Nonsense Fiction

Nonsense Fiction

2006/07/30
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テーマ: 短編を作る(405)
カテゴリ: 連作短編


 水が深い緑色になっているのと、太陽が水面に反射している 所為 ( せい ) で、金魚の顔はよく見えない。しかし、時折その眼が光る。


 気まぐれに夜店で金魚を ( すく ) ってしまった。掬ったはいいが、うちには水槽も金魚鉢もない。 ( ) って来ようかと思案していると、旦那が自分の実家へ持っていこうと ( ) い出した。あそこなら、小さいけれど池がある。金魚の三匹くらいどうってことないだろうというのである。
 そこで金魚の餌を購って、一人暮らしの ( はは ) の家にやって来たのだが、思わぬ反応が返ってきた。元来生き物好きであるはずの彼女が、渋い顔で云ったのだ。
 金魚って苦手なのよねぇ。
 野良猫をかいがいしく世話している手前、猫の訪れる庭の池に金魚を放すことを 躊躇 ( ためら ) っているのかと思ったが、そうではなかった。彼女は本当に、金魚が苦手だったのである。
 それは帰りの車の中、旦那の告白で判明した。
「おふくろが金魚苦手なの、おれのせいかもしれない」
「何かあったの?」
「うん。あったというか、したんだよね。おれが」
 旦那は気まずそうに話し始めた。


 話は彼が幼少の頃に遡る。
 彼の父親、つまりわたしの ( ちち ) にあたる人は姑とはかなり齢が離れており、高齢になってから一人息子の彼をもうけた。やり手ではあったが、酒と煙草が手放せない人で、彼が十になる頃には、病院の世話になることも少なくなかったそうだ。今のように完全看護の病院が多くはなかった時代である。姑が舅の付き添いで家を空けることも多々あった。そんな時、彼は ( ) まって母方の実家に預けられた。実家と云っても、姑は他所から貰われてきた人である。戸籍上は孫でも、祖父母と血の繋がりのない彼は、どこか疎外感を覚えていた。
 それでも祖父母は彼を気遣って、実の孫と一緒に夏祭りや花火大会に連れて行ってくれた。そこで掬った金魚を、家にあった金魚鉢に入れて、彼の部屋に置いてくれもした。
 彼にあてがわれていた部屋は、嫁ぐ前に姑が使っていた部屋である。彼はそこで、一冊の歌集を見つけた。子供向けの童謡集である。
 何気なく開いた頁に、その ( うた ) はあった。

  母さん、母さん、どこへ行た。
( ああか ) い金魚と遊びませう。

  母さん、 ( かえ ) らぬ、さびしいな。
  金魚を一匹突き殺す。

  まだまだ、歸らぬ、くやしいな。
  金魚を 二匹 ( にいひき ) 締め殺す。

  なぜなぜ、歸らぬ、ひもじいな。
  金魚を三匹 ( ) ぢ殺す。

  涙がこぼれる、日は暮れる。
  紅い金魚も ( しい ) ぬ死ぬ。

  母さん怖いよ、眼が光る。
  ピカピカ、金魚の眼が光る。

 北原白秋の『金魚』であった。


 その後の彼の行動は云うまでもない。詞のとおり、金魚鉢の金魚を掴み出して ( あや ) めていったのである。
 薄暗い部屋に佇む彼と、畳に転がる金魚を見た彼の祖母は、彼を姑のところへ強制送還した。
 彼が荷物を ( まと ) めて部屋を出る時、窓辺に置かれた空の金魚鉢の中で、何かが光ったように感じたという。


 話し終えた旦那が、恐るおそるわたしを見た。
「引いた?」
「うん。ドン引きした。よくそんなことしておいて、金魚掬いをしようなんて ( ) になったね」
 金魚掬いをしようと云い出したのは、彼の方である。そんなことがあったのだ、苦手だと云い切る姑の方が、余程人間味があるように感じる。
 金魚は結局、姑の家の池に放してきていた。
「いや、忘れてたんだよ。あれっきり、あの部屋に入ることはなかったから、どこか夢の中の出来事みたいで。でも、おふくろのあの様子から見ると、現実だったんだろうな」
 旦那は虫も殺さぬどころか、実態のないものにまで慈悲をかけるような人間である。そのせいで、おかしな物に好かれることも多い。単純で素直な人間なので、大人に忘れろと云われてあっさり忘れたのかもしれないが、それにしても彼の中の得体の知れない部分を垣間見てしまったようで、わたしは呆れると同時に少し恐ろしくなった。
 わたしの心中など知らない彼は、のん気に続ける。
「詞だって一度見たきりで、よく ( おぼ ) えてたなぁって、今自分の記憶力に感心してるところなんだよね」
 それは、そのとおりのことを実行してみたからだろうと思ったが、云わずにおいた。
「金魚、明日お姑さんのところから持って帰るよ。金魚鉢購って、うちで飼おう」
 皮肉の代わりに口に出した提案は、声が震えていたかもしれない。


つづく






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Last updated  2006/08/19 12:09:36 AM
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雪村ふう @ ぼっつぇ流星号αさんへ 旦那からすると、(若かりし日の)姑の方…
雪村ふう @ 架月真名さんへ いつも読んで感想くださってありがとうご…
ぼっつぇ流星号α @ なるほどねぇー なんかタイムパラドックス的な感じ(?)…
架月真名 @ リクエストに応えてくださってありがとうございました!! 子供が生まれるまでの姑さんの生き地獄の…
雪村ふう @ 架月真名さんへ 赤ちゃんの描写を褒めていただけて嬉しい…

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