そういちの平庵∞ceeport∞

そういちの平庵∞ceeport∞

四国、松山、坊ちゃんだんご、浦河


ぼくちゃんにおこされる
テンション高くジャンプして挑みかかってくる
少し遊ぶ
昨夜は飯食わんで寝たので
今朝はコーヒーを飲む気にもならぬ
レンジで肉マン暖め食う
それでもたらんからコンビニでサンドイッチと牛乳買い食う

10年以上昔四国松山に行った
看護婦してるじんちゃんに誘われ彼女の実家に泊まり
彼女の家族に会いに
松山城やあの辺りの街をぶらつき
「小さな街なんだ」というじんちゃん
飲み屋で彼女の姉に会う
向こうもカップルでやってきた
「じんが男連れてくるなんて珍しいんだぜ!!男嫌いのじんを彼氏どうやってくどいた?」
「離れ島に住む者の気持ちはわかるまい」といきなりマシンガントークで言われた
当時流行ってた雑誌「クロワッサン」にかぶれ
女の自立だの素敵な恋だのお洒落な洋服や髪型だので身を固めたこの姉はまるで雑誌から飛び出たような人
じんちゃんとは、まるで対極にあるような人だ
じんちゃんはいつも質素な服で長い髪を後ろで束ねていた
じんちゃん曰く昔からアンアンとかも好きでそれを信じて生きてるけど・・・
あの手の雑誌は嫁に行けぬ女編集者の怨念で出してるのに・・・と教える
嫁に行けぬ女の怨念だからそんなもん信じても不幸になるだけだ
じんちゃんとは三十三間堂とか神社仏閣によく行った
彼女の家族も田舎によくある家で
権力者の祖父それに従う長男である父、舅姑に虐げられる母
「家族の中でも孤独なら一人いて孤独な方がよっぽどマシだ」
そんな母親の話をじんちゃんはよくしてた
彼女は祖父を憎んでいたし男社会を憎んでいた
男に振り回され堕胎する女の愚かしい職場での話もよくしていた
彼女は苦しんでいた
僕も別れた彼女や家族の話をしたと思う
僕を見て「自分を犠牲にする生き方はおかしい」とやっぱり言われた
考えて見ると僕の生き方は相当・・・・個性的だ
じゃあ幸せって何?って話になる・・・わかんねえんだよな・・これが未だに
当時の仲間とドライブ、食事、旅行、色々した
僕はまだ20代前半じんちゃんは僕より少し年上だった

松山城の天守閣に登り松山城祉を眺めたり
NHK会館でこの街の歴史の説明を聞く
高校野球の好きなじんちゃんの松山商業の話とか・・・
正岡子規の直筆の書を眺めたりしながら
「僕は結局この国の幼稚な管理体制って奴が嫌なんだ、どいつもこいつも死んだような顔して人の顔色を伺いビクビクしててさノイローゼだよ」
これは今でもそう思う
じんちゃんは僕などと違い常識人で謙虚、まじめ、有能
僕のような千切れたような生き方はしない
ただ僕と似た傷を抱えていた・・・そう僕と関わる人は昔からそんな人が多かったのだ
帰りに「松山のみやげはこれだ!!これっきゃない!!彼氏元気でな!!」と三十路直前の姉ちゃんは元気よく叫んだ
とクロワッサン姉ちゃんに坊ちゃん団子を貰って神戸に帰る
一人フェリーに乗って・・・ああ!!青春だなあ

記憶も飛び飛びで前後関係もあやふやながら
この辺りから僕は壊れていく
この後何年かして
酒の飲み方も更に酷くなり
仕事も出来なくなり
親に迷惑ばかりかける
悩んだ末に知り合いの牧師を頼り家族と茨城に移住
それでもやはり駄目で久里浜病院に入院する
この時初めて僕が病人だと知る・・・僕も周囲も
だけど病院でどうこうなるような状態でもないし僕は自分が病人だと言うよりはボロボロだと思い
仕事を休んで入院してたが
「この調子だとあと数年で死にます」と国立久里浜病院の主治医の言葉に家族は驚き
家族は僕の職場に行き僕は仕事も失う
これらはアトに知る
姉は丁度この時教会で結婚式を挙げる
親も主治医も結婚式に出てあげなさいと言うが
僕は親に「僕の人生から出て行ってくれ!!」と言っただけ
病院も医者とけんかして強制退院・・・知人の家やバイトを転々住込みのバイトで酒飲んでOUT
この頃、酒飲むと引きこもり状態だった
教会で家族会議が持たれ
僕は「迷惑かけるだけだから出れない病院に閉じ込めて欲しい」
牧師「最近読んだ本で北海道に素晴らしい所があるそこに行かないか?」
延々話し合い駄目でもともとと思い・・・北海道に行く
初めての北海道・・・1月5日だった
共同住居に住む今じゃ全国区の「浦河べてる」だ
しばらくすると酒を飲み始め部屋に閉じこもる
飯もくわず度重なるPSWや仲間の呼びかけにも応じず
もう失うものも無いしなと思い・・・剃刀を買いに行き手首を切る・・・偶然助かる・・・入院・・・閉鎖病棟・・・生活保護を受ける・・・26だった
PSWの紹介で入院中から仕事をする
退院後はアパートを借り住み始める
半年位は順調で健康状態も上向き
自助に通い働き良い感じだった
だけどまたまた飲み始め・・・引きこもり・・・関係の破壊
不思議だが、もう死にたいとは思わず生きたいと思うようになっていた
この時期にほとんど連絡を取らなかった僕が何人かと連絡を取る
確かめたかったのだ
僕がアル中でも生活保護でも変わらない関係があるはずだ
上記のじんちゃんもなんも変わらなかった
昔のように・・・・何でも話せた
この時期僕は死を予感してもいた
この調子で酒飲んでりゃ死ぬなと・・・
表面だけの関係なら僕の立場や状況が変われば人は去る
それはそれで当たり前だし利害関係なんて今でもそうだ
だけど家族で傷ついた僕は信じられる関係を求めてたと思う
酒に酔い昔のアドレス帳からじんちゃんの番号を調べ電話した
昨日別れた友達のような関係が電話で交わされ
飲みながら何やら話した

酒のやめ始めに「貴方を愛した人ほど貴方の病気に巻き込まれたけど本当に貴方を愛してる人は貴方がどうであろうと貴方を愛し続けてます」てなことを同じ病気の人から言われ
これは実際そうだった

共同住居で自殺を図った時手首を切るのだが部屋が血の海になり

部屋をかたずけてくれたのが仲間や研修中の学生さん

「普通、手首切る人は、ためらい傷や浅い傷で終わるけど・・・貴方のは部屋中血だらけで・・・部屋の血を拭くのが大変でした」

主治医「アト一回切れば動脈に達し死んでましたがここまで来れば後はよくなるだけです」

PSW「田中さん落ちるとこまで落ちて今がどん底だねこれ以上悪くなれないねだから大丈夫だよがんばるの少しやめようよ」

浦河の町で僕は再生したと思う・・・酷い迷惑かけたが

この時一番応えたのが潔君の言葉だ

彼は酒乱の父親と母親に育てられ
中学の時には親も無く特殊学級を卒業し
仕事を転々として障害者年金と生活保護で暮らしていた
「何で死のうと思うのよ、車の免許もあるし親も生きてて年も若いし」
縫ったばかりの手首をバンバン叩く
文無しの僕に洗剤を買ってくれたりタバコを奢ってくれたり
この頃精神病に罹った人からの心からの愛が僕を再生してくれた

彼等との関係は未だに続く・・・そう家族のように

見ず知らずの僕を雇ってくれた街の燃料屋さん
その経営者家族に従業員の人達・・・物凄く暖かく

このような環境でも酒は止まらず札幌に来て漸く止まる
あれから丁度10年になる

じんちゃんとは全然連絡取ってないが・・・酒飲んで電話したきりだ・・・アドレス帳も今はもう無い

縁があれば何処かで行き会うだろう

僕は人の中で傷ついたかもしれない
だけど人の中で癒されたんだ

2004年09月28日  コメント(0) | トラックバック(0) | コメントを書く
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