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最近の事件報道を見る時、日本で起こった出来事かと疑いたくなります。同じような事件が繰り返し行われていると、疑いがなくなり、又かと感ずるようになります。感覚が麻痺し内容が感性を刺激しなくなるのでは無いでしょうか。ニュースがドラマのように思え自分の事で無い限り如何でも良いという対応が増えていくようです。旅行それも海外に初めて行く場合は、見るものすべてが新鮮で驚きに満ちています。同じ国、同じ場所に行き安堵感に浸るも好、違う場所で違う民族に驚きの非日常を見つけるも良し旅には色々な愉しみ方が有ります。感性の麻痺には気をつけたいものです。
2004.12.21
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ルネッサンス当時のイタリアの歴史を読んでいると人間のおぞましさ、傲慢さ、醜さ、醜悪さを感じずに入られません。メディチ家の人々、滅亡を書いた中田耕治氏の著作などにもそれらをうかがうことが出来ます。法王、皇帝、フランス王、スペイン等の軋轢の中で小公国を維持していくためには権謀術策が大儀、名誉、家族、親族などより優先された時代であったのでしょう。塩野七生さんの書籍「ルネッサンスの女」ルクレッィア・ボルジアでは本人より偉大な父、兄の事が中心にかかれています。然し、ボルジア家では余りチェーザレ・ボルジアには触れていません。歴史は人間の反復を教えています。
2004.12.20
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東京は寒い一日でした。息子の乗り始めたばかりの自転車を監視している間も寒い風が吹き陽だまりで昨日の酔いを続けていました。午後から曇り空となりました。家族全員で昼ねをし、目覚め後倉庫に来て書籍の整理、明日の仕事の段取りをしています。
2004.12.19
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カミさんの友人との忘年会が有り午後三時より集合。男は息子と私他は女性ばかりでした。女性は日頃のストレスを発散する為に議論百出、口角泡を飛ばして居りましたが、私はひたすらアルコールを口に運ぶだけの忘年会でした。その後流れでカラオケに参り帰宅してみれば10時でした。日記は一日遅れの書き込みです。
2004.12.18
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山に登り始めたのは30歳をすぎてからでした。生まれが山育ちであった為山は遊ぶ場所と言うより生活の一部でした。遭難が紙面を賑わして居た当時、近所の方で大学入学後関学山岳部に入っていると言う話を聞き、なぜ危険な山にと理解出来ませんでした。初めての山は赤木さんと一緒に言った奥鬼怒です。山には登らず名誉ある退散をしました。その後一人で丹沢、関東近隣の山を目いっぱい歩きました。ちょうど寒さが始まる今ころの事です。懐かしさと当時のことを思い出します。
2004.12.17
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小西政継さんがエベレストで遭難の報には驚きました。また「激しすぎる夢」でその当時の証言を読み再び驚きました。栄光の叛逆者、また多くの著作等で日ごろ感じている小西さんのイメージから耳を疑うと言う気持ちです。江戸川の山岳会を日本、世界に知らしめた運営方法等を思い出すとき指導者、統率者としての大きさを感じます。一番嫌いな隊長としてベースキャンプで指揮を取っていて欲しかったと思います。
2004.12.16
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堀江謙一さんの「太平洋ひちりぼっち」はヨットマンでなくても楽しい書籍だと思います。また文章も大変上手です。本多さんも何時も堀江さんの事に関しては触れられて居ります。最近の若者に山、海、極地などに打ち込む人が少なくなりました。極地がなくなった所為かもしれませんがそれより安逸なことに打ち込むほうが楽しいと感じているのかもしれません。極地は征服されても、冒険心は何時までも持ちたいものです。
2004.12.15
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堀江謙一さん(66)がヨット単独無寄港世界一周に再び挑むため西宮市の新西宮ヨットハーバーを出航した。朝日夕刊を読みました。30年前に西回りで一周しており、今回東回りに成功すると、世界で2人目の両回り達成になるそうです。 ヨットは港外に出てから帆を張り、風を受けて走り出した。人知れずヨットハーバーを離れた太平洋ひとりぼっちの頃と様相は違いますが、何時も遊んでいる浜からアメリカを夢見て単独で出かけた頃の気概思うと熱いものを感じます。成功をお祈りします。
2004.12.14
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志賀潔から 志賀博士は、丸顔の小さなお爺さんだった。村夫子然たるもんぺいをはいていられたので、余計小さく見えた。自分で修繕した眼鏡をかけて、ポール・ド・クルフの「細菌の猟人」を読んでいられた。ぼくたちの突然の来訪、非常に喜ばれて、とっときの煙草などの封を切って、すすめられるのだった。病身の息子さんと、その奥さんと、三人のお孫さんが一緒に暮らしていられた。随分貧しい暮らしのように見受けられた。障子一面に新聞紙が張ってあった。つまり、障子紙のの代わりに新聞紙を使ってあるのだった。だから部屋が重苦しく暗かった。僕は撮影の旅で方々の農村も歩いたが、こんなひどい障子は初めてだった。志賀博士が明治三十年に赤痢菌を発見して以来、今日までに人類が受けた恩恵は、決して少なくない筈である。しかもここに、その発見者は、赤貧洗うがごとき生活に、余生を細らせているのである。僕たちはひどく矛盾を感じないわけにはいかなかった。博士は僕たちが所望したので、文化勲章を見せて下すったが、勲章というものは凡そ貧乏臭さのないものだけに、ボロボロの畳の上で見ると、その金銀のあでやかさも、何かそらぞらしいものに思えた。「自分の選んだ学問を通じて人類の福祉に貢献する事。それだけである。而して自分の五十年の仕事は貧しいながらその為の捨石にはなり得たであろう。これが私の自らひそかに慰めとする所である」と博士は「私の信条」に書いていられるが、博士のような人に対して、僕たちとして、それで済むわけのものでない。その日の夕暮れ、僕たちは博士一家の人々と、丘の上と下で、手を振りながら別れを告げた。お孫さんたちが、いつまでも小さな手を振っているのが、何か切なかった。やがて、それも松林の陰に見えなくなった。僕たちは、砂地の道をポクポク歩きながら、思い思いの考えに沈んでいた。1949・6・28
2004.12.13
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講談社学術文庫「芭蕉入門」井本農一は平易な芭蕉入門の書籍として最適だと思います。自伝的に年代を追い事跡を辿りながら代表的な句を紹介しています。また、そのときの心の変化も紹介をしています。寒い日寂寥、無常を味わってみては如何。
2004.12.12
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ジャン・ジャック・ルソー「孤独な散歩者の夢想」はルソーがひどい被害妄想に患われている頃の著作です。スイスレマン湖のほとりでの散歩が記述されています。舟を浮かべて自然と渾然一体となる部分また散歩の途中犬に跳び付かれ大怪我をし、意識が回復する部分の記述は忘れる事がありません。
2004.12.11
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昨日はサークルの懇親会があり少し飲みすぎました。今朝は書庫に来て注文の書籍の発送手続きをしています。寒い朝で足が凍りそうです。皆様にとって良い一日でありますように。
2004.12.10
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