再任用楽天生活

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2012年08月08日
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テーマ: 自転車(13161)
カテゴリ: 自転車
20120806ファイターズ通り


花畔札幌線というのは、現在の国道231号(石狩街道)が整備される以前、石狩と札幌を結ぶ主要幹線だった道路。
その道筋は、現在の石狩市役所前を起点にして茨戸川沿いに東に進み、茨戸からは伏籠川(ふしこがわ)沿いに南東に下がり、篠路で旧琴似川沿いに右折し、さらに南東に下ってまた伏籠川沿いに丘珠まで進み、そこで大きく進路を南西方向に転じます。
そして引き続き伏籠川沿いに南下して苗穂に出て、そこから「テイセンボウル」まで斜めに「ファイターズ通り」を進み、創成川に出たところで終点となる道道です。

10:10 一人で出発。曇り南東の強風
まずは起点となる石狩市役所前へ向かいます。

20120806起点

この、路側帯が広い道路が道道花畔札幌線。
この道を茨戸に向かって進み、東茨戸からは伏籠川沿いに進みます。

20120806伏籠川

伏籠川の上を「伏籠橋」、「第三伏籠橋」と渡り、その次の「第二伏籠橋」を渡ったところで、流れの細い川の方へ大きく曲がります。


20120806旧琴似川

せっかくだから整備された道よりも、あえて川に近い細道を選んでみたら、こんな秘境に。

川の流れに合わせて蛇行する道路を、ゆったりと進み、やがて今度は伏籠川に道路が寄っていきます。
丘珠で大きく右に曲がり、玉ネギ畑の中を南下。
右手には丘珠空港や「つどーむ」が見えます。
今までクルマでこの花畔札幌線を走行していたときは、この道筋が伏籠川に沿って蛇行していた事に全く気づきませんでした。
伏籠川の存在すら知らず、この道が蛇行しているのは、単に「古い道だから」と思い込んでいました。
自動車運転免許を取得して34年後に初めて知った衝撃の事実。

そして「伏古インターチェンジ」近くの札幌新道を横断。
つまり、この周辺の地名「伏古」は「伏籠川」が由来だったのですね。

札幌新道を渡ってからも、この道道273号は相変わらず大きく湾曲した道筋を描いて南下します。

20120806北18東20付近

東区北18条東20丁目付近を南西方向に進んでいるところ。

正面にJRタワーが見えます。

20120806本龍寺前

「妙見山 本龍寺」は幕末の安政年間に建立されました。
開拓者のために建立された札幌最古の霊場です。
この本龍寺の前にある北14条東16丁目の交差点を直進します。

20120806札幌村記念館

12:00 東区北13条東16丁目「札幌村郷土記念館」

初めて入館します。
2階建ての建物で、入館料は無料。
館内の展示資料を拾い読みして、驚きの連続でした。

まず「札幌村」とは、1866(慶応2)年から大友亀太郎によって開拓が進められ、その後玉ネギ栽培の先進地として発展した、現在の札幌市東区のルーツなのでした。
同館にはこの当時の歴史資料等が展示されています。
そして現在同館が建っている場所が、かつての大友亀太郎の役宅跡。
すなわち札幌村役場の跡地なのでした。

なんと言っても一番の驚きは、「大友堀」について。
私は札幌市内の小学校で6年間を過ごしたのですが、郷土史を習うとき、最もポピュラーなネタが、
「現在の創成川は、開拓時代に大友亀太郎が作り、大友堀と呼ばれていました。」
というものです。
従って私は、この札幌村郷土記念館を訪れるまで、
「大友亀太郎は、現在の薄野(すすきの)から茨戸までほぼ直線的な人工運河(大友堀)を造成した。」
と、思いこんでいました。
ところが事実は違ったのです。
本当の大友堀は、起点は確かにススキノ界隈ですが、北6条東1丁目から北東に流路が右折し、現在のファイターズ通りのルートで、札幌村郷土記念館近くの大友公園付近まで掘削され、伏籠川に繋がっていたのでした。

つまり「ファイターズ通り」は「大友掘」だったのです!

札幌村の歴史については、後段に大まかな年表を掲載しましたので、そちらをご参照下さい。

札幌村郷土記念館を出て再スタートし、たった今知ったばかりの、元は大友堀だった道筋を、創成川に向かって進みました。

20120806元は大友堀

この写真のあたりとか、トップのファイターズ通りの区間が、元は大友堀だったのです。

ちなみに、1888(明治21)年に新しい石狩街道が創成川沿いに作られたので、そのときから石狩への幹線経路としての役割は終えてしまったことになります。
なお、現在「ファイターズ通り」と呼ばれている区間は、1925(大正14)年ころに埋め立てられたので、59年間の長きにわたり大友堀だったのですね。

20120806創成川

13:05 北6条東1丁目から橋に上がり、創成川を臨む。
ここまでの走行距離、18.39km

20120806大友堀の方向

そして今来た方向を振り返ると、まさしくそちら(テイセンボウル)が、大友堀だったのだ。

ちょっと、自分一人で軽く興奮しているので、いつもなら別ルートで帰るところだが、今回は復路も札幌村(現:東区)経由で帰ることにした。

13:50 東区北6条東20丁目「サンクス札幌北6条東店」、おにぎり等458円(Edy)

14:15 苗穂グリーン公園

ここからの帰路は、今度はなるべく川沿いに走ってみようと思い、伏籠川沿いのダート路を追い風に乗って激走し、初めて通るエリアに興奮しながらやがて茨戸に戻り、発寒川沿いのサイクリングロードも楽しんできました。

15:25 帰宅。

いやぁ、川沿いの道って、面白いですね。



■平成24年8月4日(土)の走行データ
【使用車両】GIANT ATX840S
【走行時間】2時間51分19秒
【走行距離】47.14km
【平均速度】16.5km/h
【最高速度】32.7km/h
【ATX840Sの2012年累計走行距離】497.49km
【自身の2012年累計走行距離】1,338.61km



   ☆☆☆札幌村年表(即ち、ほぼ札幌市東区の歴史)抜粋☆☆☆

江戸時代の札幌村付近は伏籠川の流域であり、かつては多数の支流が流れていて、川には鮭が遡上するため、アイヌの良い漁場でした。


1866(慶応2)年2月 大友亀太郎(32歳)が箱館奉行から西蝦夷地開墾掛を命ぜられ、石狩場所開墾の取扱いを委任される。

     同年4月 大友亀太郎が12人を伴い、伏篭川のほとりに役宅を建て札幌村を開いた。

     同年5月 用排水路、道路、橋などに着工。

     同年9月9日 用水路完成

     同年9月10日 通水

この用水路は豊平川の支流から水を引き、現在の南3条東1丁目から北へ直進し、北6条東1丁目から北東へ流路を変え、現在の大友公園(北13条東16丁目)のあたりで旧伏籠川に注いでいました。
用水路の長さは約4km、深さ約1.5m、上幅約1.8m、下幅約1.2mと推定されていて、毎日40~50人の労働で工期5ヶ月間で完成させたため「百万両の大工事」と呼ばれたそうです。

この用水路は後に「大友堀」と呼ばれるようになり、田畑に使う水や農地の排水、そしてやがて運送路としても利用されました。
この頃の、本州からの荷物は舟運で日本海石狩湾から石狩川に入り、さらに旧伏籠川を丸木船で遡上し、大友堀の落口まで運ばれ、一旦荷揚げしてから平田船に積み替えられて大友堀をさかのぼり、北6条東1丁目(現在の札幌中央郵便局付近)まで運ばれるなど、札幌の市街へ物資を運ぶ動脈となっていました。

1868(慶応4)年 札幌村創建の心願成就を祈願し、大友亀太郎が本龍寺の一角に村の鎮守として「妙見堂」を建立。

1869(明治2)年 蝦夷地を北海道と改め、札幌を首都として開拓使が置かれる。

1870(明治3)年 酒田県から36戸120人が「庚午一の村」に移住。
その後さらに30戸68人が「庚午二の村」に移住。
柏崎県から22戸96人が「札幌新村」に移住。
札幌新村が形成されたことにより、元の札幌村を「札幌元村」とした。

1870(明治3)年 大友亀太郎が、開拓事業を開拓使に引き継ぎ、故郷の神奈川県へ帰省する。

1871(明治4)年 庚午一の村を「苗穂村」、庚午二の村の「丘珠村」、札幌新村を札幌元村と併せ「札幌村」とする。

1871(明治4)年 階楽園の試験場にて米国から輸入したタマネギなどの試作開始。

1876(明治9)年 開拓使は清国から許士泰らを雇い丘珠の開墾に従事させる。
1877(明治10)年 丘珠教習所(現在の丘珠小学校)開設

1880(明治13)年 小樽の手宮と札幌の間に鉄道が開通

1880(明治13)年 苗穂村に札幌監獄署(監獄本署)が設置される。

1881(明治14)年 札幌村で、玉葱の生産開始
札幌村の玉葱は「札幌黄(さっぽろき、さっぽろきい)」という名で有名となる。

1886(明治19)年 北6条以北の創成川(当時:寺尾堀)が茨戸まで開削
これにより、伏籠川ルートは輸送路としては衰退し始め、任務を終える事となる。

1888(明治21)年 新しい石狩街道が寺尾堀(現:創成川)沿いに作られる。

1902(明治35)年 北海道に町村制が施行されると、札幌村、雁来村、苗穂村、丘珠村をあわせて札幌村とした。

1910(明治43)年 大字札幌村の一部が札幌区元村町、大字苗穂村の一部が同区「苗穂町」となる。

1925(大正14)年 大通東4~14丁目と北1条~北4条の東4丁目以東が「苗穂町」となる。

1925(大正14)年 大友堀のうち北6条東1丁目から北13条東16丁目までの区間が埋め立てられ、道路となる。(現在のファイターズ通り)

1934(昭和9)年 北8条~北11条の東8丁目以東、北12条東15丁目以東の一部が「元村町」となる。

1934(昭和9)年 北5条~北11条の東8丁目以東、北12条東15丁目以東などが「苗穂町」となる。

1934(昭和9)年 大字札幌村の一部、大字雁来村の一部が札幌市に編入。
札幌村の一部は北12条東~北25条東と北11条東10~11丁目、北12条西~北25条西の各一部となる。
雁来村の一部は札幌市雁来町となる。

1937(昭和12)年 それまでの4大字を4行政字に再編、大字札幌村は字元村と改称、後の3大字名は「村」を取った上で字名に継承。

1947(昭和22)年 第6回国勢調査人口8,426人。

1950(昭和25)年 元村の一部を札幌市に編入、北26条東~北28条東を新設(この当時は7丁目まで)

1955(昭和30)年 残る全域が札幌市に合併され、札幌村は消滅。
元村は栄町と元町、雁来は東雁来町、苗穂は東苗穂町、丘珠は丘珠町となる。
1977(昭和52)年 大友の役宅・旧村役場の位置に「札幌村郷土記念館」開設。





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最終更新日  2012年08月09日 00時57分32秒
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