-小麦粉記-

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傘立ての、傘


 仕方ない、風邪覚悟で濡れて帰ろう!と半分自棄になりながらドアに向かう途中、雨なのにたくさんの傘が入れっぱなしの傘立てが目に入った。
 ひょい、と俺の中の何かが鎌首をもたげる。丁度いま、人はまばらだ。もし俺がこの傘立ての中の一本を拝借しても、きっと誰も気がつきやしない。そして俺は、濡れたくない。
 さりげなく、ごく自然に、目に付いた一本をシュルリと抜き出す。ドアを開け、雨の中にその傘を広げる。古いけど、小綺麗な黒い傘。心の中で持ち主に謝りつつ、広げた黒傘をくるくる回しながら、家に帰った。

 昨日とは打って変わってからりと晴れ上がった青空。ただしばあちゃんの忠告で自分の傘は持ってきている。そんな中、教室に入った俺の目へ最初に飛び込んできたのは、同じクラスの女の子の雨模様だった。
 俺の席の近くで何人かの女の子に慰められながら、女の子が泣いている。泣くのは構わないけど、近くで泣かれるとちょっと気まずいかも。と内心呟きながら机にカバンを置くと、隣の話の内容が聞こえてきた。
 ─大事にしてた傘が無くなったんだって。盗まれたみたい。えぇーひっどぉい!あの傘でしょ、綺麗な黒い傘!─
 女の子がひく、と震えた。俺の視線に気がついたのか、いっそう俯いてしまう。涙がぽろぽろとハンカチを伝って、教室の床に落ちた。
 俺の体は、とうに凍り付いている。どう考えても、昨日俺が拝借した黒い傘に違いない。
 「素直に、今、謝れ」と今頃になって、傘を取ったときには黙っていた良心が囁く。・・・この雰囲気では無理に決まっていた。
彼女の心の雨と、俺の心の暗雲を反映したかのように快晴の空はみるみる曇りだして、雨が降ってきた。この天気じゃ傘がなきゃ帰れない。ばあちゃんの言う通りになった。

 俺は昨日の傘立てのところで、彼女を待った。案の定、彼女は目を赤くしたまま俺の待つ傘立てのところにきて、俺なんか見えてないように傘立をいじりはじめる。だから、さりげなく自然に、言葉を、紡いでみる。
 「なぁ。お前の黒い傘なんだけど、俺の家にあるんだ。取りに、来ないか?一本しか、傘は無いけど。」とても自然とは思えない。
 だけど顔を上げた彼女は、「よかった。あなたが、持ってたんだ。」と、目じりの雨を拭って、快晴の空みたいに、笑った。
その笑顔に、俺の心が、熱く沸騰した。
「あなたが濡れなかったなら、私は、いいよ。」そう言って俺の広げた傘に、ひょいと入ってくる。「あなたの家まで、よろしく。」と。
心は沸騰したまま、俺は一歩、踏み出した。
なんかもう、いつの間にか雨は止んで、青空が広がっていたけれど。


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