長男の場合・闘いの後やっと出産できた編

別に、何の問題もなく距離をもっていれば
いい婆1だ。
子供達と私の体調が落ち着いている
今は、又、元の良い婆1に戻ってくれている。
最初は、本当に助かっていた。
暴言も許せた。
ただ、仕事も忙しいダンナが
婆2のしつこさに辟易し、
顔を合わせればケンカという風になってしまった。
「一家の主婦が寝込むと大変なことになる」婆2の言うとおり。
たった、3日間の入院生活から1週間。
結局、田舎暮らしから都会のマンション,それも
我が家は高層なので、そのストレスは半端じゃなかったらしい。
ぶち切れてダンナと大喧嘩となり「家出騒動を起こし」
「二度とこない」と捨て台詞を残し帰っていった。

「ぼちぼちやっていこう」と思っていた。
二女の送り迎えもできないので
とにかくと二人でずーっと
TVゲームをしたり(寝たまま)本を読んであげたりの生活。
長女が学校から帰ると、そこで二女を頼み
一緒に外へ連れ出してもらっていた。
この時の長女は私にとっては
ダンナ以上の誰よりも頼りになる存在だった。
一年生でありながら、友達と遊ぶのも妹を連れて
行き(普通の妹ではないのですよ。言うことキカンチンで…)
掃除や洗濯干し、私の一声に飛んで来て
手伝ってくれた。
今更ながらに頭の下がる思いです。

何週間か過ぎ、落ち着いていた。
二女の芋掘り遠足。「これだけは行かせてあげたい」と
朝から簡単な物をお弁当に詰め、
ダンナと一緒に車で送ってみようか…と。
エレベーターに乗ろうとすると
ジャーッ。破水? いや大量の出血。
こりゃかなりヤバイ。
それを見た、二女もダンナも青ざめた。
とりあえず、心配のあまり涙ぐむ二女をなだめ
保育園へ。そしてダンナの帰宅を待ち
病院へ。待っている間もゴボゴボッと血液の塊までもが
流れ出ていく。直径12.3センチの塊が出た時は
「赤ちゃん?」と焦り思わず手にとり探してしまった。
内診後、「当然、今回は3日で帰すわけにはいきませんよ」
と。二女の妊娠中のベッドの上の生活の悪夢が蘇ってきた。
(それでも4日で解除されたが…)
これが、前置胎盤の恐ろしいところ…
ある日、突然に大量出血するのだ。
「落ち着くまで、2週間か3週間か、もしかしたら
出産まで入院かも」と言われた。
もう一度、婆2に頭を下げ
お願いした。ここからが本当の地獄の入り口だった。
病室に来る度に暗い顔で「いつ退院する?」
「私も体調が悪いのに・・」と言われた。
実母はガン手術をしたばかりだったので
頼む訳にはいかない。何を言われても「お願いします」
しかない状態だった。
どん底の精神状態の中での唯一の支えは
二人の娘たち。元気に動いているお腹の子。
そして「頑張って。お腹の子は男の子みたいだよ」と
励ましてくれた担当のDrだった。
3週間の入院生活で「なんとか大丈夫だろう」と
退院を許されたのは30週。
そこから、婆2との暮らしが始まった。
容赦ない言葉を連日浴びせられた。
「何で3人産まないといけないんだ?」
「兄弟は多い方が大人になってからも子供のためにいいと思うし」と
答えると
「あんたの家は3人兄弟だけど、こういう困った時に
何の助けもしてくれないじゃないか。
兄弟なんていたって役に立たなきゃしょうがないだろ」
「私の周りは3番目が奇形児ってのが多いよ」
「昔は、出産当日まで畑仕事をしたもんなのに、嫌な体質だね」
婆2には男の子の孫はいないので「お腹の子は男の子ですから頑張りますよ」
と言うと、「男だろうが、女だろうが人に迷惑をかけずに
産めなきゃ仕方ないじゃないかぁ!」等等。
何を言われても「あと、2ヶ月の辛抱ですから。不治の病じゃありませんから」と
自分が言ってもらいたいことを、ただひたすら
自分で言っていた。
それでも、いつまた出血するか解らない恐怖に藁をもすがる
そんな思いだった。
子供達も、母親(私)の悪口を聞かされているので
婆2嫌いになっていった。なつかない。
ダンナも任せっぱなしで、優しい言葉ひとつかけない。
それも婆2をイラつかせる。
「あんな子じゃなかった」と。悪循環に陥っていった。
(「あんな子でしたよ」と反論は忘れずしたけど)
検診の結果「胎盤が大分あがってきてる」ということで
一安心。32週を過ぎて婆2は帰って行った。
本当に、婆2には感謝してる。あの時、婆2が助けてくれなかったら
どうにもならなかった。ただ、妊娠中に痛めつけられたココロの傷は
きっと一生の傷として残ると思う。
二女を産んだ32週を超えて少し、先が見えてきた。
「今度何かあったらベビーシッターさんをお願いしよう」と
決めた。
37週になった日、クリスマスイヴに帝王切開が決定した。
そして、この帝王切開で「卵管を切断」するという
妊娠出産を不可能にする、
手術も一緒に行うことを決めた。


やっと出産編
35週を過ぎた頃から、子供に咳風邪をうつされた。
咳が止まらないと思っていたら、
まさかの予定手術日1週間前の日に破水。
午前12時に病院入り。二女の時はここから6日間もたせたから
今回もきっとそうだろうと思っていた。ら、「陣痛が起こると危険ですので
すぐに帝王切開します」と。午前4時に咳き込みながらの
帝王切開手術が行われた。
硬膜外麻酔なので眠ることのできない、咳をコンコン
(腹に力がでないとケヘンケヘンと喉だけの変な咳)
としながらの手術。そして、息子がん
待ちに待った息子と対面できた。
感無量「自分で生まれる日を決めたのね」
麻酔が切れてからの、咳には本当に閉口した。
ガスが出て、翌日からの食事。と、言われていたが
あまりの、辛さに喉スプレーだけは許された。
2日で2本の喉スプレーを使い終わらせるほどに
きつかった。
手術後…
今回の傷跡は前回とは違い、かなりの大きさだ。
やはり、傷跡と術後の回復には関連がある。
術後のつらさは前回とは比べられない程つらかった。
筋肉注射を打っても治まらなかった。
それでも、今回は赤ちゃんが一緒にいる。
もう、入院の心配をしなくてもいい退院が決まっている。
何よりも、娘達もダンナも皆、顔が明るいのがいい。
その後、生まれた赤ん坊を見に
また、婆2が田舎からでてきた。
娘達のときは、「抱いてみたら?」と
催促しなければ、抱かない人だったが
息子に自分の息子達をダブらせているのか
涙ぐみながら「男の子だねぇ」と言っていた。
そして、「恥ずかしくないような」と
大きな兜も買ってくれた。
少し遠いところから醒めた気分で「フンッ」と
思う自分がいるし、婆2へのわだかまりは、
きっとずっと消えないかもしれない。
それでも、確かに婆2のお陰で今があるのかもしれない。

これで、私の三人の難産自慢は終了。
もしかして、最初から最後まで
お付合いしてくれた人がいたのなら
有難うございました。
私にとっては、これだけの難題をクリアしなければ
「君のところへは子供はやれんよ」という
天の声があるのかもしれない。
そして、この三人の子供達が
私たち夫婦が本当の夫婦としてなりえるように、
また、夫婦として継続していくうえで
必要な数だったのかもしれないと
今は思う。





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