九州出身者がつくる九州情報館。

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2018年01月28日
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カテゴリ: 九州の話題
今年の大河ドラマ 『西郷(せご)どん』 ですが、
4話目にして1つの山場を迎える時が来ました。

これまでのあらすじですが、
財政立て直しのためとは言え、領民を苦しめる薩摩藩家老・調所広郷のやり方に
西郷吉之助(隆盛)ら若手藩士が異を唱えて後継ぎの島津斉彬に訴えました。
斉彬は江戸幕府の老中・阿部正弘に琉球・清との密貿易について密告し、
結果的に調所が切腹することになりました。
これを聞いた島津藩主・島津斉興がブチギレし、斉彬派の家臣を次々と処罰し、

赤山靭負(あかやまゆきえ) にも 切腹 が命じられました。

ここからは今週の話になるのですが、若手藩士達は赤山の切腹を阻止するため、
斉彬の弟で斉興の側室・お由羅の方の実の息子である
島津久光 に直談判しますが、受け入れられませんでした。

なお、斉彬と久光の間は 大相撲の某元横綱兄弟とは違って
そこまで仲が悪いわけではありませんでした。
久光にとっては騒動に巻き込まれただけなようです。

切腹の日が迫る中、吉之助ら若手藩士が赤山に呼ばれて最後の酒盛りをします。
赤山は若手藩士達に立派な侍になれと遺言を伝えます。

そしてついに赤山の切腹の日が来ました。

史実では吉之助は立ち会っていないようでしたが、
赤山が身に着けていた、血の付いた白装束を見せられた事は事実のようです。

赤山切腹後も斉彬派への処罰は止まらず、
大久保正助(利通)の父・次右衛門が
鬼界島(喜界島)へ島流し
となり 正助も謹慎処分 となりました。

映画『蒲田行進曲』を知っている人にとってはニヤニヤ物だったと思います。

吉之助は斉彬に手紙を書き、藩の窮状を訴えました。
(どういうルートで伝わったのかは分かりませんが。)
その甲斐もあってか、斉彬はついに動きました。
江戸城に登城した斉興は老中・阿部正弘を通して、
将軍から茶器を賜りました。
この時代『将軍が大名に茶器を渡す』という事は、
将軍による大名への『隠居勧告』 を意味していました。
(『隠居して茶でもたしなめ』ということです。)
大相撲でも不甲斐ない横綱にチャンコ用の鍋でも渡した方がいいんじゃないかな。

通常ならここでおとなしく家督を斉彬に譲るところですが、
このドラマの斉興はそんな事はありませんでした。
それに対して斉彬はアメリカから取り寄せたピストルを取り出し、
斉興を射殺・・・ではなく ロシアンルーレット をおっぱじめました。
※ロシアンルーレットは本場ロシアでも明治時代以降にしか文書に残ってません。

斉彬は1度引き金を引き、ハズレに終わりますが、
次の斉興は引き金を引けず、結局家督を譲ることにしました。
その後お由羅が斉彬めがけて引き金を引くと、当たりでした。
実際にロシアンルーレットなんてやって無いと思いますが、ヒヤヒヤしましたね。

そしてついに嘉永4年(1851年)2月に
第11代薩摩藩主・島津斉彬が誕生 しました!
赤山ら多くの家臣が犠牲になりましたが、ついに若手藩士達の望みが叶いました。

なお、調所広郷の財政立て直しは決して薩摩藩の領民を苦しめただけではありませんでした。
この政策によって薩摩藩は後に明治維新を成し遂げるための
蒸気船や鉄砲といった武器を購入する資金を得ることができたからです。

今週はここで終わりましたが、 来週は相撲をやるそうです。
(今週もやってましたが・・・)
くれぐれもカラオケのリモコンで同郷の後輩を殴ったり、
最高位の行司が若い行事にとんでもないことをやったり、
弟弟子を暴行しても公表しなかったり、
横綱が故・三沢さんばりのエルボーをかますような相撲にはならないでもらいたいですね。

それでは、今日はここまで。



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最終更新日  2018年01月28日 20時51分03秒


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