大な原生林が見渡せて、とてもいい気分でしたよ。3日目は小樽です。移動に4時間かかりますが信号が少なく走りやすい道なので、ニセコや羊蹄山など景色を眺めていると飽きません。2.3日目は追加料金を出して、前の席をキープしたので前方の窓から広大な景色を味わう事ができました。よく見る小樽運河の前で記念撮影。もちろん買いません^^;即バスで移動してお昼は小樽名物握り寿司の定食、庄坊番屋はかつては消防署だった建物を改装したお店だそうで~そそくさと食べてまたバスに乗って、お店通りに戻ります。通りには団体さんが食事に立ち寄る大きい店が無いようで、いそがしいねェ~(*'▽')小樽通りでは自由行動です。沢山あるガラス製品のお店巡りをして、ちょこちょこ食べて、今も残る古い建物をぶらぶらと眺めて・・・2時間はあっと言うまですね。雨の予報でしたが、この日も傘は不要でした。最終日の宿は定山渓温泉、1時間程走って札幌方面に戻っていきます。バブル時代に建ったと思わせる内装と広い空間に驚きの宿です。スパランドも兼ねているようで日帰り入浴のお客さんもいて大賑わい。印象的だったのは大収容のバイキングホール、カーブした向こうまで席が並び、「はるか~」という広さに驚きです。最終4日目はゆっくりと新千歳空港に向かいました。泊りのツアーは初めてなのでお任せで楽と言えば楽ですが(運転が得意でない夫は昼から飲めてご機嫌ですが・・・)流れに乗っているという感じですねぇ。三泊しても他の方と深く交流することもなく、添乗員もガイドさんも毎度のツアーなのか、そつなく進んでいきます。あっと言う間の4日、正味2日の旅は北海道の入口をウロウロした感じで、この向こうに数倍の大地が広がっているのですよね。この頃はNHK<なつぞら>が放送中だったので、空から見た北海道は開拓した!という感じが伝わりました。昼には離陸。機長さんの挨拶がありました。「数日前に操縦した時、緑色した庄内平野が台風が去って今日は黄色く変わっています。」人柄が伝わる優しい声でした。~R1年 9月4日~7日~
October 14, 2019
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横蔵寺から妙法ヶ岳を経て華厳寺へ下りる山歩きの後編です。出合いの道路から華厳寺までは約6km、山頂まではアップダウンを繰り返しその後は一気に急坂、思っていたよりもずっとハードな山歩きになりました。道路を100m程進み左手の東海自然歩道に入っていきます。林の中を登ったり下ったり、また登ったりの繰り返しで尾根を歩いている気分ではありません。悶々としながら延々と歩くと妙法ヶ岳山頂です。なんだかな・・・という感じで視界も広がらず腰をおろす場所も無いので、倒木の下をくぐって通過。尾根には台風でひっくり返った大木が何本もありました。手つかずのままですが、木の根っこが芸術的にさえ見えてきました ( ;∀;)今回はこんな景色が2.3ヶ所だけチラリと見えただけでした。山頂から登山口までは残り2kmほど、H600mからH200mまで一気に続く急坂です。~振り返って坂を見上げる~林の中をひたすら下ります。かなり膝にきますねぇ~なんだか修行の様です。~奥の院~華厳寺奥の院まで来ました。お参りをして更に下ります。華厳寺はもぅ少しかな?ところがどっこい。この後も結構手ごたえのある道が続きます。小川があるためかジメジメして足場の悪い所もあり、薄暗い道ですね。夏場にはこの辺りにもヒルがでたとか・・・でも、ここでは遭遇しなかったですよ(∩´∀`)∩華厳寺から奥の院までは西国三十三寺の写し観音像の祠が並んでるのでカウントダウンしながら下っていきます。薄暗く、苔むしたり道が崩れた所もあるので気を抜けません。~そのままの露出だとこんな暗さ~西国巡礼を結願した時は雨が降っていたので奥の院はパスしましたが、こんなに歩きにくい道と思いませんでした。奥の院の参る方、ズボンと運動靴は必須ですよ。♪ゴール♪明るくなってきました。祠の寺番号も一桁代、本堂はもぅすぐ、納経時間に間に合いそうです。奥の院や横倉寺までの山道の登り口は、本堂奥にある<満願堂>の右手にあります。16:30 境内は明日の準備をしていました。華厳寺から横倉寺を目指して歩いていたら、しょっぱなのパンチの効いた急坂にヘロヘロになっていたでしょう"(-""-)"男性は4時間ほどかかる山歩き、私は5時間かかりました。あ~お腹が空いた。参道は店じまいして閑散としています。また、コンビニに寄っていこう(*^^)v
August 16, 2019
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お盆中にやってくる大型台風。尾張にも強い風が吹いてますが、雨は今の所降っていません。送り火をどぅやってしようか・・・考えながら、朝から家の中で暇なので、そのままだった山歩きのことを書くことにしました。やっと。岐阜県、横蔵寺から谷汲山華厳寺への山道を歩いたのは、梅雨入りしたばかりの6月のことです。華厳寺は西国三十三観音巡礼の結願寺です。華厳寺門前に車を停めて、すぐの所にあるバス停からコミュニティバスに乗って横蔵寺に向います。お客は私たち2人だけ。~門前のバス停~ 華厳寺を西へ、奥まった山間を30分程揺られて料金はたったの100円、なんだか申し訳ないです。スタートを華厳寺にするか、横蔵寺にするか・・・華厳寺はすでに参拝したことがあるので、初めての横蔵寺からにしました。コミュニティバスは本数が少ないので、万が一、乗り遅れたら日の暮れる長~い道路をトボトボと下らなければなりません。そりゃたまらん ( ;∀;)~横倉寺 10:40着~横倉寺の門前にはお店が数件ありますが、紅葉シーズンでないので閉まっています。華厳寺には沢山ありますが10時頃は準備中なので、町中のコンビニでお弁当を買ってきて助かりました。新緑がまぶしい境内、訪れる人が少なくてとても静かです。こちらは即身成仏のミイラが安置されているお寺で有名です。【最後に説明資料添付しました】平成に入って新しい舎利堂が建ち、仏様もガラス張りのケースに安置されて、当時はこの地方で話題になりました。初めて拝見する仏様・・・歪んだ体に前に傾むくお顔、小さな姿が目に焼き付きました。登山道の入口はこのお堂の右手にあります。華厳寺まではトイレも水場もないので、境内ですませてください。~スタート 11:15~しょっぱなからかなりの坂です。この上は<いこいの森>になっていて、舎利堂が新築されたころに整備されたのでしょう・・・がぁ~、看板は古く、朽ちた道案内、行き止まりの表示やロープが寂し気です。山道は東海自然歩道になっているのですが、台風で倒れた木があり、そのままの大木が手を付けられない箇所もありました。1.5kmの山の上までのコースを進むことにします。つづら折りの急坂を登ると開けた場所、仁王門跡に出ました。今は基礎石しか残っていません。天台宗横蔵寺は最澄や延暦寺との関係が深く、当初はこの円山にありました。現在の場所に下ったのが中世、いつ頃かははっきりしないそうです。~仁王門跡~その伽藍も信長の出兵の出火で消失、現在の伽藍の建物は江戸時代に再建されました。山門跡の右手に横蔵寺跡への道もありますが、もう少し登ってみます。頂上には熊谷直実の墓と沢山の墓がひっそりと並んでいました。熊谷は平安時代末期の源氏武将で平敦盛の首をはねたと言われています。~円山頂上~眺望のない山道を道なりに進むと、横蔵寺跡の広場にでます。清水がチョロチョロと流れているので、ここに寺をおくには便利な場所だったのでしょう。訪れる人も少ない寂し気な所、ジメジメしているので下をむいて歩いていると土から何やらニョロニョロ出ています、幾匹も。そう言えば~某ブログで知らないうちにヒルにやられて血が出ていた・・・とありました。初めてヒルに遭遇 (∩´∀`)∩ 薄気味悪いですね。~横蔵寺跡~ 登ったり下りたりを繰り返し、いったん車道に出ました。が、山の中なので通る車はありません。(13:00)ここで若い夫婦とすれ違いました。男性は2歳くらいの子供を背負っていました。挨拶をしたら女性は「こんにちは~」と返ってきましたが、男性は「・・・」でした。なんだか、後半の華厳寺までの道を想像してしまいます。この日あった登山者はこの親子だけでした。ここまで約3km、1/3程なのにアップダウンの繰り返しと蒸し暑さで疲れたぁ~景色が見えないので気分転換もできず、悶々と歩きます。後半へ続く。横蔵寺~出合 (13:00)追記 <即身成仏>妙心法師という人物の遺体で、横蔵村出身で俗名を古野小一郎といった。1781年に生まれ、諸国を巡って仏道修行をし、1817年断食修行の後、山梨県の御正体山で36歳で入定、即身成仏となったという。当初は入定した地、都留郡鹿留村の上人堂に安置されていたが、明治の廃仏毀釈で山から降ろされ、見世物として展示された後、明治7年山梨県庁が引き取り、その後は県病院が医学資料として保管していた。明治23年妙心法師の親族から即身仏の下付の嘆願があり、山梨県から横蔵寺に移された。~ウキペディアより~読んでいたら<山梨>とあったので驚きました。県病院にも保管されていたとは。地元に戻れてよかったですね、仏様。
August 15, 2019
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長い事咲いていた今年の桜、ありがとうございました。あちらこちらといろんな桜を楽しめました。尾張がまだチラホラの頃、山梨は桜も桃も満開でした。桜が開花すると、すぐに桃も開花します。~向こうに八ヶ岳 3/31~子供の頃は畑が一面に広がりピンクの絨毯の様でしたが、あれから半世紀、道路が縦横に走り家が増えて、一面の絨毯は虫食い状態になりつつあります。でも、山並みは変わらず、懐かしい風景です。桜は幼いころによく遊んだ村のお寺です。滑り台、鉄棒、ブランコ、さびついて誰も来ない広場。木は伸び放題、夏は草だらけの忘れられた公園。この小さな広場で区民運動会をしたのは遠い日のことです。もぅ50年は経つ桜はブランコがこげない程の大木になっていました。~犬山城 4/4~国宝犬山城の桜です。友人と行きました。彼女は2.3年前から闘病中ですが、とても前向きです。昨年は彼女のリクエストで木曽川沿いの桜を見に行きましたが、すっかり傷心した彼女とただただ桜を見ていたものです。~紅い台に腰かけてお弁当~今年も「さくら見に行こ」とお声がかかり、リクエストは犬山城です。すごい人ですが平日なので空いている方です。彼女は岐阜出身ですが犬山城は初めてで、急な階段も登り人波にもまれながらも、城の造りと眺めにとても感動していました。お弁当のサンドイッチもパクパク食べて、体調がいいのがわかります。「来年もさくらみたいな~」と、彼女。見れるよ。~犬山城からの長良川~こちらは吉野。去年は電車を乗り継いで行ったのですが、今年はママ友グループで安いツアーで行きました。申し込んだ時は暖かい日が続いていたので、散り桜を心配していたのに・・・この通り( ;∀;)下千本が八分咲き、中千本上千本奥千本は蕾かたしです。バスの駐車場は遊歩道から見えない山の中。広い駐車場に縦横ビッシリと観光バスが並んでいます。すごいです!この将棋の駒の様な停め方とドライバーの腕に感動してしまいました(桜に感動するところなのに・・・)~奈良吉野 4/6~最後はご近所の桜。青い空、黒い板壁、桜の精を感じます。満開を過ぎて花びらが雪の様に舞っています。表通りに舞い落ちる花びらを奥さんが毎日掃ききよめているんですよ。~4/8~桜も葉桜になってきましたね。
April 23, 2019
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一年で献血数が減る時期があります。夏と年末年始。2月の寒い日曜日、4ヶ月ぶりに献血に行ってきました。若い頃は比重が足りなくて出来なかった献血も、更年期を過ぎるとヘモグロビン値は13を超えてできるようになりました。全血は男性は3ヶ月、女性は4ヶ月、成分輸血(血小板輸血)は男女とも4ヶ月、期間を空けることになっています。昨秋は35年ぶりの人生で2度目の献血で、かなり緊張したけれど今回は落ち付いています。手順にもなれましたよ。ロッカーに荷物を入れて、水分補給のために自動機から好きな飲み物をいただきます。受付をして、内科医の問診を受けて処置室へ入ります。個人情報はカード化したので手続きは簡単です。~名古屋駅からの三重方向~全血は4ベット、血小板は20ベット程ありますが、やっぱり秋の時よりも空きベットが目立ちます。針を刺すのも大丈夫。5分ほどして「はい、済みましたよ~」えっ、はやいですねぇ~前回は久しぶりだったので15分かけてゆっくり進めてもらいましたが、今回は標準の早さで5分チョイでした。引いている時に陰圧がかかって針の部分がピクピクしてました(・□・;)「ふらつくかもしれません。今日はゆっくりしてくださいね~」確かに、その日は2回フラッとしました。そう言えば、その頃線路に落ちた事故が続けてありましたっけ。~名古屋駅新幹線口 リニアの土地買収が進んでいます~献血後は暖かい飲み物と甘いお菓子をいただいて窓際で休憩、この景色を見ながらぼ~っとくつろぎます。さてさて、自分をねぎらってランチを食べて帰ります。この日は一度は行ってみたかった地下街にある<いきなりステーキ>狭い店内は若い男衆、女子も結構いて、私たちは年配層です。希望量は200グラム以上の注文で、ヒレを頼み、肉の他にライスとサラダを追加しました。計量と焼きの担当はひとりなので、いきなり、バーンと出てくるのではなく結局入店から退店まで1時間程かかりました。狭いながらも座れたからラッキーでしたが、お兄ちゃん衆はカウンターでず~っと立ったままでした。「ほぅ、なるほどね」という感想です。次回の献血は梅雨入りの頃かなぁ。
February 28, 2019
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登校した子供が慌てて戻ってきました。「どこかで定期を落とした~」と顔面蒼白。先日3ヶ月分の定期代分、3~4万入金したばかりなので、我が家にとっては一大事です。「ほら~そんなんじゃ、落とすよ‼」って言ってたじゃない!リュックのポッケににヒョイと入れて、改札を通るときは伸縮する紐をピューッと引っ張って取り出して<ピッ>とするのです。あ~もっと言ってやりたいのを押さえる。何度も我が家と駐輪場を往復して捜して・・・警察に届け出て、駅の改札に相談に行きました。すると・・・窓越しに見覚えのある定期入れ。~☆ついさっき、どなたかが拾って届けてくれました。名前はわかりませんが、郵便局勤務の方だとか・・・(´;ω;`)ありがたい。「捨てる神あれば拾う神ありだね。」~このコトワザが適してるのかなぁ?~「世の中回っているんだよ。違う形でお礼をしたらいいよ」子供も成人すると教える事も諭す事も叱る事も、機会がなくなったこの頃、チョッと親ぶってみました(*`艸´)それから2日後の週末、息子は名古屋に遊びに行きました。駅で財布を拾ったのです。中を確認すると万札が3.4枚、何枚かのクレジットカード、それに免許証。構内の交番に届けに行くと、お巡りさんは「1割はお礼がもらえると思うから住所・氏名を届け出て」と勧めたそうですが、待ち合わせに遅れているので、そのまま立ち去ったそうです。ほんの短い間に、落として、拾って・・・そんなことがあるんですね。「世の中まわっるてるんだな~」と息子。回るならプラスに、陽にまわりたいですね。末っ子長男タイプそのままの息子は来春、社会人になります。
November 14, 2018
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愛知県犬山市、入鹿池の横にある博物館・明治村。主に明治時代の建築物を移築して保存・展示しています。入鹿池(いるか池)は農業用の人工池で香川県のまんのう池とならんで規模の大きな池です。かつて入鹿村がありましたが住民を移住させ、1年の工期をかけて1633年に完成しました。敷地の一番奥にNHK朝ドラ<まんぷく>の福ちゃんが働いていたホテルがあります。福ちゃんは寿退社してもぅ会えません、戦争の雲行きが悪くなってホテルも休業しているようです(〃艸〃)ムフッドラマ中の<大阪東洋ホテル>は架空のホテルで、この旧帝国ホテルが撮影ロケ地になり、撮影は咋秋行われていたようです。上手に編集されてましたねぇ。~玄関口~旧帝国ホテルは20世紀建築界の巨匠、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトによって設計され、大正12年(1923)4年間の大工事の後に完成。全体計画から個々の客室に到るまで、きわめて多様な秀れた空間構成がなされ、それまでの建築空間が主として平面的なつながりであったものを、立体的な構成へと発展させた世界的に重要な作品。~左手から見る~中央玄関は、建物の特色をよくのこし、軒や手摺の白い大谷石の帯が水平線を強調、その帯が奥へ幾段にも重なって、内部空間の複雑さを予想させる。大谷石には幾何学模様の彫刻を施し、レンガには櫛目を入れて、柔らかで華麗な外観を現出している。~二階を見上げると~ロビー中央には三階までの吹き抜きがあり、中央玄関内の全ての空間はこの吹き抜きの廻りに展開し、その個々の空間は、床の高さ、天井の高さがそれぞれに異なっており、大階段、左右の廻り階段を昇る毎に、劇的な視界が開かれる。彫刻された大谷石、透しテラコッタによって様々に装飾されている。(素人のオバはんが説明するよりも、的確なウキペディアの説明を引用させていただきました)TVの背景に映つりこんだ装飾、即!「帝国ホテルだ~」と気が付くほど特徴的で、一度目にしたら忘れない模様です。そこに光が差し込み風格のある、でも今の時代でも通じる斬新なオシャレなデザインです。現在はポスターやら標識やらが<今>を感じさせてしまってますが、ロケの様に<今>を片つけたら、笑顔の福ちゃんがカウンターに立っていそうです。二階のオープン喫茶で珈琲とサンドイッチを頼みました。お安くはありませんが、燻製したハムがとてもいい味で、パン生地がきめ細かくて柔らかくて、とっても美味でした。ホールには二胡の生演奏が響いて、なんだか~優雅です。TVで話題の建物なので以前来た時より見学者が多く、皆さん気ままに散策しています。~二階から教会を見る~この日は知人の結婚式があるので明治村に来ました。招待客ではないのですが、「自由に参加見学してください^^」と入場券と呈茶券をいただいたのです。~聖ザビエル天主堂~明治村は谷口吉郎氏(初代館長)と土川元夫氏(当時・名鉄社長)が、震災や戦火で失われた建物を悲しみ、戦後の急速な経済成長の陰で失われていく建物を憂い、明治時代の貴重な建築物を保存する目的で財団設立を構想したのが始まり。昭和40年、名鉄が用地の寄付など財政面を援助してオープンした野外テーマパーク。~バラ窓~子供が小さい頃、約20年ぶりに来たけれど、あの頃より入場者が少ないような・・・交通の便がイマイチですが、山あいにあるのでこれからの時季は紅葉がきれいですよ。そぅそぅ、久しぶりにスケッチをしてみたのですが、時間ばかりかかって筆が進まず小学校レベルを実感しましたが、TVのプレバトみたいで楽しかったです。写真もいいし、スケッチもいい、体にもいい、愛知にも結構いいところあるのですよ~
October 28, 2018
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ボランティアの高齢の男性が行方不明になった2歳の男の子をアッと言う間に捜し出したニュースは、心が温かくなる嬉しい出来事でその姿がまぶしかった。自分の周りを見ると、高齢になっても自分流に日々を過ごす人に気がつきます。~雪みたいに柔らかくて、後味すっきり~こつこつと絵を描くおじ様は80代。市の美術館で行う展覧会の招待状を年に3回、もぅ10余年きちんとくれます。おじ様の絵ははスケッチに出かけた山や海の絵が多くて、さぞや青や緑のインクを使うだろうな~と思わせる油絵が主でしたが、最近は背中が丸まり体力も落ちてきたので、水彩の静物画が増えてきました。展覧会当日。絵画サークルの先生の大作の隣に並んだおじ様の酒ビンの絵は○○賞の札が付いていました。サークルの先生は90歳代。先生は市内では有名な方で、ボランティアで市民講座や老人施設で気さくに絵を教えています。<ドラえもん>のジャイ子みたいなベレー帽がトレードマーク、展覧会では受付の椅子に腰かけて見学者を出迎えてくれます。ところで(* ´艸`)わたしは夏からNHK文化センターで語学講座を受け始めました。駅前に車を停めてJRで岐阜駅まで通ってますが、なかなか身につかない、というか覚えられない。そこの生徒に80代のおば様がいるのです。高速道路を運転して岐阜の山々を超えて町までやってきて、午前はお琴、午後は語学、「もぅ年で覚えられないけど、新しいことに挑戦したり地元を離れた街に来るのは刺激的で面白い」そうだ。~仕事あがりに癒しの色 8月2日の日暮れ~80歳を過ぎても写真をUPしてブログを更新される方々、ブロ友だったさっちゃんは90歳を過ぎても絵を描いてブログをUPしていました。義母は国民年金だったのでやりくりしながら過ごしていました。月謝2000円の高齢者お習字教室、パッチワーク、地域のグランドゴルフと励んでおりました。義母が亡くなった今でも、お習字友達が作品展のたびに嫁のわたしにお誘いの声を掛けてくれるので覗いてきました。お習字仲間も70代80代となりますが、立派に表装された文字はかなり練習したことがわかります。~日が短くなりましたねぇ~高齢者の継続する姿に出会った暑い夏。50代になって自分のいろんな力が低下しだしました。記憶力、視力、体力、根気・・・でも、欲張りなので60代70代の世界を見たい、80過ぎまで生きてふつうを楽しみたいと思っています。人生下り坂最高。
August 21, 2018
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西国三十三観音巡りも奈良の南円堂と結願寺を残すのみとなりました。5年ぶりの興福寺です。その時はまだ西国巡礼を始めていなかったので、南円堂を知らず、金堂と搭の前をスルーしていました。~南円堂~今回は近鉄電車で名古屋から奈良へ。連休の渋滞も気にしないで指定席でゆったり、たまには電車もいいですね。7時発車、10時到着、まずは南円堂に向かいます。庶民的な雰囲気で、賑わってますねぇ~、八重咲の藤が綺麗です。~北円堂~そして春と秋に期間限定で開扉している北円堂に向います。伽藍の中で一番古く小さな堂宇には国宝が並んでいて、堂宇その物も国宝です。中央に安置されている阿弥陀如来像、その周りを囲む8体の像のうち6体も国宝、保存状態が良く、手を伸ばせば触れそうな距離で見上げることが出来ます。興福寺は広いのですね~長きに渡った中金堂の再建工事もあとわずかになりました。東金堂を拝見して国宝館へ。阿修羅像を直に拝見するのは初めてなのでワク♪ワクします。スター的に中央に立つ阿修羅像、左右一列に並んだ他の像も味があります。脱活乾漆造りの像は素朴で柔らかく暖かみがあるんですね。北円堂の像もこちらの像も、奈良時代には乾漆造りの像が多いのですが平安時代になると衰退していきす。そろそろお昼なので奈良町に戻ってお腹を満たし、町なかにある元興寺へ。このお寺も大きな伽藍だったのですが、奈良時代以降は衰退し、寺領跡には市井の人が住むようになり今の奈良町となったそうだ。~本堂西側の瓦~本堂・禅堂とも国宝、西側の瓦は飛鳥時代のもので改修の時に使えるものをまとめて葺いてあり、今も現役です。奈良ホテルの前を抜けて、春日大社へ。この日は(4/28)厳しい日差しで30℃近くなり神社へ向かう小道の木陰に救われました。連休だから修学旅行生や遠足の子どもの姿は全くありませんが、外国人が多いですね。春日大社は15年ぶりです。本殿も拝観して回廊も歩いて見みました。シンボルの山藤が満開できれいですね。現在、国立博物館では創建1250年<奈良大社のすべて>展を開催中、国宝が沢山並んでいるのですが・・・もぅ4時になります、う~ん、残念。~樹齢1.000年の大杉~門前のお茶屋さんで一息つくことにしました。
May 6, 2018
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雨上りの予定のない休日、献血に行ってみました。なんと30年ぶり、高校生いらいです。名古屋駅からすぐのゲートタワービル26階、この辺りでは最新の献血ルームです。ひと気のない広いビルの廊下を進み、「この先に献血ルームがあるのか・・・」と、チョット不安。11時オープン、もう10人程先客がおり、男性が多いですね。よく献血するのでしょう、オシャレな青年や紳士が慣れた感じで済ませていきます。~名古屋駅北口~「30年ぶりなのですが・・・」と話すと、申込書に住所・現氏名・旧氏名・年齢・既往歴や内服の有無などを記入し、個人カードを作成。暗証番号に加えて、指紋登録もしました。初めての指紋登録なので・・・なんでも個人情報は流れていくな~なんて思いました。すると、30年前のデーターが残っていたのです。いままで2.3回献血したと思い込んでいたようで、たった1度だけ、他2回は申し込んだけど比重が低くてお帰りしていました。さすがに、高校生の時の血液データーは残っていませんでしたが「すごい!」ですねぇ。桃 「200㎖でお願いします」受付「200㎖は医療機関からの需要が少なくて、400㎖をお願いします」桃「@@・・・」 心の準備がぁ~ ビビリ。受付の女性がにこやかに「大丈夫^^」と400を進めてきます。医者の簡単な問診を受けたら、ソファで呼び出しを待ちます。水分補給のために、無料飲料機の飲み物を勧められ、400に対処するために( ´艸`)甘いホットココアを選びました。職員全員が気を配ってくれますからと、判りやすいように首に赤いカードをかけてくれました。~無地に済んで、ホッと一息~名前を呼ばれ、奥の献血室へ。献血室は広いフロアで20床程あります。看護師さんも10人程。広いリクライニングシートに掛けると斜めになってリラックス。終始受け持ちの看護師さんが優しく対応してくれます。同い年位かな?左腕に太めの針が入りますが、学生の時より痛くありません。刺入部も見えないように布が掛けられ、血が流れていくチューブの先も死角なので安心です。学生の頃は校庭に停めた献血バスの狭いベットに横になり、友達の姿が見えたり、操作する手元や機械に入る血液が見えて、不安でした。献血は参加自由で、授業中にクラス順に進んでいきます。進学クラスの生徒はほとんど献血をしないで、就職クラスの男子はゾロゾロと並んでいました((´∀`));;サボりかなぁ~やんちゃな男子は「煙草を吸う子の血液はダメよ~」なんて係の人にからかわれていました @@;献血するとヤクルトと歯ブラシ、変な事は覚えているんですよね。献血の間、オーバーテーブルのTVを見ながらボ~ッと昔を思い出していると、看護師「今、丁度半分ですよ」えっ!まだ3.4分なのにもぅ200㎖も体から血液を抜いたのか・・・早い。貧血で目の前真っ白になると思ってたけど、何ともない。初めてだから20~30分かかると思ってたけど、この後15分かかるのかな?~ご褒美のお昼は蕎麦~看護師「は~い。終わりましたよ」えっ!結局10分もかからず、ベットから立ち上がってもふらつかず、セーフ。夫や息子は5分ほどで済むとか。初めの受付フロアに戻ると好きなお菓子(コンビニで100円位で販売しているロールケーキ等)を選んで、ひき立て珈琲をいただきます。高層からの町並みを見下ろしながらしばし休憩。変わりないことを確認して、献血カード・説明書・プチタオルをいただいて終了です。受付してから終わるまで1時間足らずでした。後日血液検査のデーターが郵送されて、ヘモグロビンは13以上でした。次回献血できるのは4か月後、またしよう~と思います。お疲れ様でしたm(__)m
April 26, 2018
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吉野の桜を見に行ってきました。(4月8日)我が家からは電車を乗り継いで3時間程です。<サライ>桜特集を見て行く気満々、4月1日か8日か迷った挙句、1日は彦根の桜にしました。桜の時期は吉野町のHPで、下千本・中千本・上千本・奥千本の桜の開花情報を毎日公表してます。1日は下千本が満開でした。ところが、この春は暖かすぎた~春が一気に来たので、いつもは下から順々に開花していくのに、一気に全体の桜が咲いてしまった・・・吉野の桜の見ごろは4月3.4日。5.6日と雨の上にひどい風が吹き荒れて、桜は濡れて、たたかれて、散りじり・・・~下千本の桜~8日、吉野駅(H200m)に降りると、あぁ、やっぱり散り千本。この日の吉野町桜情報は、下千本・中千本・上千本は<葉桜> 奥千本は<満開>~七曲り~それでも、花見客は結構います。絶頂満開の3.4日は一体どれだけの人が出たのだろう。ロープ―ウェイが休業中なので、駅前はシャトルバスを待つ長い列でごった返しています。でも、このロープ―ウェイ乗り場を見たら、とてもこの人波をさばけるとは思えない^^;;子どもや老人の為にも、上まで登るシャトルバスは正解ですわ(200円前後)~肩が触れ合う~登り道は、吉野山観光車道、谷間の林間を歩くささやきの小路、賑やかな門前通り、と3通りあります。初めてなので、門前に続く七曲りを進みます。「まぁ~葉桜が綺麗ですね~」・・・苦笑・・・門前通りはお店がずら~っと並んで面白い、たまらない。吉野名物、柿の葉寿、吉野くずを使ったお菓子、桜のお菓子、吉野和紙や山菜野菜、お茶処にお宿もあるし・・・登り坂なのも忘れて物見遊山に熱中、あれも見たい、これも食べたい、オバはんのアンテナがクルクル回ります。串刺しのシイタケ焼き、串刺しのタケノコ炊いたん、お昼用に柿の葉寿司。お寿司はどの店にしようか迷ってしまいました。吉野は飛鳥時代から聖地として知られていました。7世紀後半、役行者がここで修行をし蔵王権現の姿を山桜に彫ったことから桜をご神木にし、昔から多くの人が献木し保護されてきたため吉野は桜の名所になりました。~如意輪寺へ~都に向いて建つ国宝の仁王門は現在修理中で見学できませんでした。金峯山寺も国宝、修験道の中心的な道場です(H365m)~谷を下って登る~ 秘仏本尊・金剛蔵王権現の特別拝観中だったので、寄って見ます。3体の像は大変大きく、表情豊か、色彩も極彩、すごい迫力に押しつぶされそうで、このような像は見たことありません。一体、いつ頃の作品なのでしょう(誘導係りの僧侶に聞いたのですが、忙し過ぎるのかお答えがあやふやで(´;ω;`)1000円の拝観料はチトお高い、と思ったら木製のお守りと手提げ袋をいただきました^^この日が満開と見込んだバスツアーの人が大勢、納経に時間がかかりました。境内で柿の葉寿司を食べて先を急ぎますが、奥千本まで行けるでしょうか・・・~ハイキングコース~一目千本と呼ばれる展望のいい吉水神社へ。ここは1300年前に役行者が創立した修験宗の僧坊でした。追手から逃げた源義経と静御前、弁慶が隠れ住んだり、南北朝時代に後醍醐天皇が南朝の皇居としたり、豊臣秀吉が吉野で盛大な花見をしたときの本陣にしたり・・・屋敷の中には歴史的な珍しい文化財や宝物が展示されているのですが~一応カギは付いているけれど、簡易なショウケースに陳列され、その有り様に(本物?)とよこしまな思いが横切りますm(__)m~上千本より蔵王山寺を見下ろす~次は中千本の如意輪寺と後醍醐天皇御陵へ(H405m)すぐそこ‼に見えたのに、甘かった~谷に下って、また登る。ご老人が支えられて必死で歩いています。ここで地図にあった裏手のトイレに寄ったのですが、このトイレがヒドイ裏手で、かなりの階段を上がった駐車場のトイレでした。~吉野水分神社~この日はツアー客が大勢いましたが、この上の駐車場から降りてきてたのですね。ツアー会社も例年ならこの日あたりが満開日と読んだのでしょうが、今年は読み切れませんでしたねぇ~またお寺まで下りて、谷を下りて、登ってもどるのはタマラナイ、このまま車道から上千本にいこうかな?~水分神社の一本桜~ウロウロしていたら警備係さんが、上千本に通じるハイキングコースを勧めてくれました。・・・予定になかったコースですが、行ってみましょう((´∀`))どうも尾根ですね、1キロ程、林道を登ります。まるでへんろ道の様です。上千本に出ました。みなさん桜の下に腰をおろして、吉野の町並みを見下ろしています。ここまで座り込んでお花見するような所が無かったので、いいですね、ここ。このアングルはよく見かけ、<サライ>でも桜に染まる景色が載っていましたが、てっきりドローン撮影と思っていたら、この坂から写していたのですね。あぁ~満開の時季に見下ろしてみたかったな。吉野水分神社まで、もぅ少し上千本を登ってみます。よしのみくまりじんじゃ、覚えにくいお名前の神社です。狭い境内の真ん中に、一本、とてもきれいに桜が咲いていました。葉桜に肩を落としていた人達は大喜びで写真を撮っています。この一本を見るために、下から登ってきたと思えてきますよ。奥千本(H750m位)は更に20分程登るのですが3時を過ぎていたので、帰りの電車に間に合わなくなります。急ぎ足で下ります。累計10キロ歩いていて驚きました。初夏の葉桜やモミジも佳し、紅葉の時期もきっと素晴らしいはず、もちろんまた満開の桜の時期にも来たい吉野です。
April 17, 2018
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区切って歩いてきた琵琶湖一周ウォーキングも今回で最後になりました。27年から春と秋に区切りながら歩くこと15回。一日10~15キロってところでしょうか。~右手の山辺りが彦根かな~この日は(4/1)前回の続き、長浜からスタート地点の彦根城まで13.5キロを歩きます。今年はなかなか春が来ないと思っていたら、いっきに桜が咲きました。今日あたり、お城の桜は満開でしょう。~秀吉の馬印マンホール 千を成す意の千成瓢箪~湖岸には木が無くて、これは日焼けしそうです。すぐ横を車道が走るので・・・騒々しいですね。防波堤をのぞき込むと、生活排水が流れ込み、北風で湖面を流れてきたプラゴミや木片が打ち寄せられて、場所が変わるとこうも違うのか~同じ琵琶湖なのに。松原海岸に入ると車道と分かれ松並木の下を歩きます。彦根城まであと2キロ、もぅすぐです。~行く道~~来た道~子どもたちが駆けて行きます。伸び伸びと、いいなぁ。かんぽんの宿を通り過ぎ彦根港を左に折れると彦根城下、人や車で賑やかですね~人で渋滞してますが、みなさん、幸せ顔で桜を楽しんでいます。最高の桜に最高の人出。ほとんどがソメイヨシノですね。堀の石垣や水が桜を更に引き立てます。この白鳥、たった1匹で優雅に泳いでいました、が、水際まで寄ってきてあっちを向いたりこっちを見たり、ターンを繰り返してポーズを決めます。カメラを意識して?モデル並みなのですよ。屋形船が二艘、優雅ですね。慌てて撮った一枚、後で見たら井伊の大将が写り込んでる~わかりますか?このコースは13.4KM 予定では3時間20分、私は4時間かかりましたが、少しずつでも歩き続けたら前に進みますね。あたり前か~(〃艸〃)あふれんばかりの花の中、無事にゴールできたことをありがたく思います。m(__)m
April 6, 2018
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長浜城からすぐの長浜駅に向かいます。踏切の手前にある長浜鉄道スクエアの玄関口に、ビワイチマップの19番目スタンプがあるので、ペタンコ。この旧長浜駅は現存する日本で一番古い駅舎です。この頃の国鉄の心意気が感じられますね~道の向かい側に魅力的な表門、春なので市民茶会でもやっていないかな~と足を向けてみました。国指定名勝<慶運館>です。お庭には大きな石が幾つも配置され20トンの巨石もあります。琵琶湖の対岸、大津から船に乗せて運んだとか~慶運館は 明治20年、明治天皇皇后が京都行幸の帰路に、大津から船を利用して長浜に上陸なさるのを機に建設されました。明治19年秋、その情報が入るが、船を降りて汽車に乗るまでの間に天皇皇后が御休息できる場所がないため、豪商・浅見又蔵が私財を投じて建てました。工費は当時のお金で1万円、現代のお金にして約3億円、受付さんが力を入れて説明してくれました。なんと、3カ月の突貫工事で行幸の朝に完成したそうです。<慶雲館>と命名されたのは同行された初代内閣総理大臣・伊藤博文とか~庭園は二代目又蔵が建設25周年を記念して造ったので、天皇皇后が寄られた時は無かったのですね。本庭は涸池のある地形に立体的に大きな起伏をつけ、巨石を使って見る人を圧倒してきます。二階からは琵琶湖と伊吹山が一望できたとか~・・・今は周囲に住宅やホテルが出来て、借景はいかがなものでしょう~(;'∀')2階の手すりから手に取る様に見える庭もいいものです。玉座に掛けられた天皇皇后も見下ろされたのでしょうか。行幸当時の写真にはこの鶴の襖は写ってないので、後から備えられた物です。建物以外で当時をしのぶ品物は限られてますが、この鶴の襖は目を引きました。今風と思える可愛い梅の形をしている電飾、ハイカラですね。(今ハイカラは死語ですね);;全ての窓が開け放されて、爽やかな風が通り抜けます。当時の行幸の記録には天皇皇后は13時前に長浜港に到着し、慶雲館で昼食および休憩をとったあと、13時45分発の列車で名古屋へ向かった、とある。う~ん^^; ほんの1時間・・・早っ。本館と同じ時期に建てた茶室は小間だったが、平成に入り広間の茶室に改修さました。かつては茶室の向こうは湖岸たったが、広い道路を造るために埋め立てられて、道の向こうにはテニスコートや駐車場、ホテルが並んでます。寄り道が長くなりました。長浜から北陸本線に乗って<河毛>で降り、こはくちょうバス(¥200)で車を停めた<道の駅・湖北みずどりステーション>に戻りました。次回は琵琶湖歩きもいよいよ最終回、ゴールは彦根城です。
April 4, 2018
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長く厳しかった寒さが一気に緩んで、桜の開花が次々と続きあっという間に満開です。また、琵琶湖の周りを歩き始めました。3月25日今回は、<湖北みずどりステーション>から<長浜鉄道スクエア>までの12㎞、普通は3時間でしょうが、オバはんはのんびり歩きます(〃艸〃)ムフッ道の駅<みずどりステーション>に駐車して歩き始めます。10:00ここのところ晴天が続いてますが、うむ?これは春霞かな~黄砂?どんよりとしています。左手の湖に浮かぶのは西国三十三観音霊場のある竹生島、昨春に歩いた大崎海岸は右手、大崎は千本桜で有名です。この湖岸から見る対岸の山に沈む夕日がとても綺麗なのですが、今日は無理ですね、まったく見えません。ず~っと湖岸沿いを歩きます。車道、植え込み、歩道、桜、琵琶湖、植え込みのカイズカイブキのおかげで車やバイクを意識しないで歩けます。自転車で湖周をまわる人が多いですね。人は右回り、自転車は左回り、生き生きとした顔つきでみんな楽しそうです。~さざなみ街道~桜は徹底して‼一輪も咲いていませんでし。蕾はプリプリと膨らみ、翌日には開花、今度の週末には(4/1)満開ですよ~きっと。1時間歩いて<奥びわスポーツの森> また1時間歩いて<産直びわみずべの里> また1時間歩いてゴールの<長浜城>、程よく休憩ができる整備されたいい道です。~姉川上流~こちらは姉川大橋から見た姉川です。織田・豊臣連合軍と浅井・浅野連合軍が戦った姉川。血で川が紅く染まった~と伝わりますが、戦いのあった上流の川幅は狭いので、染まったのも十分考えられます。~姉川河口~ゴールの豊公園はあと4キロです。長浜辺りは、江戸時代に長浜港を造るのに岸辺を掘り起こし、昭和になってからは広い道路を造るために埋め立てをしているので、秀吉が長浜城を建てた頃とは湖岸の地形が違うとか。湖水にヒタヒタと浸かっているのは長浜城の井戸があった場所を印す石碑です。復元された天守も湖岸からすぐの所にあるので、秀吉は対岸の大津から物資を運び込みやすいように水際ギリギリにお城を造ったのですね。お城のソメイヨシノも まだですね~ この週末の3/31、4/1には満開でしょう。尾張辺りは昨日今日と風が強くて散り桜なので1週間遅れですね。 さて、ゴールは長浜鉄道スクエア。13:00 のんびり歩いて3時間かかりました。
March 30, 2018
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厳しい寒さも小休止、窓辺は暖かいですね。コトコトと土鍋でゆず味噌を作りながら、あっという間のお正月を思い出してPCに向かっています。正月恒例の金華山ウォーキングです。今年は1月3日、良く晴れた風の強い日に行ってきました。金華山はH339mすぐ横を長良川が流れ、頂上には岐阜城があり、岐阜市のシンボルです。~信長像と岐阜城~1532年、織田信長により稲葉山城から岐阜城となり天下統一の拠点になりました。山頂に天守、麓には御殿が作られ城下町には楽市楽座が形成されました。今、山頂まではいくつもの登山道がありますが、ロープウエイで上がる人が多いですね。今年は<百曲がりルート>で登ることにしました。風が吹きつける北側の<馬の背コース>や<瞑想の小路>は避けて、ロープウエイの下を通る百曲がりコース、今回で2度目です。百曲がり登山道はロープウェイ頂上駅あたりにたどり着く道で、馬の背登山道に次いで短いコース。初心者には厳しいです。覚悟してゆっくり歩くと初めての時よりも落ち着いて登れました。林間を歩くので幸い風が当たりません。1時間足らずで頂上、ロープ―ウェイの人たちで賑やかです。~長良川~晴れていると見晴らし抜群ですが、北陸で雪を降らせた雲が時折流れてきます。一瞬、雪雲に覆われて吹雪の様になりましたが、また、晴れてきました。売店で一休みして下山です。ロープ―ウェイで来た人の一部が七曲り登山道を下ります。~織田仕様です^^大手道口がお釣り口になってますよ~七曲り登山道は大手道でロープ―ウェイが出来るまでは最も利用されたルートです。よく整備されていて幅も広く、子供がピョンピョン下っていきます。元気いいなぁ~七曲りといいますが、実際は十三曲がりあるとか^^わたしは<唐釜登山道>を下ってみました。こちらに来る人は少なく幅1・2mの静かな林道という感じのいい雰囲気です。途中に<崖><林間>と手書きされた案内板がありました。さて~どうしよう。と立ち止まっていると後ろから西アジア系?の若者グループがバタバタと下ってきて、案内板の前で止まりました。~天守、見えますか?~「レフト、デンジャレスコース。ライト、セイフティコース。」・・・伝わってるのかなぁ?「OK!‼デンジャレスコース。イェ~イ‼ キャッホ~!!」叫びながらすごい勢いで下っていきました。((´∀`*))わたしも崖コースにしよっ。この一部だけがチャートになっていて、絶景の見晴らしと崖の上の天守が見えるのです。今までの登山道は天守は林で見えなかったので、この景色は最高です。少し下ると林間コースと合流し、その後は林道ハイキングコースへ、後半は等高線様にのびのびと歩けました。そして七曲り道に合流して麓へ下りました。下山は1時間くらいかかりました。次回は是非登ってみたいと思う<唐釜登山道>です。
January 16, 2018
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岐阜県の<苗木城>に遠足に行ってきました。息子が高校の時、クラス役員になって知り合ったママ友4人でドライブです・・・ママ友というよりオバ友ですわ^^;ずいぶん前から予定した遠足。世話役としては急に冷えてきた気候が気がかり、どうか晴れますように~と祈ります。平日なので(11月16日)人はまばらです。駐車場から10分ほど登ると視界が開け、逆光の中に天守閣跡のシルエットが浮き上がります。初めて苗木城跡を見たのは今年の春まだ浅い頃でした。感動でした。今まで何回も近くを走る中央道を往復していたのに、まったく知らなかった苗木城跡。小高い山の上に岩を抱き込むように建てられた天空の城です。こに時期は朝もやの中に浮かぶ城を狙ってカメラマンが訪れます。石垣好きにはたまらない眺め。城マニアの話題になりだしたのは、ここ10年くらいでしょうか。観光地化されず、じかに感じることが出来ます。~大矢倉跡~それでも石垣が崩れたり、修復中の箇所もありますが昔のような<のずら積み>はもぅ味わえませんね。天守閣から見下ろす大矢倉跡の石垣、異国の様に思えたり。ここも自由に足を踏み入れられますが、写真では見えない奥の一部が崩れていて立ち入り禁止のロープが張ってありました。~東:中津川駅・恵那山やヘブンスそのはら方面~苗木城は城を持つ藩で一番石高が少なかったとか、石高わずか一万石。城郭自体は小高い山の上の小さいものですが、巨岩を上手く利用した力強い石垣、南の木曽川、四方の山々の大パノラマがスケールを大きくしています。~西:この後行く、恵那峡や美味しいもんのある方向~乗り出して見えるのは中津川市<上地>地区の家並です。なんか心温まる~この景色が好きです。観光で来たおじ様・おば様達、石段に(*´Д`)ハァハァ言いながら、天守の高さに驚きながらも、「素晴らしい~」「こんな所があったなんて知らなかったねぇ~」の連発です。~天守閣跡から見下ろした上地の家並み~お天気に恵まれて、雲が次々と流れてきますがそれも表情があって面白いですね。「雲が3Dみたいだ~」と楽しそうにカメラを向けるオバ友^^急に北から突風が吹いてきました@@木の葉が、はらはら、ひらひら、くるくる、上地の家々に舞い降りていきます。「葉っぱの吹雪みたい~」と感動して喜ぶオバ友^^まるで金箔の様に輝く木の葉。ほんの一瞬でした。写真や動画にとってもスマホでは写りませんでした。残念。
November 23, 2017
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近頃、話題に上る<鶏足寺>に紅葉狩りに行きました。長浜市木之本町古橋地区、稲刈りの終わった田んぼ、赤い柿、肩を寄せ合うように家並み、普段は静かな里でしょう。道がだんだん細くなります。15日からがもみじ祭り本番なので、12日は特に案内係りの方もなく、普段は空き地と思われる駐車場を探して車が行ったりきたりしています。9:30に着いたので近い所に停められました。まずは、與志漏(よしろ)神社にお参り。この辺りが中心かな?案内所やトイレがあり案内板もあるのでここで進む方角チェ~ック。この山里全体が遊歩の場です。旧鶏足寺跡は己高山(H923m)に登る途中にあるようですが、今回は案内所から900mの別院だった旧飯福寺跡に向かいます。今はここを鶏足寺と呼んでいるのですね。まだお祭り前だからかな? 田んぼ道の脇で地元の人が品物を並べています。唐辛子、奈良漬、里芋、大根、木の実や枝の手作り品・・・100円^^村中をあちこちと歩いて、見て、トイレを使って・・・地元に何も還元しないのは申し訳ない。せめてもとお土産を買ったり、お賽銭を入れました。15~30日の間は200円/人の協力金を募るそうです。この先にお寺があったのだろうか?と思いながら細い坂道を上がります。途中、お茶畑があり白い花が咲いていました。このお茶は石田三成ゆかりの三献茶として販売されています。平安時代鶏足寺を再興した最澄が薬師鎮座にふさわしい薬の木として茶の木を植えたのが始まりと伝えられています。~参道入口から奥を見る~鶏足寺(旧飯福寺)は、735年僧行基によって開基された古寺。いったん荒廃するが、799年最澄により再興。山岳仏教の聖地として威容を誇った己高山鶏足寺別院の一つ。室町期には僧坊百二十字を容する大寺院となり、湖北仏教文化圏の中核として隆盛を極め、小谷城主浅井家三代、次いで豊臣家の祈願所となる。しかし、地理的悪条件から次第に衰退し、最後に残った本堂も昭和8年に焼失する。~参道奥から入口を見る~写真でよく見る、紅く染まる参道はすぐ手前にありました。人が中に入らないように、一等のポイントは立ち入り禁止にしてあります^^本番は11月中旬~下旬とありましたが、青空と言いモミジと言い、今日が最高かな~( ´艸`)光が作り出す<赤>、逆行で透かして撮ると葉っぱが宝石のようで何とも綺麗です。光のおかげの贈物であり、光の悪戯であり。みんな撮るのに熱中しています。参道は石段を登って上がれ、塔頭あとの石垣とモミジの木々のみ歴史を感じさせてくれます。この参道がメインの様で、UPされる写真がもみじが多く建物がないのは寺跡だからですね~~参道を登る~そして石道寺へまわります。旧木之本町の東方にある己高山(こだかみやま、923m)の山頂および西麓一帯には、古代から中世にかけて多くの寺院が建立され、天台系山岳信仰の聖地でした。石道寺も己高山関連寺院の一つで、もとは現在地よりさらに1kmほど東の山中にあったが、信長の兵火や大水などと災難続きました。大正3年、里人によって本堂を現在地に改築し、石道観音堂を合併し新石道寺が誕生しました。寺は地区住民により守り続けられています.~石道寺~北琵琶湖地方ははかつて観音信仰が盛んだったので、今でも住民が守っている観音さまが何か所もあります。石道寺の十一面観音様(国の重要文化財)を拝観。作家・井上靖が、村の娘さんの姿を借りていると表現されました。~素朴で、優しくて、ほれぼれするような魅力をお持ちになっていらっしゃる。野の匂いがぷんぷんする。~「星と祭」より素朴でなんてかわいい。普段は人気のないお堂の中で静かに佇んで、訪れる人をそっと待っているような観音様です。~パンフレットより~もみじを見上げてスマホを構えていたら2時間も過ぎていました。お腹が空きました。長浜で昼飯にしましょう。帰りは溝にタイヤを落とした車のせいもあってか、鶏足寺に向かう車は大渋滞でした@@さて、この週末のモミジの赤と人出はいかほどでしょう・・・
November 15, 2017
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長野県阿智村<富士見台高原>に初めて行ってきました。11月3.4.5日は行楽日和で、どこも沢山の人でした。5日は雲も無く風も無く、申し分ありません。富士見台はH1.739m、トレッキングの聖地だそうで~中央道園原インターから5分、駐車場(無料)に9:30に着きました。<展望台 8時 2℃> ブルッ;;ダウンやマフラー手袋としっかり防寒している人が羨ましい、冷気です。まず、ロープウェイで<ヘブンスそのはら>の山頂駅へ向かいます。15分 1.100円山麓駅はH800m 山頂駅は1.400m その差600mです。~いわなの森へ~目の前に広がる紅葉、朝日に照らされる山並み、雲ひとつない碧い空。視界が徐々に広がり素晴らしい眺めです。黄葉の見ごろは10月中旬~11月中旬、まさに「今でしょ!」今朝あたりは霧か雲海が出たのではないでしょうか。山頂駅を降りると平地が広がり、ロッジやセンターハウスがあり、ここがスキー場なのを思い出しました。<いわなの森>に寄り道です。小川が流れ小さな池が幾つかあります。林の中に敷木をした遊歩道。所どころ凍っていて、尻もちをついてしまいました^^;;一回り2.5kmですが、こちらまで来る人は少ないですね。ここに来たら是非、手前にある池まで歩いて南岸から見てほしいなぁ~美しい水鏡は息を飲みます。ここから展望台(H1600m)まではリフトで行けますが(400円)50分ほど歩くことにしました。りんどうコースは砂利道、晩秋の景色で静かです。山頂の見ごろは10月下旬でしょうか。~りんどうコース~から松、白樺、足元には熊笹。「夏はリンドウが咲くのかな~」と思ったらスキーの林道コースだそうで~( ´艸`)時折下ってくる人がいても、上る人には会いません。雲ひとつなく、陽が登ってくると暑くなってきました。リフトでは7分。展望台からの眺めは東南に広がります。展望台からはマイクロバス2台が山小屋<萬岳荘>までを往復しています。3.8kmをバスで20分。1時間に1本です。1時間ほど、またテクテクと登ります。道は舗装にかわりますが、バス以外は通らないので歩きやすいですね。折角登ってきたのに、下ったりまた登ったり・・・~萬岳荘~高い木が少なくなって、もぅそろそろかな。神坂山への林道と交差したら、山小屋が見えてきます。1階が駐車スペース、2階がデッキと交流スペースなど、3階には素泊まりの宿泊部屋が5つあります。珈琲とおでんのあるお店?もありました。デッキで飲んでくつろぐ人たち、いい顔してます。さぁ、頂上はもぅ少し。遠目にゴルフ場の様に見えたのは熊笹でした。ここからは頼る乗り物はないので、自分の足で1.8km30分かけて登るのです。道は白い石が多く、擬木の階段は不安定で歩きにくいです。お散歩スタイルの人、ロープウェイも使わずに登ってきた人、縦走してきた大きなリュックを背負った人・・・様々です。~富士見台高原~すごい。360度の大パノラマですよ~~神坂山~手が伸びるすぐそこに神坂山。その向こう、東には南アルプス、赤石岳・北岳・仙丈ケ岳・甲斐駒ヶ岳。八ヶ岳。北側に常念岳・焼岳・奥穂高・御嶽山。西ははるか向こうに、伊吹山・白石連峰。南に恵那山。パンフレットに照らして聞いたことのある山だけ連ねてみましたが、2000~3000m級の山がズラリと見えます。山登りはオバハンには大変 (´;ω;`)ウッ…泣き言いいながら3時間、ヨレヨレと登ってこれました。さて、下りましょう。ところがタッチの差でバスに乗り遅れ、展望台まで歩くことになりました(´;ω;`)こうなると疲れがにじみ出てテンション急降下⤵3時を過ぎると薄暗くなってきます。バスもロープウェイも最終時間は4時頃なので下山はお早めに。
November 11, 2017
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10月は台風がふたつも。上旬の晴れた日、琵琶湖畔を歩くのを早めに切り上げて、寄り道をしました。~写真集より~JR高月駅から歩いて10分。静かな集落の中に渡岸寺はあります。この小さなお寺さんに国宝十一面観音像が祀られています。時は天平、聖武天皇の時代に疱瘡が流行、死者が相次いだので天皇は除災の祈祷を命じます。泰澄は観音像を刻み一宇を建てて祈祷しました。~どうがん寺山門~時は元亀、浅井長政と織田信長の戦火で堂宇は焼かれ寺領は没収され、寺は廃滅してしまいます。戦乱の中、住職と地元住民は観音様を運び出し、堂がないので土に埋めて難を逃れました。その後、真宗に転じ、光源寺を廃し向源寺を建て、秘仏として守られてきました。そして昭和28年国宝指定、48年に慈雲閣(収納庫)に収められました。~本堂と奥:慈雲閣~境内は里のお寺という感じ。ここに国宝があるとはおもえません。失礼m(__)m収納庫は火事にもまけず、風雨にも、窃盗にも負けず、「絶対に守る!」という意気込みです。中は撮影禁止。温度湿度が管理され光も絞ってあります。保護ガラスも無く、目の前で椅子に座って見る、ただ静かに拝見する。仏像の好きな方にはたまりません^^係りのおじさんが隅に静か~に座っていますが、声をかけると親切に対応してくれます。私は仏像に疎いのですが、この美しさはわかります。約2メートル。一本掘りで、耳飾りを付け、腰を軽く左にひねり、衣の曲線がとても綺麗。力強い中に優しさを秘め、色っぽさを感じます。十一面観世音菩薩は頭の上に10または11の小面、化仏を持ちます。その化仏が、またまた精巧で小面それぞれの表情が生きているようで見入ってしまいます。背後に回ると暴悪大笑相の面、不意を突かれてハッと驚きました。
November 2, 2017
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琵琶湖畔を一回り、彦根から右回りで区切って歩いています。前回は春、賤ケ岳を過ぎた高月市で足を揃えました。今回は道の駅<湖北みずどりステーション>に駐車して、<高槻市磯野>まで戻って歩き始めることにしました。同じ道を往復するのは芸がないので、山本山から尾根を歩いて続きの場所まで戻ることにしました。~山本山~道の駅から東へまっすぐ1キロ歩くと山本山です。海苔みたいな名前の小高い山です。麓の小さな神社から登山道。~山かかしの子供~かわいい山ですが、この山は歴史に残る<賤ケ岳・しずがたけ>まで続いており約10kmの尾根を歩く、<近江・湖の辺の道>になっています。登り始めは結構な急坂で、足が弱ったものだと感じさせられました。~最初はこんな坂もあります!~山本山はH324.9m朝日山・田中山・白山優美な形が琵琶湖のどこから見てもわかることから見当山とも言われています。地上と湖上を見渡せる重要な位置にあることから平安時代から戦国時代にかけて山城が築かれ土塁と切掘りが古城の姿をとどめています。木立の間から琵琶湖が見えます。左が竹生島、右端桜で有名なが奥琵琶湖の大崎辺り、薄く見える向こう岸から歩いてきたのですね~~二の丸~急坂を上がると小さな二の丸、唯一開けた場所です。ほどなく本丸、ベンチが濡れているので先に進みます。実は先を急ぎたいのにはもぅ一つ、登山口で踏みそうになった<ヘビ>と<イノシシ>が気になって~山のあちこちにイノシシの掘り跡があって、それは今朝、掘ったばかりで、そうとうの大家族か、よほど威勢がいい大物がいるようです。~長浜市、向こうは北陸~山にはドングリや栗が沢山落ちています。これを食い漁っているんだな~道を掘り起こし、食べカスが散乱し、何しろひどい。腰を下ろしておやつを食べているところに、おしりガブリも突進してドスンも勘弁してよ~です。本丸からはやや下り、あとは尾根を歩きます。光の入らない尾根、賤ケ岳までハイキングする方が6.7人、追い越していきました。~山本山の尾根は古墳が続く~途中、<西野>集落に通じる道から下りました。尾根には古墳が幾つも続いてあるようで、専門の看板も立っていたが、どこが古墳か見分けられず、多分小さな墓が足元にあったのでしょう。唯一、盛り上がった前方後円墳があり、そのわきの山道を降りました。かつて米を担って山を越え、湖畔へ運ぶのに使った道。西野からは車道を避けて農道を歩きます。のん気でご機嫌な田んぼ道、もぅ稲刈りは終わり、大豆畑は茶色くなるのを待っている。トンネルを超えると湖畔。キラキラと水面が輝き、日差しが暑い。左回りのバイクや自転車の若者と次々にすれ違う。ほどなくして道の駅に戻りました。おやつに稚鮎の天ぷらを頂く。美味。本日は6kmあまり。この辺りは線路から離れるので、つなぎがうまくいかなくてなかなか進めないですね。
October 21, 2017
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~上空~秋は夕焼けが綺麗ですね。仕事中、裏口の小さな窓から見える西の空。少し経ったら、また見に来よう。もっと紅く、もつと魅惑的な雲になるはず。仕事に戻って、また見に行くと、もぅ真っ暗です。陽が短くなりました。太陽はポトン。と落ちます。~東の空~9月の半ば、台風が日本を縦断した16日の写真です。九州に上陸した時の尾張地方の夕焼け。この辺りに台風が来たのは、この翌日の17日の夜でした。台風が来る前に空全体が真っ赤に染まりました。こんなすごいの見た記憶がありません。買い物の帰り、田んぼの中でしばし見上げていました。西だけにとどまらず、東も南も北も、ぜ~んぶ真っ赤です。早々と家路を目指す人たちが追い越して行きます。(オバはん、何してんだぁ~?)なんて思いながら・・・暗くなるとピンボケしてしまいますね。刻々と陽が沈み、赤い色が黒みがかり、沈んだ夕焼けになっていきます。早い、はやい。綺麗な雲もあっという間に鮮やかさを失う。同じ色、同じ形はもぅ無い。雲を目で追いながら、台風はどの進路をとるのだろう・・・翌日からの旅行はキャンセルした方がいいかな・・・さぁさぁ、暗くなる前に帰らなくちゃ~なんて思いながら撮った写真です。~追記~台風が接近する中、母を迎えに行き、長野の宿に着くことができました^^
October 2, 2017
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アートの島、愛知県佐久島へ行ってきました。スッカ=ッ‼と晴れ渡る空と海・・・だったら最高だけどこの日は曇り空、ムンムンした暑い日でした。佐久島は素朴な島です。 ~西尾市一色町の船乗り場~三河三島と呼ばれる、日間賀島・篠島・佐久島。観光と漁業で栄える日間賀島・篠島は南知多町、師崎港から渡るけど 佐久島は西尾市、佐久島行き船乗り場から渡ります。市営の渡船は2隻、定期的に運行しています。カーフェリーではないので車での渡島は出来ません。~東港~定員は何人だろう・・・夏なので子供連れが仰山、乗り切れなくて臨時船も出ました。小さな船のデッキに上がったものの、子供連れで満杯まるで難民船みたいだね・・・乗る事20分、風に吹かれて苦笑^^;;です。佐久島には東港と西港があります。予約した民宿のある東港で降りることにしました。この辺りが島の中心みたいですね。 ~№15 イーストハウス~島には信号がありません。コンビニ?もちろんありません。終戦頃までは1500人程いた島民は今は250人弱でしょう。日間賀島・篠島の人口が横ばいなのに比べてここは更に過疎化が進みそうです。1985年 24軒の宿泊施設は(2軒の旅館と22軒の民宿)2011年(平成23年)には8軒(2軒の旅館と6軒の民宿)まで減少。今は・・・~主はもぅ居ない~島は80%が里山で、島の南側に住居が集まっています。島をぐるりと回る道があり、所々に20余のアート作品が点在。アートの島、パワースポットとして売り出して、ずいぶん経ちます。自転車で1.2時間、歩くと3.4時間で周れますが、ゆっくり見たり海辺で遊んだりしていると1日がかりになるかも。私たちは幼児を含む12人の御一行。民宿で無料の自転車を借りました。島の移動に自転車はポイント。レンタル自転車は港を中心に沢山あります。~№13 カモメの駐車場~「西港まで行こう!」と張り切っていたのに暑いし、お腹は空くし、子供たちの機嫌は悪いし・・ギブUP。古民家のかき氷やさんで休憩して、宿にイソイソと戻ります。~№8 おひるねハウス~自転車が古すぎたな~まぁ、タダだからしかたないか。でも民宿はとっても良かった。冷えた広間を10~15時まで利用させていただきました。^^昼飯代だけで・・・助かりました~~大あさり 本名はウチムラサキ~島の名物は<大あさり丼>愛知に来て、大あさりを見た時は、ビックリしました。大きくて歯ごたえがあり、醤油焼きもチーズ焼きも旨しです。更にフライにして甘ダレをかけたどんぶり‼ 最高~実はこれを食すのも目的の一つ。12名の昼飯の予約にOKしてくれて<さざなみ>さん、感謝です。~生ビールが進むよ~昼飯後は、暑さに負けてクーラーの中で昼寝する組と島の東側を散策する組に分かれました。~筒島~小さな弁天島に渡る。夏の神社^^;;という感じです。薄雲でも日向はかなり暑いですね・・・春や秋が散策に向いているのではないでしょうか。軽食やお菓子を持って船で渡る。のんびり島をめぐる。気ぜわしい日常を離れる。日間賀島、篠島、佐久島それぞれの島感があり、離島感が最もあるのは佐久島です。次に来るときは、青い写真を撮りたい、ぐるりと一周したいな^^~コールタールを塗った黒壁の家~
July 29, 2017
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6月初め、3歳からの幼なじみに会いに上京しました。5年ぶりに会います。彼女の家族に会うのは15年ぶりです。外国人と結婚した彼女は苦労をしました。周囲の理解に、金銭的に。~上野駅からバスで~安アパートからマンションを買い、加えてもう一軒、家を建てました。彼女はとても頑張り屋さん。家族で力を合わせてきたのが目に浮かびます。その新築祝いの上京です。武蔵野を散歩して陽が落ちてからお宅訪問。一泊させていただき、みんなとゆっくり話しました。桃オバの行きたいところに同行するよ^^という言葉に甘えて、谷中・根津・千駄木のぶらぶら歩き^^と即答♪~お煎餅やさん~翌日、上野駅からバスに乗りました。流石、東京。バス代は安いし、バス停の間隔が近いちかい。多分歩いた方がよかったでしょう。バスは大通りを走るので下町風情の残る路地は味わえません。適当な所で降りますが、まず歩き地図をゲットする方がよかったね。寄りたいのは根津神社。所狭しと住居やお店が軒を連ねている。気ままに右へ左へ歩いてみます。日曜日のためか、混んでいます。外国人も多いですね。~かわいいたわし屋さん~蛇の道を歩く。一歩入ると肩を寄せ合うように住居が並び、生活を邪魔したら申し訳ない、静かに歩きます。一角をお店に替えた家もあって覗きたくなりますね。腰があってお気に入りの<束子>とユーミンお買い上げの<油で揚げてないかりんとう>を購入。根津神社は1900年近く前に創祀したと伝わる古社現在の社殿は1706年の創建。5代将軍徳川綱吉の養嗣子に家宣(6代将軍)が入ったため、元の甲府藩邸の屋敷地が献納され、「天下普請」と言われる大工事で社殿が造営された。~乙女稲荷神社~緑の多い境内の端に紅一点、鳥居が目を引きます。この辺りに住んでいた森鴎外や夏目漱石も散歩をしたのでしょうか。谷中・根津・千駄木の小路を網羅したい気分でしたが、幼なじみは日々の残業と腰痛でお疲れの様子・・・歩くのは切り上げて「是非‼」と名所に連れて行ってくれました。バスで移動したのですが、都会のバス停は判りにくいですね^^;一つの交差点に同じ名前のバス停が何か所もあって、全体の地理というか、方角を押さえてないと混乱します。人に聞いたりバスセンターに電話してやってきました。ひと時よりも聞かなくなったスカイツリー。一度は上ってみたかったと思っていました。富士山は見えないけれど、東京湾が見える。びっしりと建つビルやマンション、小さくみえる家・・・みんな働いているんだな~みんな生活しているんだな~ぐるり見下ろした東京は整然として、とても綺麗でした。
July 5, 2017
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さてさて、ちひろ美術館を後にして吉祥寺に向かいます。4キロ 1時位かな?閑静な住宅街をスマホ片手に歩きます。学生の頃、中央線の窓から見ていた街並みを歩く。なんだか心弾みます。吉祥寺のアーケード街は30年前の面影が残ります。安かわいい服を買った店やLP盤をカセットテープにコピーしてくれる路地裏の怪しげな店はもうありません。(LPで300円。これ完全に違法ですね~)よく行った映画館はどこだろう。南口はバスと人でバタついてます。警備のおじさんたちが誘導している、懸命に。公園への緩い坂道はオープンタイプのお店がお洒落。でも公園はそのまんまです。<俺たちの旅>で有名になったあの噴水も健在。ボートも茂った木立も、水も風も。向こうにジブリ美術館が出来ましたが、あたしはここまで。ゆっくりと公園を一周、20歳の頃を歩きます。週末の井之頭公園中古品を売る人、手作り品を売る人、パフォーマンスする人・・・そろそろ5時、お終いの時間です一等いい場所でバイオリンを弾きだした人オープニングはユーミンのひこうき雲です30年前、何度もカセットデッキで聞いた荒井由実腰を下ろして最後の曲まで聞いていました。「ありがとう」のメモとほんのお礼を箱に入れました。誰もに、ゆるりとした時間が流れていました。土曜日の昼下がり、素敵なお散歩が出来ました。♪ひこうき雲♪白い坂道が空まで続いていたゆらゆらかげろうが あの子を包む誰も気づかず ただひとりあの子は昇っていく何もおそれない そして舞い上がる空に憧れて 空をかけてゆく あの子の命はひこうき雲♪ 荒井由実 ♪
June 28, 2017
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学生の頃に住んでいた武蔵野幼なじみの新築祝いに上京した際に懐かしい吉祥寺に寄りたくなりました。グーグルで周辺を検索4キロほど北、練馬区下石神井に<いわさきちひろ美術館>があるではありませんか^^新宿駅で西武新宿線に乗り換えて上井草駅で下車。武蔵野に拡がる静かな住宅街です。スマホは本当に便利ですね~学生の頃の行動範囲なんてしれてました。あの時、スマホがあったならあちらこちら歩いてみたかった東京です。住宅や畑のある路を曲がって曲がって10分足らず美術館はいわさきちひろが最後の22年間住んでいた住居兼アトリエ後に建っています。周りと調和した建物は見落としてしまいそうです。内部は幾つかに小さく区切られちひろの作品部屋・ちひろのアトリエ世界の児童画家の作品部屋ちひろの絵本部屋・子供の部屋・販売所・喫茶コーナー・・・電車を乗り継いで、もう3時。朝飯を食べて11時過ぎの新幹線に乗ったきりだから腹ペコ、のどはカラカラです。まずは、一休み。絵画は撮影禁止ですが1部屋だけ撮影可能の部屋があります。高畑勲氏による発案で、絵を拡大して鑑賞するという部屋。複製技術ですごく大きくされた絵は4畳6畳という大きさです。ちひろの絵は小さいものが多いので明るい照明の中で見るこれらの絵は壮観です。子供を絵の前に立たせて絵の中の子供達に入れ込んでカメラするママ。なんてかわいい。1977年に開館した美術館は、世界初の絵本美術館。2002年には公開スペースを拡げてバリアフリーとする今の建物になりました。こじんまりとした展示室ですが、季節と共に ちひろの作品や世界の画家の展示も替えられます。そして小さなお庭に植えられた草花も折々替わる。いつ来ても楽しい美術館ではないでしょうか^^初めてちひろの絵を見たのは10歳の時。小学校の教師をしていた叔母からいただいた本でした。娘の名前は千紘(ちひろ)です。さてさて、美術館を後にして吉祥寺に向かいます。4キロ 1時間のお散歩。
June 26, 2017
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