明治の町家   姫路の春霜堂  

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武藤山治 1867-1934 実業家、政治家


武藤山治 1867-1934 実業家、政治家

大正・昭和期の実業家・政治家。慶応3年、愛知県の豪農の生れ。子供のころから不正が許せない性格で、学問を愛する政治家であった父、国三郎の影響を受けて、創設間もない慶応義塾に学ぶ。
卒業後十九歳で渡米、タバコ製造所の見習職工として苦学。帰国してからは、日本で最初の新聞広告取扱業をはじめる。また、英字新聞『ジャパン・ガゼット』に勤めて当時の官憲政治の言論圧迫と闘った。

明治26年三井銀行に入り、神戸支店副支配人をへて、27年鐘ヶ淵紡績(カネボウ)に入社し、本社支配人、専務取締役、大正10年社長に就任。合理的経営主義とヒューマニズムで鐘紡を経営した彼は、共済組合や社内報の発行などを日本で最初に手掛け、常に従業員の福祉を図った。後に政界革新をとなえて衆議院議員となり、また時事新報の再建に乗りだしたのも、悪を憎む彼ならではである。

13年以降衆院議員当選3回。昭和7年時事新報社に入り、帝人事件を摘発したが、時事新報社に出社するため北鎌倉駅に向かう途中暴漢に襲われ、武藤をかばった書生が凶弾2発を受けて死亡。武藤は5発を浴び、倒れた。犯人もその場でこめかみに1発打ち込み、自殺。犯行に及んだ動機ははっきりとはしない。翌10日、武藤も鎌倉の病院で息を引き取った。享年68歳。

私の父親の叔母は武藤山治氏や奥方とはとても懇意にしていたそうだ。


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