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年越しするつもりはなかったんですがようやくこの旅も最終日を迎える事ができました。奈良駅からは奈良線と東海道本線を乗り継いで途中下車したりしながら帰京するつもりだったのですが、日頃余り己の希望を述べることのないS氏から関西本線に乗りたいとの訴えがあったのです。乗り継ぎよく余りロスする時間がないのだから拒絶する理由はありはしません。ぼくにしたって奈良線はともかくとして東海道本線に延々と揺られるのはゾッとしません。いずれ名古屋駅で東海道本線に乗り換えなければならぬのですが、それでもしばらくぶりの関西本線とあっては、すでに鉄道好きを公言できない程度にしか興味を失してしまったぼくでも少しは楽しめるに違いないのです。でも早速に加茂駅でしばらく待たされると思うと前途が多難に思われるのですが、こんな片田舎にも駅前喫茶があるのだから驚きです。 しかもそれがこんなにも渋いとなればやはり回り道をしてよかったなあと思わされるのです。店の名前は、「お食事と喫茶 ハヤシ」です。この外観を見るだけでも来た価値があるというものです。しかし果たしてここを喫茶店と呼んで良いものか疑問に感じなくもないが、看板に喫茶の文字があるから深くは考えずに喫茶店という事にしておこう。それにしてもここに入るのは大変勇気のいることであった事よ。その理由の一つ目は店内が丸見えであるから、内観を喫茶巡りの筆頭の目当てとするぼくにはその時点で目的は達せられたようものであります。第二に店の中から主人がこちらを睨めつけていることだ。それだけ人通りが少ないという事だ。稀に通る人をとにかく強い視線で監視しているかのようです。そして実はこれこそが最強の理由かもしれぬ。とにかく暑いのだ。加茂という土地自体がまずとんでもなく暑い気がする。そんな酷暑の中であるのにここは戸を開け放っているではないか。これは厳しい。この厳しさを乗り越えて訪れる客などあるのだろうか。実地に試していただきたい。 汗だくになって再び関西本線に乗り込みます。次は亀山駅に停車します。しばらく時間があるけれど、亀山ってどんな町だったかなあ。駅を降りてみて大興奮、衰退した駅前ならいくらでもあるけれど、何とも味わい深い風情を留めながら残されているというのはそうアチコチに残ってはいません。ロータリーを挟んで駅と正対する老朽化したビルが数棟並んでいます。その一棟の2階に喫茶店がありました。表から窓越しに店内が姿を覗かせていて、どうやら営業しているようです。周辺にも数軒の食堂があり、いずれも甲乙付け難い枯れ具合でしたが、やはりとりあえずは喫茶店を眺めておくことにしよう。暗くて埃っぽい細い階段を上がり、戸を開けると乱雑に散らかりながらも往年の喫茶黄金時代の遺産がほぼ原型を留めていることに感動するのです。「喫茶・軽食 尚」は、入ってすぐのエリアはどうも店主のリビングスペースと化しているようです。しかし奥のエリアは今でも十分に客を迎え入れる体制が整っているように思えました。しかし、これ程に古いビルが建替えは無理としても、取り壊されもせずに延命させられているとは、ぼくには有難い事ですが、町の将来を思いやると暗澹たる気持ちにさせられます。 そばの「みつわ食堂」なども気になる存在です、が次に訪れる時には恐らく…、という事は語ってはいけないのだろうな。
2018/01/14
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喫茶篇が先行していますが、奈良駅には9時過ぎにようやく到着しました。本当だったら天理に立ち寄っているはずだったのですが、身から出た錆、予定より大幅に遅れての到着となりました。前夜の和歌山は不可抗力での遅れと言えますが、今回ばかりは誰のせいにも出来ぬから憂さ晴らしのしようがありません。駅を出るとS氏がいつもの不機嫌そうな表情で出迎えてくれましたが、このむっつり顔で当の本人の機嫌の良し悪しが推し量れぬのが厄介なところであります。やはりこの時も得体の知れぬ不愉快そうな面構えで待ち受けていましたが、他人の不幸は蜜の味だったらしく実のところはほくそ笑んでいたのだそうな。何とも判別困難な表情の持ち主であります。 さて、ホテルのチェックインなど後回しにして大至急行かねばならぬところがあります。雑居ビルの地下1階にある「グリル・チェンバー」です。ご覧になられた方も少なくないでしょうが、酒場放浪記にて紹介されています。今回の旅は和歌山行きの構想を練り始めた際に折よく酒場放浪記で「あけまして3時間スペシャル~世界遺産 熊野へ!古道歩き 酒めぐり~」が放映されていて、その少し前だっただろうか、通常放映で奈良の酒場が放映されました。当初プランを立て始めた時には、どうにも行程を決めかねて四苦八苦していたのですが、この一連の放映を旅の経路に当てはめると絡んだ糸が解けるがごとしにするするとスケジュールが定まって、それはそれは爽快なほどでした。という訳でこれからお邪魔するお店は正直他に選択肢はなかったのかと思わせるこの番組の傾向としてはかなり異色のお店ではありますが、洋食屋呑みも嫌いじゃないぼくにとっては好都合です。見たところは地下飲食店街の古めかしいレストランという感じで、悪くはないのですが、酒はともかくとして肴があまり良くないのです。工夫を凝らしているつもりらしいのですが、その手の掛け方が余計な味覚として認知され、どうもはかばかしい味わいに至っていないのであります。でもその不器用さがなんとなく愛らしく思われるのも確かであって、そんな店主のお茶目さを慕ってか、女性客が多かったのも大いに好ましいところです。下手に料理上手にならずこのままの味でしぶとく頑張っていただきたいです。「いづみ」の前に辿り着くと、ちょうどそこに女将さんが姿を見せました。あっ、暖簾を仕舞おうとしているではないか。慌てて駆け寄って入れてもらえぬか直訴します。ここで遠くから来たとか恩着せがましいことを言ってしまうのは素人のやることです。まあぼくも単なる酒呑みの素人でしかないのだけれど。困った表情を浮かべられますが、そこは時折発揮される押しの強さでなんとか押し切り入れてもらうことができました。いやあそれにしても素晴らしい味のある内装だなあ。もはや入れてもらえただけで大満足です。狭いカウンターの閉塞感も落ち着けますねえ。とあまり寛いでいては申し訳ない。ビールをいただき、肴は残っているもので結構ですと申し上げたら、女将さんに席に着かれた以上はお客さんだから好きなもの召し上がってくださいと仰っていただきました。なんとも素敵な仰りようではないですか。すっかりこの店に参ってしまいました。煮魚も美味しかったなあ。ここは奈良に来たら外せないお店になりました。さて、店を閉める際の時間にお邪魔して最初は不機嫌そうだったご主人ですが、しばらくすると奥から出てこられて、談笑の輪に加わってくださいました。しかも勘定を済ませるとホテルまでの道中をしばらく付き添っていただき、見送ってくださったのでした。もうこの店のトリコなのであります。 さて、最後の最後にそんな名酒場に出逢えて大満足の和歌山・奈良の酒場巡りでしたが、まだ積み残しがあります。高野山の「みやさん」はさすがに通りすがりに立ち寄るのは難しく、新宮「きく」は今回のルートから外れています。奈良「奈良」は、実は三輪で電話して予約したのですが、満席で断られてしまいました。どちらにせよ時間には辿り着けなかったでしょうが。大和八木「如意」はすでに書いたようにお休みでした。
2018/01/08
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奈良というのは観光地という割に喫茶店というのが実に少ないようです。町そのものがコンパクトなので、そう過密にあっても供給過剰になるとでもいうのだろうか。いやいや、奈良は昔からホテルなどの宿泊施設が少なくて、それは観光目的なら大阪や京都に本拠地を据えて、日帰りで訪れるというのがかなり一般的というからまあホテルが少ないのは仕方ないと言えましょう。むしろかつて宿泊を込みにしてこの古都を訪れた頃に比べると驚くばかりに宿が増えていて、前夜もかなり遅くに投宿した訳ですが町には外国人を中心に観光目的の人たちを多く目にしました。だったらなおのこと、喫茶店があってしかるべきではないか、喫茶店どころかコーヒーショップすら需要に追いついていないように思われました。 だから普通だったらまず立ち寄ろうとは思わぬであろう「奈良ホテル」の喫茶室なんぞで優雅に朝を迎えざるを得なかったのです。いやまあ立派なホテルである事は認めるし、いつか宿泊してみたいとも思わぬでない。しかしケチ臭さというのは根っから身に付くものらしいから、その性癖をかなぐり捨てる事など金輪際叶わぬ儚い願いなのであろう事も予感しているのです。喫茶室でその一端でも味わってみたいと訪れる人も少なからずおられるのだろうけれと、ぼくには逆に己を惨めにするだけの効果しかもたらさなかったようです。宿泊客らしき立派な身なりの男性が新聞数紙を手に現れました。程よい日差しの差し込む席を心得た風に瞬時に選び取るのはこうした施設に通い慣れているからに違いなさそうです。高額なコーヒーを優雅な仕草でお代りしてみせるのも堂に入っています。どうやらぼくにはこのホテルの喫茶室というのは無理があるようです。大体こうしたホテルに併設の喫茶って内装が変わることはあるでしょうけど、無くなる事はないのだから、もう少し身の丈に合うようになってから来るべきだったなあ。 奈良ではたまたま通りすがりに見掛けた「珈琲館 通園」が一番気になりましたが残念ながらお休みでした。やむなく近くの「かふぇ たまき」に立ち寄りましたが、ここは悪くないのだけれど一つ決定的に残念な事がありました。それは店の扉に店内写真が掲示されているのです。これはごく一般的な目的で利用する人にとっては大変結構な親切心の表れであるのだろうけれど、特に店内の景色に執着する物好きなある種の人にとっては有難迷惑でしかないのだよと訴えたいけれどマイノリティがマジョリティに勝利するなとという事を信じられる程には子供ではないのであります。このノリで「喫茶 珈琲一族」も片付けてしまおう。店名こそ勇ましいけれどごく普通の町の喫茶店であり、悪くないのであります。だけれど、表から店内も丸見えだし実際中に入ってもそれ以上のものではないのであります。それはいかにも残念な事ではなかろうか。もしかすると奈良には古から自ら生み出さずとも絶景があるからとあえて奇抜な内装などで客をもてなす気風がないのかもしれないなあなどと思ってしまうのです。
2018/01/07
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次に向かったのは、三輪駅でした。桜井線に揺れての到着です。何とかいう愛称も使われているようだけれど、馴染みがないから無視することにします。と言うとさも桜井線に熟知しているかのようですけれど、乗車するのは一体何年ぶりのことが思い返そうにも過去の記録など何一つ残しておらぬのだから、それすら叶わぬのです。到着するまで気付かなかったのですがここは三輪そうめんの故郷なのですね。先般喫茶のお師匠的なかの方が三輪そうめんのことをお書きになられていましたが、どうやらご存知ではないそうです。ぼくは子供の頃、テレビCMで始終三輪そうめんの歌を聞いていたから実際に食べていたかはハッキリしないけれど、とにかく馴染みのあるのは、やはり関西育ちということもあるのです。さて、回顧心を揺さぶられる駅舎を出るとゆるゆると回り道しながら酒場を目指します。しかし、見掛けたのは目当ての酒場の支店らしき店ともう一軒だけなのです。あとは酒屋があった程度か。近くには大神神社―これで、おおみわじんじゃと読むそうです―があって、この日何らかの祭礼が執り行われたらしく、近くの空き地だったかガレージにはそこだけが賑わしく酒盛りをやっていました。後は町は静まり切っていて胸が締め付けられるような哀感に満たされています。でもそれはけして嫌な感情ではなく、むしろ極力己の感情からは排除したいと願っている感傷すら揺り動かすのです。 やって来たのは「鳥敏」てす。ここも高野山口でお邪魔した素敵な喫茶店と同じく道の分かれ目の三角地に建っているお店です。例えば屋号を「三角屋」だったり「トライアングル」なんてしてもらっても興は削がれるどころかますます増したに違いない。色めき立って店に突入しますが、思った程は混雑していなくてホッとします。そうそう、大和八木駅だったかなあ、そこらから一緒に同乗したオッチャン―一番搾りの500ml缶を慌ただしくカパカパと呑み干し、己の呑兵衛をあからさまにするヨッパライの文字入りTシャツを見苦しく着こなしていたから見間違えようもありません―が遅れて店に入って来るとさも常連顔で矢継ぎ早に注文するのだが、それがとても独りで食べ切れるのかと不安になる位の量です。このオッチャン、さも常連であるかのように振る舞いたかったらしいのだけれど店の方からはクールな対応をされてしまうのでした。しかしまあ酒もすごくてビール大瓶をたちまちのうちに呑み下すのです。まあその後もビールを呑んでたから、胃腸のキャパシティだけは羨ましく思うのです。さて、こちらではまず焼鳥を頂かなくては。うろ覚えですがここは卵を産まなくなった雌鷄を出していて、これが見が締まっていて歯応えも良くて大変味が濃くて旨いのです。詳しくお話を聞かせていただけたのですが、忘れてしまってすいません。他の大皿メニューもとても充実していて、旬の素材を実に上手に使いこなしていて、少し感動してしまったのです。肴の旨さで酒が進むような健康な胃腸などとうに無くしてしまっていたと思っていましたが、まだまだいけるようです。 さて、天理駅でちょっと寄り道をしようかと列車に乗り込み一息つき、習慣的にメールの確認をしようと思うのだが何たることか携帯を置き忘れたようです。取りに戻らねばならぬけれどそうすると往復で一時間以上無駄になるがそれも致し方ない。今回の旅はチョンボが多いなあ。ここでS氏とは一旦別れて奈良駅で落ち合うことにしました。先の店で携帯を受け取るけれど次の列車までは一時間弱あります。しばらく真っ暗な町を散策してみるけれどやはり駅前通りの2軒しか見つからぬ。しかも町には飼い犬らしいけれど放し飼いされているようで、おっかないから早くどこかに避難せねば。 結局、「駅前きっちん you, 友, 遊」という店に入りました。靴を脱いで上がる式のお店。普通の民家を店舗にしたみたいで、変に落ち着く。老人会の集まりがちょうど終わりそうです。5席ほどのカウンター席に腰を下ろします。次の列車までの時間潰しとお断りすると、目の前に炊き上がったばかりの美味しそうな煮付けが大皿で置かれました。聞くとこれはエイの煮付けで奈良ではよく食べられているらしい。それは珍しいと取りあえず手早さそうなのもあってお願いすることにしました。アンモニア臭を発するというイメージは心地よく覆され、ホロホロと身離れも良く淡泊ながら他にはない味わいが楽しいのでした。このオヤジさん、なかなかに波乱万丈な経歴の持ち主らしく、海外で料理屋をやったこともあるなどその来歴を伺うだけでも夜っぴいて聞かねばならないと思われます。お隣は長らくスナックなどをやっていてマダムで、主人がこのマダムの年齢を当てたら支払いを半額にしてやるよと言い出し、奥さんは嫌そうな顔を隠しもしなかったのですが、見事ぼくは言い当ててしまうのでした。大体、見た目よりちょっと低めの数字を言えばいいところなんですよね。なので、ここでは例えば70歳に見えても60歳と言って見せるような気配りが求められるところですが、当てる気まんまんなのであれば「分かんないから、自分の母親と同じ70歳でどうだ!」なんて言ってみるのです。そうすれば気分を害せずに見事サービスを受けられるというものです。店名にはどうかと思ったのですが、なかなか楽しくてよいお店でした。
2018/01/01
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さて、またもや和歌山線に乗車しました。奈良行の列車で向かうのは粉河駅です。それはすでに酒場篇で報告済みだったか。鉄道ファンにとっては和歌山は乗り潰しも工夫の余地もさほどなさそうだしシンプルな行程をひたすら耐えるなり、緩く堪能するしかないなんて思ってしまいがちで、ぼくなんかもむしろそう思っていますが、途中下車すると退屈そうな車窓からの眺めは一変してしまうのである。いやそれは降り立ったほんの限られた駅にすぎぬのですが、今回下車した各駅は駅ごとにまるで異なる表情を見せてくれました。その良し悪しというか、多様さと単純さのコントラストは、そこに仮に喫茶店がなかったとしても色褪せはしなかったのではなかろうかと思うのです。それは結果として満足すべき喫茶店との出会いがあったからなんだろうと言えなくはないかもしれぬけれど、今こうして改装する限りでは満更過言とではないと断言します。 さて、粉河駅に下車すると思ったより多くの商店が立ち並ぶ通りがありました。町も和歌山らしくないしっとりと落ち着いた雰囲気で、それは単に人気がないからかもしれませんが、独りだったとすれば相当な旅情を感じたに違いないのです。通りの脇道には、非常に味のある酒場なんてのもあったりして、私的な町の判断基準である果たしてここで宿泊しても構わぬか、そしてまし泊まるなら何泊するかという他愛もない遊戯に耽るのであります。「珈琲専門店 珈町」、「喫茶 タカ」、面倒になって写真は取りませんでしたが「EIGHT」なんてお店があるのを見るとつい判断が緩くなるのですが、実際には夜のこの町は相当寂しいのだろうなあ。 目指すべき喫茶に向かって一本名手駅寄りの南北に繋がる通りを歩いていくと、古い長屋建築に「喫茶 軽食 どれみ」を見掛けました。この風情を目にして無視できる程には、人間は出来ておらぬのです。まあ中に入ると特段変哲のないシンプルな造りでしかなかったのは、もうそれはゴチャゴチャ言ってみところで始まらぬ。ここでは、かき氷をいだきました。200円だったかなあ、スゴい安いです。コーヒーにするか迷ったせいもあって氷を食べ終えた後にコーヒーをサービスしてくれたりと致せり尽くせりなのであります。滅多に見知らぬ客など訪れぬだろうに暖かく歓待してくれたママさんに感謝です。 バイパス風の退屈な道路を名手駅方面に歩いていくと思ったより呆気なく「カフェ&レスト サンスイ」が見えてきました。ドライブインスタイルの喫茶店は、愛知県や岐阜県という喫茶王国でもメジャーな存在らしいけれど、和歌山にも少なくさそうです。しかしこんな車通りもさほど多くない場所でこれだけのゴージャスなオオバコをやっていられることが不思議でならないのです。空調にしたところで下手をすると一日の売上を上回ってしまう事もあるんじゃなかろうかと老婆心ながら心配にもなります。さて、こちらのお店、一言で言い表すとすれば高級ホテルのロビーそのものなのですね。だったらただで時間を潰せるホテルのロビー巡りでもすればいいじゃないかとの指摘は無用であります。いらぬお節介なのであります。実はホテルのロビー巡りも好きで、かつては日本旅館なんかも含めて見て回っていたのだけれど、喫茶店よりは延命するであろうと目算を立てて以来は将来の楽しみとして取り置くことにしたのでした。それにしても立体感もあり、並の高級ホテルなど束になっても敵わぬほどの贅沢さです。つい俯瞰で店の全容を見渡せる上のフロアーを選んでしまいましたが、本当は庭も近く仰角でその豪華さを堪能できそうな下が正解だったのではないか。こんな店であれば一日でも過ごせそうです。食事メニューも豊富だしね。 さて、和歌山県ではここが最後の駅になります。高野口駅にて下車。枯れた風情のある街並みが駅前に広がってはいますが、活気には欠けるきらいがあります。緩やかな下り坂を降りてしばらく歩くと「純喫茶 プランタン」があります。地方の小さな町に根付いた喫茶店という感じで一目で好感が持てます。商店街というほどの町並みがない住宅が立ち並ぶ中にポツンと喫茶店があるのは和歌山らしい風景かもしれません。まあ、日本中くまなく歩いているわけではないので、そこら中に似たような風景はあるかもしれませんが、真夏の和歌山を久しぶりに堪能している気分になれます。それにしても惚れ惚れとするような外観ですね。町外れのごく普通の喫茶店ではありますが、町にしっくりと溶け込んでいます。店内はざっと眺めただけでは素っ気ない位に淡泊な印象ですが、よくよく眺めると天井やら見るべき個所が少なくありません。派手派手しさがなくても、時間調整も兼ねてのんびりくつろぎ切って過ごしているとじわりとその良さが見えてくるような感じです。いつまででも続きそうな次の列車の発車時刻までの長い昼下がりを堪能しながら、今度はちゃんと高野山に詣でることにしようと思うのでした。 この後、奈良県に移動し、大和八木駅のガード下にある「純喫茶 ヒュッテ」を偵察しますが、残念なことにお休みでした。
2017/12/31
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ぼくにとっての岩出駅は、余り好印象な町ではありませんでしたが、お隣の粉河駅は寂寥たる駅前とは裏腹に少し歩くとなかなか町らしい体裁があって、散歩しているだけでもそれなりの充実を感じられる好ましい町でありました。駅をひたすらに緩やかな上り坂を北上していくとやがて下調べしておいた喫茶店があるはずでしたが、一向に見つからず、代わりにはならぬけれど粉河寺という西国三十三所第三番札所なる立派な寺院がありました。日頃は神社仏閣はそうそう廃れるものではないから、老後の散策の愉しみにするとか言い放ってみせているけれど、年取ってからここまで歩くのはちょっときつくなるんだろうなあ。なんて、あまり乗れないのは本日の報告がいまひとつ面白味がないからでありまして、今後の報告の都合上、ランチタイムで立ち寄った町のありふれた食堂のこととなることをお断りしておきます。 寺に続く道の途中に「食事 ちくりん」という味がありそうなそうでもなさそうなお店に立ち寄って昼食を取ることにしました。うどんを主力商品にしたお店のようです。さすがに和歌山だとうどん文化圏なのですね。都内にいるとどうしてもそばに目を向けがちですが、うどん文化は日本各地に根強く残っていて、むしろそばよりずっとポピュラーな食品なのかもしれません。うどんの東西比較をすると決まって出汁の違いばかりが語られますが、関西のうどんというのはこれはこれでなんだかぼやけてはいるけれど個性があって、時折いただくと美味しいものです。そばが基本的には田舎、藪、更科に限定されるのとは違って、その土地土地の変化を味わうというのもいいものです。もちろんこちらのうどんも関西風、柔らかめのうどんを工事現場の作業中らしき方たちも一心不乱に召し上がっております。われわれの如くにビールなどを嗜みつつという優雅で怠惰な昼時を過ごす者は他にはいません。町中の食堂だとそれなりの規模の町だったら昼間から呑む人も少なくありませんが、地方の小都市と呼べるかどうかという町だと、真っ昼間からの飲酒はほとんど見掛けません。暑い中、ビールで身体を冷ましては、アツアツの出汁が張られたうどんをすする、そのたびに汗が出たり引いたりと誠に忙しいことですが、たまにはこんな贅沢を堪能してみたって罰当たりではないでしょう。 その後、高野山駅などに立ち寄った後に、大和八木駅で酒場放浪記で放映された「美食酒房 如意」に立ち寄るつもりでしたが、遅めのお盆休みだったようです。駅のガード下のとりたてて変わったところのなさそうなお店ですが、ちょっと残念でした。
2017/12/25
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和歌山には、また訪れる機会があるに違いないとの根拠のない確信に後押しされるように和歌山駅とは別れを告げることにしました。和歌山線粉河行に乗車して、岩出駅を目指すつもりです。和歌山には住んでいたけれど、和歌山線に乗ったのは数える程度なので、その点でも楽しみにしていました。ところが、実際の車窓は案外平板で退屈なもので、早く岩出駅に到着しないかと気ばかり急く羽目になったのでした。その岩出駅前も田舎臭いというには躊躇する程度には栄えているし、かといって散策して楽しいかというとそれも甚だ疑問というとにかくいまひとつ冴えない駅前風景が広がっていて、気分は一向に上がってこないのであります。 さて、時系列など無視をして書くとすれば、駅前喫茶の「コーヒーハウス マイアミ」には気持ちが引き寄せられました。しかし一番の目的を果たす前にこちらにお邪魔するという心のゆとりなどありはしません。結果として、目当てのお店を終えた後に、電車待ちの時間調整にキープしておきましたが、戻ってくるとちょうどママさんでしょうか、女性が店に鍵をかけてそのまま自動車に乗って走り去ってしまいました。 駅を背にして歩き出したところで一向に気を惹かせるような景色など現れはしません。「喫茶 サボテン」など時折喫茶店を見掛けはしますが、ぱっと見に入りたくなるような構えではありません。 それでも低層のテナントビルの一軒に「珈琲専門店 ブリッヂ」を見たら、少し寄り道したくなった先達の気持ちは推測に容易いのでした。表を見るだけで大体の内観は目に浮かぶのであって、こういう店に足を踏み入れるのはそうした予想を確認するための不毛な振る舞いなのかもしれません。しかしそうした無為にとすら言っても良さそうな姿勢を否定してしまってはこんな喫茶巡りなんていう無駄な所業など全く無意味になってしまう。想像の域を超えぬけれどでも居心地の悪くない環境を好む常連さんが煙草とスポーツ新聞で細やかな贅沢の昼下がりを過ごしているのはきっと素敵なことなのだ。 気持ちを落ち着けて向かうのは「喫茶 バイパス」です。やがて騒がしいまでに車の行き交うバイパスが見えてきたので目指す喫茶は間もなくなはずです。攻撃的な昆虫っぽい外観のこちらのお店はかねてから何度となく予習していたので、最初見た時には隣のハンバーグ系ファミレスがずっと過激に思えて見えたのです。店内もかなり攻めてはいるけれどホテルのロビーみたいと思ってしまえばそれまでの事かもしれない。と、正直に告白すると初見時には思った程の衝撃をもたらしてはくれなかったのでありますが、それはどうやら周辺の環境が作用しているように思われるのだ。ぼくはもっとずっと閑散たる田舎道にこの店はあるものだと思っていました。それが周辺にあらゆる商業施設を伴っていることが、ぼくの感覚に良くない作用を与えたらしいのです。店内もそこまでの繁盛振りなのはちょっと違うんじゃないかと。だから後になって想像の中であの席この席に腰を下ろしてみるのです。そうすると意識の片隅で捉えていたらしいこの店の豊潤さが立ち上がってきて、今更にまた行きたい気持ちが湧き出すのでした。
2017/12/24
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懐かしの海南駅を出ると和歌山駅までは間もなくです。しかし、この夜の宿泊は和歌山市駅のそばに決めています。なんとしても和歌山市駅まで行かねばなりませんが、たった一駅なのに列車の待ち合わせ時間はかなりあります。一駅なので無理すれば歩けなくもない距離ではありますが、すっかりくたびれ果ててしまい、夜道を遠距離歩くだけの気力はありません。だったら路線バスなりタクシーなりを使うかというとそんな無駄遣いはご法度です。となれば駅前に出て次の列車までの時間調整をするしかありません。うらびれたみその商店街に行ってみたところで酒場がやっているという保証はひとつもないですが、寂れた和歌山駅の駅前では選択肢はそうそうありません。 しかし、歩いてみるものですね。「酒一」という立呑み店が駅を出てすぐに見つけることができました。ガラス張りの粗末な構えの酒場ですが、和歌山の駅前酒場らしくてぐっと胸に詰まるものがあります。幼い頃にこういう一膳飯屋でよく夕食を食べたものです。ガラリと戸を引くと店主がむっつりとした表情で店仕舞いを告げるのですが、一杯だけでいいからの言葉に仕方ないなあという表情で迎え入れてもらえました。すいませんねえ、なんてへりくだって見せるのが案外大事なんですよね。結局チューハイを2杯いただけましたからね。肴はだから簡単なもので十分なのです。十分とは言っても、品書きを眺めるとなかなかの品揃えで、もう少し早ければあれこれと目移りしてしまったことでしょう。これを独りで熟すのだから大した実力の持ち主だと今さらおだてて見せても遅いかな。駅前にはこうした何気ないけどちょっと気の利いた、そして少しばかり癖のある主人がいてくれると楽しいのです。 紀勢本線和歌山市行に乗り込み、和歌山市駅を目指します。ホテルにチェックインするとすぐさまに町に飛び出します。と書くとさぞや賑やかしい呑み屋街があるように誤解を招きかねませんが、この南海電鉄との接続駅の寂れようは酷いと言っても言い過ぎではないでしょう。真っ暗な夜道をホテルから30秒、「洋酒喫茶 コンパ」がありました。この夏、敦賀の町外れの呑み屋街でもコンパを目指したのですが、そこでは無念にもやっていないという至極残念なこととなってしまいましたが、幸いこちらは営業していました。コンパというと賑やかしい雰囲気が持ち味かと思うのですが、こちらはひっそりと静まり返っていて、入店するのを躊躇うほどです。それでも当然足を踏み入れるのですが、その内装がものすごく怪しげでありながらも洗練されたもので非常に興奮します。天井の細工や品書きの味のある書体など見所は多いのですが、説明するのも面倒です。内装は30年ほど前にいじっておられるようで、当初はご夫婦ではじめたそうで、「江古田コンパ」などと同様に入り組んだカウンター席だったということですが、改装時にシンプルな現在の姿にされたようです。当時の様子も見てみたかったものですが、今のクールな佇まいもカッコいいというのが相応しく感じられます。ママも思い出話をじっくりと語って聞かせてくれる素敵な方でした。水割りの杯数もついつい多くなるのはやむを得ないことでしょう。またいつか再訪したいものです。
2017/12/18
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紀伊田辺と和歌山の喫茶巡りはほとんど空振りに終わりました。近頃、私的にも公的にもそこそこの多忙となっていて記憶が曖昧なのとおっさん化による体調の不調さが相まって、どうも調子がイマイチなのです。これから書こうとしている和歌山を旅していた頃にはここまで不調ではなかったはずだけれど、それすら明確には思い出せぬのだから、いつも通り和歌山の喫茶レポートは朦朧たる霞の中から掻き分けしつつ手探りに引き出さねばならぬのですが、そんな記憶の片鱗すら果たして劣化の著しい己の脳内に刻み込まれているものだろうか。甚だ心許ないのです。 それは何も喫茶巡りに限定された事象ではないから、一般論に過ぎぬのですが、列車トラブルの影響をモロにくらった割には紀伊田辺駅には、予定からさほど遅れることもなく到着しました。列車が駅に滑り込むと、S氏を置いて跨線橋を駆け抜けます。駅の裏手に出るのはなかなかに難儀なのです。目指すは「喫茶 チャンピオン」です。ネットで既知のお店ですが、自らの鼓膜を通して記憶に焼き付けておきたい。しかし、無常にもやっていません。その後も「純喫茶 巴里」に見捨てられてしまいました。 ようやく入れたのが「喫茶・軽食 フルート」でした。前回来た際にはかなり広範な町であるなあという感想を抱いたものですが、それはどうやら呑み屋街の迷宮感に幻惑されたからのようです。直線に歩くとどうという距離もありません。それでも汗だくになってうなぎの寝床のような奥に細く伸びたその行き着く先に坪庭が設けられているのには、嬉しくなりました。緑というのは焦りや火照りを落ち着ける効果が実際にあるようです。それ以外は至ってオーソドックスな造りでインテリアも主張を放つような何かがある訳ではないけれど、ここが喫茶王国でなければ気に入って通うかもしれせん。「喫茶 カトレア」は、立ち寄りはしたものの至ってシンプルなお店だったので特筆すべき事はありません。気持ちは既に夜のモードに切り替わっているし、S氏との合流のときも迫っています。その後、先日報告を終えているあの名酒場に向かうのですが、喫茶巡りの不調に終止したことが結果として酒場を存分に堪能できた要因と思うことで、自分を慰めることにします。 あの「純喫茶 桂」の前にも立ち寄ってみましたが、どうも閉店されてしまったようで、雑然としあ店内が覗けました。 翌朝、和歌山市駅のそばの古いホテルからスタートしました。高速バスで大阪に向かってから横になれなかったので泥のように眠りに就いて、そのままシーツにしみ込んだまま這い出せぬのではなかろうかと思ったほどです。でもまあサラリーマンの哀しい性ゆえに、6時には好むと好まざるに関わらず妻鹿純一覚めてしまうのでした。和歌山市駅―和歌山駅を中心としたエリアにはすばらしい喫茶店が少なからずあるのですが、どうも和歌山市内の喫茶店とはタイミングが遭わないようで、これまでも空振りが少なくないのです。だから「ヒスイ」、「リヨン」、「cf」などにフラれてしまってもクヨクヨしたりはしません。 ようやく「純喫茶 小紋」に灯りを見た時にはさすがにホッとしました。前回もやっていて入ろうとレンタサイクルを店の前に止めて、サドルから足を話した瞬間にベリメリという嫌な音が響きました。ズボンの縫い目が弱っていたようで、チャイナドレスほどにものすごいスリットができてしまっていたのでした。そんな残念な記憶もありますが、今度はそんなハプニングにも見舞われず無事店内に入れる状態であったことも幸運と思える程度に心は平穏なのでした。役所のそばの喫茶店らしく多少窮屈に席が配置されているのですが、それもまた味になっています。インテリアの配置というのは案外店の印象を強く左右するもののようで、考えてみれば人の顔にしてみてももう少し眉毛の位置が低かったら素敵なのになあなんてことと似たようなものかもしれません。二日酔いなのでモーニングのいちいちが美味しく感じられます。結果として素敵な和歌山の朝を迎えることができたのは喜ばしいことでありました。
2017/12/17
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田辺で満腹になったけれど、海南に辿り着く頃には幾分か体調もマシになっていたのでした。紀伊田辺に向かった時には果たしての宿泊予定地である和歌山市駅の界隈にまで帰ってこれるか若干不安だったのですが、もとよりプランを重視しているかのように振る舞っていますが、ハプニングのない旅路ほど味気のないものはない。喫茶店巡りや酒場巡りを主なるテーマと掲げてはいるけれど、本当なら然るべき町に降り立ってそこそこの酒場で呑んで、朝はそれなりに旨いコーヒーでも飲ませて貰えれば案外満足なはずなのです。でもこうしたプログを書いている以上、何らかの成果を持ち帰らねばぬという使命感があります。そんなものは好きにやってればいいではないかと言われては余りにも切ないので勘弁頂きたい。呑むのは大概において苦ではないけれど、こうして駄文とはいえ文章を書き連ねるのはやはらそれ相応に苦痛なのであります。だったらやめればいいではないかという指摘は誠に的確であるのだが、それをやめるのはなかなかに抵抗があるものなのです。といったグズグズした駄文はどこまでも算出可能なのでここまでなしておくことにします。とにかく紀伊田辺を後に和歌山市駅に素直に向かうべきだけれど、どうしても海南駅に立ち寄りたくなるのは、酒場放浪記の店があるというそれだけの理由ではなかったと思いたいのであります。なぜならと語り始まると切りがないと止す事にしますが、ぼくがまだ出来の良かった弟を罠に嵌める程度の策略を張り巡らす程度に幼かった頃に折に触れて行った町だったからです。 そこにはかつての思い出など微塵も残されていませんでした。それを悲しむだけの感傷はのはや残されてはおらぬのか、ごく当然のように受け入れてしまうのは、むしろその心性にこそ憂いを感じるべきなのでしょう。まさに何もない退屈な自動車ばかりの多く行きかう通りをしばらく歩くと「ろばた焼 千日」の看板がありました。この看板に吸い寄せられぬ酔客は自宅で呑むのが宜しかろう。こう書くとよほどの僻地だからこその贔屓目混じりに大げさに感動を語っているかのように誤解を招きそうでもありますが、そこには少しの誇張も含んでいないことを確約させて頂きます。この時の酒場放浪記の番組内容はマンネリ化しつつあるこの番組としてはなぜか鮮明に記憶しています。そして、その一部は確かに放映されたものに近しいのですが、全般の印象としては全く異なって感じれたのです。駅前に酒場らしきものがほとんどない、そんな侘しさばかりが際立つ駅を後にすっかり暗く人通りもない夜道をトボトボと歩いていくと唐突に店の灯りが見えてきます。それは路地の奥へと誘う看板の明かりなのですが、この風流にときめくだけの初心な感性がわが胸に未だある事にホッとします。暗く静まり切って感じられた店内は入った刹那はテレビで見た一見客を寄せ付けぬような排他的なムードなど微塵もなく、ここでまたひと安心です。女将さんの事をキツそうな笑顔のない方と記憶していましたが、それも思い違いであり単に一見すると冷淡な表情の持ち主と解すべきでした。だってそんな心底冷たい人からあれ程丁寧な肴が供されるはずがないもの。肴はどれも家庭料理の延長かもしれぬけれど、自分には作り出し得ぬ一手間が掛けられています。ところで店の娘さんと家族ぐるみのお付き合いをされているお客の旦那さんがサツマイモのフライを頼んでいました。もうそれまでに相当の量を召し上がっていたはずですが、〆はこれとハナから決めていたらしい。皿から溢れそうに盛られたそれに数種ある蜂蜜の一つをセレクトしてこれでもかと回し掛けていたのです。うむむ、これは食いたい、先程親しくお喋りしたのでお裾分けなんてことにならぬかと淡い期待を抱いたのですが、それは甘い希望だったらしくタッパーに詰めてお持ち帰りになりました。代行タクシーを呼ぶのが地方の小都市らしい。 駅に戻ると和歌山駅方面の列車は30分以上ある。駅舎内も静まり返っており、ぼんやり時を過ごすのも虚しいので先戻り掛けに見掛けた残る唯一の酒場である「酒処 ゆき」にお邪魔しました。案の定、他に客の姿はなく女将さんも寛ぎ切っていました。それでもわれわれの姿を見ると嫌な顔一つせずに受け入れてくれたのは有り難い。次の列車まで一杯呑ましての言葉にも表情ひとつ変えぬのは救われます。時折露骨に嫌な顔をされることがあります。ここでは海南のことをあれこれお伺いできたのですが、その中身については記憶に留まるような話は特になかったかもしれません。しかし古い酒場の少なくともほぼ残らないこの町では、先の店とともにますます貴重な存在となるはずです。ちなみにここは早い時間、確か午前中には店を開けるらしいので興味のある方は立ち寄るのもよろしいかと。本当にどうということのないお店ですが、案外に人情を感じられるかも。
2017/12/11
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やっとこ辿り着いた湯浅駅ですが、見所満載なのでうかうかしてはいられません。相変わらず列車は湯浅駅だ足止めを食らったままですが、もとより湯浅を目当てにしていたわれわれに不都合はありません。運休が続くならそれなりに時間の使いようはあるというものです。実際、「シャルム」、「喫茶 テル」、「洋酒 喫茶 御苑」、「喫茶 軽食 道」、「珈琲の店 祥」、「喫茶スナック シェーン」、「喫茶 友香」などなどを見掛けながらその数軒はやっていたというのに通過してしまったのだから、時間を持て余すということはないはずです。 最初にお邪魔したのは「純喫茶 光洋」です。レンタサイクルで颯爽と乗り付けたわれらはスマートに駐輪を済ますはずでしたが、店内からは猛然と犬が喚き立てるのであります。われわれは君に対して何か酷いことでもやらかしたかねと宥めたくなるほどのヤンチャさです。それにしても無愛想極まりのない店構えであります。そこがまた堪らぬ緊張感を強いてくるのですが、その先にはきらびやかな空間が待ち構えている事が分かっているのはやや残念な事です。すでに情報を得ていたのです。しかし、そんな予想を軽々と裏切ってくれるのだから油断がならぬのです。カウンターを照らすランプシェードの色彩のセンスはどうだ。現代日本には生み出し得ぬ鮮やかでメランコリックな輝きは時代さえ易ゝと乗り越えてしまうかのようです。それを際立たせるために他のアイテムは極めて質素でモノトーンにまとめられているのです。細部の絶妙な調整次第で空間は幾らでも変容させる事が叶うのです。かのランプシェードをブルーを基調としてみるだけでも店の印象は刷新されるはずです。いっそ季節ごとに変えてみてはと進言したいところですが、この店に馴染むランプシェードなどもはや見つけ出せぬかもしれません。 それにしても和歌山県民はどれだけ豪奢なものが好きなのだろう。元の住民としてはそこら辺について考察してみいところだけれど、思い返してみれば確かに当時暮らしていた貴志川線沿線にもトンデモない豪邸が小高い丘の上に聳え立っていた。そういえば幼い時分にその豪邸への侵入を目論見、見事に拘束されておやつと沢山の豪勢な土産を持ち帰ったことがあったなあ。ぼくのような中流階級の家庭で生まれ育った者にしてみれば、豪邸は今になっても憧憬の対象なのです。ぼくが喫茶巡りを趣味になし得たのも和歌山時代の記憶が未だに染み渡っているからなのかもしれません。「喫茶&レスト キセイ」は、幾らか淡白という僅かな瑕疵を認めながらもやはり和歌山らしさ全開の宮廷系喫茶なのでした。地元の方もチラホラおられますが、当初はこの豪華さに焦がれて訪れたこともあるのではないか。今ではそんなゴージャスな空間も当たり前になったようでありますが、今では自宅の別邸の応接間のように自在に使いこなしているのが実に羨むべきことです。そして、店から一歩表に出た時のギャップがまた堪らない。熊野古道のどうしようもなく純日本的な小径が編みの目のように広がるのだから。この場所にこんな建物をおっ建てた創業者のセンスに卒倒します。 昼呑み出来る食堂に向かうときっと寂れ切った洋菓子店と併設した喫茶店を持つ「ロワール」を見掛けることになるでしょう。ショーケースには洋菓子はほとんど並んでおらぬけれど、奥せず大きな声で店の奥に呼び掛けてみてもらいたい。お母さんがきっと出てきてくれるはずです。大きな声を出した事で高揚感は幾分冷めて、冷静に店内を見渡せるようになるはずです。そうなると、わざわざ立ち寄るまでもなかったのではないかという緩い後悔の念も湧いてこようものですが、そこで焦ってはならぬのです。だって今時こんな出鱈目な店とはなかなか出会えぬはずです。とにかく綺麗でも装飾に見るべき点があるわけでもないけれど、何だか入ってみておかねばならない気にさせられるお店でした。
2017/12/10
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うっかりと宮前駅で長居しすぎてしまいました。当初の予定では紀三井寺駅でも途中下車するつもりでしたがそれよりも行きたい町があったのです。初めて和歌山を訪れたS氏は、和歌山城観光を済ませて湯浅駅で合流する予定なのでした。そう湯浅駅こそが今回の旅の大きな目的の地の一つなのでした。ところが、何たる不運、降雨に見舞われ運転は徐行に切り替わり、行き先も湯浅駅止まりとなってしまいました。まあ湯浅駅に辿り着ければひとまずは良しとすべきですが、それもこの先の天候次第では何とも言えないところです。とまあその時点で運良く湯浅駅に到達できたとして、果たして宿泊予定の和歌山市駅まで戻ってこれるのかなどの不安を無視できるほどには図太くない。それでも30分程度の遅れで湯浅駅には辿り着けたのですが、この時点で上り列車も下り列車もバッタリと停車してしまいました。普通列車のわれれなら気軽に途中下車でもして町の散策も出来るけれど、特急の客たちは列車から離れることも出来ぬのだから不憫なものよ、とざまあみろなどと酷い事を思ってみるのですが、われわれとて果たして和歌山に帰りつけるのかという獏なる不安は拭えません。まあ空は幸いにも晴れ渡ってきているので悪いことは考えぬが得策です。 駅前には「一二三食堂」があり、他にも魅力的な大衆食堂が点在していて心が揺れますがひとまずは、目当ての「はたよ食堂」を目指すことにしました。その前に駅前の案内所で無料のレンタサイクルを確保、湯浅の市街地は意外と広範らしいので有難く利用させてもらいますが、酔っぱらい運転は本意でないので先に喫茶巡りを済ましてから、ゆっくりとかの食堂を堪能するつもりです。その充実した喫茶巡りと情感に満ちた町並みについては翌週に送るとして、まずはかの食堂で呑むべしであります。う~ん、なんとも味わいのある店だとさも今初めて足を踏み入れたかのような書きぶりですが、散策前に営業や確認を済ませていたのであります。それでも店のボロさは少しも損なわれぬのだからやはり大したボロさであります。先客もおります。高校の教員というおぢさんと列車に足止めを食らったご夫婦です。おぢさんは昼なのにすっかり良い加減に出来上がっていて、生徒たちに目撃されても大丈夫なのか。夫婦モンはシラスの丼を召し上がっているけれど、大丈夫なのだろうか。何がどう大丈夫かを赤裸々に記すわけにはいかぬけれど、塩瓶に☓☓☓☓が安置されていたことからも危険さは明らかであります。がしかし特に支障なく営業しているのだから心配は無用なのかもしれぬ。店主は学がある事を誇っておられて、その珍妙かつユーモラスなことに好感が持てるのです。若い娘にも好かれていると嘯いていたら、本当に若くてキレイなお嬢さんが姿を現したのにはたまげたものです。自慢の煮込みは普通に美味しく名産のシラス、ただし先のあるわれわれは天ぷらで頂きましたがこちらはボチボチですがここは何よりオヤジの奇天烈さを楽しむ店です。 さて、駅に引き返し、しはしなやみます。紀伊田辺駅まで運行を再開したらしいのです。少しく酔ったわれわれはここでは悩みもせずに下り列車に乗車してしまうのです。駅舎を出て、ようやく事の重大さに気付くのですが時すでに遅し。ここでも別行動でぼくは喫茶巡りを済ませました。 次にお邪魔したのも酒場放浪記で放映された酒場です。「とっくり」には開店直後に潜り込むことができました。さもなくば予約客で断られていたに違いない。それ程に人気の酒場なのでお出かけの際は予約することをオススメします。開店直後でも埋まっていることが予想されます。座敷席では壁に面した何とも具合の悪そうな席さえ埋まってしまうのだから、大した人気であります。それも宜なるかな、刺身の盛合せとアラの炊いたの、中身は内緒だけれど珍奇な卵焼きのいずれもが絶品であり、量も多い。正直これほどまでに旨いマグロや鯛のアラ焼はこれまで食べたことがないと言っても過言ではない。しかも値段がさらに驚愕すべきもので、ひたすらここで呑んでも良かったのであるけれどそうはしなかったのだ。それは和歌山に戻らねばならぬとか、翌日のスケジュールに差し支えるとかいうケチ臭い話では消してないのであります。オヤジも渋くて親切だし、本当にここで酔いつぶれても構わぬとさえ思ったのであります。ならなぜそうしなかったかと言えば、もう腹が一杯でこれ以上は肴も酒も喉を通らぬようになったからなのです。ここには次の機会があれば、是非ともちゃんと予約をして体調を万全にして望みたいものだとつくづく思ったのでした。
2017/12/04
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サンシャインシティでWILLERバスに乗車、大阪着は7時頃だったか。高速バスに乗車するには、周到な体調管理をもって臨まねばなりません。疲れ過ぎていても目が冴えてしまうし、乗車前はいかに眠気に見舞われてもその誘惑に流されてはならないし、かと言って抗い過ぎるとやはり目が冴えてしまうことになりかねません。そして何としても眠らねばならぬというプレッシャーを自ら課すことが良くないのです。しかし、何より大事なのは乗車前の飲酒の仕方であります。何をどの程度呑むのか、熱燗など良さそうでありますが呑み過ぎてしまう嫌いがあり、翌日の行動に差し支えが出る事も多い。ビールはトイレが近くなるので極力避けるべきでしょう。やはり暑ければ梅割をちびりちびりとやるのがいいし、寒い時期なら焼酎のお湯割が無難です。これはあくまでも一般論でやはり己の身体と相談が必要で、じっくり己の身体に耳を傾けなければならぬのです。 そんな周到さも虚しく、ヘロヘロの状態で梅田のスカイビルタワーイーストに降り立ちました。大阪駅から大阪環状線西九条方面紀州路快速に乗車。和歌山駅にてきのくに線御坊行に乗り継ぎ、宮前駅にて本格的に旅が始まります。昨年、いや一昨年だったか、宮前駅で下車していたので気分は余り盛り上がらぬ。それには前回のリサーチ不足も要因がありますが、それだけ魅力がないのは確かです。果たして喫茶店などなさそなこの町に喫茶趣味を満足させてくれるような店があるのだろうか。 まず目指したのは、「喫茶 軽食 さんぽ道」です。さすが喫茶最盛期に人口辺りでは一人辺りの喫茶軒数として日本一の称号を得た和歌山県です。何でもない町ともいえぬような退屈な通りに唐突に喫茶店が出没するのだから、称号に恥じぬ面目躍如であると取り敢えずは感心してしまうのです。しかしいかにかつての喫茶王国といえども、とこもかしこもがすごい筈もないのであります。外観にはもしや驚くべき空間が待ち受けているかのような期待を抱いてしまう余地があるのだけれど、残念ながら極めて普通の内装でした。数多くの店が切磋琢磨する町では、当然ながら競争原理が働く事になり、それぞれの店は他店との差別化を企てる事になるはずです。喫茶ファンとしては叶う事なら是非見た目の差別化に全力投下してもらいたいと願うのだけれど、実際の利用者としては見た目などより実のある方を選ぶとしても無理からぬ事です。実際喫茶店に限らず変化を止めたすべてについて言えることですが、見た目というのは飽きられる運命に定まっています。変わらぬ事は通りすがりの者にとっては価値あるものと崇められるけれど、それを日々維持管理する側には多分に厄介で退屈なものであるのではなかろうかと思うのです。ここは、どこまでも平凡であろうとすることをモットーとしたのだろうか、だとすればその戦略は誤ってはいなかったようです。多くのお客さんで賑わっているのが、その証左であります。 さらに目立たぬ分かりにくい場所に「喫茶 万喜」はありました。和歌山という土地は、とにかく道すらまともに整備されていないところが多くって、地図というものが迷子を誘発するための道具とすら感じるほどに上手く機能しないのであります。予定時間を大いに超過してしまい、次なる紀三井寺散策を断念する破目になった事は、あながち町と地図のせいにしては公平さを欠くかもしれぬけれど、「万喜」の愉快なママさんが親切かつ念入りに駅までの経路をレクチャーしてくれたのに、しっかり迷ってしまうのには参ってしまった。だってこのお店からはそう遠くなく線路が見えているのです。さて、住宅街の只中に唐突にあるこのさり気ない喫茶店は実にハイレベルな差別化で客を選ぶのです。見かけに派手なところは少しもない。しかし、壁や床、天井に至るまで妥協なく目配せがなされているようなのだ。誇らしげに我が身を晒す豪奢さなど軽蔑するかのように、どこまでも洗練されているのです。そこが堪らなくぼくの心を揺さぶる忘れ難い喫茶店になりました。 先に書いたように宮前駅からはきのくに線で再び乗車し、すぐの紀三井寺駅にて下車する予定だったもののスケジュールに無理があったのでしょう、さらに南下するのですがその続きはまた明日。
2017/12/03
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計算上はこの報告が新年第一回目となるのですが、相変わらず前年の夏の記録をポツポツと綴っているなんてどうかとも思うし、その内容も改めて回想してみるだけのものかどうかと問われてみると回答に窮してしまうことになりかねません。まあ愚直な律儀さこそがぼくの本領とするところなので、本年もよろしくお願いします。これを書いているのが前年のクリスマス明けでなのだから、年賀状と同様の白々しさは否めぬのですが、年賀状書きだってましてやブログ書きを正月早々したくなんてありませんから、例年になくマメに書き溜めしているということです。無料だから文句は言えませんが、ぼくの今使っている楽天ブログってのが、痒いところに手の届かぬシステムで予約投稿がずっとできなかったのですね。なので、旅先では下書きに保存していたのをコピペで貼り付けて投稿という回りくどい事をしていて、下書きから投稿すると下書きを保存した日付のまんま投稿されるという事態になり、難儀したものですが、最近突然予約投稿の機能が追加されたのは助かります。あとは写真の貼付けがもうちょい使い勝手良くなればいいのだけどと、リクエストしておきますがこの声は届かないんだろうなあ。 おっと、今年最初の投稿からいきなり脱線してしまいました。酒場篇は前回、三宮をようやく脱出し、その足で大津へと向かったのでしたっけ。でも三宮の名酒場で気持ちよく酔った後、駅に向かうとちょっといい雰囲気の喫茶店に遭遇したので酔冷ましを兼ねて立ち寄ることにしたのでした。全くノーマークであった「茶房 ジャヴァ」は、後で調べてみると昭和28年からやっている老舗のジャズ喫茶らしいのでした。店内は確かにジャズ喫茶らしい適度な暗さで、うっかり酔っ払って入った心地良い睡魔に抗うことは難しかったかもしれません。数多の著名人にも愛されたらしく、4人掛けのテーブル席で構成された店の奥は大人数でも会合ができるような広い段差のあるスペースがあります。ここではジャズが主役ということか、内装はごく控えめでありますが、それが悪からず感じられるのは店の歴史ががもたらす何某かがフィルターとなって店内に艶を与えているのかもしれません。ぼくはジャズ喫茶を不得意とする者でありますが、ここなら一人でも寛げそうです。そう言えば日活の二谷英明だったかが主演した映画の舞台ともなったらしくポスターが貼られていましたが、それはなんという映画だったか、すっかり忘れてしまったなあ。 最終日の日曜日は、ひたすら東京までダラダラと途中下車を愉しみながら帰ります。大津駅から琵琶湖線米原行に乗車し、あっという間に米原駅に到着します。米原駅では乗り換え時間がたっぷりとあるので、当然駅前を散策するのですが、やはり記憶の通りに殺風景な歩き甲斐のなさであります。それでもせめて数分歩いたところにある「喫茶 エイト」が営業していてくれたらそれなりに満足できたのであろうけれど、やってないんじゃやはり退屈な町だったと言わざるを得ないのです。確信があるわけではないのですが、きっとこの町の中心は駅から離れてあるんだろうなと考えるのが地元の方の失礼に当たらないかな。 この夏、四日市を目指した旅の際にまんまと空振りしてしまった共和駅の喫茶店に性懲りも無く、足を伸ばしたのでした。ぼくは自分の性格を案外淡白だとおもつているのですが、意外と粘着質で執念深い方なのかもしれません。向かったのは「クロンボ」です。半月も立たぬうちに来ているのだから当たり前ですが、さして見どころのない道程を辿るのは虚しいものであります。これでもし今度も空振りなんて羽目になればこの店どころか共和という町にも二度と来てやるもんかとさえ、あらかじめ心の準備をする辺り己の心の弱さを思い知ってしまうのですが、良かった、無事営業していました。これで共和とこのお店を嫌いにならずに済みそうです。今では付けることのできそうにもない店名のお店ですが、行ける範囲で行っておきたいと常々思っています。どんな可愛いマスコットが待ち受けているか、楽しみでならないからです。こちらでも目立たぬながらちゃっちゃなマスコットキャラクターが潜んでいるので、お出かけになったら探してみてください。内装は至ってシンプルですがそれでいいのだ。
2017/01/01
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神戸は三宮の酒場を2軒はしごして、さてこの後どうしたものかとしばし迷って、念のため食べログでもチェックして、良さそうな店があったら軽くよってみるのも良かろうと思い、せっかくなので一番高い評価を受けているお店に行ってみることにしたのでした。これが大正解。素晴らしいお店で感動しました。駅からは結構歩きます、三宮駅の北口を東北東にだらだらと歩いていけばまあなんとか到達できるはず。 やって来たのは「季節一品料理 藤原」でした。周辺にはそれほど呑み屋もないので目に付くはずです。6時を回るかどうかの早い時間なのに、すでにカウンター席のみのコンパクトなお店はほぼお客さんで埋め尽くされていました。これは食べログの評価が先かもとより人気店だったのか分かりませんけど、とにかくすごい人気です。暖簾をくぐるとすぐに店のオヤジさんから予約してんのとの質問が発せられます。いやしてないんだけど、とここでお得意の営業スマイルで籠絡する策に出るのです。こういう場合、S氏は全く戦力にならぬのです。というか、S氏の何事につけわれ感せずのやり方は勘定時にこそ有効なはずでありますが、そういう肝心なときにあまり役に立つことはない。駄目な店で一杯呑んで席を立とうという時にあの不機嫌そうな、というか不貞腐れたような態度は有効なのですが、これまでの付き合いでそれが功を奏したことは、、、う〜ん、思い出せないなあ。それを営業トークで1時間、いや30分でもいいからと交渉するぼくは使える男であります。いや実はこちらの魚介をメインにした肴の素晴らしさを珍しくもグルメトークにて実況するつもりでしたが、言葉が味覚に訴えるには非才な者には荷が過ぎる。とにかく今後、神戸に来たら迷わず来ようとぼくをして思わせるのだからーセコくてもここの酒場の肴は賞味しておきたいー、やはり大したものである。 三ノ宮駅から神戸線で京都駅に引き返し、京都駅からは、琵琶湖線長浜行で大津駅を目指します。ホテルアルファーワン大津にチェックインして、酒場を求めて歩き出します。互いに何も語らなかったけれど、正直ろう酒が呑める様な体調ではありません。しばし歩いて散策すれば体調も戻るかと期待しますが、改善する気配はない。それでも何とか一軒くらいは大津で呑んでおきたいと、なけなしの気力を振り絞って彷徨った挙句に駅前の通りに辿り着くのです。 路地の奥に「利やん」という酒場がありました。立地の危うげなところだけに惹かれてお邪魔することにしました。まあ実際にはごく普通のお店ではありますが、肴も豊富で充実しています。でも今のわれわれには野菜をメインに据えた品を頼むのが目一杯の対応です。一組だけいた客もすぐに席を立ち、残されたのはわれわれだけ。これはいかにも良くない、何が良くないってとにかく困ったことになったのです。でもすぐさま帰省した娘さんを交えての家族連れ旅行客がやって来て、事なきを得ます。この路地裏酒場を選ぶとは、おっとりした娘さんに見えるがなかなか良い感性の持ち主である。味は、良かったと思う。工夫も効いている。好ましい酒場ですが、好んで大津で呑む客は少ないのだろうか。箸も杯も進まぬわれわれはお隣の旺盛な食欲と飲みを眺めるのが精一杯の振る舞い方なのでありました。
2016/12/26
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さて、旅まだ2日目にして疲労と軽い二日酔いが熱書により急激に身体にのしかかってきて、どうにも動き回る気力が萎えてしまったのでした。そんな時にこそ本来であれば喫茶店を利用するのでしょうが、もう少し本式に休息を取りたい。端的にはちょっとばかり一眠りしたいとなれば、それこそ列車に揺られるのが手っ取り早くて寝心地もよいのであります。この場合、寝過ぎは禁物です。当たり前ですがあまりに遠くまで行ってしまうと、この夜の宿泊地である大津から遠ざかってしまうし、第一、神戸の酒場巡りも少しは堪能せねばなりません。そして何より昼寝の取り過ぎは逆に疲れを増幅し、しかも夜の眠りが浅くなって翌朝に差し支えます。ということで、目的地を手近の明石に定めました。明石といえば明石焼、もう忘れるくらい前に明石に下車して枯れたお店で明石焼きを食べた印象だけは鮮明に映像化できます。特別明石焼きを食べたかったこともありませんが、ちょっと良さそうな雰囲気の店の前に明石焼の宣伝がこれみよがしに貼られていると入って食べてみるしかないじゃないか。 すっかり様変わりしていっぱしの都会らしさをひけらかすのは駅前だけだったのには安心しました。そのハリボテの裏側にはかつても歩いたに違いない商店街がコンパクトながらに好ましい雑駁とした景観を成しています。「ヨシダ」はそこからはほんの少し外れた目抜き通りの片側アーケードにあります。古式ゆかしい外観がもたらす印象からは少し店内は物足りない印象はありますが、喫茶店で明石焼をいただけるのだから不満を述べるのはよしておこう。実際われわれ以外にもコーヒーか明石焼かを決め兼ねたアベックやら家族連れで結構繁盛しており、中にはガラケーでやけにシャッターを切りまくる明石焼きマニア風のおじさんもいたりして、ここなどは風変わりな明石焼の提供店として紹介しようということでしょうか。ともあれ、当初想定していなかった明石焼きも食べることができて幾分か体調も回復しつつあります。まだ夜まではしばしの時間もありますし、商店街を一巡りしてみることにします。 商店街には何軒か喫茶店を見かけましたが「喫茶 ジュン」が一番良さそうです。こちらも外観とは異なり店内は至って淡白な印象でした。明石の方たちは内装にさほど重きをおいていないのかもしれません。それでもお客さんは多く、関西の人たちの喫茶好きがここでもはっきりと見て取れます。都内の人は本当にコーヒーが飲みたいとかタバコを吸いたいとか明確な目的を持って店に入ることが多そうですが、関西の人たちはどう見ても時間潰しに喫茶店を利用しているように見える方が実に多い。顔見知りだけでなく、たまたま隣り合わせただけに違いない人同士があたかも旧知の仲であるかのように親しげにしゃべくっているのを見ていると、夏は冷房、冬は暖房が最高のサービスなのかもしれないななどと思ってしまうのです。統計的な根拠があるわけじゃないですけど、春とか秋の陽気が良い時期は売上ががくんと落ちるのではないか。そうなると内装などというものをぼくなんかはありがたがっているけれど、多くのお客さんにとってはさしたる意味を持たず、店主の自己顕示欲にぼくも同調しているだけなのかもしれぬと思うと、自分が変態なのではないかとふと思ってしまうのです。
2016/12/25
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さて、ようやく喫茶篇と酒場篇とが連動しました。喫茶巡りを終えて、元町駅から三宮駅に移動。いや、記憶が混乱していました。実は酷暑と過飲ご祟ってへばってしまい、休息のために明石に向かったのでした。旅の途上にあっては車中が一番くつろげるのです。明石の喫茶巡りはまた来週に取っておくこととして、多少なりとも息を吹き返した我々はここで本当に三宮駅に向かうのでした。ここら辺は、結構歩いてるから改札さえ抜ければ勝手知ったるものと高をくくっていたのですが、いやはや、思った以上に土地勘がなくなっています。でもまあそれはそれで知悉する町を歩くよりずっと楽しいからいいじゃないか。特定の町の案内人を認定したりする検定とかあったりするらしいけれど、そんなものにぼくは少しも関心がない。例えば京都の玄人でありたいと思う人を否定はしないし、真に玄人となり得る町など実のところは町の役割をほぼ終えつつあるんじゃなかろうかと考えるぼくにとっては、いつでも未知の余地を残す町こそが魅力的なのです。その点、ここ神戸は阪神淡路大震災という不運に見舞われながらもその復興に限らず変化を続けているように思われて、実際町を歩いても飽きさせぬのです。 老舗目当てですが、開店には今少し間があるようです。向かいの立ち呑み店「鶴亀八番」に立ち寄って待つことにしました。非常に賑わっているというのが第一印象でした。あらゆる世代がひとつの空間をシェアするというのは眺めていてなかなか気分の良いことです。関東ではどちらかというと同じ店にいても世代別に群れているように見えますが、神戸を始めとした関西ではそのような壁はあまり感じられません。さて、そんな駅そばの立ち呑み店、大盛況ではありますがぼくには極めて標準的なお店に感じられました。食べログなど見てみたところこれが驚くことに三宮駅界隈ではかなり上位の評価を受けているようです。これは一体全体どう解釈したものか。今回ぼんやりと駆け足で神戸を巡ったけれど角打ちを始め立ち呑み屋はたくさん見掛けました。でもそれは新開地方面に集中しており、三宮辺りでは少ないのかもしれません。若者たちの支持を受けてのこの順位だとすればまあ納得もいきますが、それも確信は持てません。といったようなことを考えてみたりしたのですが、こちらの良さを納得できず、何だか釈然とせぬままではありましたが、ぼちぼちお向かいが開店の時間となります。並ばれでもしていたら厄介なので慌てて店を出ました。 やって来たのは「金盃 森井本店」です。大きな暖簾には風格と歴史を感じるものの店内は改装されてしまっていて、壁に飾られた白黒の写真やずらりと陳列された酒器の数々を眺めることで、ノスタルジーを宥めなくてはならぬのはやはり切ないものです。というか写真に映る往時の様子に見入ってしまうと、もはや現在の店を十分堪能できなくなるのです。案の定、数ヶ月だったばかりだというのに現在のこちらのお店の印象は極めて希薄になっていて、ほとんど何んの記憶の断片すら惹起してこぬのです。これ以上書いてもろくな事がなさそうなので、ここらでやめておきます。神戸の酒場とは水が合わぬのかもしれぬと思い掛けてこれが最後と訪れた酒場に打ちのめされる事になるのだから、ゆめゆめ神戸のことは悪く語れまい。
2016/12/19
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せっかく京都に宿泊していますが、この日は神戸を中心に喫茶巡りするつもりです。あぁ、もう酒場篇は、先行して新開地に至ったのだからこの文章は不要だったのでした。JR京都線快速で神戸駅に到着。各駅停車に乗り換えて乗り換えて元町駅に行ったんだったかな。そこから新開地までは歩いて向かったのですが、次から次に良さそうな喫茶店と酒場と食堂が目に飛び込んできて、余りの誘惑の多さに目移りさせられます。そのすべてをいちいち写真に収めるなんて律儀さはぼくにありはしません。それにしてもJRが以前に三都物語とか恥ずかしいキャッチフレーズで京都、大阪、神戸の観光キャンペーンをやっていましたけど、取り付く島のない京都や底なし沼のように得体のしれぬ大阪と異なり、神戸の町は明白に規模の面で劣っていることもあってか、旅行者であっても比較的容易に親密な関係を構築できるような気がします。今では町の大部分が紛い物っぽい単なる観光地に陥りつつある浅草ですが、かつてはずっと親密であったことを少なくともぼくは覚えています。神戸には今でもそのかつての浅草のような親密さが今でも息づいているように感じるのです。 と長くなってしまったので早速この界隈の喫茶店を巡ることにしました。最初にお邪魔したのは「喫茶 街」でした。店名なのだと思いますが、この町で最初に来ておくべきと思ってしまったのです。う〜ん、すごいいいとかそんなんじゃ全然ないのですけど、いかにも関西の喫茶店らしい大らかな緩さが店に充満しています。なんてことのないお店ではありますが、侮ることなかれ、2階の客席は奇抜な装飾も施されているので見所もあります。余りにもメジャーなこの先訪れる各店に物足りなさを感じる方であれば、むしらこうした町場で身を潜めるようなさり気ない店を巡れるのが良いんじゃないでしょうか。 と言いながら次に訪れたのは神戸の喫茶店の代表格であるかと見まごう程に情報が流布されている「coffee shop 光線」です。そうした風潮に同調するのもどうかと思いますが、ますはそのトンネルのようなビル商店街の佇まいに射たれます。恐らく古い喫茶店を目指す方であればどなたでも大なり小なり似たような感慨を持ってこの光景と対峙する事になるのだと思います。いかにもこの場所には、昔からの姿そのままの喫茶店が営業を続けているのだろうという直感通りに目指すお店はあるのでした。そしてここが神戸を代表するとかそうしたレッテルを貼ったり剥がしたりするのが虚しくなるというか、失念してしまうのです。それくらいにごくありふれていながらもどことも違っているような、際立った所はないけれどー確かに看板のシャープなデザインはカッコイイけれどー喫茶店はこれで良いのだと思えてしまう。ガラス張りの店内は表からは丸見えなのに店内の一席に収まると普通なら店作りの障害にしかならぬような柱すら絶妙な目隠しとして機能しているかのようです。 店名に聞き覚えがあってついつい立ち寄ってしまいました。「純喫茶 ニッポン」は、商店街から逸れた路地の先に鬱蒼と茂る緑眩しい観葉植物に覆われていました。店名と実際の店の印象の落差にガッカリするどころかむしろ興奮を覚えるのでした。実際このお店の場合は入り口に背を向けるのはもったいない。奥にも古い喫茶店らしい簡素な合皮張りのソファがずらりと並んでちょっといい眺めですが、ガラス戸越しに緑を従える店外をも景色に取り込んでいるところにこそ、この店の真価がありそうです。ここには快晴の昼間に訪れなければこの店の本当の姿とは出会えぬ気がします。しばらくすると平成生まれらしい若い女性二人組が一眼レフの巨大なカメラでシャッターを切る姿がそんな景色に紛れ込んできます。彼女らは店内から滑稽なほどにあからさまに丸見えとなっていることなどとは、微塵も思っておらぬらしいのが余計におかしい。しばらくして入ってきて、昭和だねえといういらぬ発言さえなければ可愛いく思えたんだけどなあ。 長くなったのでここからは駆け足で。大通りに面する「喫茶 フリージア」は、外観の良さにはグッときますが、店内は至って淡白な印象です。「喫茶 スワン」は、暗いガラス越しに店内を覗き込み、こここそが神戸のベストかもと思ったりもしましたが、やってないんじゃ仕方がない。「喫茶 リボン」はそれこそぼく好みですが、こちらはもう店を畳んだんだろうなあ。
2016/12/18
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さて、喫茶篇も京都を終えてようやく一安心、生半可な知識と経験では京都など語ってはならぬような気がするからです。でもまあ世界最大の都市である東京もそれなりに歩いた自負があるからーという言葉が全くもって間違いであったことを何度味わったことがー、まあいずれ地元の人など素知らぬ顔で通り過ぎるような店も見尽くしてやろうじゃないか。と言うか、酒場巡りなどという、ある意味ではある地域における縄張り荒らしのような所業をやっていふことに後ろめたさを感じなくもないのであるのです。そういう後ろめたさが本当にあるかといえばそんなでもないのでありますが、京都はまだ当分待っていてくれそうな期待を抱いてしまうのは、考え方が甘いでしょうか。甘いかもしれぬけれどとにかく京都を後にすることにしました。向かったのは神戸です。神戸にも何度かは来ていますが、今回はまだ足を踏み入れていなかった新開地を少し散策してみたいと思っています。でもとりあえずは空腹なのでそろそろ昼食を兼ねて一杯呑むことにしましょうか。 ということでとりあえずお邪魔したのが「内田食堂」でした。関西の多くの町に無数にある町の食堂です。東京では希少となった、こうしたありふれた食堂が未だに需要を上回るのではなかろかというほどに見かけることのできるのは本当に羨ましいことです。朝昼晩と毎食をこういった食堂で済ます人も少なくないのでしょうか。無論利用の仕方は食事目的だけでなく、喫茶店代わりに用いたり、明確に呑み屋として利用している人も多い。単にメシを掻き込むだけの場所ではないようです。案の定、このお店にも瓶ビールを並べる人も多く、それも3本、4本と本気呑みに突入しているから大したものです。そう、大阪でもそうですが関西の人は本当にビールが好きですねえ。ビール位のアルコールが軽めな呑み物であれば免罪されるとでも思っているかのようにグイグイとグラスを空けていきます。呑むのは我らも同様ですが、驚かされるのがいい年のおやっさんたちがひたすらビールばかりを呑んで、ケロリとしているところ。我々など大瓶一本を呑んでしまうと、ビールは夜まで遠慮したいと思ってしまいますが、彼らは平気な顔で次々と瓶を空けていきます。特にゲップをしていることもなく、毛穴から炭酸が漏れ出す体質を身に着けたのだろうか。ともあれ、店内は古びているけれど空調も良く効いて、快適だし、食事も酒の肴にそのまま置き換えて違和感のない各種惣菜の盛り合わせも充実してとてもいい。 食堂を出て、ここにしておけば良かったかなどと未練たらしく他の食堂を眺めたり、それに勝るとも劣らぬほどに充実した立ち呑み屋への誘惑に耐えながら歩いていくと、ああ、「延命寺昭酒店」の渋さについ負けてお邪魔してしまうのでした。入ったときには他に2名だけでしたが、引き続いて次々と来店し、終いにはムッとするくらいの人だかりとなります。角打ちらしく乾きものなどしかありませんが、多少の手作りの品もあるのが関西の角打ちらしい。ここでもまた酒の基本はビールです。彼らにとってビールはコーヒーと似たようなものなのかもしれません。注意深く見るまでもなく、関西の酒を呑ますあらゆる店で大抵はビールがもっとも手頃な値段です。彼らがビールばかりを呑むのも実のところは値段と量から判断しての合理的な意味合いでしかないのかもしれません。そんなことを思ってみたりしながら、そろそろ店を出て少し喫茶店を巡ることにしましょうか。
2016/12/12
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さて、大津駅から三度、琵琶湖線に乗車していよいよ京都入りです。京都駅についてからの無駄足は酒場篇にて報告済みなのでここでは割愛。二条駅で下車した後に酒場に直行したかのような書きぶりでしたが、実際には一軒の喫茶店に寄り道していました。 二条城のすぐそばにある「喫茶 チロル」です。腹も減ったしすぐにも呑みに行きたいところですが、目に止まってしまった以上無視するには惜しいと感じるのが貧乏性故か。慌ただしく散策と移動を繰り返した一日でしたので、のんびり一杯コーヒーでも味わってから酒場巡りするのも悪くないでしょう。というわけで、いそいそとお邪魔するのでした。なかぬか年季の入った、しかし大切に手を掛けてきたことがしみじみと感じられる良いお店です。古色蒼然とした哀愁あるばかり場末感のある店にこそ、感興を覚えるぼくのようなタイプの喫茶好きにとってはいささか上品に過ぎるのでありますが、それでもこの店を守る店の方やお客さんたちがここを本当に愛しく感じているということはひしひしと感じるのです。 京都には数多の名喫茶があるらしくてそうしたメジャーなお店を巡るのさは、酒場で酒場放浪記や太田和彦氏の推奨する酒場巡るようでどうも気乗りがしない。そう言っても京都に滞在してしまえば、そうしたお店を優先的に訪れてしまうであろうことは目に見えています。だから今回はあえて京都での逗留は避けて、あくまでも旅の拠点とすることにしたのでした。でも二日酔いの翌朝は美味しいコーヒーが飲みたくなるものです。だから比較的早い時間から営業している二軒の喫茶店を訪れることにしたのでした。この二軒は純喫茶と呼ばれたりもするノスタルジーを喚起するタイプのお店とは違って、むしろ古典喫茶という言葉のほうが連想しやすいタイプの日本の喫茶店のベーシックなスタイルを確立したお店と言えるのかもしれません。コーヒーは自分のところで焙煎しているようで、お土産もコーヒー豆だけでなくカップやグラスなど数多く揃っています。 「スマート珈琲店」と「イノダコーヒー 本店」にお邪魔しました。前者は、派手さのあまりない正統派クラシック喫茶、後者はリゾートホテルの喫茶コーナーのような雰囲気で、いずれも嫌いじゃないというかちょっといいとは思うのですが、今のぼくが行きたいと思っている喫茶店ではなかったみたいです。朝一だというのに有名店らしく大変混み合っていて、皆さん優雅にモーニングなど召し上がっておりますが、ここで下手に食べてしまうと昼に響くことを恐れるぼくは空腹を堪えて、コーヒーのみに甘んじるしかないのでありました。
2016/12/11
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京都通とか京都贔屓とか言われるのって気恥ずかしくないんですかね。同じような事を感じているらしく、このブログの四大登場人物であるO氏のことを時として冷やかしてみたりするのですが、当の本人はやはりと言うべきか、猛然と否定するらしく別に冗談で言ってるんだからいいじゃないなんて思ってみたりもするんですけど、ぼくもそんな事を言われちゃったらー実際には随分と久し振りに京都に来ているからそんなことを言われることもないのですがー、間違いなく血相を変えて断固として違うと言い張るはずです。なぜに京都のことをそこまで嫌うのだろうか。いやいやけして好きではないけれど嫌いということもない。町並みは好きだけど人が嫌いなんて極論を言うつもりもない。確かに京都の人には鼻持ちならぬところがあることを京都の人も認めざるを得ないことを彼らは自覚的であるように感じるし、むしろ積極的にそのように振る舞っているとも言えなくもない。これが東京通とか金沢贔屓とかだったりすれば、さほどの抵抗もなく受け止めることができるかもしれぬ。ぼくなんかもたまさかにはそんな言われ方をしたりもするけれど、地名が京都でさえなければ、「いや、やいそんなことないですよ、ぼくなんか浮気モンで手当り次第……」何ていうふうに多少のハニカミを交えつつも、まんざら悪くない気分だったりする訳です。話が脱線しすぎました、それでは京都贔屓のO氏がどういう事かお勧めしてくれなかった酒場に寄り道してしまったので、その報告をすることにします。 「静」は、京大生とかのぼくなどとは頭の出来が根本から違うらしい連中が通い詰めるというお店で、正直気乗りのしない酒場ではあります。ノルマ消化のような気分で店に入りましたが、ぼくの想像していたよりずっと雰囲気が場末めいているではないですか。この夜がたまたまそうであったのかもしれませんが、一人の客もいないのです。これは何たる僥倖か、ここまでの有名酒場でかほどに空いているのは珍しいこと。寡黙なS氏が語るには前回も一人ぼっちだったとのこと。店内の様子は散らかってはいないし、汚なくもないけれど、古色蒼然たることは一目で感じ取れます。ここでは肴などどうでもいい。視線を適当に向けるてるみだけで思いも掛けぬ景色が広がるのだから箸を振り回して下品にも肴を追い求めてみるような無粋な所業は不要なのであります。そこにはよく知られた寄せ書きと呼ばれる落書きもあって、その一文一文を読み倒すような酔狂さはないにしても、とにかく体を捻ってみればその度に嘆息して、盃を口元に運ぶことになるのです。この一時でO氏は本人の主張どおり京都通ではないことを首肯するのでした。 知られていない一軒、「枡」こそがO氏が愛してやまぬ酒場の一軒であることは疑いようもない。案外拓けたいかにも観光地らしい景色の中で確かにまあここは浮いているように思われます。でもそれ程の店であるのかは、外観だけでは判断できかねぬのでした。いい加減酔いも回ってきたので、当たり前のように戸を開けて入ることにしました。思った以上に混んでいて、なんとか詰めてもらってようやく席に落ち着きます。う〜ん、渋いことは渋いと認めざるを得ないけれど、まあよくある酒場だ。ここでO氏が最初に綴ったこの店の感想を引用できれば、その熱狂ぶりをお伝えできたはずですが、残念なことにぼくはそれほど律儀にメールを取っておいたりしない。コレクターのA氏であれば今でもその熱狂ぶりを留めるメールを保存しているかもしれないけれど少なくとも手元には残っていないので、そこまで興奮しなかったぼくの文章で我慢していただくしかない。いやいや、確かにいい、すごく良くはないけれどちょっといい感じ。とびきり旨いものもないし、とびきり内装が凄いこともない、だけど好きになるその気持ちは分かった。でも酒場ってそんなものじゃないのかな? 著名な酒場評論家みたいな人が語っていることに乗せられてしまう自分を置いておくとしても、好きな酒場なんて人それぞれであるに違いない。よく分かっているつもりのO氏だってぼくの知らぬ一面があるはずなのだからと、結局長居して席を立つのでした。
2016/12/05
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ほんの少し歩いただけで近江八幡駅の周辺が退屈だなどと乱暴なことは語りたくありませんが、それでもやっぱり再開発の目立つ駅前にはどうにも虚しさを抑えることはできません。この町は少なくとも下調べくらいしておかなければ、盲滅法に歩き回ろうとはとても思えない。だから早々に駅に引き返し琵琶湖線に乗り込んだのでした。向かったのは大津駅です。ここには翌日宿泊する予定ですが、明日は日曜日で休みのお店が多いと思われるので、この日のうちに数軒喫茶店を巡っておくことにします。わずかに大津に来るたのがいつのことだったか思い出せぬくらいです。と、またもや物忘れ自慢に陥りそうなので早速大津の町に飛び出すことにします。これを書いているのが12月ということもあり、この時の暑さが恋しいなんてことはさすがにないけれど、汗だくになって町を駆けずり回ったのがもう随分昔のことに思われるのですが、それはまあ置いておくとして、駅前こそスッキリしたものの町の印象はかつてのものとかなり重なって見えます。当時も人通りが少なく寂れた町並みがなんとなく続いていくという感じで、曰く言い難い物悲しさが町の印象を基調付けているかのようです。 そんな町外れに「サモワール」はありました。すぐそばにもう一軒の喫茶店もありますが、端正な構えのこちらにお邪魔することにしました。オーソドックスな特に変わったところのないお店ですが、それが好ましく感じられるのです。その好ましさを何某かの理屈をでっち上げて語ってみせる事もできなくはなさそうですが、単に町の雰囲気にしっくりと馴染んでいるとだけ書いてみるとそれが最も適切な表現であるように思われるのです。まあ、それも仮に大いにキッチュな雰囲気な店があればあったで、取り残された厚化粧の残照とか言ってみたりしたのでしょうけど。思いのほかに若いママが淹れてくれるおいしいコーヒーは、まだ当分は味わえそうです。 思い切り魅惑的な食堂を何軒か見掛けますが、満腹でとても固形物を嚥下する気迫が湧いてこない。明日営業している奇跡的な状況に賭けることにします。魅惑的なファサードを残すこのお店は、帰宅後調べてみたら恐らくは「喫茶 再来」という喫茶店だったようです。それにしても開いているお店の少ないことよ。あまりにもやっているお店が少ないので、どこぞでしっかり呑んでから大津入りすることにしました。 と、目ぼしい喫茶店もないからと駅方面に歩きだしたら「喫茶 ルンルン」というつい笑みが溢れてしまうようなお店がありました。ママさんが置看板をしまい込んでるように見えたので慌てて駆け寄りますが、まだ営業終了ということではなかったようです。ホッとして、入店します。カウンター席だけの先の店よりさらに狭いお店です。店名からはお花畑みたいな店内を予想しましたが、実際はそれ程ではなく、でもチラホラと花が飾られています。ママさんも常連さんも気さくで、見慣れぬ我々への好奇心を隠そうともせずあれこれと話し掛けてくれます。都内では疎ましくもあるそうした会話が旅の最中では嬉しくなるのです。 あと一軒「グリーブ」というお店がありましたが、官庁街のそばとあってか結構な賑わいです。表から店内を覗き込むもそれ程よさそうには思えず見過ごすことにしましたが、今となっては行っておけばよかったと後悔するのはいつもの事。また、この町に来るためにもお楽しみは取っておかないとね。
2016/12/04
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喫茶店を追い抜いて酒場篇はこの夜の宿泊地、京都へと到達しています。京都には学生の頃やそれ以降もしばしば立ち寄っていたのですが、いつまででも今の姿をそのままに留めていてくれそう、観光客が多そう、物価が高そう、夏暑く冬寒そうなどなどのネガティブなイメージも多く、何年も遠ざかっていました。気持ちの中ではお盆でも正月でも休みなくやっていてくれると虫の良い思い込みがあって、それはあながち間違いではないかと思いますが、なのに結局酒場巡りや喫茶巡りを初めて以来ついぞ足を運ばなかったのはあまりにも脳天気に過ぎるのではなかろうか。でもしかしそんな反省で京都に宿泊後を求めたわけてはないのでした。単にこの時期空きがあって割安な宿が京都にあったというだけのことです。 京都の酒場初心者のぼくはひとまずお手本を酒場放浪記に求めたのですが、それが今回の旅では裏目に出てしまったようです。ご無沙汰こそしているもののかつては一年と空けることもなくそれなりにマメに通っていたからそれなりの土地勘は現役当時には及ぶべくもないだろうけれど、少し歩いたらそうこうせぬうちに勘も蘇るだろうと高をくくっていたのでした。ところがいやはや思った以上に少しは自負のあった勘が鈍っていたようです。自慢ではありませんが記憶力には多少とも自信がないし、方向感覚は相当出鱈目、地図は開くのが面倒な横着者だから、勘だけが頼りなのにこれは困ったことになった。大体が京都の住所は分かりにくすぎる。京都の住所問題にはすぐに行き当たることになるのでここでは己への過信などアテにならぬものということをこの後嫌というほど思い知らされるのであるけれど、それを詳らかにするかは今のところ未定なのです。 嵯峨野線で嵯峨嵐山駅に向かいます。何度か乗車しているはずだけれど全く記憶にない。そうこうするうちに目的の駅に到着するけれど、ここがまるで愛想のない駅前風景が広がるばかりなのです。昔友人が長岡京に住んでいて何度か遊びに行ったものですが、京都って市街地以外は、本当に退屈です。いやまあよく知らぬけれど少なくとも今のぼくの好みそうな猥雑な雰囲気はほとんどなさそうです。そしてようやく本題の酒場放浪記に登場した「いのうえ」に行き着きます。地図はこんな分かりやすい場所はない位に駅前からすぐにあるはずなのに一向に見つからぬのです。ぐるぐる町を一巡りしてこれは振り出しに戻ったほうがいいと駅前まで引き返してみたら呆気なく見つかります。良く言えばひっそりとした隠れ家的なお店ということになるのでしょうが単にちんまりとした家庭的な店と言えばそれまでのこと。まあこの夜の最初の一軒なのだから張り切って戸を開けると、予約はなさってますかだって。悔し紛れで言うわけじゃないけど、やはりなという感想である。予約しないと入れぬ酒場などどんなもんなのと毒づきたくなるのをぐっと堪えて、退屈なこの町とおさらばしたのでした。 ここで、京都を熟知して数多くの酒場に行っているO氏に救援を求めることにしました。これ以上の無駄足をふんでいる暇はありません。己の足を信じての町歩きはもっと京都に馴染んで、もう少し好きになってからでいい。まずはO氏のお薦め店が集中する四条河原町を目指します。山陰本線の二条駅から歩くことにしたのですが、それには京都駅まで引き返すこと以外にも理由があります。いくつかピックアップしておいた酒場が途中の市役所だかの合同庁舎周辺を指していたのです。しかしそれが全くの誤りであることに気づくのはしばらく彷徨った後というあたりに京都の不案内ぶりが鮮明です。どうもネットの地図検索では手持ちの住所と合致しない場合はこの合同庁舎周辺を指し示すことが多いようなのです。 この日一日の疲労とここでまた愚かにもミスしてしまったことで疲れは倍増してしまいました。昔は二条から河原町なんていかほどのこともなく歩いたはずですが、記憶よりずっと体力が落ちてしまったようです。ほうほうの体で「松川酒店」まで辿り着きました。随分と無駄足を踏んでしまいました。ここまで無意味に長文となってしまったのと同様の徒労感に満たされて、いつもなら間違いなく感じるに違いない初めての酒場を訪ねる際の高揚感より、ただひたすらに早く呑みたいと思うのでした。古く広い酒屋の所狭しと老若男女が立ち位置を確保して、わずかばかりのパーソナルスペースを確保して、それでも楽しげに呑んでいます。勝手は分からぬがなんとでもなるはずと、勝手に冷蔵庫を開けて目に付いた酒を取り出すと呑み始めます。乾きもの以外にも枝豆などいくつかのアテが用意されているのは嬉しいことです。賑やかで楽しい酒場ではありますが、京都の外で生まれ育った者が嫌が上にも抱く京都人にここが支持されているのが不思議な感じがしました。でもこういう酒場はもう少し空いてて静かな方が相応しい気がします。 続いても立ち呑みです。O氏の京都で一番とするのは群を抜いて「赤垣屋」ということなのですが、それは後のお楽しみ。利便性もあって最も通うのは「たつみ」らしいのです。ぐるりと囲まれたカウンター席は老若男女、国籍不問でありまさに坩堝のような賑わいです。アテがとにかく充実しており、何を頂くか目移りします。なるほど、値段も手頃だし雰囲気もいい。毎日通っても肴は飽きさせることもなく、O氏が足繁く通うのも納得であります。だがしかし、どうもこのお店の雰囲気は京都らしくないのです。いやこの京都らしさなんてものは幻想かもしれぬし、しかも偏見とか誤解混じりなのだからそれとピタリ当てはまらぬからといって文句を言うのは筋違いなのは承知しています。しかし、土地ごとに何とも表現しにくいのですが、知らぬ土地で呑んでいるという得体の知れぬ違和感が付きまとうのが愉しいのですが、この2軒にはそれが希薄なのです。確かにこの2軒は、ぼくの呑んできたどこの店とも違ってはいますし、関西っぽい肴も用意されている。だけれど仮に東京にあってもさほど不思議に思いはしないであろうという印象が寂しく思われるのでした。
2016/11/28
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彦根の魅力にしっかり時間を割かなかったことに後悔し始めています。まあこの町の良さそうな2軒の喫茶店には入ってしまったし、今度は夜に訪れて酒場巡りとすればいいと、町歩きをして気の利いた酒場の2軒、3軒でも見つけられたらめっけものと悠然と散策を始めたはいいものの、アーケードのある商店街を進み始めて突き当たるとそこがメインの通りのようで、そこにまたもやよさそうな喫茶店があったのでした。 思わず慌てて飛び込んだ「紅屋(ベニヤ)」という喫茶店は、アダルトなムードが充満するラウンジ風のお店でした。前の2軒ともまるで異なるテイストの洗練されたクールな印象がこれまたなこなか魅力的なのでした。そんな空間でもママさんと常連のおばさまとのかしましい会話をBGMにすると途端に陽気な雰囲気へと一変させてしまうのだから、視覚より聴覚というものは感性への働きかけがより強力なのかもしれません。実際映画でも音楽の良さで涙してしまうことが何度あったことか。ヘレン*ケラーが最も重要な感覚器と語るくらいだから、視覚至上主義のぼくでも、実際におばちゃんのざわめきひとつで店の景色が違って見えるのを経験すると、案外そうなのかもしれないと考え直さざぶを得ないのです。でも窓際にはかなりのご高齢と見受けられる男性がいて、他人のことなど全く意に介さない姿が超然としていると同時に深い絶望と孤独に苛まれているようにも思われ、地方都市の喫茶店の典型的な光景とも感じられるのです。 これでのんびり駅まで歩いたら次の列車にちょうどいいと町のメインらしき商店街を歩いていくと、その路地裏に「喫茶 らんぶる」を見つけてしまうのでした。時間も厳しいから正面だけでも眺めておこうとしたのですご、やはりダメですね。見てしまったものはもう取り返しがつかない。やはりぼくにとっては視覚情報の誘惑こそが切実であるなあと呑気なことを思いながら店の扉を開くのです。端正で手入れも行き届いたカウンター喫茶の正統を実現したかのようなお店です。この店名の王道ぶりに向き合えるだけの店はそうはありませんが、名前負けせぬ立派なお店でした。 大汗を流しながら駅を目指します。その途中に見掛けた魅力的な古い店舗は酒場篇に載せましたが、「サザナミ」なんていう喫茶店も駅のそばにあって、うっかりここに立ち寄っていたらまるっきりプランが変更になっていたかもしれません。次は夜の彦根を堪能することを心に刻んで彦琵琶湖線新快速姫路行に乗り込むのでした。向かったのは近江八幡駅です。 ところが、「喫茶 ライフ」は休み、もう一軒目星をつけておいた「スィートシーズン」は見当たらず、こんなことなら彦根をもっと堪能すべきだったと後悔せぬでもないのですが、めったに下車することのない近江八幡をそれなりに散策できたのだからひとまずは良しとしましょう。
2016/11/27
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さて、彦根に到着していの一番にするべきは食事場所を探すことです。早朝に東京を出てからまだ何一つ固形物を嚥下していないのだからさすがに空腹も最高潮で、吐き気がするほどになっています。さらに宮脇俊三も買い残していますが、列車に乗るとやたらめったら腹が減る。何するわけでもないのに列車の揺れというか振動が消化に作用しているのではないかと推測しているが、その理屈はともかくとしても実感として確かに旅の最中は腹の減りが激烈かつ迅速に思われるのです。だから列車で訪れるのはおそらく初めてのーつまりは彦根城などの観光名所以外は知らないー彦根だけれど、気持ちはひたすら食事に向かうのはさもしいことであります。さもしいけれどどうにもならぬ。駅を出るや一目散に駅前の目抜き通りを駆け抜けるのです。 あまり店舗らしいものはないけれど、店選びに妥協は許されぬのです。その大人気のないこだわりがたまに効果を奏することがあります。古い町の路地裏にでもありそうな枯れた風情が素晴らしい、こんなお店が目抜き通りに残っているとは彦根はただならぬ町であるぞとすぐさま察知されるのでした。「はやの食堂」だけでもこの町に来て良かったなとしみじみ思うのです。とまあ店を愛でるのは後回しにして早速店内に入ってみましょう。うわあ、店内も格別です。入る前に空調が利いていないのではなかろうかと危惧したのですが、ばっちりとても快適です。あまりに素晴らしいと言葉にするのがアホらしくなります。高校生の二人組が遅い昼食を書き込んでおり、目つきの鋭い老人は何やら一皿を肴にビールを召し上がってます。ジュルリ、ヨダレが垂れてきます。思った以上に広々としていてかつては観光客相手に商売していたお店のように思われました。本来なら地元の人が別宅のような気兼ねなさで通うようなお店のほうが好みですが、観光客相手の店に感じる狡さ含みの小馬鹿にしたような雰囲気は微塵もなく、だからこそ今では町の食堂にしっかり収まり確固たる存在となり得たのでしょう。それにしても酒の肴になりそうなおかずの皿が多様なのが嬉しい。一皿一皿に揚物とか様々な肴、いや惣菜が盛り付けられ同じ内容の皿がないのです。迷いに迷ってようやく一皿を選ぶことになります。腹減ってるからすぐにでも食べたいのに。空腹を一気に癒やすには飯が一番ということで、またもやご当地の味とは程遠いカレーライスにしてしまうのてすが、これで全然いいのであります。ルーそのものはなんだか馴染みのある風味ですけど、よほどのことがない限りまずいカレーというのはありえないものです。意図的に相当薄くしてみたり、普通じゃないとんでもない食材でもぶち込まない限り、日本のルーカレーは旨くできるものです。それにしても何とくつろげるお店なのでしょう、これから彦根の町を存分に散策せねばならぬというのに後ろ髪を引かれ放題です。こちらの唯一の欠点がそこだと言ってしまうと言いすぎでしょうか。 角打ち営業をしているという「北村酒店」は時間切れで入れず、町の雰囲気からとんでもなく古い歴史のある酒店であることを期待していたので、案外新しい店舗なので未練なくまたの機会に譲ることができたのは幸いでした。ほかにも途中、「おでん 一品料理 志乃多゛」、「おでん 一品料理 和音」甘味処「フルカワ」、「めんるい をかべ」などなど堪らない魅力を放つお店があって、これはやはり再び訪れねばと決意を固めることになるのでした。 一方で、明日宿泊することになる大津は、かなり残念なことになっていて、枯れたアーケード街など町並みに見るところはありましたが、飲食店の軒数が圧倒的に少ないのです。そんな現状にあって「長崎屋食堂」と「味さかえ」というお店はとてもいい感じで、お腹に余裕があれば間違いなく立ち寄っていたのですが、無念なことに食事と酒と数杯のコーヒーで目一杯だったので、断念せざるを得ませんでした。
2016/11/21
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一昨日、昨晩と続いた深酒で京橋で2軒ハシゴしてもなかなか調子が出ません。若い頃は多少呑みすぎても、翌日の昼前には臨戦態勢が整ったものですが、年は取りたくないものです。これで己の年を知った呑み方でもできてくればそれはそれで中年らしい呑みのスタイルも育まれようものですが、とにかく今時のオヤジたちーぼくの幼い頃は還暦を迎えたオヤジたちはみな老人めいて映ったものですーは、ぼくらひと世代、いや二世代近く歳も離れたわれわれと変わりない呑みっぷりを見せるものだから、こちらも負けて折れぬ何クソという無意味極まりないのは分かっていても、張り合ってみたりするものだから始末に置けない。ともかく、時間は迫っているものの都島に寄ってぜひとも一軒の酒場を訪れておきたい。そんな訳で、京橋から都島へと向かう術を瞬時に検討してみたのですが、自らの脚力を考慮してみても歩いた方が早く現地に着けそうです。しかし事はそううまく運ばぬようなっているようで、京橋はあまり駅から離れたことがなかったので知らなかったのですが実に魅力的な商店街が続いていて、途中途中でそれはそれは楽しげな酒場や全く持って未知の喫茶店もあり、心が揺れること止め度ありません。ここをみすみす見逃しては愛好者として如何なものかと延泊する誘惑を打ち消すのが困難となるのでした。 それでも何とか危険地帯を突破して辿り着いたのは、「酒の大丸」てす。古いタイプの低層公営住宅風の建物の一階にこれでもかとデカデカと暖簾をひらめかせています。表から見る風情は抜群です。暖簾をくぐって店内に入ると思いのほか広いのですが、やはりここは巨大なコの字を描くカウンターに着くことになります。内側は常連さんたちの定席のようです。控えめに向かいの隅の席を選びました。実はここが店内を一望できる絶好の席なのでした。剽軽でドジっぽく誰にも好かれるタイプの(恐らく)中国人の従業員はモタモタしているわけではないもののなんだか手際の悪い様で、ブツブツと何やら呟きながらもとこか楽しげなのが微笑ましいのです。肴はありとあらゆるものが揃っていて、日替わりの品書きだけでも迷ってしまうほど。とびきり手が込んでいるわけでもないもののちょっと気が利いてるとこも良いのです。残念なことといえばいくらか大阪としては値段がお高めなところですが、客たちは気にする風もなく次々とでものんびりと注文を重ねて、間もなく席を立たねばならぬ身のぼくをして悔しい思いをさせてくれるのでした。 都島駅から市営地下鉄を乗り継ぎ、新大阪駅に到着。この駅はまさに新幹線の駅といったよそよそしい表情で、ここに着くと一刻も早く新幹線に乗車して帰京したくなるのだからうまく出来ています。K氏とはホームで何とか落ち合うことができましたが、ともにへたばりきっていて、キオスクで買い込んだ缶チューハイを2本づつ呑み干すと、東京駅までぐっすりと眠り込み、当初東京駅で呑んで帰ろうと打合せていたことも忘れ(た振りをし)て、それぞれの自宅に向け別れたのでした。
2015/08/18
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最終日の呑みは、やはり京橋で始めたいと思っていました。喫茶篇で書いたとおり「スワン」の素晴らしさに時間の経過さえ忘却の彼方となりそうになるのでしたが、まだ十分抜けきってはいない酒が恋しくなってきました。大阪を知り尽くしたとは到底言えないぼくではありますが、観光地と化した新世界は置いておくとして、天満から京橋に掛けてがその代表的な土地であることに異論を唱える人は、それが根っからの大阪人であっても恐らくほとんどいないのではないでしょうか。 京橋駅を出てすぐの「スワン」を過ぎると幾軒もの立ち飲み屋が軒を連ねていて、正直どこに行ったか行ってないかなど忘却の彼方なのであります。なのでなんだか入ったこともありそうですが、「岡室酒店 直売所」にお邪魔することにします。この並びでもとりわけ人気の一店です。まあみかけはごくありふれた立ち呑み店でしかありませんが、流石にこれだけの入りがあるはずとにかく酒と肴の充実は羨ましくなるほど。さすが大阪。まあ都内で頻繁に通い詰める立ち呑み店のお得差に比べればまあ劣るでしょうけど。雰囲気も格段に上だしね。何で、意味不明な競争意識を東京人ーウソ、単に人生で一番長く住んでるだけの田舎モンーとしては訴えたい。いや、大阪の人は聞く耳がないから訴えてもしょうがないかなどと無為な挑発もしたくなる。実際、羨ましい、このレベルの酒場が幾軒もあると思うと移住して、大阪弁をマスターしたくもなる。まあ、大阪の人たちはこんなにも大阪に愛を捧げるぼくにさえ手きびしい仕打ちを見舞ってくれそうです。 同タイプではあるものの店の風情は格段上の「まるしん」にお邪魔しました。ここは間違いなく初めて。一見の態度を示すととたんに冷たいのは、都内の酒場より実際は大阪に多いと感じています。それはまあどうでもいい、とにかくここは親近感というか店主のナツっこさに最大の持ち味があるように思われます。兄ちゃんー大阪のおっちゃんはやけに人の事を兄ちゃん呼ばわりするけれど、ぼくより年下に思えることがままあります、まあそんなに気にはなりませんけどー初めてか、ほならこれうちの名刺、と似顔入りの名刺とともにゲソ揚げを出してくれて、これ食べてやと至ってフレンドリー、肴をくれたからという訳だけでは消してありませんがこういう一面も大阪らしくていいですねーちなみにカッコいいマッチもありますので、マッチ好きな方もどうぞー。大阪の酒場って、先にも書きましたが湯豆腐が美味しいですね。とろろ昆布がまぶしてあって出汁で食べるのがとても良い。これなんかは手軽なんだから東京でも真似ればいいのに。
2015/08/17
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これがホントの喫茶篇最終回。昼過ぎとなりそろそろ呑みの方もフォローしておかねばと焦る気持ちを抑えつつ、いつしかJRの環状線を迂回していることに気づくのでした。このまま線路に沿って歩いていけばやがては京橋にたどり着けるはずですがその距離感がどうも掴めない。それを確認するため立ち寄るのはやはり喫茶店なのでした。 寺田町駅のそばにある「喫茶 軽食 ジュン」に入ることにしました。というか他にこれといった喫茶もなしなので選択の余地はありません。ガード下に純喫茶然とした店舗もありますがもはや廃墟化しつつあります。店はそこそこに混んでいて、そこそこに純喫茶のエキスを染み出していて悪くはありません。大阪の人は食事するにせよ、憩うにせよ、歓談するにしてもとにかく喫茶店という媒体が必要なようです。どうでもいいようなおしゃべりであっても、さほど笑えるわけでもない笑いを散りばめて、気の利いた喋りをすることがアイデンティティを支えてでも言わんとばかりです。ぼくは知っています。大阪の人は一人だと滑稽なほどに押し黙ってしまい、そんな自分を嫌ってむりくり見知らぬ他人にコミュニケートを図らんとすることを。孤独と沈黙に耐えられぬ大阪人は今持って少しも都会人ではないのですーもちろん皆が皆、喧しい訳ではないー。と毒を吐いてみたものの、ぼくにしたところで和歌山での生活はけして短くなくて、同じ関西圏の一員だと思っています。思っていますが、どうも大阪の人は奈良や和歌山を小馬鹿にする性癖があり、滋賀など水溜としか思っていないようで、そんな発言をしても少しも悪びれないのだからー県民ショーを見よー、一言言わして頂きたいのです。まあ、そんな大阪人には「ヒスイ」を見よ、と一言呟いてみせればそれで良かったのでしょう。返す言葉で「マヅラ」はどうだ、と問われれば言い返すすべはありませんが。ともあれ、喫茶店国と信じて疑わなかった大阪も環状線の東側は見る影もなく、僅かに残る残滓をスナック化したカラオケ喫茶に見出すしかなさそうです。そんな中でこんな普通の喫茶が残っていて入れたのは運の良いことでした。 落ち着いて調べると京橋まではまだかなりの距離があります。残り時間も少なくなっているのでここで環状線に乗り京橋駅を目指します。かねてよりその存在を認識していた「純喫茶 スワン 京橋店」にお邪魔することにしました。今朝行った天王寺の店舗に落胆したばかりなので、ノルマのつもりで片付けておくつもりでした。でもこちらは全然違いますね。照明と鏡がこれでもかと全面に張り巡らされていて、目も眩むばかりです。鏡張りのパーテーションをちょっと足してやればブルース・リーも幻惑されるような気がします。このテンションの高さこそが大阪喫茶の極北です。松虫の「ゆうなぎ」のアンニュイとこちらのアヴァンギャルドが共存するのが大阪の懐の深さです。と、先の文章とは真逆の発言となるのもやむを得ないことてす。だって大阪も大阪の人も変だから。 好悪入り交じったなんだかよく分からぬ結論で今回の和歌山の旅のおまけの大阪喫茶巡りは終了です。
2015/08/16
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もう少しだけ呑んでからホテルに引き上げることにします。ただし呑み過ぎは厳禁、なんせそこらの女子高生の家庭より厳格に門限が定められているのです。そんなこともありホテルの近くで呑むのが良いと考え、ちょっと危ない気もしますがドヤ街の只中で呑むことにしました。 まず入ったのが「八仙桜」というお店でした。アジア系の女性二人で切り盛りしています。この界隈は山谷同様にカラオケのあるスナック寄りの店が多いのです。幸いなことに歌の好きな客はおらず歌声に苦しめられることは当面はなさそうです。もともと結構な大きさのあるカウンターには2,3名がいるばかりなのでした。肴は中華以外にも居酒屋メニューの定番が揃っていて、混んでさえいなければのんびりと呑むことができそうです。店のお姉さんたちも感じが悪くないし、何よりお値段の安さは嬉しいものです。大阪だからと気張ったりせず、身構えもせず、自然体でいれば、通い慣れた馴染み深い山谷の町で呑んでるような気分になってくるのでした。大阪まで来て山谷を感じてみても虚しいだけなんですけどね。 とうとうホテルに辿り着いてしまいました。てもまだ物足りない。かといって一日随分動き回ってこれ以上動き回ると最終日に差し障ることにもなりかねません。お誂い向きにホテルのとなりはやはり酒場なのです。今後大阪での定宿になるかもしれぬので、お隣の酒場を見ておくのも悪くはないでしょう。「焼肉 福家」とあります。焼肉とあるのはちょっと気になりますが、まあ何とかなるだろうと楽観的になれるのは大阪の空気がそんな緩さを許すからなのか。実際店の方は陽気なオバハンーこれは行為を表す言い方とご理解くださいーは、実に気さくで楽しい。この陽気さは関西の方のそれとは一風違って感じられ、そんな女将さんの明るさに群がるようにおっちゃんたちも本妻の前では晒せぬようなたるんだ表情でだらけてみせたりして、門限なしに呑める幸せを羨んでみたりもするのでした。座敷にはどうしたことか一人暗い表情を隠しもせぬ若者がいて、何が楽しいんだか、黙々とスマホなどいじる姿は都内の若者と変わることなし。聞くとこれが女将の息子とのこと。こと若者にあっては都内も府内も状況はさほど変わらぬようです。
2015/08/10
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まだまだ大阪の喫茶巡りは続きます。今いるのは松虫停留所付近です。夕方には新大阪駅から新幹線に乗らねばなりませんし、それまでに京橋辺りで何軒か居酒屋も回りたいと思っています。このまま悠長にしていていいものか、勝手知らぬ町なので判断の下しようもありません。まあ義務ではないのだからあまり力まずに愉しめばいいじゃないかというご意見ごもっともではあるのですが、ちょっとしたニアミスで今生の別れとなってしまうことも経験を重ねてきたものですから、どうしても休んでなどいられません。普通なら休息の場であるべき喫茶店や居酒屋もそれを趣味というか生き甲斐に近いものとして位置付けてしまうとそうも言ってはおられません。 ともあれ、セピア色とはこれであると言い切ってしまいたくなる「ゆうなぎ」 ー余談ですが古民家で行われる燻蒸処理の役目を喫茶店ではタバコこそが担っているのではないか、あの切なくなるようなセピア色(もともとはイカ墨のことのようです、モノクローム写真の現像に使われたとか、今では時を経て褪色した様を指すようです)に彩られた空間はすっかり嫌われものとなったタバコこそがもたらすと考えてみるーを出ると、電車通りを越えて「喫茶 憩」に向かいます。外観はとてもいいのですが、内装は表ほどにはかつての姿を留めることに成功していないようです。 東方向に向きを変えしばらく歩いていくと「ニューホワイト」がありました。なかなか趣のある渋い建物ですが、店内はいくらなんでもちょっと散らかりすぎていて、さらには思いの外にこだわりが感じられず純喫茶はこうした些細な綻びの積み重ねで、純を失っていくものなのでしょう。 文の里の辺りにこんなにも物悲しいアーケード商店街があるとは知りませんでした。「COFFEE HOUSE 再會」は、できることなら表通りから見つけるのではなく、雑居ビルの薄暗い入り口を通り抜けて入りたいところです。これだけで随分印象が違って感じられるはずです。華族のサロンのような豪奢できらびやかな空間は、この界隈に必ずしも似つかわしいとは思われず、そのギャップが極端なためかよその喫茶店では騒がしくてかなわぬ大阪のおばはんたちもここでは、いくらか窮屈そうではありますが澄まし顔で気取ってみせるのを楽しんでいるように思われます。ここにいるひとときは日頃鼻持ちならぬといった言い方で腐しもする銀座マダムに変身するようです。
2015/08/09
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Kさんはそらそろお疲れの様子なので、ここでひとます解散することにします。新今宮の駅前で別れを告げ、ぼくは再び新世界に引き返すことにしました。すると早速立ち呑み屋に行き当たりました。 「のんべえ」というお店で、新世界の呑み屋がどこかしら観光客目当てのこずるい商売をしているという印象を晒していたのに対してーこういう感覚ってアウェー感ってうのでしょうか、多かれ少なかれどこででも感じるものではありますが、大阪ではとりわけその印象が強く感じられますー、この立ち呑みはいかにも地元に根付いていて、親し気な印象の陰によそよそしさを隠そうともしない人気の串揚げ店とは違ってよそ者であっても一人の客として受け入れてくれるような気がします。実際店に入るとまさに大阪の夫婦モンというお二方が迎えてくれるのですが、押し付けがましくない程度に語りかけてくれて非常に気が楽なのです。知らぬわけではないとはいえ、ここは東京嫌いをあからさまにする大阪でありますし、少しは気張って来ているのでありますが、一挙にそのこわばりも解消されリラックスした気分になりました。でっかいジャガイモの入ったカレーを肴に愉快に杯を重ねるのでした。 またもや新世界に引き返すと、すぐに「やまと屋 2号店」があります。「やまと屋」は、この界隈に何店舗かあるようですが、ここがもっとも雰囲気がいいと聞いていたので、機会があれば入ってみようと思っていたのでした。もっとも周辺の店はぼちぼち店を閉め始めていることもあり、チェーン店ばかりが目立ち始めてきました。こちらも客は大分履け始めていて、空席の目立つカウンターに通されました。これが都内にあればなかなか枯れていいムードであるなどと言ってみたりしたくもなる程度に良い雰囲気ではあります。大阪は食い倒れの町と言いますが、値段という点においてはむしろ東京に部があるようです。いや、肴の値段は大阪が圧倒するようです。都内だと無体なほどに法外な値段を取る鱧やら湯豆腐、きずしなんかは嬉しくてついつい頼んでしまいます。そんなことをつらつら思いつつ、ぼくにはいささか賑やかに過ぎる新世界にあってはゆったりとした気分になれる店を改めて悪くないなと思い直してみたりするのです。
2015/08/03
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大阪での宿泊は値段を再優先して萩ノ茶屋界隈ー所謂釜ヶ崎ですね、言わずとしれた日本三大ドヤ街のひとつで、事実上山谷が外国人観光客が優勢となってからは寿町とここが往時の面影を残していると思われ、二大ドヤ街と言ったほうが良いかもしれませんーにある一泊1,500円のホテルでした。結論から言うと簡易シャワーやトイレにやや難があるものの総じて綺麗で危なくもなんともないので、今後の大阪滞在には積極活用しようと思いました。一応責任は負えませんのでそこは自己責任でご利用をご検討ください。 さて、翌朝5時過ぎには喉の異様な乾きで目覚めてしまい、のんびり身支度しましたが、ダラダラしているほどの時間は残されていません。同行するKさんも既に出発の準備が整っているようです。この日は別行動です。Kさんは神戸観光、ぼくは大阪の喫茶と酒場を巡るつもりです。それじゃあ、飛田の方を通り抜けて天王寺に向かいそこで夕方の新幹線までは自由行動とすることにしました。 飛田の商店街を歩いているとあるはあるは喫茶店が次から次へと姿を表します。この商店街にはかつて飛田東映という劇場に映画を見に行ったことがあります。普段は気の強さと怖いもの知らずを自ら標榜していたような女性でありましたが、やさぐれた日雇いのオヤジたちの険し意視線に終始怯えて映画にも身が入らないことが映画館の暗がりからも見て取れて滑稽だったことを今でもありありと思い出せます。そんな劇場からも程近い所にかほどに多くの喫茶店があったとは。「音楽喫茶 ニュープリンス」が界隈ではオオバコのようなので朝食がてら入ることにしました。店内に入ると造りが和歌山のあの「ヒスイ」にそっくりなことに驚かされます。奥深く伸びる客席と並行に半地下構造の同じテーブル配置の空間が広がります。ただ違っているのがそのゴージャスでありながらもどこかしら愛嬌のある「ヒスイ」にはあったセンスであり、こちらは不思議な位に味気ない大学の学食のような素っ気なさでそこら辺に独特の魅力を感じなくもないのですがやはりぐっと落ちるのは否めません。 飛田遊郭を通り抜け、天王寺駅前でK氏と別れると一人向かうは「純喫茶 スワン 阿倍野店」でした。立派なビルがまるごとこの喫茶店のようで、単調な景色の一階は避け二階に上ったもののやはりさほど愉快な何かがあるわけでもなく、まあ使い勝手はいいのでしょうが純喫茶好きを喜ばすものといえばせいぜいが二階へと上がる螺旋階段くらいのもの。ストローを始めとした店オリジナルのグッズが辛うじて心を和ませてくれるのでした。 天王寺からひたすら南に向かって歩きます。ぐるりぐるりと寄り道しつつ歩いているうちに阪堺電気軌道上町線の松虫停留所に到着していました。この停留所には聞き覚えがあります。この界隈には多くの喫茶店があるはずです。急激に疲れを感じたのでこの界隈の喫茶店をハシゴして休息を取ることにしましょう。何軒かの喫茶店が閉店していたり改装中だったりして、期待外れだなんて思っていたところに「喫茶 軽食 ゆうなぎ」が姿を表したものだからーって停留所のすぐそばにあったのだけどー、これは興奮しない方がどうかしているというものです。ゆうなぎという店名がそのまま店の印象を的確に表しているようで、夕闇の深い静寂にくるまれたかのような感覚に見舞われます。日の沈むまでのほんのわずかな無風状態を永遠にそのままの状態で留めておきたいという店主の欲望は、純喫茶という独特の文化が獲得してきた幾多あるイコンから最良のものをまとわせることで、不気味さすら感じさせ達成されています。ジョゼフ・ロージー監督による「夕なぎ」が立ち直れなくなりそうなほどの怪しさを湛えていたのと似た、危なさを感じました。ここにあまり深く囚われてしまうと立ち上がれなくなるやもしれぬ、そんな不安に駆られ逃げるように店を出たのでした。
2015/08/02
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紀三井寺観光を終えて、和歌山駅改札にて残された今日と明日を共にするとても気の合う素敵なおぢさんと合流、暑さに負けず紀三井寺観光をきっちりこなしくたびれ果てた様子です。駅前のドトールで時間を調整し、大阪に向かうくろしおに乗り込みました。この日は喫茶巡りは終わりと決めていたので―「ヒスイ」を知ってしまうとそこそこの良い純喫茶でも、あくまで私的ではあるとは言えさすがに評価にブレが生じるはずなのでここはもう呑みに徹するべきと考えたのでした。ところが、前夜の酒が未だ抜けきらず、やたらと揺れの激しいくろしお号に辟易しつつようやく新大阪に到着したのでした。市営地下鉄なんとか線で向かうのは中津です。かねてより行きたいと思いつつ空振りしているお店です。ところがそう遠くないはずの阪急だかの中津駅が一向見つからぬ。体調も優れぬので、いい加減嫌になりましたが同伴者の知恵でようやく到着。同行者はギョッとした表情を浮かべていますが、まさしくこここそがぼくの求めた酒場に相違ありません。 「憩い食堂」です、吉田類というよりそのお隣で口数少なくもその存在感は吉田類を遥かに凌駕するきれいな女性の記憶でとりわけ印象深い大阪の酒場です。駅舎内の酒場と言ってしまえばそれまでてすし、実際数は減ったもののそれたけであればさほど珍しいものではありません。このお店のユニークさは、駅舎でありながら肝心の駅以上の存在感で、駅はこの酒場に直結した附属施設という位置にあるような印象です。実際テレビ画面では気付かなかった広い客席が美女の腰掛けていたその奥に広がっていたのでした。そうそれを知り得たのはぼくが吉田類の座った席に着いたからで、その視界を遮るのは美女ならざる同行したおぢさんだけだったので、じっくり眺めることができました。調理場を含め店内全体を見晴らせるこの席はやはりベストポジションのようです。威勢が良くて愉快な店員さんは忙しそうですが、時折思い出したようにおどけて見せてくれるあたりを目にすると大阪で飲んでるんだなという気分がぐっと強く感じられるのでした。酒の肴も充実した雰囲気抜群のお店でした。 ここで今晩の宿泊地である新世界に移動します。通天閣の足元に広がる混沌とした風景こそがぼくのような和歌山で暮らしていた者にとっての大阪のイメージです。天王寺が和歌山県人にとっての大阪の玄関口なのです。さて、日中は凄まじい雑踏と活気はかなり鳴りを潜めて来ました。そうそう、この界隈は夜が早いのですよね。今回のお目当ての一軒である「大衆酒場 酒の穴」もそうこうせぬうちに店仕舞いの時間となります。観光もそこそこに酒場を目指します。ジャンジャン横丁にはそれこそいくらでも串揚を中心とした酒場がありますが、それほどに心惹かれるお店がないのはどうしたことでしょう。行列をなす数店はもちろんの事、枯れた雰囲気の店でさえあまりそそられないのです。その原因を探ってみますがどうも適当な答えが見つかりません。傾向としては観光地の枯れた喫茶兼お食事処にはあまり惹かれないのと同じような感情が作用するようです。こんなエリアに酒場好きの満足できる店があるものやら。度々大阪を訪れるT氏の最も頻繁に通う店とのことなのでそう大ハズレではないはずですが懸念は失せることがありません。とかグズグズ考える間もなく到着。大阪らしいぐるりと厨房を取り囲むカウンターだけのお店です。お客さんも結構入っていますが、適度に空席が目立つのも気楽で有り難い。肴もお手頃でやはりここは名物とある八宝菜を頂いておくべきでしょう。若い女性客だけのグループもあれば一人酒を決め込むオッチャンや若い人など年齢、性別を問わず使い勝手のいいお店でした。名酒場というのではなく近所の定番酒場として愛したいような一軒でした。
2015/07/27
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しばらくぶりの自転車なので、軟弱なオシリがひどく痛んでサドルに跨がるのさえ辛いくらいです。それでも残された時間はごくわずか、痛むお尻を庇いつつも必死で自転車を漕ぐのでした。午前中は仕事上の野暮用を済ませ、先に帰郷する同行者と和歌山駅に隣接するショッピングモールの地下で和歌山ラーメンを食べました。和歌山に住んでいた頃はそんなものがあることすら知りませんでした。駅ビルで食事するのは決まって明石焼きで、ぐるりと円状のカウンターが記憶に残っています。本当なら官庁街の前日行きそびれた喫茶に立ち寄りたいところですが、肝心な純喫茶がまだ残っています。ここで欲張ってしまっては本命を逃すことにもなりかねません。本命は後回しにして目を付けておいたお店を目指し、ぶらくり丁方面に急ぎます。 最初に向かった「軽食・喫茶 小波」は、エアコンの室外機らしき機械のファンが回っているのでやってると思い勇んで自動ドアらしき扉の前に立ちますが、ぴくりともしません。店内を覗き込むも真っ暗です。どうやらお休みのようです。残念。ここも準本命だったのです。 すぐそばにある「CoFFee 浜」は、昭和33年の開店ということで、ファサードの格好良さはなかなかのものです。和歌山よりむしろ横浜辺りにあるのが相応しいと言っては失礼に当たるのでしょうか。店名も今はなき横浜日劇を探偵事務所としたハードボイルド映画を想起させて、ニヤリとさせられますがこちらの方がずっと歴史があるのだからもしかするとこの喫茶店がその探偵映画にインスパイア下のではなかろうと邪念したくもなりますが、この一連のシリーズの消して良い観客ではなかったぼくにはそれらを結び付けるこじつけめいた理屈などひねり出せそうもないのでした。店内はウッディなトーンで統一されていて、どこに座ってもも良さそうな雰囲気です。入った時には窓掃除をしていた主人を見て、客のいない時には大事に店の手入れを怠らぬ姿勢にちょっと感動しながら、その主人が勧めてくれた窓際の席に着くと窓越しに流れる川の風景にうっとりとするのでした。外景をも店の一部に取り入れるセンスは素晴らしいものです。ただここでうっとりと時間を過ごすわけにはいきません。次こそが紛うことなし大本命だからです。ぼくが店を出て再び外観に見入っていると、主人が再び掃除に戻った様子が擦りガラス越しに見えるのでした。 営業しているのを確認しておいたのであえて後回しにしました。次があると思うと存分に堪能できないと思ったからです。1964年創業の「純喫茶 ヒスイ」、とうとう念願が叶いました。とにかく素晴らしいとしか言いようがありません。あまりの素晴らしさを目の前にするとひたすら絶句するばかりです。絶句するというからにはあえて何事も語ることは避けるべきでしょう。半地下の席に着いたぼくは時間のギリギリまでここで過ごすことを決めたのでした。随分多くの写真が流布しているので入店した証として、最低限のシャッターを切らせてもらいましたが興奮でうち震える手ではいつも以上に愚かしい写真のなるばかりですぐに無駄な行為と撮影は取り止めにして、ただひたすらに店に浸りこむことにしたのでした。と「ヒスイ」の素晴らしさを語ることの厄介さをこのようなおとぼけで誤魔化すご無礼をご容赦ください。 待ちあわせの時間が迫っています。また来たいものだと未練は尽きませんがそうも言ってはいられません。和歌山駅に向けてまたたく間に過ぎ去った和歌山滞在に思いを馳せつつも入店叶わなかった喫茶に早くもまた来なければなるまいとの気持ちを強くしたのでした。「喫茶 ドレミ」もちょっと良さそうだったなあ。
2015/07/26
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立て続けにすごい喫茶店に伺えたこともあり、すでに満腹気味ではありますが和歌山に来ることなどこの先何回もあるとは思えません。のんびり構えて悠長なことをしていると後々遺恨を残すことになりかねません。高速バスの疲労とおよそ東京では感じることのない厭世感によって朦朧とする意識にとっては、コーヒーのカフェインの覚醒効果など微塵の効き目もないようですが、そんなことに頓着している暇はありません。 次なる目的地の「珈琲館 集」はお休み。かなり北上してしまったので再び南下していくと七曲市場という古くて薄暗く、でも人気こそないもののほとんどの店舗がしっかり営業している楽しいエリアに至りました。市場あるところに喫茶ありの原則どおり「コーヒーショップ 満美」と「喫茶 ノンノン」の2軒を見つけることができましたが店内が表からも丸見えでそれほどの喫茶とも思えず見過ごしてしまったことを後々になって後悔することになります。「モア」もまたお休みです。「オセロット」は思いの他、新しかったのでパス。 あまりにも見送ることばかり多くなってしまったので「茶色館(ブラウンカン)」には、寄ってみることにしました。ちょうど時間もランチタイムです。外観からおおよその想像がつくとおりのオーソドックスな店で、もちろん悪くはないけれど物足りなさはどうしようもありません。でも店の方は、とても親切で汗だくになったぼくを見て扇風機の馬力を上げてもてなしてくれたりと、気持ちよい応対でした。「純喫茶 リヨン」はお休み。ここはぜい入りたかったなあ。明日もトライしてみますか―と、書いてみたものの現実にはそれも叶わず未練たらたら。ネット情報をくまなく探索したわけではないので、あまり確信はありませんが思いがけぬ拾い物かもしれません。実はここで、大興奮の末に綿パンの縫い目が思いっ切りほつれてしまって、パンツまる出しに近い有様になってしまったため、ここでこの日の喫茶探索は終了。会場の方に頼んで安全ピンを調達し、応急処置に望んだもののとても隠しきれるものではなく、結局ホッチキスでビッチリと止め直したのでした。ぼくにしては贅沢なYohji Yamamotoの綿パンだったんだけどなあ。こんなに簡単に劣化していいものか。 せっかくの眺めの良ささえ堪能することもなく、二日酔いの頭痛を抱えて、それても朝5時には起床したぼくは、レンタサイクルを武器に早朝から活動を開始することにします。ホテルのある場所から遠くないぶらくりちよう界隈の喫茶店を溢れる欲求をなだめつつ走り回りました。「喫茶 緑」が空いているようです。かなり劣化してはいますが白地を基調とした爽やかな風体のお店です。本来喫茶店というのはこういうものであったのだなあとしみじみ感じさせてくれるごくごく普通でありながら―正直言うとこれが都心にあったら盛大に簡単の念を述べるはず―、でも仕付けりゃくださいしっかりと店のコンセプトを内装で体現してみせた心憎いお店です。 あっ、「COFFEE SHOP ナカムラ」が開いています。これは当然ながら立ち寄らねばなりますまい。一応、この日の昼までに所用を済ませれば多少の自由時間があると言っても残された時間は僅かです。モダンな雰囲気とシックな正統派の珈琲店のハイブリッドしたかのような和歌山の喫茶としては一風異色な存在でありますが、やはり店内も個性的な風貌を晒してくれるのでした。というのも一見するとかなり正統派のクラシックな構えながら奥には和風庭園がそっと控えめに鎮座するという極めて出鱈目かつ贅沢極まりない空間が広がっているのでした。唐突に思いついたのが東長崎の駅前喫茶ですが、とにかく純喫茶という媒体はあらゆる様式をにこやかに取り入れてしまえる無限の可能性を秘めていると信じるに足る経験でした。 他にも何軒かの気になる喫茶があってこのまま見送って遺恨となりかねぬと思いはしたものの、例の名喫茶に出会うことでもうすべてがどうでも良い気分になったので質した。
2015/07/19
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さて、まだ始まったばかりの和歌山の旅ですが、まったく唐突に話は佳境に差し掛かることになります。いくら和歌山といえどもこれほどの喫茶店を一挙に報告してしまって良いものか幾分の躊躇を感じつつも、一挙公開することにします。 まずは「パーラー ファッション」です。他のブログでも紹介されていてよく知られているお店です。翌日立ち寄ったとある喫茶店に訪れていた純喫茶をこよなく愛するらしい乙女チックおばさまたちの語るところによると地元紙で紹介されたこともあるようです。パーラーと称するに相応しいチューリップ照明がとても可愛い。いくらかスッキリとしすぎた嫌いもなくもない席の配置がどうした根拠に基づくわけではないのに和歌山っぽく感じられるのが不思議です。われながら出鱈目な気もしますが、気にしたところでしょうがないことです。ともかく外観ほどのインパクトはないのですが、さり気なく品のある素敵なお店でした、。 「喫茶 ベアー」はすでに閉店、貸物件の看板が立っていました。ここが今回予定していた和歌山喫茶店巡りの最南端です。 すでに素通りしていた「純喫茶 クラウン」に引き返してきました。ここは王道をゆく店名通りに本格派の古典喫茶としてつとに名高いのであえて何事かを語る必要はないでしょう。素晴らしいの一言につきます。まず見かけることのないティーソーダをお願いしました。容易に想像のできる通りの甘いアイスティーの炭酸割でした。まだ夏前というのに真夏並みの暑さで汗びっしょりのぼくにとって爽快で喉と身体に嬉しい贈り物でした。ところで高齢のマスター、店を出る際、声を掛けてくださり、お兄さん和歌山の人?、と尋ねてこられたので、えぇ、神前に住んでましたとお答えすると控えめな笑顔で、そうですか、言葉遣いでそう思いました、と仰っていただけたのはなんだか照れくさいですが、嬉しかったです。 続いてもお楽しみの一軒であります。「ネスト」という海岸にかなり接近した辺りにある古い喫茶店です。ぼくにとって羨望の喫茶店生活を送られている、とあるブログを運営されている方からの熱烈なお勧めもあって、是非ともお邪魔しておきたい一軒なのでした―って今回はそればかり言っている気がしますが…―。お店は風情のかけらもない交通量の多い道路に面してあって、あえてお客さんを拒むかのような入店を躊躇いそうになる佇まいです。当然ながら大好物な物件なので躊躇なくお邪魔します。店内は想像していたよりは正統派のシックな構えではあります。それもこれも東京基準であれば大騒ぎしたくなるような純喫茶であっても、ここ和歌山においてはありふれて見えるというまでのことです。これだけの喫茶店が都心で喫茶巡りする際に一軒でも出会えていれば有意義な一日であったなあという感想を漏らせるほどのレベルではあります。他にお客のいない広々とした贅沢な空間でほっと一息ついていると格別な気分になります。女性二人でやっておられて間もなく昼食時になるとランチ目当てのお客さんがたくさん訪れるのでしょうか、それを確認してみたい気持ちもありますが、あまりまったりしてはこの先気力が湧かなくなると思い直し、席を立つことにしたのでした。
2015/07/12
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和歌山では喫茶店こそ若干の未練はありつつもほぼ悲願を達成できたという納得いくものにすることができましたが、こと酒場に関してはいささか不満を残す結果となってしまいました。それというのも同行したお二人ばかりでなく、現地でたまたま遭遇した知人が結構な数になり、一緒に呑むことになってしまったのでした。中には大いに愉快な人物もいるのでまあそれはそれでいいのですが、10人近い人数では入れる店も限られてしまいます。ぼくは一人かせいぜい2,3人で呑むのが好きなのです。好きなだけではなくて、変にテンションが上がってしまって、やたらめったらサービス精神旺盛な男に変貌してしまうのです。やけにリップサービスを作動させ、大いに喋るし、大いに呑み過ぎてしまう。折角の和歌山での酒場巡りのチャンスを逸してしまうのは大変無念なことですが、それはまず間違いなく無理なようです。 開き直って酒場探しに奔走することになります。ぼくなどよりずっと年少者もおりますが、まともに動こうとするものもおらず、それが必然であるかのように涼しい顔をした若者に不平の一つもこぼさず駆けずり回るぼくってなんて健気なのだろう。なんて、あんまり高い店を選ばれては敵わないし、第一ぼく好みでない酒場を選ばれたりしては堪らないので、どうしても自らの足を動かさざるを得ないといういかにもな理由もあります。もともと和歌山にはそれほど呑み屋が多いわけではないことを知っているので、その作業は困難を極めるかに思われたのでした。そんな事情もあるので的確かつ素早い判断が求められるわけですが、その作業は思いの外すんなり方が付いてしまいました。憧れの純喫茶からもほど近い呑み屋街の外れといった寂しい一角のビルの2階にその店はありました。「酒処 げんご」というお店で、看板に描かれた絵が古臭さ剥き出しで何となくユーモラスなところが気に入ったのでした。10人でも大丈夫です。ざっと眺めた品書きを見ると値段も手頃です。ただ酒場マニアでもないメンバーの誰からも喜ばれそうにないことは必至です。まあすでに会合後のパーティーでみんなそれなりに食べているはずなので構いはしません。実際随分安い品―と言っても炙ったり揚げたりするだけの簡単な品ばかりですけど―が多くて、年長かつ立場的に多めの出費が嫌がおうにも求められる立場のぼくの間接的な親分の心の負担は随分軽くなったはずです。ここで極力控え目に呑むことで済ませられればこの先の展望も開けてくるはずです。ところが一人大酒呑みがいるのを忘れていたわけではありませんが、その行動を監視しきれなかったのでした。いつの間にやら焼酎の一升瓶が投入されていたのです。当然ながら宴は長引くことになり、ガンガン呑むのはぼくとその大酒呑みだけとなっていました。これでは次に行くまでに体が持たないと判断したぼくはカバンからそっと空になったペットボトルを取り出し、詰め替えるという暴挙―というより防御かな―に出たのでした。その英断もあって間もなく宴は幕を下ろすことになり、それぞれの一夜のねぐらへと散ったのでした。 残ったのはぼくと大酒呑み、それと翌日からも行動をともにすることになっている3人でした。みな互いに別な関係性で知り合っていて3人で呑むのはまだ2度目ですが、この面子であれば気兼ねなく愉快に呑めることでしょう。向かったのは、太田和彦推奨の「千里十里」でした。ここで10名が飛び込みは難しそうですし、第一金も掛かりすぎるはずです。瀟洒な落ち着いたお店であることはテレビでよく見知っていましたが、一度は来ておきたかったのです。前回来た時はホテルからかなり距離があったため断念していたので念願叶ったということになります。和歌山までの旅費を考えれば、当地にいてタクシー代くらい出しても損はないはずですが、それができないのがビンボー性なぼくの限界なのであります。和歌山らしく鯨などの刺身などを摘みながら酒は焼酎から日本酒に切り替わります。その日本酒も五合瓶などまたたく間に空いてしまい、いつの間にやらまた酒は焼酎になっていました。タンタカタンの五合瓶もみるみる減っていき目が覚めるとベッドで着の身着のままで倒れていたのでした。折角の美味しい魚ですがさほど味わう暇もありませんでしたが、店の方も非常に感じのいいなかなかのお店でありました。 この日は、9時には所用を済ませる必要がありますが、それを済ます前に僅かな時間しかありませんがギリギリまで喫茶巡りをする予定です。重く気怠い体を鞭打って6時前にはホテルを後にするのでした。
2015/07/06
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和歌山にはほぼ定刻通りの8時45分頃に到着。駆け足となる今回の旅には機動力が必要です。そんなことから今回も前回同様にレンタサイクルを利用することにしました。ところが以前とはシステムが違っており、乗り捨てスポットがないのです。これはなんとも不便極まりなし。ホテルはお城のそばなので夕暮れ時に一度JRまで引き返さねばなりません。それでも機動力を優先し、事前に予約しておいたのですが、9時に開始の貸出所はありがたいことにすでにオープンしていて、2日分前払いすれば翌日返却で良いとのこと。まあ、夜は呑み歩きなので自転車の役目はないのですがこれは助かります。和歌山弁炸裂のおっちゃんに感謝。 さて、レンタサイクルに跨り快調に滑り出します。乗り心地もなかなかよし、高いだけはあるー1日500円ー、後で低めに調整されているサドルを調整しましょ。懸念されていた天候も持ち直しつつあります。予報では大雨の影響が残りそうだったので、これも日頃の行いの、なんてことを言いそうになりますがあくまで運が良かっただけ。ぼくはどちらかと言えば雨男の傾向にあります。まずは土日が休みという「森永喫茶店」にお邪魔せねばなりますまい。昭和22年の開店という老舗喫茶店。なんとも贅沢なオープニングになりました。奥開きの今では珍しい自動扉に迎えられた店内は過剰な装飾はないけれどパテーションなどにセンスの良さが感じられる素敵なお店でした。興奮で慌てふためきカバンを自転車のかごに置き忘れたことからママさんとの会話となり、ここでもまた和歌山弁の洗礼を浴びているうちにこちらも幼少時に植え付けられた記憶が刺激されたのか、自分でも言葉の端々にこちらの方言が自然と口をつくのを意識していたのでした。 さてぼくの住んでいた頃はまだそれなりに賑やかだったぶらくり丁に向かいます。その目的ははっきりしているのですが、まだ心の準備ができていません。これも行きたいと思っていた「ニューインデアン」は閉店の貼り紙、無念。さすればちょっとぶらくり丁を眺めてみるかと走り出すと何軒もの喫茶店が営業しています。お盆の頃訪れた前回とまったく様子が違っています。 中でも良さそうな「コーヒー・軽食 C.P.」に入ってみることにしました。本格派の重厚な造りのお店で、さほど面白みがあるわけではありませんが、滑り出しの一軒としては上々のお店です。一息つくとこの旅の最大の目的地に向かうことにしたのでした。 なんと今回の旅の最大の目的地である「純喫茶 ヒスイ」は臨時休業とのこと。明日やっていることを願わずにはおられません。 和歌山城を近くに見上げながら回り込むようにして自転車を走らせると、「ファイブ」というちょっと良さそうなお店もありますが、何でもかんでも立ち寄っていると体を壊してしまいます。さほど惜しいとも感じずに見送ると、「オルコット」という喫茶店に行き着きました。ここは見過ごすことができませんでした。入ってみると案外平凡な正統派のお店でしたが、けして悪いわけではなくてこれが都内で出逢ってたらべた褒めしてしまうのかもしれませんが、ここ和歌山ではよほどの店でもない限りうっかり褒めてしまうとそれ以上に語るべき言葉をなくしてしまうに違いありません。ところでここでこの旅最初の懐かしのレイコーを初めて耳にしました。この後はさんざん聞かされることになるんですけどね。
2015/07/05
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いよいよ長く住んだ和歌山市へ移動します。JRの和歌山駅に昼頃に到着します。駅前に「トランタン」というビル地下の喫茶店があるので早速お邪魔しました。なんてことのない店なので感想は特になし。朝の豪雨はどこへやら、かんかん照りの日差しなので、当初考えていたレンタサイクル(なんとレンタル時間内であれば何時間使っても100円!市内に数か所ある施設で借受・返却が可能となっていました)での移動が不安になったので、とりあえず路線バスで南海電鉄の和歌山市駅に移動、そばのホテルに荷物を預けたところ、レンタサイクル施設が目と鼻の先のホテルであったためやはり借りることにしました。 早速レンタサイクルに乗って、けやき大通り、本町通り、北ぶらくり丁商店街、東ぶらくり丁商店街、中ぶらくり丁商店街、ぶらくり丁商店街、新通商店街、築地浜通り商店街、和歌山駅前卸小売商店街、和歌山駅前卸小売商店街などなど、和歌山の市街地を一通り巡ります。それにしても当時からその気配はあったものの、今住んでる方には失礼な話ですが、寂れっぷりがむしろわくわくさせられます。かつて暮らしていた「いちご電車」や「おもちゃ電車」、特に「たま電車」で一部の鉄道好きに知られる和歌山電鐵の貴志川線の神前駅に向かうことにします。住んでいたころはまだ南海鉄道の経営で、今のような妙な活況もなく地味な鉄道でした。かつてはかなり遠く感じられ和歌山駅と神前駅ですが、いいおっさんになった今ではなんて近いんだろうと驚かされます。実際調べてみるとわずか2.9Kmの道のりなので近いはずですね。道路の狭さ、とくに車道2車線の脇には歩行さえ危ういくらい狭くて、ひやひやしながら自転車をこぎました(帰りは裏手の生活道路を通りました)。 と言いながらも市街地をかなり隈なく走り回ったのでちょっとくたびれたところでびっくりするほど立派な喫茶店があったので立ち寄ることにしました。貴志川線の田中口駅と日前宮駅の中間にある「ブラジリアン」です。東京でいえば「珈琲大使館」をさらにファミレスレベルに広げたような感じでしょうか。それでもちゃんと正統派の純喫茶になっているのは立派。それにしてもこれだけの規模の店舗が喫茶店として維持していけているなんて、やはり和歌山には喫茶店文化がきっちり残っているようです。 といってもそこから神前駅までは小さな喫茶店が二軒ある位でした。駅のそばには「喫茶&軽食 和(やすらぎ)」という店がありました。そういえば以前にもあったような気がします。この先はしばらく個人的な感傷に浸る時間が続くので割愛です。 再びJR和歌山駅前に戻ってきました。駅前の地下にもレンタサイクル施設があるのでここで自転車は返却。駅の西口からさらに西側に進むと和歌山城やぶらくり丁があって、その先に南海の和歌山市駅があって町の中心になりますが、その駅南側すぐにあるみその商店街はシャッターが閉じられたままの店舗も多いアーケード商店街となっています。そんなうらさびれた一角に「マリンナ」はあります。煉瓦造り風の2階建ての豪華な造りです。革張りの木製椅子は豪奢な作り、壁や床、窓などにも工夫された衣装が施されていて、特に角が緩やかにカーブした船室のような窓から寂しい商店街を眺められるのはよい気分です。ホントにこの商店街にしっかりと嵌っていて、商店街の心臓のような場所に思われました。 どこもかしこもお盆休みということもあってか、多くのこじんまりした喫茶店は休んでいてため和歌山での喫茶店巡りを諦めかけていたときに見つけたのが「ボヘミアン」です。こちらもまた大変ゴージャスな構えのお店です。内装もまた驚くほどに凝っていて、巨大かつ見事な木製のレリーフは樹木を象っているのでしょうか。ヴィーナス像などもその豪奢さに拍車をかけています。しかもごてごてと必要以上に飾り立てているわけでもなく、落ち着いた雰囲気を演出するうえで大事な調和のとれた演出がなされていました。若い男女が店を任されていたため、新しいお店かと思いきやなんとこの地で30年だか40年を経ているようです。手入れの良さに店への愛情を感じられ、すばらしいお店でした。 他にもいくつかの魅力的な風貌の店があったのですが、紀伊田辺のように密集して立地しているわけでもなく、個人店舗は減少しているような印象を受けました。単独のお店では今回訪れた三軒に典型的なかなり立派な大型の店舗がなんとか生き延びているように思われました。なんとか和歌山市内でもこうした店がいつまでも愛され続けるよう、そして残して行ってもらいたいものです。 定番となりましたが和歌山の入りたいけど入れなかった喫茶店を残します。いつかこれらの喫茶店を訪れることはあるんでしょうか。 長かった名古屋から和歌山を経た旅行もこれでようやく終了です。おまけにほんのひと時立ち寄ることのできた大阪は梅田の地下街にあった喫茶店「ミンデン」の写真も載せておくことにします。
2012/09/14
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今回は明日掲載予定の「和歌山の喫茶店を訪ねる 和歌山篇」とお話が入れ子になっているので、喫茶店に興味のない方も平行して読み進んでいただくのがお勧めです。 和歌山市駅そばで借りたレンタサイクルに乗り、市街地巡りを始める前にまずは昭和24年に開設したという和歌山競輪場に向かいます。といっても競輪で遊ぶわけではなくて、「中前酒店」という角打ちがあるというのでちらっと覗いてみようという魂胆です。ところが競輪場周辺を走り回ったのですが一向にその角打ちが見つかりません。時間も押しているので諦めかけたところにプレハブ小屋が出現しました。 屋号すらはっきりしない謎のおでん小屋です。店のおばちゃん2名とすでに出来上がっているおっちゃんが1名。なんだか和歌山という町らしい風景です。ばたばたしてのども渇いたので軽くビールを一本。とりたててどうってことはないんですが、やっぱりこういうワイルドなお店は大好きですね。 和歌山の市街地を隈なく走り回ります。子供の頃はものすごく広いと感じていた和歌山の町が今ではちっぽけに感じられます。実際,県庁所在地の町としてはかなり寂れていました。貴志川線の線路に沿うように以前暮らした神前駅に向かいます。15分程度自転車をこぐと神前駅に到着。記憶にあった以上に近いですね。この辺りは山と水田に挟まれるように古びた団地や一軒家が立ち並び商店らしきものもほとんどありません。片手ほどしかない飲食店では駅前の中華屋さんの「来々軒」とちゃんこ鍋の「力」には足しげく通いました。誕生日には「来々軒」でチャーシュー麺と鳥の唐揚(絶品だった)にチョコレートパフェを食べるのが定番でした。 なんとなんと「来々軒」なくなっています。ここでの食事を楽しみにしてきたのに無念です。なので懐かしの「力」のランチでまたもや軽くビールを飲みました。ぜんぜん変わりないですね。もうとっくに30年は越えているんじゃないだろうか。今後も頑張って商売に励んでもらいたいものです。 当時通った保育園の向かいに数少ない飲食店があります。あまり営業している気配が感じられません。この界隈で夏場だけ月1回開かれる夜店は娯楽の少ないこの町の夏のお楽しみでした。今でも開かれるらしく張り紙があちらこちらで見られます。 和歌山駅前に引き返し、駅前地下の駐輪場に併設された施設にレンタサイクルを返却します。みその商店街の手前にある朝9時から営業しているという和歌山における昼酒の有名店「多田屋」を訪ねます。店に入ってすぐはコの字のカウンターその奥がまっすぐなカウンター、さらに奥には広い広い座敷があってもはや角打ちなんて呼べないような驚くほど多面的な面白さを持った酒場です。カウンターはもちろんのこと、奥の座敷にもたくさんのお客さんが入っています。ランチタイムを過ぎていてこの混雑はすごい。いくらお盆とはいえどもねえ。品書きの短冊の数も夥しいほどで迷ってしまいます。もちろん本来は酒屋さん併設の酒場なので、店内の陳列棚には商品がずらりと並べられていたりしてその景色を眺めているだけでも充分楽しいひとときを過ごせるはずです。 続いて、大正15年創業の老舗居酒屋「丸万」にお邪魔します。駅前を歩いていたらたまたま見つけた店で、当然ぼくが暮らしていた頃にも同じような姿で営業されていたんでしょうね。店内は鰻の寝床のように細長く延びておりぼんやりと暗いのも暑い夏場には心地よいものです。名物が冷奴というのでいただいてみました。なかなか豆の香りもよくておいしかったので、自家製ですかと尋ねると近所の豆腐屋さんに特注で作ってもらっているとのことでした。60絡みのご夫婦が明るく楽しく応対してくださり、のんびりとした時間を送りました。 これまた魅力的な屋号の「酒屋の酒場」は元酒屋だったお店を居酒屋にしたんでしょうか。外から眺めるとカウンター主体のこじんまりした酒場に見えますが、店内に入ると奥にはかなりの広いスペースがあって、すごい収容力がありそうです。酒場をはじめて歳月が絶っていないのかまだまだ店には味わいが感じられませんが、御主人の出してくれるどてやきがおいしかったような記憶があります。 その後、喫茶店などを回りながら和歌山市駅そばのホテルにて小休憩。たちまち地面を叩きつける音が室内まで響くほどのすさまじい雨が降ってきます。通りがかりで見つけた客の入りがとてもよさそうだった「くろしお」に入ります。やはり大変なにぎわい。なんとか奥に通してもらいます。イワシ料理の専門店のようで、数多くのイワシ料理が揃っています。何をいただいたか忘れてしまいましたがいずれも安くてうまくて、これなら繁盛するわけだ。主人らしきじいさんは強面ですがなかなか感じがいい。また、ここの娘さんなんでしょうか、大層陽気な女のコがとぼけたミスをちょこちょこやらかしてくれて、それはそれで一興なのでした。 これでようやく長かった和歌山の旅も終了です。翌朝、大雨の中を大阪駅まで電車で向かい、大阪からは東京駅行きの高速バスで帰路に着いたのですが、各地で道路が寸断され到着したのは予定時刻をはるかに過ぎた21時頃になりました。 次回からまたまた東京を中心とした酒飲み話を書くつもりでしたが、なんとなく体が旅づいてしまったのか、翌朝またもや旅に向かったのでした。といっても1泊2日なので、せいぜい2回もあればレポートできると思いますのでいましばらく東京の酒場情報はお待ちください。
2012/09/13
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豪雨の中を通過した際にはまだ開店していなかったお店ですが、小降りになった隙に海に向かって折り返します。見るからに立派な一軒家の喫茶店を目指します。「喫茶 さかい」です。これはもう写真でご覧いただければ納得いただけると思いますが、和風喫茶のかなり洗練されたお店です。東京にもまだ秋葉原の「古美術茶房 伊万里」や新三河島の「和風喫茶 白樺」などいくつかの和風喫茶が残されていますが、ここのように町にしっくりと馴染んでいて緊張なしに過ごせる店もないように思われます。当然ながらモーニングも安い(値段は失念)。上品な店の女主人もゴミ袋が車に絡まったのを見かねて親切に応対してくれます。まだまだすごい喫茶店があるので次に移動します。 こんな不思議な喫茶店らしき店もありました。 で、そのすごい喫茶店は「喫茶 桂」。外観からしてすでにそのゴージャスさが予想されますが、その予想を快く裏切るほどの見事な装飾の数々。しかも店内は広くてその席がそれぞれに魅力的な表情を持っているため、どの席に着けばベストなのかで躊躇することしばし。ようやく落ち着いた先は全体が見渡せる席でしたがカウンターや一人自分だけの時間を過ごすのに適した場所など、その日の気分や感情によって席選びをできる常連さんがうらやましい。まあ常連さんは自分なりのホームポジションを持っているに違いないのですが。1時間だけでもいいからここを借り切っていろんな席を楽しんでみたいと思いました。 「TEA ROOM ピュア」もまたけして長いわけではないアーケード街のそれも駅からすぐそばの場所にあります。和菓子屋さんのショーケースの脇の短い通路を抜けて扉を開くとまさしく純喫茶だあとうならざるを得ないほどの正統派の空間が広がっています。細長い店内は時間の感覚を失うという純喫茶ならではの世界観となっており、ついつい電車の発車時間すれすれまで浸りきってしまい危うく出発に送れるところでした。 といったわけでこの朝巡った三軒の見事さには驚愕するしかありませんでした。 白浜では喫茶店に寄っている余裕がありませんでしたが、見掛けた喫茶店を外観のみですが撮影したので残しておくことにします。 ともあれこうなると和歌山市の喫茶店への期待もいやがうえにも高まります。次回は和歌山篇の最終回です。
2012/09/12
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喫茶店巡りで田辺市の恐るべき潜在力に圧倒されたので、まだ田辺を知らぬ方のためにこの町はどういう町であるかに簡単に触れておくことにします。田辺市は、和歌山県のほぼ中央に位置する近畿でもっとも大きな市で、紀伊田辺駅のあるのはその西側、太平洋側になります。言わずと知れた武蔵坊弁慶、合気道の創始者・植芝盛平、後半生を田辺で過ごした南方熊楠が田辺の三奇人とか三偉人とされているようで、傑物が輩出される興味深い土地です。熊野本宮大社や熊野古道などの熊野信仰の拠点であり、平安時代から、交通の要衝として栄え、江戸時代には熊野の城下町として発展しました。 紀伊田辺の喫茶店のすばらしさにすでにやや満腹状態となっていたのですが、まだまだ夜は長くこのまま一日を終えることはできません。ホテルにチェックイン後は早速町に飛び出すことにします。当然喫茶店探しに合わせて酒場散策にも余念ありません。ただ田辺市の場合は他の地方都市とはやや勝手が違っています。事前の調査ももちろん多少はしてきていますが、実際その町に置かれてみると各種情報にはまるで触れられていなかったような驚くべき出会いが待っているのでした。しかもこの町は店そのものもさることながら、複雑に入り組んだ飲食街に迷い込むとその町自体に魅了されます。 その飲食街は、味光路といういささか安直というか、実際の印象とはかなり違和感のある名付け方がされていますが、この際そんな小さなことには目をつむりましょう。旅行から帰って1か月後の今日になってようやく味光路の振興会によるページ(http://www.ajikoji.jp/)の存在に気が付いたのですが、できることならあえてこのページ、特に全体マップを見ないでさ迷い歩くことをお勧めします。このページに町の魅力がコンパクトにまとめられているので引用します。--味光路とは? JR紀伊田辺駅の西側、約200m×150mの狭いエリアに、輝く路地が連なっています。全国初の公道に照明が埋め込まれたその場所は、「味光路」と呼ばれる200店舗以上もの飲食店が軒を並べる和歌山県随一の飲食街。 自慢の割烹や居酒屋をはじめ、スナックやバーでいっぱい! キラキラ光る路の先に楽しい時間が待っています!狭い路地を探検しよう! 古くからある飲食街なので、車も通れない狭い路地にお店が集まっているのが味光路の特徴。さあ、路地をたどって味探検をしてみよう!味光路の歴史 古くは熊野古道大辺路が通り、当時の中心街だった長町(現在の栄町・北新町)に続く街道沿いでもあった味光路。昭和初期にできた紀伊田辺駅に近いこともあり、多くの飲食店が集まりました。 地元民に愛され、現在でも多くの割烹・居酒屋・スナックなどが営業しています。-- どうでしょうか。ぼくなどは今すぐにでも行きたくなってしまいました。太田和彦は盛岡の櫻山参道人情商店街を「仙台の東一連鎖街なきあと、日本一の飲み屋横丁と断言」していますが、確かに先日訪れた櫻山参道人情商店街は風情があって大好きですが、田辺の味光路は、規模も店舗数も圧倒的に凌駕していますし、なにより楽しいのはふいにぬけ道や横道を気持の趣くままぶらりと歩いていると、その道が思いがけない場所につながっていたり、行き止まりかと思うと飲食ビル内を通り抜けられたりと迷路をさまよっているような気分になります。一昔前に流行ったロールプレイングゲームで迷宮で武器を買ったり食事をしたりといった行為が現実のものとなっているのです。 軽い興奮状態で町を彷徨ったのですが、界隈でもとびきり枯れた佇まいの「居酒屋 徳乃」というお店がありました。細く深い入口までのアプローチをわくわくどきどきしながら進みます。外観から受ける印象と異なり店内は小料理屋風。奥に長く続く座敷席がユニークです。カウンターに掛けて和歌山の名産の柑橘類を使ったすっぱいサワーをいただきます。さっぱりしていてうまいですねえ。お通しやアジ酢なんかも値段に見合わないほどの非常に丁寧で美しい盛付けがなされていて、当然おいしいのでした。全般に値段も安くすごい実力のある居酒屋さんでした。名店といっても過言ではないかもしれません。 細い和風の情緒ある小道を歩いていると何やらえらく活気のある店があります。「しんべ」というお店です。こちらは酒場というよりは大衆向けの料理屋というのが近いかもしれません。それでもちゃんとカウンター席もあります。お通しのアラ煮がすごいボリュームであまり出されたものを残すことはないのですが、これは食べ切れませんでした。店の名物エビ団子のハーフサイズをもらいます。これもまた熱々でエビの味も濃厚でなかなか。一人客というのがあまりおらず、一人ゆっくりくつろいでという使い方にはあまり適した店ではないのでしょうね。そうこうする間にもお盆休みで集まった家族や仲間たちの団体さんが続々と勘定を済ませています。大人気なのも納得のお得なにぎやかなお店でした。 横丁の味わいのあるボロい飲食ビルが通り抜けできるようなので、ふらりと通過しているとちょっと感じのいい伊勢があるので覗いてみることにします。「磊風八(らいふうや)」というお店。なかなか上品で暗い照明を当てたりするスタイルの今時のおしゃれな感じのお店でした。肴もヴァラエティーがあって、こうした居酒屋が好きな人にはいいかもしれませんが、ぼくにはやや物足りない店でした。 まだまだいくらでもぶらぶらしていたかったのですが、翌朝も早くから喫茶店を巡るつもりなのでこの辺で引き揚げることにしましょう。ホテル方面に向かっているとなんでもない普通の店「居酒屋 あじみ」がありました。狭い店ですが、カウンターも小上がりも目一杯に人が入っています。腹一杯なので飲物だけをお願いしたらイカの塩辛などをサービスしてもらえました。こういうちょっとした気の利かせ方をしてくれるから人気があるんでしょうね。 ともあれ、紀伊田辺の酒場と飲み屋街はかなりハイレベル。しかも喫茶店もすごい。明日は見事な喫茶店が登場です。
2012/09/11
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白浜を後して紀伊田辺を目指します。紀伊田辺界隈をしっかりと歩くのは初めてなので期待が高まります。といっても和歌山でもさほど大きい町とは思えないので、過剰な期待はしないよう自制しながら駅前に降り立ちました。駅前にはまっすぐにアーケード付の商店街が伸びていて左右にも飲食店街が広がっているらしいのが窺えます。これはなかなか見どころいっぱいかも。 駅前ロータリーにはステーションホテルがあって、ホテル併設の2階にはレストラン、地下には喫茶店があるようです。なんだかよさそうな予感。ホテルの先にさらに魅力的な喫茶店があるので、ホテル併設のほうはまだ当分営業していそうなので、先にこちらを訪問することにします。特になかなか来れない地方都市を巡っていると今度いつ来れるかわからないし、その時まで店があるか誰にも保障できないのですかさず入ってみることにします。 「べる・かんと」は、一軒家のクラシックで枯れた感じのお店。店内はややくたびれてはいるものの正統派の調度で整えられていてまさに今喫茶店にいるという気分を盛り上げてくれます。こちらのご主人、一見寡黙層でありながら実はかなりのお喋り好きで、学生時代は東京におられたようです。見本というか通い詰めた店は荻窪の邪宗門。なるほど、いろいろなマジックの小ネタを披露してくれました(荻窪に限らないはずですが、邪宗門は手品好きの溜り場としても知られているようです。アマチュアマジシャンの大御所かつ本格推理作家の泡坂妻男も荻窪 邪宗門の常連さんのようです)。ともあれ、ここでは時間のある時にのんびり訪れることが理想です。 ところが残された時間はわずかなのでいくつかの手品を見せていただき店を後にし、ステーションホテル地下の「喫茶 ステーション」に移動します。これがなかなか独特な味わいのある純喫茶です。ホテルの宿泊客が中心のようですが、広々とした空間で旅の感想や今後のスケジュールなどを語り合い、旅の情報基地のような役割も担っているようです。駅前のしかもホテル併設の喫茶店で思いがけず楽しいひとときを送ることができました。 「喫茶 ステーション」を出て、しばらく飲食店街をぶらり。さすがにほとんどの喫茶店は店を閉じているようです。残念ながら外観から眺めただけで入っている余裕はありませんでしたが、またいつかここに訪れるための起爆剤とするためにも記念に撮影しておくことにしました。 この後、駅から10分ほど歩いたホテルにチェックイン、今度は白浜での軽い酔いも醒めたので、紀伊田辺の居酒屋を楽しむことにしたのですが、そのお話は居酒屋篇で。 翌朝は、猛烈な雨で、スーツケースをホテルでいただいたゴミ袋で包んで駅前を目指します。駅が近づくとアーケードがあるので安心です。ひとまず昨夜目星を付けておいた喫茶店を目指すことにします。 「TEA ROOM バーグ」です。店の中は案外平凡ではありますが、地元の常連の方が中心と思われるお客さんで盛況です。早朝からオープンしていて普段使いには重宝しそうです。豪雨が収まるまで、窓際の席で焦らずにのんびり過ごさせていただきました。 さて、すでに紀伊田辺の喫茶店文化の地元への浸透ぶりが十分窺えたのですが、次回はさらに紀伊田辺の喫茶店の実力に驚愕させられることになります。
2012/09/10
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今回の和歌山旅行の目的のひとつが南紀白浜のとある酒場を訪れることです。酒場好きならこれだけの情報で容易に目的地を言い当てるほどができるほどの有名店なのでとりあえずは伏せておくことにします。 新宮から白浜までのんびりと普通列車で向かいます。車窓を流れる風景は海、山、ときどき民家、トンネルというまさに紀伊半島らしい風景で色彩のヴァラエティーの貧しさが逆にそれぞれの色の純度を高めているようで少しも飽きることなく到着しました。白浜駅前は土産物屋を兼ねた喫茶食堂が数件軒を連ねていますが、なかには閉業した店舗もあってうらさびしく感じられました。この日も明光バスの白浜の名所を巡る観光バスに乗車のため、しばらく時間をつぶす必要があります。駅の周辺をうろうろしてみますが、あまり面白そうな施設はなさそうだなと諦めかけたところ、とあるお店を見かけました。なんだか掘立小屋みたいな建物のようですが飲食店らしいですね。白浜の観光後ちらりと寄ってみることにしましょう。 だらだらと時間つぶしをして、ようやく出発時間、ところが待てどもそのバスらしきものが現れず痺れを切らして同じバス会社の運転手さんに尋ねたところ、10分前に出発したのこと。時間を勘違いしてしまっていたようです。親切にも観光バスの切符を払い戻していただき。白浜海岸方面の景勝地行きのバスに待ってもらえるよう手配してもらえました。慌ててそのバスに飛び乗り、なんとか簡単に観光を終えることができました。やれやれ。 すったもんだしましたが、本来の目的地にもたどり着けました。その目的地の酒場は人気もまばらな孤立した場所にぽつねんと佇んでいるもんだとばかり想像していましたが、実際その酒場のある場所の真正面には白浜海岸でももっとも込み合うビーチがあったのですね。 でその酒場は今更言うまでもないかもしれませんが「長久酒場」です。開店は16時ですが、店からはまるで人の気配が感じられず本当に店は開くのだろうかと不安にさらされます。なんといっても本当はこの酒場だけのために白浜にやってきたのですから。2分前にやはり開店待ちの男女が店前をうろうろしだしています。こちらもにわかに焦り出したところ若い主人らしき人物が暖簾をもって姿を現し一安心。いそいそと砂浜をスーツケースを引き摺って店に向かいます。知らなかったのですが、最近店は建て替えたんでしょうか。もっと年季の入ったものを想像していたのですが、木造の風情のある建物ではありますがちょっとがっかりです。 店内はL字カウンターの内側が広い厨房スペースになっており、背後には座敷もあります。丁寧に、しかししっかり使い込まれた雰囲気のある背もたれ付の丸いスツールはなかなかいいですね。酷暑の店外とは異なり中はうっとりするほどに冷房ががんがんに効いていてこのご時世にあってはぜいたくすぎるのではと心配になるほどです。常日頃はビールはさほど飲まなくなっていますが、南国の日差しをバシバシ浴びた後はやはりビールからスタートです。お通しのおからがうれしいですね。 ツメバイというのがあるので頼んでみました。これが旨味はさほど強くはありませんが、ちょっとヌルッとコリッとしてビールが進みます。飲み物は地元のお酒で屋号にもなっている清酒長久に切り替えます。急におでんが食べたくなり数品お願いしました。すじの大きさと、うまさと、すさまじい噛みごたえはたまらなくうまかったです。ところで、配膳係りがまだまだあどけない無口な少年がやっていたんですが、息子さんなんでしょうかね。こう言っては申し訳ないですが、やはりこうした店には妙齢の女性なんかのほうが似合っているようです。 とまあそこそこ楽しみはしましたが、さすがに日本三大酒場というのは言い過ぎではないか。特にこの店に来るには関西の人はともかくそれ以外の地方に住む人たちにとっては相当な時間と金銭のやり繰りが必要なはずです。……なんだか愚痴っぽくなりそうなのでこれ以上は差し控えます。くれぐれも誤解のないように一応申し上げておきますがやはりいい店で近場にあればたまに立ち寄りたい、そんなお店でした。 さて、荷物をまたまた引き摺ってまだまだ熱気の冷めぬ砂浜の前にあるバス停で路線バスを待ちます。駅前を散策中に見かけた「やぶ寿司」に向かうためです。ところが、大阪方面へ帰宅するマイカーによる渋滞で通常20分程度で到着するはずが、1時間以上掛かってしまいました。しかも渋滞を避けるため運行経路が変更となったため、駅からはまたしばし歩くことになります。「長久酒場」同様に牡蠣小屋のような単純で力強く、質素に見えて実はかなりぜいたくなんだろうなと思わせる造りです。外観の寂寥感さえたたえた孤高さは店内においてはさほど感じられはしませんけど。で、このお店の感想はとある理由から控えさせていただきます。店も主人に問題があったわけではないことだけを一言添えさせていただき、次回、この旅行中に最高に驚かされた町、紀伊田辺篇に続きます。
2012/09/09
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新宮駅から乗車した観光バスの到着地は紀伊勝浦駅ということもあって,せっかくなのでここでも喫茶店巡りをすることにしました。駅と港までは500mもない位でその狭いエリアは商店街となっており,土産物屋や居酒屋,飲み屋ビルなど好奇心をくすぐられますが,何よりすごいのが喫茶店の数の多さ。この小さな漁村でこれだけの喫茶店に需要があるのかと驚かされます。 行きたい店は数あれど,悩んでいる時間がもったいないので早速「東洋軒」に飛び込みます。町の中心となるアーケード商店街・いざかた通りの入口にあるお店で,なかなかに立派な構えです。店内は落ち着いた普通の店ですが,とても使いやすそうで好感を持ちました。 「アモーレ」は外観と店名からパブっぽい店かなと思いきやなんとも立派なサロンのような豪奢なお店でした。シャンデリアやソファなどもこだわりの意匠が凝らされています。女主人には上品にもてないしいただけ,会計の祭,記念にマッチをお願いするとどうにかこうにか探し出していただききれいに汚れをふき取っていただきました。 「オリーヴ」や「果樹園」も「東洋軒」同様に比較的オーソドックスなお店で特別びっくりするようなお店ではありませんでしたが,いずれも居心地の良さは申し分なくてもっとのんびり過ごせればよかったです。 といったわけで駆け足で4軒を巡ったのですが,すごいのはこの4軒すべてにマッチ箱があったこと。旅のちょっとしたお土産としてうれしいものです。これ以外にもまだまだたくさんの喫茶店を見掛けたので外観だけでも御覧ください。 眺めた限りではもっとも古ぼけた印象の「エデン」にも入店したのですが,シーツで覆われたソファがなんだかわびしくて,店主がいなかったことを幸いに店を後にしてしまいました。 おまけに商店街の一角にぼく好みの飲食ビルがあったので,旅の思い出に残しておくことにします。 期待させてしまうようなことを前回予告しながらあまりテンションが高くなくなってしまいました。次回の紀伊田辺こそは実は喫茶店好き垂涎の街ですのでお楽しみにしてください。
2012/09/08
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喫茶店巡りが不発に終わった新宮ですが、居酒屋はどうでしょう。それにしても新宮の夜は早いのですね。まだ7時頃というのにアーケード街はすでにほとんどのシャッターが下ろされています。街の散策中に見かけたとびきりぐっとさせてくれる居酒屋に向かう前に、腹ごしらえを兼ねてなんだかおいしい予感がする焼鳥店にお邪魔することにしました。 「やきとり 三味」です。これが大当たり。店はこぎれいですが、最近外観を改装されたそうで、ほんとに何気ない店で、店内はカウンター5席に座敷席が分散してあります。若い店主とその奥さんたちが切り盛りします。お通しにキャベツが出されますがこれに付ける醤油ダレがまた絶品。ついつい手が伸びます。焼き場を担当する店主が焼く焼鳥は東京なんかとはまったく違って新宮風の独自なものとなっています。正肉に加えて玉ひも(鶏のキンカン、甲府のもつ煮にも入ってすっかり有名になりました)なんかもあって、これが長めの串に玉ねぎ、ししとうと交互に打たれています。適度に焦がされていてこれがいずれも絶品のおいしさ。モモ焼もこんがりとしていてジューシーで箸が進みます。〆の鳥飯は丼一杯に味噌汁、おしんこもついて300円という安さ。新宮に行ったらぜひお試しください。 さて、その目と鼻の先にある「清酒 多聞 特約店 三共酒販」が目的のお店。好き嫌いはあるでしょうが、ぼくにはまさにストライクゾーンのお店です。一部剥がれ落ちた看板も味がありますね。どうも今は酒屋さんはやっていないようですが、この店舗の裏手が酒場となっています。相当に場末なうらびれた店内とわくわくして入ると、案外ちゃんとした居酒屋の体裁でした。カウンターに腰掛けウーロンハイをいただくとこれがなんとも巨大なジョッキで出されます。夫婦お二人でやっておられますが、このお二人とも実にいい人たちで、ご主人は寡黙でぽつりぽつり話されますが、人柄の良さがにじんでいます。奥さんはよくしゃべる方でついついこちらも余計なことまでお喋りしてしまいました。おいしい肴は期待できないかもしれませんが、東京や大阪なんかともまた違った独特の酒場情緒を味わえる楽しいお店でした。ちなみにお客さんは入れ替わりに店を後にされたおじさん一人だけでした。 店を出てホテルまでぶらぶら歩いていると、突如肌に突き刺さるほどのすさまじい雨が吹き付けてきます。子供のころによく突然のスコールに振られて全身びしょびしょになって帰宅したことを思い出します。すでにびしょ濡れで、商店が途切れた通りを歩いていたのでそのままホテルに引き揚げてもよかったのですが、目の前に小料理屋風のお店があったので入ってみることにしました。 「おふくろの味 みか」です。前回新宮に来た際に立ち寄った店ではないかという記憶が脳裏を過りますが、どうやら違ったようです。思いがけず若くててきぱきとした女性が店をぱっと明るくしています。以前入った店では割烹着姿の女将さんといった風情の方がご主人のようだったのでまるっきり記憶が誤っていました。カウンターにはさまざまな大皿料理が盛られており、どれをいただくか迷ってしまいますが、どうしてだかわざわざ和歌山まで来て煮込ハンバーグなんかをいただいてしまいました。これがなかなかおいしかったんですけど。ともあれ濡れ鼠になった一見客を暖かく迎えてくれて実に気分良く過ごさせていただきました。 と、新宮の居酒屋はなかなか好印象の店が多くいずれもスタイルが違っていて楽しめました。ほんとはもう数軒お邪魔したかったんですけど。
2012/09/07
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和歌山県は日本の都道府県でもとりわけマイナー感の強い県という印象をもっているのはぼくだけではないと思います。東京に次いで長く和歌山に暮らした経験をもつぼくがそう思うのですから。名産品でもみかん,梅干,鯨,柿,名物はめはり寿司,観光地は高野山に那智の滝と和歌山城,リゾート地として南紀白浜が知られているくらいでしょうか。 個人的な思い出話になりますが,和歌山市には幼稚園から小学校4年生までを過ごしていて,その後何度か18切符の旅で訪れたこともありますが,それから実に15年は経っていると思われ,どう変わったのかを見るのがたまらなく楽しみです。最初に向かう新宮を最後に訪れてから20年近くの歳月が流れているでしょうか。 本来であれば各駅停車に乗って和歌山入りしたいところですが,今回は名古屋駅から新宮駅まで特急のワイドビュー南紀1号で向かうことにしました。8:08発で新宮駅に到着したのは11:21です。午後は熊野交通の運行する定期観光バス「熊野古道大門坂と那智山めぐりコース」で珍しく観光するので腹ごしらえをするため,駅前のホテルに荷物を預かってもらいます。駅のそばにある徐福公園を眺めた後,そのそばの喫茶店に飛び込みました。 「YOU」というお店です。新しくてあまり雰囲気のある喫茶店ではありませんが,時間もないので妥協しました。シーフードカレーのランチセットを注文したらこれが驚くほどおいしかったのでした。店はさほど印象に残らなかったものの,おいしいランチと柔らかな対応をしてくれた御主人に好印象でした。 さて,予定通り熊野那智大社->那智の滝->青岸渡寺->熊野古道大門坂を巡るなかなか充実した観光ツアーを終えて,到着地の紀伊勝浦駅で喫茶店巡りをしたのですが,紀伊勝浦篇は次回に送ります。一駅引き返してホテルにチェックイン。休む間もなく新宮の町に出て,喫茶店探しを始めることにしました。ところがこの日が土曜日であったせいかいずれの喫茶店もことごとく閉まっています。狭いエリアにかなりたくさんの喫茶店を見掛けたのに残念無念。 眺めるだけで終わった喫茶店の写真だけでも紹介しておくことにします。町の規模から考えても驚くほど多くの喫茶店がありますね。和歌山も名古屋に負けないほどの喫茶店文化があったんでしょうか。 特に「バンビ」は前夜訪れた居酒屋の店主によるとかなりの老舗のようで行けなかったのが無性に悔やまれます。著作権法上問題ありかもしれませんが,この愛らしい看板はたまらなく魅力的です。 翌朝も早く起きてリトライしてみますが,やはりというべきかことごとくお休みのようです。さんざん歩き回って辿り着いたのはなんのことはない,ホテルの隣の2階で営業している「ジョイフル」です。とりたてて紹介するほどのお店ではありませんが,地元の人たちに重宝されているようです。 というわけで新宮ではこれといった収穫もありませんでしたが,合間に立ち寄った紀伊勝浦では驚くほどの充実したお店巡りを楽しめたので次回にご期待ください。
2012/09/06
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大阪ミナミは居酒屋に関してはあまりいい印象を受けませんでしたが,喫茶店はどうでしょうか。実は昨晩のうちにいくつかの目星は付けています。また,何軒かの有名店も場所の確認は済ませてあります。 最初に向かったのは、ホテルからも近い「純喫茶 竹」に入ります。電気街の真っ只中に取り残されるようにひっそりと営業を続けています。ここ、すごくいいですねえ。老夫婦が営むお店でモーニングセットをいただきました。定番のトースト、ゆで卵にポテトサラダも付いていました。2階席に上がる階段もクラシックです。普段使いで通いたいという意味では今回の旅ではベストの喫茶店かも。 「竹」からもすぐにあるのが「喫茶 オランダ」。4人掛けテーブルが10卓ほどあって、くつろいでおいしいコーヒーをいただけます。モーニングセットのはしごになりますが、ここの玉子サンドはとても美味しくてお勧めです。 昭和9年創業の「丸福珈琲店」は上品な雰囲気の内装で上質なコーヒーを飲ませてもらえる正統派の喫茶店でした。有名店ということもあって、店内は老若男女でびっしり埋まっています。 難波の喫茶店で最も知られているのは、「純喫茶 アメリカン」と言っても異論は少ないと思われます。昭和20年創業の老舗で、キッチュささえ感じられる個性的な内装のお店は昭和38年に改築されているようです。かなりの広さの店内では浪速のおっちゃんやおばちゃんたちが道頓堀の喧騒からひとときのくつろぎを求めてこちらを訪れますが、やはりここでも騒がしいくらいにわいわいがやがやと活気に満ちています。星のマークがそこかしこに散りばめられていて、革製のコースターはこっそり持ち帰りたくなるほどの素敵さでした。 今回の大阪喫茶店ツアーもこれでようやく打ち止めです。また夏場に大阪に立ち寄るチャンスがありそうなので、またいろいろと巡ってみたいと思っています。
2012/06/15
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今回は天満の喫茶店を訪ねてみます。天満界隈は,酒場でも恐るべき実力をまざまざと見せ付けてくれましたが,喫茶店はどうでしょうか。 最初に訪れたのは「伊吹珈琲店」です。ちゃんとしたコーヒーを提供しようという心構えは立派ですが,店自体が平凡すぎて印象に残らないのが難点。周辺にも多くの喫茶店があって,競争も激しそうなのですが,どこも似たような表情のお店が多い印象でした。 一転,「コーヒーハウス ビクター」は,半地下と1・2階席の立体感で空間の広がりが感じられ爽快な造りとなっています。木造りのシックな店内はステンドガラスがこれでもかとばかりに贅沢にちりばめられ,飴色に輝く店内の華麗さを引き立てており,目を奪われます。パフェが人気のようでその巨大さに圧倒されます。「COFFEE HOUSE プランタン 天満店」もまた,内装の贅沢さと広いソファ,カウンター,小卓など家具のヴァラエティーがあり,その日の気分次第で違った表情を楽しめるというのがうれしいですね。特別に突出した特長があるわけではないのですが,席の選び方で多目的に利用できるすばらしいお店でした。
2012/06/09
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あまり知られていない(と思われる)喫茶店と出会うとそれが予期せぬ思いがけない出会いという意味で記憶に強く焼きつくことがあるものです。 そんな一軒が「喫茶 コマ(TEA ROOM Coma)」です。オオバコでありながら清閑としており,うっかりするとうつらうつらと船を漕いでしまいそうになる,ありきたりでどこにでもありそうでいながら,今ではなかなか行き当たることの少なくなった品のあるお店です。従業員がみな女性というのも正統派の珈琲店でありがちなハードな雰囲気とは一線を画した柔らかいムードを醸し出す理由となっているようです。 続いては,老舗の喫茶店として定評のある「平岡珈琲店」です。大正10年創業でコーヒー:320円はもちろんのこと自家製の揚げたてドーナツ:120円も評判のお店です。お店そのものはカウンターと小さなテーブル3卓だけのこじんまりとしたありふれたお店ですが,御主人の物静かでありながらも珈琲に対する意気込みがひしひしと伝わってきます。とか言いながら連日連夜のアルコールとコーヒーで胃腸がくたびれていたため,フルーツジュースをいただきました。これがすっきりとしていながらも甘すぎず,絶品なのでした。 豊臣秀吉の大坂城築城の時代が船場は急速に栄え始めました。船場センタービルは,大阪駅前ビルと同様に,1970年の大阪万国博覧会の開催に合わせてオープンしました。ファッション店が多い1号館から3号館,卸問屋が集まる4号館から9号館,さまざまな店舗が集まるショッピング街(ラントレせんば)や輸入品卸専門店街のある10号館まで地上2~4階,地下2階の建物からなる巨大ビルを構成しています。御堂筋線の本町駅,堺筋線の堺筋本町駅,中央線の本町駅・堺筋本町駅の4つの駅からアクセス可能ということからもその大きさが想像されます。お楽しみの飲食店も2・3号館の「ジョイ船場50」,4号館の旨いもんストリート,9・10号館のグルメ街と広範囲に亘っておりビル散策の楽しみを存分に味わえます。無論喫茶店も数多くありますが,もっともメジャーと言われている一軒にお邪魔してみることにしました。 「純喫茶 三輪」です。9号館の地下2階にある巨大な喫茶店です。喫茶店とは思えぬすごい活気に圧倒されます。給仕のおばちゃまたちのコスチュームにも思わず目を奪われます。場所柄サラリーマンたちが圧倒的に多く,騒がしいことこの上ありませんが,ド派手さもユニークな大阪らしいといったらこれほど大阪らしい店も少なかろうなと思える楽しい喫茶店でした。
2012/06/08
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