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2006.11.24
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テーマ: 感じたこと(2902)
カテゴリ: その他
最近、公共の場におけるマナーの悪さがよく指摘される。その原因は公徳心の欠如にあり、ひいては倫理意識の低さの問題であるというようなことがいわれる。倫理とは要するに「いいか悪いか」という問題であり、その判断力の低下がマナーの低下につながっているというのである。

なんとなくうなずいてしまいそうな意見ではあるが、マナーというのは実は「いいか悪いか」の問題ではないと思う。人間は日常的にそんなにしばしば「いいか悪いか」を内面に問うているわけではない。いちいちそんなことを考えていたら、電車に乗って、会社に着くまでに、一日のおおよその内面的エネルギーは使い果たされてしまうことだろう。

もちろん倫理的判断が求められる場合もある。急病で倒れた見知らぬ人が同じ車両に乗っていた場合、あるいは乗客同士がもめている場合、自分が関与すべきかどうかを立ち止まって考える。これはまあ倫理の問題と考えてもいいだろう。

しかし、マナーに関しては多くの場合、われわれはそこで立ち止まって「いいか悪いか」を考えるわけではない。むしろ倫理的判断に要するエネルギーを節約するためにこそマナーが発明された。そう考えてもいいのではないだろうか。

だが、いくらエネルギーの節約といっても、われわれは公共の場で行動する時に、あらかじめ教え込まれたマナーに盲目的に従っているわけではない。やはり、そこにはある種の判断が必要とされる。しかし、その判断基準は「正しいか否か」というよりも、むしろ「美しいか、否か」ということであるように思う。

「みっともない」とか「見苦しい」ということばは、そういう場合に使われる表現だろう。だから、もしも最近マナーが悪くなったというのなら、それは要するに、街中でどのようにふるまうべきか、それに関する美醜の感覚が鈍くなったということではないだろうか。「こんなことをするとみっともない」、「見苦しい」、そういう制御装置がうまく作動せず、人前で平気で醜態をさらしている。現状はそういうことではないかと思う。

一年半前くらいから、休みの日に時折、小さな公園に住みついている何匹かの猫と接するようになった。そして、そのふるまいを見て、しばしば感心する。彼ら、彼女らは「見苦しい」と思われるような行いをほとんどしないのである。

猫たちは日常的に最低限の餌を近所の人に与えられているようだ。でもそれは飽食というにはほど遠い量だろう。以前、彼らの食事の様子を偶然目にしたことがある。30代くらいの女性が自転車に乗ってやってきて、ポリ袋に入ったキャット・フードを新聞紙の上に置き、公園のベンチの下に置く。猫たちは口々に小さな喜びの声を上げながら、そこへ駆け寄る。そして、黙々と餌を食べる。しばらくすると、一匹一匹とその場を離れ、顔の周辺についた食べかすを手で拭い、それをぺろぺろと舐める。そして、毛繕いを始める。もちろん食い意地の張った猫もいる。新聞紙に沁みた油をいとおしそうにぺろぺろと舐めまわす猫もいる。でも、ただそれだけだ。この間、互いに争うことはまったくない。それはきわめて静かな食事の風景である。

餌を求めて人間に「媚び」を売る猫もいないわけではない。彼らは時折餌ほしさに愛らしい声を出して近づいてきたりもする。しかし、それはあくまでも少数であり、また相互のつきあいの浅い段階にのみ見られることであるように思う。「ひのき」などは、餌をあげても食べないことが多い。最近ではこちらもまったく餌をあげなくなったし、彼らもそのことは十分に承知しているはずだが、だからといって、つきあいが疎遠になったということもない。彼らの見せる親しみの感情は、餌をあげるかあげないかということとはほとんど関係がない。彼らは私が公園のベンチに腰を下ろすと、ひょこひょことこちらにやってきて、顔をじっと見上げる。そして、ころりところがって、お腹をみせる。触ると満足そうにぐるぐるとうなる。ひとしきり再会の儀式が終わると、間近で背中を見せながら、あちこちと身体の毛繕いを始める。私の目には彼らはただそばにいることを楽しんでいるよう見える。そして、そういう私自身も彼らのそばにいることで気持ちが落ち着く。ほのあたたかいものがこころの中に静かに流れこんでくる。要するに、気持ちがゆたかになる。



私はその理由を考える。何が彼らにマナー感覚を植えつけ、何がわれわれのマナー感覚を損なっているのか。どうもそこには「飢え」が関係しているように思える。それがとりあえずの私の仮説である。

目の前のベルトコンベアーの上を一定量の餌が絶え間なく流れている環境では、食べるのを止めるという節度はかえって働きにくい。そこでは満腹中枢は破壊され、食べることは自己目的化し、それと同時に「食」の新鮮な喜びは遠ざかる。一言でいえば「ブロイラー状態」である。われわれの日常生活はそれに近い。

これに対して野良猫たちは「軽い飢え」の中で生きている。満腹するところまで食欲を満たすには餌の絶対量が足りない。そこでは飽食は現実的な可能性として断念される。飽食の断念は、欲望の制限を要求する。そこに争いごとを持ち込んでもおそらく個体には利益よりも損失をもたらす可能性のほうが大きい。私の見るところ、いわゆる「獣欲」というのは人間特有の欲望であるように思う。猫たちはそれほどに利己的なふるまいはしない。そこには自然な節度があり、安らぎがある。闘いももちろんあるが、それは日常的なものではない。生活のステージが大きく変わる転換点でのみそれは行われる。そして、そういう節度の根底には、飢餓には至らないほどの軽度の「飢え」が存在しているように思える。

餓死にもつながりかねない重度の飢えは生物に大きな恐怖心を呼び起こし、時にはパニック状態に陥れるだろう。それへの反動として必要以上の食欲を昂進させることもあるかもしれない。しかし、軽度に飢えた状態では、欲望の制限は生存の危機にはつながらず、むしろそれは自然な感覚として受けとめられるはずである。

要するに軽い飢えは生物にとってきわめて自然な状態であり、飽食や過食は異常状態なのである。だから過食や肥満に対しては、生体はびっくりしてその本来の機能を破壊されてしまう。生物というのは軽い飢えのなかでこそ正常な感覚やモラルを発揮するように作られているもののようである。

こう考えてくると、人間社会のモラルを低下させているのは、公徳心の低下というよりも、むしろ「飢え」の喪失ではないのか。そう思えてくる。

そして、われわれの社会では肥満はなぜ「醜い」ものとみなされるのか。痩身を目指すダイエットがなぜあれほどの熱意をもって行われるのか。その理由が見えてくるようにも思う。

われわれの感覚は、まだかすかに正常さを保っているのだ。過食がどれほど生体の維持にとって危険なものか。適度な飢えがわれわれの美意識をどれほど正常に保ってくれるものか。少なくともわれわれの感覚はそれを知っており、無意識のうちにそれをわれわれに告げているのではないか。

われわれは適度な「飢え」を回復しなければならない。

今日の帰りの電車のなかで、盛大な音を立ててポリエチレンの袋を引き破り、得体の知れない菓子パンを頬ばる妙齢の女性の姿を横目で見ながら、そう思った。

私の眼には彼女は二本足で立ち上がった醜い豚にしか見えなかった。







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Last updated  2006.11.24 20:42:37
コメント(17) | コメントを書く


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豚って醜いの?  
つっこみの母 さん
こんばんは。私は豚を飼ったことがありません。豚を育てている友達がいたので、豚を間近で見たことはあります。豚は醜いのでしょうか。「紅の豚」は豚だからこそ意味があったなぁと思いますが、醜いものの代表に豚を持ってきてはいけないと思います。例によって長い文章は読めないのと、最近お忙しそうで今回もお返事を頂けないかもしれないと思ったので、コメントに書くこともないかと思ったのですが、豚は綺麗好きでかわいらしい生き物だと思います。豚にマナーがあるかどうかは知りませんが、(猫にマナーがあるかどうかも知りません。)
月並みな言葉や言い回しを避けると言うのは文章を書くことを指導しておられる方には自明な事ではありませんか。豚はなぜ醜いか、ではなくなぜ醜いものが豚と言われるかという事のような気がします。
豚と言うのが何の象徴なのかです。そういえば「千と千尋の神隠し」も豚に変えられるんでしたね。
それとマナーと言うのは基本は「快不快」だと私は思っています。人に不快と思わせないこと、ではないでしょうか。最近はマナーなんていってられないことも多いのですが、愛国心だとかの話では特に。
いつもながら論点がずれてるかもしれませんがこのまま書き込みます。
(2006.11.24 21:41:07)

豚はなぜ醜いか  
ジョン さん
ん~と
うまく言えませんが
豚=醜い にすこし抵抗があります。
おっしゃりたいことは解りますが・・・

豚は人間に食べられる為に太らせられている訳で。
それに豚は本来きれい好きで子育て上手なんですよ。子豚はとてもかわいいし。

日本で一番豚の飼育数が多い所に住んでいるので少し豚の肩を持ちたいのかも(笑)
豚がトラックに乗せられて運ばれて行くのをよく目にします。
彼等は一様に自分の運命を悟ったような眼をしてます。その時は複雑な気持ちです。
でも、豚肉を食する時は感謝して美味しくいただきます。 (2006.11.24 21:55:36)

Re:豚って醜いの?(11/24)  
つっこみの母さん&ジョンさんへ

いや、おっしゃることはよくわかります。ちょっと刺激的なタイトルだったかもしれません。でも、タイトルを変えるつもりはありません。豚は人間が作った動物です。野生種ではありません。野生種はイノシシです。家畜化され、飽食を余儀なくされた動物。それが豚です。

月並みな言い回しと言われますが、なぜ「豚=醜い」という表現が月並みかということを考える必要もあると思います。

私がタイトルに込めた意味は「豚はなぜ醜いか」ということではありません。「人間はなぜ醜いのか」「人間はなぜ醜くなったのか」ということです。

豚はほんとうはかわいいのよ、といったところで、「ぶた!」という表現がまぎれもない罵倒のことばだという事実は変わらないのではないですか。

醜さの根源には人間の飽食があるのではないか。敏捷で行動性にあふれ、野性的なイノシシをブロイラー化して「ぶた」にしたのは紛れもない人間です。そして、その目的は人間そのものの飽食だった。そういえると思います。

でもその飽食の恐ろしさを人間は感覚のどこかで感じとっているのだと思います。だからこそ、「ぶた」ということばははっとするような刺激を人間に感じさせる。

その刺激がどれほどのものか、体感したいと思って、このタイトルをつけました。 (2006.11.24 22:36:29)

Re[1]:豚って醜いの?(11/24)  
つっこみの母 さん
豚は野生種ではない、人間が作った飽食のための産物であると言うのは、百歩譲るとして

>私がタイトルに込めた意味は「豚はなぜ醜いか」ということではありません。「人間はなぜ醜いのか」「人間はなぜ醜くなったのか」ということです

と言うのはあんまりじゃありませんか。ちょっとびくりして、ちょっとがっかりしました。「ぶた!」と言うのが罵倒の言葉としてもその罵倒の言葉を認めるという姿勢が私はちょっと嫌です。もっといろんな意味で自由に言葉を使って頂たいと思います。
多分お疲れのところに難癖をつけるみたいでごめんなさいね。でもどんな状況でも自分の口から出た言葉は自分の言葉だと思います。あなたのファンと言うか応援団の一員なのであえて書き込みました。 (2006.11.24 23:17:43)

Re[2]:豚って醜いの?(11/24)  
つっこみの母さんへ

>「ぶた!」と言うのが罵倒の言葉としてもその罵倒の言葉を認めるという姿勢が私はちょっと嫌です。

御返事がお気にさわったのかもしれませんが、「認める」というのと、「そのことばの意味を考える」というのは別のことであるように私は思います。

豚の存在そのもののなかに消しようもなく人為があるのです。なぜ「ぶた」ということばに強烈な響きが感じとれるのか。それは彼らがどこかで人間の感情の根底に触れる部分をもっているからだと思います。

難癖などとは思っておりません。長いおつきあいじゃないですか。お母さんのあたたかい気持ちは重々承知しております。でも私はことばを自由に使うことはできない。そう思っています。やはりそこには私の偏見や歪みが投影されているはずであり、それを見つめることができる場は、やはり文章しかありません。だからこそ読者の方のコメントは貴重なのです。

ひょっとしたら、私にも何か大きな問題があるのかもしれない。そう思わせてくれるコメントは大歓迎です。

まあ、後でのんびり考えてみます。でも自分でアップロードした文章に関しては、自分なりに判断した後に公表していますので、変更する気はありません。 (2006.11.24 23:33:03)

豚は美味い  
YABU さん
M17星雲さま、はじめまして。

「この豚野郎」と罵られて、「ちょっと君、それは豚に失礼だよ」と応じるのがユーモアとして機能するのは、指定された読みを意図的に外すことで、閉ざされたコミュニケーションの可能性が、その言葉で一気に開放されるからである。
逆に誤読する自由を幅広く許してあるテクストに対して、意味を限定して読むというのは野暮というものである。

「豚はなぜ醜いか」というお話は、要するに「豚カツは美味いが、豚カツの食いすぎは拙い」というお話なのである。
(2006.11.25 03:13:17)

Re:豚はなぜ醜いか(11/24)  
ジュン さん
あら~、きょうのはいつもと感じがちがうわ~、M17星雲さんちょっとお疲れなのかしら…と思いつつ皆さまのコメントも拝見しました。

YABUさんのコメント!  うわ~って感じですね。 秀逸というか、すごい! すごいなぁ~。 ああ……。 ちょっとばっかし感動しております。 (2006.11.25 10:23:50)

Re:豚は美味い(11/24)  
YABUさんへ

ふふふ。粋なコメントありがとうございました。このブログは書き手がへっぽこなわりには、読み手の方々のレベルが高いなあといつも思っておりますが、今回もそのことを痛感しました。なかなかてごわそうな書きっぷりですが、お暇があったらまた覗いてみてくださいね。文章との距離感を重視する、ヒット&アウェイの使い手とお見受けいたしました。では。では。 (2006.11.25 11:25:07)

Re:豚はなぜ醜いか(11/24)  
もも さん
状況分析は「猫」なのに、結論は「豚」にすり替わっている。比較対象具体例としても不適。
要するに、論理的文章ではなく、感傷で書かれたもの。それを論理的に読むと、いろいろ齟齬が見えてくる。
ということでしょうね。 (2006.11.25 15:50:19)

Re[1]:豚はなぜ醜いか(11/24)  
ももさんへ

いやー、評判が悪いなー、この文章は、ふふふふ。(おまけに態度まで悪い)

ねじくれた書き方をしているので読みづらいとは思いますが、結論は「豚」ではないつもりなのですが。でも、まあ、文章というのはどのように読もうと読む人の自由ですから、あとづけの解説など有害無益でしょう。むしろこんな書き方をしたのに、私の問題意識をわかってくれた方がいたということのほうに私は驚きました。いや、びっくりしたな。「誤読する自由を幅広く許してあるテクスト」という表現には。いやはや。 (2006.11.25 21:49:04)

Re[2]:豚はなぜ醜いか(11/24)  
もも さん
M17星雲の光と影さん

>私の問題意識をわかってくれた方がいたということのほうに私は驚きました。いや、びっくりしたな。「誤読する自由を幅広く許してあるテクスト」
-----
誤読を承知で書かれたのなら、「私の問題意識をわかってくれた方」という言い方に不遜なものを感じます。いちいち抗弁する必要もないでしょうし。
「肥った札より痩せたソクラテスになれ」という比喩は、大好きですが。
ま、ブログは議論の場ではありませんし、まして誤解なき論文の展開の仕方を学ぶ場でもありませんから。
ただ、いつも読ませていただいているものとして、品格のようなものが消えているのがツラかった。お疲れなのでしょう。
私の友人で「若年性低血糖症」で、フラっときたらパンや飴玉を、ところかまわず摂取しなければ生きていけない者もいます。誤解や偏見を受けています。そうしたことも、事実です。 (2006.11.26 08:37:20)

Re[3]:豚はなぜ醜いか(11/24)  
もも さん



-----
「肥った札」ではなく「肥った豚」です。
キーワードを打ち間違えて、どうする。御免。 (2006.11.26 09:32:13)

Re[3]:豚はなぜ醜いか(11/24)  
ももさんへ

なかなかむずかしいですね。最後の一文を見て、「あれ、これは何かちがうな」と思う。そこからこいつの書き方がおかしい。不快だと思う。けしからんと思う。そういうラインもあります。もうひとつ。「あれ、これは何か違うな」と思う。「いったい何がちがうんだろう」「こいつ、何がいいたいんだろう」と思う。自分の中にその問いを向けてみる。その答えを自分のなかに探ってみる。そこに何かが生まれるかもしれない。もちろん何も生まれないかもしれない。そういうラインもある。いずれを選ぶかということは読み手が決めることです。その後のほうを選んだ方がいたのに驚いた。そう思ったわけです。

あるいは、私が特定の人間に向けて「豚」といっているように誤解されているかもしれません。くだんの女性は長身痩躯、モデルのような美貌の持ち主でした。私は人間全体に向かっていっているつもりです。

タイトルと最後の部分以外には豚は出てきません。それなのに多くの方はそのことばに、そのことばのみに視線を注ぐ。それはなぜなのでしょう。

飢えることの必要性はこのことばの陰にすっぽりと隠れてしまっている。それはなぜなのでしょうか。

(2006.11.26 09:51:41)

Re[4]:豚はなぜ醜いか(11/24)  
もも さん
M17星雲の光と影さん
>ももさんへ

>「あれ、これは何か違うな」と思う。「いったい何がちがうんだろう」「こいつ、何がいいたいんだろう」と思う。自分の中にその問いを向けてみる。その答えを自分のなかに探ってみる。そこに何かが生まれるかもしれない。もちろん何も生まれないかもしれない。そういうラインもある。いずれを選ぶかということは読み手が決めることです。その後のほうを選んだ方がいたのに驚いた。
>あるいは、私が特定の人間に向けて「豚」といっているように誤解されているかもしれません。くだんの女性は長身痩躯、モデルのような美貌の持ち主でした。私は人間全体に向かっていっているつもりです。

>タイトルと最後の部分以外には豚は出てきません。それなのに多くの方はそのことばに、そのことばのみに視線を注ぐ。それはなぜなのでしょう。

>飢えることの必要性はこのことばの陰にすっぽりと隠れてしまっている。それはなぜなのでしょうか。
-----
私は「豚」と聞くと、大内先生の比喩を思い出す。
そこが定義の違いになったということでしょう。タイトルと最後にもってきたこ言葉は、文章の集約ではないのですか。私はそのように解釈していますが。
文意から、モラルとルールとマナーの混同も、あるように思われます。
女性がモデル風だから「外形が美しい」というのも、なんか紋きりで妾腹できませんし。
いずれも、私の読む力の拙さです。悩ませてすみませんでした。

(2006.11.26 10:24:46)

Re[5]:豚はなぜ醜いか(11/24)  
もも さん
「妾腹」訂正「承服」です。
-----
(2006.11.26 10:27:07)

私は面白かったです  
ほり さん
こんにちは。お久しぶりです。
今週か先週だったか、週刊文春の林真理子氏のエッセイが、似たような内容に読めました。ダイエットの必要性を述べた文章ですが、ある種の犯罪を犯した肥満女性を例に挙げて、太っているのは欲望を制御できないからだ、だから、欲望の制御という意味でダイエットが大事、って要旨です。マナーであれルールであれ「みっともない」という感性であれ、要は「欲望の制御」という共通点があります。この文章は、それを持つ大切さをおっしゃっていると思いました。
まあ、「豚」というのは比喩で使われているのですから、形而上的な表現と思います。よって、形而下における例外は存在して当然であると解釈します。
(2006.11.26 21:20:53)

Re:私は面白かったです(11/24)  
ほりさんへ

どうも。なんだか予想外の展開でしたね。でも好意的に読んでいただいてありがたいです。

でも文章を公開するということの意味は予想外の受けとめ方を体験することのなかにもあると思っていますので、私はこれも貴重な経験だと思います。

ここには私自身も気づいていない私自身の問題と、一般性をもったより大きな問題の双方が顔を出しているんでしょうね、おそらくは。

拙文をていねいに読みとっていただいてありがとうございます。今回コメントを寄せていただいた方すべてにそう言わせていただきます。

すてきなピリオドをどうも。感謝します。 (2006.11.26 21:28:19)

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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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