M17星雲の光と影

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2006.02.27
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カテゴリ: その他
高校を卒業する頃、親戚のおばさんがセキセイインコをくれた。鳥を飼うのは久しぶりだった。ほとんど十年ぶりくらいだったろうか。その頃、私はほとんどなにをすることもなく、部屋で毎日を過ごしていた。だから、目の覚めるようなレモン・イエローの小さな客人の来訪は大歓迎だった。くちばしの根元がざらざらの迷路のようになっているのがメス、優美で美しいほうがオスだということもその時、初めて知った。かごの中に二羽しかいなくても、カップリングは完全にメスの意思で行われること。つまり、オスはアプローチは出来るが、最終的な合意がメスから示されない限り、絶対に思いをとげることはできないということもそのとき知った。メスの好みは厳格で妥協がなく、「いやなものはいや」という原則がくずれることはない。アプローチはオス、最終決断はメス、メスは異性の好みに関しては徹底した原理主義者で妥協を許さない。これがセキセイインコのライフスタイルである。なるほどな、と私は思った。以来、この原則はひとりセキセイインコの世界だけではなく、生物界全体に普遍性をもつ生き方ではないかという気持ちを持ち続けている。「やっぱ、そうしたほうがうまくいくよな、たぶん」としばしば思う。そうは思いませんか。人間世界の混迷や錯乱は、この原則を踏み外したことに起因しているように思えてならない。セキセイインコから学ぶことはけっして少なくないのである。

まあ、そうこうしているうちに、インコのカップルも無事に結婚を果たし、メスは懐妊の兆しが見える。あわてて近所のペットショップに出かけて巣箱を買ってくる。メスはほとんどその中にこもりっきりで姿を見せなくなる。オスがエサを口に含み、巣箱の入り口で口移しに餌をあげるようになる。なかなか仲むつまじい光景である。やがて、「ひー、ひー」というような微かな声が巣箱の中から聞こえてくる。そっと巣箱の下のほうを開けてみると、小指の先くらいのピンク色のうごめくものが見える。と思った途端に興奮した母親に思いっきり指先を噛まれる。すごい力で指に噛みついたままなかなかはなさない。「わかったよ、わるかったよ」といって、やっと許してもらう。原理主義者を怒らすと怖い。限度というものを知らないからね、彼らは。

やがて雛はふやふやの柔らかいくちばしをつけ、きょとんとした顔つきで巣箱から這い出してくる。口移しにオスが餌をあげる。とてものどかな風景だ。家族が一人増えて、なごやかな空気がかごの中に満ちてくる。それを見ているとこちらのすさんだ気持ちもなごんでくる。いそいそと糞の掃除をしたり、キャベツをあげたり、水をとりかえたりするようになる。まずは平和なひとときである。

しかし、そんなある日、やっと羽が広げられるかどうかというくらいに成長した雛が突然これまで聞いたこともないような悲痛な声で鳴き始める。ただならぬ声である。あわててそばに行ってみると、母親が雛鳥に襲いかかり、そのくちばしをくわえたまま引きずり回している。雛の口元には血がにじんでいる。私は手をいれて雛を外に出そうとするが、母親はすさまじい勢いで私にも挑みかかってくる。やっとの思いで雛をつかんで外に出した時には、しかしその口元は赤く染まり、くちばしの半分は母親にもぎとられ、かごの下に血まみれで落ちていた。

自分の子供になんてことをするんだと思って、私は激しい怒りを覚え、母親をつかまえて、雛と同じ痛みを味わわせようかと思った。でも、その時、はっと気づいた。私は雛の巣立ちの日をすっかり忘れていたのだ。その数日前に雛を外に出し、親とは別のかごで飼わなければならなかったのだ。母鳥には責任はない。すべては私の責任だった。巣立っていくはずの雛がいつまでも自分のところから離れないので、彼女の頭にセットされた本能が、力づくでも雛を外に追いやろうとして激しく攻撃したのだ。私は雛鳥にひたすらわびながら、そのくちばしの傷をなんとかなおそうと必死で看病した。

さいわいくちばしが欠けただけで命に別状はなかった。私はその雛鳥をかごから出し、部屋に放し飼いすることにした。いささか不細工ではあったが、小鳥は私によく慣れ、手のひらに乗り、肩に乗り、呼ぶと飛んできた。でも、そんなある日、うっかり少しだけ開けていた窓から外へ飛び立ち、その後、二度と戻ってはこなかった。

私は巣立ちをうながす母鳥のあの容赦ない攻撃を思い出す。それはいままで見た中でもっとも激しい動きだった。自立を促すとか、愛情にもとづくとか、そんな生やさしいものではない。それは必死の、決死の、攻撃であり、暴力だった。きれいごとではなく、出ていかなければ抹殺するというような気迫に満ちた行動だった。

これが自立なのかと私はその時思った。子供の体を損なってまで自分たちの生活圏内から外へ追い出す。そうしない限り、自分たちにも子供にも未来の生活はない。

そうなんだよな、と思った。こうするしかないんだよな、と思った。そして、私は唐突に東京へ行こうと思った。一人で生活しようと思った。これまで馴染んできたあたたかい空気に別れを告げ、ひんやりと冷たく細い金属の扉をつかみ、それを上へ押し上げて外へ出なければならない。こわがっている場合ではない。とにかく外へ一人で出る必要がある。その後のことは、その後で考えればいい。



われわれは母親の肉から生まれてきた。その肉から引き裂かれるように分離され、激しい叫びとともにこの世に出現し、その庇護を離れる時にも、再び激しい痛みと叫びとともに、肉を引き裂くようにして第二の分離を遂げなければならない。そして、その分離の痛みと苦しみを経た後に、ほんとうの愛情というものが理解できるようになる。

今日、会社からの帰り道に、どこかのうちのテラスから聞こえてくるセキセイインコの啼き声を聞いて、ふと遠い昔のことを思いだしたのである。






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Last updated  2006.02.27 21:37:33
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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