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2011年01月15日
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 御簾の隙間からそっと差し入れられた箱に、幸鷹はしばらく見向きもしなかった。
 嗜みとはいえ、薫きしめられたその薫りが、送り主の正体を告げていたからだ。

(何のつもりだ。)

 贈り物を受け取る理由など何もなかった。が、使いの者が「四条の尼君のお屋敷から」と伝えてきたから、突き返せとも言えずにそこに置かれてしまったのだ。

(姑息な。)

 正面からでは決して受け取らないと知るからこその仕業。よりによって、紫姫や神子の名を騙るなど。

 御簾の合間に置かれた箱は少なからず人の出入りの邪魔をする。幸鷹を訪ねる部下たちが、いちいち怪訝な顔で箱を眺め幸鷹を眺めるが、幸鷹があたかも何もないかのように振る舞うので「いかがいたしましょう」とも聞けず、箱はずっとそこにあった。
 日の暮れる頃、幸鷹の身の回りをする女房が掃除のついでに箱を手に取った。

「殿様、これは……」


 吐き捨てるように言われた言葉に女房は驚きの顔を隠さなかったが、言われるままにどこかへ下げに行った。
 幸鷹はほうっと息をついた。部屋の中に染みついた穢れがようやく祓われたかのような気分になった。
 するとそこへ、先の女房が慌てて戻ってきた。

「殿様、本当に捨ててもよろしいのですか?」
「本当に? どういうことだ。」
「尼君様の許においでの姫君様からの御文が入っておりました。」
「紫姫から?」

 渡された文を幸鷹は半信半疑でつまみとった。小さく結ばれた結び目を爪の先でほどくと、確かに紫姫の筆跡だった。


   神子様のお頼みで御文をいたします。
   神子様のいらした世界では、一人一人の生誕を言祝ぐ習慣があるのだそうでございます。
   こちらではそういうことはいたしませんと申し上げましたらとても残念に思われて、お気の毒なほどでございました。



「箱の中には文の他に何か入っていたのか?」
「はい、美しいお色目のつややかな布子が。」
「布子?」
「ええ、手巾と呼ぶには少し小さくて。」

 幸鷹はそれを持ってこさせた。手に取った瞬間、幸鷹にはそれの使い道がわかった。



 どうしてわかったのか、幸鷹にもわからなかった。そして、それがどうしてあの薫りを纏ってきたのかも皆目わからなかった。

 幸鷹は立ち上がった。訪ねるのが一番早いと思った。



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「本当に助かりました。香合わせは貴族の姫の嗜みと、お祖母様も教えてくださるのですが、香木を砕いて粉にするところはどうしても力が足りなくて。」
「ふふ、お役に立てたならうれしいねえ。楽しかったかい? 神子殿。」
「おもしろかったです。ちょっと粉を増やすだけですごく薫りが変わって。」

 幸鷹の誕生祝いに、絹の端布を眼鏡拭きにして花梨は準備していたのだが、めざとく見つけた翡翠が「香を薫きしめたらどうか」と提案し、幸鷹好みの侍従の香を合わせることになったのだ。

「翡翠さんの言うとおりに合わせたんだけど、幸鷹さんの好みに合うかな。」
「大丈夫だと思いますわ。でも、幸鷹殿の侍従とは少し趣が異なるような。」
「それは、神子殿のお好みということでいいのではないかな? 合わせる者の手加減で異なる物だからね。」

 ふふと含み笑いの翡翠に、花梨は一抹の不安を覚えた。

「翡翠さん、何か企んでませんか?」
「おや、企むとは人聞きの悪いことを言うねえ。何も企んでなどいないよ。」
「ほんとですか?」
「疑うのかい?」

 じろりと見下ろされる視線に、花梨は肩をすくめた。

「……まあ、楽しみにしていなさい。きっとおもしろいことが起こるから。」

 起こっていない証拠に花梨の頭をぽんと一つたたいて、翡翠は部屋を出て行った。紫姫は女房を呼んで幸鷹あての贈り物を言付けた。そうして、箱は幸鷹の屋敷へ届いたのだった。



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 花梨の部屋を訪れた幸鷹は、そこに翡翠の姿がないのにほっと胸をなで下ろした。

「よかった、神子殿、私は……」

 息せき切ってやってきたのを隠しきれない幸鷹に、花梨の方が驚いた。

「幸鷹さん、どうしたんですか?」
「どうしたって……あの薫りですよ。」
「ああ、あれ……」

 花梨がほのかに頬の色を染めるから、幸鷹はまた、かっと熱くなった。

「神子殿、まさかあの海賊と……あれは危険な男だと言ったはずだ。」
「危険って……何も危ないことなんかしてませんよ?」
「じゃあ、あの薫りは!」
「気に入りませんでしたか……?」

 花梨の目が潤んできたのを見て幸鷹は慌てて言葉の調子をゆるめた。

「……あの薫りは、どうしたんですか?」
「作ったんです。翡翠さんと……」

 眉根がぎりっと上がって睨みそうになるのを幸鷹は懸命に押さえた。花梨の言葉を最後まで聞かなくてはと思った。

「……紫姫と3人で。」

 3人で! 幸鷹はほうっと大きく息をついた。

「幸鷹さんの好きな侍従の香を作ろうと思ったんです。紫姫が作り方を教えてくれて、でも、香木をつぶすのにすごく力がいって、そしたら翡翠さんが手伝ってくれて、それでそのとき、幸鷹さんはこれくらいの感じが好きだって、翡翠さんが合わせ方を加減してくれたんです。ね、翡翠さん。」

 同意を求める花梨の声に、幸鷹は目をむいた。

「翡翠さん……!?」
「おや、君にさん付けで呼んでいただけるとは光栄だねえ、別当殿。」

 くつくつと、堪えきれないというように笑いながら翡翠が壁代の向こうから姿を現した。幸鷹の顔はこれ以上赤くなれないと思われるほどに紅潮した。

「気づかなかったのかい? 君ほどの人が、よほど動転していたとみえる。」
「私が、どうして!」
「ああそうか、風向きが悪かったのだな。私には君の薫りがありありとわかったけれどね。」

 幸鷹の顔がどんどん険しくなるので、花梨はいたたまれない思いだった。

「あの、翡翠さん、けんかはやめてください。」
「けんか? 誰と誰が?」
「翡翠さんと幸鷹さんがです!」
「けんかなどしてはいないよ。おもしろくてたまらないだけでね。」
「何もおもしろくなんかありません!」
「そうかい? 私には、別当殿が慌てふためいてこの部屋に入ってくるのがこの上なくおもしろく感じられたけれどね。滅多に見られない光景だと思わないかい? 神子殿。」

 花梨は勢いよく立ち上がった。笑いを止めない翡翠の横をつんと通り過ぎて、幸鷹のそばへ寄った。

「こんな翡翠さんは放っておいて、どこかへ行きましょう、幸鷹さん。」

 幸鷹はうなずいて立ち上がった。翡翠の笑いは止まらなかった。

「翡翠殿。」

 花梨と幸鷹を見送りにきた紫姫が静かに翡翠を睨み付けた。翡翠は軽く肩をすくめただけで、満足そうな笑みを消さなかった。



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 幸鷹が件の絹の端布を出して眼鏡を拭いたので、花梨はびっくりした。

「どうしてわかったんですか?」
「こうして使うのではありませんでしたか?」
「合ってますけど……びっくりしました。」
「そうでしょうね。私も驚いています。この布を見たとき、こういう使い方しか思い浮かばなかった。」

 幸鷹は花梨の瞳をのぞき込んだ。そうするといつも、幸鷹の脳裏に同じ風景が浮かぶ。京の建物とは似ても似つかぬ無機質な、目眩を覚えるほどの高層な建物群、牛車とは比べものにならないほど速く走る金属製の車。数え切れないほどの人が忙しげに行き交い、赤や青の明かりがともる機械が人の波を仕分けている……。

 幸鷹はいつもの頭痛が襲ってくるのを感じた。

 苦しげにこめかみを押さえた幸鷹を、今度は花梨がのぞき込んだ。

「大丈夫ですか?」
「ええ、すぐに収まります。ご心配かけて申し訳ありません、神子殿。いつものことなのです。」

 そう、あの夢を見るといつも感じる、目眩のする吐き気、締め付けられるような頭痛。苦しさに飛び起きるとそれらは嘘のようにかき消されて、何事もなかったかのように眠りにつけるのが常だった。

(これの使い道が即座にわかったのも、この夢に関係があるのだろうか。)

 見たとたんに、「いつも使っているなじみの物」という感じがしたのだ。眼鏡は単衣の端か懐紙で磨く物と思い込んでいて、それ用の布を使うなど思いもよらなかったのに。

 花梨の手が、ぎゅっと広袖の端をつかんだ。その手を取り、抱きしめたい衝動を幸鷹はぐっと抑えた。

(まだ早い。)

 何が早いのかはよくわからなかったが、わき上がる暗い欲望を抑え込むには十分だった。自分はあの海賊とは違う……そういう自負もあった。

「帰りましょう。あなたが冷えてしまう。」

 幸鷹の言葉に花梨は素直に従った。西の空にかかる細い月を見上げながら帰った。沈む夕日に山々の峰や建物がくっきりした影になって、夜寒を避ける雁が鳴いて渡る、そんな宵だった。

「ありがとうございます。」

 幸鷹がつぶやいた言葉に、花梨はうれしそうにうなずいた。心まで凍てつきそうに冷えていたけれど、今夜は暖かく眠れそうだと思った。





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最終更新日  2011年01月15日 09時04分39秒
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