人生これからだ!

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私的”いじめ”られた後感じたこと5



今回は先輩からによる”いじめ”でした。

6年生の時に受けたいじめから開放され、無事に卒業することができました。

そして、いよいよ中学生になりました。私の町は小さいので小学校も中学校も1つしかありません。よって、同じメンバーがそのまま中学校の同級生となるのですが、なぜか中学校に入ると皆が新たな気持ちになってるようでした。すんなり新しい気の合った友達ができました。

しかし私が中学時代、とても学校は荒れていました。田舎の学校だったせいもありますが、「ヤンキーそのままやん」というような短ランや長ラン(もちろん内側は龍やら鬼やらの刺繍あり。そして大量のチェーンが吊るされてある。)男子の先輩、床にすりそうなくらい長いスカートをはき、化粧をした女の先輩グループがいました。

学校の廊下を自転車やバイクで走る人たち。
朝、登校したらガラスがバリバリに割れていることもしばしば。
授業をさぼって、非常階段でたわむれる男女、等々。。

そんな学校でしたが、私のクラスは男女ともとても仲が良かったので楽しい中学生活でした。

そして4月の終わり頃、部活動を決める時期になりました。私の希望は一番がソフトボール部、2番が吹奏楽部、3番がバスケットボール部でした。
クラスメイトと共に部活動の見学週間があったので見に行きました。一番最初に行ったのはバスケットボール部でした。しかし、それがとんでもない”いじめ”の入り口となってしまったのです。

バスケ部には校内でもきつい先輩がたくさん所属している部でした。それを知らなかったのでうっかり見に行ってしまい、見学の後、

「はいらんかったら、どうなるか分かってるんやろうなぁ~あぁ~?!」

と脅され、有無を言わず入るはめになってしまいました。

先輩が後輩を苛めることはその頃当然のことのような風潮があり、先輩達はやりたい放題でした。

そして入部し、彼女達の”いじめ”は始まりました。いじめられたのは私と仲のいいM子ちゃん、そしてN子ちゃんが中心でした。

私達だけ、スクワットが他の人の倍はもちろん、

「あんたら生意気やねん!」「あんたら呼び出し覚悟しぃや!」
などとの言葉はいつものことで、部活が終わり実際に自分のクラスに戻って(下級生は部室が使えなかったため)みたら机に、

「死ね!」「殺したる!」「ぶりっこ!」「なめんなよぉ!」

などが机に書かれたりもしてました。自分の持ち物もごみ箱に捨てられたりもしました。

また自転車をパンクさせられたことも何回もありました。あまりに多くて自転車屋さんにパンクを直しに行ったら、その店員の人に「よく来られますねぇ」と言われた程でした。

それらが起ったときは生命をも脅かされているようで怖かったです。

でも、実際に私達は生意気なことは何も先輩にはしていなく、部活動中で言われることは全て従っていたし、廊下ですれ違えば90度のお辞儀、大きな挨拶、を必ずしていました。

それでも、彼女達にとっては”ムカツク”存在だったようです。

その原因は、クラスで楽しそうにして、男子とキャッキャいって遊んでいるのを見て”生意気”と感じたからのようでした。

私の友達は実際呼び出されてトイレに連れ込まれ、男女混ざった先輩達に脅され、便器に顔をつけられたり、水をかけられたりされたそうです。

その時に「次は○○だ!」と私の名前が出たそうですが、友達はそれでも私をかばってくれてたようでした。

その子のお陰と、一人だけ仲が良かった先輩がいたお陰で(その人は社会人になってから私をいじめてくれましたが。。)覚悟はしていましたが、個人的に呼ばれたことはありませんでした。

それでも休みの日に先輩に会わないように中学の2年間、私は地元のスーパーなどにいくら母親に誘われてもついていったことはありませんでした。

いくらいじめられ慣れていた私もこのいじめは解決しようがなく、ただひたすら2年間我慢しました。

解決もせずただ我慢できた理由は、多分、それまでにも辛い経験をしていたのでこれにも乗り越えられると思っていたことと、同学年の友達と苦しみを分かちあえていたからだと思いましす。

この”いじめ”のことを考えると、私が入った部が怖い人が多すぎたこと、そして私達自身がきっと先輩達も「目の上のたんこぶ」みたいな存在だったことなんだろうなと思います。

でも、このことで私は”友情”を感じることができたし、”我慢”することも覚えられたと思います。



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