佐幕派からの要求
3
月 30
日、 衝鋒隊
人余が新発田城下に現れる。彼らは 2
月 7
日、江戸から脱走した歩兵隊員で、 3
月 8
日、下野簗田の戦いで敗れ、会津に身を寄せていた。会津はまだ謝罪が認められるかもしれない時期だったので、血生臭い朝敵を留めておきたくなく、体よく追い出していた。
彼らは 阿賀野川
を下り、 3
月 28
日水原へ入る。総督 古屋佐久左衛門
、副隊長 今井信郎
らが新発田にどちら側に付くか問い詰める。例によって、事が重大なので即答できないというふうに答えると、新潟へ赴くので同行願いたいと要求される。
新潟へ着くと、衝鋒隊は新発田に五千両の借金を申し入れる。新発田は断るが、半ば脅迫的な要求に、五千両を千両にまけてもらい金を貸した。村松なども同様にたかられている。藩内では悔しがり憤るものもいたが、半兵衛は彼らの背後には会津がいるとみて、隠忍自重すべきと考えた。
他にも坂本兵弥率いる 幕府新遊撃隊
、 市川三左衛門
率いる 水戸藩
諸生党
兵などのうち 200
名余が新発田城下を訪れ、また五千両の借金を申し込んできた。これも値切って千両を与えた。
また会津藩からも米 10000
俵借りたいと申し出があり、例によって値切って 5000
俵与えた。
同様に会津の 武井柯亭
、土屋惣蔵らから五万両の借金申し込みがあり、値切って二千両与えた。
(ウィキ)
値切りのオンパレードです。
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