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1986年夏、河合奈保子さんはノルウェーに行き、オスロ―の街や、ガイランゲル(Geiranger)フィヨルドなどを巡り、同年10月に発売する奈保子さん全作曲のアルバム「スカーレット:SCARLET」用のビデオ撮影が行われました。それと同時に、その旅で写真家の五味彬さん、河合奈保子さんが撮影した写真による「河合奈保子写真集スカーレット SCARLET / 撮影:五味彬、河合奈保子、文:吉元由美/別冊スコラ36/スコラ/講談社/昭和61年(1986年)12月25日第1刷発行」が出版されました。この写真集を見ると、ノルウェーだけでなく、オランダでの奈保子さんの写真が沢山入っていることに驚かされます。写真集には撮影場所は記載されていないのですが、私は1991年から1994年までオランダで生活しており、ノルウェーにも行ったことがあるので、これはオランダだろうと思える写真が多かったです。ビデオ撮影も、ノルウェーだけでなく、オランダの奈保子さんも入れて欲しかったと思いました。ーーーーーーーーーーーー↓「河合奈保子写真集スカーレット SCARLET / 撮影:五味彬、河合奈保子、文:吉元由美/別冊スコラ36/スコラ/講談社/昭和61年(1986年)12月25日第1刷発行」↓ 河合奈保子さん「スカーレット」ーーーーーーーーーーー↓ オランダでの撮影と思う写真を一部紹介します。ーーーーーーーーーーーー↓ ノルウェーで撮影された写真を一部紹介します。↓ ノルウェーのオスロ駅。後ろの車両は、オランダからオスロに到着したオランダ国際列車だと思う。↓ 河合奈保子さんのメッセージ。
2024.11.09
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河合奈保子さんは全曲を作曲したアルバム『スカーレット』を、1986年10月21日に発売しました。それに合わせ、1986年夏にはノルウェーに行き、ビデオ撮影をしました。私は「河合奈保子 DVDコレクション PURE MOMENTS / 2002年3月30日」を持っていますが、このDISC 1 には、奈保子さんの海外ビデオ映像(アメリカ西側、ニュージーランド、アメリカ横断旅行、ノルウェー)が収録されています。奈保子さんのアルバム『スカーレット』用にノルウェーで撮影された映像があるので、アルバムに収録されている曲「ハーフムーン・セレナーデ」の映像を一部紹介します。ーーーーー【スカーレット】1986年12月10日に発売された奈保子オリジナル・イメージ・ビデオ第4弾で、こちらは10月21日に発売された同タイトルアルバムの映像版。同ビデオには、アルバム未収録の奈保子作曲のインストゥルメンタル「やさしさの岸辺」と「夜明けのエチュード」がLPのA面、B面にあたる各5曲をサンドする形で収録されており、彼女のメロディー・メーカーとしての魅力を添えている。アルバム「スカーレット」は、初の全曲河合奈保子作曲の第1弾ということで、(一部でデーモン小暮みたいと揶揄された)アルバム・ジャケットと共に当時話題を呼んだ。この映像版『スカーレット』は、全体にドキュメンタリーのような印象を受ける。これは、ノルウェー・ロケということもあるが、やはり初めて全編フィルムで撮影されたクリップ集だということが大きいだろ。シングル「刹那の夏」のプロモーション時期(1986年8月)を縫っての真夏の撮影だったが、その柔らかな画質の穏やかな色彩が、奈保子メロディーに非常によく馴染んでいる。~そして、何といっても圧巻はラストの「ハーフムーン・セレナーデ」。荘厳な景色と壮大なスケールの楽曲が見事にシンクロしている。DVD化ゆえの各段の解像度アップで、ファンの方にとっても今回のリイシューで、更に評価の高まる1作であるに違いない。本作はオリコン・ビデオチャートで最高位5位、また翌年1月に発売されたLDも前3作以上に高セールスとなった。このことからも、この作品でより高品質を求めるファンが急増したことがうかがえる。ーーーーーーーーーーーー↓ 「河合奈保子 DVDコレクション PURE MOMENTS / 2002年3月30日」『スカーレット』↓ 「ハーフムーン・セレナーデ」↓ スカーレット。↓ ハーフムーン・セレナーデ。 ノルウェーの河合奈保子さん、
2024.11.08
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河合奈保子さんが全曲作曲したアルバム『スカーレット:1986年10月21日発売』をレコーディングするため、1986年6月下旬に奈保子さんは神奈川県三浦半島の観音崎のスタジオで合宿しました。今回のプロデューサーは売野雅勇さんで、作詞は作詞家の吉元由美さんです。「奈保子しんぶん Vol.37 /昭和61年(1986年)7月発行/芸映プロダクション・芸映友の会・河合奈保子FC編集部」の中に、観音崎のレコーディング合宿と、売野雅勇さん、吉元由美さんのコメントが記されていたので紹介します。ーーーーーーーーーーーー6月下旬のレコーディング合宿を最後に、無事すべての曲の録音が終了しました。ハッピーソングあり、バラードありのバラエティに富んだ曲の数々。また、さすがに音楽の基盤がしっかりしているだけあって、優れたメロディラインに思わず唸ってしまいます。今月は、レコーディング合宿の報告とともに、スタッフからのメッセージを紹介したいと思います。ーーーーーーーーーーーーーーー【合宿エピソード】本当にがんばってくれました。前々から根性のある人だとは思っていたけど、今回のレコーディングで、増々奈保子の音楽に対する熱い姿勢を知ることができました・・・。と、これはレコーディング制作に立ち会ったスタッフたちのコメントです。たった一音の微妙なズレを見逃さず、詞とメロディーを吟味していくその様は、まさにアーティストそのものだったということです。ところで今回、レコーディング合宿の中ですべて制作されたわけですが、何日間も東京を離れることで、合宿の前後は相当キツイスケジュールだったことも確かなのです。例えば6月は、7月24日に行われる”EASTコンサート”の曲目を決定させる時期でした。現在、コンサートにおける選曲や構成の会議では、奈保子の希望やアイディアを中心としてくりひろげられているため、合宿前はじっくりと案を練っていた奈保子。そのために一睡もしない日もあったとか・・・。「今日は夜遅いから明日にしよう・・・なんて考えていると、どんどん日が伸びていって、レコーディング中に考えなければならなくなってしまう。それでは合宿の意味がなくなってしまいますよね。だからできる限り東京にいるときに、他のことをやるようにしました」これほどまでの徹底した意気込みが、素晴らしい音を生み出してくれたのでした。さて、では合宿中のエピソードをご紹介しましょう。起床は前の晩のレコーディングによって変わりましたが、スタジオ入りは正午なので、奈保子は午前中に譜面を見ながらレッスン。そしてそのまま本番へ突入し、一応午後の6時にUP。1時間ほどの夕食の後、休憩をしたら今後は8時から再開。終了するのは平均して12時だったということです。ところで6月に行われた合宿は観音崎で、スタジオから海が一望できるステキなリゾート地。だから普通なら機材ばかりで無味乾燥なスタジオも、実に優雅なムードが漂っていました。このような環境なので、奈保子も録音中はTシャツに短パンというリゾートファッション。だけど表情には常にピリッとした緊張感も漂っていました。こうして完成された奈保子全作曲のアルバムは、10月21日に発売される予定です。タイトルは仮で「スカーレット」とつけられましたが、これはもしかしたら変わる可能性もあり。とにかく本当にいい曲ばかりで、時間を忘れるほどのめり込んでしまいます。発売になったら、ぜひ御愛聴くださいね。ーーーーーーーーーーーーーーーー【売野雅勇さんからのメッセージ:(今回のレコードをプロデュース)】今回のアルバムテーマを「スカーレット」にしたのは、いろいろと意味あってのことなんです。奈保子さんの特徴を考えた時に、女性が本来持っている”優しさ” ”素直さ” ”やわらかさ” が浮かんだんです。そこでそういった女性を表現していく・・・ということがまず第一にあって・・・。また、彼女は自分の中から湧き上がるものを表現するにおいては天下一品で、日本のトップアイドルの位置にある人ですよね。アイドルを越えた部分っていうのもすごくありますし・・・。それで彼女の人柄や存在感などを総合的に見たときに、いちばんフィットしているイメージは”スカーレット”だったわけです。この”スカーレット”には2つの意味があって、ひとつはスカーレット色、つまり緋色(ひいろ)。もうひとつは『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラによるもの。スカーレット・オハラって、女性のひとつの形だと思うんです。自由で愛情が深くて、とてもチャーミングで。ただ、ファンのみなさんは、奈保子さんに緋色というより、パステルタッチのイメージをお持ちかもしれません。確かに彼女は人間的にやさしくて、ひとつ遠慮しちゃうみたいなとこもある・・・。淡い感じの女性ですよね。でもそういう人にも、胸の中には真っ赤に燃えた緋色が絶対あると思うんです。夢を見たり、あるいは恋をしたり、前向きな明日に向かって生きようとする命の輝きみたいなものが・・・。これは本来彼女が持っているものなんです。それを初めて今回、ソングライターとしてアーティスティックに出したわけです。アイドルから出発して、このアルバムでひとつの答えが出るとおもいます。それはもちろん、よりよい形でね・・・。ーーーーーーーーーーーーーー【作詞家 吉元由美さんからのメッセージ:(今回のレコードの作詞を担当)】今回奈保子ちゃんの作った曲に詞をつけさせていただいたんですが、すべて曲が先で詞を後でつけるという作業でした。最初テープで曲を聴いたとき、やっぱり好きなだけあって、バラードは相当完成度の高いものだと思いました。また奈保子ちゃんは職業作家じゃないから、非常に素直な感覚で自分の歌いたい曲を作ったように思います。それはテープの中に熱く込められていて、そういう意味ですごい生身なデモテープという感じがしました。また、レコーディング中も彼女の音楽に対する真剣な姿勢が垣間見えて、私もそういうものに近づきたいなってすごく思うようになりましたし。歌は10曲あって、詞の中に10人のまったく性格の違う女の子を表現したんです。情熱とか衝動などが、色々な形になって詞にでているというか・・・。曲ごとにいろいろなストーリーがあって、10人の奈保子ちゃんがいるっている感じでした。彼女のひたむきさや思い入れがスタッフの私たちに伝わったように、アルバムを聴くみなさんにも、それはしっかりと感じてもらえると思います。ーーーーーーーーーーーーーー↓ プロデューサーの売野雅勇さん、作詞家の吉元由美さん、そして中央は河合奈保子さん。↓ 海が一望できるスタジオは、澄んだ空気に包まれていました。↓ 注意すべきポイントをチェックして・・・。↓ 小池ディレクターとの打ち合わせも、熱いムードが漂います。↓ ピアノを自己レッスン。「生ピの音ってすごく落ち着きます」。↓ スタジオから見えるプール。ここで泳ぐことは一度もなかったとか。↓ 観音崎スタジオの一室。休憩タイムに奈保子はここでレッスンをしてました。↓ 「奈保子しんぶん Vol.37 /昭和61年(1986年)7月発行/芸映プロダクション・芸映友の会・河合奈保子FC編集部」
2024.11.07
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1986年10月21日、河合奈保子さんは全曲を自分で作曲した『スカーレット』を発表し、同年11月26日には、アルバムに収録されていた『ハーフムーン・セレナーデ』がシングル曲として発売されました。上記のアルバム作成のため、河合奈保子さんは1986年5月から山中湖畔のスタジオで合宿されました。学習研究社MOMOCO「IDOL情報局」の切り抜きがあり、その頃の記事があるので紹介します。ーーーーーーーーーーーー「河合奈保子 LP合宿も無事打ち上げ。あとはレコーディング、そして発売を待つのみだぞ!」1986年5月7日から14日まで、全曲奈保子ちゃん作曲というLP作りの為、山中湖にあるスタジオに合宿。全10曲のうち1曲は無伴奏の曲ということで9曲の音作りに専念したわけ。合宿メンバーはスタッフ、ミュージシャンあわせて総勢25名ほどという大家族。1日のスケジュールは朝食と昼食を兼ねた食事が12時なので朝はゆっくり寝坊ができる。そして午後1時頃からプレイヤーと打ち合わせをしながら音作り開始。奈保子ちゃんは各ミュージシャンの演奏する音をチェックしながら、その都度自分のイメージを説明し、曲を作っていくという作業にはいる。今回は本人のボーカルのダビングはなかったものの、時々歌ったりして曲調を合わせていった。夕食は7時頃。にぎやかな食事タイムが終わるとすぐにまたレコ―ディング開始。こうして夜中の12時ちかくまで音作りに没頭するという合宿ぶりだった。番組も取材も一斉シャットアウトした合宿生活なので、奈保子ちゃんにとっては充実した毎日だったという。全部自分が作曲したLP作りの作業とはいえ、人気者の歌手にはなかなか作れない機会なので、奈保子ちゃんにとっては貴重な体験になったはずだ。合宿を終えて帰京した彼女の顔はやり遂げた満足感でいっぱい。あとは本人のボーカルを吹き込むだけだが、6月後半からレコーディングに入っているので、現在仕上げにむかってラストスパートというところ。発売は10月ごろになるというから楽しみに待っていようね。きっと力作が出来ると思うよ。5月17日からはコンサート”ジャスミンの夢飾り”が、大阪よりスタートした。18日米子市公会堂、19日鳥取市民会館、20日出雲市民会館、24日川崎市産業文化会館、6月2日岩国市民会館、3日徳山市民文化会館と続く。ご存じのように奈保子ちゃんは地方のコンサートがあると、必ずその土地の名所、旧跡を見て歩く。もちろん本人の社会勉強の為でもあるが、ステージでもその日行ってきた名所の話なども織りまぜ好評をよんでいる。今回も岩国では錦帯橋へ行ってきたり、徳山では動物園へ行くなど熱心に見て、歩いている。そして今回のコンサートの特徴のひとつにステージ上から奈保子ちゃんがカメラを構えて客席を激写というシーンがある。結果はナイショだそうだけど、ぜひ一度撮った写真を見てみたいものだね。コンサートの合間に、日立のコマーシャル撮影があった。商品は暖房器具で、これから真夏へむかおうという頃なのにCM界のシーズン先取りの早いこと。5月28日にはチャゲ&飛鳥のコンサートを見に行ってきた。一度ステージを見たいという念願がかない、ごきげんなコンサートに酔ってくる。6月15日渋谷公会堂でのコンサートをラストに、いよいよ7月24日のよみうりランド・イーストのコンサートリハーサルに入る。今年で4年目のイーストのバースデーコンサートに奈保子ちゃんの力はみなぎる。同じ7月24日に新曲『刹那(せつな)の夏』も発売されるし、コンサート、レコードともファンの応援を楽しみにしているよ。ーーーーーーーーーーーーーー学習研究社MOMOCO「IDOL情報局」の切り抜き。河合奈保子さん。↓ 番組スタッフにも人気者の奈保子ちゃん。局の控室でせっせと色紙にサイン。
2024.11.06
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1986年の河合奈保子さんは、歌手活動以外に、インドネシア・バリ島でハレー彗星を撮影したり、夏にビデオ収録でノルウェーを訪れたり、夜のヒットスタジオのマンスリー(毎月、奈保子さんの特集が設定された企画)をしたりと多忙の中、継続して作曲作業を続け、1986年10月21日に全曲を自分で作曲したアルバム『スカーレット』を発表しました。また、『スカーレット』の中に収録されている『ハーフムーン・セレナーデ』の反響が大きく、1986年11月26日には『ハーフムーン・セレナーデ』がシングル盤として発売されました。1986年春頃に発行された雑誌の切り抜きが手元にあり、「河合奈保子 作曲家修行」という記事があったので紹介します。奈保子さんがアルバム『スカーレット』の曲を作成する頃の様子が書かれています。ーーーーーーーーーー【河合奈保子 作曲家修行】いま、こつこつと自作の曲を書きためている奈保子。今年中に、全曲オリジナルのLPをつくろうと思っているのだ。そんな作曲修行の生活を紹介してみよう。ーーーーーーーーーーじつは2年ほど前から、曲は書きためているんです。河合奈保子・作曲の第1号は、『秘めやかなラブ・ストーリー』という曲で、コンサートで歌ったりして、けっこう評判がよかったりして・・・。でね。気をよくして『夢かさねて』っていう曲を、去年モルジブに行ったときに作ったの。涙が出るほど、綺麗な夕暮れで、波の音を聴きながら、ホテルの前のブランコにのってたの。ポータサウンドをいじくってたら、メロディがうかんできて、あ、これだっ!ってね。どちらも、愛着があって自分の娘みたいな感じだから、『奈保子22』(アルバムレコード:1985年7月24日発売)っていうベストLPに入れました。ーーーーーーーーーー私の作曲法って、イイカゲンなの。仕事が終わって、眠れない夜とかに、自宅で近所迷惑にならない音でエレピを弾くの。それで、「ラララ・・・・・」とか「ヌフフ・・・・・」ってハミングして、カセットに録音するの。それを、バンドのギタリストの永島さんに渡して、いい曲かどうかを判定してもらうわけ。たいていボツになるんだけど、30曲は作りましたねー。コーラスの部分とか、出だしだけできてる曲みたいなハンパなものもあるの。それで、採用となったら楽譜におこしてもらうの。悲しいことに、譜面書けないし、コードもつけられないから。TVの楽屋とかで、理論とか永島さんに教えてもらってはいるんだけど、時間がトビトビになるので、前の復習に手間取ってしまうんです。なさけない作曲法なんだけどねー。もっと勉強しなくっちゃ!ーーーーーーーーーーーそれで、詩は書けないから作詞家の吉元由美さんにお願いしてるの。「この曲は海っぽく、こっちは爽やかな風の雰囲気で・・・」とか注文して、またもや、イイカゲン。そんな感じで、なんとか10曲ぐらい作って、今年中にオリジナル・アルバムを制作したいんです。できれば、カラオケの音録り(おととり)にも立ち会いたい。自分の曲なんで・・・。今までの曲を永島さんにアレンジしてもらうと、全然ちがう流れになってしまうのね。そういう楽しみもあるんです。ーーーーーーーーーーー目標なんていうのは大胆すぎますし、そんな才能もないんだけど、ライオネル・リッチー大好きです。あんなバラードが書けたらいいなって。影響されたのか、私の作る曲ってほとんどがスローバラードなの。みなさん、なが~い目で、暖かく見守ってやってください。1986年4月1日に24枚目のシングルの『涙のハリウッド』を出します。もちろん、自分の作品ではないんだけど、こんな素敵な曲を、早く自分で書けるようになりたいと思います。ーーーーーーーーーーーーーーー【河合奈保子 作曲家修行】↓ バンドのギタリスト・永島さんと相談したがら、コードの進行などを決めていく。和気あいあいだ。↓ 雑誌の切り抜き。「♬バラードで私の心伝えたい♬」↓ 河合奈保子さん作曲の『シンデレラ・バケーション』の自筆楽譜なのです。
2024.11.05
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1986年11月26日、河合奈保子さんのシングル曲「ハーフムーン・セレナーデ」が発売されました。この歌は河合奈保子さんが作曲しました。1986年10月21日発売のアルバム「スカーレット」に入っている曲で、1986年の紅白歌合戦で奈保子さんがピアノを弾きながらこの曲を披露しました。同曲は1987年に香港の歌手である李克勤(ハッケン・リー)さんが「月半小夜曲」としてカバーし、中国語圏で大ヒットしました。いまだに歌い継がれている素晴らしい曲です。「かなりや VOL.31 昭和61(1986年11月発行/芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」には、シングル曲「ハーフムーン・セレナーデ」とアルバム「スカーレット」の記事があり、少し紹介します。新曲『ハーフムーン・セレナーデ』11月26日発売に決定!!ファンのみんなからの強い希望によって決まった今回の新曲。奈保子は、自分の作曲した歌がシングルに選ばれ、感激もひとしお。絶対、大ヒットさせたいですね!【今年の冬はこの曲に賭けます】ここのところ奈保子は、ヘアースタイルや服装などシンプルでさりげないおしゃれが光ってたりします。しっとりと女っぽく、でも時々無邪気な笑顔ものぞかせたりして・・・。大人のような少女のような、不思議な魅力を持っている人ですね。その奈保子の魅力を上手く引き出したのが、すでに放送された『夜のヒットスタジオ』マンスリーであり、先月発売されたアルバム『スカーレット』でしょう。奈保子の世界がこのアルバムで、ひとつの形となって出来上がったといえます。さらに、シンガーソングライターとしても高い評価を受け、今後の活動に大きな期待がかけられています.さて、待望の新曲が11月26日に発売されることになりました。タイトルは『ハーフムーン・セレナーデ』。この曲はアルバム『スカーレット』の中に収録されていますが、以前からファンのみんなから ”ぜひシングルに!”との声が強かったのです。「アルバムに収録する前に、レギュラーのラジオ番組でこの曲を紹介したことがあるんです。そうしたら反響がものすごかったんですよ。山のようにハガキが届いて・・・みんなの素直な気持ちがとてもうれしかったんです」何よりも奈保子の作曲でもあり、最近のステージではいつもラストに「ハーフムーン・・・」を歌うなど奈保子も気に入っている歌なので、今回のシングルリリースにうれしさいっぱいみたい。奈保子が作り、ファンの声によって実現した新曲。しっとりした切ないバラードはこれからの季節にピッタリ。ぜひとも大ヒットさせたいですね!ーーーーーーーーーーーーー【河合奈保子さんのメッセージ】お元気ですか?奈保子です寒い日が続いてますケドカゼなんかひいてませんか?気をつけてくださいネッ!さて、アルバム『スカーレット』もう聴いてくれましたか?ぜひ感想をきかせて下さいネッ!それではきょうはこのへんでNAHOKOーーーーーーーーーーーーーーーー↓「かなりや VOL.31 昭和61(1986年11月発行/芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」ーーーーーーーーーーーーーー↓ 1986年11月26日、河合奈保子さんのシングル曲「ハーフムーン・セレナーデ」が発売された。私が学生のときに、アルバイト先の地元放送局で頂いた見本盤。
2024.11.04
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タワーレコードから定期的にメール案内が送られてきます。2024年10月17日付で、「ヨルに聴きたい アイのウタ」のCD予約案内が来ており、「河合奈保子」と記載があったので詳細を見ると、CDの10曲目に河合奈保子さんの「ハーフムーン・セレナーデ」が入っていました。ーーーーーーーーーーーーーー
2024.11.03
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2024年10月18日付朝日新聞朝刊を見ていると、「週刊ポスト 2024年11月1日号-/小学館」の広告があり、「キャンディーズ、岩崎宏美、栗田ひろみ・・・ この熱意だけは本物! 総理が愛したアイドルたち」と紙面紹介がありました。石破茂総理が愛したアイドルと言えば、必ず河合奈保子さんが紹介されていると信じ、会社の帰りに週刊ポストを購入しました。読んでみると、ちゃんと河合奈保子さんが紹介されており、期待どおりでした。石破総理が愛したアイドルとして、キャンディーズ、麻丘めぐみさん、栗田ひろみさん、岡田奈々さん、太田裕美さん、岩崎宏美さん、河合奈保子さん、柏原芳恵さんが紹介されていました。河合奈保子さんの部分は、「『こんな妹がいたらいいんだろな』と思える存在でした。ビキニの写真を見ると、肉感的なんだけど、肉感的なんだけど、不思議と色気を感じさせない。裏表がなく性格がよさそうな、独特の存在感を持つアイドルでしたね」(2019年1月1・4日号)と書いてありました。また、記事では次のような石破総理のコメントが記載されています。(p111)永田町きってのアイドル好きとして知られる石破茂首相(67)は2020年、『石橋、薪を焚べる』(フジテレビ系)で、タレントの石橋貴明を相手にこう語っていた。「人間、お金だけで生きているわけじゃなくて、本当につらいときに石橋さんのライブを観て、とんねるずのアレを観て、生きる希望が出る人っているじゃないですか。歌でもなんでもそう。私なんか高校、大学とアイドル歌手の歌を聴いて元気になった口だから」日本のアイドル草創期の1971年当時、首相は中学3年生。好きなアイドルの歌は全曲覚え、南沙織や栗田ひろみ、麻丘めぐみのブロマイドを定期券入れに忍ばせていたという。上記を読むと、首相が中学3年生のときに、アイドルのブロマイドを定期券入れに忍ばせていたというところで共感が持てます。私が中学3年生の時に、河合奈保子さんがデビューされ、奈保子さんのブロマイドや雑誌の切り抜きを鞄に入れていました。それからこの歳になるまで、ずっと奈保子さんのファンです。奈保子さんの姿をテレビや雑誌で拝見し、奈保子さんの歌を聴き続けられたことは、私にとってとても幸せなことで、生きていて良かったと思える理由の一つです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 「週刊ポスト 2024年11月1日号-/小学館」↓ (石破茂)総理が愛したアイドルたち。キャンディーズ。↓ 河合奈保子さん。「『こんな妹がいたらいいんだろな』と思える存在でした。ビキニの写真を見ると、肉感的なんだけど、肉感的なんだけど、不思議と色気を感じさせない。裏表がなく性格がよさそうな、独特の存在感を持つアイドルでしたね」↓ 2018年の本誌取材時には、首相はデジタル写真集『別冊近代映画 河合奈保子スペシャルパート3』を楽しんだ。ーーーーーーーーーーーー↓ 2024年10月18日付朝日新聞朝刊。↓ 「週刊ポスト 2024年11月1日号-/小学館」の広告。↓ 「キャンディーズ、岩崎宏美、栗田ひろみ・・・ この熱意だけは本物! (石破茂)総理が愛したアイドルたち」
2024.10.18
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週刊ポスト2017年5月19日号/小学館ですが、「河合奈保子の秘蔵写真」という特集ページがありました。「1987年の河合奈保子『女性セブン』地下倉庫で発見された秘蔵写真を大公開」、「彼女の歌を全曲歌える石破茂代議士が特別寄稿」とあり、次に記事を紹介します。「挨拶廻りを支えてくれた”妹”」石破茂(衆院議員)私にとって河合奈保子は、夢中になった「最後のアイドル」です。彼女が「西城秀樹の妹」としてデビューした時、私はもう23歳。彼女は16歳だったから、”恋人”というより可愛い”妹”のような存在でしたね。最初の印象は裏表がなさそうで、「性格の良さそうな娘だな」と思った。でも彼女のことを知るうちに、「音楽性」に惹かれるようになりました。歌唱力が抜群で、明るい歌からしっとりした歌まで幅広いジャンルを歌える人だった。私が特に好きだった曲が2曲あります。1曲目が明るくてノリの良い「エスカレーション」(1983年)。今でも、夏になると歌いたくなりますね(笑い)。もう1曲は、打って変わって大人のしっとり感を感じさせた『ハーフムーン・セレナーデ』(1986年)。彼女自身で作曲して、ピアノを弾きながら歌う姿がとても良かったですね。今回掲載された1987年の頃の写真もそうだけど、この頃には彼女も「大人の女性」になっていた。単に天真爛漫なアイドルで終わらず、美しい大人に変わっていったところにも魅力がありました。彼女が私にとって他のアイドルと違って特別なのは、「辛い時期」を支えてくれた存在だったというところにあります。私は1986年の7月に29歳で国会議員になりましたが、その2年ほど前から地元・鳥取で挨拶廻りをしていました。当時は運転手もいなくて、来る日も来る日も自分で運転しながら1日に何百件と挨拶していたんです。若造だった私は「お前に入れる票はここにはねえぞ」などと、厳しいことも言われました。その時に、車の中でいつも聴いていたのが河合奈保子だった。その明るい歌声に元気を貰っていました。だからか、今でもたまに出張先で急に聞きたくなったりするんです。最近は便利な世の中になったから、ユーチューブで動画を観ながら彼女の曲を聴いています(笑い)。議員仲間でカラオケに行くときにも歌いますよ。今回の写真では着物姿が良いですね。私はグラマーな水着写真より断然、爽やかな服装の方が似合っていると思う。休業してからも、彼女は当時の美しい姿と声のままいつまでも私の心に「永遠のアイドル」として残っています。石破茂(衆院議員)ーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 週刊ポスト2017年5月19日号/小学館/「河合奈保子の秘蔵写真」「1987年の河合奈保子『女性セブン』地下倉庫で発見された秘蔵写真を大公開」↓ 「彼女の歌を全曲歌える石破茂代議士が特別寄稿」↓ 着物姿の河合奈保子さん。↓ 美しい河合奈保子さん。↑ 河合奈保子(かわいなおこ)1963年7月24日生まれ。大阪市出身。1980年「HIDEKIの弟・妹オーディション」で優勝し、同年『大きな森の小さなお家』でデビュー、日本レコード大賞新人賞を受賞。翌年『スマイル・フォー・ミー」でNHK紅白歌合戦に出場するなどトップアイドルとなり、計36曲のシングルをリリース。1996年の結婚を機に活動を休止した。今回は『女性セブン』(小学館)が撮影した写真を保管する地下倉庫から発見された貴重写真を特別に掲載した。 (撮影/稲葉信彦、崎原朝之)↓ 週刊ポスト2017年5月19日号/小学館 表紙。↓ 週刊ポスト2017年5月19日号/小学館/「河合奈保子の秘蔵写真」
2024.09.30
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2018年12月27日付 NEWSポストセブンで、石破茂・元防衛相、河合奈保子と「電子書籍で再会」に感激したとの電子記事があります。記事の一部を次に紹介します。ーーーーーーーーーーーーー1980年にデビューし、多くのファンを魅了した河合奈保子。そんな河合奈保子を特集した『別冊近代映画』が電子書籍として丸ごと復活することになった。永田町のアイドル通として有名な石破茂・元防衛相は、今回の「再会」に感動したという。***【石破茂さん】この別冊がでた1982年は、私が25歳の頃。彼女は当時19歳だから、「こんな妹がいたらいいんだろな」と思える存在でした。ビキニの写真を見ると、肉感的なんだけど、不思議と色気を感じさせない。裏表がなくて性格がよさそうな、独特の存在感を持つアイドルでしたね。そして、とにかく歌が上手。彼女の3大名曲といえば、『エスカレーション』(1983年)、『ハーフムーン・セレナーデ』(1986年)、『愛をください』(1982年)ですね。『愛をください』は彼女が選ぶベストテンに入っているんですよ。もちろん、どの曲も歌えますよ(笑い)。29歳で国会議員になりましたが、20代後半のしんどいときに励ましてくれたのが、河合奈保子さんの歌でした。地元・鳥取で挨拶廻りをする車の中で運転しながらよく聴いていましたよ。【プロフィール】いしば・しげる/1957年生まれ。1986年に衆院議員に初当選し、以後当選11回を数える。防衛大臣、農水大臣、自民党幹事長を歴任。キャンディーズ、南沙織から河合奈保子、薬師丸ひろ子まで、政界きってのアイドル通として知られる。ーーーーーーーーーーーーーー石破茂さんが手に持っている電子書籍の「河合奈保子スペシャルパート3 別冊近代映画/近代映画社/1982年(昭和57年)7月1日発行」ですが、私は紙の本を持っています。これには特別付録ポスターが付いているので、資料として添付します。この本の最後には、「KAWAI奈保子フォトメッセージ 近代映画増刊 グアムのシャイニングビーチに踊る!/近代映画社/1981年(昭和56年)8月5日発行」の紹介があります。私はこの増刊号が好きで、どのページを見ても、奈保子さんの笑顔が満載です。最初に買った本が傷んだので、もう一冊買ったくらいお気に入りです。ーーーーーーーーーーーーー↓ 石破茂さんと「河合奈保子スペシャルパート3」の電子書籍。ーーーーーーーーーーーー↓ 私が持っている「河合奈保子スペシャルパート3 別冊近代映画/近代映画社/1982年(昭和57年)7月1日発行」↓ 特別付録ポスター。↓ 最後に、「KAWAI奈保子フォトメッセージ 近代映画増刊 グアムのシャイニングビーチに踊る!/近代映画社/1981年(昭和56年)8月5日発行」の紹介がある。↓ 手元にある「KAWAI奈保子フォトメッセージ 近代映画増刊 グアムのシャイニングビーチに踊る!/近代映画社/1981年(昭和56年)8月5日発行」奈保子さんの笑顔が満載!読み過ぎで本が傷んだので、もう一冊購入した。
2024.09.29
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2024年9月16日、TBSで「8時だョ!全員集合 不適切だけど笑っちゃう! ドリフ伝説コントBEST20!」が放送され、妻と一緒に見ていました。10位の「不思議な仕掛け」で、バカ殿と中森明菜さんのコントがありました。そしてCMの直前に次の9位の紹介映像が流れ、河合奈保子さんの笑顔が映し出されたので、期待が一挙に膨らみました。CM後に9位「言葉遊び」が始まり、少年少女合唱隊で赤いスカートをはいた奈保子さんが、一生懸命早口言葉に挑戦する姿が映し出されました。笑顔の素敵な奈保子さんです。ーーーーーーーーーー↓ 9位 言葉遊び。↓ ドリフ伝説コント BEST20 第9位 早口言葉↓ 少年少女合唱隊。↓ 赤いスカートをはいた奈保子さん。↓ 奈保子さん(当時17歳)が早口言葉に挑戦した。(奈保子さんの向かって左は柏原よしえさん、右は浅野ゆう子さん)↓ 奈保子さんの向かって右はジュリー。↓ 奈保子さんの次は浅野ゆう子さんが早口言葉に挑戦した。↓ 浅野ゆう子さん。その横は河合奈保子さん、柏原芳恵さん。反対側はジュリーさん。
2024.09.16
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2024年8月31日夜、テレビ朝日の「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」を見ていると、テーマは「令和の今見てもカッコいい昭和の歌手 ベスト20!」でした。80年代アイドル好きの博士ちゃんが紹介され、その部屋は80年代アイドルグッズでいっぱいです。画面上に、河合奈保子さんのシングル、アルバムのレコードジャケット、奈保子さんのアルバムに入っていた付録など、沢山の奈保子さんを見ることができました。河合奈保子さんファンの方なら、画面の奈保子さんグッズを全て言い当てられると思います。↓ 河合奈保子さんがいっぱい!
2024.09.15
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河合奈保子さんは1996年2月に結婚されました。私は「河合奈保子 秋冬デイリーセーター 手編みニット30点掲載/1996年10月15日発刊第一刷 レディブティックシリーズ通巻1070号/ブティック社」を資料として持っていますが、結婚されて半年後の奈保子さんが紹介されています。本には30種類のセーターを着た奈保子さんの写真が載っています。奈保子さんのプロフィール欄は、次のように記載されています。河合奈保子 プロフィール。生年月日:1963年7月24日出身地:大阪府身長:159cmデビュー:大きな森の小さなお家ーーーーーーデビュー当時の清楚な初々しさがそのまま感じられる奈保子さん。ミセスの仲間入りをしてお幸せな日々を重ねていらっしゃいます。スタジオに流れる曲に合わせてハミングしたり、カメラマンとポーズのことで笑ったりと、なごやかで楽しい撮影でした。お仕事では初の舞台に挑戦。また、曲作りもマイペースで継続中とのこと。撮影当日、車を運転していらした奈保子さん。お隣にはご主人で、ヘア・メイク担当の金原さんが座っていました。彼は人生のナビゲーターとしても大きな存在のようです。ーーーーーーーーーーーーー
2024.06.20
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1996年2月の「さんまのまんま」で、明石家さんまさん、河合奈保子さん、小林千恵さんが楽しいトークをしました。奈保子さんが婚約会見をしたので、結婚生活についての話題になりました。(さんま)ちゃんと帰ってきたら、キスとかしてあげてるの?(千絵)キャーッ!(さんま)キスとかセックスの話、敏感やな、さっきから。ちゃんとキスとかお帰りなさいとか言って、したげてる?(奈保子)はい。(さんま)したげてるんだ! そんなことあるかいちゅうなーほんまー。黙って聞いとったらいい気になりやがって、このやろー。(奈保子)普通、普通ですよ! だから・・(さんま)しないよ普通、そんな帰って来てチューとかそんなのー。(千絵)さんまさんはしてなかったですか?(さんま)うち帰ってきたら、これやったからね。(パンチで殴られるマネをする)ごめんなーとか(頬から血が流れたマネをした)。(さんま)チューとか?(奈保子)いや、チューとかじゃ・・やあもう、なんですか、もうねえ、普通ですよ。だから夫婦じゃないですかね!(さんま)そうそう、普通。そりゃもう、一緒に風呂入ったりするんでしょう?(千絵)アッアーッ。(さんま)するんか!あんた! 否定せんとこ見ると、あんたほんまにええ加減にしーやー。(奈保子)モーッ!普通にねえ。(さんま)なあ、ほんまー、洗いっことかしてるんじゃないの?(奈保子)えへ。(さんま)してるんだ! もうちょっとほんま、あかんよ奈保子ちゃん!(奈保子)何にも言ってないじゃないですか、してるとかしてないとか。(さんま)否定したらいいじゃないの。そんなのー。そんなバカなとか。(奈保子)そんなバカな。ーーーーーーーーーーーーーー
2024.06.19
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1996年2月の「さんまのまんま」で、明石家さんまさん、河合奈保子さん、小林千絵さんがトークをしました。奈保子さんが結婚されたと言う事で、皆がプロポーズの言葉を聞こうとします。【6】プロポーズ(千絵)プロポーズの言葉、どんなんやったん? そういえば、記者会見でゆうてなかったですよね。(さんま)あっ、そうなの?(奈保子)プロポーズの言葉は・・・。イヒヒヒヒ(笑い)まあ・・あの・・ねっ・・あれですよね。(千絵)聞きたいですよね。(奈保子)いいよ、千絵ちゃん。今日何の話するんでしたっけ?(千絵)新婚の話や!(さんま)あたりまえや、そんなもん。河合奈保子が嫁ぐ日って、おれはもうねえ、その日を涙してテレビ見ると思うねんからやなあ。プロポーズの言葉っていうのは?(奈保子)プロポーズの言葉っていうよりも、割と電話でね、ずっとこう長く話をしてて、まあ、やっぱりこう、会話の部分の中で、うん。(さんま)あっ、結婚してくれないかなというニュアンスの言葉を並べたんだ。(奈保子)並べるって言うよりも、もっとすごく、自然な形ですよ。(さんま)奈保子と一緒に暮らしたらさあとかやろ!(奈保子)うん。(笑い)(さんま)なあ、わかるわかる! もし万が一だよ、一緒に暮らしやさあとか言うやつやろ?(奈保子)まあ、だから、まあ離れていられへんなみたいな(笑い)(会場)うぉーっ。(さんま)だはー!なぐってもーか。ーーーーーーーーーー
2024.06.18
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1986年2月に「さんまのまんま」で、明石家さんまさん、河合奈保子さん、小林千絵さんがトークを続けます。自動車運転についての話題になりました。【5】自動車運転(千絵)車とか乗ったことあるけども、こう見えて(奈保子ちゃんは)車の運転うまーて。(さんま)ほー! なんかどんくさそうやもーねー。(千絵)どんくさそうでしょ。ぶつかっちゃったーとか言いそうでしょ。(さんま)そうそうそう。もう血だらけなのに、あー血が出てるーとか。(千絵)それがね、もう4WDのね、でっかい車運転してね。すごいうまいんですよ、運転が。(さんま)4WD乘ってるんですか!(千絵)そう! 中には磁石みたいな車の角度がこんなんとか。(さんま)平行かどうかというのを。(千絵)そうそうそう。あんなんついてるようなね。(奈保子)あれ、なんだったっけね。(千絵)なんていうの、あれ? 平行棒?(さんま)平行棒ちゃうわ! 平行棒は体操で使うやつや。ほいで棒や、あれは。平行棒や。水平にたもっているか見る機械ね。(奈保子)はい。(千絵)あれついてるやつ、カーッて駐車するのもうまいしね。ただね、ほんまこのままやゆうの思うたんはね。交差点でこうやって待ってるでしょ。赤信号で。そしたら、やっぱりガラスがそんなに黒くないんで、周りにいっている人が奈保子ちゃんってすぐに見つけるのよ。顔ちっちゃいし、可愛いから。「河合奈保子や、河合奈保子や」とか言って周りが見てるでしょ。そしたら、どうも、どうも(左右に手を振る)と言って、一人一人にちゃんと挨拶して、前が青信号になっても、まだどうもって手を振ってる。(奈保子)うっそー。(千絵)だからね、本当にこのままで愛想もいい。(さんま)この辺の時代のアイドルやからね、お客さんを大事にするから。(千絵)すごい大事にするし。(さんま)それも、河合奈保子という風な。俺なんか「さんまや!」言われたら「おう!さんまやでー」って。(千絵)もう、90度くらい頭をこうやって下げて。(奈保子)いや、そんなんそんなんしない。(さんま)いやあ、昔からそうやった。昔から礼儀正しかったしね。ーーーーーーーーーー
2024.06.17
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1986年2月の「さんまのまんま」で、明石家さんまさん、河合奈保子さん、小林千絵さんが、奈保子さんの結婚について会話を続けます。【4】大阪弁の話。【千絵】でもすごいよね、スピード結婚で。【さんま】遅いよな、32やねんから。【千絵】違う違う違う。知り合ってから。どうも去年あたりから、連絡ないな。ようね、ご飯とか食べたりしてるんですけど、去年の10月くらいからえらい連絡ないなと思ってたんですよ。【奈保子】そう?【千絵】彼氏でも出来たんかなとかぐらいは思っていたんやけど、急に結婚やからビックリした。【さんま】友達にも言わなかったんだ。特に小林千絵ちゃんには言いたくなかったの? (笑い)そんなんあるやんか。おれの周りでも、さんまだけには言わない、秘密の事いっぱいある。【奈保子】でも本当に期間がね、短かったので・・・。【さんま】いつ出会ったんですか?【奈保子】去年の秋です。【千絵】あら。【さんま】ちょうど電話がなくなった頃に。【千絵】そう、ベタベタしとったんや。【さんま】ベタベタしとったんや、このアホは。このどアホはほんま。枯れ葉の舞い散る街を、二人で歩いてけつかったんや。【奈保子】どこも行ってないですもん。【さんま】クリスマスも二人で過ごしたんやで、これ。【千絵】クリスマスはどうしてたん? どこで過ごしてたん?【奈保子】まあ、ね。(笑い)【千絵】もう結婚したからええやん。【奈保子】もういいやんか!【さんま】ローカル色豊かな番組ですけど。いいやんか、かまへんやんか。ゆいーやー。【奈保子】でもね、普段はわたしら大阪弁で。【さんま】まあね。【千絵】ほんまにこのままなんですよ。普段も。【奈保子】千絵ちゃんも、このまんまなんです。
2024.06.16
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1986年2月の「さんまのまんま」で、明石家さんまさん、河合奈保子さん、小林千絵さんのトークが続きます。奈保子さんの結婚相手について話がありました。【3】奈保子さんの結婚相手(さんま)河合奈保子さんが結婚する人がこの人なんですね。*奈保子さんと結婚相手の記者会見の2ショット写真パネルを、さんまさんが掲げた。(奈保子)はい。(千絵)カッコイイよね。すごい。聖徳太子みたい。なんかほら口髭が。(さんま)なあ、エリック・クラプトンみたいとか、なんかほかにあるやろ。(千絵)プランクトン?(さんま)プランクトンの顔見るのがたいへんやないか!ちっちゃい! 君、一応音楽界にいるんやろ? エリック・クラプトン知らんのか?(千絵)有名な人?(奈保子)コンサートとか、やりはったよ。(千絵)あっ、そう。(奈保子)わたしら・・ウフフ。(さんま)おまえら大阪のオバはんの会話や。(大爆笑) コンサートとかやってはんねんとか。カッコイイ、聖徳太子みたいとか。(千絵)でも、すごい大人のね、ええ人を見つけたね。ほんまに。(さんま)おいくつなんですか、この旦那さんは?(奈保子)えっと、今37。(さんま)カッコイイですね。(千絵)旦那さん、英語ペラペラやて。ニューヨーク住んではったんやて。(さんま)そんなことを。完全に嫉妬深い大阪のオバはんやんか!英語ペラペラやんて。まあね、欠点もあるやろけどね言うて、必ず全面に褒めないオバはんやん。ーーーーーーーーーーーーーー↓ さんまさんが、奈保子さんと結婚相手の写真パネルを出した。↓ 河合奈保子さんが結婚する人がこの人なんですね。↓ 千絵さんが、「カッコイイよね。すごい。聖徳太子みたい。なんかほら口髭が」と言った。↓ 聖徳太子という表現に笑う奈保子さん。↓ さんまさんが、「なあ、エリック・クラプトンみたいとか、なんかほかにあるやろ」と言った、↓ 千絵さんが「プランクトン?」と聞いた。↓ さんまさんから、「君、一応音楽界にいるんやろ? エリック・クラプトン知らんのか?」と言われた千絵さん。↓ 千絵さんが、「有名人?」と聞いたので、リアクションをするさんまさん。↓ 奈保子さんが「コンサートとか、やりはったよ」と千絵さんに話した。↓ さんまさんから「おまえら大阪のオバはんの会話や。コンサートとかやってはんねんとか。カッコイイ、聖徳太子みたいとか」と言われる。↓ 大笑いの二人。
2024.06.15
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1996年2月の「さんまのまんま」で、明石家さんまさん、河合奈保子さん、小林千絵さんの楽しい会話が続きます。【2】河合奈保子さんと小林千絵さんのデビュー(千絵)同い年なんですよ、奈保子ちゃんと。(奈保子)大阪出身で。(千絵)HIDEKIの弟・妹コンテストで、私と奈保子ちゃんが一緒だったんです。大阪代表の二人だったんです。(さんま)石川秀美ちゃんとか色々秀樹の妹で募集されて。それで、奈保子ちゃんが優勝して、あなた:千絵ちゃんは弟役で優勝?(皆爆笑)(千絵)ちゃう! 私は落っこちて、大阪で不良やってました。(さんま)行ったん?(千絵)そう、二人で。だから奈保子ちゃんはお父さんと、私はお兄ちゃん連れて、東京の中野サンプラザホールっていうところまで行ってたんです。(奈保子)大阪はね、阪急ファイブでね、第一予選があって。(さんま)その二人が。(千絵)結婚するなんてねえ。(さんま)いまもう30・・・?(奈保子)32です。(さんま)早いなあ・・・。(千絵)見えないよね。(奈保子)千絵ちゃん、おんなじやん!(千絵)あっ、そうか。(笑い)ーーーーーーーーーーーー↓ 河合奈保子さんと小林千絵さん。↓ 河合奈保子さんは笑いが止まらなくなり、必死に口元を隠す。↓ 明石家さんまさん。「(秀樹の弟・妹コンテストで)奈保子ちゃんが優勝して、あなた(千絵ちゃん)は弟役で優勝?」と聞いた。↓ 「ちゃう!」と否定する千絵さん。皆が笑った。
2024.06.14
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1996年2月の「さんまのまんま」で、明石家さんまさん、河合奈保子さん、小林千絵さんがトークをしました。河合奈保子さんは同年2月1日に記者会見で、ヘアーメイクの方との婚約を発表したので、奈保子さんの結婚が話題の中心でした。笑いに包まれた3人の楽しい会話が続きますが、順番に紹介します。【1】河合奈保子さん婚約発表。(さんま)この前ですよね、婚約発表したの。(奈保子)2月の1日に。(さんま)ヘアーメイクさんですって?おれ知ってる人?おれ仕事した事ないの?そのメークさんと。(奈保子)さんまさんは・・・多分無いと思うんですけど。あまり詳しく知らないんですよ。お仕事の内容的な事とか。(さんま)河合奈保子さんが結婚するって、変な感じだよね。(千絵)全然 変!(奈保子)変?(千絵)もう、何か信じられない。(さんま)あなたは(結婚)できないか知りませんけれど。(千絵)できないんじゃないんです! しないんです、私は!(さんま)できないんじゃなくて、しないの!(千絵)そう!(さんま)二人とも、歳食うたよなあ。 (3人大爆笑)ーーーーーーーーー↓ 明石家さんまさん。↓ 河合奈保子さん。↓ 河合奈保子さんと小林千絵さん。↓ さんまさんから「二人とも、歳食うたよなあ」と言われた奈保子さんと千絵さん。
2024.06.13
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河合奈保子さんですが、1979年12月にHIDEKIの弟・妹コンテストに応募されました。書類審査に通り、1980年2月10日の大阪地区予選で、小林千絵さんとともに合格します。そして1980年3月16日、東京・中野サンプラザの決勝大会で河合奈保子さんは石野真子さんの「春ラ!ラ!ラ!」を歌い、優勝しました。河合奈保子さんが優勝となった選考過程に関し、審査員だった大本恭敬さんが「理想の声に近づく本 大本式ヴォイス・トレーニング 1,000人の歌手・タレントを育てたヴォイス・トレーナー/大本恭敬/シンコーミュージックエンターテイメント」に詳細を書かれているので、一部を紹介します。(P190)さて、私のもとで、プロの歌手たちがどのようなレッスンをしているのか・・・。沢山のカルテの中から、特に印象深かった河合奈保子クンをモデルに、説明することにしましょう。彼女は、私も審査員の一人をつとめた全国新人スカウトキャラバンで、約26,000名の応募者の中から選び出されたタレントです。実は、(大阪)地区予選の最終審査に奈保子は残らなかったのですが、私が強引に推薦しました。いままでのタレントは、個性があるというか、クセがある、いわばネクラが多かったのです。また、そういう子でないとスターになれないという、業界の常識がありました。新人スカウトキャラバンに応募してきたのも、タレントっぽい、出来上がった雰囲気の子ばかりでした。その中で奈保子は非常に目立った。彼女は普通のお嬢さんです。透明感がある。アクがない。その普通の感じが、とても新鮮に映りました。そして、決勝大会。最終的に誰に決めるか、議論白熱、なかなか決まりません。最後に私のところにお鉢がまわってきたので、「6番(ママ:本当は9番)の河合奈保子という子が一番いいと思う。一番うまいとは言えないが、性格がとても素直だし、歌いながら自分でカウント・テンポ、間をとって歌っている。みんなあがったりして条件は同じだけど、その点や聡明さ、清潔感、しぐさ、すべてに好感がもてる。タレントっぽくない、普通の家庭のとてもいいお嬢さんという感じ。こういう子が一人くらい芸能界にいてもいいのではないか」と述べたら、全員異議なし、ということで彼女の優勝が決定したわけです。(P191)その後、彼女は大阪に帰り、学校の授業が一段落してから上京して、私のところでレッスンを受けることになりました。デビュー曲の吹き込みまで20日間しかないので、毎日平均2時間のレッスンです。その最初の日、彼女の第一声を聞いて、私はアレ! こんな声だったかな。こんな子だったかな、と思いました。いろいろな歌を歌わせてみると、リズム感が良くない。声が少し、ノドから鼻にかかる。高い声が出ない。歌が重い。正直なところ、マイッタな、なんでこんな子を選んでしまったのか、と感じました。しかし、今さらしょうがない。よし、やろう、と猛特訓を始めました。(P192)レッスンの模様はすべてテープに録って、持って帰らせます。家で聴いて、悪いところ、良いところを確認させるのです。また、新しいレッスン曲は、本人の歌うキーと、それより高いキー、低いキーの3通りをピアノで弾いたものをテープに入れます。しかも、間にメロディーを入れないで、リズムだけで弾いたりします。これは耳の勉強になります。どのキーが一番自分に歌いやすいかも確認できる。楽してるなと思ったら一つ上のキーで歌わせたりもします。リズムだけで弾いてあるところでは、リズムの悪い子はメロメロになります。このテープを聴くのが宿題です。奈保子の場合は毎日だったので、きつかったと思います。一回聴くだけで2時間かかりますから。「大阪弁が出てるゾー」「アクセントが違う」「ノドにひっかかっているから、アゴを引きなさい」「目を正面に向けて」「下腹に力を入れて」「鼻声だゾー」「ダメ! 裏声になってる」などなど、私の叱咤の声が入っているわけです。(P193)奈保子は、私が予想した以上に頑張り屋さんでした。猛特訓にネを上げず、私が怒鳴っても文句も言わず、嫌な顔もせず、一生懸命です。2回ほどベソをかきましたが、「歌手としてデビューできるのかしら。もう大阪に帰れって言われるんじゃないか」と心配したそうです。それは、自分が思っていたより、声が出なかった。ノドに詰まって高い声が出ない。裏声で歌うとダメダメ!と言われる。リズム感、リズムって言われるけど、自分はピアノも弾いていたし、マンドリンも弾いたりしていたから、そんなに悪いと思ってなかった。リズム感ってそんなにむずかしいものなのか、と考え込んでしまったこともあったようです。上京したときの彼女の声音域は、BからBまで、そこから高い音は裏声、ファルセットになり、それもDまでしか出なかった。20日間の特訓後は、下はAから上はDまで、そこから3つくらい上まで出せるようになり、鼻にかかっていた声がうまく抜けて、澄んだ声になり、低い音も太く、甘くなってきました。リズムは8ビートまでとれるようになりました。デビュー曲は、「大きな森の小さなお家」ですが、作詞家の三浦徳子さんが詞を持ってきたとき、ア列の言葉を最初に持ってくるようにアドバイスしました。奈保子は明るい元気な子なので、口を大きく開けるア列から始めたほうがいいと思ったからです。で、何行目かにあった ♬誰もみなこと ない♬ が先頭に来たのです。その後のヒットは、ご存知の通りで、その年の10月に初めてリサイタルが開かれることになり、私が音楽監督と指揮を担当することになりました。彼女がド近眼なこともあり、舞台上で何かアクシデントでも起こったら大変。そばで見守り、助けてほしいと彼女自身に望まれたためです。もちろんコンサート用のレッスンもしました。(P194~195)コンサートでは、外国曲やいろいろな曲をメドレーにしたり、ソロでやったりするので、動きも合わせて、身体のバランスの取り方や、ステージングの流れなどをチェックします。このアクセントのときは、ここを注意しなさい。横を向いて声を出すときは、声は半円を描くので、距離が遠ければ遠いほど分散して、聴きづらくなる。声に重りをつけて投げつけるつもりで歌え、2階の方に向いて声を投げかけるときは、アゴを引いて、目をキッと上に向けなさい。後ろのバンドと音の喧嘩するな。つまりバックの音が大きいと、それに負けまいとしてつい大きな声をだしてしまうけれど、大きな声をだすとかえってマイクのヴォリュームを下げられ、ノドが疲れるだけになってしまうよ・・・などと、アドバイスしていきます。奈保子の場合、リズム感が悪く、振り付けもなかなかのみ込めない。歌もたくさん覚えなくてはいけない。発音練習もしなくてはいけない。怒られ怒られしているうちにいよいよ幕の開く日がやって来てしまいました。さて、どうなることかと回りはヤキモキしたわけです。さあ、幕が開きました。すごい人気です。テープがどんどん飛んできて、テープの山があちこちにできました。彼女はド近眼なのに、テープは一つも当たらない。テープでうずまっているような舞台の上で、彼女は手をたたいでスキップしながら歌い始め、テープの山もランランと軽やかに飛び越していく。振付の先生も、練習のとき、何度教えてもうまくできなかった2ステップのスキップを本番で見事にやってのけたので、驚嘆していました。私も同じです。アゴを引いて、下っ腹に思いっきり力を入れ、声をふわっと投げる、といった練習時の注意事項を完全に守り通したのでした。地味な、普通のお嬢さんが芸能界に入って、やっていけるのかな、と思っていたのに、その勘の良さ、運の強さを見て、関係者一同で大いに驚き、また喜びました。ーーーーーーーーーーー1980年3月16日、東京・中野サンプラザの決勝大会で河合奈保子さんは石野真子さんの「春ラ!ラ!ラ!」を歌い、優勝した。↓ 西城秀樹さんと河合奈保子さん。↓「理想の声に近づく本 大本式ヴォイス・トレーニング 1,000人の歌手・タレントを育てたヴォイス・トレーナー/大本恭敬/シンコーミュージックエンターテイメント」↓(P190)ヴォイス・トレーナーで審査員の大本恭敬さんが、最後に河合奈保子さんを押して決まったとの記載がある。(P196)河合奈保子さんの似顔絵。(P223)(P222)大本先生のヴォイス・トレーニングを受けたタレントたち。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 別冊近代映画 河合奈保子特集号/昭和56年(1981年)1月15日発行/近代映画社↓ 1980年3月16日、HIDEKIの弟・妹コンテスト、東京・中野サンプラザの決勝大会。河合奈保子さんが優勝した。↓ 河合奈保子さんは9番、小林千恵さんは11番だった。 司会のみのもんださん。↓ 西城秀樹さんと河合奈保子さん。ーーーーーーーーーーーーー↓ 夢・17歳・愛 心をこめて奈保子より/河合奈保子/ワニブックス↓(P19)3月16日、私は東京の中野サンプラザの楽屋にいました。大阪地区の予選に通った時も信じられなかったけれど、今、自分が決勝大会に東京へ来てることがもっと信じられない気持でした。大阪予選に通ったもうひとりの子(注)と、「だれが優勝するのかな」、「きっとあの子だヨ」なんてその時はまだ大阪弁で話してお弁当を食べたりしていました。(注)大阪予選に通ったもうひとりの子は小林千絵さん。ーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 昭和40年男 2024年6月号 俺たちが愛した昭和洋画/HERITAGE↓ (P116)小林千絵さんの紹介。(P119)「実は直前まで満場一致で優勝は小林千絵と決まっていた。ところが西城秀樹の鶴の一声で河合奈保子にひっくり返ったというのはアイドルマニア界隈ではよく知られている話だ」上記の西城秀樹さんの記載について、色々と資料を探しているのだが、よくわからない。時間があったら、西城秀樹さんに関する本を読んで調べてみたい。本当に西城秀樹さんが発言したのか、それとも話を面白くするため対外的にそのような話にしてスタッフが伝えたのか、いずれにせよ、当時の審査者でないと分からない。
2024.06.12
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「デラックス近代映画 20世紀アイドルスター大全集 Part3 1980~1989年 松田聖子、中森明菜からおニャン子クラブまで!/平成12年(2000年)4月25日発行/近代映画社」ですが、河合奈保子さんと小林千絵さんが紹介されています。一部を記載します。ーーーーーーーーーーーーーーー【河合奈保子さん】(p12~15)大きな森の小さなお家(1980年)で歌手デビュー。「けんかをやめて」、34万枚売った「エスカレーション」や全曲自分で作曲のアルバム「スカーレット」、ジャッキー・チェンとのデュエットでも話題。テレビ「さすらい刑事純情編」(1991年)にレギュラー出演した。ーーーーーーーーーーーーー【小林千絵さん】(p68)テレビの「そっくりショー」で優勝し、ボーカル・オーディション「ザ・デビュー」に合格して1983年に「いつも片想い」で歌手デビュー。1985年ミュージカル「小公女セーラ」に出演し、その後はDJやレポーターとしても活躍。ーーーーーーーーーーーーーーーーー「デラックス近代映画 20世紀アイドルスター大全集 Part3 1980~1989年 松田聖子、中森明菜からおニャン子クラブまで!/平成12年(2000年)4月25日発行/近代映画社」
2024.06.11
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「昭和40年男 2024年6月号 vol.85/俺たちが愛した昭和洋画/HERITAGE」を購入して読んでいたところ、小林千絵さんの記事がありました。河合奈保子さんについても触れてあったので紹介します。(P116)チェリーのアイドルボム! 第31回 小林千絵 (文・資料提供 チェリー(CHERRY ★CREEK)小林千絵(以下、千絵ちゃん)は、アーティスト売りを得意としていたヤマハ音楽振興会が大々的に売り出したアイドル歌手。~幼少時から桜田淳子に憧れ、中学生時代には読売テレビ『そっくりショー』で淳子の歌マネをやってのけてチャンピオンに。以降も数多くのオーディションに挑戦、至るところで好成績を収めたことから”オーディション荒らしの千絵ちゃん”なる異名をとるほどになった。そして『スター誕生!』や「HIDEKI(西城秀樹)の弟・妹募集オーディション」などの、より大きな大会に出場するもあと一歩のところで苦杯(テレビ予選敗退、惜しい準優勝)を舐めさせられ、青写真として描いていたアイドル歌手デビューの理想が崩れ去る結果に。そんな結果にやさぐれ気味になったとはご本人の弁だが、才ある者はどんな状況になっても必ずや抜け出してくるものなのである。最後の砦となったヤマハ主催オーディションにて優勝、機の熟した1983年3月「いつも片想い」で念願の歌手デビューを果たしたのだった。(P118~121)俺たちのアイドル 小林千絵 (取材・文:鈴木啓之 撮影:吉岡希鼓斗)自称”不作の83年組”。いや決してそんなことはない。同期の松本明子、森尾由美ら、厳しい芸能界にしっかり生き残った彼女たちは紛れもない勝ち組なのだ。今回はその83年組”お神セブン”のひとり、小林千絵さんが登場です。~(P119)中3の頃から1人ではがきを書いて応募するようになり、西城秀樹の妹コンテストで書類選考を通過する。「大阪の阪急ファイブっていう大きなホールに100人ぐらい集まって、そこから絞られていったんです。その時にあの子になるんじゃないかって思わせるくらい輝いている子がいたんです。それが河合奈保子ちゃんでした。みんな必死に自分をアピールする中、彼女は白いトレーナーを着て素朴な感じだったのに、本人からでるオーラがすごかった。私はモノマネをしまっすって、(桜田)淳子さんのモノマネをしたんですけど、これじゃ足りんと思って森進一さんのマネをしたら、審査員の方が爆笑してくださって。結果河合奈保子ちゃんと私が大阪代表に選ばれて中野サンプラザでの決勝大会へ行きました。もう本当に二人で手をつないで、トイレ行くのも一緒ぐらいに仲良かったんですけど、最終的に奈保子ちゃんが選ばれた瞬間に突然遠い存在になって違う世界に行っちゃったみたいで、私は泣く泣く大阪に帰ったんです」実は直前まで満場一致で優勝は小林千絵と決まっていた。ところが西城秀樹の鶴の一声で河合奈保子にひっくり返ったというのはアイドルマニア界隈ではよく知られている話だ。ーーーーーーーーーーーーーーー小林千絵さんというと、1979年の秀樹の弟・妹コンテストの話が忘れられません。大阪地区予選では小林千絵さんと河合奈保子さんが選ばれ、東京本選に2人仲良く進みます。そして1979年3月16日、東京中野サンプラザの決勝大会で、河合奈保子さんが選ばれ、デビューとなりました。小林千絵さんはその後、1983年にヤマハ/ポニーキャニオンから「いつも片想い」でデビューされました。河合奈保子さんとの縁もあり、私は小林千絵さんの曲をよく聴いていました。「いつも片想い」、「水色のカチューシャ」、「ずっとラプソディ」、「渚センチメンタルステップ」、「気まぐれマイ・ラブ」、「牧場の少女カトリ主題歌 LOVE WITH YOU 愛のプレゼント」など、今も聴きます。↓ 昭和40年男 2024年6月号 vol.85/俺たちが愛した昭和洋画/HERITAGE(P116)チェリーのアイドルボム! 第31回 小林千絵 (文・資料提供 チェリー(CHERRY ★CREEK)(P118~121)俺たちのアイドル 小林千絵 (取材・文:鈴木啓之 撮影:吉岡希鼓斗)
2024.06.10
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2024年4月20日、朝日新聞テレビ欄・テレビ朝日の「博士ちゃん」で、「昭和アイドル㊙2択Q明菜、奈保子、芳恵!!」と紹介されていました。テレビ欄で河合奈保子さんの文字を見るのは久しぶりで、何度も眺めては幸せな気持ちになりました。(1980年代の頃は、奈保子さんの文字は新聞によく載っていたと思います)博士ちゃんの番組では、河合奈保子さんのキャッチフレーズ「ほほえみさわやかカナリーガール」の紹介がありました。ーーーーーーー↓ 河合奈保子さんの紹介。↓ 河合奈保子さんのキャッチフレーズ「ほほえみさわやかカナリーガール」。奈保子さんのデビューシングル「大きな森の小さなお家」。ーーーーーーーーーー↓ 朝日新聞朝刊 2024年4月20日。↓ テレビ欄。↓ テレビ朝日 「博士ちゃん」。↓ 奈保子さんの名前を新聞でみると、衝撃を受けるし、やはり嬉しくて仕方がない!
2024.04.23
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2024年4月12日の朝日新聞朝刊の広告欄を見ていると、「週刊ポスト(2024年4月12日発行:4月26日号)」で、「柏原芳恵 春だから 8ページ保存版 発掘&撮り下ろし/小学館」とありました。柏原芳恵さんの記事ならば、河合奈保子さんに触れる部分があるのではと想像し、休みの日に本屋に行きました。本屋では雑誌にビニールがカバーしてあり、中が見えないのですが、絶対に記載があると信じて購入しました。家に帰り、早速ページをめくると、柏原芳恵さんと河合奈保子さんに関する記事がありました。一部を紹介します。P14~15オーディション番組『スター誕生!』でグランドチャンピオンに輝いた柏原は、1980年6月に『No.1』でデビュー。松田聖子、河合奈保子、岩崎良美など同期の中で最も年齢が低かった。「『ヤンヤン歌うスタジオ』のコントの打ち合わせ中に少し話すくらいでした。電話番号の交換も許されなかったし、極端に言えば私語禁止でした。中学3年生で芸能界に入ったので、事務所が大事に育てようとしてくれたんですね。スタッフとしか話せないカゴの鳥でした(笑)。ですから、同じ大阪出身の河合奈保子さんと一緒の取材で、記者さんに『お互いなんて呼んでいるんですか』と聞かれて一瞬戸惑いました。目が合って、私が『なおなお』と言ったら、『よしよし』と返してくれました」。1981年、カバー曲『ハロー・グッバイ』でスターへの階段を駆け上がった。ーーーーーーーーーーーーーーーーー↓「週刊ポスト(2024年4月12日発行:4月26日号)小学館」↓「春だから 柏原芳恵 版発掘&撮り下ろし」↓ 柏原芳恵 春風に歌を乗せ↓ p14ーーーーーーーーーーーーーーー↓ 2024年4月12日 朝日新聞朝刊。↓ 週刊ポストの広告。↓「柏原芳恵 春だから 8ページ保存版 発掘&撮り下ろし」。
2024.04.22
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谷村新司さんの歌「スーパースター ~MY SUPER STAR~」ですが、1982年5月に発売され、私はラジオの音源をテープに録音して、何度も繰り返して聴きました。スーパースターを応援するファンの心情が、しっとりしたメロディラインとともに表現され、とても心に残ります。「テレビからほほえみかける貴方を追いかけて街から街へ」「貴方の歌に涙流して貴方の歌に夢を託して」「卒業すればやがて私も会社に勤めて母を助けるいつまでも子供じゃないと自分に言い聞かせたわ」「スーパースター 私の輝いた季節はスーパースター 貴方の歌とともに 過ぎた」私はこの曲を聴きながら、主人公の女性が某歌手のファンになり、応援していた歌だと想像していました。ところが、ラジオ番組で谷村新司さんが「スーパースター」は誰をイメージして作った曲ですかという質問に、「王貞治選手です」と答えたのでビックリした記憶があります。(私の高校時代の記憶のため、もし勘違いがあれば申し訳ありません)スーパースターの王選手を考えながら、それを歌手に置き換えて作られた曲かもしれません。ーーーーーーーーーーーーーーー私のスーパースターというと、当然ながら河合奈保子さんです。辛く嫌な事があっても、奈保子さんの笑顔に本当に助けられました。その笑顔を拝見するだけで幸せな気持ちになりました。奈保子さんがデビューした1980年6月から今日まで34年経ちますが、奈保子さんの曲を聴かなかった日は無いくらい聴いてきました。奈保子さんのそれぞれの曲が、私の青春時代の出来事とリンクしていて、歌を聴けばその頃の事を鮮明に思い出すことが出来ます。ーーーーーーーーーーーーーーーー↓谷村新司さん「スーパースター ~MY SUPER STAR~」1982年5月発売。↓ 谷村新司さん。↓ 河合奈保子さん。↓ よく笑う奈保子さん。奈保子さんの笑顔を見ると、幸せな気持ちになれる。↓ 谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さん。↓ 谷村新司さんと河合奈保子さん。↓ ばんばひろふみさんと河合奈保子さん。
2024.04.16
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1986年正月番組で、谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さんが楽しいトークをしました。その最終分として、谷村さんが正座で足が痺れて歩けなくなった辺りを紹介します。ばんばさんがみかんを剥いでいる時、谷村さんが「ばんばん(ばんばさんのニックネーム)がね、(みかんを)一気に口にいれますよ!最後の芸してくれますから。ほらやるよー」と言い、ばんばさんも大きなみかんを口に入れました。「ワーッ、すごい」と笑いながら驚く奈保子さん。谷村さんが続けて「10円玉を二つ鼻の穴に入れる」と言うと、「はいらへん!」とばんばさんが否定していました。ばんばさんが「初詣に行こう」と提案し、谷村さんが「八坂さんか、上賀茂神社かね」と言った後、「上賀茂神社でばんばん結婚式したんですよ。馬乘って」と言うと、ばんばさんが「おれ、白馬童子か!」と笑い、谷村さんも「古いなあ!」と笑い、「おれ、風小僧か」と言うと、ばんばさんも「風小僧のおじさん!」と叫び、「つぶたれ周作」と掛け合いが続きました。(注)「風小僧」、「白馬童子」は、1958年~1960年に流行った時代劇番組。谷村さんが「馬鹿な事言ってないで、じゃあ奈保子ちゃん、行こうか」と言って立とうとするも、正座で足が痺れてしまい立てません。奈保子さんが「先輩、何を(しているんでしょうか)」と言おうとして、谷村さんの姿を見て笑いが止まりません。谷村さんが「やかましいわ、アイテテテテッ、足が!」と言うので、ばんばさんも爆笑しました。ばんばさんが自分の顔に指をさして「痺れ京へ上がれ」というおまじないをするように言いますが、谷村さんは自分の額に「肉と書くとええ」と言い、「キン肉マン」とばんばさんが突っ込みました。奈保子さんも「足の裏をこうやって曲げたら」と提案するも、谷村さんは「やかましい、今触ってはいかん」と痺れを我慢します。ばんばさんが「今トントンしたら?つんつんと」と続けます。谷村さんは覚悟を決め、「ちょっとね、河合、行こう!」と言って、四つん這いのまま進み始めました。奈保子さんが「先輩、みっともないです。お願いします」と笑うと、谷村さんが「お前は立てるのか」と聞きました。奈保子さんはすっと立ちました。片足だけ上げた状態の谷村さんに、ばんばさんが「忠臣蔵みたい。はよう立ちいや」と突っ込み、谷村さんは「やかましいなあ!」と言います。奈保子さんは「谷村先輩、行きます」と廊下に進もうとするとき、ばんばさんが谷村さんの足を触ろうとすると、「触ったらいかん!触ったら!」と谷村さんが大声で叫びました。ーーーーーーーーーーー↓ みかんの皮を剥くばんばひろふみさん。↓「ばんばん(ばんばさんのニックネーム)がね、(みかんを)一気に口にいれますよ!最後の芸してくれますから。ほらやるよー」という谷村新司さん。↓ 大きいみかんを口にいれるばんばさん。↓「ワーッ、すごい」と笑いながら驚く奈保子さん。↓「10円玉を二つ鼻の穴に入れる」とばんばさんに言う谷村さん。↓「はいらへん!」と否定するばんばさん。↓ばんばさんが「初詣に行こう」と提案し、谷村さんが「八坂さんか、上賀茂神社かね」と言った。↓「上賀茂神社でばんばん結婚式したんですよ。馬乘って」と谷村さんが話す。↓ばんばさんが「おれ、白馬童子か!」と笑う。↓谷村さんが「(白馬童子は)古いなあ!」と笑った。↓谷村さんが「おれ、風小僧か」(白馬童子の前に放送された作品)と言うと、ばんばさんも「風小僧のおじさん!」と叫び、「つぶたれ周作」と掛け合いが続きました。↓谷村さんが「馬鹿な事言ってないで、じゃあ奈保子ちゃん、行こうか」と言って立とうとするも、正座で足が痺れてしまい立てない。↓奈保子さんが「先輩、何を(しているんでしょうか)」と言おうとして笑う。↓谷村さんが「やかましいわ、アイテテテテッ、足が!」と言うので、ばんばさんも爆笑した。↓ばんばさんが自分の顔に指をさして「痺れ京へ上がれ」というおまじないをするように言った。↓「痺れ京へ上がれ」と言うばんばさん。↓谷村さんは自分の額に「肉と書くとええ」と言い、「キン肉マン」とばんばさんが突っ込んだ。↓奈保子さんが「足の裏をこうやって曲げたら」と提案する。↓谷村さんは「やかましい、今触ってはいかん」と言った。↓ばんばさんが「今トントンしたら?つんつんと」と言った。↓谷村さんは覚悟を決め、「ちょっとね、河合、行こう!」と言って、四つん這いのまま進み始めた。↓奈保子さんが「先輩、みっともないです。お願いします」と笑う。↓谷村さんが「お前は立てるのか」と聞いた。↓ 立ち上がる奈保子さん。↓片足だけ上げた状態の谷村さん。↓ばんばさんが「忠臣蔵みたい。はよう立ちいや」と突っ込んだ。↓笑う奈保子さん。↓ばんばさんが谷村さんの足を触ろうとすると、「触ったらいかん!触ったら!」と谷村さんが大声で叫んた。
2024.04.05
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1986年正月の番組で、谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さんが楽しいトークをしました。番組の途中で、3人でニール・セダカ(NEIL SEDAKA)の有名な「カレンダーガール (CALENDER GIRL)」を歌うことになり、奈保子さんは紺の着物から白い着物に着かえました。楽しそうに歌う3人の姿を見ると、本当に幸せな気持ちになります。歌い終わり、再び奈保子さんは紺の着物に着かえます。3人でこたつを囲みながら「カレンダーガール、(歌って)楽しかったね!」と話しました。谷村さんが「奈保子ちゃんが、ぱっと(着物を)着替えて」と言うと、ばんばさんが「大江美智子さんみたいね」と続け、谷村さんが「古い!」と突っ込みます。奈保子さんが「誰なんですか?」と聞き返すと、ばんばさんが「大江美智子さん知らん?」と驚いていました。ばんばさんが「今は誰かな?猿之助さん」と言い、谷村さんが「今は浅香光代さんじゃないですか」と言うとばんばさんにバカウケでした。ばんばさんが「最近、早変わりする人いないね。(奈保子さんは)ステージで早変わりしないの」と聞くと、奈保子さんが「私やります!」と言ったので、「現代は河合奈保子だ!」とばんばさんが言うと、「現代の大江美智子」と谷村さんも続けます。奈保子さんが「そんなに大した事ではないですけど、バーッと、割と」と帯を動かす仕草をすると、谷村さんがすかさず「パーッと脱ぎすぎたりしてしまう事はないの?」と聞き、奈保子さんは「ないです」と苦笑いでした。ーーーーーーーーーー↓ 「カレンダーガール」を歌う谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さん。ーーーーーーーーーーーー↓ 3人でこたつを囲みながら「カレンダーガール、(歌って)楽しかったね!」と話した。↓ばんばさんが「最近、早変わりする人いないね。(奈保子さんは)ステージで早変わりしないの」と聞く。↓ 奈保子さんが「私やります!」と言った↓「現代は河合奈保子だ!」とばんばさんが言うと、「現代の大江美智子」と谷村さんも続けた。↓「そんなに大した事ではないですけど、バーッと、割と」と奈保子さんが説明する。↓谷村さんがすかさず「パーッと脱ぎすぎたりしてしまう事はないの?」と聞き、「ないです」と苦笑いの奈保子さん。
2024.04.04
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1986年正月番組で、谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さんがトークをしました。正月の俳句を作って、紹介することになりました。ばんばさんが皆に色紙を渡し、「いまからね、一句読みましょう」と言いました。谷村さんと奈保子さんが「一句?」と聞き、ばんばさんが「俳句」と言い直しましたが、谷村さんは一句(いっく)を「ワン・ナインというやつです」と言って奈保子さんを笑わせていました。ばんばさんが「何でもええから正月をネタに読むってのはどう?」と言うと、谷村さんが「ちょっと待って下さい。お屠蘇を飲んでから」と景気付けをしました。「なおこちゃん、俳句とかやったことある?」とばんばさんが聞くと、「いやあ、無いです。全然違うんですけど、百人一首なら家で、家族でしていました」と答えました。ばんばさんが「みやびだねえ。坊主めくりとかやってんじゃないの」と突っ込むと、奈保子さんは「そうです。言わなくてもいいじゃないですか」と苦笑いでした。(注)ちなみに河合奈保子さんが百人一首の中で一番好きな歌は、「いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほいぬるかな」(伊勢大輔)です。ばんばさんが「それでは発表しましょうか」と言って、ご自身の俳句を紹介しました。「凧あげて 風が吹かずに 音(ね)をあげた (撫酔)」谷村さんが「これは素晴らしい作品」と、奈保子さんと一緒に拍手をしていました。次は河合奈保子さんの番です。谷村さんが「しょうもないものを書いたんやろ」と聞き、奈保子さんが「しょうもないものを書きました」と答えて色紙を見せました。「正月に 月に降る雪 見てみたい 奈保子」ばんばさんと谷村さんが苦笑いしたので、奈保子さんが「こけないでください!」と言いました。「自分の世界があるよね、やっぱり」とばんばさんが言い、谷村さんが「アーティストよね、やっぱり」と褒めます。ところが奈保子さんが「実はこれ、新曲のタイトルで」と言ったので、「アーッ、プロモーション! えらいなあ」と谷村さん、ばんばさんが驚きのリアクションをしました。(注)1985年12月12日に発売された、河合奈保子さんの23枚目のシングル曲は、「THROUGH THE WINDOW (スルー・ザ・ウィンドウ)~月に降る雪~」です。最後は谷村さんです。河合奈保子さんに「先輩!」と励まされ、谷村さんも「じゃあ、先輩(から)」と言って色紙を見せました。「春の酔い 過ぎて危なし お屠蘇かな 素椿」奈保子さんが「いいですね」と言い、ばんばさんも「いいじゃないですか、素椿(そちん)さん!」と続きます。谷村さんが奈保子さんに、「素椿(そちん)というのは、谷村さんの俳号なんです。本当は違う字なんですけど、今日は綺麗に」と言いました。するとばんばさんも、色紙の裏に書いてある「撫酔」という俳号を見せて、「ぼくは撫酔(ぶすい)」と言いました。谷村さんが「ばんばさんは撫酔(ぶすい)といいます。酔って撫でるという字です。私の方は素(もと)の椿(つばき)と書きます」と説明しました。谷村さんの本当の俳号は「素珍(そちん)」だろうと推測しますし、ばんばさんも「無粋」という言葉をもじって撫酔(ぶすい)にしたと思います。ところが、奈保子さんはこの軽い下ネタに気が付かず、反応がなかったので、テーマが切り替わりました。ーーーーーーーーーーーー↓ ばんばさんが皆に色紙を渡し、「いまからね、一句読みましょう」と言った。↓ 筆ペンを受けとる谷村さん。↓ 何を書こうか考える奈保子さん。↓「なおこちゃん、俳句とかやったことある?」とばんばさんが聞く。↓「いやあ、無いです。全然違うんですけど、百人一首なら家で、家族でしていました」と答えた。↓ ばんばさんが「みやびだねえ。坊主めくりとかやってんじゃないの」と突っ込む。↓「そうです。言わなくてもいいじゃないですか」と苦笑いの奈保子さん、↓ばんばさんの俳句。「凧あげて 風が吹かずに 音(ね)をあげた (撫酔)」↓「これは素晴らしい作品」と谷村さん。↓ 次は奈保子さんの番になる。↓ 谷村さんが「しょうもないものを書いたんやろ」と言った。↓ 奈保子さんが「しょうもないものを書きました」と答えて色紙を見せた。↓「正月に 月に降る雪 見てみたい 奈保子」↓ ばんばさんと谷村さんが苦笑いしたので、奈保子さんが「こけないでください!」と言った。↓「自分の世界があるよね、やっぱり」とばんばさんが言い、谷村さんが「アーティストよね、やっぱり」と褒めた。↓ 奈保子さんが「実はこれ、新曲のタイトルで」と言った。↓ プロモーションだったことに驚く谷村さん。↓ プロモーションだったことに驚くばんばさん。↓ 谷村さんの番。↓「春の酔い 過ぎて危なし お屠蘇かな 素椿(そちん)」↓ 奈保子さんが「いいですね」と言った。↓ 谷村さんが俳号の「素椿(そちん)」について説明する。↓ 谷村さんが奈保子さんに、「素椿(そちん)というのは、谷村さんの俳号なんです。本当は違う字なんですけど、今日は綺麗に」と言った。(本来は素珍:そちんではないかと思う)↓「ぼくは撫酔(ぶすい)」と、ばんばさんが色紙の裏を見せて言った。谷村さんが「ばんばさんは撫酔(ぶすい)といいます。酔って撫でるという字です。私の方は素(もと)の椿(つばき)と書きます」と説明した。しかし、軽い下ネタについて奈保子さんの反応が無かったので、話題を変えた。
2024.04.03
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1986年正月に、谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さんのトーク番組がありました。奈保子さんがお屠蘇を注ぐ部分を紹介します。河合奈保子さんがばんばさんに「(お屠蘇を)どんどん飲まれてください」と言うと、谷村さんが「そういう時はお注ぎするのよ」と奈保子さんに酒器を渡しながら「(ばんばさんに)どんどん飲ませて」と言いました。奈保子さんは谷村さんに「そうですね。すみません、先輩。なってないです。後輩はきちっとしなくては」と話すと、谷村さんが「しゃべってんと、早く入れなはれ」と注意します。ばんばさんが谷村さんの大阪弁を面白がり、奈保子さんの酒を杯で受けながら「入れなはれ」と真似て言うと、奈保子さんも笑ってしまい、酒器を持つ手が震えてしまいました。ばんばさんが谷村さんに「えらい大阪弁やな」と振ると、谷村さんは「一応ね、東京で仕事してるから。ねっ、河合、東京弁になるのよね。でもアカンのよね。関西に帰ってくると大阪弁になる」と話しました。ばんばさんが「奈保子ちゃんはあんまり大阪弁でえへんね」と聞き、奈保子さんは「こういう所ではでないんですけどね」と話すと、ばんばさんは「こういう所って、ここは僕の家ですよ。京都の」と言い、皆が「ここは京都!」と口を揃えます。奈保子さんが「やっぱり大阪に帰ったりすると、(大阪弁が)でてまいりますね」と言うと、ばんばさんと谷村さんが「『でてまいりますね。』ええなあ」と話していました。ーーーーーーーーーー↓ 谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さん。 河合奈保子さんがばんばさんに「(お屠蘇を)どんどん飲まれてください」と言うと、谷村さんが「そういう時はお注ぎするのよ」と奈保子さんに酒器を渡しながら「(ばんばさんに)どんどん飲ませて」と言った。↓ 河合奈保子さん。↓ 奈保子さんは谷村さんに「そうですね。すみません、先輩。なってないです」と言った。↓「後輩はきちっとしなくては」。↓ 谷村さんが「しゃべってんと、早く入れなはれ」と奈保子さんに言った。↓ ばんばさんが谷村さんの「入れなはれ」という言葉に反応し、「入れなはれ」と言った。↓ 奈保子さんも反応して、笑ってしまい、酒器を持つ手が震えた。↓ ばんばさんと奈保子さんが笑い続ける。↓ ばんばさんが谷村さんに「えらい大阪弁やな」と振る。↓「一応ね、東京で仕事してるから」↓「ねっ、河合、東京弁になるのよね。でもアカンのよね。関西に帰ってくると大阪弁になる」↓ 「そうですね」と答える奈保子さん。笑いが続いている。↓ ばんばさんが「奈保子ちゃんはあんまり大阪弁でえへんね」と聞いた。↓「こういう所ではでないんですけどね」↓ ばんばさんは「こういう所って、ここは僕の家ですよ。京都の」と言い、皆が「ここは京都!」と口を揃えます。↓ 笑う奈保子さん。奈保子さんが「やっぱり大阪に帰ったりすると、(大阪弁が)でてまいりますね」と言う。↓ ばんばさんと谷村さんが「『でてまいりますね。』ええなあ」と話した。↓ また笑う奈保子さん。
2024.04.02
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1986年の正月番組で、谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さんのトーク番組がありました。お雑煮の中に不思議な食材が入っていたという事で、盛り上がりました。ーーーーーばんばさんが奈保子さんにお雑煮を勧めるとき、「奈保子ちゃんは大阪(出身)でしょう。大阪は白みそを使うんですか」と聞くと、「うちは醤油味で食べるときもあります。私は大阪育ちなんですけど、両親が新潟なんですよ。だからお雑煮でも、ゴボウとか大根とか色々な物を煮て」と奈保子さんが話しました。ばんばさんが「チンペイ(谷村さんのあだ名)のとこのお雑煮は」と聞くと、「うちは白みそ」と答えました。「だいたい、僕ら白みそと聞くとビックリするところがあるね、エーッみたいな」とのばんばさんの話に、谷村さんが「関西独特やからね。白みそは。ちょっと甘いね」と言いました。お雑煮を食べながら、谷村さんが「珍しいね、ベーコンが入っているよ、いや、違うか。これはカツオ?」と言いました。奈保子さんが「イカ?じゃないですよね」と言うと、ばんばさんも食べながら「これはイカ、スルメ?」と話しました。谷村さんはそれを食べながら、「これはカツオ。削り節で削ったカツオなので、削り鰹です」と言いました。ばんばさんも「削り鰹、美味しいね」と言って味わいました。谷村さんが「削り鰹」と断言したので、3人とも「削り鰹」と分かっていたはずなのに、それを食べていた奈保子さんが急に「何なんでしょうかね、これ」と言ったので、谷村さんとばんばさんが「削り鰹ゆうてるねん!」と奈保子さんに突っ込み、奈保子さんが大笑いしました。「聞いてへん!人の話を」と谷村さんから言われ、奈保子さんが「すみません、先輩」と答えました。谷村さんが「食べるのに熱中してて?」と言い、「そうです」と言う奈保子さんですが、「美味しい」と言いながら、笑いのツボに入ったのか、奈保子さんが再び笑い始め、笑いをこらえるのに必死でした。谷村さんが「香港で美味しいと言うのは、ホウメイ。字は忘れましたけどね」と話すと、ばんばさんが「北京で美味しいというのは、ハオツー。とってもハオツー」と言うと、谷村さんがすかさず「ハオツー(ハウス)バーモントカレー」というのがありましたよね」と言うので、「奈保子さんは笑いながら「うまいですね」と褒めていました。「お酒も飲ますと面白いんですよ、谷村は」と谷村さんが言います。ばんばさんが「もうだいぶ違うでしょ。ノリが」と言い、谷村さんも自分で「もう『昴』とか『群青』を歌っているイメージ無いでしょ」と話します。奈保子さんが「谷村さんとばんばさんが、2人集まってお話するととても楽しいです」と言うと、2人は笑顔で喜んで、奈保子さんに「どんどん食べてね」とおせち、お屠蘇をを勧めていました。(注)上記で谷村さんが中国語で「ホウメイ」と言われたのは『好味』で、ばんばさんの「ハオツー」は『好吃』です。ーーーーーーーーーーーーーー↓ 谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さん。↓ ばんばさんが「奈保子ちゃんは大阪(出身)でしょう。大阪は白みそを使うんですか」と聞いた。↓「うちは醤油味で食べるときもあります」と答えた。↓ 「私は大阪育ちなんですけど、両親が新潟なんですよ」↓ 「だからお雑煮でも、ゴボウとか大根とか色々な物を煮て」↓ばんばさんが「チンペイ(谷村さんのあだ名)のとこのお雑煮は」と聞くと、「うちは白みそ」と答えた。「だいたい、僕ら白みそと聞くとビックリするところがあるね、エーッみたいな」とのばんばさんの話に、谷村さんが「関西独特やからね。白みそは。ちょっと甘いね」と言った。↓ お雑煮を食べようとするばんばさん。↓ 「珍しいね、ベーコンが入っているよ」と谷村さん。↓ 「いや、違うか。これはカツオ?」↓ 「イカ?じゃないですよね」と奈保子さん。↓ 「これはイカ、スルメ?」とばんばさん。↓ 「あーっ、美味しい」↓「これはカツオ。削り節で削ったカツオなので、削り鰹です」と谷村さんが断言した。ばんばさんも「削り鰹、美味しいね」と言った。↓ 3人とも「美味しい」と言って削り鰹を食べる。↓奈保子さんが急に「何なんでしょうかね、これ」と言った。↓ 谷村さんとばんばさんが「削り鰹ゆうてるねん!」と奈保子さんに突っ込んた。↓ 大笑いの奈保子さん。↓ 笑いが止まらなくなった奈保子さん。↓「香港で美味しいと言うのは、ホウメイ」と谷村さん。↓ 「字は忘れましたけどね」↓「北京で美味しいというのは、ハオツー。とってもハオツー」とばんばさん。↓2人のうんちくを楽しそうに聞く奈保子さん。↓ばんばさんが「北京で美味しいというのは、ハオツー。とってもハオツー」と言い、谷村さんがすかさず「ハオツー(ハウス)バーモントカレー」というのがありましたよね」と言ったので笑う奈保子さん。↓谷村さんの「ハオツー(ハウス)バーモントカレー」のギャグに反応するばんばさん。
2024.04.01
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1986年正月番組で、谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さんの新春トーク番組がありました。谷村新司さんが「邦楽一家」である話が出たので紹介します。ばんばさんが谷村さんに「チンペイはね、和風なんでしょ」と言います。チンペイは谷村さんのあだ名です。「うち、和風なんです」と谷村さんが答えます。ばんばさんが「邦楽の世界ですよね、音楽に目覚めたのが」と振ると、谷村さんが、「うちの家が、全員邦楽なんですよ。父が北、母が南」と、邦楽と方角をもじって言った後に「しょうもないことを言っております。失礼しました」と言うと、ばんばさんと奈保子さんは苦笑いでした。谷村さんはあらためて邦楽一家であった話をしました。「母が長唄のお三味線をやってまして、姉が地唄舞(じうたまい)、義理の兄が文楽の人形遣い、そして父が遊び人という」と最後にオチが入ります。ばんばさんが「全部揃ってますね」と笑います。谷村さんが「奈保子ちゃんのところは、お父さんかお母さんが音楽をやってはったということは」と聞くと、「いや、まったくやってないです。でも両親とも歌は好きです」と奈保子さんが答えました。谷村さんは「奈保子ちゃんだけね、いつ会っても健康的で、キラキラしてて、このままずっといい具合に歳とっていくと、昭和の新しい原節子になるんじゃないかと思うね」と奈保子さんを褒めていました。ーーーーーーーーー↓ 谷村新司さん。↓ 谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さん。↓ ばんばひろふみさん。↓ お酒が入り、暑くなって袖をめくる谷村さん。ばんばさんから「邦楽の世界ですよね、音楽に目覚めたのが」と振られる。↓ 「うちの家が、全員邦楽なんですよ」↓ 「父が北」↓ 「母が南」と、邦楽と方角をもじって言った↓ 谷村さんが「母が南」と言うとき、ばんばさんも合わせて「南」と言った。↓ 苦笑いのばんばさんと奈保子さん。↓ 笑う河合奈保子さん。↓ 谷村さんがあらためて邦楽一家であった話をした。「母が長唄のお三味線をやってまして」↓「姉が地唄舞(じうたまい)」↓「義理の兄が文楽の人形遣い」↓「そして父が遊び人」と言って、オチをつけた。↓ ばんばさんが「全部揃ってますね」と笑った。↓ 谷村さんが「奈保子ちゃんのところは、お父さんかお母さんが音楽をやってはったということは」と聞く。↓「いや、まったくやってないです。でも両親とも歌は好きです」と奈保子さん。↓ 谷村さんは「奈保子ちゃんだけね、いつ会っても健康的で、キラキラしてて、このままずっといい具合に歳とっていくと、昭和の新しい原節子になるんじゃないかと思うね」と奈保子さんを褒めた。恥ずかしがる奈保子さん。
2024.03.31
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1986年正月番組で、谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さんの楽しい会話が進みました。ばんばさんが「奈保子ちゃん、今日はすごく良い着物」と褒め、谷村さんも「いいね」と続くと、奈保子さんが「ありがとうございます」とお礼を言いました。ばんばさんの「配色がすごくきれいね」という言葉に、奈保子さんが「良かった」と嬉しそうでした。谷村さんが「もう祇園出れるよ」と話すと、ばんばさんが「なんやそれ」と突っ込みました。ばんばさんが奈保子さんに、いつ頃音楽が好きになったかを聞きました。奈保子さんは「小さい頃から音楽が好きで、家に古いオルガンがあったんですけど、それを幼稚園の頃から遊びで弾いていたりして。段々ピアノが欲しくなり、小学校の時にピアノを買ってもらって、それからですね。暇さえあれば歌を歌って、とにかく好きだった」と話しました。ーーーーーーーーーーー↓ 河合奈保子さん。↓ 谷村新司さん。奈保子さんの着物をじっくり眺める。↓ ばんばひろふみさん。奈保子さんの着物をじっくり眺める。↓ 2人から着物を褒められ、喜ぶ奈保子さん。↓ 小さい頃、オルガンやピアノを弾いて、歌を歌っていたと話す奈保子さん。
2024.03.30
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1986年の正月番組で、谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さんがトークをしました。話の中で、河合奈保子さんが16歳でデビューしたばかりの時に、TBS近くの喫茶店アマンド前で、谷村さんが奈保子さんと初めて会った話がありました。下記に記します。河合奈保子さんが「谷村先輩!」と言うと、谷村さんは「(奈保子さんは)後輩なんですけれど」と言い、奈保子さんに対して「TBSの前、覚えてる?」と聞きました。奈保子さんがすぐに「覚えてます。私が16の時」と答えると、すかさず谷村さんが「(奈保子さんが)16の時で、ぼくが丁度19の時ですよ」と言います。奈保子さんは「エッ?」と年齢に驚くも、ばんばさんが「黙って聞いてれば・・・」とサバを読んだ年齢に笑っていました。谷村さんは「あの時、TBS前のアマンドという喫茶店の前で(奈保子さん)と会った。その時(奈保子さん)はデビューしたてで、その時『河合奈保子です』って言って、眼に星がキラキラキラっていう感じで、『可愛い声ねー』なんて俺は言ってたけど、今はもう22だもんね」と言いました。奈保子さんはその話に照れて、「なんだか暑くなってきた」と言うと、谷村さんは「暑かったら脱いで」と奈保子さんに声を掛けましたが、ばんばさんが「(自分が)脱ぎましょうかね」と服を脱ぎ始めたので、思わず谷村さんが「お前が脱いだら・・・」と言って笑っていました。ーーーーーーー↓ 河合奈保子さん。↓ 谷村新司さん。↓ 谷村さんは奈保子さんに対して「TBSの前、覚えてる?」と聞いた。↓ 奈保子さんがすぐに「覚えてます。私が16の時」と言った。↓ 谷村さんが「(奈保子さんが)16の時で、ぼくが丁度19の時ですよ」と言った。↓ 奈保子さんは「エッ?」と年齢に驚く。↓ ばんばさんが「黙って聞いてれば・・・」とサバを読んだ年齢に笑っていた。↓「あの時、TBS前のアマンドという喫茶店の前で(奈保子さん)と会った」↓ その時(奈保子さん)はデビューしたてで、その時『河合奈保子です』って言って、↓ 眼に星がキラキラキラっていう感じで、↓ 谷村さんが、眼に星が輝く様子を手で表現していた。↓ 『可愛い声ねー』なんて俺は言ってたけど、今はもう22だもんね」↓照れて「なんだか暑くなってきた」と言う奈保子さん。↓ 谷村さんは「暑かったら脱いで」と奈保子さんに声を掛けた。↓ 苦笑いする奈保子さん。↓ ばんばさんが「(自分が)脱ぎましょうかね」と服を脱ぎ始めた↓ 思わず谷村さんが「お前が脱いだら・・・」と言って笑っていた。
2024.03.29
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1986年正月番組で、谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さんが楽しい会話をしました。ばんばさんが奈保子さんに年齢を聞き、奈保子さんが「22歳です」と答えました。谷村さんが奈保子さんにお屠蘇を注ぎながら、「浮いた噂は?」と話を向けますが、ばんばさんが「奈保子ちゃん、浮いた噂は無いとちゃう?」と言い、奈保子さんも「そうですね、よく言われますが、もういいじゃないですか」と笑いながら話を逸らそうとします。谷村さんが「河合は男性の影が見えない」、「マリヤ様みたい」と言うと、ばんばさんが「(奈保子さんは)めちゃくちゃ綺麗になったよね」と言い、谷村さんも「綺麗になったよね~」と相槌を打ちました。ばんばがさんが「歳行く毎に綺麗になるよね」と話すと、谷村さんが「(毎年綺麗になっていくので)もう50(歳)くらいが楽しみだよね」と言ったので、奈保子さんが笑っていました。ーーーーーーーーーーーー↓ 河合奈保子さん。↓ 谷村新司さん。↓ ばんばひろふみさん。↓ 谷村さんが奈保子さんにお屠蘇を勧めて、男性の影を聞き出そうとした。↓ 「いいじゃありませんか」と言って、話を変えようとする奈保子さん。↓ばんばがさんが奈保子さんに「歳行く毎に綺麗になるよね」と話す。↓ 谷村さんが「(毎年綺麗になっていくので)もう50(歳)くらいが楽しみだよね」と言った。↓ 笑う奈保子さん。
2024.03.28
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1986年正月番組で、谷村新司さん、ばんばひろふみさんの所に河合奈保子さんが新年挨拶をした後、楽しい会話をしながら、3人でお屠蘇を飲みました。河合奈保子さんの姿が見えると、谷村さん、ばんばさんともに「待ってたんですわ」と言って部屋に迎え入れます。。奈保子さんは「新年あけましておめでとうございます」と挨拶をします。奈保子さんの姿を見て、2人とも「綺麗ね~!」「綺麗だー!」と口々に言います。奈保子さんは照れていました。ばんばさんが奈保子さんに「奈保子ちゃんはお酒飲めるんでしょ」と聞くと、谷村さんが「飲みます!河合は強いです!」と代わりに答えました。奈保子さんが「少しならば」と言うと、谷村さんが「今日は飲もうね!」と話し、3人で「明けましておめでとうございます」と言いながらお屠蘇を飲みました。ーーーーーー↓ ばんばひろふみさん、谷村新司さんの部屋に、河合奈保子さんが来た。「待ってました!」と喜ぶ二人。↓ 新年の挨拶をする河合奈保子さん。↓ 河合奈保子さんの姿を見て、「綺麗だ」と褒める2人。↓ ばんばひろふみさん。↓ 谷村新司さんと河合奈保子さん。↓ 谷村さんからお屠蘇を頂く奈保子さん。↓ 谷村新司さん。↓ 3人でお屠蘇を飲む。
2024.03.27
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タワーレコードで「昭和女性アイドルと言えば?」というアンケートがあり、私は迷うことなく「河合奈保子さん」に投票しました。2024年2月28日、タワーレコードから投票結果が配信され、結果は下記の通りでした。ーーーーーーーーーーーーーーー1.松田聖子さん2.中森明菜さん3.山口百恵さん4.キャンディーズ5.河合奈保子さん6.ピンク・レディー7.小泉今日子さん8.中山美穂さん9.天地真理さん10.南沙織さん11.石野真子さん12.おニャン子クラブ13.岡田有希子さん14.菊池桃子さん15.南野陽子さん16.麻丘めぐみさん17.斉藤由貴さん18.石川ひとみさん19.桜田淳子さん20.太田裕美さん21.岩崎宏美さん22.早見優さん23.榊原郁恵さん24.アグネス・チャンさん24.松本伊代さん24.柏原芳恵さん27.少女隊28.薬師丸ひろ子さん29.Wink29.荻野目洋子さん29.河合その子さん29.原田知世さん29・大場久美子さん29.本田美奈子さん29.木之内みどりさん36.うしろゆびさされ隊36.浅香唯さん36.堀ちえみさん39.伊藤つかささん39.岡崎友紀さん39.岡田奈々さん39.岩崎良美さんーーーーーーーーーーーーーーー河合奈保子さんは第5位でした。根強い奈保子さんファンが多くおられるということで、とても嬉しく思いました。↓ 河合奈保子さん 5位。
2024.03.17
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1983年11月10日、ザ・ベストテン300回記念放送がありました。長崎・松山市営サッカー場のメイン会場で久米宏さんが司会を行い、オランダ坂、思案橋、稲佐山などが中継地点となりました。河合奈保子さんはUNバランスが第10位となり、オランダ坂で歌う姿が中継されました。活水女子大学の守衛室近くのオランダ坂で、奈保子さんと新婚さん5カップルが話をした後、奈保子さんは雨に濡れた石畳をゆっくり歩きながら、UNバランスを歌いました。オランダ坂の下では、多くの方々が奈保子さんの姿を見ていました。奈保子さんは歌い終わると、すぐにバスに乗り込みました。河合奈保子さんファンの方なら、長崎のオランダ坂を歩くと、ザ・ベストテンで奈保子さんが歌った姿を思い出すのではないかと思います。↓ 「今週第10位 UNバランスです」と紹介を受けた河合奈保子さん。↓ オランダ坂の奈保子さん。UNバランスを歌い始めた。↓ 5組の新婚カップルの皆さん。↓ オランダ坂(活水女子大学・守衛室近く)。↓ 奈保子さんがオランダ坂をゆっくり下って行く。↓ UNバランスを歌う奈保子さん。↓ オランダ坂の下で、奈保子さんを見る人々。↓ 奈保子さん、UNバランスの決めポーズ。ーーーーーーーーーー↓ 歌い終わり、久米宏さんが「ありがとうございました」と言い、奈保子さんも「どうもありがとうございました」と答えた。↓ 久米さんが「奈保子さん、バスに乗って下さい」と言った。↓「はい」と元気に返事をする奈保子さん。↓ 久米さんが「今日は歌い終わったら、それぞれバスに乗っていただきまして、そのバスが全員をピックアップしてこの会場になだれ込んでくるという、こういう仕組みになっています」と話した。↓ 久米さんが「オランダ坂、石畳が濡れておりましたが、雨は上がったようでございます。段々天気は良くなるでしょう」と言った。↓「奈保子ちゃん、乘って下さいね。こっちへ来てくださいね。皆さんをお迎えして」と久米さんが続けて話した。↓ バスに乗る奈保子さん。ーーーーーーーーーーーーーー↓ ザ・ベストテン 第300回記念番組 長崎での放送 1983年11月10日河合奈保子さん 第10位 UNバランス。↓ ザ・ベストテン/山田修爾/新潮文庫/新潮社ーーーーーーーーーーーーーー2023年10月15日撮影。↓ オランダ坂の活水女子大学守衛室。↓ 河合奈保子さんが歌いながら歩いたオランダ坂。
2024.02.25
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1984年3月、TBS歌番組「ザ・ヒットステージ」の「私だけが知っている」コーナーで、河合奈保子さんだけが知っているクイズとして、「毎年節分の日に、吉とされる日に、吉とされる方向を向いて、一家全員がある物を無言で食べるのだが、その食べ物は何でしょうか」という質問が出ました。河合奈保子さんの答えは「太巻(恵方巻)」でした。クイズに出るくらいなので、この頃は関東では恵方巻は知られていなかったことが分かります。番組で河合奈保子さんは、新曲の「微風のメロディ」を歌いました。なお、「奈保子しんぶん Vol.20 昭和59年(1984年)2月発行/芸映プロダクション・芸映友の会河合奈保子FC編集部」のスケジュール欄を見ると、1984年3月8日(木)にTBS「ザ・ヒットステージ」とあり、この日に収録されたのではないかと思います。ーーーーーーーーーーーー↓ 1984年3月1日発売、河合奈保子さんの新曲「微風のメロディ」↓「奈保子しんぶん Vol.20 昭和59年(1984年)2月発行/芸映プロダクション・芸映友の会河合奈保子FC編集部」↓ 1984年 春のコンサートツアー(河合奈保子さん)↓ 河合奈保子さん スケジュール欄。↓ 1984年3月8日(木)にTBS「ザ・ヒットステージ」とあり、この日に収録されたのではないかと思う。
2024.02.09
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1984年3月のTBS歌番組「ザ・ヒットステージ」の「私だけが知っている」コーナーで、司会の小堺一機さんが、河合奈保子さんだけが知っている「太巻(恵方巻)」について、回答者にクイズを出しました。回答者は石川秀美さん、高田みづえさん、田中好子さん、松居直美さんです。河合奈保子さんだけが知っているクイズは、「毎年節分の日に、吉とされる方向を向いて、一家全員である物を無言で食べるそうです。その食べ物は何でしょうか」という質問です。「これは分かんないなー」などと言いながら、回答者が紙に回答を書きます。石川秀美さんの答えは「おすし」、高田みづえさんは「トマト」、田中好子さんは「おせんべい」、松居直美さんは「おいなり様」でした。小堺さんが「いったい何を食べるのでしょうか? 奈保子さん、お答えを教えてください」と言うと、奈保子さんは「太巻」と書いた紙を出しました。奈保子さんは「お寿司で、中身は玉子とかんぴょうが入ってて、一本をそのまま吉の方向に向いて、ずっと一本食べ終わるまで、声出しちゃいけないんです」と話しました。小堺さんが「ちょっと待ってください。切ったのを食べるんじゃなくて、巻いたそのままを一家全員で(ここで小堺さんが、太巻きをだまってモグモグと食べるふりをした)食べるんですか?」と言うと、会場では驚きと笑い声が出てきました。小堺さんは「どうして無言なんですか?」と聞くと、奈保子さんは「(喋ると)福が逃げるというか、だから無言じゃないといけないんです。お茶を飲んでも構わないから、喋っちゃいけないんです」と言い、「途中で声を掛けられると最悪です」と答えました。小堺さんが「(食べるときに)お茶ちょうだいって言ったらダメなんですか?」と聞き、奈保子さんが笑いながら「ダメです」と言うと、小堺さんは「初めて聞きました」と驚いていました。奈保子は「大阪ではちゃんと商店街で、その時期になると(太巻が)売っているんです」と付け加えました。大阪が発祥の「太巻(恵方巻)」ですが、1984年頃は、関東では全然知られていない風習で、その後徐々に関東でも広がってきたと思います。今では逆に、豆を投げるのではなく、恵方巻を食べるばかりになりました。ーーーーーーーーーーーーー↓ 河合奈保子さん。↓ 小堺一機さん。↓「毎年節分の日に、吉とされる方向を向いて、一家全員である物を無言で食べるそうです。その食べ物は何でしょうか」という質問に答える、奈保子さん以外の皆さん。↓ 石川秀美さんの答えは「おすし」。↓ 高田みづえさんは「トマト」。↓ 田中好子さんは「おせんべい」。↓ 松居直美さんは「おいなり様」。↓小堺さんが「いったい何を食べるのでしょうか? 奈保子さん、お答えを教えてください」と言う。↓ 奈保子さんは「太巻」と書いた紙を出した。↓ 小堺さんが、黙って太巻を食べるマネをしている。↓ 奈保子さんが太巻(恵方巻)の説明をしていく。
2024.02.08
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1984年3月のTBS歌番組「ザ・ヒットステージ」の「私だけが知っている」コーナーで、司会の小堺一機(こさかいかずき)さんが、河合奈保子さんだけが知っている「恵方巻:太巻」について、回答者にクイズを出しました。河合奈保子さん以外の、石川秀美さん、高田みづえさん、田中好子さん、松居直美さんの4人が考えます。小堺一機さんは次のように、河合奈保子さんだけが知っているクイズを出しました。「毎年節分の日に、吉とされる方角を向いて、一家全員である物を無言で食べるそうです。変ってますね。初めて聞きました。さて、その食べ物とは何でしょうか。大阪に昔から伝わる厄除けでございまして、食べるのは豆ではございません。豆じゃない事だけ教えます。さあどうぞ」「河合奈保子さんの家で毎年節分の日に一家全員で無言で食べるものは?」というテロップが出ます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー河合奈保子さん。1984年3月のTBS歌番組「ザ・ヒットステージ」の「私だけが知っている」コーナーにて。↓ 司会の小堺一機さんが、河合奈保子さんだけが知っているクイズを説明した。↓ 小堺さんのクイズを聞く奈保子さん。↓ 小堺さんが回答者に回答を促す。↓「河合奈保子さんの家で毎年節分の日に一家全員で無言で食べるものは?」というテロップ。
2024.02.07
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河合奈保子さんは1986年10月5日、NHKの『レッツゴーヤング』リハーサル中に舞台のセリ穴から転落し、第一腰椎圧迫骨折で入院しました。その闘病生活などを河合奈保子さんが記した本「わたぼうし翔んだ」が、1983年5月20日に発売されました。その中で「恵方巻」について記載があるので紹介します。「わたぼうし翔んだ/河合奈保子/1983年5月20日初版発行/ワニブックス」(p75~77:恵方とイワシの頭)節分の日に”豆まき”をして、年の数だけ豆を食べるのは、日本中どこも同じだと思います。でも、大阪にいた時は、その他に巻寿司も食べたんです。”無病息災”で暮らせるように・・・。恵方(えほう)(陰陽道で、その年の干支にもとづいて、年徳神(としとくじん)のある方向を吉の方向として定めたもの)に向かって、願い事を念じながら、巻寿司を一本丸ごと食べるんです。食事中は、いっさいしゃべってはいけません。お茶を飲みながら、ただ一心にモグモグと口を動かすのだけれど、それは一種異様な雰囲気で、あまり格好のいいものではありません。家族4人が、巻寿司を手に持って、うつむきかげんで食べてる姿 ー 想像するだけでもくらーくなりそうでしょう?最後のほうは、やっている自分でもおかしくなって、グフッグフッとのどをつまらせながら、笑いをこらえるのが大変なんです。でも、これは、関西地方に昔からあった風習らしいので、皆さんのお家でも、やっているかもしれませんね。大阪では、節分の日になると、その年の恵方の方角が新聞に出るし、お寿司屋さんでは、それ用の巻寿司が売られ始めます。ちょうど太巻きとノリ巻の中間の太さのもので、中には、ほうれん草にかんぴょう、高野豆腐が入っているそうです。わが家では、見た目もキレイなように、遠足風のものを作ってもらいます。ほうれん草にかんぴょう、薄焼き玉子にピンク色のでんぶを入れて・・・。でも巻寿司になったのは、15年ほど前からで、お寿司屋さんとノリ屋さんのインボーだ、なんて声もあります。昔は恵方に向かって、一心に念じごとをしながら、塩ぼしにしたイワシを丸かじりしたそうです。イワシは、安くて栄養のある庶民の食べ物だったそうで”質素に暮らす”ということを意味したそうです。また、イキがよくてピチピチしているところから”元気に暮らせるように”との願いも込められたそうです。そして、そのイワシは、夏の間に食べた枝豆のカラをほしたもので焼いたとか。これは”倹約”を意味したのでしょうね。現在では巻寿司に変わってしまったものの、イワシも食卓へ登場します。でも、わが家では、おとうさん以外は好まないし、焼いたあとの臭いが強烈なので、省略します。(換気扇をつけても、ダメみたい)食べたあとのイワシの骨は、頭をヒイラギナンテンの枝にさして玄関につるしておきます。鬼が来ないようにとの魔よけだったのでしょう。ドラキュラのニンニクと同じですね。(この説明は、おとうさんや親戚のおばあちゃんに教えてもらいました。もしかしたら、チョッピリ違う所があるかもしれません)この風習を信じる人は、日本中どこへ行こうと続けるようです。たまたま節分の日に、東京で、イワシの頭をつけたドアを見たことがあります。「アッ、隠れ大阪だ!」うれしくなったのは、いうまでもありません。病院での約束通り、節分の日になると、みんなで巻寿司を食べました。今年は、帰りが遅かったので、一人で食べました。夜中に食べると太るなあと思いつつ、南南東の方向を向いて。(今年の恵方は、南南東の方角でした)マネージャーの佐藤さんは、吹き出しそうな顔をして見ているだけ。おかあさんがいくら勧めても、食べようとしません。あとになって、そのわけがようやくわかりました。他の人に、こんなふうに話していたんですよ、まったくもう。「奈保子の家では、節分の日に、みんなで巻寿司を食べるんですよ。白装束に身をかためて、額には白い三角の布をつけて・・・。開け放した窓から、お月様に向かって、ただモクモクと食べるだけなんですが、一心に念じながら食べている姿が実にいい。もう、おごそかなもんでした。見ていて、胸をうたれましたね。ボクですか? ええ、ああいうのは、ちょって遠慮させてもらいましたけれど・・・」ーーーーーーーーーーーーーーー「わたぼうし翔んだ/河合奈保子/1983年5月20日初版発行/ワニブックス」↓ 河合奈保子さん。
2024.02.06
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河合奈保子さんのコンサート映像の中で、私のベスト3を紹介します。ーーーーーーーーーーーーー1)太陽の下のストレンジャー (1984年7月24日 よみうりランドイースト) 作詞:売野雅勇、作曲:八神純子、編曲:鷲巣詩郎2)デビュー Fly Me To Love (1985年7月24日 よみうりランドイースト) 作詞:売野雅勇、作曲:林哲司、編曲:鷲巣詩郎3)涙のハリウッド (1986年7月24日 よみうりランドイースト) 作詞:売野雅勇、作曲:林哲司、編曲:萩田光雄ーーーーーーーーーーーーーこれらのコンサート映像は、河合奈保子さんの歌声の素晴らしさ、躍動感がビッチリと詰まっており、私にとって文句なしのベスト3です。1)の「太陽の下のストレンジャー」ですが、この時の奈保子さんの衣装が一番大好きです。高原の避暑地のお嬢さんという感じで、白いスカートが揺れます。この曲は八神純子さんが作曲されており、奈保子さんと純子さんファンの私にとっては、たまらない一曲で、アメリカンテイストのシティ・ポップです。2)の「デビュー Fly Me To Love 」は、奈保子さんのオリコン1位曲です。とても伸びやかで聞きやすい歌です。作曲家・林哲司さんのメロディラインが好きで、特に林哲司さんが菊池桃子さんに提供された曲はよく聴いていました。この「デビュー」のシングルレコードですが、両面A面として片面に、映画「ルパン三世/バビロンの黄金伝説」主題歌「MANHATTAN JOKE : マンハッタン・ジョーク」(作詞:秋元康、作曲・編曲:大野雄二)があります。当時は映画館で、奈保子さんの主題歌と奈保子さんの声優ぶりを楽しみました。3)の「涙のハリウッド」も、林哲司さんが作曲されており、繰り返し何度も聴きたくなる曲です。1986年7月24日のバースデーコンサートでは、奈保子さんは「デビュー」と「涙のハリウッド」を連続して歌いました。CDの飾りがついた赤い衣装が、とても目を引きました。舞台上を歩き回っても、息が切れずに高音が伸びやかな奈保子さんは、本当に素晴らしい!ーーーーーーーーーーーーーーーー1)太陽の下のストレンジャー (1984年7月24日 よみうりランドイースト) 作詞:売野雅勇、作曲:八神純子、編曲:鷲巣詩郎ーーーーーーーーーーーーーーーー2)デビュー Fly Me To Love (1985年7月24日 よみうりランドイースト) 作詞:売野雅勇、作曲:林哲司、編曲:鷲巣詩郎ーーーーーーーーーーーー3)涙のハリウッド (1986年7月24日 よみうりランドイースト) 作詞:売野雅勇、作曲:林哲司、編曲:萩田光雄
2024.01.29
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東京・神田神保町にある「タクト」ですが、昭和歌謡に関する商品が多くあり、神保町に行くときは必ず立ち寄ります。店内はとても整理整頓されており、気持ちのよい空間です。以前は、店内の2階に上がる階段左側に、とても目立つ河合奈保子さんのサイパン水着大型ポスターがあり、見るのが楽しみでした。その後、そのポスターが売られ、今は階段の右側に河合奈保子さんの「ハーフ・シャドウ」の大型ポスターが飾ってありますし、階段を上がった場所の壁に、河合奈保子さんがテニスラケットを持った姿や、バースデーパーティーの姿の小さな写真が貼ってあります。2020年頃、タクトの2階にある商品棚の上部に、河合奈保子さんのDVD商品がズラリと並べられており、河合奈保子さんのファンの方のメッセージカードが付いていました。奈保子さんのDVDのそれぞれに、ビデオを見た感想が詳しく書かれています。筆跡から、若い女性の河合奈保子さんファンだと想像するのですが、メッセージを読んでいると、河合奈保子さんに対する熱い気持ちが伝わってきます。いつもタクトに行っては、何度も何度もメッセージを読んでいました。仕事で嫌なことがあっても、そのメッセージを読んで、元気を頂いていました。本当にありがとうございました。その時拝見したメッセージカードを、紹介させていただきます。ーーーーーーーーーー↓ 神保町タクト。(2024年1月)↓ 神保町タクト 2階にある河合奈保子さんの商品棚。↓ NAOKO ETERNAL SONGS メッセージカード。↓ 私が持っている河合奈保子さんのアルバム「ハーフ・シャドウ」。「タクト」の階段に「ハーフ・シャドウ」の大型ポスターが飾ってある。ーーーーーーーーーーーー↓ 2020年3月 タクト。↓ 以前、タクトの階段入口に掲示されていた、河合奈保子さんのサイパン水着ポスター。(添付写真は私が持っている物)↓ 河合奈保子さんのDVDに、奈保子さんファンのメッセージカードが貼ってあった。ーーーーーーーーーーーーーーー↓ 河合奈保子さんファンの方のメッセージカード。今年2020年は河合奈保子さん★★祝 デビュー40周年★★そして7月24日は奈保子さんのお誕生日です。♥ーーーーーーーーーーーーーーーーーーBRILLIANT Lady Naoko in Concert /河合奈保子1982年10月17日 東京・芝・郵便貯金ホール/日本コロムビアBRILLIANT Lady Naoko in Concert○2部構成になっていて、1部は中島みゆきさんからカーペンターズ、シブがき隊など、様々なジャンルの歌をカバー。○(わたし)イチオシはOPの「AIN'T NO MOUNTAIN HIGH ENOUGH」! 赤いドレスに身を包んだお姫様のような奈保子さんが、心を込めて力強く歌う姿を見ていると、自然に涙が溢れます...○セット(小物)や衣装もとっても凝っていて、とにかくカワイイ♥♥○2部のラストに特典映像として入っている「愛は二人の腕の中で」は、奈保子さんとファンの息の合った掛け合いで、まさに会場がひとつになっているのがわかります!ーーーーーーーーーーーー愛のコンサート /河合奈保子1983年10月10日 東京・芝・郵便貯金ホール/日本コロムビア愛のコンサート○1部と2部に分かれていて、1部はしっとりとしたバラードがメイン。2部は奈保子さんらしい元気なステージ! はたちを迎えた奈保子さんの大人な一面、元気な一面、ひとつで2つの奈保子さんを楽しめる♥♥○奈保子さんのお父さん、お母さん、妹さん、そして奈保子さん自身の在り方や想いが、奈保子さん自らの口から語られ、曲につながっていきます。○(わたし)イチオシは、作詞作曲・松山千春さんの「空ー翼を広げて」奈保子さんの熱唱に胸が熱くなること間違いなし!!ーーーーーーーーSUMMERA SPECIAL in EAST '84/河合奈保子1984年7月24日 よみうりランドイースト/日本コロムビアSUMMERA SPECIAL in EAST '84/河合奈保子○怒濤の挑発ソング4連発!!こんなに激しい曲を立て続けに歌っても、息が切れない奈保子さんは流石!○(わたし)イチオシは髙橋伸明さんとデュエットした。奈保子さん海外収録第1弾、「DAYDREAM COAST」の中の2曲♥♥○デビューして5年を迎えた奈保子さんが、涙をこらえながらバースデーケーキのロウソクを吹き消すシーンは、見ているこちらも涙が溢れてしまいます...○声を震わせながら歌うファンへのメッセージソング「DEAR MY FRIENDS」でフィナーレをしめくくります。ーーーーーーーーーーNAOKO EAST '85 ~感電するゾ 暑い夏~/河合奈保子1985年7月24日 よみうりランドイースト/日本コロムビアNAOKO EAST '85 ~感電するゾ 暑い夏~/河合奈保子○(わたし)的にOPのかっこよさNo.1 !舞台袖で出番を待つ奈保子さんがカッコイイ♥♥○84年イーストに引き続き、髙橋伸明さんのデュエット「君は綺麗なままで」(とんがりコーンのCMソングでした)は、2人の歌唱力がとにかくものすごいパワーで、聴くと元気がでます! この曲では奈保子さんはハモリのパートを担当しています。確かな歌唱力を持つ奈保子さんだからこそ出来たことだと思います!!○フィナーレは奈保子さん作詞作曲の「夢かさねて」。全ての人達に向けて、感謝の気持ちを込めて歌う奈保子さん... 奈保子さんのファンで良かったと思える1曲です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーNAOKO '86 STARDUST PARADISE in EAST/河合奈保子1986年7月24日 よみうりランドイースト/日本コロムビアNAOKO '86 STARDUST PARADISE in EAST/河合奈保子○OPからシモンズを叩く、かっこよすぎる奈保子さん登場! スティックも投げちゃいます!○前半は「Oldies Hits Medley」と題しているだけあり、洋楽のカバーがメイン。サングラスをかけたり、オールバックをしたファンキーな奈保子さんが見れます♥♥○「星になるまで~NIGHT AFTE NIGHT~」から奈保子さんが着用している真っ赤な衣装が、奈保子さんの美しい肌をより一層引き立てていて、個人的にとても好きな衣装です♥○ラストのハーフムーン・セレナーデは、先ほどまでの個性的な衣装はうってかわり、純白のドレスに身を包んだ奈保子さんは女神そのもの...ーーーーーーーーーーーーーー月夜宮殿~ムーンライト・パレス~/河合奈保子1987年7月24日 よみうりランドイースト/日本コロムビア月夜宮殿~ムーンライト・パレス~○ラブレターの「好きです」コール♥♥皆もぜひ一緒にさけびましょう!○「想い出のコニーズ・アイランド」から自作曲連発! アイドル河合奈保子からアーティスト河合奈保子への華麗なる変貌を見ることができます。○毎度おなじみ(?)いつの間にかなくなっているイヤリング。そのくらいパワフルなパフォーマンス!どこでイヤリングがとんで行くのか、よ~く見てみよう。○一番のみどころ(?)麦茶タイム!ファンの「イッキコール」に応えてくれる奈保子さん♥♥○この日のために奈保子さんが作った曲「My song for you」。一回きりの披露!ファンに向けられた一曲は必聴です!ーーーーーーーーーーーNAOKO THANKSGIVING PARTY /河合奈保子1988年7月24日 よみうりランド オープンシアターEAST/日本コロムビアNAOKO THANKSGIVING PARTY○OPはハッピーバースデーの曲とともに花束を持った奈保子さんが現れ、「もう歳はとりません」宣言(笑)○(わたし)的見どころは、Part 3 収録の「月になるまで~NIGHT AFTER NIGHT~」。最後のスキャットは鳥肌モノ! 奈保子さんの歌唱力は本物です!○最後のパートの見どころは、やはりコンサートのフィナーレでもあるハーフムーン・セレナーデ。最後のイーストバースデーコンサートということもあり、涙をこらえて話す奈保子さん...最初から声を震わせながら歌う奈保子さんですが、だんだんと力強くなり圧巻の熱唱!まさにイーストバースデーコンサートの集大成と言える歌唱です!ーーーーーーーーーーーーーーー河合奈保子ライブ・ベスト けんかをやめて/河合奈保子2016年発売/日本コロムビア河合奈保子ライブ・ベスト けんかをやめて○どれを買おうか迷っちゃう方にオススメ♥♥BRILLIANT から愛のコンサートイースト、’84~’88のシーンがダイジェストで入っています!ーーーーーーーーーーーーーーー河合奈保子プレミアムコレクション/NHK 紅白歌合戦&レッツゴーヤング etc/河合奈保子2017年発売 NHKエンタープライズ/日本コロムビア河合奈保子プレミアムコレクション/NHK 紅白歌合戦&レッツゴーヤング etc○河合奈保子さんが出演した紅白歌合戦、レッツゴーヤングをはじめとしたNHKの歌番組を見る事ができます。○ヤングボーイから始まり、どんどん立派な歌手に成長していく姿を再確認できます。○(わたし)いちおしはアイドルオンステージでのメドレー。 31歳の奈保子さんが歌うスマイル・フォー・ミーやエスカレーション…最高です!!本当に良い意味で変わらない人なんだと実感できます。ーーーーーーーーーーーーーーーNAOKO ETERNAL SONGS /TBS/河合奈保子DISC 1 Naoko in ザ・ベストテン IDISC 2 Naoko in ザ・ベストテン IIDISC 3 Naoko in 8時だョ!全員集合DISC 4 Naoko on TV2020年発売 TBS /日本コロムビアNAOKO ETERNAL SONGS○ファン待望! 永遠の歌姫 河合奈保子さんのデビュー40周年を記念して、TBSに残る歌唱映像を厳選したDVD BOX 『NAOKO ETERNAL SONGS』がリリース。 『ザ・ベストテン』『8時だョ!全員集合』『たのきん全力投球!』などTBSの名物番組の中から、全27曲/放送113回分の映像が収録されています! お家で楽しく鑑賞しましょう。ーーーーーーーーーーーーーーー
2024.01.28
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2024年1月19日に新宿の東急歌舞伎タワー・歌舞伎歌舞伎横丁ステージで「J-DIG PRESENTS 昭和歌謡VDJ NIGHT Vol.1 河合奈保子ナイト」が開催されました。デューク・トモノ氏がDJをされ、河合奈保子さんのコンサート映像が、会場の大型画面いっぱいに映し出されました。以前からDVDで見てきた映像なので、とても懐かしかったです。私の手元にある河合奈保子さんのDVDを紹介します。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 私の手元にある河合奈保子さんのDVDです。↓ PURE MOMENTS NAOKO KAWAI DVD COLECTION/日本コロムビアピュア・モーメント 河合奈保子DVD コレクション/日本コロムビア。ーーーーーーーーーー↓ ピュア・モーメント ディスク1 /河合奈保子/日本コロムビアーーーーーーーーー↓ ピュア・モーメント ディスク2 /河合奈保子/日本コロムビアーーーーーーーーーーー↓ ピュア・モーメント ディスク3 /河合奈保子/日本コロムビアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ BRILLIANT Lady Naoko in COncert /河合奈保子1982年10月17日 東京・芝・郵便貯金ホール /河合奈保子/日本コロムビアーーーーーーーーーーー↓ 愛のコンサート /河合奈保子1983年10月10日 東京・芝・郵便貯金ホール /河合奈保子/日本コロムビアーーーーーーーーーーー↓ SUMMER SPECUAL in EAST'84 /河合奈保子1984年7月24日 よみうりランド・イースト他 /河合奈保子/日本コロムビアーーーーーーーーーーー↓ NAOKO EAST'85 感電するゾ 熱い夏 /河合奈保子1985年7月24日 よみうりランド・イースト他 /河合奈保子/日本コロムビアーーーーーーーーーーー↓ NAOKO '86 STARDUST PARADISE in EAST /河合奈保子1986年7月24日 よみうりランド・イースト /河合奈保子/日本コロムビアーーーーーーーーーーー↓ 月夜宮殿 ムーンライト・パレス /河合奈保子1987年7月24日 よみうりランド・イースト /河合奈保子/日本コロムビアーーーーーーーーーーー↓ NAOKO THANKSGIVING PARTY /河合奈保子1988年7月24日 よみうりランド・オープンシアター・イースト /河合奈保子/日本コロムビアーーーーーーーーーーー↓ 河合奈保子ライブ・ベスト けんかをやめて /河合奈保子/日本コロムビアーーーーーーーーーーーー↓ 河合奈保子 プレミアムコレクション NHK紅白歌合戦&レッツゴーヤング etc/NHKエンタープアイズ/日本コロムビアーーーーーーーーーーーーNAOKO ETERNAL SONGS TBS /日本コロムビアDISC 1 Naoko in ザ・ベストテン IDISC 2 Naoko in ザ・ベストテン IIDISC 3 Naoko in 8時だョ!全員集合DISC 4 Naoko on TV----------------------
2024.01.27
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2024年1月19日に新宿の東急歌舞伎タワー・歌舞伎歌舞伎横丁ステージで「J-DIG PRESENTS 昭和歌謡VDJ NIGHT Vol.1 河合奈保子ナイト」が開催されましたが、DJをされたデューク・トモノ氏が、その時のVDJコンサートの映像をユーチューブで配信されています。最初は「間もなくスタート」となっていますが、7分前後から、奈保子さんの映像がスタートします。奈保子さんの歌23曲が続きます。河合奈保子さんに興味がある方は、是非見ていただければと思います。https://www.youtube.com/watch?v=kBufRtTjiiI
2024.01.26
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2024年1月19日(金)21時から、新宿の東急歌舞伎町タワー・歌舞伎hall歌舞伎横丁ステージで、「J-DIGS PESENTS 昭和歌謡VDJ NIGHT Vol.a 河合奈保子ナイト」が開催され、見に行きました。DJデューク・トモノ氏がアレンジされています。ステージで流れた23曲を順番に紹介してきましたが、最後の23~23の写真を掲示します。22)「ラブレター」*「月夜宮殿 ムーンライト・パレス」(1987年7月24日 よみうりランド・イースト)23)「My song for you」*「月夜宮殿 ムーンライト・パレス」(1987年7月24日 よみうりランド・イースト)コンサートの映像を23曲続けて見ましたが、ステージ上を激しく動き回って歌っても、息切れすることなく伸びやかな歌声をキープしていたのが印象的でした。歌やファンに対する奈保子さんの誠実さが充分に伝わってきます。奈保子さんの笑顔を見ると、自分の青春時代を思い出します。23曲目の「My song for you」は、奈保子さんが作詞・作曲された歌ですが、歌詞の最後は次の言葉がリフレインされます。奈保子さんは本当に歌が好きなのだなと感じます。メロディーは 命からつぶやきは 心からあふれだす 歌はみんな私の子供たちーーーーーーーーーーーーー22)「ラブレター」*「月夜宮殿 ムーンライト・パレス」(1987年7月24日 よみうりランド・イースト)ーーーーーーーーーーーーーー23)「My song for you」*「月夜宮殿 ムーンライト・パレス」(1987年7月24日 よみうりランド・イースト)コンサート終了。ーーーーーーーーーーー↓ JR新宿駅。
2024.01.25
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2024年1月19日(金)21時から、新宿の東急歌舞伎タワー・歌舞伎hall 歌舞伎横丁ステージで、「J-DIGS PRESENTS 昭和歌謡VDJ NIGHT Vol.1 河合奈保子ナイト」が開催され、見に行きました。DJデューク・トモノ氏がアレンジされています。紹介された河合奈保子さんの歌23曲を、順番にブログで紹介します。前回に続き、19~21です。19)「涙のハリウッド」*「NAOKO'86 STADUST PARADICE in EAST」(1986年7月24日 よみうりランド・イースト)20)「スマイル・フォー・ミー」*「月夜宮殿 ムーンライト・パレス」(1987年7月24日 よみうりランド・イースト)21)「デビュー Fly Me To Love」*「NAOKO EAST'85」(1985年7月24日 よみうりランド・イースト)ーーーーーーーーーーーーーー19)「涙のハリウッド」*「NAOKO'86 STADUST PARADICE in EAST」(1986年7月24日 よみうりランド・イースト)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー20)「スマイル・フォー・ミー」*「月夜宮殿 ムーンライト・パレス」(1987年7月24日 よみうりランド・イースト)ーーーーーーーーーーーーーーーーーー21)「デビュー Fly Me To Love」*「NAOKO EAST'85」(1985年7月24日 よみうりランド・イースト)
2024.01.24
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2024年1月19日(金)21時から、新宿の東急歌舞伎タワー・歌舞伎hall 歌舞伎横丁ステージで、「J-DIGS PRESENTS 昭和歌謡VDJ NIGHT Vol.1 河合奈保子ナイト」が開催され、見に行きました。DJデューク・トモノ氏がアレンジされています。紹介された河合奈保子さんの歌23曲を、順番にブログで紹介します。前回に続き、14~18です。14)「Habour Light Memories」*「NAOKO THANSGIVING PARTY](1988年7月24日 よみうりランド・イースト)15)「エスカレーション」*「愛のコンサート」(1983年10月10日 東京・芝・郵便貯金ホール)16)「コントロール」*「SUMMER SPECIAL in EAST '84」(1984年7月24日 よみうりランド・イースト)17)「唇のプライバシー」*「SUMMER SPECIAL in EAST '84」(1984年7月24日 よみうりランド・イースト)18)「UNバランス」*「愛のコンサート」(1983年10月10日 東京・芝・郵便貯金ホール)ーーーーーーーーーーーーー14)「Habour Light Memories」*「NAOKO THANSGIVING PARTY](1988年7月24日 よみうりランド・イースト)ーーーーーーーーーーーーーーーーー15)「エスカレーション」*「愛のコンサート」(1983年10月10日 東京・芝・郵便貯金ホール)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー16)「コントロール」*「SUMMER SPECIAL in EAST '84」(1984年7月24日 よみうりランド・イースト)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー17)「唇のプライバシー」*「SUMMER SPECIAL in EAST '84」(1984年7月24日 よみうりランド・イースト)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー18)「UNバランス」*「愛のコンサート」(1983年10月10日 東京・芝・郵便貯金ホール)続く。
2024.01.23
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2024年1月19日(金)21時から、新宿の東急歌舞伎タワー・歌舞伎hall 歌舞伎横丁ステージで、「J-DIGS PRESENTS 昭和歌謡VDJ NIGHT Vol.1 河合奈保子ナイト」が開催され、見に行きました。DJデューク・トモノ氏がアレンジされています。紹介された河合奈保子さんの歌23曲を、順番にブログで紹介します。前回に続き、9~13です。9)「太陽の下のストレンジャー」*「SUMME SPECIAL in EAST'84」(1984年7月24日 よみうりランド・イースト)10)「黒髪にアマリリス」*「月夜宮殿 ムーンライト・パレス」(1987年7月24日 よみうりランド・イースト)11)「けんかをやめて」*「BILLIANT Lady Naoko in Concert」(1982年10月17日 東京・芝・郵便貯金ホール)12)「17才」*「BILLIANT Lady Naoko in Concert」(1982年10月17日 東京・芝・郵便貯金ホール)13)「GT天国」*「NAOKO THANKSGIVING PARTY」(1988年7月24日 よみうりランド・イースト)ーーーーーーーーーーーー9)「太陽の下のストレンジャー」*「SUMME SPECIAL in EAST'84」(1984年7月24日 よみうりランド・イースト)ーーーーーーーーーーーーー10)「黒髪にアマリリス」*「月夜宮殿 ムーンライト・パレス」(1987年7月24日 よみうりランド・イースト)ーーーーーーーーーーーーーー11)「けんかをやめて」*「BILLIANT Lady Naoko in Concert」(1982年10月17日 東京・芝・郵便貯金ホール)ーーーーーーーーーーーーーーーーー12)「17才」*「BILLIANT Lady Naoko in Concert」(1982年10月17日 東京・芝・郵便貯金ホール)ーーーーーーーーーーーーーー13)「GT天国」*「NAOKO THANKSGIVING PARTY」(1988年7月24日 よみうりランド・イースト)続く。
2024.01.22
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