NANA ARIA HOUSE

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おやこ


X(被上告人)は,大正12年,亡Aと亡Bの夫婦(以下「A夫婦」という。)の長女として出生し,昭和5年,亡Dと亡Eの夫婦(以下「D夫婦」という。)と養子縁組をし,その後,D夫婦の子として養育された。亡Cは,大正14年,A夫婦の二女として出生した。
Y(上告人)は,昭和16年,亡Fと亡Gの夫婦(以下「F夫婦」という。)の間に出生した。F夫婦は,Aに対し,YをA夫婦の嫡出子として出生の届出をするように懇請し,Aは,YについてA夫婦の間に同月に出生した長男として出生の届出をした。
A夫婦は,Yを同夫婦の実子として養育した。Yは,高校卒業のころ,自分がA夫婦の実子ではないのではないかという疑問を抱いたことはあったが,A夫婦を含む周囲の者からその旨を告げられることはなく,A夫婦の実子であると思い続けていた。その後,Yは,大学に進学し,卒業後,婚姻したが,昭和51年までA夫婦及びCと生活を共にした。また,Cは,Yの学費を負担するなどYの養育に協力した。Aは,昭和49年に死亡したが,生前Yが自分の子ではない旨を述べたことはなかった。Aの遺産はすべて妻であるBが相続した。
Yは,平成2年ころ実母であるGの喜寿を祝う集まりに呼ばれ,平成5年ころには,自分が真実はF夫婦の間に生まれた子であることを認識するに至ったが,その後も,従前と同様に,B,C及びXとの間で家族としての関係を継続し,同人らも,YがA夫婦の間の子であることを否定したことはなかった。
Bは平成8年に死亡した。その遺産は遺言によりすべてCが相続したが,このような遺言がされたのは,遺産の主なものがBとCが居住していた自宅の土地建物であり,Bの死後もCが引き続きこれに居住できるようにBが配慮したためであることがうかがわれる。
独りで生活していたCは,平成14年自宅で死亡し,その約10日後に発見された。Cは,Bの死亡後も,YがA夫婦の実子であることを否定する旨を述べたことはない。
Xは,YがCの安否の確認をしなかったためにCの死亡の発見が遅れたと思い憤りを感じていたところ,Cの法要の参列者をYがXに相談なく決めようとしたことなどに反発し,YとA夫婦との間の実親子関係を否定するに至った。
Yは,XがD夫婦と養子縁組をした後,D夫婦の子として生活していたこと,A夫婦は,生涯Yとの実親子関係を継続し,死亡するまでこれを否定することはなかったこと,A夫婦は死亡したため,現在では,YがA夫婦との間で養子縁組をすることはできない状況にあること,Xは,Cの死後,その遺産の相続についてYと話し合うなかで,Yが,A夫婦と親子関係がなく,Cの相続人ではないと主張するに至ったのであって,本訴請求は専らXが上記遺産の独占を図る目的のものであることなどの事情に照らすと,本訴請求は権利の濫用であると主張した。
原審は,戸籍の正確性確保や,対世効をもつ身分関係存否確認訴訟で個別事情を重視すべきでないことなどを理由に権利濫用を認めず,X勝訴。Yが上告した。

戸籍上の父母とその嫡出子として記載されている者との間の実親子関係について父母の子が不存在確認請求をすることが権利の濫用に当たらないとした原審の判断に違法があるとされた事例

民法1条3項,民法772条,人事訴訟法2条2号

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