偽りの平和(2)


 ようやく準備が終わった。 
 もう敵の大軍が、あと僅かな距離まで迫ってきているというのに。母は自分を置いて逃げろと言っている。だが、そんなことを承諾するほど利口なグライトではなかった。
「死んだら…もうママに会えなくなっちゃうんだよ?だから僕はママを置いてくことなんかできないよ」
「でも…死んだらパパに会えるわ」
 すでに、母は狂っていた。目は泣いているせいだけでなく極度の興奮状態のため、限界まで充血していた。もう、それはグライトの知っていた母では無くなっていた。優しさも理性も何もかもを失っていた。もうそれは人間の形をした悪魔そのものだった。
「死んだら楽になれるじゃない!そこで辛い人生はおわりになるのよ!アハハハハ…」
 母は、笑い続けた。それは楽しいとかそういう笑いではなく狂気の笑いだった。尽きることも無く、延々と笑い続けた。ここでグライトが重い口を開いた。
「ママ、それじゃあ僕に言ったこととまったく逆じゃないか。人間は自ら死を選び、自殺又は自殺行為を行い、死んだ場合魂はそこに停滞し続けるって言ってたよね?じゃあ今のママはどうなの?それに当てはまらないって言える?」
 ふと、母の笑いが止まった。先ほどまでの狂気は無くなり、グライトのよく知る母がそこにはあった。そして、自分が今までしていたことを悔やんだ。それと同時にグライトに感謝した。狂った自分を助けてくれたこの世でたった一つの息子。自分がこの世で一番愛した夫の分身。今自分がすべきことをようやく理解した。
(この子を守る!どんなことをしてでも)
 そして、まだ幼い我が子を抱きかかえるとこれ見よがしに家を飛び出した。すでに、近所の家には人気がまるで無い。いつもなら、皆仕事に精を出している時間。平和だった日々が蘇る。
 と、どこか遠くで迫撃砲の音がした。それに混じり、小さな小さな叫び声までもが聞こえてきた。         大軍到着まですでに2時間未満となっていた。

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