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ショーンはアンナの目の前で膝を折り、そっとその手を取った。「アンナ、私と結婚してください」「ええー!! わ、わ、私みたいな行き遅れの田舎娘でいいのですか?!」「いや、アンナがいいんだ。アンナでなくっちゃ駄目なんだ。受けてくれるかい?」「ふぁい!」 涙でぐしゃぐしゃな顔になりながら、アンナが答えると、すぐさまショーンが腕の中に閉じ込めた。「ありがとう。フィン様が戻ってくるまでの期間、ネージュ様とのいざこざもあって、ずっと不安を抱えていたんだ。そんな時、今まで通りの笑顔でずっと支えてくれていたアンナが気になってしかたなかった。だけど、私たちは主人に仕える身。簡単に私情を優先できないと思っていたんです。それなのに、フィン様がまるで当たり前のことのように、どうして結婚しないの?なんておっしゃるから…」小さな背中に回した手にぐっと力を籠めると、ふきんを握りしめたままの手が広い背中に手を添える。すると、すぐ後ろから大きな歓声と拍手が沸き上がった。「やったなー、ショーン!」「おめでとう!!」「幸せになってね!」「え?あ、皆さん!聞いてらしたんですか!」 頬を染める二人にみんなからの祝福が続いた。翌日、陛下と大聖女との謁見を終えたと知らせを聞いたホワイトとレオナールがやってきた。ラピス、ルビー、そしてエメラを交えて午後のお茶タイムを過ごしながらの報告会となった。おもむろにフィンが告げた。「大聖女様からヒューイが僕の弟だってことを聞いたよ。だけど、ヒューイは何も知らないみたいだし、通信社のご両親も言わずに育ててくれたみたいだから、僕は、このままヒューイとは、友達でいようと思うんだ。」「そっか。フィンがそれでいいなら、そうすればいい。ヒューイが本当のことを知ってからでも遅くないからな」 レオナールが何でもないことのように言うので、フィンはふぅっと肩の力を抜いて頷いた。「ねえ、それはいいけど、これからギルバートのところに行ってみない?私、彼には一言言ってやりたいのよ」 エメラは駄々っ子を叱るような言い方で墓前に行くことを勧めた。 街中で花を買って、フィンはラピスたちの後に続く。ギルバートの墓は海の見下ろせる小高い丘にあった。「ギル、見ろよ。お前の自慢の息子、こんなにたくましくなったんだぜ。」 ホワイトがウィスキーの小瓶をそっと手向けて声を掛ける。ラピスやルビーもそっと墓石に手を添えて見つめていた。「父上、ベルンハルトが父上の最期を白状しました。まさか、あんな亡くなり方をしていたなんて…」 フィンは墓前に座り込んで見上げていた。握りしめた手が、震えている。12歳になったとはいえ、まだまだ頼りなげな細い体だ。それをエメラが後ろから抱きしめた。「フィンちゃん。 あなたにはまだ理解できないかもしれないけど、あなたの両親は、あれでも愛し合っていたのよ」「嘘だ! 父上は、あの女に殺されたんだ!」 怒りに震える顔を、柔らかな両手で包んで、エメラは続ける。「あのね。ギルが亡くなってから、ネージュが私を大聖堂に連れて行ったでしょ?そこで、聞こえてきたの。ギルバートに助けを求めて、シクシク泣いていた誰かさんの声が。確かに、最初は陛下のことが好きだったのかもしれないけれど、結婚してあなたが生まれるまでの間、二人は穏やかな時間を過ごしていたわ。 それにね。部屋にあったあのドライフラワーは、ギルバートがプレゼントしたものなの。それは、二人がまだ結婚する前のことよ。ギルったら、天使のような聖女にすっかり夢中になって、その頃まだ王子だったカーティスに紹介しろって頼んでいたの。それでね、いよいよ会えることが決まると、私に相談してきたのよ。彼女の印象に残るように贈り物をするなら何がいいだろうって。」「え?父上はあの人の事が好きだったの? 王命で仕方なく結婚したんじゃないの?」 目を見開いて驚くフィンの頭をそっとなでながら、エメラは頷いた。「そう。豪華なバラや百合やチューリップより、一目ぼれですっていう花言葉のクジャクアスターを勧めたのは私よ。」「そうだったね。あいつの目を覚ましてやるんだって、はりきってた」 懐かしそうにルビーがつぶやいた。 「それにしても、ギル。随分間抜けな終わりだったわね。あれほど冷静でいなさいっていってたのに!ほんとに、あなたって人は…」エメラのお小言は続いているが、フィンは不意に遠くに見える海に目を移した。そして、しばらく考え込んでいたが、そのままゆっくりと視線は下がっていく。「やっぱり僕には、分からないや。」「気にするな。お前ももう少し大人になって、好きな人でも出来たら分かるようになるさ。さて、せっかくだからこのままブルーノの墓参りもしていくか?」 レオナールがフィンの肩に手を乗せて言う。相変わらず王子様みたいにキラキラしているが、その瞳には微かに後悔の色がにじんでいる。元気玉のような少年を亡くした悲しみは、フィンだけのものではない。「うん、そうしよう! 父上、僕はまだあの人の事を母親と認められないけど、それでも、父上みたいな頼られる召喚士になってみせるよ。それまで見守っていてね」 フィンは、それだけ言うと、仲間を連れて丘を降りて行った。ギルバートの墓の周りには、クジャクアスターが優しい風に揺れていた。おしまい
September 14, 2022
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話を聞きながら、フィンとショーンは顔を見合わせていた。「大聖女様。僕、その子とはもう友達です。出会ってからすぐに仲良くなれて、今も、交流を続けているんです。はぁ、そうか。似てるはずだよね。僕の弟…。弟だったんだぁ。そっかぁ。」 大聖女は驚いたように目を見張っていたが、少し考えて付け足した。「ただ、配達の人には、どういう事情の子どもか、何も伝えていないのです。あの子がもし、家族と仲良くやっていたら、その時は…」「はい、そっとしておきます。血がつながっていてもいなくても、ヒューイは僕の友達だから」 ほっとしたように頷く大聖女は、両手を合わせて「そうだったわ」と席を立った。「ネージュの部屋にご案内しましょう。必要な物があれば、お持ちください」 応接室を出て、階段を上がると、古ぼけた扉の前に大聖女は立ち止まった。そして扉を開けると、そっとフィンを招き入れた。 古びた家具に装飾の少ないベッド。クローゼットには部屋には似つかわしくない派手なドレスが数着掛けてあった。 部屋の隅には茶色くなった草花が逆さに吊るされている。「これは?」「ああ、これはドライフラワーです。頂いた花を乾燥させて残しておくのですわ。これは、何の花かしら。クジャクアスター、かしらね。では、私はこれで失礼します。ここはあと2,3日もすれば、全部中身を捨ててリフォームされてしまいます。必要な物はどうぞお持ちください」 大聖女はゆっくりとその場を後にした。それを見送ったフィンは、気持ちを切り替えるように部屋を見回した。「ドライフラワーか…」花を枯れたような色のままとどめておくことが、フィンには不思議に感じられた。部屋の奥に進むと、見たことがあるギルバートの遺品が無造作に積み上げられている。「あんなにむちゃくちゃに奪い取ったくせに、なにがしたかったんだろ」 そういいながら、腹立たしさも、悔しさもフィンの胸には湧きあがらない。ただ虚しさだけが、広がっていった。「フィン様!」 ショーンが緊張したように声を掛ける。見ると、そんなギルバートの遺品の中で、コトコトと何かが動いている。「あの箱だ!」 フィンがその箱に触れた途端、妖艶な大人の女性が現れた。驚きすぎて声が出ないフィンたちに、女性も驚いたように目を見開いている。「あの、こんにちは。」「あら、ギルバートったら、どうしたの?」「ふふ、そのセリフ3回目です。 僕はギルバートの息子のフィン・ハーパーです。もしかして、あなたはエメラさんですか? ラピスさんもルビーさんもいらっしゃいますよ。ねえ、出てきて!」 ふわっと空中から抜け出したように現れた二人は、ニヤニヤとエメラを見ている。「えっと、この子はいったい…。ねえ、ギルはどうしたの?」 ラピスとルビーが事情を説明すると、エメラは改めてフィンを凝視する。「まあ、本当にそっくりね。しかも、この魔力!ギルより多いわね。まだ小さいのに、よくがんばったわね」 エメラはフィンをそっと抱きしめてくれた。フィンの耳が、ほのかに赤く染まっていた。「フィン様、ではそろそろ帰りましょうか」「ああ、分かった。」 ショーンに助け舟を出されて、フィンは暗く寂しい部屋を出て玄関へと向かう。「あ、ちょっと待って。これを持って行くわ」 エメラが部屋に戻って手にしてきたのは、先ほどのドライフラワーだった。「僕、ちょっと大聖女様に挨拶してくる。あの部屋の物は、父上の遺品だったけど、もう、もらわなくても大丈夫だし。」 大聖女の執務室にかけて行ったフィンは、父の遺品を金に換えて、恵まれない子どもに施してほしいと頼んできたのだった。 馬車に揺られて館に帰ると、アンナがごちそうを作って待っていた。「フィン様。おかえりなさいませ。今日はきっとラピスさんたちとご一緒だと思ったので、お酒もご用意させていただきました。」「ありがとう、アンナ!」 嬉しそうに席に着くフィンたちを見ながら、ショーンがアンナの袖口をひっぱって奥へと入っていく。「アンナ、ずっと考えていたことがあるんだ。今日、そのことをフィン様にも勧められたから、思い切って言うよ。」「ショーン様?どうされたのです?」 いつになく真剣な表情のショーンを、アンナが不安げに見つめる。手にはふきんを握り締めたままだ。つづく
September 13, 2022
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それから数日後、フィンは再び着慣れないタキシードに身を包み、王宮謁見の間にいた。「アルバート・モルド。いや、フィン・ハーパー。此度の活躍、心から感謝している。それにしても、聖女ネージュはなんとも哀れな最期だったな。子どものそなたには、辛い経験となったことだろう。許せよ。して、そなた。侯爵の爵位を受けてくれぬか?南の海岸沿いの地方は漁業が盛んでな。あの領地は、今は私の直属となっておるのだが」「ごめんなさい。やっぱり爵位はいりません。僕は父上と同じ、召喚士として暮らしていきます。だけど、僕でお役に立てることがあれば、声を掛けてください。父上ほどのことはできないかもしれないけど、父上と契約していた精霊たちもいてくれるので、お役に立てると思います」 カーティス王は眉を下げて頷いた。「ふふふ。まったく、憎らしいほどギルバートに似ておるのう。では、此度の功績を称えて、南の島を一つそなたに譲ろう。これは、報償とは別物だ。国王としてではなく、ギルバートの幼馴染のカーティスからのプレゼントだ。受け取ってくれ」「陛下…。有り難き幸せ」 フィンは騎士の礼をすると、カーティス王は満足そうに席を立ち、退室していった。 謁見の間を後にすると、すぐさまカーマイン首相が権利書や地図を持ってやってきた。「フィン・ハーパー殿。こちらが南の島の権利書と地図です。ここは、カーティス陛下が子供の頃、よくお出かけになられた場所なんです。お父上も同行されていましたよ。ぜひ、近いうちにご訪問ください。南の港町コーディから専用の船が出ています。島内には地元の者が働いておりますので、生活にご不自由はございませんよ。」「父上が? そうですか。ありがとうございます!」 馬車に乗り込み、家へと向かう途中、大聖堂が見えた。崩れていた壁や黒焦げの床は、あっという間に修繕されていた。明日はこの大聖堂で大聖女との面会がある。フィンはじっと遠ざかる景色を眺めていた。「フィン様、お疲れですか?」「いや、大丈夫だよ。ショーン、いつも一緒に来てくれてありがとう。僕一人では、きっとおどおどするばかりだったよ。」「フィン様…。私もアンナも、日に日にギルバート様にそっくりになられるフィン様を見ているのが、嬉しくて仕方ないのです。」 ギルバートがいたころと比べると、すっかり大人らしくなったショーンが穏やかに微笑んでいる。彼らがいるから、いつだってめげずに頑張れた。だけど、二人はこのままでいいんだろうか。フィンの中に申し訳ない気持ちが広がっていく。「二人の事は、父上が残してくれた宝物だと思ってる。あのさ、二人は結婚しないの?」「え?!」 フィンにとっては、何気ない問いかけだった。しかし、目の前の執事は、真っ赤になってすっかり狼狽している。「あれ?どうしたの?」「あ、いや。その。ど、どうしてそんなお話が出てきたのかと…」「え?うーん、なんとなく。ショーンとアンナが両親だったら子供はきっと幸せだろうなって思ってさ」「フィン様…」 悲し気なショーンに、フィンはニカッと笑い返す。「明日は大聖女様と面談だ。よろしく頼むね」「はい!」 翌日、再び馬車に乗って大聖堂にやってきたフィンたちは、大聖女の待つ応接室に向かっていた。「ようこそ、おいでくださいました。今日は、フィン様にどうしてもお話しておきたいことがありましたの。どうぞ、おかけください」 背筋をぴんと伸ばしてはいるが、真っ白な髪の老婆がそこに微笑んでいた。「私は、大聖女を務めておりますマリアンと申します。この度は、我が大聖堂内部の人間が、大変な間違いを犯し、ご迷惑をお掛けしましたこと、心よりお詫び申し上げます」「いや、頭をあげてください。大聖女様が謝る事ではありません。」 年老いた聖女が深く頭を下げる姿は、見るに堪えない。フィンは慌てて大聖女の元に駆け寄り、そっと手を取って騎士の礼をした。 若い聖女がお茶を持ってくると、マリアンもゆっくりとソファに腰かけた。そして、聖女が退出するのを待って、ゆっくりと話し始めた。「あなたには、あまり耳障りの良い話ではないかもしれませんが、事情を知らないかわいそうな子どもが一人いることを、どうしてもお伝えしたかったのです。 聖女ネージュは、ギルバート様のお子さんを産み落とした後、どういうわけかそのまま一人でこちらに帰ってきておりました。侯爵家の令嬢であるだけでなく、魔力が多いことや、豊穣の力を持っていたがために、あの子はすっかりわがままで独りよがりな娘に育ってしまいました。だから、あんなにやさしい旦那様がいるのに、気に入らないと、ここに閉じこもっていたのです。あの頃、地方から見学に来ていた若い司教がそんなネージュに目をつけていたようで、産後の肥立ちがやっと落ち着いたと思ったころには、すでに次の子どもを宿していたのです。かわいそうに、その子は魔力を持っていないというだけで、生まれてすぐから、母親の愛情をもらえなかったのです。 そろそろ生まれる頃だとは思っていましたが、かすかな赤ん坊の泣き声に慌てて探し当てた時は、命の灯が消えかけていたのです。医者を呼び、身体を暖めてやり、我々はその子のために祈り続けました。そして、やっと持ち直した頃、手紙を配達していた人に、その子を託したのです。 どういう神の御恵みか、その人は、二人目のお子さんを死産で亡くしたばかりでした。奥様もショックで泣き続けているとか。ならば、母乳にもことかかないだろうと。無理を承知でお願いしたのです。 ですが、ネージュはそんな子どもの事など気にする様子もなく、何かから逃げるように次々悪いことばかりに手を染めて…。今から思えば、フィン様、あなたにとっては唯一の血のつながった弟だったのに。 もし、気が向いたら、一度どんなふうに育っているか、確かめてやってください」つづく
September 12, 2022
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第4章 目には見えない真実 大聖堂での事件から3日が経っていた。大聖女たちは、聖女ネージュのためにささやかな葬儀を行い、ニコラス大司教は行方不明と発表された。その日もアンナはパン粥を作ってフィンの部屋へと運んでゆく。「フィン様。朝ですよ。目を覚ましてくださいませ」 分厚いカーテンを開けて、窓を開け、涼やかな朝の空気を部屋へと取り入れる。部屋の主は、静かに眠ったままだ。アンナはベッドわきにイスを運び、カップに入れていた白湯をスプーンですくって、そっとカサついた唇を濡らしていく。 医者が言うには、精神的なショックが大きいのだろうということだった。どんなに関係ないと言い張っても、聖女ネージュはフィンの母親なのだ。その母親に刃を向けたこと、そして、目の前で自害されてしまったことは、まだ少年のフィンには耐えがたいことだったのだろう。小さなノックが聞こえて、ラピスが入ってきた。「フィンの具合はどうだい? 俺たちが自由に動けるってことは、魔力が無くなったわけではないのだろう?」「はい。お医者様もそのようにおっしゃってました。焦らずゆっくり休ませてあげなさいと」「そうか」 ラピスが来たので後の事をお願いして、アンナはそっと部屋をでた。いつ目が覚めても大丈夫なように、家事を進めているのだ。 呼び鈴が鳴って、ショーンが出ると、ヒューイが顔を出した。「こんにちは。フィンさんの具合はどうですか?」「まだ目が覚めないようです。」「今日は大聖女様からお手紙を預かっています。フィンさんが起きたら、渡してもらえますか?」「ありがとうございます。必ず、お渡しします」「じゃあ」 元気に走り出す後ろ姿を見送って、ショーンはフィンの部屋に向かった。陛下には、今回の事は先に連絡してあった。ショーンからの連絡で、聖女たちの祈りの場を変更させたりもしていたので、大聖堂の人的被害は少なかった。もちろん、最初に入り口をふさいでいたベルンハルトとのいざこざで壁の一部が壊れたりはしたが、そこは、王宮が賄ってくれることになっている。 フィンの部屋に行くと、部屋の主はやはり眠ったままだった。開かれた窓辺で、ラピスがぼんやりと外を眺めていた。「フィン様にお手紙ですが、まだ起きられるご様子ではないですか?」「まったく、どうなっちまったんだろうな。やっと事件が解決したっていうのに、いきなり倒れやがって。こいつに元気がないと、どうも変な感じだよ。」 眉尻を下げながら、銀髪のイケオジは静かに眠る少年を見つめる。「おい、フィン! 飯だぞ!」 ふざけて声を掛けるラピスに、フィンのまぶたがかすかに動いた。「フィン様!」「腹減った~…」 そう呟いたかと思うと、ぼんやりと目を開けて、「あれ?!」と飛び起きた。「うわ、クラクラする」「おい、急に動くな」「大丈夫ですか? まずはお水を」 ショーンがすぐさま人肌に冷ました白湯を差し出すと、フィンは一気に飲み干して、ふうっと大きく息を吐いた。「なんだなんだ。やっとお目覚めか?」 ラピスがからかう様に言うと、フィンはおどけて「おはよー」と笑った。その後ろで、ショーンが珍しくバタバタと階下に降り、アンナを呼んでいる。「アンナ! フィン様が目覚めたぞ!良かった。良かったなぁ」「フィン様が? すぐに新しいパン粥を作ります! 先にすったリンゴが良いでしょうか?」 静かだった館は一気ににぎやかさを取り戻した。「フィン! 気が付いたんだね。良かった。心配したんだよ。ホワイトさんにも伝えて来よう」 パン粥とすったリンゴを運んできたルビーが、がつがつと口の中に掻きこむフィンを見てそういうと、すぐに飛び出して行った。「はぁ、お腹いっぱいになった。なんだかみんなに心配かけてごめんなさい」「いいさ。お前はよくやっていた。」「フィン様、お目覚め早々で申し訳ないのですが、陛下から体調がよくなったら報告に上がるようにと言われております。日程はいかがいたしましょう」「うーん、じゃあ、数日後にとお伝えしてくれる?それと、さっきの手紙、大聖女様からだった。なにかお話があるらしいから、そちらも続いて数日後にと」「承知いたしました」 ショーンが退室すると、部屋には再び静寂が戻ってきた。 フィンはベッドを抜け出し、窓辺に寄りかかって外の景色を見渡した。今までとなにも変わっていないこの世界に、ほっとしたような胸にぽっかり穴が開いたような、変な気分だった。「ねえ、ラピスさん。僕は間違ってなかったんだよね?」「ああ、間違ってなんてないさ。」 大きな掌がフィンの頭をそっとなでていく。フィンは急にギルバートに会いたくてたまらなくなった。つづく
September 11, 2022
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「ま、参った。俺の負けだ。」「ホワイトさん、お願い。」「ああ、分かった。とりあえずロープで拘束しておこう。そっちの魔術師も早く止めないと溺死するぞ」 のんびりした調子で後始末にかかるあの男は、たしかギルバートの友人だったわ。「じゃあ、そっちは俺が拘束しておこう。魔術師には、魔術師でないとな」 銀髪の男が荷物でもまとめるように、あっさりとジョルジュを拘束する。なんなの?この人たち。全然歯が立たないじゃない。「あ、あああ。恐ろしい。UNLIMITEDだ。こいつはUNLIMITEDだ! 殺されるー!!」 狂ったように叫んで、ニコラスは銀髪の男に懇願した。「た、頼む。助けてくれ! 俺は、この女に騙されたんだ。自分はUNLIMITEDだから、王太子妃になるはずの人間だったと言われたんだ。冗談じゃない。こんなあばずれ、聖女なんかじゃないぞ。二人も子供を産んでおきながら、男だったからと捨ててしまったんだ。何が聖女だ、何がUNLIMITEDだ。ちょっと魔力が多いだけのくせに」「ああ、イライラするなぁ。ねえ、さっさと仕留めてもいい?」 先ほどの火の精霊は、よく見ると、どこかの王族のような気品に満ちた若い男だった。見とれてしまうほどの美しい赤い髪と赤い瞳。その瞳から、ゆらっと炎が上がったように見えると、ニコラスは真っ黒の消し炭になっていた。「もう、逃げ場はないですよ。」 剣を鞘に納め、ゆっくりと歩み寄る子どもは、やっぱりどこかギルバートに似ていたわ。きっと私が産んだ子どもなのね。すらりと背も伸びて、細くとも筋肉質な体つきをしているわ。そしてその金の瞳。しっかりと自分を持っている力のある眼差しだったわ。「聖女ネージュ、教えてください。あなたが産んだもう一人の子どもはどこにいるのですか?」 もう一人の子ども。そう、一人は自分であると分かっているのだと、暗に告げているのね。だけど、あなたは私を母とは呼ばない。「もう一つ質問です。 父上の遺品の中に小さな宝石箱があったはず。それのありかを探しています。その遺品は父上の遺言で、僕がもらい受けることになっています」「あら、そんなこと誰が決めたの?」「執事のショーンは、あなたに解雇を言い渡されても、きちんと仕事を全うしてくれていました。もちろん、雇い主はあなたではないので、当然ですけどね。父上の遺言書は、陛下にも見ていただいて保障されています」 一歩歩み寄って、鋭い金色の瞳が私を射抜く。「僕の魔力で、きっとあなたは僕がフィン・ハーパーだと気付いているでしょう。あなたがどんな気持ちで父上と結婚したのか、僕には分からない。だけど、大切な父上の命を奪ったことは、絶対に許せない!」「…どうしてそれを?!」 絶対に隠しきれると思っていたのに!目の前がどんどん暗くなって、奈落の底に落ちそうな気分だったわ。そうしたら、軽い足取りで護衛が入ってきたわ。「ああ、それは俺が調べたからね。アンタの侍女、かわいそうなぐらいアンタに忠誠を誓ってたんだな。口を割らせるのに苦労したよ。」「あ、レオナールさん。お疲れ様です」 震えあがるような鋭い金色の瞳が、一気に子どもらしい光を宿す。どういうことなの?この護衛は私の魅了で手下にしていたはず。 ベルンハルトに目を向ければ、驚いたように護衛を見ていたわ。「レオナール、お前、こいつらの仲間だったのか」「やあ、リーダー。俺はこれでも王宮魔術師団の団長なんでね」 ギルバートのこともばれてしまったなら、私に逃げ場はないわ。「それで、答えていただけますか?」 ギルバートの剣を私の首元に沿わせて、答えを迫る金の瞳がギルバートと重なる。私は、まだ少し小さな、剣を握る手に自分の手を添えて、ぐっと力を込めた。「ギル、あなたの剣で死ねるなんて、私は幸せ者ね」 温かい何かが首筋を流れ落ちる。するすると体が滑り落ちる。これでもう、何もかもから逃げてしまえるわ。ああ、でも、最後はやっぱり柔らかなベッドの上が良かったわ。つづく
September 10, 2022
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ベルンハルトが大聖堂にセンターの様子を伝えにやってきたわ。「ベルンハルト様、その子どもには、なにやら恐ろしい魔獣がついているようなんです。先日、大司教様から、あなたのことが心配だと声を掛けられたのよ。あなたになにかあっては大変だわ。かわいそうですが、討伐の折にでも消してしまいましょう。」「聖女様。私の体まで気遣ってくださるとは、なんと慈悲深い。そうですか。魔力としては申し分ないと思うのですが、大司教様にそんな風に見えているのでしたら、早いうちに対処いたします。」「ああ、ベルンハルト様。本当に頼りになるお方だわ。どうぞ、よろしくお願いします。」 ベルンハルトを見送っていると、大聖女様が声を掛けてきたわ。「ネージュ、体調はどうですか? 今の殿方は?」「今の方は、ベルンハルト様とおっしゃる方で、最近までは近衛兵として働いていたそうですが、職場での希望が通らず心が折れそうになってらっしゃったのです。なんとか、慰めてさしあげようとしておりました」「そうですか。 随分体調もよくなってきたようですし、豊穣の祈りにも復活なさいね」「ええ、そのうち伺いますわ」 大聖女様が私の行動に注目しているのはまずいわ。少し自重した方がいいかしら。そう思っていたら、翌日、大聖女様が王宮に向かっているのを目撃したの。王宮から、なにか言われるかもしれない。しばらくは緊張した日々を送ったわ。 だけど、これと言ったお咎めもなく、日々が過ぎていったわ。危惧していたようなことではなかったのかしら。それからどのくらい経ったかしら。私が祈りを捧げなくなって気づくのが遅れたけど、どうもいつもの時間帯に祈りをささげている様子がないようなのよ。大聖堂に工事でも入るのかしら。 のんびり朝食を摂っていると、突然護衛がやってきて、すぐに祈りの間へ向かう様にと言ってきたわ。「どういうことなの?」「あの、ニコラス大司教様が大至急とのことです。なにか得体のしれない物がやってきたとかで」 護衛の兵士もどう表現していいのか分からない様子で、ただおろおろとそう告げてきたわ。そう言われて耳をすませば、何やら壁に打ち付ける音や、金属のぶつかる耳障りな音が聞こえてきたの。私は、すぐに準備をして祈りの間へと向かったわ。「ニコラス大司教、聖女を使った国家転覆計画、すでに分かっているぞ!」「なにをおっしゃるのです。いったい何を根拠に。」 気弱な新米大司教の仮面をかぶったニコラスが、おろおろと応対していたわ。私がやってくるのを見とめると、こちらに来いと合図する。「これは、カーティス陛下からの命令です。おとなしく白状して、罪を償ってください!」 子どもの声がして驚いたわ。あれは、あの魔力はきっとギルバートの息子よ。子どもに気を取られている間に、ニコラスは私の腕をぐいっと引き寄せ、まるで盾にするようにして、叫んだわ。「冗談でしょう。私が何をしたの言うのです。この女ですよ。この女が陛下を自分の物に出来なかったからと、国家転覆を企んで、気の弱い私を引き入れたのです」「え?どうしてそんなことになるの?」 戸惑っている間に、ニコラスは火の精霊を呼び出して、彼らに攻撃を仕掛けたわ。その途端、さっきの子どもが手をあげて叫んだの。「ルビーさん、お願い!」「待ってたよ。お任せあれ」 ニコラスの呼んだ精霊が震えあがるほどの強い魔力で、火炎攻撃を仕掛けられ、精霊はあっという間に消えてしまったわ。すぐさま水の精霊を呼びだしたニコラスは火炎をあっさり消し去るものだと思っていたのに、火の勢いが強すぎて蒸発してしまう。「ネ、ネージュ、結界だ!」 金切り声で叫ぶ二コラスは、私の陰に隠れていたくせに、今度は結界を張れって言うのよ。もちろん自分の身が危険にさらされるのは私だってご免だわ。すぐさま結界を張って、逃げ道を探したわ。「逃げないで!ちゃんと話を聞いてください!ラピスさん、お願い!」 子どもの声が響いて、あっという間に結界は解かれてしまったわ。そして、銀髪の男が、ニコラスの腕をねじ上げたわ。「ベルンハルト、ジョルジュ!なんとかしろ!」 ニコラスが叫べば、後方でおろおろしていた二人がやってきたわ。最初から呼べばいいのに!「リーダーさん、お久しぶりですね。今日は僕と戦ってもらえますか? あなたとは、一度勝負したかったんだ」「フィン、随分偉そうになったな。少し背が伸びたぐらいで威張るんじゃないぞ」 ベルンハルトは高圧的に叫んでいたけど、どう聞いても負け犬の遠吠えね。あの魔力は圧倒的だわ。子どもが背負っていた剣を抜くと、恐ろしいほどの魔力がその剣にまとわれているのが分かったわ。 二人は剣で勝負するということなの? そっと戦いの場を離れようとしたら、突然目の前に大きな木が生えてきたわ。「聖女ネージュさん、自分だけ逃げるなんて卑怯だと思いませんか?」 視線はベルンハルトにむけたまま、片手で木の精霊まで召喚したの? 一体どれだけの精霊がここにいるの? 背中を冷たい汗が流れて行ったわ。 キーンと剣がぶつかる金属音が響いたとき、ジョルジュの呪文の言葉が重なって、その途中で止まってしまった。 何があったの? そっとそちらを伺うと、水龍がジョルジュの体を取り巻いていたわ。そして、いつの間にかベルンハルトののど元に、子どもは剣を突き立てたのよ。つづく
September 9, 2022
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ニコラスは早速私の部屋を訪れて嫌味を言う。だけど、あの時のギルバートの殺気だった目つきを思い返せば、こんなの可愛い物よ。「わかったわ。少し、策を練ってみるわ」 ゆっくり体を休める暇はなさそうね。リハビリだと言って、街を散策していたら、公園の片隅のベンチに近衛兵姿の若い男が座り込んでいるのを見つけたわ。少し離れた場所から見ていると、どうやら悩み事がある様子。「あの、どうかなさいました?」「ああ、聖女様。いえ、大丈夫です。少し、休んでいただけなので…」「まぁ、無理はいけませんわ。お顔の色がよろしくなくてよ。今、飲み物をお持ちしますわ」 近くの住民に水を分けてもらって持って行くと、男は恐縮しながらそれを一気に飲み干した。「なにか、お辛いことがあったのですね。このベンチは、ちょうど人の目が届かない場所。私でよろしければ、お話、伺いますわ」 男は、深いため息をついて、疲れたように笑ったわ。「聖女様にはお見通しなんですね。実は、皇太子殿下から、近衛隊隊長に私を推していると言われていたんですが、先日発表された人事異動で、別の人間が就任することがわかったのです。私に与えられたのは、副隊長でした。新しい団長は、文官上がりの人間で、護衛についてはなにもわかっていないのです。結局近衛団長としての仕事は私に回っているのに、肩書だけは取られている。そんな感じになってしまったのです。殿下は、もう少しがんばれと笑っておっしゃったのですが、あんなにはっきりと次は私に任せるとおっしゃっていたのに…。もう、何を信じていいのか分からなくなったのです」「まあ!それはお辛かったでしょう。あの、よろしかったら、もう少しお話を伺ってもいいかしら。人に話すと、気持ちも整理できるといいますわよ。あなた、お名前は?」「ベルンハルトと言います」 ふふ、ベルンハルトはいわゆる脳筋というやつよ。単純で扱いやすいし、ちょっと褒めれば犬のようにしっぽを振ってくる。ちょうど手先になって動いてくれる駒が欲しかったところ。すぐに魅了の魔法で手中に治めたわ。彼には、役に立ちそうな魔術師や召喚士を見繕ってもらわなくてはならないわ。さしあたり、討伐支援センターで魔獣の討伐をしながら見繕ってもらうことにしたわ。 でもその前にも、ずいぶん役に立ってくれたわ。私が大聖堂に戻ったことで、ギルバートが何度もやって来ては、私と会わせろと言ってきたの。何度門前払いをしても、ことあるごとにやってきたわ。そしてしまいには、ベルンハルトと戦うことになったの。 ギルバートには理解できなかったでしょうね。どうして近衛の副隊長まで上り詰めたベルンハルトが私の護衛をしているのか。 だけど、そのうちギルバートも来なくなったわ。何よ、あんなに大事にするとか言ってたくせに。もう知らんぷり? その間に、私はもう一人子供を身ごもったわ。だけどやっぱり希望する子供はうまれなかった。どうして男ばかりうまれてしまうの? 私が欲しいのは銀髪の女の子なのに!そういう私に、ニコラスは平然と、孤児院にでも入れておけと言い放ったわ。「言っただろ。国を作り替えるんだ。お前は女神になるんだ。多くの国民の生活を守るためには、多少の犠牲は必要なんだ」「そうね。分かったわ。私を怒らせたらどうなるか、そろそろカーティスにも分からせてあげるわ」 いったん解術されていた文官や侍女たちを、再び魅了の術で駒にして、少しずつ王宮の様子が分かるようになってきたころ、突然、ギルバートが大聖堂に乗り込んできたのよ。信者を装ってやってきた彼は、まんまと私と面会することにこぎつけたわ。「ネージュ、まだ分からないのか?! 君のやっていることは、小さな子供の駄々っ子と同じだ。いい加減にしろよ。フィンはもう5歳になるんだぞ。あいつは…母親の愛情も知らないのに、素直ないい子に育っている」「フィン? 誰の事?」 その瞬間、ギルバートは今までの用心深さも、冷静な判断も失くしてしまったのね。差し出された紅茶を一気に飲み干したのは、冷静にならなければとでも思ったんでしょう。もちろん、ちゃんと一気飲みできるように人肌に冷ましておいてあげたわ。そして、毒が体に回るまでの数秒、彼はずっと私を見つめていたわ。悲しみと愛おしさとをその瞳に称えて。その瞬間、心臓を一突きにされたような衝撃が走ったわ。どうして?どうして気づかなかったの?こんな毒、あなたならすぐに気づいていたでしょ? 体中の血が逆流するような気持ち悪さで、彼の姿から目を離せなかった。そして、そのまま気を失う様にギルバートは倒れたわ。もう、引き返せない。そう、新しい国に作り替えるためには、犠牲は必要なのよ。「ベルンハルト、後片付けをお願い」「まったく、でかい図体しやがって」 そのまま魔獣の討伐先でなくなったことにして、私はギルバートの訃報に悲し気に泣き崩れて見せたのよ。 家主が亡くなって葬儀が終われば、次に行うのは遺産相続よ。ギルバートの実家は裕福だから、何も言ってこないとは思っていたけど、こどもが一人残っていたのよね。早々に、ベルンハルトのところに放り込んで、頃合いを見て消してもらうことにしたわ。「フィン様!」 侍女のアンナがぐずぐず泣きながら子供を見送っているのを聞いて、ああ、この子供がフィンだったのかと気が付いたわ。小さい体に似つかわしくない魔力の圧に、ゾクっと背筋が寒くなって、身の危険を感じるほどだった。 隣に小さな竜を連れているところを見ると、ギルバートにでも召喚してもらったのかしら。 センターについた子供は、案外素直に雑用をしていると聞いたわ。あの寒気がする魔力は、お馬鹿なベルンハルトにも分かったらしく、なんとか自分たちの駒として使えないかといろいろ考えているようだったけど、本当にバカね。あんな化け物、あの人に対処できるはずないのに。つづく
September 8, 2022
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「私が何も知らないとでも思っているのですか? 王太子殿下と結婚できなかったことで、ずいぶん荒れていたじゃないですか。今度の結婚相手、爵位も何もない次男坊なんでしょ? 本当にそんな相手でよかったんですか?あなたはUNLIMITEDかもしれないとまで言われている存在なんですよ。次の大聖女という噂も耳にしています。今のままでは、あなたが可哀そうだ。あなたはもっと国にあがめられるべき存在なのです。」 正直、心の中を見透かされているようで、寒気がしたわ。だけど、ニコラスの甘美な言葉は、私の心を揺るがすに余りあるものだったわ。「私にどうしろと?」「悪いようにはしませんよ。あなたには膨大な魔力がある。そして、豊穣の祈りができる貴重な存在だ。国を新しくしたら、女神としてあがめられるべき存在になっていただきます。大丈夫。私がご指導いたします。」 部屋を出ても、ニコラスの言葉が頭から離れなかった。きっと、自分を認めてもらうことに飢えていたんだわ。 あっという間に挙式を終え用意していた新居に住まいを移すと、、ギルバートから労わるように言われたわ。「ネージュ。俺は召喚士だから魔獣の討伐で家を留守にすることが多い。だから、寂しい思いをさせてしまうかもしれないが、どうか許してほしい。この家は、カーティスから君との縁談の話を聞いて建てさせたものだ。俺のいない間、好きなように暮らしてくれていい。これからは夫婦なんだから、なんでも遠慮せず話してくれ。」 天才召喚士のイメージからは想像できないぐらい、照れ臭そうにはにかみながら言ってきたけど、この人ったら殿下の幼馴染で、数々の偉業を成し遂げたと言われているのに爵位も受け取らないっていうじゃない。爵位のない貴族なんて貴族でもなんでもないわ。悔しくて逃げ出したい気持ちになっていたとき、お腹に子供がいることが分かったの。まったく、私の計画はまだこれからだって言うのに、子どもなんて足枷に過ぎないわ。妊娠しても聖女としての仕事は続けていたわ。こればかりは仕方がないわね。大聖女様はもうご高齢だし、次に大聖女となるのはどう考えても私でしょ? カーティスは分かっているのかしら。この国の未来を握っているのは、この私だってことを。私を選ばなかったことを、後悔させてあげるわ。 私のお腹が大きくなってくると、ニコラスは何やら計画が狂ったと文句を言っていたわ。だけど、こればかりは仕方がないわよ。それに、もしもこの子が銀髪の女の子なら、きっと私と同じ聖女になりえるわ。 臨月に入って、家でおとなしくしていると、ギルバートがご機嫌でおなかをなでたりしていたわ。そんな姿を見ると、少しだけ胸のあたりがチクっと痛む。この人は、カーティスに振り回されているだけなのに、どうしてそんな幸せそうな顔をするの。そんな折、おもしろいニュースが飛び込んで来たの。大司教が急死されたと。 ああ、なるほどね。ニコラスはうまくことを運んだんだわ。うわべは悲し気な顔をしながら、私は計画が少しずつ進んでいるんだと感じていたわ。 そんなある日、もうすぐ予定日だという頃になって、珍しくギルバートが私に真剣な表情で話があると言ってきたの。「ネージュ、俺が君の企みに気付いていないとでも思っているのか?悪いことは言わない。くだらない逆恨みはやめて、この子と一緒に幸せな家庭を作ろうじゃないか」 私は、まるで何も知らないのに責められているかのように振舞ってみたけど、ギルバートは思っていたより頭のいい男だったわ。「王宮内の文官や侍女の中にもおかしなことを考える者が出てきた。どいつもこいつも、君と接触がある連中ばかりだ。まさか、国家転覆でも企てているんじゃないだろうな。」 私の様子を確かめながら話す彼と、目を合わせられない。そんな私の両肩を掴んで、訴えるギルバートの瞳には悲しい色さえ見えたわ。「分かっているのか? 君は聖女なんだぞ。国のために尽くす使命を持っているのではないのか?」「貴方に何がわかるの? 誰もかれも、私の気持ちなんて聞いてくれない!私は、…。私は、カーティスと結婚するはずだったのよ!それなのに、こんな…」 気が付いたら、ひどいことを口走っていたわ。こんなこと、訴えたって、この人には関係なかったのに。「ネージュ。…それはすまなかったな。だが、貴族の結婚には王家の許可が必要だ。君がどれほどあいつを想っているかは知らないが、この縁談は、カーティス自身が言い出したことなんだ。諦めろ。はぁ。今は、出産前で気が高ぶっているんだよ。少し休んだ方がいい」 胸がキリキリと痛んだ。本当は、もうカーティスのことなんて、とっくに諦めていたんだと、ギルバートの言葉を聞いて気が付いたのよ。 彼は、こんな私を抱きあげて、ベッドに連れて行ったわ。そして、この銀の髪を丁寧にすきながら、額にキスをしてきたわ。 ギルバートは、公爵家の次男だから、上位貴族の出身。今までの功績を考えても、侯爵としての爵位は間違いなく手に入ったはずだった。それなのに、貴族社会が面倒だからという理由だけで、爵位を拒絶したお馬鹿さんよ。だけど、彼は自分の身一つでそこまでの地位を手に入れられる男。親から譲り受けた爵位を守っているだけのひ弱な男より、ずっと魅力的だった。だから、子どもだけは産んであげようと思ったのよ。 もしこの計画が失敗しても、自分の逃げ場ぐらいは作っておきたいですもの。 その3日後、私は赤ん坊を産み落とした。私にはちっとも似てない男の子だったわ。そう、ギルバートにそっくりだったのよ。いとおしそうに赤ん坊を抱き上げるあの人に、思わず失敗作だったと呟いてしまったわ。ギルバートが烈火のごとく怒ったのは仕方ないけど、私の望んだ子どもではなかったのよ! 体が動くようになったら、すぐに大聖堂に逃げ込んだわ。ギルバートの私を見る目が今までと変わってしまったのよ。もう、あの家には居られない。お腹を痛めた子供だなんていうけど、私には何も感じられなかった。 大聖堂に戻っても、あのうるさい大司教はいない。私は元の部屋に戻って、のんびりと過ごすことが出来たわ。「もどったのか。自分の子どもに愛情のかけらもないとは、大した聖女様だな」「大きなお世話よ。私が欲しかったのは銀髪の女の子よ。男では聖女になれないわ」「ふっ。ネージュ、使えそうな駒をそろえたい。体調が悪いと祈りをささげるのも免除しているんだ。こっちの仕事はしっかりやってもらうぞ」つづく
September 7, 2022
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「カーティス様…。私に、その方と結婚しろとおっしゃるのですか?」「そうだよ。僕の大親友だからね。適当な貴族令嬢ではイヤなんだよ。ちゃんと彼を支えられる女性でなくっちゃね」 カーティスは、同意を求めるようにシルビアに優しい目を向けて、腰に手を回した腕に力を込めているのが分かる。恥ずかしそうに頬を染めるシルビア嬢の額に口づけを落として私に向き直った。「次は君たちの番だよ。みんなで幸せになろうね。準備で困ったことがあれば、なんでも言ってくれ。じゃあ、僕たちはこれで失礼するよ。」 あっという間に二人は去ってしまったわ。 夜会と言っても、王家主催のものは絶対出席と決まっている。だけど、私は仮病を使って、夜会には出席しなかったわ。夜会の手伝いに駆り出されていた侍女が話すところによると、やはりカーティスはあの夜会で婚約を発表したらしいわ。翌朝、小さな花束が届いたの。「お大事に」とメッセージを添えてあったけど、送り主の名前はなかったわ。持ってきた侍女が「まぁ!」とほほ笑んでいたから尋ねてみたの。「このお花はクジャクアスターと言って、一目ぼれという花言葉ですわ。どなたからでしょうね。」 そういいながら花瓶に花を生ける侍女を見送ってぼんやり考えていたわ。バラやチューリップのような華やかさはないけど、この花は今の私にはちょうどいい気がしたの。それからしばらくは、豊穣の祈りもサボって、大聖堂の片隅で閉じこもっていた。 最初は心配していた大司教様も、次第にあきれ果てて、ちゃんと仕事をしないなら実家に帰れとまで言われたわ。冗談じゃない。そんなことになったら、実家ごと、いい笑いものになってしまうわ。 もうその頃には真面目に祈りをささげる気持ちにはなれなかった。カーティスの噂が流れてくるたび、もやもやしたこの気持ちは、消えるどころかどんどん膨らんでいったのよ。 そんな時、大聖堂に地方の司教が見学にきたの。彼はまだ若く、神にすべてをささげるのだと懸命に働いていたわ。「見て、ニコラス司教様よ。こんな寒い朝なのに、外回りのお掃除をかって出てくださったの。ありがたいわ」「中の水拭きもなさっていたわ。なんてお優しいのかしら」 他の聖女たちの噂話もすっかりニコラス司教一色になっていた。若くて、そして、整った容姿に優しいまなざし。聖女たちが夢中になるのも仕方ないわね。 そんなある日、ニコラス司教に微かな違和感を覚えることがあったの。控室から出てきた司教とすれ違うと、今までかいだことがないような不思議な香りがしていたの。それに、ちらっと私を見たときの異様なまなざし。「聖女ネージュ、どうかされましたか?」 見透かすような眼差しに、ゾクっと寒気がしたわ。「ああ、この匂いですね? 東方の風邪薬をいただいたのです。体が温まるというので。では、今から外回りの掃除に行ってきます。」 いつものように微笑んではいるけれど、どこか不気味さを孕んだ表情に、私は戦慄を覚えたわ。そのまま後ろ姿を見送っていたら、今度は同じ控室から新入りの聖女がこそこそと出てきたの。動揺した様子で、少しふらついていたから声を掛けたわ。「どうしたの? 具合でも悪いの?」「あっ!…す、すみません。私…。あの、風邪を引いたみたいで、その…」「まぁ、大丈夫? お部屋まで一人で行けそう?」「ええ、ご親切にありがとうございます。少し、休んできます」 彼女からも、同じ香りがしていたわ。瞳孔が開いたような、普通じゃない様子だった。私の中の本能が警告を発していたわ。きっとあの男の近くにいては危険に巻き込まれる。本能的に悟った私は、カーティスからの縁談の勧めを拒めなかったの。 その頃には、カーティスは二人の子どもの父親になっていた。王宮主催の夜会に呼び出され、改めて以前話していた幼馴染との縁談を勧めてきたのよ。王族からの縁談が断れないのは貴族の常識。周りには並みいる貴族たちが興味津々で見つめていたわ。もちろん、私にも大聖堂から離れたい動機はあったのだけど。「おお、これは! 豊穣の聖女様と天才召喚士様を引き合わせるとは、さすがは殿下ですね」「本当に、凄腕のギルバート様と豊かな魔力の持ち主のネージュ様なら、どんな素晴らしいお子さんが生まれか楽しみですわ」 貴族たちがはしゃぐ声を、他人事のように聞いていた私に、日焼けした精悍な顔つきの男が、照れ臭そうに「はじめまして」とほほ笑んできたわ。だけど、いざとなると、目の前にカーティスがいるのに、他の男に微笑みかけるなんてできない。そっぽを向く私に、ギルバートはまったく挫ける様子がなかったわ。 私の生活が替わろうとしている最中、例の司教と控室から出てきた聖女が、退職して実家に帰ったと聞いたわ。なんでも、父親の分からない子を孕んだとか。そんな噂を聞いた最中、ニコラス司教から声がかかったの。もちろん私は身構えたわ。「ニコラス司教様、私は近々結婚する身でございます。良からぬ噂が立たぬよう、会談の際は扉をあけておいてください。」「ああ、そうだね」 そういいながら、ニコラス司教は一番奥まった控室に私を連れて行ったわ。「では、単刀直入に聞くよ。聖女ネージュ、君はこの国に不満を持っているだろう?」「はぁ?何のお話ですの?」 じっとこちらを見据える色素の薄い瞳は、獲物に襲い掛かる獣の様だったわ。つづく
September 6, 2022
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そろそろ結婚適齢期と言われる17歳の春、大聖堂にやってくる人々の噂を耳にしたの。カーティスが立太子するという事だったわ。「そうなのね。じゃあ、いよいよ私を迎えに来てくれるんだわ。」 シャンパンゴールドの輝く髪にペリドットの瞳、正装した彼は、きっと世界で一番かっこいい王子様だわ。そして、その隣には、銀髪にこの高貴なアメジストの瞳を持つ私が並び立つのよ。なんてお似合いのカップルなの。考えただけで体温が上がっていくのが分かる。はぁっと熱いため息をついて、つい浮かれてそんなことを口にしてしまったら、侍女が憐れんだ顔をして小さくため息をついていたわ。「ネージュ様。王太子妃は、膨大な知識を必要としますから、聖女として働きながら王太子妃教育を受けるなんて、とても無理ですわ。」 大きなお世話だわっと、その時は思っていた。幼いころから、周りの大人にネージュはきっとUNLIMITEDだと言われ続けている。どこまでも際限なく魔力を出し続けられると言われている「UNLIMITED」は国の宝だもの。王子が放っておくはずがないわ。 それから2,3日もすれば、王宮から夜会の招待状が届いたの。ああ、これで決まりだわ。この暗い大聖堂の部屋ともおさらばよ。そう思うと笑いが止まらなかった。「夜会にはどのドレスを着ようかしら。実家から送くられてきたドレスは、まだ何着かそでを通していないけど」「恐れながら申し上げます。ネージュ様、聖女様はロープをお召しになることに決まっておりますわ。教会からも新たな正装用のローブが届いております。」「あら、ローブを着用しなさいとは言われてなくてよ?」 意地の悪い侍女を睨みつけて言ってやったわ。だけど、侍女は怖がりもせずに言い返すのよ。「ネージュ様、今回の夜会には大聖女様や他の聖女様も招待されています。みなさん、ローブを着て参加されますのに、ネージュさまお一人だけドレスでは、おかしいですわ」 まるで私を心配しているかのようなその顔を、ちらっと見たけれど、あの時の私にはどうでもいいことだった。そう、私はその夜会で、王太子の婚約者として発表されるんだもの。ローブでは華がないのではなくて?「ふふ、そうかしらね」 そんな侍女を軽く往なしながら、ドレス選びは別の日にすることにして、その日も祈りの間へと向かったわ。 一日の祈りを終えると、控室にカーティスが待っていたわ。透き通るようなペリドットの瞳が、私を見とめて柔らかく微笑む。ああ、ついにこの時が来たんだわ。胸の奥がきゅんとなって、私は嬉しくて彼の元に駆け寄ったわ。「カーティス様!来てくださったんですね」「これ、ネージュ。殿下に対してその口の利き方は不敬ですよ」 通りかかった大聖女様にささやかなお小言を賜ったわ。「あ、申し訳ございません。今日はご公務だったのですね」 身分を隠した商人の姿でなかったことを失念していた私は、素直に謝罪を口にしたわ。「気にしなくていいよ。今日は、ネージュに伝えておきたいことがあって、来たんだ。」 カーティスはそういうと、近衛兵に目配せしたわ。そして、王族だけが使える部屋に案内され、ドキドキしながらついて行ったの。そう、いよいよ彼からのプロポーズがあるんだわ。そんな期待をおくびにも出さず、しずしずと彼に続いて入室したの。「ネージュ、君は僕の友達だから、真っ先に紹介したいんだ。シルビア、おいで。」 カーティスが扉のむこうに声を掛けると、そっと扉を開けて恥ずかしそうに可憐な令嬢が入ってきたわ。幸せそうに頬を桜色に染めて、ちらっとカーティスに視線をやりながら近づいてきた彼女は、美しく礼をして、私に微笑んだ。「初めまして、シルビア・マーロンです。ネージュ様。お菓子を喜んでくださっていると、いつも殿下から伺っております。貴族令嬢がお菓子作りだなんてと、家の者には叱られるのですが、これが私の趣味なんですの。殿下から、宮仕えの方や教会の皆さまにも配っていただいているのですが、ネージュ様はいつだって、おいしいと喜んでくださると伺って、ぜひ、一言お礼を申し上げたかったのです。本当に、ありがとうございます」 え、あれは、私だけのためにカーティスが用意してくれていたのだとばかり思っていたのに、どういうことなの?「聖女ネージュ、君の魔力は、我が国でも5本の指に入る素晴らしい物だ。豊穣の術を使えるのは、大聖女マリアンと君だけだからね。いつも感謝しているよ。それでね。今度の夜会で君に紹介したい人物がいるんだ。彼は、幼いころからの親友で、天才召喚士と呼ばれている。明るくて、朗らかで、すごくいい奴だんだよ。きっと君とは相性がいいと思うんだ」戸惑いでカーティスの言葉がうまく理解できない。お菓子作りをしている女性がお礼を言いに来たのはいい。だけど、カーティスの親友と相性がいいとはどういうこと? 受け入れられないまま、中途半端な返事をしてしまう。「まぁ、カーティス様の幼馴染なら、これからも親しくお付き合いさせていただくことになりますものね」「あ、いや。そういうことではなくて…。」 カーティスは、先ほどお礼を言っていた令嬢の腰にそっと腕を回して引き寄せると、照れ臭そうに話し出したのよ。「僕たちは、次の夜会で婚約を発表することになっている。それに続いて、君にもいい相手を紹介したいと思っていたんだよ。彼、ギルバート・ハーパーは、戦いには果敢に挑んでいく頼りになる男だけど、女性には弱くてね。追いかけられると逃げ出すような奴なんだ。だから、君みたいにすなおで優しい女の子がいいんじゃないかと思ってね。」 ペリドットの瞳が細められ、私の笑顔が綻ぶのを待っている。待っているのは分かるけど、私には到底受け入れられないことだったわ。つづく
September 5, 2022
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第3章 聖女ネージュ「ご公務、お疲れ様でございました。」 侍女たちの貼り付けたような笑顔に吐き気がする。もう、何年こんな生活が続いているのかしら。 先日の大聖女様のお茶会では、若い聖女を除いてはみんな伴侶を持っていた。夫に従い、国のために奉仕する? 次の世代のために、子どもたちにはたっぷりと愛情を注ぐ? ふふ、くっだらない。自分のために生きて何が悪いの? はぁ、少し外の風にでもあたりたい気分だわ。こうして、ベランダに出たとしても、たまたま居合わせた国民に見とめられ、頭を下げられる。私を見て「ありがたい」とつぶやいているのが分かる。はぁ、放っておいていただきたいわ。 部屋に戻って、先ほどの侍女が淹れた紅茶を口にすると、生ぬるくなっていたわ。 どうして思い通りにならないの?いつから私の人生は、おかしくなってしまったの?外は夜のとばりが下り始め、みんな温かな家の中に入ってしまう。私にも、そんな風に帰る場所があったはずなのに。 侯爵家の第3子として生まれた私は、二人の兄の後に少し年数を置いて生まれた女の子ということもあって、文字通り目に入れても痛くないと言われるほどに愛されて育てられたわ。生まれついての豊かな魔力は豊穣の属性を持っていて、幼いころから聖女様と崇められ、そのあふれんばかりの魔力で国を豊かにするようにと教育されてきた。 何不自由ない暮らし、少しほほ笑んだだけで「ありがたい」と頭を下げる人々、そして、銀色に輝くつややかな髪とアメジストのような高貴な紫の瞳。それを最大限に生かした整った容姿で、王女様にも負けないほどの人気だった。 だけど、他の子たちが楽し気に外で遊んでいても、それに加わることは許されなかったわ。野の花を摘んだり、他の子とかくれんぼしたり、ブランコに揺られたり、なによりお日様の光を浴びて、自然の中を駆けまわることをずっと夢見ていたけど、誘拐される危険性があると言われ、どれも叶わなかった。「ネージュ、あなたはこの国の女神なのよ。あなたが祈りを捧げなければ、この国は簡単に滅んでしまうわ。あなたにはそれだけの価値があるのよ。」 母はそういうと、新しいドレスやきらびやかな宝石を買い与え、大人ばかりが集う夜会に、自慢げに私を連れまわしたわ。「まぁ、なんて美しいご令嬢でしょう。こんなに小さいのに、気品に満ちていらっしゃるわ」「ネージュ様、もうすぐ我が領に新たな果樹園が出来上がります。どうか、豊穣の祈りをよろしくお願いします。」「まるで天使の様なお姿ね。それに、素人の私にも分かるほどの豊かな魔力ですわ。もしかして、これが噂のUNLIMITEDという存在なの?羨ましいわぁ」―「UNLIMITED」 どんなに魔力を使ってもまったく目減りすることがない特別な存在―魔力を持つ者が多いこの世界において、魔力の量は能力を如実に表すもの。自分の持つ技術を発揮すれば、それだけ魔力は目減りするのが普通。それなのに、この存在は、学べばどんどん技術が身に付き、多岐にわたるフォーメーションを組んでも、数多くの精霊と契約を結んでも、疲れることがないと言うわ。 幼いころから大聖堂に通い、魔力を発揮し続けているのだもの。経験値が後押しして、私の魔力はどんどん豊かになっているわ。UNLIMITEDと言われる日もきっと近いはず。「ほほほ。ネージュは生まれたときから豊かな魔力に恵まれておりますの。13歳になれば、大聖堂に住まいを移して本格的に聖女としての活動に入りますのよ。皆さんとまじかでお目にかかれるのもあとわずかですわ。」 その夜、私は初めて自分が近いうちに大聖堂に入れられてしまうことを知ったわ。あんなにかわいがっていたのに、どうしてそんなに簡単に娘を手放すことにしたの?幼かった私には、その意味は分からなかった。 もちろん、今ならよーくわかるわ。私が大聖堂に入れば、莫大なお金が実家に入る。見栄を張ってドレスや宝飾品を買い与えて夜会に行くには、私はお金がかかりすぎたのよ。それよりも生活の全てを大聖堂に任せ、お金だけが入ってくる方を選んだってわけ。だけど、何も知らない私は、けなげにも懸命に祈りを捧げ続けていたわ。大聖堂にいる天使のような小さな聖女。その噂は、王宮にまで広がり、当時、立太子前だったカーティス王子の耳にまで入ったのよ。そうよ。そこから私の人生は狂い始めたのよ。 初めて彼に会ったのは、まだ大聖堂に住まいを移す前の10歳にも満たないころだった。裕福な商人の子息のような服装でこっそり遊びに来たカーティスは、大人に混じって祈りをささげていた私に興味を覚えたの。時々やってきては、私にだけ、こっそりお菓子を手渡してくれたわ。「ネージュ、今日も懸命に祈っていたね。君が祈りをささげる姿は天使の様だ。疲れてはいないかい? 今日も甘いものを持ってきたから、侍女に紅茶を淹れてもらうといい。」 どんなに着崩していても、王家の気品は隠しきれない物ね。それは、今まで経験したことがない敗北と憧憬がないまぜになった気持ちだったわ。シャンパンゴールドのつややかな髪を後ろで緩く束ねて、ペリドットのような涼やかな緑の瞳で微笑まれると、我を忘れて見入ってしまう。そんな彼に夢中になるのに、時間はかからなかったわ。 いつしか、自分はカーティスの妻となって、この国を支えていくんだと思う様になっていたの。つづく
September 4, 2022
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「じゃあ、誰が黒幕なんだろう? 聖女に簡単に謁見出来て、指示を出せる人物…。」 僕が考えを巡らせていると、レオナールさんが具体的な名前をあげていく。「カーマイン首相、ヴィクトリオ第一王子、ウェイン第二王子…、いや、ヴィクトリオ王子はそのまま王太子になるだろうから、余計なことはしないか。もう少し内偵を進めておくよ」「あの、先日王宮に上がりました時には、陛下からカーマイン首相にも情報は行っておりました。カーマイン首相からは、大聖堂の中で何かが起こっているんじゃないかと。政府としては、宗教色の強いエリアには手を出せないとのことでした。」 ショーンもしっかり調べているようだ。「そうか。レオナール、大聖堂の方もよろしく頼む。ところで、アル。エメラは見つかってないのか?」「はい。あの手の箱は全部見たけど、見つからなくて」 ホワイトさんに尋ねられたけど、どんなに探しても見つからない。やっぱりショーンが言う様に聖女に持って行かれてしまったんだろうか。「しかたないね。アル、気にしないで。縁があったらきっと会えるから」 輝くような赤色の瞳を細めて、ルビーさんが慰めてくれる。改めてここに集まった人たちの顔を順番に眺めていく。父上は、こんなすごい人たちと仕事をしていたんだな。だからか。討伐に行くときも嬉々として出かけていたんだ。 僕も早く、ここにいる人たちに認めてもらえるような大人にならなくちゃ。 しばらくすると、ヒューイがやってきた。それを合図にホワイト家の料理人が腕を振るった最高においしい料理がどんどん運ばれてくる。 大人たちはお酒を煽ってご機嫌だ。あれれ?さっき感じてたかっこいい大人ぶりはどこに行ったんだろう? まあいいや。僕はヒューイと一緒にいろんな料理を食べ比べして楽しんだ。「ねえ、ヒューイの家もこの近くなの?」「僕の家はホワイトさんの家と王宮のちょうど真ん中あたりにある手紙通信社だよ。配達物があるときは声を掛けてね」「ありがとう。僕は11歳になったところだけど、君はいくつ?」「もうすぐ10歳なんだ。うちでは9歳まではお手伝い扱いなんだけど、10歳からはお給金を出してくれるんだ。兄さんもそうやってお小遣い稼いでいたって言ってたから、僕も楽しみなんだよ」 楽しそうに話すヒューイにはお兄さんがいるんだ。兄弟がいるって、どんな感じなんだろう。「仕方ないな。朝飯を食べたら鍛錬場に行くぞ」「フィン、せっかくだから、俺たちで連携して必殺技を考えようぜ」 不意にブルーノの声がしたように感じて、鼻の奥がツンとなった。「兄さんは剣術が上手だから、騎士団に入れたんだ。今は住み込みで働いているよ。アル、兄弟はいないの?」「うん、僕は一人っ子だから。兄さんがいるのって羨ましいよ」 そんな風に話していると、キラキラした二人がやってきた。「なんだなんだ?そうやっていると、お前たち二人が兄弟に見えるよ。なんとなく、雰囲気も似てるしな」「ホントだね。 僕たちもよく似てると思ったけど、君たちも兄弟みたいだよ。」 レオナールさんが言うと、ルビーさんも同意していた。この二人、見た目は全然違うのに、王子様然としたところはそっくりだ。「ふふ、じゃあ、ホワイトさんとラピスさんは、おじさんチームだね」「お前たち何をこそこそ話してるんだ? おじさん? ただのおじさんじゃねーぞ。イケオジってやつだ。がはははは」 あは、ホワイトさんに聞き留められて、頭をぐしゃぐしゃに撫でまわされた。「ところでアル。彼らを召喚したままにして、討伐にも参加して彼ら以外の契約者も使っているのか? それで、魔力の方は大丈夫なのか? 一度に何人もと契約するだけで大変な魔力の消費だって聞いてるが…」「魔力の消費、ですか? えーっと、考えたことなかったなぁ。 魔力が減るとどうなるの?」 ホワイトさんは心配そうに僕を見ているけど、今まで考えたこともなかった。戸惑っていると、レオナールさんが呆れたように説明してくれた。「召喚士が契約すると、彼らを保つために常に一定量の魔力が消費されるんだ。欲張っていろいろな契約をしたら当然召喚士の魔力はどんどんなくなって、疲れて動けなくなるんだ。まあ、お前には関係ない話だろうけどな。」「ええ? 全然堪えてない感じだな。こりゃすごいなぁ」 みんなが呆れたように笑っている。えっと、僕ってなにかおかしいのかな。父上からはなにも教えてもらってないんだけど。 お腹がいっぱいになると、宴はお開きになった。帰っていくレオナールさんに声を掛ける。「森を抜けるとき、鍛錬場でブルーノと僕が試合した一般人の人が襲ってきたんだ。リーダーさ…いや、ベルンハルトに雇われて僕を殺せと言われていたらしい。蔓でぐるぐる巻きにして拘束しておいたんだけど、見なかった?それから、受付にいたミゼルさんもベルンハルトの仲間だった。僕の事を小鳥になってずーっと監視してたから、途中で鳥かごに入れて放置しておいたんだけど、それはどう?」「ああ、あれはお前の仕業だったか。不思議な形の蔓にしゃれこうべが乗っていた。鳥かごは見なかったなぁ。」 レオナールさんは、ふっと笑顔になった。「たくましく育ってるな。その判断、正しかったと思うよ。アルの活躍は、こっちのセンターにも噂が流れている。ベルンハルトは、うちのチームに引き入れる方法はないかって、考え込んでた。ふっ。じゃあ、俺はそろそろセンターに戻るよ。またな」 レオナールさんを見送って、僕たちも自宅に戻った。つづく
September 3, 2022
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しばらくすると、ショーンが再びやってきた。「アルバート様。お手紙が来ています」「ありがとう」 急ぎみたいだったので、すぐさま封を開けてみたら、中身は招待状だった。ホワイトさんが、僕のためにモルド家歓迎パーティーを開いてくれるそうだ。レオナールさんも来てくれる。じゃあ、ラピスさんやルビーさん、それから今までの事に詳しいショーンにもいろいろ教えてもらって、情報共有をしなくちゃ。 ラピスさん、ルビーさんに事情を話し、パーティーまでの間の情報収集をお願いした。 ホワイトさんからの招待で、初めてのパーティーに参加する。王宮に行くわけではないので、少し気が楽だ。 ショーンと連れ立ってホワイトさんの館を訪ねると、すでにレオナールさんがソファでくつろいでいた。「フィン! 元気にしていたか? ヒューイに声を掛けてくれたんだな。ありがとう。」 レオナールさんは相変わらず王子様みたいにキラキラしている。「リーダーがずいぶん勝手な真似をしたようだね。俺たちに挨拶もさせてくれないなんて。」「レオナールさん、ブルーノは本当に魔獣にやられたの?一体どうなっていたのか教えてよ。」 きれいな眉をきゅっと寄せて、辛そうな表情を見せたのは一瞬だった。だけど、レオナールさんは意を決したように語りだした。「フィン、ここにきているという事は、すでにベルンハルトの企みについてある程度聞いているんだろ? 俺は、あいつの行動を監視するためにあの討伐チームに潜伏していたんだ。あの討伐の日、命を落とすのはフィンのはずだったんだろう。やたらと守ってやるからと剣を持って行くなと言ってただろ?それに、その鞘には身を守る魔法が掛けられている。それに気づいて、計画を変更したんだろう」「どういうこと? 魔獣が近くにいるって言われていた時、僕は靄の中にいて、ちっとも前が見えなかった。手探りで前に進もうとするけど、うまくいかなかったんだ。ブルーノの声は聞こえていたのに」 話しながらも手に力がこもって握り締める。レオナールさんは頷きながら、深いため息をついた。「それこそがあいつの狙いだったんだ。ブルーノをけしかけて無茶な突っ込み方をさせ、フィンには足枷をつけて行かせない。周りから見たら、ブルーノが呼んでいるのに、フィンが無視して行かなかったように見えるんだ」「そんな…」「どうせお前のせいでブルーノが亡くなったんだから責任を取って出ていけとでも言われたんだろ?街にはあの森を通らないと帰れない。森に刺客を放って仕留めようとしていたんだろう」 図星だった。「俺たちには、フィンが勝手に出て行った。やっぱりあいつはわがままな困ったやつだったと話していた。」「チクショー…。ブルーノを何だと思っているんだ!」 不意に、レオナールさんが僕の頭を抱え込んだ。「お前、今までずっと溜め込んでいただろう? 思いっきり泣いておけ。この騒動が終わったら、ブルーノの墓まで連れてってやるから、気が済むまで泣いたら、あいつらの悪事を暴いて、ブルーノの無念を晴らしてやろう」 気づいたら、声をあげてワーワー泣いていた。そうか、僕は悔しかったんだ。そして、悲しかったんだ。 ひとしきり泣いて落ち着いたところを見計らってか、ホワイトさんが紅茶を持って来てくれた。「ここにいるときは、子どものままでいいんだぞ。全部終わったら、ギルバートにも報告に行かないとな」 そういうと、僕の口にイチゴのタルトを放り込んだ。イチゴがすっぱくて、涙も引っ込んでしまった。「アルバート様、そろそろお二人にもきていただきましょう」 ショーンが声を掛けてきたので、早速呼びかけると、ラピスとルビーが現れた。それを合図に、ホワイトさんはみんなに席を勧めて見渡した。「皆、今日は集まってくれてありがとう。みんなも知っているとおり、ベルンハルトとネージュによる王国乗っ取り計画はまあ、そう簡単には進んでいないようだ。しかし、アルも命を狙われたことだし、陛下からも依頼があった。ここは我々の出番じゃないだろうか?」 その場にいた皆が頷いている。「内偵を進めている僕の部下からの報告では、ネージュの上に、誰か指示を出している者がいるらしい」「聖女に命令できる人物か…。司教はどうなんだ? こんなやりたい放題の聖女に注意すらしないのか?」 レオナールさんの報告に、ラピスさんが問う。「ニコラス大司教は、前の大司教が突然亡くなったので繰り上がりで大司教になった人物だから、どうも強く言えないみたいだね。僕も遠巻きに観察したけど、気の弱そうな人物だった」 ルビーさんが言うと、ラピスさんはうなり声をあげて腕組みした。
September 2, 2022
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家に帰ると、アンナが夕食を作って待っていてくれた。帰るのがすっかり遅くなったのに、申し訳ないことをした。 明日からは、新たな仲間を見つける作業が待っている。ラピスさんと同じように、契約者として認めてもらえるといいのだけれど。期待と不安でないまぜになりながら、僕はベッドにもぐった。 翌日、早々に作業場に行き、ラピスさん、ショーンと三人で遺品を選別していくと、またしてもきれいな装飾の箱を見つけた。やっぱり手に取っただけで蓋が開いて、炎のような赤い髪の男の人が現れた。「ギル、呼んだ?」 浅黒い肌に鮮やかな赤い髪、レオナールさんとは違うタイプだけど、真っ白の軍服姿が王子様みたいにかっこいい。ルビーのようなきれいな赤い瞳には、賢さと気品と、そして鋭さを感じる。「えっと、ギル。なんの冗談なの? これ、ラピスがやったのかい?」 ラピスさんは楽し気に笑っている。「あの、僕、ギルバートじゃないです。ギルバートの息子のフィン・ハーパーです。」「え?!」 知的な表情が一瞬消えて、彼の素の表情が現れた。なんだかちょっとだけ子どもに見える。「だけど、この魔力は…」「だよな。私も驚いていたんだ。昨日、やっと召喚されて出てきたら、目の前にこの子がいたんだよ。これは、奇跡に近いかもしれないな」「そうだね。それに、ギルより膨大な魔力だ。ああ、向こうに似なくて良かったよ」 ルビーさんは、ほっとしたような表情で、僕の頭をそっとなでてくれた。「僕はルビー。炎と熱を操る精霊だよ。それで、ギルはどうしたの?」「ギルは…。」 ためらいがちにラピスさんが説明してくれたけど、ルビーさんの目が鋭くラピスさんを射抜いている。「ああ、分かってる。そんな睨まないでくれ、ルビー。ギルが私たちを置いて討伐に行くはずがない。これは、討伐ではなくて捜査だったんじゃないか?」「捜査…。」 考え込むルビーさんにラピスさんから説明がされる。「ショーンによると、ネージュもフィンが帰ってくることを危惧しているようだ。こっちに帰ってきたら連絡しろと命令されたと言っていた。それで、ショーンの手配でフィンはすでに陛下と謁見して別の名前を賜っている。アルバートだったか?」 ラピスさんがこちらに視線を送って聞いてくる。「はい、アルバート・モルドと名乗るように言われました。アルと呼んでください」「モルド…!そうか、よかったなぁ。陛下は君の事を本気で守る気でいてくださるんだね。アル、僕たちも協力する。早くこの企てを白日の元に晒して、ハーパーの名前を取り戻そう!」 きれいな赤い瞳がギラっと光った。振り向くとラピスさんも力強く頷いている。なんだか体の内側から力が湧いてくる感じだ。よし、父上のためにもハーパーを堂々と名乗るためにも頑張るぞ。「ところで、エメラを見ないけど、彼女は召喚していないの?」「それがなぁ。いくら探しても気配がないんだ。」 二人が考え込んでいるところに、ショーンがやってきた。「お茶の準備が出来ました。どうぞ、ソファの方へ」 みんなで隣の部屋に移動すると、ルビーさんの分もしっかり準備されていた。さすがだな。「ねえ、ショーンは前からラピスさんやルビーさんのこと、知っていたの?」「いえ、ギルバート様はお屋敷では武器の手入れをされるぐらいでしたので、お目にかかるのは今回が初めてです。」「ああ、そうだな。私たちはギルから話を聞いているから知っているが、直接会うのは初めてだな」「執事のショーン・テイラーです。どうぞお見知りおきを。」 ショーンは丁寧にお辞儀をすると、皆の前に紅茶を並べていく。「ねえ、ショーン。僕たちと同じような装飾の箱を他では見なかったかい?」「申し訳ございません。主の部屋へは、掃除以外ではできるだけ入室しないようにしておりましたので…。あ、でも。ギルバート様が亡くなった時、ネージュ様が散々家の中を荒らしまわ…、失礼しました。いろいろご確認なさっていたので、もしかしたらその時にお持ちになったかもしれません」「ああ、ショーン。気苦労が絶えないね。でも、もしかしたら、向こうの手に渡ってしまったのかもしれないね。」「ねえ、もしも聖女が無理やり箱を開けようとしたらどうなるの?中の人は傷ついたりしない?」 ルビーの表情が暗かったので、急に不安な気持ちになってきた。ラピスが深いため息をついて答えてくれた。「そうだな。力づくでも簡単には開かないが、箱を壊してまで中を取り出そうとしたら、エメラは消えてしまうだろうな」「そんな…。じゃあ、早く取り返しに行かなくちゃ!」 ルビーがクスっと笑って、僕の頭を撫でまわした。「あ~、アル。君って優しいんだね。だけど、大丈夫さ。宝石箱の中身を取り出すのに、中身を傷つけたりしたら、価値は一気に下がってしまう。向こうも無茶はしないはずさ」つづく
September 1, 2022
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「原因はこれだね!」 そういいながら持ち上げてみると、いきなり蓋が開いて、中からロイヤルブルーのローブを着た魔術師が現れた。袖口や裾には細かい銀の刺繍がされていて、高貴な印象を与えている。父上と同世代ぐらいのイケオジって言われるタイプの人だ。「ふう。やっと扉を開く気になったか。ギルバート、いい加減にしろよ!ここは狭すぎる! ん? ギ、ギル、どうした? 子どもみたいに小さくなって…」 銀髪を後ろで束ね、鼻の下にきれいにカットされたひげを蓄えたおじさんは、驚いたように僕を見つめている。「僕は、フィン・ハーパーです。ギルバートは僕の父上です。」 銀髪のイケオジは目を見開いて驚いていた。 このおじさん、ラピスさんというらしい。父上と契約を交わした魔術師で、討伐には必ず一緒に行っていたそうだ。ホワイトさんの事も知っていて、懐かしいと話してくれた。 ラピスさんが僕に危害を与えないと分かると、ショーンはすぐさま隣の部屋に紅茶を用意してくれた。「アルバート様、お席を設けましたので、こちらでおくつろぎください」「アルバート?」 ラピスさんが眉をしかめて僕の顔を覗き込んでいる。そうだよね。名前が違う。僕はとりあえずラピスさんにソファを勧めて、これまでのことを話してみることにした。「そうか、ギルは亡くなってしまったのか。」 きれいな青い瞳を曇らせて、ラピスさんはそう言ったきり、しばらく窓の外に視線をやっていた。外はすっかり陽が落ちて、かすかにオレンジの雲が残っているだけだ。 そして、何かに気が付いたように、不意に僕に視線を戻す。「しかし、それならこの封印箱も私自身も消え去っておかしくないはず。まさか、子どもの君に召喚術は伝えていないだろうし…。ん?」 言いかけた言葉をそのままに、ラピスさんはじっと僕の瞳を凝視して、「まさか」とつぶやいた。「いや、しかしなぁ。んー。 君、今いくつだ?」「11歳です」「それで、召喚術はいつから?」 僕は、ほんの一瞬ためらったけど、どうせ分かってしまうだろうし、この人は父上と契約していた人だ。2歳で召喚したことや5歳で討伐チームに入れられたことなどを一気に話した。「なんだって!! 2歳で召喚? それも、ギルがいない間にか?」「はい、父上にも驚かれました。僕としては、父上のまねっこのつもりだったんですが」 ラピスさんは、両手で顔を抑えて、「ウソだろぉ」とつぶやいている。「討伐から帰ってきた父上にばれて、それからしばらくは、父上は討伐に行かずに僕に召喚士としての教育と訓練に付き合ってくれました。」「ああ、そうだったな。しばらく討伐に行かないと言い出した時は、驚いたよ。ちょっと事情があってな、なんてニヤついていたのはこういうことだったのか」 その時の父上の顔を思い出したのか、ラピスさんはニヤっと表情を崩していた。「僕が5歳になったのを機に、父上は討伐を再開したんです。だけど、そのまま…。父が亡くなったと母上に知らせが行くと、すぐに母上は家にやってきて、家の中を物色したんです。僕が精霊たちに慰められているのを見た母上は、父上が亡くなったのに、楽し気にしていると激怒して、あっという間に討伐チームに放り込まれたんです。」「え? たった5歳でか?」「はい。だから、向こうでは、雑用係をしていました。」 ラピスさんは、なにやら考えを巡らせるようにじっと一点を見つめていたけど、ふいに視線を僕に戻して尋ねた。「その討伐チームのリーダーはなんという人物だ?」「確か、ベルンハルトって名前だったと。普段は周りからリーダーとしか呼ばれていなかったけど…」 いきなり両肩をガシっと大きな手でつかまれて、僕は身動きが取れなくなった。ラピスさんは、真剣なまなざしで僕に言う。「よくぞ、よくぞ無事に生き延びてくれたなぁ。ベルンハルトはギルや私にとっては天敵だった。ギルの息子だと知られていたのだろう?」「はい。初めは父上みたいに優しかったのに、途中から豹変してしまって、追い出されたんです。一緒に討伐に行った仲間が亡くなって、それを僕のせいだと言われ、他の仲間とあいさつもさせてもらえなかった」「おそらく、聖女の指示だろうな。いや、それとも…」 ラピスさんの話しぶりだと、ベルンハルトは聖女の部下のようだ。それにしても、聖女とベルンハルト以外にももっと位の高い人物がかかわっているなんて、途方もないように思う。だけど、陛下からも力を貸してほしいと言われているんだ。頑張ろう。「もしかしたら、近いうちに動き出さないといけないかもしれないな。アル、私のほかにもギルと契約している奴がいるんだが、まだ出会ってないのか?」「ほかにも仲間がいてくれるの? じゃあ、明日から探してみます!」「よろしく頼む」 ラピスさんは大きな手を僕の頭に乗せて笑った。ああ、この感覚、父上にとっても似てる気がする。胸の奥がじわっとあったかくなる気がした。つづく
August 31, 2022
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「あれ? 君は前に森で会った人だよね?確か、フィンって…」「えっと、僕はアルバートっていうんだ。アルバート・モルド。前の名前は事情があって使えないんだ」「そうなんだ。あ、忘れるところだった。レオナールさんから頼まれてたんだ。もし、君に会えたら、ジョージ・ホワイトさんのところに連れて行ってくれって。会えばきっとわかるとかなんとか。ごめんね。レオナールさんはそれだけして言わなくて。どうする?行ってみる?」 ジョージ・ホワイトさん、どこかで聞いた名前だ。レオナールさんが会わせたいって言うなら、間違いないだろう。僕は頷いて、ヒューイについて行った。 道中、ヒューイからホワイトさんについていろいろ教えてもらった。ホワイトって名前なのに、日焼けしてブラウンだとか、武器を集めるのが趣味で、とうとう今では仕事にしてしまったとか。「武器…。あ、そうか! この剣の鞘を譲ってくれた人だ!」 ホワイトさんの家は、僕の実家のあった場所からそんなに離れていなかった。大きな門をくぐると、こじんまりとした家と、大きな倉庫がある。 ヒューイが慣れた様子で呼び鈴を押すと、のんびりした足音が聞こえてきた。「よぉ、ヒューイ。手紙か…。 おい、こいつはどういうことだ? ギルが子供になって戻ってきたのか?!」「レオナールさんから頼まれていたお届け物だよ。」 ヒューイは楽し気に言う。「そうかそうか」とホワイトさんはご機嫌で家に入ると、バスケットにパンや果物を詰め込んで戻ってきた。「ヒューイ、これは駄賃だ。今度パーティを開くから、その時はお前も来てくれよ。まだこれから仕事なんだろ? 気を付けて行ってこい」「やった!ありがとう。じゃあ、僕はこれで」 ヒューイはバスケットを抱えてご機嫌で森に向かって行った。それを見送ると、ホワイトさんは、僕を部屋に招き入れてくれた。「そのあたりに座ってくれ。今、紅茶を淹れよう」「ありがとうございます。あの、僕…」 ホワイトさんは紅茶を淹れながら「分かってるよ」と頷いた。「見ての通り、ハーパー家から近いからな。いろんな噂が入ってくる。フィン、大きくなったなあ。俺が最後に見たのは、お前が歩き始めたころだ。ギルが肩に乗せて連れてきてな。嬉しそうに見せびらかしやがって…。苦労しただろう。すぐにこっちに呼んでやれなくてすまん。」「そんなこと…。あの、今は国王陛下に違う名前をいただいて、アルバート・モルドって名乗ってます。」「そうか、陛下もご存知なんだな。まあ、あの聖女に知られたら、ろくなことにはならない。名前を変えるのは賢いやり方だな。じゃあ、これからはアルと呼ばせてもらおう」「はい。よろしくお願いします。あ、そうだ! この鞘、レオナールさんから受け取りました。ありがとうございます。」 背中の鞘を見せて言うと、ホワイトさんはぷっと噴出して笑った。「まあ、しかたないな。もう少し背が伸びたら、腰に回せるさ。ほら、ハーブティでも飲んでゆっくりしてくれ」 僕が淹れたての紅茶に息を吹きかけて冷ましていると、ホワイトさんは日焼けした顔をしわくちゃにして笑った。父上も猫舌だったんだとか。僕の記憶にはそんな姿はないけどなぁ。「聖女とベルンハルトは、国家転覆なんていう恐ろしいことを計画してやがる。初めはギルを手中に治めて、思い通りに使おうとしていたんだ。だけど、ギルは飲み込まれるどころか、聖女に心を入れ替えろと訴えた。まあ、無駄だったんだがな。そのうちにフィンが生まれ、ギルが喜んだのもつかの間、ネージュはさっさと一人で大聖堂に逃げ込んだんだ。」 ホワイトさんは辛そうに話してくれたけど、悲しい気持ちは沸いてこなかった。あの人は、やっぱり僕にとっては他人なんだ。それどころか、父上を手玉に取ろうだなんて、とんでもない女狐だ!「お前が討伐チームに放り込まれている間にひと悶着あってな。一時は王宮にいる魔術師や文官たちの何人かも、聖女に囲い込まれていた時期があったんだ。ギルと俺は、実は陛下とは幼馴染でな。ギル亡きあと、俺に内偵捜査の依頼がきたってわけさ。」「じゃあ、レオナールさんも同じように捜査しているの?」「ああ、あいつは本当に有能な魔術師だよ。それから、お前んちの執事。彼も頼りになる」 そうか、ショーンも頑張ってくれていたんだ。僕はなんだか誇らしい気持ちになった。「最初にお伝えしておきます。僕の母親は聖女ネージュらしいけど、母親として接してもらった記憶はないから、二人の企みをつぶすことに異論はないです。」「そうか。まあ、そうなるだろうな。」 それからも、ホワイトさんは父上との思い出話なんかをいろいろ聞かせてくれた。そして、次の日曜にホワイトさんの家でのパーティーに参加させてもらうことになった。 さて、今日は収穫の多い一日だった。やっと家に帰りついて、湯あみをすませ、さっぱりとしてソファでくつろいでいると、ショーンが真剣な顔で、すぐに来てほしいと僕を作業場に急かした。「どうしたんだい? ショーンには珍しいね」「そ、それが。どうもギルバート様の遺品の中に、おかしなものが混じっていて、誰もいないのに、がたがたと音がするのです」 いつも沈着冷静なショーンなのに、今日はどうも落ち着かない感じだ。二人で作業場の倉庫に入ると、確かに微かな音が聞こえている。僕が積み上げられた父上の遺品を一つ一つどけていくと、小ぶりだけど装飾が美しい箱がかすかに揺れていた。つづく
August 30, 2022
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馬車に揺られて王宮へと入っていく。着たこともないタキシードは、光沢のある黒の生地に複雑な金糸の刺繍が施された上品はものだった。黒のスラックスも同じ光沢のある生地で、靴はロングブーツだ。なんだか自分じゃないような居心地の悪さがあるけど、王宮に行くのには必要なようで、いつの間にかショーンが準備してくれていた。「フィン様の黒髪と金の瞳にとてもよく合っています。本当に素敵ですよ」 アンナがそんな風に言ってくれるから、つい浮かれて乗ってしまった。だけど、笑われたりしないだろうか。馬車がゆっくりと止まると、扉を開けて、ショーンが頭を下げている。僕は、習った通り胸を張って頷くと、謁見の間へと進んでいった。「面をあげなさい。」「ギルバート・ハーパーの息子、フィン・ハーパーです。本日は、謁見の機会を頂きキョ、キョーエツシゴクです」「ふふ。緊張せずともよい。うん、ギルによく似ている。此度は大変な経験をしたようだな。もう落ち着いたか?」「はい。ありがとうございます」 陛下は、父上より少し年上な感じがした。じっと僕の表情を見て、満足そうに頷いている。「そなたもセンターに身を置いていたなら知っているだろう。隣国の魔獣はまだ発生し続けている。そなたの魔力が膨大だという事は、ギルから聞き及んでいるよ。どうか、力を貸してほしい」「はい、喜んで」 うむと頷いた陛下が、何かを思いついたように僕の顔を覗き込んで言う。「ギルは私が爵位を与えたいというのに、どうしても聞いてくれなんだ。今のそなたには大人の後ろ盾が必要だろう。どうだ、爵位を受け取ってはくれぬか?」 父上が爵位を受け取らないのは、なんとなく分かる。貴族社会が邪魔くさいんだ。それは僕も同じだけど、それ以外にも母上とのこともある。「陛下、僕には魔獣の討伐以外にも、倒さなければならない組織があるようです。それを済ませるまでは目立つことはできません」「ほう。そなた、なかなか面白いことを言うな。その件については、こちらも調べを進めている。確かに、聖女や大聖堂の関係者の目に触れるのは危険であろう。では、これではどうだ? そなたは、私の友人ということで、月に一度は茶会という名の情報交換をしよう。 やはりカエルの子はカエルだな。ギルと同じやり方を選ぶとは」 文官が陛下の手元から、書類を受け取って持ってきた。トレイに乗せられた書類には、名前が記されていた。「今日からそなたは、アルバート・モルドと名乗るがよい。」「えっ、モルド?」「モルド卿とは、この国の建国の父と言われるビンセント・フォーサイスを支えた右腕的存在だ。アルバートは、私の息子に付けようと考えていた名前でな。王妃の考えた名前に押し切られたのだが、私のお気に入りの名前なのだ。受け取ってくれるか?」 第一王子はヴィクトリオ様、第二王子はウェイン様だ。陛下はお二人のどちらにこの名前をつけたかったんだろう。陛下はちょっとだけ茶目っ気を出して笑っている。きっと僕が緊張しているからだ。体全体から、わっと汗が噴き出してきた。こんなすごい名前、もらっていいのかな。 習ったばかりの騎士の礼をすると、陛下は満足げに頷いて、席を立った。緊張した陛下への謁見は無事終わった。 控室にいたショーンが、息を荒くして大興奮していた。「フィ、いえ、アルバート様。お疲れ様でございます。それにしても、すごいことになりましたね。モルド卿だと、侯爵の爵位と同等ですよ。貴族としての煩わしいルールに縛らずに、我が主を大切に想ってくださる陛下の気持ちに感激しました。」「ねぇ、ショーン。僕は本当にそんなすごい名前もらっていいのかなぁ」 ショーンは力強く頷くと、各方面への手続きが大変だと嬉しそうにしていた。 家に帰ると、アンナが紅茶とお菓子を用意してくれていた。一度ここで作戦会議をしておきたい。ショーンとアンナにお願いして、二人にもテーブルについてもらった。「アンナ、今日から僕の名前はアルバート・モルドになったんだ。ショーンやアンナは分かっているだろうけど、大聖堂や聖女様に僕の存在を知られるわけにはいかないからね。あと、討伐支援センターも気をつけないといけなくなりそうだ。そのあたりの対応、よろしくね。」 ショーンとアンナは揃って頷いた。それを確認して、僕はこれからのことを宣言した。「僕は、これからはぐれ召喚士として魔獣の討伐に参加する。父上と同じやり方になるから、急に呼び出しがくるかもしれない。家を空けている間の事、よろしくお願いします。」「え? アルバート様、もう討伐に参加されるのですか?」 アンナは心配そうにこちらを見つめていた。それを、ショーンが押しとどめる。「アンナ、大丈夫だ。ご主人様、私たちは、ここにご一緒できるだけで嬉しく思っています。いつでも安心して帰って来られるよう、準備してお帰りをお待ちしております。どうか、お体には十分にお気を付けください。」「ありがとう」 翌日には、さっそく近くの討伐チームに顔を出し、登録させてもらった。子供だからと、初めのうちは簡単な魔獣を倒す時に呼ばれていたけど、僕が召喚術を使う度に、次からの魔獣のランクが上がっていく。 ある日、いつものように討伐を終えて、家に向かっていると、ヒューイとばったり出くわした。つづく
August 29, 2022
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「フィン様?! ああ、フィン様ですね! 大きくなられて…。」 アンナだ。目に一杯涙をためて、僕をぎゅっと抱きしめてくれた。「奥様、こちらはこの家の元家主の一人息子、フィン・ハーパー様です。」「まあ、ずっと行方知れずだと聞いていたわ。アンナ、今日はもう仕事はいいから、この子のお世話をしてあげて。」「ありがとうございます。」アンナは丁寧に礼を言うと、僕を他の場所に連れて行った。「アンナ、僕の家はどうなったの?今の人は誰?」「フィン様。私たちの力不足で申し訳ございません。あの家は、ネージュ様がギルバート様の遺産としてもらい受けられ、他人に貸し出しておられるのです。私は、そのままこの家の管理を任され、ショーンさんは、ギルバートさまの遺産管理のため、別の場所にいらっしゃいます。今、お連れしますね」 懐かしい我が家から、5分ほど歩いたところに、小さな家があった。アンナが呼び鈴を鳴らすと、中からどかどかと慌てたような足音が聞こえてきた。「フィン様?! ああ、本当にフィン様だ! きっと、無事におかえりになると信じておりました。 ああ、立派に成長されて…。さあ、どうぞ中へ」 ショーンが転げるように飛び出してきて、僕にしがみついた。「アンナ、あちらの仕事はいいのかい?」「ええ、午後からお休みをくださいました」「では、フィン様に湯あみの準備を頼む。その間に、今までのいきさつをかいつまんでお話ししましょう。」 こじんまりとした応接室に通され、ショーンの淹れる紅茶を飲みながら、今までのことを聞いた。 僕を討伐支援センターに送った母上は、父上の遺産を全部よこせとごねたらしい。だけど、遺産管理人のショーンから父上の正式な指示書をもとに、貴金属の類や、農園などを渡されても、母上は納得せず、僕に譲るとされていたあの家の権利書をなかば強引に奪い取り、今の状態に至るという。 その際、母上ともめたショーンは解雇され、アンナだけが家に残ったそうだ。それでも、父上はそれを見越していたらしく、二人には給与がきちんと支払われるよう手配されていた。だから、ショーンも僕をじっと待っていてくれたんだ。母上には見せなかった父上の遺産は、想像以上に豊かだった。父上は、母上の性格を見越して、遺産の全てを開示しないようにと、そんな指示までしていた。「フィン様はまだ幼くていらっしゃったので、ご存知ないと思いますが、ギルバート様は現国王とも交流があり、討伐でいつ命を落とすか分からないのだからと、国王自らがフィン様の後ろ盾になると申し出を頂いております。」 湯あみの準備が整ったので、とりあえず、埃だらけの体を洗って、出てくると、ショーンが僕にぴったりの服を用意していた。「お疲れのところ、大変申し訳ございませんが、もう一つだけお伝えしたいことが…」 ショーンの表情が曇っていることに気付いて、僕は姿勢を正した。「フィン様の母上、ネージュ様は、その、どうやらあまりよろしくない組織に関与されているようで、フィン様がもし戻ってくるようなら、すぐに知らせろと脅す様に命令されました。ですが、私も、アンナも、ギルバート様に雇われている者です。ネージュ様の命令に従うつもりはありません。 しばらくは、不本意ですが、フィン様には偽名でお過ごしいただいて、身の安全を確保したいと思いますが、いかがでしょう」「分かった。あのセンターへ追いやられた時から、僕には母上などいなかった。それに、センターでもいろいろあったんだ。」 ショーンの提案で、少し歩いた先にある空き家を買い取り、そこを僕の家とした。この家のすぐ裏手は森になっていて、クルンたちと過ごすのにも適しているし、剣の鍛錬もできそうだ。ショーンにはそちらに住み込みで来てもらって、今までのショーンの家は僕が買い取って、父の遺品置き場と作業場にした。 アンナは、今の住人に事情を話し、他の侍女を雇って替わってもらうことにした。母上が契約などに疎い人で良かった。今の住人ともつながりがなく、アンナを穏便に退職させ、僕の家に移動させることに成功したんだ。 ポリトリクに戻って来て一月が過ぎた。その間に、ショーンは国王陛下との謁見を願い出て、準備を進めていた。そして、自宅では、学校に行けなかった僕の偏った学力を整えるため、毎日勉強が続けられていた。 そんな時、ふとブルーノを思い出す。ブルーノも幼いころからセンターにいたけど、もし、生きていたなら、一緒に勉強したりしたのかな。 だけど、すぐにそれはないなと思う。ブルーノが熱心に勉強するなんて、絶対ありえないよ。「邪魔くせー」とか言ってそうだ。 他の子たちと、全然違う時間を過ごしていたのは事実だけど、こんなにたくさんの事を学ばなければいけないの?勉強のほかにもマナーについても学んだ。これは、陛下に謁見するためのものだろう。「陛下との謁見が2週間後に決まりました」「分かった。じゃあ、マナー講座を中心にお願いするよ」 僕が言うと、ショーンとアンナがふふっと笑った。「フィン様、もう十分に立ち振る舞い出来ていますよ」 スパルタ教育のお陰で、どうやらある程度の事は出来ているらしい。ふう。やれやれだ。つづく
August 28, 2022
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「誰に頼まれたの?」「ふふ、素直に白状するとでも思ったのかい? おまえさん、強いのか弱いのか、分からん奴だな。」「僕にはあなたを殺せないと思ってる?」「ああ、思ってるね。人を殺めたことなんてないだろう?」 悔しいけど、確かに人を殺すなんてできない。だけど、この人を開放したら、また襲ってくるんだろうとも思う。「人を殺めるなんて、できないよ。僕の力は魔獣を倒すためにあるんだ。だけど、おじさんを開放したら、また襲ってくるんでしょ? それなら、3日ほど、風の輪の中に捕まるっていうのはどう? つる草にぐるぐる巻きになるっていうのもありだよ。」「ほほう。時間稼ぎか。じゃあつる草で頼むよ」「分かった。 答えよ。森の精霊よ!」 おじさんは、あっという間にぐるぐる巻きになって木の枝に吊るされていた。「あ、おじさん。そのつる草は切ってもまた補強するからね。あ、それからこの短剣、もらっていくね。ありがと」「3日かぁ。厳しいなぁ」 僕はそれには答えずに、おじさんの懐にあった短剣を引き抜いた。ちょうどこういうのが欲しかったんだ。 暫く行くと、しっかりした小枝を張り巡らせた木を見つけた。僕はさっそく短剣を使ってほどよい枝を切り取って小さな籠を作った。「答えよ、風の精霊よ。ここにあの小鳥を」 ふわっと風が吹くと、センターからついてきていた小鳥が籠の中に納まっていた。僕は、その籠を小枝に掛けて、歩き出した。「ちょ、ちょっと待ってよ!フィン! 私よ。ミゼルよ」「どうして観察していたの? それもリーダーさんの命令?」「そうよ。ベルンハルトはあんたを仲間に引き入れようと考えてたみたいだけど、この前ポリトリクに行ったとき、組織のボスにあんたを消せと言われたらしいわ。はぁ。ねえ、なんであんたみたいな子供が狙われるの?」 ミゼルさんは何が何だかさっぱり分からないという風に、嘆いてみせた。「組織のボスって、誰? 何の組織?」「さ、さあ。私は下っ端だからなにも教えられていないわ。とりあえず、あんたが行き倒れて死ぬか、刺客にやられるかするまで見ておけって言われたのよ」「そうなんだ。じゃあ、リーダーさんに伝えて。そっちがその気なら、僕も覚悟を決めるって。もうあなたたちの命の保証はしない」「ちょ、ちょっと!そう言うならかごから出しなさいよ!」 ミゼルさんが籠の中で喚いている。だけど、助けてあげる義務はないよね。さっきのおじさんといい、ミゼルさんといい、僕も本気にならなくちゃいけないみたいだ。「植物で出来ているから、そのうち枯れてすぐ抜け出せるでしょ?」 もう後ろを振り向く気も起らない。僕はそう言い放って、街を目指して歩き出した。 しばらく行くと、森の向こうで何かがキラキラ光っているのが見えた。急いでそちらに行ってみると、湖が広がっていた。よかった、これで水を確保できる。 僕が急いで近づくと、人の気配がした。「わ、びっくりしたぁ。こんにちは。」「え? あ、こんにちは…」 声を掛けてきたのは、僕と同じぐらいの歳の男の子だった。よく見ると、手には釣りざおを持っていた。湖のほとりに小さなテントも張ってある。僕が、水筒に水を汲んでいると、魚の焼けるいい匂いがしてきた。ああ、そういえば、今朝はリンゴしか食べてなかった。「あの、良かったら、一緒にどうですか?」「え、いいの? じゃあ、僕のリンゴもどうぞ」 彼は、手紙配達員でヒューイと名乗った。これから討伐支援センターに行くんだそうだ。「レオナールさんって人に、手紙を届けに行くんです。」「僕、ちょっと前まで討伐支援センターにいたんですよ。レオナールさんに渡すなら、できるだけ、本人を呼び出してもらって渡してあげてくださいね。いろいろ事情があるみたいなんで」「そうなんですね。差出人の人にも同じことを言われました。気をつけます」 ヒューイは、ポリトリクの街から来たというので、道のりを教えてもらった。ここからだと、夕方までには到着するという。食事を終えると、ヒューイに礼を言って、僕は再び故郷を目指した。 懐かしい故郷は5年近い時間の経過で、少し変わっていたけれど、なんとか無事に実家に到着することが出来た。やっと帰れた。ショーンやアンナはどうしているだろう。僕はさっそく呼び鈴を押してみた。「はい。どちらさま?」 ちょうど庭でくつろいでいたご婦人が顔を出した。みたこともない、知らない人で、僕は驚きすぎて言葉が出ない。「あの、誰を訪ねて来られたのかしら?」 ご婦人は優しい笑顔に少しだけ困惑をにじませている。その時、後ろから聞きなれた足音が駆け寄ってきた。つづく
August 27, 2022
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第2章 ポリトリク センターが小さくなってきたころ、森に入るとジーニーさんが出勤してくるのに出くわした。「フィンじゃないか!…そうか、レオナールの推測が当たっていたんだな。そういうことなら、これを持って行け。生き物は水と塩がないと生きていけない。」「…ジーニーさん、ありがとう」 差し出されたのは、塩の入ったスパイスだった。それを受け取るのを確認すると、ジーニーさんは、注意深く小声で言った。「どこでだれが監視しているか分からないけど、おまえは一人じゃないからな。」 それだけ言うと、ぷいっとセンターへ向かっていった。それを見送って、僕は再び森を進んでいく。途中で、小鳥が付いてきていることに気がついた。もしかして、ジーニーさんが言ってたのは、この小鳥の事か?リーダーさんは騎士だから精霊を使うことはできないだろうけど、誰かに頼んだのかもしれない。 半日歩いて、小さな小川を見つけた。喉が渇いたし、足もガクガクしている。ここで少し休んでいこう。 小川に足をつけてみると、すごく気持ちいい。 ぎゅるるっとお腹が鳴った。ああ、そうか。今朝から何も食べていなかった。この小川、魚とかいるだろうか。じっと水面を見ていると、せせらぎとは違う音がちゃぷんと鳴って驚いた。魚が撥ねた音だった。 そっと川に入ると、僕は狙いを定めて手づかみで魚をつかまる。「えい!あ、ちくしょー。」 魚はなかなかにすばしっこくて捕まえられない。気が付くと、びしょぬれになっていた。疲れて川べりで横になっていると、クルンが楽しそうに見ていた。「クルン、笑うなよ。悔しいなぁ。魚もまともに取れないなんて。」 服が濡れているせいか、体が冷えて疲れを感じている。これ、まずいかもしれない。精霊にお願いして、焚火をしよう。 無理やり体を起こして、枯れ枝を集めると、火の精霊に点火してもらう。服を乾かしていると、クルンが何かを放り投げてきた。「なんだ? 魚だ!」 残っていた枝に串刺しにして、服を乾かしながら魚も焼いた。ジーニーさんからもらったスパイスを魚にかけて、がっついた。満腹とはいかないけど、お腹が満たされると気持ちも落ち着くんだな。水筒に川の水を入れて、服が渇いたのを合図にもう一度立ち上がった。 どこまで歩いただろう。少し日が傾くと、森の中はあっという間に薄暗くなる。今日は早めに寝床を決めよう。細い獣道を歩いていると、少し横に不思議なものを見つけた。大きな木の枝に蔓が編まれたようになっていたんだ。木に登って確かめると、どうやらハンモックになっているようだった。蔓もしっかりしているし、今夜はここで休もう。 近くに川はなかったけど、途中で見つけた木の実と水筒に詰めた川の水でその夜を過ごした。とりあえず、この森を突っ切って、街に出ないと故郷には帰れない。 寝転がったハンモックは思いのほか気持ちよかった。生い茂る木々の間から、星が煌めいているのが見える。「きれいだなぁ」そんな星空が、急に歪んで見えた。気が付くと、僕の目から涙があふれてきた。そっか、そうだよね。あんまり急にいろんなことが起こったから、気持ちにふたをしていたけど、僕は悲しかったんだ。だって、大好きなブルーノが死んでしまったんだ。勝ち気で、いつも威張ってたけど、一生懸命剣の扱い方を教えてくれたんだ。なんだかんだ言いながら、いつもそばにいてくれたんだ。それなのに、さよならも言えなかった。「ブルーノ。泣くな、バカって、叱ってよ。」嗚咽を噛み殺しながら泣いているうち、僕はぐっすり眠ってしまった。 翌朝は、小鳥の囀りに起こされた。森の中の朝の空気はなんて気持ちいいんだろう。これがブルーノと一緒の旅だったら、きっと楽しかっただろうな。ハンモックを下りて再び歩き出す。昨日ずいぶん歩いたからか、今日は朝から足がガクガクしている。まだまだ鍛え方が足りなかったんだな。 しばらく行くと、木の実がどっさり実っている木を見つけた。リンゴに似ているけど、食べられるだろうか。少しかじってみると、甘酸っぱい。よし、これをカバンに詰めておこう。僕は夢中になって、木によじ登り、大きく育っている物を選んでカバンに詰めた。 あと一つ、と手を伸ばした枝の幹に、スタンっと短剣が突き刺さって驚いた。背中を冷たい汗が流れる。こんなところに短剣が飛んでくるなんて、想像もしていなかった。 振り向いたけど、刺客の姿は見えない。木の幹を盾にして、身を低く、じっと聞き耳を立てていると、カサリと落ち葉を踏む音がした。「答えよ。風の聖霊よ。刺客を風の壁に閉じ込めて」 ザーッと突風が吹き荒れたかと思うと、竜巻の中に男が一人閉じ込められていた。僕はさっきの短剣を引き抜くと、男の前に突き出した。「あ、あなたは、この前の…」「はぁ、おまえさん、召喚士だったのか。子供を殺すのは趣味じゃなかったんだが、仕事だから仕方なくてな」 その人は、ブルーノと一緒に戦った一般人だと思っていたおじさんだった。つづく
August 26, 2022
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いよいよ討伐参戦の朝がやってきた。今日は手を出すなとのリーダーさんの指示だったけど、念のため剣を背負っていくことにした。「俺たちが守ってやるから必要ないだろ?」リーダーさんは不満気だったけど、僕にも身を守る道具は必要だ。もちろん、召喚術を使う手もあるけど、とっさに身を守ることもきっとあるはずだ。馬車に揺られて、国境付近までやってくると、そこからは、岩ばかりの悪路だった。ジョルジュさんたちによると、この先の洞穴が瘴気のたまりやすい場所のようで、そこから魔獣が現れるらしい。 さっきまできれいに晴れていたのに、生ぬるい風が吹いて雲が流れ込んできた。「行くぞ!」 リーダーさんの掛け声で、みんなが走り出す。うわ。前が見えにくい。岩場に足を取られて全然進めない。気が付くとすっかり取り残されていた。「ブルーノ! レオナールさん!どこにいるの?」 声をあげてみたけど返事がない。靄がかかって見えない中を、なんとか前に進もうとするんだけど、うまくいかないんだ。「フィン…?」「どこを見ている、ブルーノ! 魔獣はすぐそこにいるぞ!」 リーダーさんが叫んでいる。魔獣が傍まで来ているの? どこ? レオナールさんの呪文が聞こえる。甲高い金属音はきっとブルーノだ。ああ、どうして僕だけ見えないんだ? 「フィン、どこだ? 昨日言ってたやつ、行くぞ!」「待って!僕、前が見えないんだ!ブルーノ!」「フィン!返事をしろ! もう行くぞ」「ブルーノ、待って!ブルーノ!!」 頭の中がつーんとなった。どんなに叫んでも、ブルーノに届かない。おかしい!どうなんてるの?「ブルーノ、待て! 危ない!」「ブルーノ、突っ込め!」 白い靄の中で、レオナールさんの声とリーダーさんの声が重なった。言ってることは正反対だ。どうなったの? ブルーノは大丈夫なの? 僕は靄の中を叫び続けていた。だけど、誰にも声は届かない。そのうちに、突然後ろから誰かに後頭部を殴られ、僕は倒れてしまった。 センターの近くの教会の鐘が鳴り響いていた。なんだかいつもと鐘の音が違う。自分のベッドの上で目を覚ました僕は、ゆっくりと体を起こした。「痛っ!」 後頭部がズキッと痛んだ。そっか、討伐に行った時、襲われたんだ。僕はベッドの周りを見て、ここがセンターの自分の部屋だと理解した。だれかが助け出して運んでくれたんだ。あれは、何だったんだろう。 それにしても眠い。僕はそのまま再び眠りに落ちて行った。「フィン、起きろ!話がある」 突然体を揺り起こされて、ベッドから起き上がる。すぐそばにリーダーさんが立っていた。まだ体が重い感じがするけど、なんとか起き出してリーダーさんについて行った。 リーダーさんは、僕を会議室まで連れて行くと、怖い顔で僕を睨んでいた。「お前、どうしてブルーノ一人に行かせたんだ。」「え? あ、そうだ!あの日、靄が急に迫って来て、前が全然見えなくなって…」「言い訳するな! お前は今を限りにうちのチームから出てもらう。今から荷物をまとめて朝までに出ていけ」 今まで見たこともないようなリーダーさんの顔に、ただ恐れおののくしかなかった。「ブルーノは、どうしてるの? さっき起きたとき、ベッドがなかったけど」「ブルーノは亡くなった。お前とタッグを組んで魔獣をやっつける約束をしていたそうだな。亡くなる前にそんな風に言っていた。お前が協力してくれなかったことを悲しいと言っていた。」「そんな…。」 頭を叩き割られたような衝撃だった。ブルーノが死んでしまったの? 嘘だ。信じられない。リーダーさんは僕に背を向けて、怒りを治めながら話しているようだった。どうしよう。僕のせいで、ブルーノは死んでしまったの? 僕は立っていられなくなって、膝から崩れ落ちた。嫌だ!ブルーノが死んだなんて、受け入れられない!「さっさと荷物をまとめて来い。レオナールやジョルジュたちもショックを受けている。挨拶などできる状態じゃないんだ!もうすぐ夜が明ける。今すぐ出ていけ!」 ガクガクする膝を無理やり立たせて、僕は部屋に戻ることにした。会議室を出るとき、リーダーさんが、声を掛けた。「フィン、お前の剣を治めている鞘はどうしたんだ?」「え? これは…。作業場の道具入れの奥に落ちていたのを見つけたんです。父上の名前もあったので、剣を入れてみたらやはりぴったりでした。リーダーさん、お世話になりました。」 リーダーさんの言葉に、違和感を覚えた。レオナールさんがリーダーさんには気をつけろと言っていたから、とっさに嘘をついたけど、この鞘に何か秘密があるんだろうか。そう思うと、急に頭の中が静まっていくような気がした。待てよ、あの討伐で手を出すなと言ったのは、リーダーさんだ。それに、ブルーノに突っ込めって…。しばらく考えたけど、今はここを出た方がよさそうだと思えた。 荷物をまとめてセンターを出ると、シルバーリーフが朝日に輝いているのが見えた。「お前たちは元気に育ってくれよ。レオナールさんたちが怪我したときは、頼んだよ」 しばらくシルバーリーフを見つめた後、僕はいよいよセンターを後にした。つづく
August 25, 2022
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「フィン、ブルーノに話してもいいか?」「はい」 いぶかし気に僕を睨むブルーノに、リーダーさんが歩み寄って言った。「フィンは、ギルバート・ハーパーの一人息子だ。だから、正当な剣の継承者なんだ」「…フィンが?」 ブルーノがどんな態度に出るか身構えていたんだけど、さっきまでの勢いがするりと抜け落ちたように「そうか」とつぶやくと、その場に座り込んで考え込んでしまった。「僕は、実家ではほとんど父上との二人家族だった。使用人の人はいたけど、母上はずっと大聖堂に行ったままだったし、父上が亡くなった時、実家に帰ってきた母上を見ても、自分の家族のような気がしなかった。母上も同じだったみたいだ。」「だから、たった5歳の子どもを一人でここに放り込んだのか? そりゃあんまりだろ」 思わずって感じで、ブルーノが声を上げていた。だけど、それが本当のことなんだから仕方ない。「ちっ、ギルバートさんの息子なら、譲るしかないな。」「ブルーノ。ありがとう」「相変わらず、上からだな。ブルーノ。リーダー、そろそろフィンにも討伐に参加させたらどうだろう。ブルーノにとってもいい刺激になりそうじゃないか」 後から鍛錬場にやってきたレオナールさんが提案した。リーダーさんはちょっと考えて頷いた。「そうだな。獲物次第では、即戦力になりそうだな。」「じゃあ、お前は俺の後輩だから、討伐現場までの荷物持ちな!」「「ブルーノ!!」」 相変わらず勝ち気で調子がいいけど、討伐に参加し始めたころと比べると、ずいぶん場に慣れてる感じがした。結局みんなに可愛がられてるんだろうな。そんなところに僕が入って、うまくやっていけるのだろうか。微かな不安を、元気玉みたいなブルーノがぶち破る。「フィン、せっかくだから、俺たちで連携して必殺技を考えようぜ」「うん!」「まずは、俺が突撃するだろ。その隙にお前が…」 夢中で話すブルーノの頭に、大きな手がどかっと乗った。「こらこら、まだ一度も討伐に参加してないフィンに、勝手なレクチャーをするな!フィン、初回は手を出すな。どんな戦い方をしているか、誰がどんな能力を持っているかをしっかり見ておけ。いいな」「はい。」 リーダーさんにしっかりくぎを刺されて、僕とブルーノはおとなしくなった。だけど、部屋に帰ったら、さっそく作戦会議再開だ。ブルーノによると、今の討伐チームは、騎士のリーダーさんと魔術師のレオナールさん、それから最近参加しているジョルジュさんとバルカンさん、そしてブルーノの5人だそうだ。ジョルジュさんは魔術が使えるけど、まだ見習いだとブルーノはいう。バルカンさんは大男で筋肉バカだというのだけど、どんな人だろう。僕は、もうすぐやってくる初めての討伐に胸を躍らせた。 翌日、リーダーさんは、書類を提出するとかで、王宮に出かけて行った。王宮か、母上のいる大聖堂はそのすぐ隣にある。あの人は、今頃どんな風に暮らしているんだろう。ショーンやアンナに迷惑をかけていなければいいんだが。 アンナからは時々手紙が来るけど、ただ、元気にしているとしか書かれていないのが気にかかる。 それから数日が過ぎ、いよいよリーダーさんに呼び出された。明日の討伐に参加させてもらえることになったんだ。その日の夜、レオナールさんが部屋を訪ねてきた。「前に話していた俺の知り合いの変わった人、覚えているか? ジョージ・ホワイトって言うんだが、彼がお前にこれを渡してくれって言うので、預かってきた。」 差し出されたのは、剣の鞘だった。その形を見たとき、すぐに父上の剣の鞘だと分かった。磨き上げた剣をそっと差し込むと、ぴったりとなじむ。「やはりギルバートさんの剣のものだったのか。詳しいことは言わない人だから、事情は知らないが、討伐の時は必ず持って行けってさ」「ありがとうございます!」 さっそくベルトを腰に回したけど、僕の背が低すぎて剣を引きずってしまう。レオナールさんは、肩を震わせていたけど、ついには耐えられなくなって爆笑し始めた。なんだよ。笑うなよ。くやしいなぁ。「フィン、お前の場合、肩から斜め掛けだな。背中に背負う形にすれば、剣も抜きやすいだろう」 そういいながらベルトを付け替えてくれた。なるほど、この方が動きやすい。「じゃあな。明日は寝坊するなよ。あ、それから…」 部屋を出ようとしたレオナールさんが、僕の耳元に顔を近づけて囁いた。「リーダーには気をつけろ。何があっても自分の身を守ることを優先するんだぞ!」「レオナールさん、それって…」「あ~、さっぱりした。フィン、お前も早めにシャワー浴びておけよ」 ブルーノが部屋に戻って来て、レオナールさんは何事もなかったように「じゃあな。」と部屋を出た。ブルーノに促されてシャワーを浴びながら、レオナールさんがこの前から伝えようとしていることがなんなのか、すごく気になっていた。つづく
August 24, 2022
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そして、9歳になったある日、フロアの掃除をしていたら、カウンターと壁の隙間に錆びた剣が刺さっているのに気が付いた。リーダーさんに調べてもらったけど、誰の物か分からない。「じゃあ、僕が剣の練習をするときに使ってもいい?」「ああ、だれも所有者がいないんなら、使えばいい。どうせここまで錆びちまったら、使い物にはならないだろう」 掃除を終えた僕は、さっそくその剣を持って構えてみる。ずっしりと重みがあって、剣の練習には申し分ない。ブルーノが討伐に出かけた日は、鍛錬場で素振りを繰り返した。初めは重くてふらふらしていたけど、だんだん重さに慣れて、自由に動かせるようになってきた。ある日、練習中に、塀に剣を打ち付けてしまった時、気が付いた。剣の錆びが少しだけ削れて、きれいな銀色の輝きが見えていることに。 そう言えば昔、父上が錆落としをしていたことがあった。あのやり方なら、剣をよみがえらせることが出来るんじゃないだろうか?センターの奥にある作業場に行くと、使いかけて捨てられた紙やすりがたくさん落ちている。掃除の度に捨てていたけど、それを有効活用させてもらおう。 それからの僕の一日は、掃除、鍛錬、錆落としの繰り返しになった。ブルーノやレオナールさんには、あきれられていたけど、やっているうちに剣にも愛着がわいてきた。きっと元の姿に蘇らせてあげるからね! 錆を落とし始めてから3か月が経った頃、微かに剣の柄の際に文字らしきものが見えてきた。誰かの名前が入っているんだろうか。もし、その人物がここに居たら、返さないといけないのかなぁ。僕は、どうしてもその名前の部分を後回しにして練習と錆落としを続けていた。「随分きれいになったなぁ。これ、名前が入っているんじゃないか?ちょっとここの部分を削ってみろよ」 ブルーノは、僕の躊躇う気持ちなんて気にしないで、さっさと紙やすりを当てている。そうして、磨き終わった時、声を上げた。「すごい! これはギルバートさんの剣じゃないか!」「ええ?!」「俺にくれよ。俺、ずっとギルバートさんに憧れていたんだ」「駄目だよ!ここまで磨いたのは僕なんだ。それに…」 言いかけたけど、なんとか思いとどまった。これは、父上の形見。絶対渡せない。だけど、父上の息子だってことは言わないようにとリーダーさんに言われている。「どうした。なんの騒ぎだ?」「リーダー! 見てよ。フィンが持ってた錆びた剣は、ギルバートさんの物だったんだ。ねえ、俺がもらってもいいだろ?ずーっとファンだったんだから!」 ブルーノはリーダーさんにしがみついて強請っていたが、リーダーさんはあっさり言ってのけた。「駄目だ。これをここまで磨いたのはフィンだろ? それに、最初に所有者を確認したとき誰も手をあげなかった。だからこれはフィンの物だ」「ありがとうございます」 父上の剣と分かる前から、僕には愛着がわいていた。手放すなんてできない。「ええー!俺だってギルバートさんのだと分かってたら、自分で錆落としぐらいやったのに! フィン、これから俺と勝負しろよ。お前が勝ったら、譲ってやるよ」「ブルーノ!」 リーダーさんは止めに入ったけど、僕は無性に腹が立って、ブルーノとの勝負を受けることにした。「分かった。だけど、剣だけの勝負じゃないよ。僕のやれることは全部やる。それでもいい?」「お前、誰に言ってるか分かってるのか? じゃあ、それでいい。今すぐ鍛錬場に来い!」 この数年で、ブルーノはぐんと背が伸びて、大人みたいな体形になっている。僕との身長差は大きい。だけど、僕は父上の剣を握り締めて、鼻息の荒いブルーノの後ろをついて行った。鍛錬場は、一般人が帰った後で、数人の騎士が体を鍛えているだけだった。ブルーノは、使い慣れた自分の剣を鞘から引き抜くと、はじめと合図もなくいきなり襲い掛かってきた。それをなんとか父上の剣で遮ると、身体ごと、反対側に振り飛ばされそうになる。なんて圧力だ。こんなのまともに正面から受けたら、殺される。ブルーノはすぐさま体を起こして剣を振りかざしてくる。怖い!飛び上がって剣を振り下ろすブルーノの足元をかがんですり抜けると、すぐさま後ろ手に切り上げてくる。一息つく暇もない。だけど、この剣だけは、渡したくないんだ。ひゅんっと目の前で剣が風を切る。ふわっと何かが飛んだ気がした。どうやら前髪を掠ったみたいだ。「ブルーノ、これは練習だ。フィンの命を奪ったらだめだ!」「木の精霊よ。我に力を!」 リーダーさんが叫ぶのと、僕の呪文が重なった。ブルーノの目の前には大きな木が伸び、それに目を奪われている間に、僕は後ろに回り込んでブルーノの首に剣を突き立てた。「そこまで!フィンの勝ちだ!」「なんだよ。そんなのずるいだろ!」 ブルーノは自分の剣を放り投げて、僕の胸倉をつかんで叫んだ。だけど、僕だって譲れない。「戦いの場でずるいなんてないだろ? それに、自分のやれることは全部やっていいって、言ったよね」「お前、いつから召喚士になったんだよ」「…生まれたときからだよ」 僕が少し詰まりながらそういうと、ブルーノは胸倉をつかんでいた手を緩めて、驚いたように見つめてきた。つづく
August 23, 2022
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「ブルーノ! 先に剣と鎧の手入れをしろ!」 どうしたのかと声を掛けようとしたら、先にリーダーさんが怒鳴り声をあげた。だけど、ブルーノからの返事はない。「お前のようなクソガキには、討伐は100年早かったんだな」「え、あの。何があったの?」 戸惑う僕を無視して、リーダーさんはさっさと武器を片付け、シャワールームに入っていった。その後ろから、レオナールさんが、ため息をついている。「フィン、心配いらない。ブルーノは初めてで張り切りすぎたんだ。いわゆる場の空気が読めないってやつだ。仕方がない。だけど、そのせいでチームが危険な目に遭ったのは事実だ。今夜はそっとしておいてやれ」「そうなんだ…。分かった」 僕が部屋に戻ると、ブルーノは毛布をかぶったまま眠っているようだった。一緒に食べようと思っていたリンゴを磨きながら、どうしようかと考えていると、毛布の中から、すんすんと、鼻を鳴らす音がしていた。そっか、叱られて、悔しかったんだろうな。王子様が言ってた通り、今日はそっとしておこう。ピカピカに磨き上げたリンゴを、ブルーノのベッドの横に置いて、僕もベッドに入った。次の朝、リンゴはそのまま残っていた。ブルーノがリンゴを食べずに出かけるなんて…。僕は残されたままのリンゴをかじりながら、なんだか悲しい気持ちになった。 それから何度かブルーノは討伐に参加したが、なかなか認めてもらえるところまでにはいけないみたいだった。僕は、相変わらず掃除をしながら体を鍛えていたんだけど、ある日、討伐がないというので、ブルーノに剣の相手をしてほしいと頼んでみた。「僕は、ちゃんと教えてもらったことがないから、どうやったらいいか分からないんだ。だけど、ちょっとでも役に立ちたい。」「仕方ないな。朝飯を食べたら鍛錬場に行くぞ」「うん!ありがとう」 実際、鍛錬場で剣を持たせてもらったら、思った以上に重くて身体が振り回される。ほんとにこんな重い物を振り回しているの? 毎日の掃除で鍛錬しているつもりだったから、ちょっとショックだった。剣の持ち方、振りかざし方、身のこなしなどを、討伐のない日を選んで、ちょっとずつ教えてもらって、形だけは戦えるようになった。「よお、お前たち、がんばってるじゃないか。一度、おじさんと手合わせしてくれないか?二人対一人でいいぜ」「ええ。これでも俺は討伐隊に参加してるんだぜ?」「だけど、こっちの坊主は素人だろ? お前が助けながらになるからきついんじゃないか?」 おじさんはにやっと笑っていた。だけど、討伐隊に参加する人じゃないから、一般の人だろうか。「仕方ないなぁ。 フィン、足手まといになるんじゃないぞ」「うん、分かった」 僕は重い剣を握り締めて体制を整えた。「行くぞ!」 気が付いたときには、ブルーノが突っ込んでいた。え、うそ。どう戦うかも分からないのに。案の定、おじさんにかわされて転がっている。「なんだ? 威勢がいいのは最初だけか?」「チクショー」 じわっと立ち上がって、再び突っ込んでいく。僕はハラハラしながら傍観者のように見ているだけだ。どうすればいいんだろう。「突っ込んでくるだけが能じゃないだろ?」 おじさんは、すっかりブルーノに集中している。僕はおじさんの背中側にいるのに。「ちくしょー!」 ブルーノが叫ぶのに合わせて僕は思い切って一歩踏み出した。「えーい!」「うわ、いてて」「勝負あったな。ブルーノ、フィンチームの勝ちだ」 いつの間に来ていたのか、リーダーさんが声を上げた。おじさんは、呆気にとられていたが、頭を掻いて笑っている。「ははは、参ったなぁ。こりゃ確かに、坊主たちの勝ちだ」「やったー!」「おい、こんなことで喜ぶなよ。2対1じゃ、こっちに有利過ぎる」 ブルーノはちょっと不満気だったけど、勝ちは勝ちだよね。だけど、少し教えてもらっただけで、剣の持ち方、動かし方が大分わかるようになった。それに、こうやって実戦で練習した方が、仲間の動きに合わせて戦えるから、分かり易い。また、実戦してみたいなぁ。「おまえ、また試合してほしいって思ってるんだろう。じゃあ、俺と勝負して、一回でも勝てたら、他の人とも試合すればいい。このセンターの中では、俺が一番若い騎士だからな」「うん、分かった!」 そんなことがあってから、僕はブルーノに教えてもらいながら、剣の腕を磨いていた。毎日同じことの繰り返しだったけど、そのどれもが、自分を鍛えるための鍛錬だからがんばれた。つづく
August 22, 2022
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「おまえ、剣を握ったことはあるか?」 試合に勝って気をよくしているブルーノが、自分の剣を差し出してくれた。持ってみろってこと? そっと手を伸ばして柄に触れると、さっきまで試合で使っていたからか生暖かい。そして、ずしっと重かった。「はぁ、おまえホントに触ったことがないんだな。」「うん、だって、お家にある剣はお父さんの部屋にあったし、絶対に触るなって言われてたから」「はぁ、おぼっちゃまかよ。」 ブルーノが呆れたように言う。確かに、おぼっちゃまだったかもしれない。今は違うけど。「僕も何かできるようになりたいな」「前に食堂で騒ぎになった時、なんかやったんだろ?噂で聞いてるぞ」「ああ、お友達に助けてもらったんだ。それだけだよ」 ブルーノは胡乱気な目でこっちをみてから、ちらっと視線をむこうで本を読んでいる王子様にやった。「あの人なら、何か教えてくれるかもしれないな。魔術の腕はすごいらしいし、他のチームにいたこともあるから、だれか紹介してくれるかもしれない。じゃ、おれは疲れたから部屋に戻る」「あ、うん。教えてくれてありがとう」 僕は早速レオナールさんのところまで行ってみた。ベンチに腰掛けて長い足を組み、本を読んでいる姿は本当に王子様みたいだ。「俺には、なにも教えられることはないぞ」「え?まだ何も言ってないのに」「魔法使いはなんでもお見通しなんだよ。 まあ、知り合いに変わった人がいるから、機会があったら声を掛けておいてやるよ」「お願いします」 それっきり、王子は本から顔をあげることはなかった。諦めて部屋に戻ろうとしたら、リーダーさんが声を掛けてきた。「フィン、ちょっとこい」「あ、はい」 レオナールさんが本から視線を外して、ちらっとリーダーさんを見ていた。どうしたんだろう? リーダーさんは黙ったまま、僕を、鍛錬場をはさんだ建物の裏側に連れて行く。そして、周りに人がいないことを確かめると、僕の前にしゃがみ込んだ。「フィン、お前には強い魔力を感じるんだが、お父上から何か聞いていないか?」「えっと、父上は、亡くなる2年ほど前から、本格的に召喚術について教え込むって言って、僕に召喚術の基礎を教えてくださったのです。自分の技量がどれほどの物かは分からないですが、望む力を持つ精霊を呼び出せるようにはなりました。」「2年ほど前って、お前、まだ3歳かそこらだろ?」 リーダーは驚いたように言った。だけど、僕には普通の事だと思えた。「僕は、小さい時から父上の召喚術を見ていたので、普通の事だと…。父上には、どんなことでも、やると決めたら手を抜かずにやり遂げろと言われてきました。それから、外で戦えるようになるまでは鍛錬を怠るなと」「そうか。だから…。鍛錬場には今まで来ていなかったと思っていたが、掃除や雑用で鍛えていたという事か」 なんだろう。リーダーさんの瞳の中に迷いのようなものが見えて、僕はその場から逃げ出したい気分になった。「じゃあ、僕はほかの事がしたいから、部屋に戻ります」「あ、ああ」 なにか言いたげなリーダーさんを残して、宿舎に向かって走り出した。いつの間にか、後ろからレオナールさんもやってきた。「フィン、いい判断だったな。リーダーには気を付けた方がいいかもしれない。」 口元を引き締めて碧眼を細め、リーダーに鋭い視線を送る王子様がいた。振り向いた僕は、初めて彼の本当の顔を見たような気がした。 翌月、ブルーノは意気揚々と討伐隊に参加していった。ジョーカーたちがいなくなって、人手不足だとは言われていたが、王子様が一緒なら、大丈夫な気がする。 僕は、いつも通り、フロアやトイレの掃除をして、時間が空いたので、センターの外に生えているシルバーリーフを取って来て玄関わきに植えていった。この葉っぱをちぎっても揉みこむと、止血剤になるって、父上が教えてくれたんだ。討伐隊として出かけたとき、治癒魔法が使える人がいなかったら、これを使うんだそうだ。「坊主、砂遊びか?」 振り向くと、ジーニーさんがいた。「裏山にリンゴの木があるんだが、ちょっと収穫を手伝ってくれないか?」「いいですよ」 ジーニーさんとはあれからぐっと仲良しになった。今回も、背の高いジーニーさんに肩車してもらって、高い枝のリンゴを収穫する。うん、ほのかに甘い香りがしている。「いいのが取れたなぁ。アップルパイでも作ってやるか。これは駄賃だ」「やったー! そう言って、大きなリンゴを一つ、僕に放り投げてくれた。僕はご機嫌で部屋に持って帰った。ブルーノが帰ってきたら、半分こして食べよう。討伐初参戦のお祝いだ。 日が暮れてきたころ、討伐隊が帰ってきた。みんな少し疲れた顔をしている。ブルーノは下を向いたまま、フロアを通り過ぎて部屋に入っていった。つづく
August 21, 2022
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「水の聖霊よ! 答えよ! 我に力を!」 食堂の床に魔方陣が輝き、その中央に水龍が姿を現した。「お願い!ジーニーさんを助けて!」 水龍は、ちらっとこちらに視線を向けて、すぐさま男に向かってすごい勢いの水を吹きかけた。「ぶ、ぶわわ!い、息が、でき、な…」 その勢いのまま、ジーニーさんを掴む腕が離れ、男は食堂のテーブルやイスをなぎ倒して転がっていった。それを見つめていた水龍は、ちらっとこちらに視線をやると、その場でくるんと一回りしてすっと姿を消した。「ジーニーさん!大丈夫?」「あ、ああ。ありがとよ。今のはいったいなんだったんだ?」「僕の友達だよ。あ~あ、もう一回床磨きだね。がんばるよ」モップを取りに行こうとしたら、急に体が浮いて驚いた。さっきの男の仲間が僕の首根っこを掴んで持ち上げているんだ。「おまえ、今のはいったいなんだ?」「離せ!」「調子に乗るんじゃねーぞ!」 男は僕を持つ手を離すと同時に大きな足で背中からどんと蹴りを入れてきた。一瞬息が出来なくなって、ケホケホと咳が出た。まずい、こんなところで咳が止まらなくなったらまずい。「おらおら、こっちだ。」「ぐはっ!」「ははは。どこ見てんだよ。今度は俺が相手だ」「ううっ」 みぞおちを殴られ、脇腹を蹴られ、僕はそのまま崩れ落ちた。微かに見上げると、ジーニーさんも倒れている。どうして、こんなことになるんだ。 気を失いかけたとき、微かに「こっちだ」と声が聞こえた。あれはたぶんブルーノだ。すぐにどどどっと廊下を走ってくるのが聞こえた。「お前たち、何をやっているんだ!」「ち、リーダー様のお出ましか。俺たちなにもしてないぜ。ジョーカーがいじめられたっていうから、注意していただけだ」「つまり、魔石の盗みを指示していたのはおまえだってことか?」 鋭い指摘に、男は絶句してしまった。「こいつはただ鼻が利くだけだ。お前たちの事を告げ口したわけでもない。理不尽にもほどがあるだろ。」「ち、辛気臭いこといいやがる。リーダー分かってるのか?俺たちがこのチームから抜けたら、だれが戦えるんだよ。ええ?」「ぐっ…」 ここの討伐チーム、あのジョーカーとその仲間が幅を利かせているんだ。どんなに性格が悪くても、討伐には必要な人達なんだろう。「俺が戦うから、いいよ。消えな!」「なんだとぉ?」 振り向くと、さっき廊下で会った王子様がいた。男たちがムキになって詰め寄ると、あっという間に壁際に蹴散らされていた。すごい!「おい、大丈夫か?」 リーダーさんが手を貸してくれるけど、あちこち痛くて立ち上がれない。「僕よりもジーニーさんを助けてあげて、腕をねじ上げられていたんだ。おいしい料理が作れなくなっちゃう!」「なんだってぇ!」 僕の言葉に反応したのは、ブルーノだった。王子様に蹴散らされて伸びている男たちに馬乗りになって殴りかかるブルーノを、リーダーさんが宥めていた。「フィン、だったか。お前の仕事ぶり、気に入ったよ。トイレはああでなくっちゃね」 涼しい顔で笑っている王子様は、レオナールというそうだ。リーダーさんによると、今日からここのチームに加わることになった凄腕の魔術師なんだとか。すごいなぁ。3人の男たちはチームから追放されたけど、この人がいたら十分なんじゃないかと思う。 気が付くと、ミゼルさんがジーニーさんを手当していた。ぽうっと白く光っているから、ミゼルさんも魔術を使えるんだ。 僕がこのセンターに来て半年が過ぎた。相変わらず、僕の仕事は掃除と諸々のお手伝いだけど、手順が決まっているから、丸一日かかっていた掃除も、今では午前中に追われるようになった。午後からは自由時間だと聞いたので、前から気になっていた鍛錬場に行ってみた。 ここには、見習いの騎士や魔術師を目指す人たちもやってくるので、とても賑やかだ。広場の奥がひときわにぎわっているので行ってみると、騎士たちが試合をやっていた。「すごい…」 なんていうか、気迫が伝わる試合だ。キーンっと甲高い音がして、剣が弾き飛ばされたと思ったら、小柄な人物がその剣を目掛けて走り出し、見事にキャッチして再び向かっていく。すごいガッツだと思って見ていたら、ブルーノだった。結局、競り合って首元に剣を立て、ブルーノが勝った。「チクショー。剣が飛ばされた時点で試合は終了だろう?」「ここはお稽古事でやっている場所じゃないんでね。実践でどれだけ対応できるかが重要なんだ」 負けた騎士は不満げに訴えているが、主催者側は落ち着いてものだ。「討伐に行った先で、魔獣や竜にそんな言い訳を言うのかい? ブルーノ、いい動きだったよ。来月からはいよいよ討伐チームに参戦だ。気を引き締めていくように」「はい!」 ブルーノは剣を鞘に納めると、控室へと帰っていく。「かっこいい…」「フン!見たか。これが俺の実力だ」 少し離れたところにいたのに、ブルーノにはしっかり聞き取られていた。あの食堂での事件以来、ブルーノの態度は軟化していた。僕も早く10歳になって、ブルーノと並んで戦ってみたい。
August 20, 2022
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「このちっさいのが、朝っぱらから大暴れしたのさ。ジーニー、飯の用意を頼む。ミゼル、奥で打ち合わせだ。フィン、次は自分の部屋でも掃除しておけ。そのうち朝飯もできる」「はい。」 部屋に戻ると、まだブルーノは爆睡していた。僕は彼を起こさないようにそっと掃除した。窓の外ではクルンが楽し気に窓を拭いている。窓ガラスがきれいになると、朝日がきれいに差し込んで気持ちいい。 掃除道具を片付けていると、ジーニーさんが呼んでくれた。「坊主、手を洗って俺のところに来い」「はい」 食堂に行くと、おいしそうな朝食が置かれていた。まだ誰も来ていない広々とした食堂だ。「今のうちに食べておけ、ここの奴らが来たら、お前の分なんざ、あっという間になくなっちまう。今朝の掃除の褒美だ」「ありがとうございます!あの、ここの食堂、8時で閉まるって聞いてるんですが、その後掃除してもいいですか?」「おう、大歓迎だ!」 よし、がんばろう。僕にできることは、まだ掃除ぐらいだけど、こんなに喜んでもらえるなら、やってやる!窓の外で、クルンがご機嫌で胸を張ってる。ふふ、クルンのおかげだね。ジーニーさんが勧めてくれた席に座ると、ふわふわのオムレツにカリカリベーコン、オレンジジュースに、あ、これは! 気が付いたら涙があふれてた。この砂糖の焦げた匂い。僕の大好きなシュガートーストだ。アンナがよく作ってくれてた。「フィン様、あとで歯磨きを念入りにしてくださいね!」 そんなアンナの声が聞こえてきそうだ。厨房を見ると、ジーニーさんが白い歯を見せてニカっと笑っていた。僕も負けずにニカっと笑い返した。 朝食を終えて部屋に戻ると、ブルーノがまだ眠っていた。時計の針は7時50分を指している。「ねえ、ブルーノ。起きなよ。朝ごはんの時間が終わるよ」「うるさい!」 くるっと向きを変えて、頭から毛布をかぶる。まあ、いいか。朝ごはん、食べない人もいるというし。そうだ、フロアに行ってみよう。みんなどんなところに討伐に行くんだろう。僕はちょっとウキウキしながら部屋を出た。すると、すぐさま声が掛けられた。「おい、新入り!トイレ掃除がまだじゃないか。すぐにやってこいよ。俺は不潔なのが嫌いなんだ」「あ、はい」 振り向くと、絵本に出てくる王子様のような人が立っていた。金色の髪を肩まで伸ばし、キラキラした服装でかっこよく腕を組んでいる。討伐チームにこんな人が来るなんて、なんだか不思議だ。「なにを見ている? 絵本の王子様に見えたか?ふふ。仕方ないな。生まれ持っての品というやつは隠せないんだ。とにかく、この俺が使うにふさわしい状態にしておいてくれ」 言いたいだけ言うと、その人はさっさと食堂に行ってしまった。じゃあ、頑張るか。僕は早速トイレに向かった。なんだか、とんでもない状態で逃げ出したくなったけど、ここは我慢だ!ホースでざっと洗い流し、力いっぱいブラシをかける。これも鍛錬だ。10歳になった時、父上みたいな体格になってたらいいなぁ。 トイレがきれいになると、今度は食堂に向かった。ジーニーさんの言った通り、8時を過ぎると食堂には誰もいなくなった。掃き掃除、拭き掃除。窓ガラスはクルンが手伝ってくれて、ピッカピカだ。仕込みを終えて厨房から出てきたジーニーさんが、「すごいな」って呟いてた。 掃除が終わって道具を片付けていると、身体の大きな人たちが3人でどかどかと入ってきた。ブーツの泥が廊下や食堂の床にゴロゴロ落ちている。「ジーニー、飯だ!飯を出せ!」「もう朝食時間は終わりだ。今は仕込み中だから、昼飯まで待てよ」「なんだと? 北部の山岳地帯まで早朝の討伐で出かけてたんだ。飯ぐらい用意して当然だろう!」「昨日のうちに朝食用の携帯食は渡してあるはずだ。ああ、なんてことするんだ。こいつが朝からきれいに掃除してくれたのに。ドロドロじゃないか!」 厨房から出てきたジーニーさんは、床の惨状を見て声を上げた。だけどこの3人はお構いなしだった。「ちっ、また掃除させりゃあいいじゃないか。なあ坊主?」 いきなり胸倉をグイっと掴み上げられて、足が浮いてしまった。「やめろよ。こんなチビ、相手にしてもしょうがない。どうせ捨て子か何かだろう?」「手を放してやってくれ。そいつは昨日入ったばかりの新人だ。手荒なことはするなよ」 仲間が諫めようとするが、男はジーニーさんをギロっと睨むと、僕の胸元を握る手を強めた。「俺はな、朝っぱらからいやなことがあってイライラしてんだよ。こいつで憂さ晴らしさせてもらおうか」 言った途端に僕の体は宙を舞っていた。怖い!このまま殴ったり蹴ったりされるの? そんなことを考えていたら、背中にゴンっと壁が当たった。痛くてすぐには起き上がれない。痛みをこらえてゆっくり顔をあげたら、今度はジーニーさんが腕をねじ上げられていた。「だいたいここの討伐チームのリーダーが気に入らないんだよな」「い、いたた。そんなに気に入らないなら、他の討伐チームに行けばいいじゃないか」「うるさい!」 男がグイっとジーニーさんの腕をねじったまま引き上げた。ダメだよ。そんなことしたら、腕が折れちゃう!僕に何かできることは…。つづく
August 19, 2022
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翌朝は5時に目を覚ました。家にいるころからこの時間に起きるのが日課になっていたので、目覚まし時計がなくても正確に起きられる。早々に服を着替えて、受付に向かう。そして、周りを見回せば、片隅に縦長のロッカーが見えた。「あれかな?」 金属の扉を開けると、思った通り掃除道具が入っていた。家に居たとき、父上とやっていたことを思い出して掃除を始めることにしたんだ。昨日は気づかなかったけど、受付フロアはゴミだらけだ。ガムやたばこの吸い殻も落ちているし、武器の部品らしきものまで転がっている。これって、何かに使う奴じゃないだろうか。 床に落ちていた黒いかけらを手に取ると、父上が武器の手入れをしているときに並べてあったかけらを思い出した。小さなネジや、見たこともないきれいな石まで落ちている。大事そうなものと、ゴミを分けながら掃除をしたら、今度はバケツに水を汲んで拭き掃除だ。 窓ガラスを拭いていると、外から「キュルン」と鳴き声が聞こえてきた。「クルン! お願い、高いところは届かないんだ。手伝って」 クルンは、絞ったぞうきんを受け取ると、見よう見まねで窓ガラスを次々拭いていく。内側を僕が、外側をクルンが拭くと、あっという間に終わってしまう。 それにしても、この窓はどのぐらい掃除してなかったんだろう。朝日が差し込んだフロアは、とっても明るい。ぞうきんを片付けていると、どかどかと大きな足音が響いてきて、ドドン!と扉が開けられた。「やべぇ! 俺の魔石、どこやった!?」 入ってくるなり、大声で叫んでいるのは、昨日父上の名前を挙げていた人だ。しゃがみ込んで床の上に転がっているだろう何かを探している。だけど、床にはゴミも塵も落ちていないのを見て、いきなり僕に掴みかかった。「てめぇ!俺の魔石を横取りしやがったな!」 力任せに突き飛ばされ、僕は壁にぶち当たった。「何の騒ぎだ!」 物音を聞いたリーダーさんがフロアにやって来て絶句している。「これは、どういうことだ?床がきれいになっているじゃないか。それに妙に明るい」「そ、それどころじゃねえ。俺が昨日置いておいた魔石が無くなってるんだ。犯人はこいつに決まってる!」 リーダーさんは、怒り狂う男を抑えて、僕に手を差し出して立たせてくれた。そして、静かに確認してきた。「フィン、どういうことだ」「僕は雑用係だって言われてたから、掃除をしただけです。落し物は、そこのかごに集めておきました。」 カウンターに置いてあったかごに、武器の部品やねじと一緒にきれいな石も置いている。二人はすぐさまそれを手にとった。「ち、本当は横取りするつもりだったんだろう。今度やったら承知しないぞ」 男の人はそういうと、さっさと石を持って帰ろうとしていた。だけど、なぜか違和感がある。僕には、その男の人の魔力の色と、石の色が合わない気がしていたんだ。「ジョーカー、ちょっと待て。それは本当にお前の物か?」 大柄で武骨なジョーカーさんに、細身のリーダーさんは恐れることなく言葉を発する。ジョーカーさんは、不満げにリーダーさんを睨み返した。「ちょうどいい。おい、フィン。お前には見えるか? この魔石は誰の物だと思う?」「えっと、受付のお姉さんの魔力の色と似てると思う」 ジョーカーさんはギロっと睨みつけたけど、僕にはそう見えるんだ。「お前、やっぱり見えてるんだな。昨日ミゼルが石を盗まれたみたいだと訴えていた。これの事だったんだな。」「こんなガキの話にいちいち付き合ってられるか!適当な事を言うなよ、リーダー!」「ジョーカー、どうする?このままこのチームに残って、こいつの下で働くか、他に行くか、選ばせてやる」 口調はおだやかだけど、ジョーカーさんの腕を握るリーダーさんの手にはしっかりと力がこもっている。痛みに耐えきれず手の中の石を手放すと、ジョーカーさんは、噛みたばこを吐き捨てて、飛び出して行った。はあ、また掃除しなくちゃ。リーダーさんは、そっと魔石を拾い上げて尋ねた。「フィン、あの上の窓をどうやって掃除したんだ?」「えっと、僕のお友達のクリンと一緒にやりました」「クリン?」 僕が外に目を向けると、クリンがやってきて「キュルン」と誇らしげに鳴いている。リーダーさんは、驚いた顔をして僕とクリンを見比べていた。「あれが、クリンか? どういう友達だ?」「僕が小さい時に、父上の書斎でまねっこしていたら現れたの」「まねっこ? もしかして、本当にお前の父はギルバート・ハーパーなのか?!」 リーダーさんは、僕にしがみつかんばかりに問いただしてくる。僕は、ただ頷くしかできなくて、どうしたらいいか分からなかった。「フィン、お父上のことは、とりあえず人前では言うなよ。お前を利用しようとするやつが出てくるかもしれない。昨日も言ったが、討伐は10歳からだ。それまでは厳しいようだが、雑用をしながら体を鍛えるんだ。 フィン、諦めるなよ。体と一緒に心も鍛えるんだ。いいな」「はい、分かりました」 一瞬、リーダーさんが父上に見えて、胸がきゅっと苦しくなった。話をしていると、厨房で働く人や、受付のミゼルさんがやってきて、それぞれが驚いている。「どうしたんだ、リーダー。このフロアがこんなにきれいだったことなんて、俺がここに来てから一度もないぞ」「ホント、気持ちいいわね」 リーダーさんは、にやりと笑って、僕を指さした。つづく
August 18, 2022
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厳しかったけれど、朗らかで愛情もたっぷり注いでもらった。 父上が亡くなったなんて、今でも信じられない。討伐に出かける前、父上はいつも召喚した精霊と語り合ったりしていた。「討伐するべき魔獣と戦うためには、精霊との信頼関係が何より大切なんだ。」父上はいつもそんな風に語っていた。だから、あの悲しい知らせが来た時も、僕はクルンと遊んでいたんだ。シンライカンケイって、ぴんと来ないけど、クリンは大切な友達だし、クルンも大好きでいてくれるのが分かるから。 父上の訃報は本当に青天の霹靂だった。ショックで茫然としていたら、今まで一度も家に戻って来なかった母上を名乗る女の人が、帰ってきたんだ。父上の死を聞いてとても取り乱していた。僕はそんなあの人に、なんて声を掛けたらいいのか分からなかった。 僕を産んですぐに王都ヘイリーンの大聖堂に戻ってしまった母上には、大きくなった僕は、見ず知らずの赤の他人。悲劇のヒロインのように、涙を流しながらはかなげな様子で家に入ってきたけど、中に入った途端、はあっと盛大なため息をついて、一つ一つ部屋を改めて見てまわったんだ。 僕は、父上に了解をもらって召喚していた風と水の精霊に事情を話しているところだった。精霊たちは口々に僕を慰め、元気を出す様に慰めてくれた。だけど、それが母上には気に入らなかったようだ。「ギルバートが亡くなったというのに、何がそんなに楽しいの? ひどい子ね!そんなに召喚がしたいなら、知り合いの討伐チームに連絡してあげるわ。アンナ、すぐに荷物の用意を」 ショーンによると、葬儀の後、母上は金目の物を集めると、さっさと大聖堂に帰っていったんだそうだ。アンナとショーンからは、いつでも帰ってきてほしいと言ってもらったけど、母上と手を組んでいるこの御者は、僕を馬車に乗せると、さっさと馬を走らせたんだ。「坊主、お前は今日からここで下働きだ。せいぜいがんばりな」 僕を放り出す様にして馬車から降ろすと、御者はさっさと元来た道を帰っていった。僕は馬車を見送ると、茫然と振り返った。目の前にあるのは、討伐支援センターと書かれた施設だ。そういえば、父上からそんな施設があると聞いたことがあった。討伐の期間、そこで寝泊まりしているんだと。僕を乗せていた馬車は、もう見えなくなっていた。前に進むしかないんだ。僕は覚悟を決めて、その中に入っていった。センターの中は、荒れ放題で、今も怖そうなおじさんがいっぱいいる。 僕は、受付まで行くと名前と母上が書いた推薦書を差し出した。「あら、まだ小さいのに。家庭の事情かしら。そっちのイスに座ってちょっと待ってね」 受付のお姉さんは、ちらっと僕を見て、すぐに奥の控室にいる討伐チームのリーダーさんを呼びに行ってくれた。 僕は、言われた通り壁際のスツールに腰かけようとして、床に転がった。「ああ、悪いなぁ。俺が座ってたイスだったんだ。」「よぉ、お前、何しに来たんだ。父ちゃんを探しに来たのかい?わははは」 悪びれる様子もなく、男たちが笑っている。父上は、こんな連中と一緒に働いていたのか。連れてこられたのは自分の意志じゃない。とりあえず、チームリーダーさんに会ってみるしかないか。 壁際に立って待っていると、受付のお姉さんが、リーダーさんを連れて戻ってきた。「おい、こんな小さな子供になにができるんだよ。無茶言うなよ」「だって、聖女様からの推薦状付きよ。聖女様がバックについてるなら、入れといてもいいんじゃない?」「マジかよ。お前、名前は? 歳は?」 受付のお姉さんと相談していたリーダーさんは、しゃがみ込んで聞いてきた。「僕はフィン・ハーパー、5歳です」「ハーパー?! すげえ、いい名前じゃないか。伝説の召喚士ギルバート・ハーパーを知ってるか?知らないだろうなぁ。」「お前たち、うるさいぞ。明日の討伐に参加するものは部屋に戻れ!」 こいつら、父上を知ってるのか。だけど、素直に息子ですなんて、言いたくない。唇をかみしめていると、リーダーが淡々と説明する。「フィン。ここの討伐チームに参加できるのは、10歳からだ。悪いがしばらくは雑用係になってもらう。…」 雑用係を言いつけたまま、じっと僕を見るリーダーだったが、少し考え込んだ様子で、「まあいいか」とつぶやいて部屋に案内してくれた。ベッドが2つと机があるだけの部屋だ。「こっちはブルーノが使っているから、手前のベッドを使うといい。朝食は7時。8時をすぎると食堂が閉まるから遅れるな」「はい」「分からないことがあれば、同室のブルーノか、さっきの受付にいたミゼルに聞いたらいい。」 リーダーさんはそれだけ言うと、あっさりと引き上げて行った。少ない荷物をベッドの横に置いて、ふうっとため息をついた。与えられたベッドの上には微かに砂が浮いている。手で払って、ベッドに横になってみる。これから、ここでどれだけの時間を過ごさなければならないのか。途方に暮れたまま、いつの間にかぐっすり眠ってしまった。「ぐはっ!痛い!」「うわっ!誰だよ、俺のベッドに寝てる奴は!」 眠っている上にいきなりどさっと全体重を掛けられ、飛び起きた。目の前にいたのは、少し年上の男の子だった。この人がブルーノさんだろうか。「誰だ!」「僕は、フィン。今日からここで寝るようにって、リーダーに言われたんだ」「はぁ?お前みたいな赤ちゃんが来るところじゃないぞ。家に帰れ!」 男の子は憎らし気に言うと、プイっと踵を返して部屋を出て行った。そして、しばらくすると、リーダーさんが邪魔くさそうに現れた。「だから、言ってるだろ。ここは2人部屋なんだ。今まではたまたま誰もいなかっただけだ。自分一人で使おうなんざ、20年早いんだよ!「俺だって、来年からは討伐隊に参加するんだぜ。一人前じゃないか!」 リーダーさんは吠え立てる彼をギリっと睨むと、つぶやいた。「ほう、お前はそんなに強力な力を持っているのか。それで、ブルーノ様が一人部屋にするってことは、こいつの相方もいないから、こいつも一人部屋で、俺と所長に2人部屋を使えってことか?」「ええ、そ、そういうことじゃなくて…わ、分かったよ、がまんするよ」「下らんもめごとをおこすなよ。」「ちっ!俺だけの部屋だったのに。」 リーダーさんはそう言い残してさっさと出て行った。ブルーノさんは憎らし気に僕を一瞥すると、奥のベッドにドカッと寝ころんだ。僕はあまりのことに体がこわばっていたけど、旅の疲れが出たのか、早々に眠りについてしまった。つづく
August 17, 2022
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「退院、おめでとうございます。よく頑張りましたね」「お世話になりました。」 看護師に見送られ、アンナは入院時の荷物を抱えてフィンと病院を出ようとしていた。「とーさま!」「え?旦那様?」 フィンのはじけるような声に振り向くと、ギルバートが病院に駆け付けたところだった。「フィン!もう大丈夫なのか?」「はい、元気です。とーさま、おかえりなさい」「旦那様、おかえりなさいませ。坊ちゃんが喘息の発作で、心配致しましたが、無事退院です」「そうか。アンナ、付き添ってくれてありがとう。ショーンはどうした?」「奥様に連絡してくるとおっしゃっていましたが、お屋敷に戻られていなかったのですか?」 ギルバートの視線がふっと外れる。ネージュはギルバートの妻でありながら、聖女としての立場を優先して、大聖堂に閉じこもっているのだ。ショーンがおいそれと会えるはずはなかった。「とにかく帰ろう。フィン、よくがんばったな。今回のお土産はこれだぞ」「わーい、汽車だ!」 幼い我が子が手放しで喜んでいる姿を見ながらも、ギルバートの瞳には憂いの色が広がっていた。 屋敷に帰ると、ショーンが帰ってくるのに出くわした。「ああ、旦那様。お疲れ様でございます。入れ違いになってしまったようで、申し訳ございません」「いや、大丈夫だ。アンナがメモを残してくれていたからな。ショーン、大聖堂まで行ってくれたのか。すまない」「旦那様…。もったいないお言葉です」 ショーンはまだ若い執事だ。ひょろりと頼りなげな体形ではあるが、王宮で文官として働くことを目指すほどには優秀だ。そんな彼が、王都から離れたポリトリクの街に落ち着いたのには理由があった。突然現れた魔獣に襲われそうになっていた時、ギルバートが助けてくれたのだ。それ以来、彼はギルバートのために心血を注いで働いている。魔獣討伐オタクのギルバートには、なくてはならない存在だ。 皆で館にもどり、夕食を済ませると、ギルバートは息子を自分の書斎に呼び寄せた。「フィン、父が留守の間、いい子にしていたか?」「はい、とーさま。フィンはいい子でした」 小さな体をそらせて胸を張ると、バランスを崩して転げそうになる。そんなフィンを愛おし気にみていた父だったが、ぼそりとつぶやいた声は、召喚士のものだった。「なら、正直に答えよ。フィン、おまえは私の了解なく、何者かを召喚したのか?」「ショーカン? えっと、汝答えよって言うの? やりました!クルンが来たの。あれ?クルンはどこ?」 ギルバートの背中に冷たい汗が流れた。3歳にも満たない息子が、召喚術を身に着けていたなど、誰が信じよう。しかし、そんな父の目の前で、小竜クルンが姿を現した。「クルン!久しぶりだね」「キュルン」 親し気な一人と一匹をみていたギルバートは、自分を落ち着かせるようにゆっくり口を開いた。「なあ、フィン。その子はお前が召喚したのか?」「はい、そうです。クルンって言うの」「まさか…、お前が名付けたのか?」「はい、キュルンって鳴くから、クルンにしたの」「つまり、お前はこの小竜と契約したということになる。」 フィンは不思議そうに父の言葉を聞いているが、どうもわかっていないようだ。「はぁ、クルンは一番大切な友達だってことだ。大事にするんだぞ」「はい、とーさま!大切にします」「それから、この部屋には危ない物がいっぱい置いてあるから、私と一緒でない時には入ってはダメだ!分かったか?」「はい、とーさま!」 元気のいい返事にため息が出る。生まれたときから確かに膨大な魔力を秘めているとは分かっていたが、こんなにも早く召喚してしまうとは。これから基礎をみっちり教えなければならない。ギルバートは、しばらく遠征に行くのを断る決心をした。それから2年あまりの間。父は遠征には行かず、付きっ切りでフィンに召喚士としての知識と心構えを叩き込んだ。早朝の掃除にはじまり、筋トレ、召喚士としての座学に実践。幼い少年には厳しすぎると、ショーンやアンナがハラハラすることもあったが、フィンはあきらめなかった。 傷だらけになって、気を失う様に眠った次の朝には、必ずアンナの特製シュガートーストが朝食に出た。砂糖の焦げた香ばしい香りとザクっという歯ざわりが最高だ。「父上、いつか一緒に魔獣の討伐に行ってみたいです。」「そうだな。もう少し体力がついて私の持つ一番大きなソードを自由に操れるようになったら、連れて行こう」「ありがとうございます!」 破顔する息子の頭に大きな手を乗せて、ギルバートはゆっくり頷いた。「先は長いぞ。ゆっくり大きくなれ。今日の鍛錬のメニューを続けておけよ。私はそろそろ討伐チームに復帰する予定なんだ」「父上、一度、父上が戦っているところを見たいです!」「こらこら、遊びじゃないんだぞ。」~~~~~~~~~~
August 16, 2022
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UNLIMITED第1章 フィン・ハーパー ガタガタと荒れた道を馬車が走っている。外は、王都からずいぶん離れた荒野だ。馬車に乗っているのは、5歳になったばかりの少年。名前をフィン・ハーパーという。最低限の荷物を持ち、幼さの残る口元をぎゅっと閉じ、ただ窓の外を見つめていた。 まさか、こんなことになるなって、フィンは何が悪かったのかとこれまでのことを思い起こしていた。~~~~~~~「坊ちゃん、大変です。旦那様がお亡くなりになったと連絡が入りました。」「え? 父上が? ウソだ!」 フィンの父親ギルバートは凄腕の召喚士として名をはせている人物だ。今も、隣国を襲うという魔獣を倒すため、国営の討伐チームに参加しているはず。今までにも、何度も遠征にでかけ、いつもご機嫌で帰ってくるのだ。 フィンには兄弟はいない。一人っ子だ。母親は聖女として大聖堂の中で働いている。母は国内で5本の指に入るほどの魔力の持ち主で、土地を清め、豊かにする力を持っている。この国の作物が豊富に採れるのは、母であるネージュの力のおかげだと言われているほどだ。しかし、国の宝とまで言われる聖女には、プライベートなどほとんどなく、フィンの暮らすこの館にも、顔を出したことはない。 それでも、頼りがいがあって気さくで明るいギルバートがいれば、フィンは何も不安を覚えることがなかったのだ。フィンには、生まれつきの膨大な魔力があった。ギルバートはそんな息子をとても誇りに思い、まだよちよち歩きの頃から、魔法を使うところや召喚するところを見学させていた。 それはフィンが2歳になったばかりの事だった。ギルバートは、討伐チームからの緊急討伐の要請で、いつもの遠征用のリュックをかつぐと、大急ぎででかけてしまった。数日経っても帰ってこない父を待ちながら、フィンは一人で遊んでいた。家の管理する執事のショーンと優しい侍女のアンナがいるので、フィンは泣いたりせずに父の帰りを待つことを理解していた。しかし、いつもより長い遠征期間に寂しくなったフィンは父の部屋の前までやってきたのだ。その日は、ショーンが町内会の定例会に出向き、幸か不幸かアンナがカギをかけ忘れ、幼児がそっと押しただけでドアが開いてしまったのだ。 目の前には父の匂いがするものがいっぱいにあふれている。インクの匂い、武器の手入れをするオイルの匂い、そして、少し埃っぽい古い本の匂い。緊急だということで、息子にゆっくり声を掛けることもできずに飛び出したギルバートの部屋は、何やら作業の途中だったようだ。 テーブルの上には古い本が開かれたままになっている。 幼いフィンは、ふと父がいつも何かを唱えていることを思い出し、テーブルの近くまで歩み寄ると、父の真似をして不思議な呪文のまねごとを呟いた。―答えよぉ。 答えよぉ。 汝、我の元にいでよぉ。 ― 舌足らずな呪文を唱えると、何もなかったはずの床から光が差し込み、魔方陣が輝きだす。驚きのあまり声も出せない幼児の前に、小竜が現れたのだ。背筋を伸ばし、ツンとすました小竜は、魔方陣が光を無くすと、ちらっと幼児を盗み見た。「ほ、ほんとに来た!わーい、わーい! ねぇ、お名前は?」「キュルン?」 小竜は首をかしげて幼いフィンを見つめている。「キュルン? クルン?クゥーン 」 フィンは嬉しくて仕方がない。小竜の周りを飛び跳ねて回ると、きらきらした瞳で小竜を見つめ、自己紹介を始めた。「僕はフィン。 これから君のことはクルンって呼ぶね!よろしくね、クルン」「クルン!」コンコン、コンコンコン。小さな嗚咽のような咳がフィンをいたぶる。コンコンコン。「ああ、咳が止まらない、よ。コンコン」 少年は苦しそうに座り込むが、咳は止まらない。「キュルン?」 訳が分からないまま、目の前の少年が倒れると、焦った小竜は懸命に呼びかける。「キュルン!ククーン!クルーン!」 屋敷の奥から大人の足音が聞こえ、クルンは慌てて書斎の机の陰に隠れた。ほどなくして、ドアが開け放たれ、アンナが飛び込んできた。「何の音? フィン様? 大丈夫ですか?」「どうしました、アンナ?」 屋敷に帰るなり、アンナの悲痛な声が聞こえ、ショーンも2階に駆けあがった。部屋の中で倒れている少年を見つけると、アンナは慌てて抱き上げ、少年の部屋へと連れて行く。「おかわいそうに、発作がでたのですね」「フィン様、大丈夫ですよ。すぐにお薬を用意いたします。落ち着いてくださいね」 背中をさすりながら、なだめるアンナに少年を任せ、ショーンは急いで薬の準備に取り掛かる。そして、慣れた様子で粉薬を準備すると、シロップに混ぜて少年の口元に流し込んだ。 薬の入った甘いシロップをなめていると、じわりと咳が収まってくる。しかし、突然の発作で少年の体はぐったりとしていた。 翌朝、街からやってきた医者が、フィンを入院させると言い渡した。アンナに荷物を集めてフィンに付き添うように言い渡し、ショーンは一瞬、眉を寄せて苦い表情を浮かべた。ギルバートが討伐に出向いている間は、どうしても連絡が取れないのだ。そして、覚悟を決めたように、母である聖女ネージュの元に少年の発作を知らせに出向いた。しかし、大聖堂では聖女は仕事中だと門前払い。焦った執事は、ギルバートが所属する魔獣の討伐支援センターに向かったのだ。大人たちがバタバタしている隙をついて外に出ていたクルンは、人目を忍びながらフィンについていく。 誰もいない屋敷に、武骨な男が入ってきた。出迎えもなく、しんとした屋内に違和感を覚えた男は、ずかずかと家の中に入っていく。そう、彼はフィンの父親ギルバートだ。その屈強な体躯に似合わない汽車のおもちゃを握り締め、二階へと上がっていく。そして、自身の書斎に足を入れたとき、何かが起こったことに気が付いた。「これは…。」 召喚魔術の古書には、見慣れない汚れがある。そっと近づくと、チョコレートの甘い匂いがした。「まさか!」 ギルバートは、急ぎ階下に降り、アンナを呼び出した。しかし、誰の返答も聞こえない。ダイニングテーブルには、急いで書いたらしいアンナのメモが見つかった。フィンが発作を起こして入院すると記されている。どうやら、連絡が入れ違いになったようだ。ギルバートは荷物を放り出すと、汽車のおもちゃを手に、病院へと急いだ。つづく
August 15, 2022
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