「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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-小麦粉記-
図書曲スケルツォ・
クラス発表の練習も相当熱が入ってきたし、図書局冊子学園祭号の製作もたけなわで、原稿用紙に書き込むせいで腱鞘炎にでもなるんじゃないかと思っていた頃。
高梨先輩が、風邪で、倒れた。
その日もいつものように司書室にこもって作業をして、変わったことはしていなかった。ただその前々からどうも先輩の調子が悪そうだということには気がついていた。けれど、わたしも疲れていたしこの時期はみんなそうだろうとおもって特に気にはかけていなかったのがわるかった。といっても、わたしが先輩に声をかけていても、結果は変わらなかったと思う。
わたしの書いた原稿用紙をパソコンに打ち込み終わった先輩は、画面から目を離してふらふらしながら窓際に歩いて、ぎゅーっと伸びをした瞬間に、ぐしゃっと崩れ落ちた。先輩にはわるいけれど、かなり間抜けな光景で、心配するより先に笑ってしまった。人が倒れる瞬間なんて、結構そういうものだ。見慣れないから、最初はふざけてるのかと思ってしまう。
その後学生会長と先生に連れられて、聞いた話だと睡眠不足と疲労とストレスが原因で40度の風邪を引いていたのにも関わらず学校に来て、ついに貧血で倒れたということらしい。1日入院して、持ち前の回復力で二日目には家に帰ったという。で、今は家で寝ているところだと思う。
すると、いまこの司書室には、わたし一人しかいないということになってしまった。
もう大体の作業は終わっていたとはいえ、まだ原稿をパソコンに打ち込んでいない部分もある。デジタル酔いする私にはパソコンに打ち込む作業はできない。…できないこともないけど、たぶん無理。
そしてなにより、まだ先輩にみてもらってすらいない原稿もある。最後のところだ。
先輩が入院&自宅療養している今日まで二日間の間に、一応小説は書き終わった。だけど、今回の小説は、わたしの小説じゃない。わたしと、先輩の小説なんだ。
わたしと先輩で、共同作業でこの小説を書いている。
先輩が倒れるまでは、そう思っていた。
だけど、どうだ。
わたしは確かに一番の核の小説を書いている。けれど、書くだけだ。ほかは、何もできない。先輩がいなかったらパソコンに打ち込むこともできないし、データにして印刷屋さんに持っていくこともできない。それに、先輩の修正が入らなかったら、本当はわたしの小説なんて未熟でどうしようもない文章のままだ。
わたしは、銃弾だ。一発の、机の上に転がった、一発の銃弾。
先輩はさしずめ拳銃。弾丸を撃ちだす拳銃。
わたしは、先輩がいなかったら、いくら小説をかいたって、人の心にまで届かすことができない。先輩に守られて、引き金を引かれ、バレルの施線で回転させてもらって飛び出して、ようやく誰かに小説を見てもらうことができる。
要するに、弾丸というわたしは、先輩がいないとほとんど何もできやしないってこと、だ。
一度パソコンの電源をいれて打ち込んでみようとはしたけれど、すぐに気持ち悪くなって断念。やっぱりわつぃは、パソコンと相性がわるいらしい。
あーもう何だってこんな時期に倒れるんですか、先輩。むだに研健康で頑丈な図体してるくせに。作業量だって、確かに大変だけれど、倒れるほど厳しいわけじゃない。ずっと座ってるから体力だって、まぁ確かに疲れはするけど、そこまでじゃない。
もしかしたら、わたしが書いた原稿を見直して修正する作業は、思いのほか大変なのかもしれない。家のほうでも何かやっていて、それにプラスしてこっちの作業をしてるのかもしれない。
それにしたって、こんなときに倒れて寝込んでたんじゃ、本末転倒だ。
思わず、いつも先輩が座っているパソコンのイスに、呟いた。
「先輩の、ばか」
わたしだって、いま、結構大変なのに、一人にしないでくださいよ。
先輩がいないだけなのに、学校祭というイベントのせいで弱っているわたしの心と涙腺は、簡単に崩壊しそうだった。いつからこんなに半泣きが多くなってしまったんだろう、わたし。
どれもこれも、先輩のせいだ。
「こんちわー!さよりちゃんいるー?」
「わぁ!」
突然の茶木先輩の襲撃に、わたしはいそいで目拭った。
「あれ、泣いてたの?」
「いえ、泣いてません。で、突然なんですか、びっくりします」
「ちょっと、ね…。耳かしなさいな」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
ぐらぐらと揺れて、目を覚ましたときに視界に入ってきたのは、心配してるような呆れているような池ノ内の顔と、担架で俺を運んでいる慎一の背中だった。
頭と、腰の辺りがズキズキいたむし、なんだか目も痛い。何より、吐き気がして、寒気もする。見えているはずの池ノ内の顔がときどき白くなりかける。星がちらついているみたいだ。
池ノ内がなんだか俺に向けて離しているけれど、残念なことに全然聞こえない。そしてそのまま、俺はぎぅんと引きずられるようにして、真っ白の中から真っ暗の中に落ち込んで、俺は意識を失った。
次に目を覚ましたのが知らない部屋で、十分位して病院だと思い至った。
たしか、俺は、池ノ内の原稿をパソコンに打ち込んで、そうだ、そのあとぶっ倒れたんだった。
自分の体調が悪かったのは、しばらく前から気がついていた。池ノ内には気取らされないようにしていたけれど、ここ一週間、熱が高いままで平均睡眠時間2時間でやってきた。学校いる間は、池ノ内の原稿を推敲して、家に帰ってからは自分の小説を書いて。
自業自得だといわれれば、そりゃまぁ、その通りだ。自分で無理して、勝手にぶっ倒れて、迷惑なことこの上ない。鉄子姉さんにも心配かけたし、両親も仕事を放り出して駆けつけてくれた。で、がっつり怒られた。
実は、俺はあまり丈夫な体じゃない。体つきこそ鍛えたおかげで丈夫だけど、小さい頃はすぐに熱を出して、貧血気味の病弱少年だ。今でこそあなり病気はしなくなったけれど、一度高熱を出したら、なかなか下ってくれない。そして今回、すこし無理をしただけでこのざまだ。情けない。
病院の窓からは、のどかな街路樹の風景に気持ちのいい風が吹いて、まさかその向こう側に見える学園で、必死の学園祭準備が進められていることなんて、嘘みたいだ。
きっとみんな頑張っているんだろうなぁなどと無責任なことを考えながら、鉄子姉さんがもってきてくれたりんごをシャクシャク食べてみる。甘くておいしいけれど、40度をかるく超える熱でやられた俺の脳味噌は、そのおいしさの半分も感じ取ってくれていない気がする。
医者の話だと、様子見で1日入院するらしい。別に家で寝てたってかわりゃしないって言うのに、「とりあえず1日入院してみましょう」と、しきりに入院を勧めた。大事な金づるは、のがなさない。
病院じゃあパソコンもいじれないし、鉄子姉さんの「あなたに本を読ませると、たぶんまた熱が上がるから」という理由で、本もない。参考書はあるけど、勉強する気力なんてない。隣のじいさんの持っていた本を借りたって、しょうもない。最近話題の自費出版で出した、自分の句集だそうだ。
─古池や 早く飛び込め 古女房─
確かに、じいさんの奥さんは、こわかったな。
冷たいことに、俺が入院している1日のあいだ、わざわざお見舞いにこようとおもった奴は一人もいなかったらしく、メールも慎一からのと茶木から来ただけだった。
まぁ、みんな学園祭の準備でいそがしいらしい。学生会はてんてこまいだという。
俺を心配してメールをくれるような奴もたいしたいないし、学園祭だし、しかたないと思いつつも、どうも熱に冒された頭の中で、物足りない気がする。
母さんと父さんも、ぶっ倒れた原因が、貧血と風邪の相乗効果だったという情けないことだったのがわかると「ま、今のあんたならスグに治るでしょ」と仕事に戻ってしまった。
そのかわり、鉄子姉さんが雑誌編集の仕事を休んで、看病してくれている。「疲れているのに気がつかなかったあたしのせいだ」と言って、ずっと看てくれている。今は、俺のベッドの隣で、パイプイスに座りながら上手い具合に布団に脚を入れて眠っている。足だけ同衾中。
いや、別に鉄子姉さんに変な気を起こすつもりはないんだけど。
鉄子姉さんとは、結構長いつきあいになる。六つ年上の、叔母さん。
親戚のなかじゃ、一番年が近かったせいもあって、昔から鉄子姉さんのことは好きだった。初恋もたしか鉄子姉さんだ。
母さんたちからはなれて、こっちの高校に入学することが決まって、鉄子姉さんと一緒に暮らすことが決まったときには、正直ありえない妄想を頭の中で繰り広げたりしたものだけど、いまじゃそういうこともない。
生活力あんましないけど、いざっていうとき頼りになる、オカルト雑誌の編集とかやってるちょっと変わった美人の姉さん。
鉄子姉さんが布団の中に入れてきていた足が、もぞもぞ動いた。座っているパイプイスがぎしぎしいって、いつも半開きの眠そうな、でも鋭い眼光の目が開く。
「あ、ごめん。寝ちゃってた」と、布団から足を引き抜いて、ぐーっと伸びをする。…ちょっと残念かも。
いや、ほんとにそういうよこしまな気持ちはもってないからな?
入院は一日で済んだので、何年かぶりにタクシーにのってアパートに帰った。
帰ったはいいものの、鉄子姉さんが仕事でいない間に小説を書いたりしているのでなかなか熱が下らず、38度前後をキープしながら布団に入っている。おかげで5キロも体重が落ちた。「ちょうどダイエットしようと思ってたし」と冗談で言うと、鉄子姉さんがマジギレして、どれだけ自分が俺のことを心配しているかということと、どれだけ仕事で俺の側にいられないことを悪く思っているかを半泣きで聞かされた。なんだかじぃんときて、俺も大人しく聞いていた。
そのうちに俺の進路の話しになった。
「圭吾。あんた、ちゃんと将来のこと考えてるの?もうそろそろ決めないと、まずいわよ?そんなに成績が悪いわけじゃないけどさぁ、進学するんだったら今からじゃもう遅いくらいよ?受験勉強。まぁ、あたしは進学しようが就職しようがどっちでもいいと思うけどね?大学進学したところで全然勉強しないで、単位だけとって卒業してニートになった奴だっているし、逆に高卒で就職して、いろんな経験してる人だっているんだし。あたしは高校卒業してすぐに今の出版社につとめたけど、後悔はしてないよ。やりたいことだったから。ところであんたはさぁ、やりたいことって、あるわけ?」
「まぁ、ある。最近考えるようになったんだけど、さ」と、俺はちょっと考えてたことを鉄子姉さんに話した。このことは始めて人に話した。
俺の考えをきいた姉さんは、一瞬驚いてから、しばらく考え込んだ。
「…それは、ちゃんと考えた?できないこともないけれど、たいへんだよ?ちょうど今募集をしようとしていたみたいだけど…」
そういって俺のおでこに手をやって熱を測り、ふぅと一息ついて立ち上がった。
「まぁもう少しよく考えて見なさい。わたしのほうもいろいろやっておくからさ。今日のところはおとなしくねてなさい」
まだ熱は38度から下らない。これじゃ原稿も書けない。
学校祭までに治るといいんだけどなぁ。池ノ内に怒られそうだと思いつつ、眠りについた。
先輩の家へ来るのは、コレで二回目だ。
手には藤のバスケット。茶木先輩に手伝ってもらって少し化粧をしてみたりしている。ほんの少しだけど。若干スカートの丈を短くされたのはやりすぎだとおもうけど、茶木先輩いわく「もう少し短くてもいい」らしい。
「いい?人間って弱ってるときにやさしくされると落ちやすいのよ。ちょうどいいことに圭吾が風邪でダウン。そのうえ学校祭の準備ができないことで負い目を感じている。これ以上ないわね。最高のシュチュエーションよ。ということで今からお見舞いに言ってきなさい。鉄子さんにはその旨伝えておくから」
いきなり図書室に入ってきた茶木先輩は満面の笑みでそうまくし立てて、鉄子さんへと電話をかけ、ようやく反応できたときにはもう学校の玄関だった。
「圭吾の家に行ったことあるんだよね」
どこから聞いたんだろう。
「さ、いってきなさい。夜這いかけてきなさいな」
まだ太陽がギラギラしてます。
「夏は女を大胆にするのよ」
言ってることが無茶です…
そんなやり取りのうちに茶木先輩の自転車に乗らされて、そのまま先輩のアパートについてしまった。お見舞いに行ってきなさいっていわれても、何をしたらいいのかわかんないし…。
そんな感じで突っ立っていたら先輩の部屋のドアがあいて鉄子さんが出てきた。身構える暇もなく速攻で見つかって満面の笑みを浮かべられた。
「茶木ちゃんから聞いたわよ。圭吾のことお見舞いに来てくれたんだって?やっぱりいい子ねぇ。圭吾にはもったいないわ。あ、襲っちゃってもいいからね」と最後にとんでもないことをさらりといった。先輩の回りの人は、無駄におせっかいな人が多いらしい。
「別に襲いませんしもったいないとかまだ彼女とかじゃありませんし」
「へぇ。「まだ」彼女じゃないんだ。前に来たときとはだいぶ心境が違うみたいね。今はその可能性があるって事?」
しまった。鉄子さんの目がへびみたいに細くなってる。
「遠慮することないわ。いま風邪で弱ってるんだから、好き勝手しちゃっていいわよ。。ちょうど今寝てるところみたいだし」
「好き勝手っていわれても」
「あ、コンドームは化粧台の引き出しに入ってるから」
「はいっ?こ、こんどーむってそんな」
「それじゃあ、圭吾のこと、よろしくね」
そういって鉄子さんはひらひらと手をふってどこかへ行ってしまった。
最後のセリフがやけに真顔だったなぁとおもいつつ、意を決して先輩の部屋へとお邪魔することにした。
「…せんぱーい、いますかー。勝手に入りますよー」
冷房をきかせていない部屋はかなり暑い。しかも湿度が高い。扇風機が一台、申し訳なさそうに首を振って空気をかき回している。先輩の部屋は、確かこっちのほうだ。
ふすまを開けると、畳の部屋に布団を敷いて、この暑いなかでしっかりと毛布をかぶった先輩が、規則正しい寝息を立てている。少し呼吸もしにくそうだ。なにより先輩の表情が、いつもはクールな、ちょっと高みから人を見下ろしてるようなかんじの先輩の顔が、今日に限ってはなんだか弱弱しくて、なんかちょっと頼りないし、なんつったって、「おしぼり」が額に乗っかってるんだ…
「なんか、嗜虐心そそられる…」
わたしでも勝てそうな気がした。いままで小説で散々言われた分、虐めたくなった。いま布団を引っぺがしてマウントをとったら、たぶんいける。絶対、いける。
…なにがいけるっていうんだよ…。
と、化粧台が目に入った。親切にも引き出しが半分あいていて、中から箱が見えている。もういちど先輩の苦しそうな寝顔と、その小箱を交互に見て、先輩のくせに可愛らしく「ぅうん」とかうめいてたりして、ムカついたから額のお絞りで鼻と口を塞いでみた。その後そっと小箱の入っている引き出しを閉めた。一瞬だけ想像、妄想したシーンと一緒に、見なかったことにする。
十秒くらいで先輩がふがふがと苦しみはじめたのでさらに三秒まっておしぼりを外してあげた。先輩の顔が、物凄く熱い。広げてたおしぼりも生ぬるい。相当熱があるっぽい。枕もとに用意されていた氷水に突っ込んで絞る。部屋の温度は暑苦しかったけれど、手だけは切れるように冷たくなった。
しばらくはぁはぁしてた先輩がわたしに気がつきもせず、そのまままた寝ようとしたので冷たくなった手をぴたっと目に当てた。もう片方の手を首筋に当ててみると、ひゃっと先輩がひくついた。
うわぁ、可愛い。可愛すぎます、先輩。なんかもうほんとに好き勝手しちゃいそう。普段とのギャップがありすぎ。これ人に見られたら何て思われるんだろう。
「ちょっと、姉さん、冷たいってば。目、塞がないでよ」
寝ぼけてわたしを鉄子さんと勘違いしてる。手の中で先輩のまぶたがもぞもぞしてる。
「あー、冷たくて、気持ちいい…」
わたしは先輩があっつくてドキドキしてる。いまさらながら。
そんな感じで油断してたら病人のくせにさすがは先輩な早業で首もとに触れていたわたしの手をいきなり布団のなかに引きずり込んで両手でぎゅっとされた。とっさのことに思考が停止。ただ布団の中が尋常じゃなく熱い。先輩の胸が熱い。心臓のどくどくと脈打っているのが手から伝わってくる。努めて冷静に、冷静に。
「せ、せ、せ、先輩。ダメですダメです。ちょっと離して…」
「なんか、池ノ内の、声が聞こえる、といいのに」
なんですかそれ。
「先輩、一旦離してください。どうにかなってしまいますから。」
「池ノ内…?なわけがないなぁ」っそういって手は離された。二歩ほど引いてしまう。先輩は、まだたぶん、半分寝てる。
「池ノ内、大丈夫かなぁ。池ノ内、どうしたらいいんだろうかなぁ」
どうしたらいいって…
また何かむにゃむにゃ言った後、先輩はまた眠ってしまった。
さっきまで冷たかった手は、今は燃えるように熱い。先輩の汗ばんだ寝巻き越しに心臓のドキドキをさわってしまて、ちょっとヤバイ。しかも後ずさった先が例の化粧台だからなお性質が悪い。
けっきょく、来たはいいものの、先輩に悪戯して自滅しただけじゃないか。
なにやってんだろ、わたし。
しばらく先輩の寝顔を観賞してから、茶木先輩に渡されたりんごの皮をむくことにした。
「看病って言ったら枕元でりんごの皮をむくっきゃないでしょうよ」という茶木理論を押し付けられて、結局それにしたがってしまう。
しゅる、しゅる、とりんごの皮を剥いてゆく。先輩の息遣いと、わたしが包丁を遣う音しか聞こえない。
りんごの皮むきと、先輩。
わたしは先輩に、どうしてもらいたいのか、何をしてもらいたいのか、どうみてもらいたいのか。
前にも自問した、どこかで聞いたことのあるような、ありふれた問い。
わたしは先輩に、どうして欲しいのか。
小説を見てもらいたい。小説を一緒に書いてもらいたい。頭をなでて欲しい。キスされたい?
わたしは先輩にどう見てもらいたいのか。
生意気な後輩。部活の後輩。ただの後輩。いきなりキスしてきた、厄介な後輩。好きな後輩?
剥き終わったりんごを、すぱん、すぱん、と小分けする。
眠っている先輩を前にして、わたしの心も、小分けされて、小さくなって、散ってゆく。
わたし、池ノ内さよりは、高梨先輩のことが好き。好き?好き。好き?…好き。たぶん、きっと、好き。生意気な後輩と、不良のくせに心配性の先輩の組み合わせ。あまり気を遣わない、楽な関係。司書室の中の、静かな関係。学校の帰り道の、関係。小説を書いているときの関係。
いままでなかった、初めてだった関係。
それはたしかに、楽で、気持ちが良くて、特に小説をかいているときは、自分自身を全面に出して、修正をかけてくる先輩とぶつかって。親にだって出したことのない、「自分」って言うのを見せることできた人。好きにならない、わけがない。
でも、好きだったら、何だって言うんだろう。
告白なんかして、ふられるんだろうか。
もし付き合ったとしたって、どうするんだろう。映画観たり、喫茶店行って珈琲のんだり、あんなことや、果てはイケナイことなんかをしちゃったりするんだろうか。
でもそんなのは、先輩じゃなくたって、好きになった人なら、だれだってできることなんじゃないだろうか。好きな人とそういうことをするからいいんだって、クラスの友達はいってたけど、みんな、簡単な、薄っぺらい、ぺらぺらの関係。手を繋いで、笑って、三ヶ月くらいで別れちゃったりして?別に好きでもないのに格好いいからつきあったりしてるのもいるけど、そういう風なら、わたしは先輩と付き合いたくなんかない。下川君と変わりない。
どうしてわたしは先輩に自分を出せたんだろうっておもったら、それは小説だった。
身を削って、これがわたしが創り上げた、わたしの一部っていうような小説を書いて、先輩に見てもらって。だから批判されたときはムカついたし、それでひどいことも言ったりした。でも、先輩も、わたしの書いた私を、ちゃんと、真剣に読んでくれた。
それが嬉しいんだ。
他の人に、あんな風に小説を見せるのは、ちょっと気が引けるけど、先輩なら、どうぞ見てくれ!って、池ノ内さよりをみてくれ!って感じで、無いムネ張って原稿を差し出せる。
他の人みたいに、薄っぺらくつきあったり、好きあったり、愛し合ったりなんて、わたしはごめんだ。それもいいのかもしれないけれど、もうわたしはそれ以上の関係を、知ったというか、見えている。
たとえ届かなくたって。
まだ高校一年、15年しか生きていないガキだけど、それでもわたしは、小説家だ。
先輩が、きっとわたしを私を小説家にしてくれた。やり方は拙かったのかもしれないけれど、きっと先輩は、一生懸命に、私のことを、そういう風にしてくれてと、思ってもいいですよね、先輩。ただの小説書きだったわたしに、いろんなこと教えてくれて。
だから、今書いてる小説が、一番好きだ。
先輩も遠慮なく言ってくれて、私も遠慮なく反論して論破されて、直されて、書いてきた文章が、削った私自身が、先輩の色を滲ませてちょっとずつ色が変わっていくのが、楽しい。
今までの私の色に、先輩の色が滲んで、新しいわたしの色ができてきて。
先輩がいなかったら、わたしは、原稿を取り上げられて、音読されて、ばかにされて傷ついたまま小説をかくこともなかった、つまんない女の子のままだった。
わたしにとって、先輩は特別なんだ。わたしを変えてくれる、受け止めてくれる、直してくれる、不良で、目つきが悪くて、ケンカが強くて、怖くて、小説がすきで、心配性で、お人好しな、先輩。
なんだ。ちゃんと、わかってる。
「先輩。わたし、好きですよ。とっても」
寝顔に呟く。
「先輩、起きてください。ほら」
頭を揺らして、先輩を起こす。
「…ん、あれ、ぇ?い、池ノ内?なんで、」
切り分けたりんごを口にくわえて、そのまま先輩に、迫る。
先輩が、りんごを食べてくれなかったら、わたしはそれでいい。これ以上、何もしない。脈無し、ということだ。ただ、食べてくれたら……風邪、うつっちゃうかも。
「お、おい、池ノ内、まて、よ」
待たない。目を閉じる。
加えたりんごの先端が、先輩の唇に当たる。
そして、そのまま、りんごは先輩の口の中に入っていって、さくさくというりんごの音と感触伝わってきて、いつかは、くちびると、くちびるが、くっついた。くわえていたりんごが先輩に引っ張られて、わたしの口から抜けて、ぴったりとくっつき合う。
先輩合意のもとでのキスは、あたりまえながら、熱くて、りんごの味がした。
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