心真理裏

心真理裏

2002/11前






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11月14日。
最近にしては珍しく、当日書いてまーす。
さて本日はなにを書こうか、当日書いているからあんまり重い練ったネタは書くことはできません。かといってあんまりくだらないこと書くのもどうでしょう。これは記録として残っていきますからね。
自分としてはひとつの芸術と考えてこの文を書いているので、芸術家はきにいらない作品が存在するのは我慢できないといいますからな。とこうだらだら書いていくのもありだとは思いますが、それはまた別の機会に。

本日は一言ネタを・・・最近よく思っていることで・・・
浪費してー!!!

予告 来週は「後悔と無念の記録」強化習慣で・・・行く予定(あくまで予定)



11月13日。
しばらくは後悔と無念の記録を書いていないのでそろそろ書こうかと思うんですが、ひとつその前に日々日記で注をいれることにします。

シャーロックホームズがいっていた言葉に男というものはうぬぼれが強い生き物だ。と書いてありました。

自分も正直、そう思うんですが・・・

そういうわけでこれから書いていく後悔と無念の記録は今まで逃した女という題で書いていきますが自分のうぬぼれもあるのでそこんとこを頭に入れて読んでください。あとは今は多分、たいした人数読んでないと思うんですが、もし地元の仲間に広がったときに
「これ、私のこと?」
とメール打って来るのはやめてください。



11月12日。今日のテーマは「親友」。
親友とはどういうものか、考えてみた。

何でも話せる人間。
何でも信用できる人間。
いざというとき助けてくれる人間。

こんな感じが普通の答えでしょうかね。

しかし、よく考えてみるとこれらは合ってますかねー?
何でも話せるってことはたしかにそうなんですがうわさ好きの親友がいたら全部話せるでしょうか?
もし、友達が好きな人に、自分が告白されたら話せるでしょうか?
―だめでしょう。

では次、何でも信用できるって言ったって、100万円貸してくれ。と言われ、手元に100万円あってしばらく使う予定はない。
でもそれが何年もかけて地道にためてきたものなら間違いなく貸せないでしょう。というわけで・・・

次のいざというとき、助けてくれる人間。これはどうなんでしょう。前に書いて性悪説にかかわるんですが自分に余裕があればそれなりの友達なら助けるんじゃないでしょうか。サラ金に金を借りてて殺されそう。金貸してくれ。だったら余裕があれば貸すでしょう。

そういうわけでこの説も正しくないと思われます。

そういう風に考えていくと親友のいい定義というのはなかなか出てきません。

そんでもっと深く行くとそもそも友達とはどんな存在なんだろう?ということになってしまい、深みにはまっていきます。
その深みの話は自分なりに答えをもっていますが、また今度の機会ということで親友とはどんなものか。自分なりの答えを書きたいと思います。

親友とは・・・・
お互いいるだけで満たされる人間である。

という結論になりました。

昔、今、大河ドラマでやっている前田利家の家来(戸籍上は甥かな?)前田慶次郎と、上杉景勝は親友でお互い一緒にいながら何も話さない日が多かったらしい。いてくれるだけでお互いよかったのであります。
つまりそういうことなんです。普通の友達やあまり知らない人と一緒にいるとき何も話さないと「沈黙」と呼ばれるいやな空間が発生しますが親友といるとそれが発生することはない・・・・

結論:親友とは「沈黙」が存在しない友達である。

以上。




11月11日。さて、本日も政治の話。
将来なにをやるかというのは今のこの歳にはタイムリーな話なんですがそんな中、なにが一番儲かるのか?という話になりました。
そこで自分口から出た言葉は「政治が一番儲かりまっせ」の言葉でした。本気で言った訳ではなく上端半分だった部分もあるのですが・・・

あながち間違いではないな。と思いました。

普通に稼ぐのが馬鹿らしくなっていくくらい、政治はひとつのことで儲かる。そんな気がします。

しかしここで待てよ。と思いました。何で政治は儲かるんだろう?
給料はそんなに高いわけではありません。考えられるのは、政治献金とか、口利き料、パーティー券の売買。そんなもんでしょうかな。

・・・おかしい。もう少しほかのものがあるにせよ、億なんて金が入るなんて。
ということは政治はなんて一回で動かすお金の規模が大きいんだーーーーーー!!
そう考えていくとですね。政治家はもう一般市民の生活はわからなくなりますよね。普通の市民、特に学生なんか数百円削って暮らしているのに・・・
そんな人が国民の生活を決めるのはどうなんでしょ。

っていうか、そもそも政治が一番もうかるっつうので否定できないのが問題です。
政治って国民の生活が豊かになるためにやってるんでしょう?それなのに一番儲かるなんて。そう人たちは儲けに走っちゃまずいっしょ。

政治家なんか言い換えれば国のリーダーでしょ。下が貧しい生活を送っているんなら、リーダーは質素につつましく生きるべきだ。

そう考えると日本がいかにおかしいか。よくわかる。

貧しい国なのに国王が贅沢をしていれば普通、反乱が起こって国ひっくるかえりまっせ。
それなのに日本は国民苦しいのに政治家がぬくぬくしてても何も言わない。
それどころか、シンキロウ元総理やポマード元総理のように総理大臣として失敗した人はおろか、反乱起こそうとして止まちゃったKさんや秘書給与疑惑で辞めた人まで選挙に出て落ちることはない。(まだ選挙をやってない人もいますが次ぎやったら間違いなく、当選でしょう。)

おかしいでしょ。日本。そんな人たちを再当選させるなよ。

と文句ばかりいっていては良くないと思うので解決策としてはもっと国民が政治のことに関心を持つこと。そして、政治家の給料をもっと上げてやればいいと思う。国のリーダーなんだからその分、もらっていいと思う。

それによってくだらない金をもらわなくて済む。そういう風になればこの国はもっといい国になるであろう。



11月10日。
政治の話。
自分は基本的に平和主義者でしかも、戦争反対派の人間であります。そういうわけでイラク攻撃には賛成できないし、この前のテロの報復攻撃にも反対でありました。

そんな中、北朝鮮の問題もあり、なんとなく、戦争というものが前よりも近くなったような気がしたのでそれについて書いてみることにしました。

テロを受けて攻撃をしましたが、それで被害を受けるのは罪のない人々だけ。

本当に罪がないかどうか、とか、それによって指導者が困るんだから、被害を受けているとかそんなことはこの際、問題にしません。

ここで問題だと思うのはテロを受けてしまったそれまでの過程だと思います。

テロをさせてしまったアメリカの政策、なんだかんだ言ってアメリカは自分たちが世界のリーダーだと思っているし、他国が潤って自分たちが損をするのは許せない。みたいな発想があるんだかないんだか(怖いのでソフトに)それによってテロを招いてしまったと思います。

要するにテロを受けたんだから報復攻撃は当たり前。というけど、テロを招いてしまったお前らの政策が悪いんちゃうんかい!!!ということです。

だから北朝鮮のほうも攻撃を受けて、やりやがったな。このやろー、反撃だー!!!ではなく、今のうちからきっちり交渉を行い、攻撃をお互いしなくても済むように納得してもらいたいな。と思う今日この頃でした。




11月9日。人間というものは「わかりやすさ」を求めているような気がする。

表現が正しいかどうか、わかんないけど・・・

というのは前も書いたが、人間は何のために生きるのか?この答えを結局、持てる人間はどのくらいいるのでしょうか。結局、人はこの答えを探すことに苦しみ、自分は何のために・・・と思い悩む。

そこでみんな安易に答えに飛びつく。

よく聞く言葉だが「自分を必要としてくれるなら・・・」

青年海外協力隊の説明会でも聞いた言葉だが、この言葉、どうなんでしょうかねえ。

なんか自分は引っかかるんだよね。

希望って言葉ありますよね。この言葉、自分はあまり好きではありません。なぜっていうとここからはプラスの、正の部分しか感じないからです。明らかにプラスしかこの言葉には含まれていない。それに比べ、努力だったり根性、勇気、愛、マイナスというか、苦労というか、人間の本質っちゅうでしょうか、そういうものが含まれていますよね、だから希望は嫌いなんですが・・・。

そういうわけでこの「自分を必要としてくれるなら・・・」この言葉も嫌いです。

なんていうか、苦労している部分を感じないというか、どうして生きるんだろうという問いに対して答えを出せずに安易に用意された答えに飛びついたというか、答えを出す苦しみが嫌で逃げてしまったというか、そういうわけで嫌いです。

人間はこういうどうしようもない問いに対して「わかりやすさ」を求めてしまうんですね。

ほかにもある。将来、なにをしたらいいんだろう。

―医者になろう。

勉強は大変ですが何のために生きるのか?将来なにをするのか?この答えに悩む必要はない。

ちょっとこれは違いますね。悩まなくいいなっていう嫉妬が入っていますね。医者に関しては・・・

そういうわけで結論としましては人間は「わかりやすさ」というよりは「問いに対して答えを出さずにいられない」そんな生き物なんでしょうな。

この文章は失敗作ですけど内容がシンリに通じているので掲載します。

何で失敗か、って?

最初の「わかりやすさ」が否定されちゃって、しかも主題がなんかずれちゃってるからだよ!!! 


11月8日。
歴史には真実がある。

だから結構歴史は自分は好きです。

その辺の小説はどんなにいいものでも所詮、作り物です。

本当のことだからこそ見える人間の本質、とでも言うのでしょうか。そういうものが大好きであります。

汚いことであったり、コンプレックスで苦しんでいたりとか、どうしようもないダークな部分も見えれば、英雄の英雄たるゆえんを見ることもできる。

何より、それが真実であるというプラス。

そこからはシンリが・・・



11月7日。




これはどういうものなんでしょうかねえ。追い詰められたりするとその夢を見たりしますよねえ。テストだったり・・・

あとは知らず知らずのうちに願望を見るといいますねえ。

今はどんな夢を見ているか、よく覚えていませんでしたが、ある時期、実は地元の夢ばかりを見ていました。最近はそうでもないですけど・・・

こっち側の仲間の夢っていうのは自分は見ない。

これは何を表しているんでしょうかねえ。




11月6日。
これも連休中に話したことで書いておきたいな。と思うので書くことにします。

久しぶりに政治の話で更新です。

若いころの苦労は買ってでもせい。と申しますがどうでしょうか。
でもやっぱり苦労した人間は違います。なにが一番違うか、簡単に説明できる例を出すと、我慢ができます。すごい変な環境で働いていた人は経営者が変わったり何なりをしたあと少しでも良くなれば、がんばれます。それに少し環境が悪くなったって前に比べたらいいやと思えます。でも苦労してない普通の環境で働いていた人たちは少し環境が悪くなっただけで、不満を大きく感じ、我慢ができません。そういうわけで苦労が少しでも大事だということがわかるでしょう。

そう考えていくとですね、結構自分の頭に引っかかるのは結婚です。なぜってやっぱり育った家庭環境によって幸せの感じ方が違うと思うからです。すごい両親がけんかしていていた家庭の子供とうまくいっていた家庭の子供、価値観が違うに決まっている。そう考えると今の離婚の多さも納得ですな。

両親と子供。この関係も考えもんです。なにが一番問題かって、それは両親は子供に自分と同じ苦労を与えたくないと思っていることです。

苦労しない子供はだめですし、何より両親を超えることができません、それでは。しかも子供は親の背中を見て育ちます。そうするとどうなるか。―親が最終地点になってしまいます。そうなると子供は親を超えません。それでは世の中が発展するわけがなく、そういうわけで・・・

少し急いだので、もう一度戻りましょう。
苦労しない子供、簡単に言うと甘やかされて育ったような子供は世の中の厳しさに耐え切れるわけがなく、世に通用しませんし・・・そもそもどうなんでしょうね、親って自分の子供に自分を超えてほしいと思っているんでしょうか?

話は変わりますが昔の中国の話にこういうのがありまして男親というのは心の奥底では常にこの子は自分の子供なんだろうか。と疑っている。と。

そうすると女親は子供に自分を超えてほしいと思っているかもしれませんが、男親はひょっとしたら自分を超えられるのをよく思っていないかも・・・

なんてダークなことをいってはいけませんね。でもいえることは子供に自分と同じ苦労を与えたくないといっているのは女親のほうが多い気がするので考えすぎでしょうか。

話は戻って、子供は親を見て育ちます。苦労しない子は親しか見れないもんね。そうすると親が最終地点になってしまうんでしょうな。かわいい子には旅をさせろ。という、昔のことわざは真理を得てますな。

そういうわけで結論としましてはですね、教育がいかに大事か。そして子供を成長させるのはゆとり教育と呼ばれる、楽な勉強ではなく、親の教育なんではなかろうか。と思います。

追伸 ここで書いた話はすべて自分の意向を加えてあり、自分の意見として書いていますが、友達と話したことを参考にしています。

またゆとり教育によって親が子供を教育する時間が増えたという事実もあると思うのでゆとり教育すべてを批判しているわけではありません。




11月5日。
本日はいろいろ実験なり、何なり忙しくて大幅に遅れて更新で申し訳ありません。m(_ _)m

昨日まで連休中なにをやっていたかはほっておいてそこで思ったことを書きたいと思います。

テーマは「人は・・・」。(うまい題名が付きませんな。)

人間ってどうしてうまく生きられないんだろう。

もし、今、神様が現れて、みんなと仲良くできる自分と、喧嘩をしてうまくいかない自分を選べるチャンスを与えられたら、人間はみんな仲のいいほうをとるに決まっているのに・・・

筋を通して生きられる自分と、筋を曲げて生きていく自分とを選べるなら、筋を通すほうを選ぶに決まっているのに・・・

そんなことを言えば、きりがないないのはわかっている。勉強だって何だってがんばったほうがいいのはわかっている・・・

でもやっぱり、勉強みたいに自分のことだけならいいけど、他人に関係のあることはいいほうを選ぼうよ。



11月4日。
またまた昨日に関連させて、今日のテーマは「価値観」。

よく芸能人の離婚会見かなんかで「価値観が違ったんで・・・」みたいなものをよくみます。自分も昔からそういうものをみていましたが実感することは大学生になるまでありませんでした。

実感したのは成人式が終わって昔の仲間と会うようになってからです。といっても昔の仲間の知り合いだったのですが・・・そう「共通の話題がない。」そういわれた相手です。具体的にはどういう状況で感じたかは覚えていませんが、やっぱり、仕事している人間と学生では違うのは当然で・・・

昔だったらそんなことはないような気がします。小学校、中学校は間違いなく、高校でも価値観の違いは感じることはなかったような気がします。人間成長するにしたがって枝分かれしていくといったらいいんでしょうか、不器用になっていくんだなあ。と思いなんか沈んでしまう今日この頃でした。


11月3日。
また昨日に関連をもたせてテーマは「悪」。

人間は生まれながらにして善でしょうか?悪でしょうか?というのは昔、漢文でやりませんでした?善であるのを性善説、悪であるのを性悪説というんですが、これに自分の意見を。

ずばり、性悪説だと思います。人間は生まれながらにして悪である。

理由ですか?簡単なことです。人間はいざとなったら自分勝手ではないですか。法律でも命の危機の時は他人を犠牲にして自分は助かってもよい。緊急避難というものがあります。法律でも自分が一番大事である。と認めているわけですよ。
他人にやさしく出来るのは自分に余裕があるからだ。そういうことだと私は思いますよ。



11月2日。
昨日からの関連をもたせて、今日のテーマは「正義」。

正義といってもこれについて議論をする気はありません。人によって価値観が違うんだから10人いれば10通りがあるでしょう。
自分の正義について、というか悪に対する対処法というんでしょうか、それを書きたいと思います。

昨日、目には目を。歯には歯を。と書きましたがこれが自分の中では正義に関係します。具体的にどういうことかと申しますと正義は決して絶対ではなく、時に悪に対抗できないことがあります。そんな時、自分が悪に対し、悪で対抗することも自分の中では許されます。

こういう文を書いていると自分の価値観がもろばれですな。





11月1日。
今日から11月です。何の関係もありませんが明日からの連休珍しく暇ではありません。

そこ!珍しいと思ったでしょ。
―そのとおりです。
というわけで4日までの文まとめて更新です。

昨日の続きを。
心を大事にしてきた自分ではありますが世の中には例外というものがございまして・・・
えー、心なのに――――!っていう批判ももっともだと思いますが、こればっかりは自分の価値感なもんでしょうがない。
例外、具体的にはどういうことかと申しますと自分の心を踏まれた相手に対しては心踏み返します。一度、踏まれた相手に対しては例え、仲がよかろうとなんだろうと、ここでは例外なく・・・こればっかりはしょうがないよな。目には目を。歯には歯を。と言いますからね。





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