私が小学校に上がった頃、(遠いむかし) ひと駅だけ電車に乗って学校に通う事になった。日本で始めて鉄道が敷かれた終着駅の 桜木町駅 まで。その頃、東横線は 丸みをおびた緑色のイモ虫そっくりな電車から 四角い銀色の電車が混ざってきた時期だったのだと思う。 今、思うと本当に申し訳ないというほど 駅や駅員で遊んだ。入ってはいけないところまで入ったり駅員を 毎日からかったり。玉木さん ごめんなさい。最初は遊んでくれていたのに たま○ーん!なんて呼んじゃって しつこくやりすぎて 最後には口もきいてくれなくなりましたね。すみませんでした。そのうち、線路は どんなところまで続くんだろう・・・反対の終点の渋谷って、どんなところなんだろう・・・なんて考えているうちに 朝から思い切って反対方向の電車に乗ってみたりして。でも途中で怖くなって 知らない駅で降りて 反対ホームに行って 桜木町方面の電車に乗り なんとか遅刻しないで学校に行った日があった。 でも とうとう学校の帰りに決行。(そうだよ、行きじゃなくて やるなら帰りでしょ、小さなメルモ3。脳みそも小さかったんだね。) さすがに低学年だったので 渋谷までは行かなかったけれど 知らない駅で降りて ランドセルにゴム紐でぶら提げた定期券を ドキドキしながら でも何食わぬ顔して ちゃんと駅員に見せて改札を通過。 そして駅の周辺をお散歩した。といっても駅のまわりの つつじの花をもいで 雌しべと雄しべを むしり取ってから 花の蜜をちゅーちゅー吸って かすかな甘みと香りを楽しんでからポイと捨て 2、3個吸ってから すぐに駅に戻り 反対ホームから電車に乗って家へ帰ると、 親から 「警察に捜索願を出すところだった」と言われ 震えが出た。この時まだ7歳くらい。 この頃から私の旅好きは始まっていたのかもしれない。
決して活発な女の子じゃなかったはずなのに(オトナシカッタかと・・・) 色々と大胆だったんだなぁというか、今の子どもは こんな馬鹿なことしないだろうと 思うような遊びをしていたような記憶が。例えば、吊り革から吊り革に お猿のように飛びつきながら ぶら下がって遊んだ次の日は 電車通学している子だけ呼ばれて 校長先生に全員叱られたし。
ある雑誌を何気にパラパラとめくっていて、すごく驚いた。その思い出の吊り革が 熊本で まだ揺られてるではないの!?しかも通称アオガエルなんて呼ばれて親しまれてるなんて知らなかった。これは絶対に会いに行かなくては、、、元気で待っててね!!と心の中で叫んでから2年もたたないうちに 九州ツーリングを強行することになったので 現役のうちに会いに行くことができた。(麻生総理、ありがとう。1000円高速道路のお陰様で行くことができました。これだけは感謝します。)
やさい村が目立ってる

想像していたより 素朴な駅舎だった。

いたいた!イモムシさん!涙の再開・・・・ (アタシって鉄子?)

画像見えにくいですけど ホームの右側に自転車の人が。自転車も一緒に乗れるっていいですね。

何時に行けばアオガエルに会えるのかなと思い、 熊本電鉄さん にメールで問い合わせた私はアホでした。上熊本と北熊本の短い区間を行ったりきたりしているだけでした。若かりし頃は東京-横浜間を往復していたけれど 老後は熊本で無理のない程度に頑張ってます。という感じでしょうか。クーラーはないから上の扇風機が活躍するのでしょうが、想像しただけで 生ぬるい空気がもわ~っと・・・
吊り革が 激しく左右に振られるのが おかしくておかしくて^^
と、いうか この吊り革・・・ 渋谷109のロゴが入ってるんですけど 本当に私が乗ったことのある車両かもしれないの??と、実感がわくような わかないような・・・

乗客が全員 イキイキしている。 運転手さんとおしゃべりなんかしながら 整理券と運賃を箱に入れてから 降りている。みんな笑顔^^


子供の頃 一番前を陣取り いくら見ても飽きなかった計器類と 電車の操作(と、奇妙な声を発声しながら淡々と済ませる確認作業とか)大好きだった。雨が降ってきたのでワイパーが、、、 ワイパーが、、、
ガチャコーーーン!
ガチャコーーーン! と、
ものすごい音をたてながら 今にも壊れそうな勢いで バッタンバッタン往復してる^^;
もう感動もんです。
車窓からの風景は ふぁいっとっ・・ ふぁいとっ・・ だし。

いつまで頑張れるのか アオガエルことイモムシさん
大事にされて、みんなに愛されて良かったね
こんなことで 嬉しい自分がお徳な性格に思える。
鳥甲山 2009年07月21日
美味しい温泉?^^別所温泉めぐり 2008年09月04日 コメント(4)
一年の計は元旦にありという言葉は嫌い 2008年01月02日 コメント(16)
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