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10 麗子の歓喜の涙

10 麗子の歓喜の涙
novel09

人間の一生は後悔と反省の連続である。『思いどおりの人生なんて何処に転がっているのだろう』と考えると暗い気分になる土門である。しかし常にマイナス思考の土門にも楽しい思い出や出来事はある。気の合う仲間との酒盛り。親愛なる家族とのふれあい。趣味のゴルフやスキーを楽しむ瞬間。思い起こせば楽しいことは数多くある。しかし出来ることならこの一瞬を『今愛する人』と共有したいと思う。

愛する人はいつも側にいて欲しい。そして自分の思うことをすべて伝えたい。それが取るに足りないことであっても耳を傾けて欲しい。この俺のメッセージを真摯に受け止めて欲しい。土門は今の気持ちを麗子に伝えようと思った。今まで麗子の思慕に応えられなかった償いをしたい。『麗子と旅をしよう。そしてこの気持ちを話そう』と決心した。さっそく旅行の計画を話すと麗子は即座に賛成した。しかし二人の生活環境では泊りの旅行は難しい問題であった。

「やっぱり無理かな。子供も旦那もいる。二日も三日も家を空けることは出来ないし諦めよう」

「心配しないで。私はこの日を待っていたのよ。あなたが振り向いてくれなかった悔しさから比べれば、旅行をする算段を考えることなど簡単なこと。私は諦めない」

夫、子供、仕事 ……。難題を一つ一つクリアして行った。土門と旅行することがすべてであり他のことは切り捨てた。一方、土門は会社の社員旅行という都合のいい口実があった。土門は旅行の幹事に不参加を表明し社員旅行と同じ静岡方面へ目的地を定めた。

社員旅行と同日、土門は麗子を伴い伊豆下田を目指して車を走らせた。どんな口実で夫に許しを得たのか興味があったが、子供のようにはしゃぐ麗子の姿を見ると、あえて余計なことは聞くまいと思った。

「あなたを初めて見た日から二年間、あなたは全然振り向いてくれなかった。本当に辛かったわ。でも今はそんなことすっかり忘れてしまった」

「君がくれた愛を二年かけて返して上げる」

車は東名高速御殿場インターを降り、箱根、芦ノ湖を経て伊豆スカイラインに乗った。しかし楽しい旅行のはずなのに、会社の一行と遭遇しないか心配ばかりの旅でもあった。

伊豆半島最南端の下田に着き、さらに石廊崎灯台へと足を伸ばした。展望台に立ち眼下の海を見下ろす。群青色の海、打ち寄せる波は男性的であり激しい波しぶきが美しかった。土門と麗子は深い奈落に吸い込まれそうな気がした。

「海はいい。何もかも忘れさせてくれる。本当に海は果てしない」

土門は訳のわからないことを呟きながら盛んに感心している。

「あなたは楽しい時、辛い時、この果てしない海に帰ればいい。この海は私の心の中を映し出している」

麗子は愛するわが子を見守る母親のような優しい眼差しを土門に向けた。

「それにしても海は深遠だ。ところで君の心の海は何色?」

「私の海はあなた色。あなたが混ぜ合わせたあなたの思いどおりの色よ」

いつの間にか母親から男を愛する女の顔に変わっていた。『幸福』を手に入れた嬉しさから心の底から歓喜の雄叫びを上げたい麗子であった。土門が旅行を決意した目的は自分の思いを告白するためだったが、相変わらず麗子の心情ばかり聞かされる。土門が思いのたけを話そうとすると両手で耳をふさいでしまう。

「そんな言葉は似合わない。いつもの冷たいあなたでいい」

「そんなに冷たいか? 俺の優しさ全然わかってないね」

「冗談よ。本当は優しい人」

「何に付けても下手くそだから。でも好きな人の前では少しだけ雄弁になれる。自分の気持ちだけは伝えておきたいからね」

下田を後にした土門と麗子は海岸通りを北上、宿泊先の熱川ビューホテルに着いた。麗子は西洋風の瀟洒な佇まいが気に入った。そして宿泊カードに『土門麗子(妻)』と記入した。

「奥さま、ようこそいらっしゃいました。伊豆の旅はいかがでしたか? 充分満喫されましたか? 」

「どうもありがとう。すてきな旅でした」

フロントマンの『奥さま』という言葉に嬉しさを隠し切れない麗子。

「奥さま…。一度でいいから呼ばれたかった。ところで私たち本当の夫婦に見えたかしら」

部屋に入るなり麗子は正座し両手をついて深々と頭を下げた。

「ふつつかな私ですが、末永くよろしくお願いします」

「新婚旅行じゃあるまいし変な奴だな」

「私にとって今夜が本当の新婚初夜です。この瞬間だけでいい私の愛する夫であって欲しい。あなたには何も望まない。だからほんの少しだけわがまま言わせて」

夕食は舞台付きの大ホールにグループごとに用意されていた。知り合いに遭わないかと心配な土門であったが、麗子は食事の目玉である伊勢エビに舌鼓を打っていた。

歌謡ショー、郷土芸能の民謡踊りの演出に大ホールの宿泊客は満足している様子。楽しく飲んだビールのせいか、長時間のドライブの疲れか、土門は軽い睡魔に襲われた。一方の麗子はまるで元気印。ホテルのカラオケスナックへ行こうと騒ぎ始めた。

「あなたとデュエットしたいの」

麗子もかなり酔いが回っていた。仕方なくホテル内のスナックに入った。

すると農協の団体らしいおばさんグループが近づいて来た。

「新婚のお二人さん、一曲お願いします」

土門は周囲を見渡したが若い新婚カップルはいない。

「そこのお二人さん、あなたたちですよ」

どうやら自分たちのことだと気づいた土門は『おばさんたちも相当焼きが回っているな』と思った。

「新婚ではありませんよ。お世辞を通り越して皮肉に聞こえますよ」

内心『まだ若く見られる』とまんざらでもない土門。おばさんたちの盛り上げに気分をよくした土門と麗子はステージに立った。

「息の合った素晴らしい夫婦ね。いつまでも仲よくがんばってね」

おばさんたちは『旅の恥はかき捨て』と馬鹿騒ぎをしている。しかし酔いが回るにつれ、ぼやき口調に変わり、さらに説教じみて来た。

「男なんて勝手な動物よ。外ではいい顔して、家に帰って来ると仏頂面なんだから。たまには優しい言葉の一つも言えないものかね」

「奥さんも気を付けなさい。優しそうな旦那さまだから心配ないと思うけれど、今からしっかり教育しておくのよ」

雲行きが怪しくなって来た。いつの間にか世の男性が悪者にされている。早くこの場から抜け出さないと彼女たちの格好の標的にされてしまう。土門はもの足りなさそうな麗子を連れ出し部屋に戻った。

土門はコカ・コーラを一気に飲み干した。そして麗子を露天風呂に誘ったが『どうせあなたと一緒に入れないから遠慮する』と言いながらシャワールームに入ってしまった。

土門はホテル自慢の露天風呂に出かけた。入口は男女別々だが中は混浴であった。

土門は淡い期待を抱きながら入ったが、その期待は見事に裏切られた。確かに混浴の現実はあったが、カラオケスナックにいたおばさんグループの『ダブ肉オンパレード』がそこにあった。土門は思わず目を背けた。

「あら、お一人? 奥さまはどうしたの。こっちへお出でなさい」

恐ろしいものを見てしまった土門は、下半身の一物が次第に萎えて行くのを覚えた。

「どうも失礼しました。また今度お願いします。さようなら」

「何よ意気地なし! 取って食うつもりはないから安心なさい」

ここまで言われると『このスケベばあさん』と嫌悪感にさいなまれる。あの年代の女は羞恥心のかけらも残っていないのかと土門は思った。

土門は部屋に逃げ帰った。麗子はすでにシャワーから出て鏡の前でバスローブを整えていた。部屋には何か甘い香りが漂っている。土門は何処かで同じ香りを嗅いだ覚えがあった。

「シャネルだろう? 初めて結ばれた夜と同じ香りだね」

麗子は振り向きざまバスローブを床に落とした。一糸まとわぬ肉体は仄かに赤く染まっていた。土門は麗子を引き寄せ肩から背中そして腰へと愛撫の手を伸ばした。

麗子はいつも感性豊かで土門の側にいるだけで濡れていた。土門は麗子をテラスに通じる透明のガラスドアに押し付けた。

「だめよ、誰かに見られるでしょう」

「大丈夫だよ、今は二人きりの世界。誰も我々のことは見えない」

土門の唇と舌が麗子の首筋から乳房へゆっくり徘徊した。乳首を軽く噛むと『あ、あ』と声を発し土門の背中に回した両手の爪を立てた。土門は下半身へ唇と舌を進めた。麗子の泉はすっかり濡れていた。泉のGスポットを舌で転がす。麗子は体の芯に電流が走るような衝撃を感じ、全身の力が抜けて行くのを覚えた。

「もうだめ、早く私の中に来て!」

土門は麗子の背後に回った。両手は乳房から泉をまさぐり、唇と舌は首筋、背中を徘徊した。麗子の汗ばんだ体がガラスドアに密着した。麗子がそっと目を開けるとホテルの庭園を散策する宿泊客の姿が見えた。

「だめよ、人に見られるわ」

麗子は他人に覗かれる恥ずかしさと肉体をもてあそばれる喜びが交錯し燃え上がった。たまらずドアに手をかけると反動でドアが少し開いた。テラスに上半身をさらけ出した麗子は、声を押し殺し激しい攻めに堪えた。

「ベッドに連れて行って」

麗子は哀願した。土門は麗子を抱きかかえベッドになだれ込んだ。

「夢じゃないのね。本当にあなたがここにいるのね。あなたを一生愛して行ける。死んでもあなたを愛し続ける」

麗子は涙が止まらなかった。愛する人との一瞬が信じられなかった。涙で濡れた麗子の顔には、諸々の問題で悩む苦渋の表情は消えていた。土門と麗子はベッドから起き上がり、遠く水平線を見渡せるベランダに出た。波静かな秋の海は冷たい潮風を容赦なく二人に浴びせかけて来たが、愛の行為の余熱に包まれた二人には、心地よい清涼感でしかなかった。背後から抱き付いた麗子は土門の背中の大きさを感じながら呟いた。

「私の幸せはあなたを生涯愛し続けること」

これから何十年もの間どのように関わり合うのだろう。麗子を取り巻く制約をどのように解決して行くのだろう。しかし麗子の情熱には不可能を可能にするバイタリティーがある。自分の夢を確実に実現させた過去を知っている土門は『大変なことになった』と思った。

11 麗と土門の危機



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