元MONOZUKIマスターの独白

元MONOZUKIマスターの独白

第三篇第二一章


P605L1
 蓄積が個々の資本家にとってどのように行なわれるのかは、第一部で明らかにした。商品資本の貨幣化によって、剰余価値を表わしている剰余生産物も貨幣化される。こうして貨幣に転化した剰余価値を、資本家は自分の生産資本の追加現物要素に再転化させる。次の生産循環では、増大した資本が増大した生産物を供給する。しかし、個別資本に現われることは、年間総生産でも現われざるをえないのであって、それは、ちょうど、われわれが単純再生産の考察で見たように、個別資本の場合にその消費された固定成分が積立金として次々に沈殿して行くということの社会的再生産でも現われるのと同様である。・・・・・そのさい次のことが前提されている。(1)与えられた技術的諸条件のもとでは、機能している不変資本の拡張のためであろうと、新たな産業的事業の創設のためであろうと、この額で十分だということ。・・・・・(2)拡大された規模での生産が事実上すでに前もって行なわれているということが前提されている。なぜならば、貨幣(貨幣で積み立てられた剰余価値)を生産資本の諸要素に転化させることができるためには、これらの要素が商品として市場で買えるものになっていなければならないからである。・・・・・しかし、実際には彼はただ単純な貨幣蓄蔵を行なうだけで、それは現実の再生産の要素ではない。そこでは彼の働きはさしあたりただ流通している貨幣を次々に流通から引きあげて行くことだけである。といっても、もちろん、こうして彼がしまいこんでしまう流通貨幣がそれ自体また――流通にはいる前には――別の蓄蔵貨幣の一部分だったということが排除されているわけではない。このようなAの蓄蔵貨幣は、潜勢的には新たな貨幣資本であっても、それが追加の社会的富でないことは、ちょうど、それが消費手段に支出されるような場合と同じことである。・・・・・それが新たな富でないことは、ちょうど、貨幣が、単純な商品流通の立場から見れば、一日に10回回転して10個の別々の商品価値を実現したからといって、その現在の価値の担い手であるだけでなくその10倍の価値の担い手であるというわけではないようなものである。商品は貨幣がなくてもそこにあるのであり、そして貨幣そのものは、1回転しようと10回転しようと、元のままである。(またはむしろ摩滅によってもっと小さくなっている)。ただ金の生産においてのみ――金生産物が剰余価値の担い手である剰余価値生産物を含んでいるかぎり――新たな富(潜勢的な貨幣)がつくりだされるのであり、また、ただ新たな金生産物全体が流通にはいるかぎりでのみ、それは潜勢的な新たな貨幣資本の貨幣材料を増加させるのである。
 このような、貨幣形態で積み立てられた剰余価値はけっして追加の新たな社会的富ではないにもかかわらず、それが新たな潜勢的な貨幣資本を表わしているのは、その積み立ての目的とされる機能のためである。(新たな貨幣資本が剰余価値の漸次的貨幣化とは別の仕方で生ずるということもありうるということは、後に見るであろう。)

  第一節 部門1での蓄積
   一 貨幣蓄蔵
P609L1
 部門1を構成している多数の産業部門のなかの諸投資も、これらの産業部門のそれぞれのなかのいろいろな個別投資も、それらの規模や技術的条件や市場関係などをまったく無視すれば、それぞれの年齢、すなわちそれぞれのすでに経過した機能期間に応じて、それぞれ、剰余価値が次々に潜勢的な貨幣資本に転化していく過程のいろいろに違った段階にあるということは明らかであって、この貨幣資本がその投資の機能資本の拡大かまたは新たな産業事業の創設か――生産の拡大の二つの形態――のどちらに役だつことになろうとも、このことに変わりはないのである。だから、資本家たちの一部分は適当な大きさに成長した自分の潜勢的な貨幣資本を絶えず生産資本に転化させており、言い換えれば、剰余価値の換金によって積み立てられた貨幣で生産手段すなわち不変資本の追加的諸要素を買っているのであるが、他方、資本家たちの他の一部分はまだ自分の潜勢的な貨幣資本の積立てをやっているのである。だから、この二つの部類のそれぞれに属する資本家たちは、一方は買い手として、他方は売り手として、そして両方のそれぞれがどちらか一方の役割を担って、相対しているのである。
 たとえば、Aは600(=400c+100v+100m)をB(これは一人よりも多い買い手を代表していてもかまわない)に売るとしよう。Aは600の商品を売って600の貨幣に替えたが、そのうち100は剰余価値を表わしており、彼はこれを流通から引きあげて貨幣として積み立てる。しかし、この100という貨幣は、ただ、100という価値の担い手だった剰余生産物の貨幣形態でしかない。貨幣蓄蔵はけっして生産ではなく、したがってまたもともとけっして生産の増加分ではない。そのさいこの資本家の行為は、ただ、100という剰余価値を売って得た貨幣を流通から引きあげてそれをしっかり手もとに差押えておくということだけである。このような操作は、単にAの側で行なわれるだけでなく、流通部面の多数の点で別の資本家A´やA´´やA´´´によっても行なわれ、彼らはみな同様にせっせとこの種の貨幣蓄蔵に励むのである。これらの多数の点で貨幣が流通から引きあげられて多数の個別的な蓄蔵貨幣または潜勢的な貨幣資本として積み立てられるということは、またそれだけ多数の流通障害となるかのように見える。というのは、それらの点は貨幣を不動化して、長短の期間にわたってその流通能力を奪うからである。だが、単純な商品流通の場合でも、それが資本主義的商品生産という基礎の上に置かれるよりもずっと前から、貨幣蓄蔵は行なわれているのだということを考えてみなければならない。社会に現存する貨幣量は、そのうちの現実に流通している部分よりもつねに大きい。といっても、この部分は事情に応じてふえたり減ったりするのではあるが。これと同じ蓄蔵貨幣を、そして同じ貨幣蓄蔵を、われわれはここで再び見いだすのではあるが、しかし、今度は資本主義的生産過程に内在する一契機として見いだすのである。
 信用制度のなかで、すべてのこれらの潜勢的な資本が、銀行などの手に集積されることによって、利用可能な資本、貸付可能な資本[“loanable capital”]、貨幣資本になるとすれば、しかも、もはや受動的な資本にではなく、また未来音楽としてではなく、能動的な自己増殖的な資本になるとすれば、その満足は察せられるであろう。

   二 追加可変資本
P615L4
・・・・・単純再生産の場合には、全剰余価値1が収入として支出され、したがって商品2に支出されるということが前提された。したがって、剰余価値1は、不変資本2cをその現物形態で再び補填するべき生産手段から成っていた。そこで、単純再生産から拡大再生産への移行が行なわれるためには、部門1での生産は、2の不変資本の諸要素をより少なく、しかしそれだけ1の不変資本の要素をより多く生産できるようになっていなければならない。この移行は必ずしも困難なしに行なわれるものではないが、しかし、それは、1の生産物のあるものがどちらの部門でも生産手段として役だつことができるという事実によって、容易にされるのである。

   三 追加可変資本
P620L15
・・・・・また、やはり第一部で詳しく述べたように、与えられた一資本が蓄積によらないでその生産量を拡大することも、ある限界のなかではできる。しかし、ここでは独自な意味での資本蓄積が問題なのだから、生産の拡大は剰余価値の追加資本への転化を条件としており、したがってまた生産の資本基礎の拡大を条件としているのである。

  第二節 部門2での蓄積
P622L18
・・・・・だから、われわれが社会的総再生産――それは資本家1をも2をも一様に含んでいる――に目を向けるならば、A(部門1)の剰余生産物が可能的な貨幣資本に転化するということは、価値量から見てそれに等しいB(部門2)の商品資本が生産(不変)資本に転化できないということを表わしているのである。つまり、可能的に拡大された規模での生産を表わしているのではなく、単純再生産の阻害を、すなわち単純再生産における不足を、表わしているのである。A(部門1)の剰余生産物の形成や販売はそれ自身単純再生産の正常な現象なのだから、ここではすでに単純再生産の基礎の上でも次のような互いに制約し合う諸現象がみられるのである。すなわち、部門1での可能的追加貨幣資本の形成(したがって2の立場から見れば過少消費)。部門2での、生産資本に再転化できない商品在庫の固定(したがって2での相対的過剰生産)。1での過剰な貨幣資本と、2の再生産での不足。
 この点はこれだけにして、ただ次のことを一言しておくだけにしよう。単純再生産の叙述では、剰余価値1も2も全部収入として支出されるということを前提した。しかし、実際には剰余価値の一部分は収入として支出され、他の部分は資本に転化するのである。現実の蓄積はただこの前提のもとでのみ行なわれる。蓄積が消費を犠牲にして行なわれるということは、――このような一般的な言い方では――それ自身、資本主義的生産の本質に矛盾する幻想である。なぜならば、それは、消費が資本主義的生産の目的であり推進的動機であって、剰余価値の獲得やその資本化すなわち蓄積がそうなのではない、ということを前提しているからである。・・・・・このような商品在庫の形成は、たとえその大きさは変わるにしても、絶えず新たに行なわれなければならないのだから、われわれの資本家的生産者2は、自分の生産資本の一部分が一時は商品形態のまま寝ていても自分の生産過程を続行できるだけの貨幣準備資本をもっていなければならないのである。彼らは、前提によれば、商人的全業務と生産業務とを兼ねている。したがってまた、彼らは、再生産過程の個々の機能がいろいろな種類の資本家のあいだに独立化されていれば商人の手にあるような追加貨幣資本をも、自由に処分することができなければならないのである。

 第三節 蓄積の表式的叙述
P626L12
 まず次のような表式によって再生産を考察することにしよう。
           1 4000c+1000v+1000m=6000
     表式a)                  }合計=8252
           2 1500c+ 376v+ 376m=2252
 まず第一に気がつくのは、年間の社会的生産物の総額が8252で、第一の表式で9000だったのに比べて小さくなっているということである。これよりもずっと大きな額を仮定すること、たとえばそれを10倍にすることもできるであろう。表式1の額よりも小さい額を選んだのは、次のようなことを一目で明らかにするためにほかならない。すなわち、拡大された規模での再生産(これはここではより大きな投資で営まれる生産を意味するにすぎない)は生産物の絶対量とは少しも関係がないということ、この再生産は、与えられた商品量については、ただ、与えられた生産物のいろいろな要素の組合わせの相違またはそれらの機能規定の相違を前提するだけであり、したがって、価値量から見ればさしあたりは単純再生産にすぎないということを明らかにするためである。単純再生産の与えられた諸要素の量ではなくその質的な規定が変化するのであって、この変化が、そのあとにくる拡大された規模での再生産の物質的前提なのである。
 可変資本と不変資本との割合を変えて表式を別の形で示すこともできるであろう。例えば次のように。
            1 4000c+875v+875m=5750
     表式b)                     }合計=8252
            2 1750c+376v+376m=2502
 こうすれば、表式は、単純な規模での再生産に適するように配列したものとして現われ、したがって剰余価値は全部収入として支出されてしまい、少しも蓄積されないことになるであろう。どちらの場合にも、表式aでもbでも、年間生産物の価値量は同じであるが、ただ、一方のbの場合には年間生産物の諸要素の機能配列が再び同じ規模での再生産が開始されるようになっているのに、他方のaではその機能配列が拡大された規模での再生産の物質的基礎をなしているだけである。すなわち、bでは(875v+875m)1=17501(v+m)が残らず17502cと取り替えられるが、aでは(1000v+1000m)1=20001(v+m)が15002cと取り替えられるさいに部門1での蓄積のための5001mという超過分が残されるのである。

一 第一例
   A 単純再生産の表式
    1. 4000c+1000v+1000m=6000
                         }合計=9000
    2. 2000c+ 500v+ 500m=3000
   B 拡大された規模での再生産のための出発表式
    1. 4000c+1000v+1000m=6000
                         }合計=9000
    2. 1500c+ 750v+ 750m=3000
 表式Bでは1の剰余価値の半分、つまり500が蓄積されると仮定すれば、まず第一に、(1000v+500m)1すなわち15001(v+m)が15002cと取り替えられることになる。そこで1には4000c+500mが残り、この500mが蓄積されることになる。(1000v+500m)1が15002cと取り替えられることは、単純再生産の過程であって、すでに単純再生産のところで明らかにしておいた。
 5001mのうち400は不変資本に転化し100は可変資本に転化すると仮定しよう。このように資本化されるべき400mの1のなかでの転換は、すでに論究した。だから、それはそのまま1cに合体されてよいのであって、その場合には1では次のようになる。
     4400c+1000v+100m(この100mは100vに転換されることになる)
 2のほうでは蓄積の目的で1から1001m(生産手段として存在する)を買い、それが今度は2の追加不変資本になるのであるが、2がそれに支払う貨幣100は1の追加的可変資本の貨幣形態に転化させられるのである。そこで1では資本は4400c+1100v(後者は貨幣)=5500となる。
 2は今では不変資本として1600cをもっている。それを処理するためには2はさらに貨幣で50vを新たな労働力の買い入れのために追加しなければならない。したがって、2の可変資本は750から800に増大する。このような2の不変資本と可変資本との合計150の増大は、2の剰余価値から支弁される。そこで、7502mのうち600mだけが資本家2の消費財源として残り、彼らの年間生産物は次のように分かれる。
     2. 1600c+800v+600m(消費財源)=3000
消費手段として生産されここで(100c+50v)2に転換される150mは、その現物形態では全部労働者の消費にはいる。すなわち、前に詳しく述べたように、100は労働者1によって消費され(1001v)、50は労働者2によって消費される(502v)。2では全生産物が蓄積に必要な形態で調製されるのであるが、事実上そこでは剰余価値のうち100だけ大きい部分が必要消費手段の形態で再生産されなければならない。現実に再生産が拡大された規模で始まれば、1の可変貨幣資本100は1の労働者階級の手を経て2に還流する。これにたいして、2は商品在庫で100mを1に引き渡し、同時に商品在庫で50をそれ自身の労働者階級に引き渡す。
蓄積の目的で変えられた配列は今度は次のようになる。
     1. 4400c+1100v+500消費財源=6000
     2. 1600c+ 800v+600消費財源=3000
                       合計 9000――前記に同じ
 そのうち資本は次のようになる。
     1. 4400c+1100v(貨幣)=5500
                          }=7900
     2. 1600c+ 800V(貨幣)=2400
 ところが、生産は次のような配列で始まったのである。
     1. 4000c+1000v=5000
                     }=7250
     2. 1500c+ 750v=2250
 いまこの基礎の上で現実の蓄積が行なわれるとすれば、すなわちこの増加した資本で現実に生産が行なわれるとすれば、次の年の終わりには次のようになる。
     1. 4400c+1100v+1100m=6600
                          }=9800
     2. 1600c+ 800V+ 800m=3200
 次に1では同じ割合で蓄積が続けられ、したがって550mが収入として支出され、550mが蓄積されるとしよう。そこでまず11001vが11002cと取り替えられるのであるが、そのほかにまだ5501mが同額の商品2に実現されなければならない。したがって、合計は16501(v+m)である。しかし、補填されるべき2の不変資本は1600だけだから、余分の50は8002mのなかから補われなければならない。さしあたりは貨幣を考慮しないことにすれば、この取引の結果は次のようになる。
          1. 4400c+550m(資本化されるべきもの);その他に資本家および労働者の消費財源と 
して1650(v+m)があり、商品2cに実現されている
                            2. 1650c(すなわち前述のように2mから50が追加されている)+800v+750m(資本家の消                     費財源)
 しかし、2でのc対vの割合が元のままならば、50cにたいしてさらに25vが支出されなければならない。これは750mのうちから取られるべきものである。そこで、次のようになる。
      2. 1650c+825v+725m
 1では550mが資本化されなければならない。もし以前の割合のままならば、そのうち440は不変資本になり、110は可変資本になる。この110は結局は7252mから汲み出されるべきものである。すなわち、110という価値の消費手段は資本家2によってではなく労働者1によって消費されることになり、したがって資本家2は自分たちが消費することのできないこの110を資本化するよりほかはないことになる。そこで7252mのうちから6152mが残される。しかし、こうして2がこの110を追加不変資本に転化させるとすれば、2はさらに55の追加可変資本を必要とする。これもまた2の剰余価値のうちから出されなければならない。これを6152mから引き去れば、560が資本家2の消費のために残り、こうして、すべての現実の移転と潜勢的な移転とがすんだあとでは資本価値は次のようになる。
      1. (4400c+440c)+(1100v+110v)=4840c+1210v=6050
      2. (1600c+50c+110c)+(800v+25v+55v)
                           =1760c+880v=2640
8690
 事柄が正常に進行するためには、2での蓄積が1でのそれよりも急速に行なわれなければならない。なぜならば、そうならない場合には、1(v+m)のうち商品2cに転換されるべき部分が2cよりも速く増大することになり、しかもこの部分はこの2cとしか取り替えられないのだからである。
 この基礎の上で他の事情の変化なしに再生産が続けられれば、次の年の終わりには次のようになる。
      1. 4840c+1210v+1210m=7260
        }=10780
2. 1760c+ 880v+ 880m =3520
 剰余価値の分割比率が変わらなければ、まず1によって収入として支出されるべきものは、1210vとmの半分=605とで、合計=1815である。この消費財源はまたもや2cよりも55だけ大きい。この55が880mから引き去られることになり、825が残る。552mが2cに転化するということは、さらにそれに相応する可変資本=27 1/2が2mから引き去られることを前提する。そこで、消費のために残るのは797 1/22mとなる。
 今度は1で605mが資本化されなければならない。そのうち不変資本は494で可変資本は121である。この121が2mから引き去られることになり、2mは今まで797 1/2だったのが676 1/22mとなる。そこで2はさらに121を不変資本に転化させるのであるが、そのためにはさらに可変資本=60 1/2が必要になる。これもやはり676 1/2のうちから出て行く。そこで616が消費のために残る。
 そこで資本は次のようになる。
      1. 不変資本 4840+484=5324
         可変資本 1210+121=1331
      2. 不変資本 1760+ 55+ 121=1936
         可変資本 880+27 1/2+60 1/2= 968
      1. 5324c+1331v=6655
   合計                }9559
      2. 1936c+ 968v=2904
 そして、この年の終わりには生産物は次のようになる。
      1. 5324c+1331v+1331m=7986
                           }11858
      2. 1936c+ 968v+ 968m=3872
 同じ計算を繰り返して端数を切り捨てれば、次の年の終わりには生産物は次のようになる。
      1. 5856c+1464v+1464m=8784
                           }13043
      2. 2129c+1065v+1065m=4259
 そして、その次の年の終わりには次のようになる。
      1. 6442c+1610v+1610m=9662
                           }14348
      2. 2342c+1172v+1172m=4686 
 五年間にわたる拡大された規模での再生産を経て、1と2との総資本は5500c+1750v=7250から8784c+2782v=11566に、つまり100:160の割合で増加している。総剰余価値は最初は1750だったが、今では2782である。消費された剰余価値は、最初は1の580と2の600とで、合計=1100だった。それは最後の年には1の732と2の745とで、合計=1477になった。つまり、100:134の割合で増加したわけである。

 二 第二例
 今度は年間生産物を5000とし、それがすべて商品資本として産業資本家階級の手にあり、可変資本と不変資本との一般的平均比率が1:5になるような形態をとっているものと仮定しよう。このことの前提となるのは、資本主義的生産が、またそれに対応して社会的労働の生産力がすでにかなり発展しているということ、すでにその前から生産規模がかなり拡大されているということ、最後に、労働者階級のなかに相対的過剰人口を生みだすような諸事情のすべてが発展しているということである。このように仮定して端数を切り捨てれば、年間生産物は次のように分かれる。
      1. 5000c+1000v+1000m=7000
                           }=9000
      2. 1430c+ 285v+ 285m=2000
いま資本家階級1は剰余価値の半分=500を消費し、残る半分を蓄積すると仮定しよう。そうすれば、(1000v+500m)1=1500が15002cに転換されることになるであろう。ここでは2cは1430しかないので、剰余価値のうちから70を追加しなければならない。これが2852mから引き去られて、残りは2012mになる。そこで、次のようになる。
      1. 5000c+500m(資本化されるべきもの)+1500v(v+m)資本家と労働者の消費財源
      2. 1430c+ 70m(資本化されるべきもの)+285v+215m
 ここでは702mが直接に2cにつけ加えられるのだから、この追加不変資本を働かせるためには70/5=14の可変資本が必要である。そこでさらにこの14が2152mから出て行く。残りは2012mで、結果は次のようになる。
      2. (1430c+70c)+(285v+14v)+201m
 15001(v+1/2m)対15002cの転換は単純再生産の一過程であり、そのかぎりではもうかたづいている。とはいえ、ここではなおいくつかの特色を述べておく必要がある。すなわち、蓄積的再生産では1(v+1/2m)はただ2cだけとではなく2c・プラス・2mと取り替えられるということから生ずる特色がそれである。
 蓄積を前提すれば、1(v+m)は2cよりも大きいのであって、単純再生産のように2cに等しいのではないということは、言うまでもない。なぜならば、(1)1はその剰余生産物の一部分をそれ自身の生産資本に合体して、その六分の五を不変資本に転化させるからであり、したがってこの六分の五を同時に消費手段2と取り替えることはできないからである。また、(2)1は自分の剰余生産物のうちから2のなかでの蓄積に必要な不変資本のために素材を供給しなければならないからである。このあとのほうのことは、ちょうど、1の剰余生産物のうち1自信が追加不変資本として充用する部分を動かすべき可変資本のために2が1に素材を供給しなければならないのと同じことである。われわれが知っているように、現実の可変資本は労働力から成っており、したがってまた追加可変資本もそうである。資本家1は、奴隷保有者がしなければならなかったように自分が使用する追加労働力のために2から必要生活手段の在庫を買ったり、それを貯蔵しておいたりはしない。2と取引するのは、労働者自身である。しかし、このことは、資本家の立場から見れば追加労働力のための消費手段はただ彼が使用するかもしれない追加労働力を生産し維持するための手段でしかなく、したがって彼の可変資本の現物形態でしかないということを、妨げるものではない。資本家自身がさしあたって行なう操作、ここでは1が行なうそれは、ただ、追加労働力を買うために必要な新たな貨幣資本を貯えることだけである。彼がこの追加労働力を取り入れてしまえば、この貨幣はこの労働力にとっての商品2の購買手段となるのであり、したがって、その貨幣にたいして労働力のための消費手段がなければならないのである。

P642L1
 こいうわけで、1は2の追加不変資本を自分の剰余生産物のなかから供給しなければならないのであるが、2はそれと同じ意味で1の追加可変資本を供給するのである。可変資本を問題にするかぎりでは、2は、その総生産の、したがってまたことにその剰余生産物の、より大きな部分を必要消費手段の形態で再生産することによって、1のためにも自分自身のためにも蓄積するのである。
 増大する資本基礎の上で生産が行なわれる場合には、1(v+m)は、2c・プラス・剰余生産物のうち資本として再び合体される部分・プラス・2での生産拡張のために必要な追加不変資本部分、に等しくなければならない。そして、この拡張の最小限は、それなしには1自身での現実の蓄積すなわち現実の生産拡張が実行できないという大きさである。
 ところで、前に考察した最後の場合に帰れば、この場合の特色は、2cが1(v+1/2m)よりも小さく、すなわち1の生産物のうち収入として消費手段に支出される部分よりも小さく、したがって、15001(v+m)を転換するために剰余生産物2の一部分=70がすぐそれによって実現されるということである。2c=1430について言えば、それは、2での単純再生産が行なわれうるためには、他の事情が変わらなければ同じ価値額の1(v+m)によって補填されなければならないのであり、そのかぎりではここではもはや考察する必要はない。それを補う702mのほうはそうではない。1にとっては単に収入を消費手段と取り替えることであり、単に消費を目的とする商品交換であることが、2にとっては、ここでは――単純再生産のなかでと違って――単にその不変資本が商品資本の形態から不変資本の現物形態に再転化することではなくて、直接的蓄積過程なのであり、2の剰余生産物の一部分が消費手段の形態から不変資本の形態に転化することなのである。1が70ポンドの貨幣(剰余価値の転換のための貨幣準備)で702mを買っても、2はそのかわりに701mを買うことをしないで70ポンドを貨幣資本として蓄積するならば、この貨幣資本は、再び生産にはいって行く生産物の表現ではないにしても、とにかく追加生産物(すなわちそれを加除部分とする2の剰余生産物)の表現ではあるが、しかし、その場合には、2の側でのこの貨幣蓄積は、同時に、生産手段の形態にある売れない701mの表現でもあるであろう。そこで、このように2での側で再生産が同時に拡張されないことに対応して、1での相対的過剰生産が生ずることになるであろう。
 しかし、それは別として、1からきた70の貨幣がまだ2の側からの702mの購入によって1に帰ってこないか、またはその一部分しか帰ってこないあいだは、貨幣での70は、その全部または一部分が、2の手にある可能的追加貨幣資本として現われる。このことは、1と2とのあいだで行なわれるどの転換についても、両方の商品が互いに取り替えられて貨幣がその出発点に還流してしまうまでは、同様にあてはまる。しかし、貨幣は、事態が正常に経過するかぎり、ここではただ一時的にこの役割を演ずるだけである。ところで、信用制度のもとでは一時的に追加的に遊離させられた貨幣がすべてすぐに能動的に追加貨幣資本として機能することになるのであるが、この信用制度のもとでは、このようなただ一時的に自由になっている貨幣資本が拘束されることがありうるのであって、たとえば、1の新たな諸企業のために、1そのもののなかでまだ停滞している他の諸企業の追加生産物をそれが流動させなければならないようなときに、役だつことができるのである。さらに言っておかねばならないのは、不変資本2に701mをつけ加えるためには同時に可変資本2を14だけふやすことが必要だということである。このことの前提は――1で剰余生産物1mが直接に資本1cにつけ加えられる場合と同様に――、2での再生産がすでにいっそうの資本化への傾向をもって行われているということ、したがって、2での再生産が剰余生産物のうち必要生活手段から成っている部分の拡大を含んでいるということである。
  ――――――――――
 すでに見たように、第二例のなかの9000という生産物は、5001mが資本化されることになれば、再生産の目的のためには次のように分けられなければならない。ここではわれわれはただ商品だけを考察して貨幣流通は無視することにする。
      1. 5000c+500m(資本化されるべきもの)+1500(v+m)消費財源=7000商品
      2. 1500c+299v+201m=2000商品. 総額=9000商品生産物
 そこで、資本家は次のように行なわれる。
 1では資本化される500mが5/6=417cと1/6=83vとに分かれる。この83vは、2mのうちから、不変資本の諸要素を買って2cに追加される同額を引きあげる。2cが83だけ増加することは、2vが83×1/5=17だけ増加することを条件とする。そこで、転換が行なわれたあとでは次のようになる。
      1. (5000c+417m)c+(1000v+83m)v=5417c+1083v=6500
      2. (1500c+ 83m)c+( 299v+17m)v=1583c+ 316v=1899
                             合計 8399
 1の資本は6000から6500に、つまり12分の1だけ増加した。2では1715から1899に、つまり9分の1弱の増加である。
 第二年度にはこの基礎の上で再生産が行なわれ、年末には次のようになる。
      1. (5417c+452m)c+(1083v+90m)v=5869c+1173v=7042
      2. (1583c+42m+90m)c+(316v+8m+18m)v=1715c+342v=2057
 そして、第三年度末の生産物は次のようになる。
      1. 5869c+1173v+1173m
      2. 1715c+ 342v+ 342m
 ここで1がこれまでのように剰余価値の半分を蓄積するとすれば、1(v+1/2m)は1173v+587(1/2m)=1760となり、したがって17152c全体よりも大きく、その差は45である。そこで、この差は、再び同額の生産手段を2cに引き取ることによって相殺されなければならない。そこで2cは45だけ増加し、この増加はその5分の1=9だけ2vが増加することを条件とする。さらに、資本化される5871mは、6分の5と6分の1との割合で489cと98vとに分かれる。この98は2で不変資本に新たに98が追加されることを条件とし、この追加はまたその5分の1の20だけ2の可変資本が増加することを条件とする。そこで次のようになる。
      1. (5869c+489m)c+(1173v+98m)v=6358c+371v      =7629
      2. (1715c+ 45m+ 98m)c+(342v+ 9m+20m)v=1858c+ 371v=2229
                                       総資本=9858
 こうして、三年間の拡大再生産では、1の総資本は6000から7629に、2の総資本は1715から2229に、社会的総資本は7715から9858に、増大したのである。

    三 蓄積が行なわれる場合の2cの転換
P645L13
 このように1(v+m)と2cとの交換ではいろいろな場合が起きる。
 単純再生産では両者が相等しく互いに入れ替わらなければならない。そうでなければ、前に見たように、単純再生産を攪乱なしに行なうことはできないからである。
蓄積の場合には、なによりもまず蓄積率が問題になる。これまでの場合に仮定したところでは、1での蓄積率は1/21だったが、それはまた年が変わっても不変だった。ただこの蓄積された資本が可変資本と不変資本とに分かれる割合が変わるものとした。そこでは次のような三つの場合は生じた。
(1) 1(v+1/2m)が2cに等しく、したがって2cは1(v+m)よりも小さい。つねにそうでなければならないのであって、もしそうでなければ1は蓄積しないことになるであろう。
(2) 1(v+1/2m)が2cよりも大きい。この場合には、2cに2mの適当部分がつけ加えられてその総額が1(v+1/2m)に等しくされることによって、取り替えが実現される。ここでは転換は2にとってはその不変資本の単純再生産ではなくてすでに蓄積であり、2の剰余生産物のうち2が生産手段1と交換する部分だけ2の不変資本が増加することである。この増加は、同時に、これに応じて2がさらにその可変資本をそれ自身の剰余生産物のうちから増大させることをも含んでいる。
(3) 1(v+1/2m)が2cよりも小さい。この場合には2は転換によっては自分の不変資本を完全には再生産していないのであって、1からの買い入れによって不足を補わなければならない。しかし、そのために可変資本2のそれ以上の蓄積が必要になるのではない。なぜならば、2の不変資本は、その大きさから見れば、この操作によってはじめて完全に再生産されるのだからである。他方、この転換によって、1の資本家のうちただ追加貨幣資本を積み立てるだけの部分も、すでにこの種の蓄積の一部分を行なっているのである。
1(v+m)=2cという単純再生産の前提は、資本主義的生産とは両立しないだけではない。といっても、そのことは、10―11年の産業循環のなかである年の総生産がしばしば前年のそれよりも小さく、したがって前年に比べての単純再生産さえも行なわれていないということを、排除するものではないのであるが。それだけではなく、毎年人口の自然増加がる場合には、単純再生産は、ただ、それに応じて増加する不生産的な僕婢が、総剰余価値を代表する1500のうちからいっしょに養われるかぎりで、行なわれうるであろう。これに反して、資本の蓄積、つまり、現実の資本主義的生産は、この場合には不可能であろう。したがって、資本主義的蓄積という事実は、2c=1(v+m)を排除するのである。とはいえ、資本主義的蓄積が行なわれる場合でも、以前のいくつかの生産期間に行なわれた蓄積過程の進行の結果として、2cが1(v+m)に等しいだけではなく、それよりも大きくさえもあるという場合が起こりうるであろう。これは2での過剰生産であって、それはただ大きな恐慌によってのみ調整され、その結果として資本は2から1に移ることになるであろう。――2の不変資本の一部分が自分自身を再生産する場合、たとえば農業で自家産の種子を使用するような場合にも、1(v+m)対2cの割合は少しも変わらない。2cのこの部分が1と2とのあいだでの転換に関して問題にならないのは、そのさい1cが問題にならないのと同じことである。また、2の生産物の一部分がそれ自身生産手段として1にはいって行くことができても、これもまた少しも事柄を変えるものではない。そのような2の生産物は、1が供給する生産手段の一部分によって埋め合わされるのであって、われわれが社会的生産の二大部門のあいだの、つまり生産手段生産者と消費手段生産者とのあいだの、交換を純粋に濁りなく研究しようと思うならば、この部分ははじめから両方の側で引き去らなければならないものである。
だから、資本主義的生産では、1(v+m)が2cに等しいことはありえないのであり、言い換えれば、相互の転換で両方が一致することはありえないのである。これに反して、1m/xを1mのうち資本家1が収入として支出する部分だとすれば、1(v+m/x)は2cに等しいことも、それより大きいことも、小さいこともありうる。しかし、1(v+m/x)はつねに2(c+m)よりも小さくなければならない。しかも、2mのうちの、どんな場合にも資本家階級2が自分で消費しなければならない部分だけ、より小さくなければならないのである。
注意しておきたいのは、以上のような蓄積の叙述では、不変資本の価値は、それが商品資本の価値のうちそれの助力によって生産された部分であるかぎりでは、正確に示されてはいないということである。新たに蓄積された不変資本の固定部分は、ただしだいに周期的に、この固定的諸要素の性質に応じて違った仕方で、商品資本のなかにはいって行くだけだから、原料や半製品などが大量に商品生産にはいって行く場合には、商品資本のかなり大きい部分が流動不変成分と可変資本との補填分から成っている。(しかし、このような取り扱い方ができるのは、流動成分の回転のせいである。すなわち、流動部分がそれに移された固定資本の価値部分といっしょに一年のうちに何回も回転して、供給される商品の総額が、年間の生産にはいって行く総資本の価値に等しくなる、ということが仮定されているのである。)しかし、機械経営のために補助材料だけが用いられて原料が用いられない場合には、労働要素=vが商品資本のなかのより大きい成分として再現しなければならない。利潤率では、固定成分が周期的に生産物に移す価値の多少にかかわりなく、総資本にたいして剰余価値が計算されるのであるが、周期的に生産されるそれぞれの商品資本の価値については、不変資本の固定部分は、ただ、その消費によって平均的に価値を生産物そのものに移すかぎりで、算入されるべきものである。
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