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2023年04月08日
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カテゴリ: 地球人類創世


https://www.facebook.com/tenjou.aitohikari/photos/a.503889579682161/1400968369974273/
【地球人類創世】④~未開の惑星への大移住~

約六千万人が大船団を組んでの移住でした。準備にも相当長い時間がかかりました。何を積み込むかということが大きな問題でした。誰も実際に行ったことがなかったので、どんな惑星なのかまったく見当もつきません。結局、考えられるあらゆる場合を想定し、積み込むものを決めるしかありませんでした。何よりも私たちの肉体を存続させることが最優先課題でしたから、未知の細菌やウイルスへの対抗手段は、専門家たちが議論に議論を重ねた上で、十分準備しました。

宇宙船の建造にも多くの日数が費やされました。長さ約一キロメートル、幅約五百メートルという大きさの母船が約五千でき上がりました。その中には大中小の宇宙船が入ります。母船内部には土を入れて、人工の沼もつくりました。ブタやウシのような家畜やたくさんの植物も積み込みました。ベーエルダのブタやウシは現在の地球のものと比べて二倍から三倍の大きさがありました。ネコも持っていくことにしました。

やっと準備が完了していよいよ出発となったとき、不安がまったくなかったと言えばウソになります。しかし、未知の惑星での新たな生活に対する夢と期待のほうが大きかったことは確かです。

私たちは、今の地球の年数で十年という長旅を続けることになりました。
もちろん、現在の地球のロケットのように化石燃料を用いて航行したわけではありません。各母船にはそれぞれ船長がいて、船長たちの「精神感応力」で宇宙空間に偏在するエネルギーを引いてきて、宇宙船の推進エネルギーとしていたのです。

宇宙空間は何もない真空の世界と思われているかもしれません。実際には宇宙空間は一様ではなく、大宇宙のエネルギーを引くことができる場所が決まっていました。そのようなエネルギーステーションでエネルギー補給をし、ワープ航法を使いながら航行してきたのです。それでも、十年もかかってしまったのでした。

十年の間にはさまざまな不安や不満が出てきました。宇宙船内で病気になる者もいました。ホームシックで帰りたくなってしまった人びともいました。実際、ベーエルダに引き返してしまった者たちもいました。旅を続けられたのは、私たちみんながエル・ランティに対する信頼を共有していたからかもしれません。「エル・ランティのことを信じようではないか。きっとその惑星はあるはずだ」と言いながら励まし合っていたのです。

それでも、正直言って宇宙船内の生活には飽き飽きしていました。ベーエルダではみんな自由にいろいろいなところに行って、好きなことをして暮らしていたので、宇宙船内に閉じ込められる生活に、息が詰まりそうになったのでした。



私たちが降り立ったのは、現在の地図で言うと、アフリカのナイル川流域でした。当時は緑が豊かな場所でした。最初に地質を調べ、どのような植物が育つか検討しました。実際に植物を植え、種をまき、地球に合うように育てていったのでした。もちろん人体に有害な物質がないかどうかも入念にチェックしました。大変手間のかかる作業でしたが、やりがいのある仕事でした。ベーエルダでは、植物の種をまいて、肥料を与えて育てて収穫するという作業はしていませんでした。それらの作業はほとんど機械化されていたからです。すべてが初めての作業で、みんなワクワクしながらやっていました。

大天使ミカエル 
「ガイア黎明 生きて意識ある地球はこうして生まれた」より





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最終更新日  2023年04月08日 07時05分02秒
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