そういちの平庵∞ceeport∞

そういちの平庵∞ceeport∞

自分の問題


気になってたUさんの家にも久しぶりに寄るこちらは元気だった
以前命の電話経由で自宅にいきなり知らない人から電話が来てた時期がある
その時期お話した娘が地下鉄に飛び込み自殺したお母さんのことを思い出す
いのちの電話もボランティアで運営してありとあらゆる電話が来る
自分の知ってる人も何人か相談員をやっていて
多分そのうちの誰かが僕の自宅の電話番号を教えたのでは?と思う
その後、保健所経由とかのでんわも来たり
のほほんがらみの電話も当時多かった
さすがの僕も疲れ果て悩んだ末
その頃家の電話番号も変え電話帳にも載せなくした
子供に死なれた親の慟哭は従姉妹の白血病親友の白血病何回か見てる
病死ですらこうだから・・・・
自殺や他殺となるとさらに・・・・
その時は何回か電話でお話して
悲嘆にくれ外にも出れず自分を責める娘に死なれた母親の悲痛な話に耳を傾けた
自分の知る範囲の説明をした覚えがある
AC、精神病、姉が飛び降りた時の状況、死にたくなる気落ち・・・・
その後「生と死を考える会」に通うようになったと記憶している
そんなことを思い出しながら行きつけの店で飯を食う皆平和だ
ささやかなことを話題に皆ニコニコ寛いでいる
「俺は相当特殊な暮らしをしてるよなと感じる」
自分の仕事を結局誰かがやらなきゃならないし
誰もがやれる仕事じゃねえやなと心底思う
自分の限界点を超えないようにセーブして仕事するようになった
電話番号も極力教えず
だけどこれで果たして良いのだろうか?と自問自答する時もある
その昔アメリカのワーカーの友人にこう指摘された
「貴方は自分のパンを人に与えすぎてる
それでは、自分の分まであげてしまうそれだと自分が困る」
ま、姉の自殺未遂や近しい人の死が僕をそうさせた
その事にきずかされ少しずつ自己改革をした
自助に行かないのも此処が大きい
スポンサーシップやサービスで自分の事をやれなくなるから
実際AAやACODAで仕事がらみの助けを必要する人の相談は以前増えた
どこもでも他者優先で困ってる人をほっておけない
これが僕の最たる問題でもあり最大の長所でもある
今現在は、まあそこそこバランスは取れてる事と思う
どこまでやっても切り無いしやりすぎれば過労死・・・腰痛がブレーキになってる
何をどうやってもこの世から不幸や病気は取り除けない
謙虚に自分の分をわきまえ出来る事を地道に続けるしかない
また別の道もあるなと思う
もっと穏やかで平和な生き方も
そうも思うのだが・・・◯0o。(ー。ー)y―~~

投稿日:2004:01/29(木)

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: