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楽天とミクシィを通し交流のあったちゃんこ爺さんが亡くなられたと知らせがあった。数年前に肺がんを患われ闘病生活を送られて克服されていた。以前に体調を崩し、入院されたとき日記の更新をずっと続けているので記録を止めたくないと言われていた。携帯からでも更新できることや書き込みもできることをお伝えした。とても喜んでくださって携帯からの更新にチャレンジされた。日記の更新が途絶えることなく連日、入院生活の報告があり辛口の文章がつづられていた。ブログを始められたのは68歳を過ぎてからだったそうだ。クリスチャンである私との交流の中で家にものみの塔(エホバの証人)の方々が「聖書の話を・・・」と、度々訪問に来るので「困っている」と、お聞きしたことがあった。エホバの証人はキリスト教ではないこととキリスト教との違いを、お伝えさせていただいた。訪問に来たエホバの証人に私がお伝えしたことを参考にして対応されたそうだ。それ以降、エホバの証人の訪問はなくなり、喜ばれていた。楽天での辛口の日記の更新は止まったが天において、今も尚日記を書かれているように思える。天国でイエス様とともに安らかに過ごされていることと祈っています。
2009.06.01
「たとえば私が」青年達が礼拝で、この曲を讃美された。聴きながら、婦人会で開かれたフルートコンサートを思い出していた。フルートコンサートの合間に歌われた曲の中に、「たとえば私が」があった。ともに生きる喜び かみしめながら歩いて行く私のそばには いつも もう一つのあしあと♪よく知られている、「あしあと」をモチーフにした1曲でもある。私を信仰に導いた畑中礼子さんがフルートを奏で、賛美をしてくださった。司会がトラウマだった私が、司会をさせていただいた。 彼女と私の信仰の道程を顧みながら青年達の賛美を聴いていた。「あしあと」ある夜、わたしは夢を見た。わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。ひとつはわたしのあしあと、もう1つは主のあしあとであった。これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。そこには1つのあしあとしかなかった。わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。このことがいつもわたしの心を乱していたので、わたしはその悩みについて主にお尋ねした。「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、わたしと語り合ってくださると約束されました。それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、ひとりのあしあとしかなかったのです。いちばんあなたを必要としたときに、あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、わたしにはわかりません。」主は、ささやかれた。「わたしの大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に。あしあとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた。」 Margaret Fishback Powers マーガレット・F・パワーズ 松代恵美 訳 足あと <Footprints>(財)太平洋放送協会
2008.12.30
仕事を通して、高齢の婦人と出会った。元気で働かれていた時代を懐かしむように、いろいろ話してくださった。うんうんと聞いていると、突然、「私のお母さんみたいや。おかあさん!」そう言いながら、私に抱きつき大きな声で泣きだされた。亡くなられたお母さんを思い出されたのだろう。いくつになっても、母親が自分の中にいる。「おかあさん、おかあさん」と、何度も言いながら、泣かれている90歳の婦人を抱きしめた。 「神様がずっと一緒にいてくださるからね。」背中をなでながら、そう話した。
2008.12.20
仕事を終え、駅に急いだ。改札を過ぎると、「○○に行く電車のホームはどこでしょうか。」と、高齢の婦人から声をかけられた。同じ駅で私も降りるので「ご一緒しましょう。」と、並んで歩いた。いろいろと話しをしてくださるのでうなずきながら聞いていた。初めて行かれる土地かと思ったが駅の北部に、住まいがあるとのこと。家の場所も教えてくださって、「ぜひ、遊びにいらしてください。」と言ってくださった。別れ際に、「信仰をもたれていますか?」とたずねられた。「はい。クリスチャンです。」と答えた。「私は違いますけどね。よろしくお願いします。」にっこり微笑まれて、立ち去られた。
2008.12.18
中学生の頃に教会に来られていた女性に仕事の関係で、出会った。久しぶりの思いがけない出会いにお互いが顔を見たとたん「あっ!」と、声を上げた。「きゃぁ~ナオミさん!ここで会えてうれしい!」と大きな声で言われた。彼女が高校受験を目の前にした中学3年生の時に初めて出会ったと記憶している。仲のよい友だちと2人で教会の近くまで来られていた。教会の方を見ながら2人が話していたときに私が通りかかり、話しかけたのだった。教会というところに興味を持っていたようだった。そのまま一緒に教会に行き2人に教会の中を説明しながら案内した。聖書に少し興味があるようで聖書を開いて話をしたのが最初だった。その後、何度か礼拝にも集ってくださった。時々、道でばったりと出会うこともあり買い物に出かけたスーパーで会うこともあった。だが、1年ほど、出会うことがなかった。思いもかけない場所での再会だった。中学生だった彼女が今年30歳を迎えるという。これからの彼女の人生の選択に間違ったアドバイスをしないように神様からの知恵を祈り求めていこう。
2008.09.02
笑顔が可愛い人と出会った。笑顔を絶やさず、人と話をされる。障がいのある方々が集まっている作業所での出会いだった。「いい笑顔ですね」と、話しかけた。「ありがとうございます」と、微笑みながら返事が返ってきた。作業をされていた知的障がいの婦人が私の横に来られて、教えてくださった。「○○先生は、クリスチャンやで。」日曜日に、私も教会に行ってるねん。」そう、教えてくださった。笑顔を絶やさない先生は、クリスチャンだった。大きいとは言えない作業所だが2人のクリスチャンとの出会いがあった。
2008.08.27
友人の竹岡豊氏の個展を見に出かけた。気の合う友だちと待ち合わせ一緒にギャラリーに入った。おだやかな人柄がにじみ出ている絵が壁一面に並んでいた。彫刻の作品も飾られていた。一緒に見ていた友人が言った。「どの絵からも、やさしさがあふれている」と。私の手元にも、竹岡豊氏の描かれた絵がある。部屋に飾られた絵を眺めていると時間が流れるように感じる。ギャラリーオスカーにて2008年8月24日(日)から31日(日)午前11時から午後6時(最終日午後4時)竹岡豊 素描展http://www.eonet.ne.jp/~takechan50/竹岡豊ホームページ地下鉄県庁前・高速花隈駅より徒歩5分ぜひ、お立ち寄りください
2008.08.26
ギャラリーオスカーにて友人の竹岡豊氏が個展を開きます2008年8月24日(日)から31日(日)午前11時から午後6時(最終日午後4時)竹岡豊 素描展http://www.eonet.ne.jp/~takechan50/地下鉄県庁前・高速花隈駅より徒歩5分ぜひ、お立ち寄りください
2008.08.22
子どもたちが集まり母の日のプレゼントにアレンジメントフラワーを作った。子どもたちが目を輝かせお母さんへ贈るために一生懸命に作っていた。花に添えるカードも子どもたちが絵を描き字も書いた。幼い子どもには、大人が手伝った。思いもかけない子どもたちからのすばらしいプレゼントにお母さんが感激され喜びの言葉が伝えられた。感謝。
2008.05.12
こんにゃくスポンジの(有)畑中義和商店に友人が嫁いでいる。友人がブログを担当することになった。たまにしか更新していませんがご覧いただければ、うれしいです。
2008.02.29
日曜学校の生徒が名前を書くのを見ていた。一部の文字が鏡文字になっている。娘が幼稚園の頃鏡文字がなかなか直らなかった。覚えたばかりの文字を紙に書いては、遊んでいた。「多分、○○ちゃんだと思うのだけどポストにお手紙が入っていたの。鏡文字を書くって、聞いていたから○○ちゃんからだと思うわ」笑いながら、お隣の奥さんに言われたことがあった。娘にとっては手紙のつもりだったのだろう。判読できない字を書きお隣の家のポストに入れたようだ。「小さな○○ちゃんからのお手紙だと思うとうれしいわ」と、詫びる私に対して、気遣ってくださった。幼子の鏡文字を見ながらなつかしく、当事のことを思い出した。
2008.02.08
阪神淡路大震災を今の小学生は知らない世代となった。そのことを告げるテレビの報道番組を見て改めて驚いた。13年という年月の経過から知らなくて、当然のことだと言える。小学生たちが、震災復興を願って作られた歌を一生懸命に歌っている姿が画面を通して映し出されていた。肉親を亡くされた被災者の方々が震災を語り継ごうとテレビに向かって話されていた。震災のあった同じ時刻の5時46分を迎えるまでに亡くなられた知人の方々の名前と顔が次々と浮かんだ。復興を願い、残されたご家族の上になぐさめと励ましがあることを多くの方々が祈られたことだろう。
2008.01.17
歌手の浜崎あゆみさんの「左耳が聞こえない」という衝撃的な告白により突発性難聴の文字を多く見かけるようになった。年間、多くの人が突発性難聴を患っていることも知った。 すぐに症状に気がつかず発症から、随分経過してから耳の変調に気がつく人もいるとのこと。変調に気がつくのが早ければ早いほど治る可能性が高い。めまいをともない、吐き気の症状が現れることもある。耳が詰まったように感じ、聞こえにくいように思える。私の場合、最初のうちは、「あれ?」と、思う程度だった。山に行ったときに起こる閉塞感を感じた。少し、聞こえにくいようにも感じた。しかし、聞こえる。「気のせいかな・・・」そう、思った。1日が経過し、少し気になるが仕事をしていると、詰まった感じも、それほど気にならない。だが、しばらくしても耳の詰まった感じが取れない。職場の近くの耳鼻咽喉科へ休憩時間に行った。聴力検査を受けると検査結果からは異常はないとのこと。だが、「うちにある検査の機械は精密差に欠けるので明日の朝、耳の詰まりが残っているならすぐに、大きな病院に行ってください。最新式の機械で検査するとうちではわからない範囲の数値まで異常があればわかると思います。」そのように、検査結果を見ながら耳鼻咽喉科の医師が言われた。国公立の病院は土曜日が休診と決まって間がない頃だった。土曜日も診察している大きな病院ということで企業が経営する病院で受診した。幸いにも、最新式の聴力検査の機械が入って間がないとのこと。「突発性難聴です。安静が必要なので入院してください。」検査データーを見ながら診断された。発病して3日ほどだったのできちんと治療を受ければ治る可能性は高いとのことだった。突発性難聴の場合は1週間以内に治療を受けるか受けないかで回復が違ってくると新聞で読んだ記憶があった。「入院はできません」と答えた。休職し、絶対に安静にすることを条件に治療に通うことになった。毎日、1時間半の点滴を受けた。日曜日であっても、祝日であっても点滴を受ける人たち専用の治療室が用意されていた。いくつか並ぶベッドには点滴を受けている人たちが寝ていた。平日には、行く度ごとに聴力検査があった。私の場合は、低域の音が聞こえにくくなっていた。低い声で話されるとわかりにくいが全く、聞こえないというのではない。 それで異常に気がつかず症状が進んで、やっと気がつくケースもあるとのことだった。毎日の点滴と注射とステロイド剤が効き2週間目には、聴力も大幅に回復した。1ヶ月間、毎日、家から病院まで往復2時間かけて点滴と注射に通った。耳の詰まった感じが取れ耳鳴りも治まった。横になると天井が回っていたがめまいも、なくなった。リバウンドが起こらないようにステロイド剤を徐々に減らしていった。完全に回復したときに医師より、今後の説明を受けた。「突発性難聴の原因はわかっていません。ストレスが要因ではないかと考えられています。一度、突発性難聴になった人は再発するケースが多いので次のことに留意してください。アルコールは飲まないこと。睡眠不足は避けること。過労にならないように疲労に注意すること。風邪をひかないこと。ストレスをためないこと。変調を感じたら、すぐに来てください。」アルコールは飲まない。これは簡単だ。だが、それ以外になると不可能に近い。その後、何度か異常を感じ、治療を受けた。どの場合もすぐに受診し治療を受けたので最初の時のようなことには至らずすぐに回復した。片方の耳が聞こえにくくても片方が聞こえていればいいかというとそうでもない。片方の聴力が落ちるともう片方の聴力も少し落ちていた。「仕事を休んでも、礼拝は休まないな」と家族に言われながら日曜日は点滴と注射を受けてすぐに教会へと行った。どのような状況の中にあっても礼拝をささげることができたのは感謝。
2008.01.12
「キリスト教の葬儀に参列するのだがどのようにすればいいのだろうか。」このように、ブログを通して交流のあるクリスチャンではない方からたずねられることが何度かあった。 なじみの少ない葬儀なのでどのようにすればよいかと戸惑いを感じられるのだと思う。参考にしていただければと思って抜粋したものを掲載させていただくことにした。 聖書の死に対する考え方の基本は死はすべての終わりではなく、神のもとに召されるということです。それゆえに、クリスチャンにとって、死は悲しみで終わるものではなく、超越したものだと言えましょう。聖書に書かれているとおり、クリスチャンは神以外の存在を礼拝の対象とはいたしません。ですから個人の写真や遺骸に手を合わせたり拝むようなことはしないのです。キリスト教の葬儀は、故人への愛と敬意の表現とともに、遺族に対する慰めと励ましを目的としています。葬儀の中では、故人をしのびつつ、賛美歌や聖歌が歌われ、祈りがささげられ、残された者たちを励まし、力づけるメッセージが語られるのです。戸惑うことがあるかもしれませんが司式者や進行係が導いてくれますのでご安心ください。賛美歌や聖歌を歌うときにもし、ご存知でなければ、お聞きくださればいいと思います。献花を行う場合もありますがこれは焼香や玉串奉奠にかわるものと誤解されやすいのですが供養をするとか、冥福を祈るということではありません。天に召されるまでのこの世での交流にたいして感謝の気持ちをもって、遺骸の周りを飾る意味がこめられているのです。
2008.01.10
クリスチャンで、青年とも言える若いお父さんに子どもさんへのクリスマスプレゼントを準備したのか、たずねた。 子どもさんが欲しがる物はゲームなので買っていないとのこと。何をプレゼントしようかと思案中のようだった。小学生の子どもさんはサンタクロースが夢を叶えてくれると思っている。お父さんとお母さんには買ってもらえないものをサンタクロースに願い求める。お父さんとお母さんの頭を悩ませる。楽しい悩みとも言えるが。
2007.12.22
娘と歩いている側をそれぞれの自転車に乗った親子が走って行った。小学校低学年に見える女の子が道路に立っているポールに足を引っ掛け自転車ごと、横に倒れた。娘と二人、「あっ!」と声を上げた。ぶつかった勢いからしても足を強打しているだろう。自転車を止めて倒れている女の子の所に行ったお母さんの言葉は「ズボンが破れているわ!」だった。その後の言葉の中にも子供の怪我を気遣うものはなかった。最初の一声にも驚いたがズボンが破れたことを叱り続けていることに驚いた。女の子は泣くこともなく膝をさすりながら自転車に再び乗り、走り出した。それでも、お母さんはずっと、ズボンを破れたことを叱っている。見ていた娘が「怪我の心配が先なのに・・・あの子、怪我をしているわ」と。少し先まで歩いて行くと先ほどよりも勢いを増した大きな声でズボンを破ったこと怒っているお母さんの声が聞こえてきた。まだ、怒り続けているのかとびっくりした。怒りというのはエネルギーのいるものだ。怒られ続けているというのは大きなストレスになる。怒りは時として必要なものだと思う。的外れの怒りは、罪になる。
2007.12.17
わが家の近くにあった 1軒の大きな家が取り壊され新たに数軒の家が建築された。どの家もクリスマスのイルミネーションできれいに飾られている。高台にあるのでひと際目をひきつける。横一列に並んでいる家々からクリスマスを告げる明かりはきれいに光を広げている。作り物の光ではなく真理の光を放ちたい。
2007.12.15
家族で介護ができなくなり施設に入所されたと、聞いた。すべての人が老いを迎える。若い人であっても避けて通ることのできない道だ。聖書の言葉があふれ音楽が流れている中で過ごせたらすばらしいと思う。神様の愛をいただいている人と共に時間を共有できたらどれだけ幸いなことだろう。終の棲家は神様の愛に包まれたそういう所であってほしい。
2007.12.04
最近知り合った青年から大学時代からバンドを始めていると聞いた。大学の友人たちと一緒に今でも演奏活動をしているとか。よく使っているライヴハウスの名前も聞いた。私は初めて聞く名前だったが数年前からあるということだった。知人の青年たちの中にもドラムやギターが好きだという若者が増えてきた。歌うことも、奏でることもすばらしい賜物だと思う。
2007.11.29
同じ地を訪れてもそのときの気持ちで景色が違って見えることがある。目の前にそびえたつ建物が涙でぼやけてかすんで見える。頬を伝う涙を、冷たく感じる。恵みが広がってほしいと私は祈る。
2007.11.09
日曜学校に来ている3歳児の保育園での話をお母さんから聞いた。どうやら、3歳児が何かを手伝ったときの出来事らしい。園長先生が3歳児に「ありがとう」とお礼を言われたときのこと。「どういたしまして」と3歳児が答えたそうだ。保育園始まって以来の受け応えだったそうだ。園長先生が、とても感動されたことをお母さんに話されたということだった。事あるごとに「きちんとしたしつけができている」とほめられると聞いた。日曜学校に通っている子どもたちが保育園や学校などでほめられると聞くと、とてもうれしくなる。光の中を歩む子どもらしく素直なままに育ってほしいと願い、祈っている。
2007.10.30
いただいたメールを通してすばらしい信仰の歩みをしていることを改めて教えられた。いつまで経っても私の中には「可愛い○○ちゃん」だった。人なつっこい笑顔が目に浮かぶ。重荷を負い他者のために祈る。祈りを積み重ね、積み上げている。祈りのバトンを受け取ったそんな思いが与えられた。
2007.10.04
夕方から、近くの海岸でバーベーキューをした。何年ぶりだろう。子供たちが小学生くらいまではよくしたものだった。車で遠くまで出かけキャンプもかねてバーベーキューをすることも多かった。久しぶりに炭でお肉を焼いた。火が熾るまで時間がかかったが火が熾ると、じっくりと長く燃えている。赤々とした炭を見ていると心が燃え上がっている人を連想する。
2007.09.27
友人が住んでいた街の駅で降りた。どうしているだろうと思い出すことがある。彼女を知らなければ「救い」を真の意味で理解することができなかったかもしれない。彼女が私に言ったことで今でも忘れられないことがある。「恐い。私をポケットに入れてかくまってくれない限り恐い」24歳だった私は返す言葉を失った。今なら答えることができるのに。どこかで会わないだろうかと転居先不明の彼女との再会をずっと待っている。
2007.09.21
須磨浦ロープウェイが開業50周年と知り主人と知人二人も一緒に須磨浦山上遊園に遊びに行った。以前にロープウェイに乗ったのは私は16歳だった。ドレミファ噴水というのがあり音楽が鳴るごとに噴水が上がって色が変化していた。今回も、噴水を見るつもりだった。ロープウェイには乗ったが後は歩いて上がった。かなり以前の記憶なので定かではないが随分と様変わりしたように思う。噴水も色の変化はなく観光リフトなどは動いていたがモノレールや子ども向けの乗り物は営業をしていなかった。平日なので人も少なくそれで止めているのかもしれない。回転展望台で景色を眺めながら作っていったお弁当を広げゆったりと食事をした。回転展望台からははるか遠くにわが家の辺りが見えていた。帰るときにロープウェイを降りるとスタンプラリーの景品のお菓子をいただいた。私たちは食べないが小さな子どもたちにとっては袋いっぱいにつまったお菓子はとてもうれしいものだろう。どんぐりを拾いながら山道を歩いたのは、久しぶりだった。
2007.09.19
保育園の運動会を見に行った。小さな子どもたちが練習を重ねてきた競技を見た。かわいいしぐさの一つひとつに周りの観客から応援の拍手がおこる。お母さんを見て泣き出す子。お母さんから離れようとしない子。先生が恥ずかしがる子を抱きながら走り、また、おゆうぎをされている。頑張ってきた日々の練習の成果を保護者の方々に見てほしいと思われていることだろう。いつもとは違う雰囲気に戸惑いながらも、幼いながらに時間と共にだんだんと慣れていった。トラックの真ん中に座り私たちを見つけてかわいい手を振ってくれた。
2007.09.15
「たいせつなもの」というテーマで集まっている子どもたちに話をした。そのときに、幼い子供たちが話を理解しやすいように熊のぬいぐるみを使った。娘の部屋に飾っている色違いの熊のぬいぐるみを3つ教会に持って行った。「この3つのぬいぐるみは娘が小学生の時に、私が買ったものです」話のはじめに子どもたちにそう説明をすると話を聞かれていた教師たちから「えー、すごくきれい」と、声があがった。もう何年も経っているのにきれいなまま、形を保っている。娘が何度も洗っていた。最近買ったと言っても通じるほどきれいだ。寝る時には、枕もとに並べていた。娘が小学校2年生のときに自転車を押しながら横断歩道を主人と歩いていたとき高齢の方が運転する車に自転車ごと、跳ね飛ばされた。運転手は緑内障を患いその時点では視力がほとんどなく見えなかったと後になって聞いた。緑内障手術を数日後に控え、車の運転ができなくなる前にどうしてもしておきたかったことがあって遠方から一人で車を運転してこられたとのことだった。幸いにも、娘は前歯が欠けたのとかすり傷程度で、外傷はおさえられたが脳波を月に1度、定期的にとることになった。脳波の検査を受けている間はベットの上でじっとしたまま動くことは許されず小学生の娘には苦痛のようだった。毎月の脳波検査を受けた後に熊のぬいぐるみを1つずつ買ったのだった。他にも買ったと思うが覚えていない。しかし、熊のぬいぐるみを買ったことは私もよく覚えている。娘にとっては「たいせつなもの」になっていたからだろう。「自分を守ってくれるたいせつなもの」娘にとっては、そうだったのかもしれない。変わることがなく消えることもなくいつも、ずっと守ってくださる神さまがともにいてくださる。
2007.09.09
懐かしい住宅街を通った。何年も来なかった所だ。当時の思い出がよみがえってくる。病の兆しもなかった兄がまだ元気だった頃兄家族が住んでいた。私たち家族が遊びに行き子供たちが庭に出て遊んでいた。小学生だった長女と次男が大きな口を開け、笑いながら庭で遊んでいる写真が残っている。その家を売り、駅近くに造成された新興住宅地に居を構えたので今は違う方が住まれている。住み人の違う家は当時のままの面影を残していた。
2007.09.05
駅から出た所で「○○さん」と、名字を呼ばれた。なんと、マイミクさんのお一人だった。ミクシィを通して知り合ったのではなく実際に知っている好青年だ。話をしていたおりにミクシィをしていることを知りマイミクのお一人になった。「○○さんと、待ち合わせをしています」と、言われた。その方も、実際に交流があってからマイミクになったお一人だった。立ち話をして、別れたが思いもかけない所でのお二人のマイミクさんとの出会いに驚いた。ネットでの交流だけの方々ともどこかですれ違っていることもこれまでに、あったのかもしれない。
2007.09.03
近くまで用があって来ていたのでおいしいと教えていただいたたこ焼きの店を探していた。人にたずねようにも、誰も歩いていない。すると、前の方から若い女性が「すみません」と言いながら近づいて来られた。店の名前を言われどこにあるのかと聞かれた。私たちもこの辺りに住む者ではないのでわからなくて、今、行こうとしている所を捜していることを話した。「私、岐阜から来たのです」と言われた。「えー!岐阜からですか」と私と娘が驚きの声をあげた。「大垣なのですが、わかりますか?」と、聞かれた。「甲子園の出場校が大垣でしたね」と、私。「大垣から、たこ焼きを食べに来ました」それを聞き、また、娘と声をそろえて「えー!」と。「大垣と言っても、不破郡の垂井町の隣町です」と。またまた、娘と声をそろえて「えー!」と。わざわざたこ焼きを食べるために明石に来られたそうだ。たこ焼き店をネットで検索し印刷したものを手に持っておられた。それには、数軒のたこ焼きの店が載っていた。私たちもたこ焼きの店を探していることを話し一緒に探すことにした。探しているといくつかのたこ焼きの店があった。どの店なのかわからない。岐阜からわざわざ来られて見つからないのではあまりにも気の毒だ。たこ焼き店を教えてくれた知人に電話をかけ、事情を話して目的のたこ焼きの店を教えていただいた。店はすぐそばにあった。高齢のご夫妻が営まれている店だった。卵がたっぷり入った明石焼きとも言われるたこ焼きが20個で600円。とても安い料金だ。 目の前に置かれたたこ焼きを記念にと、写メールを撮られていた。そばにソースが置いてあるのを見てこれはどうするのかと聞かれた。ソースをたこ焼きの上から付いてある刷毛で塗ってだしにつけて食べると説明した。「へぇー」と、驚かれていたが、1個、試された。「おいしい!」と、目を丸くされた。「こういう食べ方は知らなかった」と。「とてもやわらかいですけど材料は何で焼くのですか?」とたずねられた。「卵をたくさん使ってじん粉という粉を使って焼いているの」と私。「じん粉って、どこにあるのでしょう?」「明石駅の南側に魚の棚という商店街があるからその中にあるお店で売っているので電車に乗る前に買われるといいですね」と私。「どこの家でもたこ焼きを焼くのですか?」とたずねられた。「関西では、たこ焼き器はどこの家でもあって焼いて食べると思われているようだけど焼くより買う方が多いのじゃないかしら」と、私。わが家でも、「焼くぞ!」と気合を入れてからでなければなかなか焼けない。たこ焼きを200個以上焼くことになるので竹串で1個ずつ回転させるのも大変だ。とは言っても、たこ焼きの場合は私よりも主人の方が上手に焼くので主人がいつも担当しているが。よほどおいしかったのかもう1軒、違う店のたこ焼きも食べてから岐阜に戻ると言われていた。楽しいお土産話が増えることだろう。
2007.09.01
若い人たちの会話が耳に入った。「愛は残らない」と。「結婚生活においても、恋愛をしても」という意味で話しているようだった。愛が残らないのではない。「恋」が保てないということなのだろう。恋という、感情に依存しているものがいつまでも残るのは、困難であろう。愛は意思の力が大きく働くものであり最後まで残るものだ。「いつまでも残るものは、信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているものは愛です。」聖書
2007.08.28
同じテーブルで食事をしていた女性が ひょんなことから以前に住んでいた家のご近所さんだとわかった。うちの子どもが幼稚園の頃一緒に遊んでいた子どもさんの叔母さんにあたることも分かった。家は別に住まれていたのだがすぐ、近くに住まれているとのこと。おおよその家の位置と甥っ子さんの年齢を聞いた。もしやと思い、私の方から甥っ子さんの姓名を出してたずねた。「フルネームで覚えてくださっていましたか」と叔母さんにあたる方が言われた。不思議と、はっきり覚えていた。今は歯科大で勉強中だとお聞きした。「世間は狭いですね」と驚きを隠せず、話が盛り上がった。
2007.08.27
腕時計をしなくなった。家の中には、あちこちに時計が置いてある。外に出る時には携帯の時間を見ることが多い。病院に行くと時計が掛けてある。不自由を感じることがこれまでなかった。教会にいる時に腕時計をしていると外す事が度々あった。そのまま忘れることもあって使うことをやめたのだった。「仕事をしているのだから、時計は必要でしょう」といつも腕時計をしていない私に友人がプレゼントしてくれた。
2007.08.24
難病についてのセミナーを受講した。原因不明の病気がなんと多くあることか。すべてを理解することはできなくても少しでも理解し協力できたらと、思う。年老いても病になっても援助できる教会が増えてほしいと願う。
2007.08.09
40年近いつきあいになる友人と食事をしながら話をした。よくできた人だと思う。変わることのない誠実さに尊敬の念をいだいた。すばらしい人だ。
2007.08.06
きれいな女性だと思っていた。若いということもあるがいつも笑顔でキラキラ輝いている。誰とでも楽しそうに話をされている。「とても背が高いね」と、近くにいた人が言われた。「背も高いけど、脚がとても長いわ」と、私。話題の女性は笑顔を向けられた。「女性の身体のことを言うのってセクハラになるらしいよ」と違う婦人が言われた。「わぁ~大変だ」と、みんなで笑った。雑誌にも出ていてコマーシャルもテレビで流れているとのこと。直接お聞きしたら雑誌名も教えてくださった。忙しい合間をぬって聖書の話を聞いてくださっている。若い人が聖書を開き、話を聞いてくださることはすばらしいことだ。これからの時間は、私と比べても随分と長い。その時間を少しでもより良い方へと歩む道しるべがあることを知ってほしい。クリスチャンでなくてもどなたにも聖書は人生の指針となる。まことの平安をえることができる。
2007.07.16
いのちのことば社出版事業部から出ている「いのちのことば6月号」に気になる記事が掲載されていた。ライフ・エンターテイメントチーフプロデューサー 磯川道夫さんがゴスペル界の著作権のことで書かれていた。例えば海外のワーシップソングを訳して歌っている。一般の曲を賛美歌にして賛美している。色々な賛美集からコピーして教会独自の賛美集を作っている。歌われているワーシップの訳が気に入らないので一部を変えている。礼拝にてパワーポイントで歌詞を写して賛美している。等々、他にも色々と書かれてあるのを見て知らないでいたことが多くあった。詳しくは著作権情報センターのホームページhttp://www.cric.or.jp/ をご参考くださいと書かれてあった。
2007.07.14
家族が風邪をひいて1ヶ月ほど経った。初期の頃から近くの医院で受診していたが一向に良くならなかった。毎夜、咳き込みが続き咳が聞こえるのでみんな寝不足になっていった。それまでとは違うクリニックに行くと全く違う診断を受けた。その時に受けた血液検査のデーターが悪いとすぐに入院とのことだった。「とても悪い状態です」と、言われた。新たな内服が処方され24時間貼り続ける気管支拡張のテープが処方された。正しい処置がなされたのだろう。その夜から咳き込むことがなく静かに眠るようになった。検査結果は数値では高くなって気になるものもあったが薬が合ったこともあり「入院せずに、様子をみましょう」ということだった。ほっとして気がゆるんだ。この一月、私の睡眠時間も連日、1時間から2時間だった。扁桃腺が腫れ、39度を超える熱を出した。それまで具合の悪かった者は随分と元気になり私が久しぶりに、寝込んでしまった。私たちの生活の中でなんらかの問題が起こったとき適切な処置をしなければ問題が大きくなり、広げてしまう。良い判断のできるカウンセラーアドバイザーは欠かせない。
2007.07.13
マイクミキサーの操作方法を聞かれ主人が教会に行って分かる範囲で説明をした。プロ使用のマイクミキサーなので高度な機能がある。録音機材の配線など配線図がないので、聞かれたことを線をたぐり調べていた。以前に、SONYの性能の良いマイクロホンが数本我が家にあったので教会に持って行った。マイクスタンドやピンマイクも数種類のものを持って行った。それらがあれば録音状態のよいものができるのだが。CDを作るにしてもDVDを作るにしてもより良い音質を求められている。
2007.07.12
遠方のクリスチャンの方にこちらの方へ転居するので借家を探してほしいと頼まれた。近くの不動産屋に行き予定の金額に合う物件の資料を出していただいた。資料に目を通しここならばと、思う所を実際に見に行った。教会に近くて買い物に便利で交通の便もいい所で予算内で、ととりあえず、見つかった。なぜかクリスチャンの方だけでなく借家を探してほしいと以前から頼まれることがよくある。住む間気にいっているといいのだが。
2007.07.10
子どもたちに話すときに使うために2種類の粘土を用意した。黒っぽい色と白い色と。白い粘土は、とても軽量のものだった。「人間の心の中には罪で汚れて黒くなっている」と話しながら、黒い粘土を見せた。次に白い粘土を出すと「神さまを信じると罪がきれいされるから白くなっている」と子どもたちの方から声があがった。思ったことをどんどん口に出す。それぞれの子どもの意見を聞きながら大切なことを伝えるようにしている。子ども相手に話すのは大人に話すよりもむずかしい。
2007.07.09
台所を整理しなおしたときに、イカ焼き器を見つけた。いつだったか忘れたがバーゲンをしていたときに買ったのだった。使う機会もないまま直し込みそのまま忘れていた。日曜学校の子どもたちにお昼ご飯にイカ焼きを作って食べてもらうことにした。ご家族には前もって連絡しお昼ご飯として出す承諾を得た。家庭用のイカ焼き器なので小さいのが1枚分、焼けるだけ。溶いた粉と、細く切ったイカととき卵をイカ焼き器の片面に置き、閉じてから両面を交互にガスコンロで焼いた。子どもたちはとても喜び何度もお替りをした。婦人たちも集まって来て「私たちも食べたいわ」と。焼けた順から、食べていただいた。最近、食欲が落ちているお舅さんがこれだと食べるかもしれないと婦人の1人が言われた。「とりあえずこのイカ焼き器を持って帰って試しに焼いてみて」と、勧めた。買ったことすら忘れて眠っていたイカ焼き器が活用されるならうれしいことだ。イカ焼きは、関西方面のものだと今回、初めて知った。
2007.07.08
「パソコンの容量が小さくなり使いにくくなった」と学生時代からの友人から電話があった。買い換えることも視野に入れているようだ。主人に話すと、家にあるパソコンを彼女が使えるようにセットアップするとのこと。彼女へのプレゼントになる。急きょ、主人と二人で夕方から彼女の家に行きパソコンが使えるように設定をしてもらった。主人が設定している間彼女と二人で話をしていた。真面目な性格の人だ。人間は「生かされている存在」であることをよく理解している。「『何か』によって、自分は生かされている」と言う。しかし、それが聖書に書かれている神様であることを受け入れることはできないでいる。「初めに、神が天と地を創造した。」聖書(創世記1章1節)このことを信じるか、信じないかだろう。
2007.07.05
しばらく日記の更新が止まっていた櫻香のそよ風♪広場の櫻香さんのサイトに訪問した。久しぶりに日記が書かれていた。間違って抹消した、以前の楽天ブログには櫻香さんの写真サイト「フォトギャラリー」を紹介させていただいたことがあった。そこで掲載された写真は商用利用のオファーがつくこともあるし写真を購入する方もいる。また、別のサイト「夢恋花舞譚」を立ち上げ、素材やさんとしても活躍中だ。今回、父の日に向けて喜多方の酒造メーカーが出した「御褒美」という新酒のラベルに櫻香さんの写真が採用されたとのことだった。私も記念に購入して飾っておけばよかったと今頃になって思った。日記には、続けて書かれていたがキリスト新聞社が、6月のブライダル特集で櫻香さんの写真を利用したいとのこと。そこには櫻香さんの名前が明記されるようになっているそうだ。なんとすばらしいことだろう。以前の櫻香さんの日記は源氏物語を櫻香さんがわかりやすく楽しい解説をされていた。ユーモアに富み、頭のいい女性だといつも感心しながら読ませていただいたものだった。あちこちにブログがあるので更新するのも大変だろうと思うがあっちでもこっちでも頑張って輝いていてほしいと願う素敵な女性のおひとりだ。マイミクさんのおひとりでもある。
2007.06.21
毎朝、5時には台所のサッシを開けている。6時前に長男が食事をしながら「猫が通っている」と言った。網戸越しに、猫が歩いているのが見える。こちらの視線を察してなのかその場に座って、家の中にいる私をじっと見ている。私が動いても、怖がるわけでもなく座ってこちらを見たままだ。人に慣れているようだ。おそらく、近所の飼い猫なのだろう。どうやら、知らない間にわが家の広くもない裏庭が散歩コースに入っているようだ。
2007.06.20
しばらく使っていない調理器具と最近、頻繁に使うようになった調理器具を入れ替えようと収納してあるものを引っ張り出した。子どもが買って来たインスタントラーメンのキャラクターの描いてある土鍋が出てきた。買って来た直後に1度だけ使ったきりのものだ。1人用の土鍋が家族の人数分以上にある。しかし、1人用の土鍋がテーブルに登場したことはめったになかったように思う。「これから使うことがあるかな?」と土鍋を手にして考えた。思い切って、半分は処分することにした。
2007.06.19
久しぶりに、主人とハイキングをした。道沿いから見える田畑の風景がのどかでハイキングが目的ではなかったのだがハイキングをすることになった。「あれは何の葉?」と立ち止まり農作物を見ながら主人にたずねる。進むごとに、あれもこれもと見える物を聞いた。あまりバスも通らない所だった。バス停の時刻表示を見ると午前中に数台の運行があるのみだった。小雨が降っていたがのんびりとした雰囲気の中を歩いた。道沿いに梅の木があった。実がまばらに成っていた。野生の梅の木で持ち主はいないのだろうと思って手を伸ばして一つ、ちぎろうとした。「取るな」と、主人に叱られた。「取ってどうするの?」と聞かれ「記念に・・・」と答えると「何の記念?」と言いながら主人は笑っていた。4キロの道を1時間弱で歩いたハイキング記念だろうか。みんながそれぞれに、「一つくらい」と思うとなくなってしまう。「私の一つくらい」という考えはたしかによくないな。
2007.06.18
庭に紫陽花がきれいに咲いたからと友人が我が家に届けてくれた。友人のお姑さんが数種類の紫陽花を育てられている。その紫陽花の1種類を以前に挿し木するようにといただいたことがある。その紫陽花は、決まったように、友人の家よりも、毎年1月ほど遅れて可愛い花を咲かせる。今年もまだ、紫陽花は咲いていない。これから1月ほどすれば可憐な紫陽花が花開くのだろう。トラクトを戸別に投函するときもあちこちで紫陽花が咲き始めているのが目に入ってくる。
2007.06.15
日曜学校に通っている子どもが保育園に行くことになったとか。初めての登園の時ほとんどの子どもは親から離れるのを嫌がり泣き出すらしい。ところがまったく泣かなかったそうだ。それどころか、同じクラスの子どもたち20名ほどの一人ひとりに握手しながら、「こんにちは」と言ってまわったとか。それを見ていた先生たちは初めてのことで爆笑されたらしい。お母さんも先生からその話を聞きとてもびっくりされたとか。その話を聞いて教会の礼拝の時に、握手しながらあいさつを交わすのを真似たのだと、すぐにわかった。お母さんにそのことを話すと「いろんなことで役に立っていますね」と。教会学校で子供たち同士で遊ぶことにも慣れ大人とも接することが多くある。保育園や幼稚園に行ってもとけ込むのが早いようだ。
2007.06.04
子どもは批判されて育つと人を責めることを学ぶ。子どもは憎しみの中で育つと人と争うことを学ぶ。子どもは恐怖の中で育つとオドオドした小心者になる。子どもは憐れみを受けて育つと自分を可哀想だと思うようになる。子どもは馬鹿にされて育つと自分を表現できなくなる。子どもは嫉妬の中で育つと人をねたむようになる。子どもはひけめを感じながら育つと罪悪感を持つようになる。子どもは辛抱強さを見て育つと耐えることを学ぶ。子どもは正直さと公平さを見て育つと真実と正義を学ぶ。子どもは励まされて育つと自身を持つようになる。子どもはほめられて育つと人に感謝するようになる。子どもは存在を認められて育つと自分が好きになる。子どもは努力を認められて育つと目標を持つようになる。子どもはみんなで分け合うのを見て育つと人に分け与えるようになる。子どもは静かな落ち着きの中で育つと平和な心を持つようになる。子どもは安心感を与えられて育つと自分や人を信じるようになる。<ドロシー・ロー・ノルト著>「こころのチキンスープ」(ダイヤモンド社)
2007.05.16
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