高校生の哲学。

高校生の哲学。

Dreamy musculax



 俺はこの台詞を心の中で一日に何度も呟く。

 俺は公立高校に通っている、ごく普通の高校一年生。

 自慢になるような才能や特技がある訳でもなく、クラスでも余り目立っていない存在だ。

 今日も退屈な授業の風景をぼぉっと眺めている。

 勉強は嫌いじゃ無い。得意とは言えないけど、勉強が全く分からなくて困るなんて事は殆ど無かった。

 でも、最近のテストでは幾つか赤点を取っている。

 何も考えないで勉強が出来た頃と違って、無駄な事を考えてしまうからだ。

「こんな勉強なんかして、どうするんだ。大学に入って、就職して……それで?」

 漠然とした将来の不安が、毎日じわりじわりと迫り続ける。

 今日の授業が終わった事を告げるチャイムが鳴り響き、俺が教室を出ようとしたとき、友達から遊びに誘われた。

 もっとも、友達と思ってるのは向こうだけだ。

「今日はバイトがあるんだ、悪いな」

 なんて適当な言い訳をして断っておいた。勿論俺はアルバイトなんかやっていない。

 学校から家までは歩いて通える距離だから、放課後は大体暇になる。

 少し歩いて駅まで行き、毎日夜遅くまで独りで遊ぶ。

 月が夜空に浮かんだ頃、街灯だけで照らされた暗い夜道を歩いて、帰宅する。

 住宅街にある二階建ての我が家は、もう明かりが消えていた。

 鍵を開けて家に入ると、リビングのテーブルに置いてある夕飯を電子レンジで温めて食べる。

 静まりかえったリビングで独りで夕飯を食べるが、もう慣れているので気にならない。

 夕飯を食べ終えると、入浴を済ませて、二階にある自分の部屋へと足を運ぶ。

 季節はもう十二月だが、毛布を一枚被れば十分に暖かかった。

 ふと、窓越しに空を見上げると、薄明るい満月が見えた。

「今日も退屈だったな……。無駄な時間を過ごしてまで、幸せになる意味なんかあるんだろうか」

「人間は一時の幸せに騙されながら生きてるんだ。本当は幸せなんてほんの少ししか無いのに」

 そんな事を月に向かってぼやいていた。

「いっそ死んでしまった方が幸せなんじゃないか……」

 そんな事が頭に浮かんだが、馬鹿らしくなって直ぐに消えた。

 ベッドの上の目覚まし時計を見ると、もう深夜の一時を回っていた。

 薄明るい月を眺めながら、眠りにつく。



 次の日の朝。

 今日もいつもと変わらぬ朝。父さんは俺が起きる前に仕事へ出かけている。母さんはまだ寝ている様だ。

 俺は簡単な朝食を済ませると、身支度を済ませて家を出た。

 今日も退屈な授業を受けて、いつもと同じ事を心の中で呟く。

 放課後、今日も友達に誘われたが、適当な言い訳をして断っておいた。

 駅まで歩いて、日が暮れるまでの時間を過ごす。

 ここまでは、いつもと変わらない日常だった。

 空が黒に染まった頃、家へ向かう途中の暗い夜道を歩いていると、一本の電柱に寄りかかっている男の姿が前に見えた。

 男は十二月の夜だというのにシャツの上に白衣を着ているだけで、他に上着のようなものは何も羽織っていなかった。

 こんな時間に何もせずただ突っ立っているボサボサ髪の男は、とても普通の医者には見えなかった。

 暗闇にぽつんと浮かぶ白い人影は、何とも言えない不気味な雰囲気を醸し出していた。

 早く通り抜けようとも考えたが、どうしても男の存在が気になった。

 俺は少し緊張しながらも男の前をゆっくりと歩き、男を観察する事にした。

 丁度男の正面を通るとき、男の顔がはっきり見えた。

 思っていたよりも若く、二十代中頃に見える。

 男は切れるような目つきをしていて、薄い唇は少しにやけているように見えた。

 何事も無く男の前を通り過ぎたと思ったとき、後ろから声がした。

「そこの貴方」

 突然の呼びかけに驚き、俺は慌てて振り返る。

「貴方、死にたいと思った事はありませんかね?」

「……え? いや、そんな事……」

 突然の事に戸惑い、咄嗟に否定しようとしたが、そこから先の言葉が出なかった。

「あるんですね? 隠さなくても良いんですよ」

 男は俺の話を聞かずに自分のペースで話しかけて来る。

「私、医者でしてね。貴方に無料で薬を差し上げようと思いまして」

「……薬? 何の薬ですか?」

 不気味な口調の男に、俺は恐る恐る尋ねた。すると男は小さく笑ったかと思うと、直ぐに答えた。

「安楽死の薬ですよ。これを飲めば苦しまずに死ねます」

 男の口元が更ににやけた。

「なっ……!?」

 俺は呆気に取られて何も言えず、ただ、立ち尽くしていた。

「それでは、お薬をお出ししますね。詳しい事は瓶の中の紙に書いてありますから」

 男は、ポケットから取り出した小さな瓶を俺に渡す。

 訳が分からない内に俺はそれを受け取っていた。

「それでは、お大事に」

 男は、もう一度小さな笑みを見せると暗い夜道の奥へ飲まれていった。

 暫く、立ち尽くしていた後、ふと我に返る。

「一体あいつは何なんだ、それにこの薬……」

 俺は冷静に状況を考えようとしたが、結局一人で考えていても分かる筈もなかった。

 俺は再び夜道を歩き、家に帰った。家は今日も明かりがついていない。

 夕飯も半分程しか喉を通らず、直ぐに風呂に入った。

 浴槽でも暫く悩んでいたが結局何も考えが纏まらず、直ぐに自分の部屋へ向かった。

 部屋の明かりをつけ、ベッドに座り、男から渡された瓶を眺める。

「これは……何の薬なんだ? まさか本当に……?」

 瓶の蓋を開け、中に入れられた紙を取り出した。

 そこに書かれた言葉は

「この薬品は安楽死用です。一日一錠、一回の服用で苦しむ事無く死亡します。

但し、事後の処理等においての責任は一切負いません。ご自身の判断で用法用量を守って正しくご使用下さい。

――冥界クリニック」

とあった。

「冥界クリニック? それにこの文章……どう考えても怪しいよな……」

 きっと変質者の悪戯だろう。そう思う事にして、瓶を机の引き出しにしまった。

 冷え込んだ十二月の深夜、星一つ無い夜空を眺めながら、俺は眠りについた。



 それから三ヶ月程経った。

 いつもの様に朝の支度をして学校に行く。

 退屈な授業を受けて、学校の帰りには大して仲良くもない友達と遊びに行く。

 コンビニで弁当を買って明かりの消えた家に帰る。

 少し前までテーブルに置いてあった夕飯はもう無い。

 両親が離婚して母さんは出て行った。俺は今、父さんと二人で暮らしている。

 二人で、と言っても俺は金を貰って家に住ませて貰っているだけで、他に父さんとは何の関係も無い。

 静かなリビングで弁当を食べると、入浴を済ませて、自分の部屋に行く。

 部屋の照明をつけると、ベッドに転がり、ぼぉっと天井を見つめる。

 ふと、机の引き出しに目線が移った。

「本当に……楽に死ねるのかな」

 半信半疑だったが、俺は薬を飲む準備をしていた。

 コップに水を入れて部屋に持って来た。

 簡単な遺書を書いて、机の上に置いた。

 遺書には、

「生きる希望を見失いました。最後に迷惑を掛けますが、永い眠りにつきます」

とだけ書いた。

 死に強い憧れがあった訳じゃない。本当に楽に死ねるなら死んでも良い……そう思って薬を飲み込んだ。

 俺は、ベッドの上で安らかに息を引き取った。




「やはり飲みましたか」

 何処からか声が聴こえた。

「誰だ……俺は死んだ筈じゃ……?」

 俺は目を擦りながらベッドの上でゆっくりと起き上がった。

 部屋の中には、いつの間にか白衣を着た男が佇んでいた。

「薬を飲むのが随分と遅かったですね」

 月明かりに照らされた顔は、間違い無く俺に薬を渡した男だった。

「あんた、何でここに……!? それにこの薬、飲むと死ぬんじゃなかったのか!?」

 俺は男が部屋にいる事よりも、自分がまだ死んでいない事に驚いていた。

「ええ、貴方、もう死んでますよ?」

 男は笑みを作りながら、そう言った。

「嘘だろ……? だって俺はあんたと喋ってるし、ここに体だってある」

 俺は自分の体を触って見せた。

「はい、そうです。それがこの薬の効能ですから」

 男は然も当たり前のように言う。

「どういう事だよ……?」

 俺の思考はまだ、止まったままだった。 

 窓際に立つ男は、俺の質問に楽しそうに答える。

「貴方の肉体は、分かり易く言えば霊的なものとなり、他人からは見えなくなったのです」

 唖然となる俺を気にも留めず男は続ける。

「つまり、貴方の存在はこの世から無くなった。死んだのです。」

 自分の顎を撫でながら、男は得意げに言った。

「そんな……そんなの話が違うだろ、俺は一体どうすれば良いんだよ!」

 そう叫びながら俺は、男の胸倉を掴み上げていた。

「まぁ、落ち着いて。貴方は直ぐに、ちゃんと死ねますから」

 俺の手をゆっくりと振り解くと、男は面倒臭そうに白衣を直し始めた。

「直ぐに死ねる……?」

 男の言葉を聞いたとき、体の力が一気に抜けた。

「はい。安心して下さい。貴方がその姿でいられるのは一週間。それを過ぎると、貴方の存在は完全に消え失せます」

 男は白衣を直し終えた。

「っ……」

 何を言えば良いのか分からず、俺はその場で力無く膝を付いた。

「それでは、確かに治療しましたので。お大事に」

 それだけ言うと男は闇に消えてしまった。

 暫く呆然としていたが、ようやく自分の現状を確認する。

「俺は本当に死んだのか……?」

 近くにあるものを手に取ろうとしたが、手が透けてしまって物を掴めなかった。

 部屋の鏡を見たが、誰も映っていない。

「畜生……幽霊って事かよ……ヤブ医者め」

 どうする事も出来なくて、俺はずっとベッドに座っていた。いや、実際には浮いていたのだろうか。

 気がつくと、俺は眠ってしまっていた。

 窓から差し込む光で、目が覚める。

「もう朝か……幽霊でも寝るんだな……」

 一瞬、昨日の事は夢じゃないかと思ったが、自分の体がベッドの中に透けているのを見て、現実だと思い知った。

「これからどうする……一週間か……」

 自分が薬を飲んだ事を後悔もしたが、こうなってみると何かから解放された気もする。

 俺は窓からふわりと飛び降りると、暫く町をうろついた。

 誰一人、俺に気付く者はいない。

 学校へ行ってみると、俺がいない事はさほど気にされていないようだった。

 たまに一日二日、学校をサボる事があったからだろう。

 学校はいつもと変わらない風景だ。

「こうして見ると、俺の存在って何の意味も無かったんだな……」

 そう考えると、少し虚しく思えた。

 死んでしまうと何もする事が無くなったので、ずっと町をぶらついていた。

 幽霊となって客観的に世界を見ると、何もかもくだらないものにしか見えなかった。

 自分がそこに生活していたからこそ、この世界には価値があるように見えた。

 自分が死んだとき、この世界の本当の価値が分かった気がした。

 ここは、全く意味の無い世界だ。



 俺が死んでから四日経った。

 朝早くに、家に電話が掛かって来た。

 父さんの様子から察すると、担任の教師からの電話だろう。

 きっと、俺の欠席理由についての事だ。

 そこで初めて、父さんは俺がいない事に気付いた。



 その次の日、死んでから五日目の朝。

 父さんが俺の机の上にある遺書を見つけた。

 しかし、死体が見つからないという事で、失踪事件として警察に連絡がされていた。

 学校のクラスでも担任から事件について説明され、遺書がある事も説明されていた。

 幽霊となっても学校に通っていた俺は、先生が涙を浮かべながら話すのを見ていた。

「その涙はどこから出て来るんだか……。上辺でしか話した記憶が無いんだけどな……」

 俺は教室の後ろから様子を見ながら、溜め息をついていた。

 担任からの報告を聞いた生徒達は一斉に騒ぎ出していた。

 何人かショックを受けていた生徒も見えたが、大半は面白半分に騒ぎ立てていた。

 俺はその様子を見て、騒ぐ奴等を殴ってやりたくもなったが、自分の透けた手を見て馬鹿な感情だと悟った。

「静かにしなさい。この事は今、警察が慎重に捜査している。後日、校長先生の方からも話があるだろう。何か知っている生徒がいたら、先生のところまで来てくれ」

 そう言うと教師は未だに騒ぎの収まらない教室を後にした。

 教師が出て行くと、生徒たちの騒ぎはいっそう大きくなる。

 俺の事を嫌っていたらしい奴等は未だに面白半分に騒いでいる。

 だけどそんな中、俺が上辺だけで付き合ってたつもりの友達が、目に涙を浮かべていた。



 学校が終わり、俺は真っ直ぐ家に帰った。

 家には警察が何人か来ていて、父さんと話をしていた。

 警察の問い掛けに、父さんが涙ながらに話していた。まだ少し錯乱しているようだ。

 父さんは、自分が離婚した事や子供に愛情を注いでやれなかった、などと話をしていたようだった。

 二階に上がると、俺の部屋には既に警察が入って捜査をしていた。

 俺は薬が入っていた瓶を探したが、見つからなかった。恐らくあの医者が持ち去ったのだろう。

 日が沈み、警察が帰った後、父さんは自分の部屋でも泣いていた。

 俺は父さんの姿を一瞥して、警察に掻き回された自分の部屋に戻った。

「明後日には俺は消えるのか……」

 一週間前までは死ぬ覚悟があったのに、今は何故かスッキリしない気持ちになっていた。

「どうせ俺が生きてた事なんて、いつかは皆忘れちまうんだろうなぁ……。

俺が生きて来たのって何の為だろう……俺が生きた証はどこにあるんだ……

俺の人生ってこんな簡単に終わっちまうのか……」

「こんな風に死んでも、虚しいだけだったな」

 そんな事を思い、夜空いっぱいに広がる星を眺めながら眠りについた。


 死んでから六日目の朝。

 目が覚めると父さんは珍しく遅刻をして慌てて出て行った。

 きっと昨日は眠れなかったのだろう。

 学校に行くと、クラスの何人かは暗い面持ちで俯いていた。

 何となくその場に居づらくなった俺は、窓から外に出かける事にした。

 それから暫く、俺は町を歩き回った。

 辺りはすっかり日が暮れ、うっすらと月が見えている。

 家に向かう一本道を歩いている途中、電柱に寄りかかっている一人の男がいた。

 男は、白衣姿にボサボサの黒髪をしている。

「あんたは!」

 俺は男に向かって一目散に飛んだ。

「なぁあんた、この体を治す薬は無いのか!? 元の体に戻りたいんだ!」

 俺は男に向かって必死に叫び、訴える。

「ほう? 生き返りたいのですか。貴方が自分で薬を飲んだのでしょう?」

 男は不思議そうに首を傾げている。

「そうだけど……今は生きたいんだ! ……元に戻せないのか?」

 俺は少し涙目になりながらも、男に訴え続ける。

「ふむ……。ある事には、ありますがね」

 男は少し考える素振りをすると、そう言った。

「本当か!? それなら、今直ぐに戻してくれよ!!」

 俺は元に戻れる方法があると知って、少し安心した。

「ええ、しかしタダでは戻せませんな」

 男は人間とは思えない程に禍々しい笑みをしていた。

「元に戻すには、私が力を使わなければならんのです。そいつはちょいと疲れましてね」

 男は腕を組みながら楽しそうにそう言う。

「一体、何が望みなんだ……?」

 男の圧迫感に気圧され、俺はゆっくりと唾を飲み込んだ。

「なぁに、簡単です。貴方の寿命を少々分けて頂きたい」

 そう言うと男は舌を少し出して自分の唇を軽く舐めた。

 男は品定めをするかのように俺に見入っている。

「寿命……? 一体どうやって?」

 いつの間にか俺は壁に寄りかかる形になって、男に前を塞がれていた。

「ふふ、貴方を生き返らせるときに勝手に頂きますよ。尤も、本当に盗られたかは貴方が死ぬまで分からないでしょうがね」

 男はもう一度自分の唇を軽く舐めた。男の瞳は完全に狂気に満ちていた。

「分かった……それでも良い、俺を生き返らせてくれ!」

 こうしなければ、どうせ俺は消えてしまうんだ。俺は改めて男に頼んだ。

「よろしい。生き返らせましょう。そうですね、この治療の代金は寿命三十年分といったところでしょうか」

 男は自分の顎を撫でながらにやりと笑った。

「さ、三十年……」

 俺は少し考えたが、直ぐに答えは出た。

「分かった、それでも良いから……。早く治してくれ」

 俺は仕方無く、そう答えた。

「物分りの良い患者さんだ。素晴らしい。それでは、早速治療しましょう」

 そう言うと男は自分の手を俺の頭に乗せて目を閉じた。

「あ……」

 俺は男の行為を遮った。

「まだ何か?」

 男は少し不満そうに言う。

「あんた……何者なんだ?」

 俺はずっと気に掛かっていた事を尋ねた。

「ふふ、ただの医者ですよ」

 そう言うと男は少し笑って、闇夜に溶けてしまった。

 同時に、俺の体も元に戻っていた。

「戻った……生き返ったんだ!!!」

 俺は嬉しさの余り、全力疾走で家に帰る。息を切らしながらドアの前まで辿り着く。

 俺が大声で父さんを呼びながらインターホンを鳴らすと、父さんは玄関まで慌てて走ってきて、勢い良くドアを開けてくれた。

 俺の顔を見ると父さんは暫く呆気に取られて口を開けていたが、その後直ぐに俺を力強く抱きしめて泣きだした。

 暫くして警察に事情聴取を受けたが、家出していたと言って誤魔化した。

 学校でも大騒ぎになった。友達にまた会えたのが嬉しくて、泣きながら謝った。

 今まで、上辺だけだと思っていた友達が親友に見えた。

 くだらなく見えていた世界が輝いて見えた。



 ――それから数日後、とある町。

 一人の若い男が暗い夜道を歩いていた。

 男の前には、白衣姿の男が壁に寄り掛かって佇んでいるのが見えた。

 若い男は不気味に思い、白衣の男の前を早足で通り過ぎようとした。

 すると突然、後ろから声を掛けられた。

「貴方、死にたいと思った事はありませんかね?」





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