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ここ数年、春に悲しいことが起こっている。昨年は仲良し編集者のKさんが、生後52日目の赤ちゃんをおいて旅立ち、今年は兄嫁が大学受験生の一人娘をおいて昇天した。一人娘の名はアヤちゃんという。アヤちゃんのことを思うと、私の心は波立つ。18歳のアヤちゃんは、二度と母親に会うことができない。アヤちゃん、アヤちゃん、あなたが生まれたとき、18年後にこんな悲しいことがあなたの身の上に起こるなんて、おばちゃんは一度も思わなかったよ。あんなにママのことが大好きだったアヤちゃんが、こんなにも早くママとお別れすることになるとは。「この子は私よりもずっとかわいい。 私が生んだとは思えないくらい」そう言って笑ったママの顔、おばちゃんは今でも覚えてるよ。かわいいかわいいアヤちゃん。早く笑える日が来ますように・・・・・
2010年03月05日
ご無沙汰しちゃってすみません。たいへん元気にしております。新年早々、従姉の夫が亡くなるなど、アクシデントはありましたが、私自身は去年とは比べ物にならないくらい元気です。なんというか、煩悩を脱ぎ捨てた、という感じですね。あれがほしい・これがほしい・こんなんじゃいや・もっと△△になりたい・・・・そういう思いに攻め立てられた30代・40代。今、ようやくそういうものから解放されたのを感じます。あ、でも、したいことがなくなったわけじゃないんですよ。たとえば私はどうしてもヴァイオリンがうまくなりたい。弦楽四重奏がやりたいから。それもある程度のレベルの。ただ「譜面が追えてる」というだけでなく、表現したいものを感じさせられるレベルのね。そのための努力は惜しまないけど、焦りは見事になくなりました。「大丈夫。このままやっていても」そう思えるようになったんです。今年は妙に清清しいわー♪
2010年01月12日
今年ほど浮き沈みの多かった年は、半世紀にわたる人生ではじめてだったかもしれない。4月に仕事関係の親しかった友人が亡くなったのをきっかけに、がくりと運勢が下向きになった。立ち上げたアンサンブルの運営がうまくいかず、追い詰められた。そしてヴァイオリンを弾くのがすこしも楽しくなくなった。思うような音が出ない、表現したいものがまったく表現できない。 そうこうするうち、夏になって夕食のメニューを何にしたらいいのか、全然決められなくなった。人に会いたくない・大好きだったプールに行く元気も湧かない。抑うつ状態に突入したのである。 が、そのどん底期に、ヴァイオリンの先生をかえて一からやり直すことにしたこと、普段参加できない弦楽アンサンブルの合宿に参加したことが転機となって、秋に向けて持ち直していった。秋になり、トルストイの『戦争を平和』を読み終え、ツルゲーネフや宮澤賢治を経て、トーマス・マンの『魔の山』に心酔。文学の世界を堪能して元気になった・・・のか、ヴァイオリンの音が変わってきて元気になった・・・のか、再びスイミングを楽しめるようになり、長い距離を泳いで自分の中のものすべてを出し切るようになって元気になった・・・のか・・・たぶんそれらが複合的に組み合わされて、元気を取りもどしたのだろう。 元気になったら、アンサンブルでトラブったこともなんだかどうでもいいことになってしまい、再びもとの音楽仲間とのつきあいが復活。その間、若い男の子と行き違いがあって悲しい思いもしたが、それも和解して「これからもよろしくね」ということで終結した。 トラブルと解決の年、が過ぎていこうとしている。
2009年12月29日
毎日の病院通いはやっぱり疲れる。 母が急変し、持ち直してから9日。これまでの薄情さを悔いて、毎日せっせと通い、1時間くらいそばについているようにしているのだが、やっぱり疲れるのね。 昨日は夕方から友人宅で忘年会のため、午前中にお見舞いに行った。今日はもう疲れて疲れて、二度寝し、2回目に目が覚めたら12時近くなっていた。 これからずっとこうして緊張を強いられるのだろうか。 それにしても思うのが、私の一番いい時代は過ぎ去ったということだ。誰かの娘という立場で、守られていた時代。 ・・・いやいや、これはバチあたりな言い方というものだろう。少なくとも夫ががっつり私の生活を支えてくれているのだから。あまりに「当たり前」になってしまってはいるが、親同様、夫が支えてくれていることも肝に銘じていなくては。 世の中には女ひとり、立派に生きていっている人もいるというのにね。 私って根性ないわ・・・・
2009年12月14日
昨日、鍋をしたとき、シイタケをおしゃれに変身させてみた♪ しばらくカービングから遠ざかっていたけど、久しぶりにやってみたらすご~く楽しかった♪食卓を豊かに彩ってくれる感じ。 ↑結局、かまゆでにして食べられちゃったけど~・汗!
2009年12月07日
今週末・5日の土曜日に、4つのヴァイオリンのためのコンチェルト(ヴィヴァルディ)を合わせることになった。この曲は4パートとも目立つところがあってやりがいがあるんだけど、休符が多くて数えるのが大変な曲。でも今回、ファーストをヴァイオリンのプロが弾いてくださることになったので、とても楽しみだ。おまけにものすご~くお上手なチェロの方が「入れてください」と申し出てくださった♪ついでにバッハの「3つのヴァイオリンのためのコンチェルト」もやってみたい。やりたい曲がすぐにやれるのは本当にありがたい。ヴィオラもいてくれるともっといいのだが。ヴィオラといえば、最近、全然弾いていない。今日は原稿を1本書けばあとはフリーなので、ヴァイオリンやヴィオラの練習をしたり、ドイツ語の勉強をしたりして優雅に過ごそう。大掃除は・・・来週から始めればいいかしら・・・??先月はお仕事たんまりだったのだが、今月はとっても楽なスケジュール。いつもいつも忙しいのもストレスなので、まあいいか。先月は2ヵ月分以上稼いだし、請求した経費のもどりが相当ある。来年になったら仲良しの編集さんも産休を終えて復帰してくることだし、先日の撮影時に紹介された新人の編集さんとすごく気が合って話が弾んだし、おまけに撮影のときに担当の編集さんから非常に感謝されたしで、まずまず仕事に関しては順調に流れるものと思われる。今年の残りは、大掃除をして身と心を清め、アンサンブルとドイツ語をたっぷりと楽しむことにあてることにしよう。今月の残りは大掃除をして身と心を清め、
2009年12月03日
今年は人間関係で苦いものを味わった年だった。物事に熱中しすぎる私の性格が招いたものともいえる。ここから得た教訓は、●熱中するのは自分ひとりで完結するものだけにとどめること(ヴァイオリンの練習など)●人がからむものに熱中するときは、最初から役割分担を決めるか、あるいは相手にまったく期待しないことというものだ。熱中しすぎるあまり、全部、あるいは相当部分を自分でかぶり、にっちもさっちもいかなくなる、というのが私のパターンである。要するに「ほどほどに」ということだ。
2009年11月30日
どうも私、中世ヨーロッパ的なものが好きなような気がする。グレゴリオ聖歌を生まれて初めて聴いたのは、中学1年か2年のときだったが、なんていうのかしら、懐かしいような感動的なような、不思議な気持ちに襲われたのだ。普通の子供がそうであるように、私にとって最初の外国は当然のようにアメリカであった。でもアメリカ文化に憧れたり、惹かれたりしたことは、たぶん、ただの一度もないと思う。アメリカは私には明るすぎるのだ(イメージ的に)北海道生まれなので、気候的にカラッとしているのが好きなのだが、その底に一抹の悲しみが存在している、みたいなのが好き。北海道の空の青さって、悲しいような、胸をしめつけられるような青さなのだ。今日もドイツ語の単語を10個覚えた。(男子)生徒と(女子)生徒と、先生とノートとメガネ。そして家と庭と学校と教会とお城。ドイツの空はどんな空だろうか・・・
2009年11月29日
トラブルを解消するには、逃げて逃げて逃げまくるのもひとつの手のような気がする。私は結局、約4ヶ月間、静かにしていたら自然に心が癒されて「それでも楽しいことをいっぱい共にしてきたし、今も私が立ち上げたアンサンブルを続けてくれてもいるし、ありがたいことだなあ」と思えるようになった。「以前のような楽しいお付き合いを」というメッセージをこめたコメントを、時々の私の日記に寄せてくれた人も数人いた。怒りに任せて、言いたいことをバンバン言った私に、そんなふうに接してくれたのは、やっぱりすごくうれしかったのだ。私は基本的にパワフルな人間なので、いろいろなことをやりすぎてしまうところがある。今後はこの反省を生かし、風通しがよく楽しいお付き合いをしていきたいものだ。
2009年11月29日
結局、朝起きたら「どうしても、ドッペルの2楽章が弾きたいっ!!」という気持ちになり、月に1回のオフ会に行ってきた。そして、やはり、私のことで胸を痛めていたに違いない二人のうち、お一方にヴァイオリンの相方を務めていただき、もうお一方にピアノ伴奏をお願いした。そうしたところ、たいへんのびのびと弾けたのだった。ほとんど上がることもなく、弓が震えることもなく、音がよく伸びた。弾き終えたあと、「すごく音がよくなった」と言われた。思えば春からこっち、弾いても弾いてもちっともうまくならず、先生を変え、一からやり直し、それでもなかなか思うようにはならなかった。が、違ったんですよ、ここ数日。音が明らかに違ってきたのが、自分でもわかったの。はあー、長い旅の始まりですごく道に迷ったけど、ようやく「行くべき道」が見つかったみたいな感じ。結局、私のことで胸を痛めていたに違いないお二方もすごくほっとしたみたいだった。私もほっとした。また新たな関係を築いていこう。楽しい音楽を通じて。
2009年11月28日
この日記がどこからでも読めるという、ヒジョ~に重要な事実を失念していた。危ない・危ない。この11月は、私にとって「大きな意識変化が起こるとき」だと知り合いの占い師さんに言われた。本当にもう過去は捨てて、旅立つときにきているのかもしれない(ダンナとの関係じゃないよ・笑!)人と人が離れていくときは、どうしようもない力が働くものなのかも。離れる以外に方法がない、みたいな?特に私のように、ほどほどのところで手を打つということが苦手な人間には、親しくするか離れるか、道はふたつにひとつしかないのだろう。私がこのような立場になったことに、強い責任と悲しみを感じている人がひとりいる。でも仕方ないねえ・・・・お互いの生き方の違いとしか言いようがない。
2009年11月27日
年を取っても、その気になれば何でもやれるものだと思っている。もともと諦めの悪いタイプではあるのだが、その思いが強くなったのは、おそらく去年9月にスイミングに行き始めてからだろう。ほとんど泳げなかったし、運動神経がいいと思ったことは一度もない。それが泳げてしまったのだ、思いがけず早くに。スイミングを始めて1年2ヶ月が経過しつつあるが、一昨日のスクールでは400メートルクロール一気泳ぎを含めて、1時間で1250メートルを泳いだ(バタフライ含む・ただしヘタだけど)去年の9月、思い立ってスイミングスクール通いを始めなかったら、私はいまだにゼロのままだった。しかし1年2ヶ月続けたら1時間で1250メートル泳げるようになった。翻訳文学は自分には読めないと思っていた。名作、それも大作なんてとてもとてもと思っていた。が、『魔の山』を読んでみたら面白くて面白くて、子供のころから比較的本を読んできたつもりだったのに、なんで今まで文学の本当の面白さがわからなかったのだろうかと思う。なんでもやってみるものだ。イヤならやめればいいんだから。・・・ドイツ語の単語の復習しよ、っと・・・・
2009年11月27日
ドイツ語教室に、宿題を持って行って来た。当然のことながら、英語や算数をお勉強しているお子様がたに「なに?このおばちゃんは?」という目でジロジロ見られましたわおばちゃんだって勉強するんだよ!文句あっか!そして子供らの前で、ドイツ語の「かえるのうた」を歌ってきた・爆!果たして続くのか・続かないのか・・・でも続けるわよ、お金を払う限りは。お月謝が8400円(くらい)なので、一日あたりの金額は280円。絶対に!!!280円分は楽しみたいものだ。・・・先ほどは妙に美しい気持ちになった私だが、どう考えてもあの一件は「すごくソンしてバカくさかった」ので、明日のミニ発表会に行くかどうかは明日の気分次第で決めることにした。一日あたり280円のドイツ語をたんまりやったほうが楽しい気がする。そうすれば日割り計算して280円のはずのものが、10000円払って得られる楽しみと同等の価値を持つかも知れないし。もう人生、先がそんなに長くないんだから、取捨選択はきちんとしないとね。お金と時間と労力の無駄はごめんこうむりたいものだ。
2009年11月27日
私はこの数年、音楽関係のイベントで仕切る立場に立つことが多かった。つまりは自分が楽しいことしたい♪と思ったから、人を集めてあれこれやることになったというわけなんだけど・・・楽しいだけのうちはよかったの。でもそのうち苦痛になってきたのね。自分ひとりで背負うのが苦しくて苦しくてたまらなくなった。春先に若い友人が亡くなったショックもあって、にっちもさっちもいかなくなった。夕食に何を作ったらいいのかわからない。家事の段取りがわからない。すべてに関して悲観的で意欲が湧かない。もちろん外出もしたくない。音楽活動どころではなくなり、この夏に一番大きな集団からは足を洗ったわけだけど、まだ小さいのが残っていた。各パート一人ずつなので、一人欠けが出ると、曲目は変更しなきゃならないし、継続的な練習ができないし・・・場所取りと告知を私が行なっていたのだが、何回か連続して急な欠席が相次ぎ、練習会が流れるということがあってから、もう完全にやる気がなくなっていった。で、11月はもう練習会の予定も立てずすっぽかしの術に入ったのだが、メンバーのひとりが「12月に集まりたい」と言い出した。それはいいんです。たいへんありがたい。私はすっかりやる気がなくなっていたのだから。が、そのあとがなかなか決まらない。場所の確保を誰がするのか、日時は誰が決めるのか。そう思い出したらもうダメ。いやなこと、苦しかったこと、追い詰められるような不安が蘇ってくる・・・PTSDってやつかしら?私はどうやら、仕切ることにとことん疲れているらしい。この2年間、本当にバカみたいにイベント立てては人集めをしてたからな~~・・・・私はずっと自分の母親に否定的な感情を持ってきた。母は世間が狭く、人に対しての不信感が強く、偏狭かつ狭量なのだ。でも私は気がついてしまった。私は母にそっくりなのだ。それを認めたくなくて、人になじみやすく、物事にこだわらない自分を演出してごまかしてきたのだ。自分自身さえも。しかしもうごまかしはきかない。私は本当の私自身を認め、自分が楽に生きられる方法を模索しなくてはならない時期にさしかかっているのだと思う。
2009年11月26日
昨日は初めてドイツ語の先生にお会いした。私が通うことにした教室は、子供の算数教室で有名な公●式のドイツ語教室だ。毎日CDを聞き、音読をし、プリントをやるという方式が自分には合っていると思えたのである。ヘンタイですか?私・笑!あんまりそう見えないらしいけど、何を隠そう、私はコツコツタイプなのだ。ヴァイオリンもスイミングもコツコツやってきた。どうしてドイツ語ができないことがあろうか。・・・と自分でも信じたい。何もわざわざ単語や文法から入らなくても、会話から始めればすむことじゃない、という向きもあるだろうが、私はちょっと違うと思う。少なくとも私にはそのやり方は向いていない。会話教室に週1回、1時間行ったくらいでどうにかなるとは思えないのだ。ヴァイオリンだって家でとことん練習して行き、その成果を先生に見ていただき、治すべきところを指摘していただいてうまくなるのだから。わざわざ公●式でドイツ語を教えているくらいだから、きっとドイツ文学を専攻された先生に違いないと思っていたら、ぴんぽ~~ん!大正解だった。某有名国立大学のドイツ文学のご出身で、現在、教養課程でドイツ語を教えてもいらっしゃるという。トーマス・マンが好きで好きで、どうしてもドイツ語をやりたい!と思いました、と申し上げたら、先生、大喜びああ!来年はドイツを旅行して、温水プールで泳いだり(笑!)、楽譜屋さんに楽譜を買いに行ったりしたいなあ~!夢はふくらむ・・・・今日は地元のお友達と マイケル・ジャクソンのドキュメンタリー映画 THIS IS IT を見に行った。素晴らしかった・・・・マイケルの肉体が素晴らしい、その表現力が素晴らしい、ステージを作り上げようとする姿勢が素晴らしい、周囲を巻き込むそのオーラが素晴らしい。何よりもあふれる愛が素晴らしい。ロックは普段の私からかなり遠いところにある音楽だ。しかしそういうのは問題じゃないのね。音楽はジャンルじゃないの。ハート、そして愛、なのね。それがよくわかった。そして本当に惜しい人を亡くしたのだと痛切に思った。不世出の人である。
2009年11月25日
もう立派な大人なので(オバサンとも言う・汗!)、着るものにはそれなりに気を使う。あんまりオバサンくさいものも着たくないが、ヘタに若そうなのを着て「若作り」と思われるのもイヤだしさ。妹が一昨日、母のお見舞いに行ったところ、お向かいのベッドの人の息子さん夫婦が来ていたそうだ。年のころは50代半ば。非常に立派な息子さんだったという。お嫁さんも同年代でとても感じのいい人だったが、ひとつ驚いたことがあるそうな。それは・・・ミニスカートをはいていたことだそうな。見た目はどう見ても50代なのに、スカート丈がひざ上5センチ以上。しかもヘンに茶髪にしているわけでもなく、不良おばさんふうでもなく、ごく普通の奥さんだったので、よけいに驚いたそうな。わかるわ~!私も先日、50代向けのファッション誌をめくっていて、悶絶しそうになったもの。どう見ても「これってイタイのでは?」という若作りミニスカファッションのオンパレード!しかも「これなら年下クンもうなるはず」的な、「私だって女捨ててないわよ」的なコピーの数々。・・・なんだかね・・・人様が何を着ようと、いくつになっても女を捨てずにいようと、基本的にはどうでもいいことなんだけど、はたから見てるとそんなにかっこいいものでもないというのが正直なところだ。やはり「年齢なりの美しさ」って大事なのではないかしらん??おばさんの美学、というものがあってもいいはずだ。
2009年11月23日
連休初日、21日に、若い友人カップルの結婚式に参列した。23歳の花嫁が、うれしくてうれしくてたまんないっ!という満面の笑顔で、「Kちゃん、うれしそうね」と声をかけたら「だって、うれしくてたまんないんだもん♪」とこれまた素晴らしい笑顔を見せてくれた。若いって素晴らしいことだ。たぶんもうちょっと年を食った花嫁なら、照れもあってあれほどの喜びを爆発させることはできないだろう。若さがもつ素晴らしさを痛感したひとときだった。そしてKちゃん、自分の結婚をそれほど喜びをもって迎えられた、あなたは心根の美しい、まれにみる女性です。私は本当に感動しました。・・・さて、このところ私の心を占めているドイツとドイツ文学だが、昨日はようやっと1981年にドイツで放映されたドラマ『魔の山』のDVDを見ることができた。この数週間忙しすぎて、ゆっくりDVDを見ているヒマもなかったのだ。オリジナルは5時間半だったらしいが、これをぐぐっと149分に短縮しているため、はっきりいって、『魔の山』の原作を読んでいないとよさを理解するのは難しいかも、と思えた。が、私は何を隠そう(別に隠してないけど)、『魔の山』原作にはぞっこんである。2回目の読破計画もすでに半ばをすぎたほどだ。もうとにかく素晴らしいんだからっ!登場人物がこれほど生き生きとした文学作品を、私は読んだことがない。なのでDVDもとても楽しんでみることができた。・・・もっとじっくり細部を見せてよ、という気持ちも正直いうと残ったけれども。明日はドイツ語の先生にお会いする。きゃっ♪思いついたらやらないと気がすまないのだ、私は。さあ、今から始めて、来年の今頃はどうなっていることだろうか。片言くらいは話せるようになっているかしら?子供向けの本くらいは読めるようになるだろうか?そして年末に第九を歌っているだろうか?継続は力なり、というのは本当だ。私は非常に太りやすい体質だったが、昨年9月にスイミングを始め、今年4月からバタフライの練習をするようになって以来、筋肉量が増えたのか、太りにくくなった。一昨日の結婚式のコース料理はおそらく3000キロカロリー近くあったと思うが、脂肪という形で体内に蓄積された形跡がまったくない。昔だったらあっという間に太ったはずなんだけど。これから始める(はずの)ドイツ語もがんばるわ!
2009年11月23日
今日はすごく寒かったね。夕方、いやいやながら買い物に行った。食料品が底をついてしまったのだ・汗!思いっきり寒かったので、今年、ネットで買ったダウンを着て行った。サイト情報によれば、ヨーロッパ向けに作られているということだ。ヨーロッパの寒い冬に耐えられるコートなので、それはそれはあったかい。が、ひとつ難点が。コンパクトサイズな私には、大きすぎるのですね。イトー●ーカドーの婦人服売り場の鏡に全身を写して、あっちつまんだりこっちつまんだりしてみた。でもダウンのお直しってタイヘンそうだよね。で、考え直したのね。「ヨーロッパの人って大きめのコート着てるから、そのつもりになればいいじゃん!」って。それにコートのデザインが、なんか「冬季オリンピック選手団のユニフォーム」っぽいのよ。ベンチコートのつもりで着ればそう大きくもないかー、なんて。↑これこれ!私がお洋服を撮影しようとすると、ぬかりなくチャーちゃんがやってきて、必ずお洋服の上に足を載せるの。かわいいっ!コートは完璧にあたたかかった。中に着ていたのは、キャミとカットソーのみ。このコートがあれば厚着は不要。しかも軽い!ちょっと大きいのは「ヨーロッパ仕様だから」と思うことにしよう・・・・
2009年11月19日
午前中に、昨日から取りかかっている医療関係のセミナーの原稿まとめの締め切りを早めてほしいとの電話が入った。明日の朝一という話だったのだが、デザイナーとリライトチェック担当の医師が「早くしろ」とせっつくのだそうだ・汗!昨日、がんばってけっこう進めていたので、すでに出来上がっていた4分の3を先送りし、残り4分の1を超特急で仕上げ、午後からスイミングに行ってきた。一仕事終えたあとの清清しさでもって、今日はことさら気持ちよく泳げた。先週と同じく、300メートルクロールも含めて、今日は1時間で1150メートル泳いだ。1・15キロである。ちょっとしたものだ、うふ♪久しぶりにお友達のSさんにも会えたのでよかったわ。4時に電話取材の予定が1件入っていたので、ちょこっとだけロビーでジュース飲みながらお話した。帰宅後、電話取材を終え、メールチェックをしていたら、午前中に送付した原稿の送り先から「この原稿で大丈夫です」との連絡が入る。よかったあ~~~!!!何でもコンペに提出するもので、ほかにも2社がコンペに参加しているという。「デザインではなく、内容重視のコンペです」とプレッシャーをかけられながらの仕事だったのだ。うまく通るといいんだけどな~。夕方、ヴァイオリンの練習を1時間やった。いつもスイミングのあとは音が変になるのだが(腕の使いすぎ)、今日はさほどでもない。筋力がついてきたのだろうか。これからご飯を作る。
2009年11月18日
最初はちんぷんかんぷんだった病気関係の講義録だが、ひとつひとつ用語を調べて読み込んでいくうちに、何をいわんとしているかがわかってきた。これに流れをつくり、リライトするのが私の仕事だ。やり始めるとけっこう楽しい。先生のお話を聞いて、一から自分で書くのと比べたらどうかしらね??案外、一から自分で書いたほうが手っ取り早かったりして。この仕事が本決まりになり、今後、定期的に私の元へくることになったら、講演会への立会いは必須であろう。・・・でもテープ起こしも私がするのかしら・・・
2009年11月17日
今日はてっきりヴァイオリンのレッスンを入れたものと思っていた。現在、私はこれまで書いたことのない病気の原稿、というのを抱えている。しかも締め切りは明後日の朝イチ。これにどれほどの労力をさかねばならないのか皆目見当がつかないので、できれば外出はしたくない。それにはレッスンをキャンセルしなければならない。憂鬱・・・いったい、先生にどう言い訳したものか・・・・・・と思い悩んでいたのだが、なんということはない、私の勘違いでレッスンは来週なのだった。ラッキ~~~♪先週は締め切りと取材で、全然練習できなかった。たぶん、音はひどい状態になっていることだろう。もとに戻すのにどれくらいかかるかねえ・・・・トーマス・マンの『魔の山』は2回目の読破を試みているが、すでに1巻の終わりまで来た。1回目には把握できなかった流れが、今はとてもよくわかる。再読ってとっても大事なのね。マンを読んで初めて本当の読書の楽しみを知った気がする。子供のころから本好きで、ずっと読み続けていた私だが、この衝撃の(もちろんいい意味での)大きさは相当なものだ。私は長いこと、自分はなにかを書かねばならぬと思ってきた。ライターの仕事を始めてからは、なおのことその思いが強かった。しかし書けない。何を書いていいのかわからない。私のブログに向けたエネルギーはそこからきていたのだろう。日常の瑣末なことは、私にはいくらでも書けたのである。が、マンを読むようになってから、「どうでもいいこと書いてるくらいなら、人類の財産ともいうべき古典を読んだほうがよっぽど楽しい」と思うようになった。おかげで今はすかっとした気分だ。私は今、書かなくてよい。読むことを存分に楽しめばいいのだ。
2009年11月17日
ずっとコメントのやりとりこそがブログの楽しさだと思っていたので、コメント欄閉鎖日記ってどんなものかしら~、と半信半疑で始めたのだが・・・一人で勝手につぶやくのってすご~く快適かも~。今日はお友達のMさんと新宿でランチとウィンドウショッピングとおしゃべりを楽しみ、6時半から日独協会で「トーマス・マンとナチスの時代」というセミナーを聞いてきた。Mさんも私もウィンドウショッピングが大好きで、40代の半ばまでは7時間くらいデパートの中をうろついたものだ。でもさー、なんかもうあんまり楽しくないのよね・・・相変わらずコート好きな私だが、年々、お洋服関係がどうでもよくなっているのは否めない。ま、私の場合、子供の学費がまだかかるので、節約しなくちゃってのもあるんだけども。単品で2万~3万くらいする服を買っていた時代がウソのようだ。日独協会のセミナーはとてもよかった。トーマス・マンの声も聞けたし。やっぱりドイツ語をやりたい気がする。考えてみたら、ヴァイオリンとヴィオラが好きなんだから、オーストリアやドイツに旅行したとき、現地で楽譜を調達すれば、日本で買うよりずっと安くつくんだものね。弦楽四重奏の譜面なんかバカ高なんだから。これまでオペラというものを聴いたことのない私だが、言葉がわかれば聴きたくなっちゃうかもだし。英語を話すことにまったく興味がなかったのは、その背景に広がる文化にまるで興味がなかったからだろう。でもドイツ語圏にはとても心惹かれるものがある。私の場合、会話から入るよりも、読み書きから入るほうが性格に合っているだろう。というか、読み書きができて、外国語の向こうにある文化に強い興味が持てれば、会話力はあとからついてくるんじゃないの?という気がするのだ。だって「生きた言葉」を知りたければ、自らチャンスを作るだろうから。
2009年11月16日
今日は同年代の女性ばかり3人でアンサンブルを楽しんだ。実は私たち、12月に、とある病院でクリスマスコンサートをやることになっているのだ。人様にお聞かせしてよいのかしらー・汗!でもお仲間の一人にメカがめっちゃ強い人がいて、録音したのにエフェクトつけてくれたら、案外キレイだった。やっぱり残響って、音楽をものすごくキレイに聞かせる効果があるのね。・・・音源をアップしようかな~と思ったけど、ブリーフケースのアドレスアップすることになるので、ちょっとヤバイかもと思い、やめることにした。ミクシィのほうに載せときますから、よかったら聴いてね。でも今日はもう疲れたから寝ます。明日以後、時間のあるときに・笑!
2009年11月15日
先月の今頃、私はけっこうヒマにしていたはずだ。いっぱい寝ていたし、いっぱい本も読んだ。そして「こんなのんびりした毎日が、私には合っているのよね」と、しみじみとリビングからベランダの花々を見やっていたと思う。あんな日々はどこへ?今はめちゃくちゃだ。13日(金)は、ミスユニバース世界大会でグランプリに輝いた方の取材で静岡へ。とてもいいお話が聞けた。なるほど、一番になる人は違うものだと心から思った。だいぶ前になるが、私は当時、日本で一番長寿の男性のインタビューをさせていただいたことがある。そのときも思ったものだ。「一番になる人は違う」と。人間が違う、考え方が違う、行動が違う、信念が違う、大きさが違う、愛の深さが違う。本当に素晴らしい。「素晴らしい」としか言いようがない。・・・取材を終えて帰り着いたのは午後11時。今日は都区内で夕方からアンサンブル。帰りは10時を回っていた。明日は熟女トリオの練習日。朝9時過ぎに家を出て、帰宅は午後8時ごろか?明後日は友達とランチ&しゃべりまくり大会をするため新宿へ行き、午後6時半からトーマス・マンをテーマにした講演会を聞くため、四谷へ行く。帰宅は10時にはなるだろう。明々後日(火曜日)は、朝から息子の定期健診。おまけにヴァイオリンのレッスンを入れていたのだった!水曜日までに提出しなければならない、「現時点で内容が把握できていない、糖尿病の講演会の内容のまとめ」を抱えているというのに!もちろん糖尿病の勉強から始めなくてはならない。新しい仕事が向こうからやってくるのは実に実に久しぶりのことだ。こんなに本格的な医療ものをやるのは、めったにない機会といえる。まことにありがたいが、まだ図書館から借りてきた糖尿病の本を読み始めたばかり。がんばれ、自分!この間におそらく、先日書いた原稿の先生のコメント取材、というのをしなくてはならず、もちろん取材のあと原稿も書かねばならない。火曜日のヴァイオリンのレッスンはちょっと無理そうだ。キャンセルせねば。三連休の初日は知人の結婚式に出席する。でも絶対に絶対に残り2日は、どこにも行かず、じっと家の中で過ごそう。今は、一ヶ月まえの静かな静かな毎日が恋しくて恋しくてたまらない。・・・でも10年前はいつもいつもこれくらい忙しかったんだよね・・・子供がまだ小学生だったから、さすがに連続帰りが遅くなることはなかったけども。ああ、あのころの体力があればねえーーー!
2009年11月14日
最近、どういうわけだか仕事が忙しく、タイミングが合わずになかなかいけなかったスイミングスクールに行ってきた。今日の目玉はクロール300メートルだった・・・汗!クロールが苦手な私なのでビビったが、意外や意外、長く泳げば泳ぐほど、呼吸のタイミングが合ってくる。最初の100メートルがいちばんきつくて、だんだんラクになってきて、最後の100メートルはすぃ~すぃ~っといけちゃう感じ。トーマス・マンを読み始めたら、ドイツ語がやりたくなったので、費用の関係でスイミングはいったん終わりにしようかなあー、と思っていたのだが、やはり体を動かす快感は捨てがたい。それに、泳ぐことで、本当に「水に流せる」のだ、さまざまな煩悩を。「私って孤独かも」「私ってダメ人間かも」「私って、結局、本当の愛を知らないかも」・・・んなもん、どーでもいいじゃんっ! と思えるのである。泳いでスカっとすると。仕事をがんばって、スイミングもドイツ語もやろう。もちろん、ヴァイオリンは続ける。ああ、早くドイツ語やりたいなあーーテーブルは椅子はノートは犬は、ドイツ語ではなんていうんだろう。「いいお天気」は??・・・これまでただの一度も外国語に興味を持ったことのない私だが、ドイツ語は少しでいいから読み書き・話ができるようになりたい。そしてゆくゆくはトーマス・マンを原書で読むのだ。・・・日本語でも難しいので、無謀とも思える野望だけれども・汗!ドイツ語ができたら、ドイツに旅行したときに楽しいに違いない。それにこれから子供の手が離れていく一方の私である。夏に語学やヴァイオリンを習うのに、短期留学するという楽しみもできるじゃないのーー♪やるわよ!私は♪
2009年11月11日
2004年にこの日記を開設して以来、時として場所を変えてはひたすら書き続けてきた。私は寂しがりやなので、自分のことをだれかにわかってほしい、という一心だったのだと思う。しかし今になってわからなくなった。もしかしたら、私は大きな勘違いをしていただけなのかも知れない。もしかしたら、私は夥しい数の言葉を濫費してきただけなのかも知れない。私が書き続けてきたことは、大いなる無駄だったのかも知れない。そんなふうにも思うのだ。そしてまた、今はたった一人になるべきときなのかも知れないとも思う。私は(一応)文章のプロである。私の書く文章は、おそらくよどみなく読みやすい。だから大勢の人に読まれたし、大勢の人からコメントをもらった。そこで私は勘違いをしたのだ。自分は一人ではないのだ、と。たった一人の自分を認めるのは勇気がいる。とくに私は寂しがりやなので、半ば呆然とした気持ちになる。なんだ、結局、何をやっても私は一人だったではないか、と。しかしそれを認めないことには、先に進めないようにも思う。ちょうど、今年の6月、これまでのヴァイオリンの弾き方をすべて捨てて、一からやり直すことにしたように、だ。そうだ。今は一人になるべきときなのだ。一人になって、寂しい・寂しいと思いながら、自分の中のものを熟成させるべきときに来ているのだ、私は。
2009年11月11日
今日は2週間に一度の頻度で行っている、ヴァイオリンのレッスンだった。6月下旬から、新しい先生について、一からやり直している。教則本は、子供が使う篠崎教本1巻である。周りの人からは「あそこまで進んでいたのに、よくもどる決意ができたわね」と言われるが、もうどうにもこうにもならないどん詰まりまで来ていたので、心置きなくもどることができた。先へ先へと急いでばかりいた私だが、急ぐあまりにとりこぼしが多く、ついには行き詰ったのだった。思えば仕事に関しても同じことなのかもしれない。私はいつも焦っていた。お金を稼がなくてはとも思っていたし、単独著書を何がなんでも出さねばとも思っていた。名を知られるようになり、売れっ子にならなくては、とも思った。そうすることが私の存在理由のように思えていたのだ。ある意味、野心があったのだろう。今はもう、そのどれもなくなった。いや、正直に言うと「お金稼がなくちゃ」はまだある・・・かも・笑!ヴァイオリンのレッスンとスイミングのお月謝があるし。それにやっぱりたまには新しい服もほしい。今後は海外旅行をしたいとも思う。ちょうどドイツ文学に目覚めつつあり(というか、トーマス・マンが好き、っていうだけだけど)、ドイツの歴史にも興味が出てきたところだ。私のヴァイオリンもヴィオラもドイツ生まれなので、彼らの故郷もこの眼で見てやろうじゃないの。あわよくばドイツ語なんかも習ってみたい。・・・結局、少なからぬお小遣いが必要なわけね。この先、どれくらい生きられるかわからないんだから、もうこれからあとは、自分を喜ばせるようなことだけしたいと思う。偏屈で偏狭で、友達少ないし、変な性格してる私だけど、私自身が認めて愛してあげないとかわいそうだと、最近、思うようになった。いろんなことが私の中でも、私の外でも変わっていく。
2009年11月09日
占いが好きだ。合理主義的な人にはバカにされそうだけど、ほんのちょっとではあるが、神秘的なものに惹かれる気持ちがあるのだ。そして、私は自分のことを知りたい。自分には把握できない自分を、だれかに教えてもらいたい。それには占い、でしょう。今年の春から夏にかけて、私はドツボであった。春に親しかった友人が亡くなり、勇んで立ち上げたアンサンブルの運営に四苦八苦した。仕事も先行きまったく不透明だった。カードリーディングをするTさんと知り合ったのはそのさなかのことだった。・・・占いは好きだけど、ほとんどの場合、自分に都合のいいことしか覚えていない。が、Tさんの言葉は、自分にとって耳に痛いことであっても、心に残った。それだけ気持ちが弱っていたというのもあると思うが。●過ぎた自己犠牲は禁物。自分に心地よいと思える方向で活動を。●仕事運はいいのに、あれこれ関心が拡散してしまう点に問題がある。ひとつに絞ること。●今は、発想を転換して、本来の自分にもどるべきとき。これらの言葉が、その後、私の指針となったことは間違いがない。どうしてもやり通さなくては!と思っていたアンサンブルを休会し、仕事ほしさにあちこちにコンタクトをとるのはやめて、来たものだけで満足するようにし、「何が何でも人とつながっていなくてはいけない」という考え方をやめ、孤独な自分を認めるようにした。毎週毎週、どこかでだれかとヴァイオリンを弾き、がつがつと営業活動をし、せっせと日記を書いて「私はここにいるよ!」とアピールするのをやめるのは、自分が自分でなくなるみたいだった。が、今になってみて思う。「孤独な自分を認めるのって、けっこう快適かも」Tさんに感謝!
2009年11月09日
なんだかいろいろあって、日記を書くことに疲れてしまっていた。が、やはり書きたいのだ。しかしわずらわしい。コメントがつかないと「ウケてないのかしら・・・」と悲しくなる自分がウザいのだ。で、思った。「だったら、最初からコメントつかない設定にすればいいじゃん!」と。コメント欄のない日記も悲しいが、コメント欄があるのにつかない悲しみが、私には上回り、さらに「日記を書きたいのに、コメントつかないかも、って思うと書く気が失せてしまう悲しみ」がさらに上回る。なので、コメント欄は閉鎖した日記が、今のところベストということになる。あらー、久しぶりにすらすらと気持ちよく書けるじゃないのよぉーーー♪・・・最近、世界の名作シリーズにハマっている。トルストイの『戦争と平和』のあと、トーマス・マンの『魔の山』を読んだら、これがめっちゃ好みに合って、最後の一行を読み終えたあと、しばらくページを閉じることができないほどの感銘を受けた。・・・眠くなった・・・とりあえず寝よう・・・・
2009年11月08日
はあ~、意外に根性ないですね~、私。フリーランサーで、日ごろ人間関係のストレスがないために、とってもとっても弱いんです。何がって?立ち上げたアンサンブルのことですよ。あっちを立てればこっちが立たず。何しろ演奏レベルに差がある人たちを集めてしまったので、全員が納得するってのが非常に難しい・・・・でも、もしかしたら私自身、みんなからよく思われたいという根性なしなのかもしれません。主宰者である私が、がっつりと方針を打ち出し、それに納得してくれる人だけが残ればいい、というふうに考えるべきなのかも。・・・そもそも主宰者が楽しめなかったら、みんなが楽しくなるはずないよねえ~~。あああ~~、ホントに人を束ねていくのは大変だ~~~!!!ひっそりカルテットだけをやるべきだったかも。でもでも、いろんな人を巻き込んで、すでに走り出しているのですから、ここで下りるわけにはいきません・・・
2009年05月12日
昨日の日記にいただいたMさんの日記にとってもとっても納得してしまいました。確かにそうです。ゆるゆる生きるのは、本人は楽ですが、下手したら不幸の元かもしれません。私の母・スマコも、姑が生きていた間はシャンとしていましたが、亡くなったとたんにタガがはずれたみたいにゆるゆるになってしまい、それが原因で病気を悪化させたのですから。2007年1月8日に心臓の発作で入院し、以後、ずっと入院しっぱなし。もう二度と自宅での生活はできない体となりました。やっぱり凡人は楽なんかしてはいけないのかも。では、私にとって試練とは??私の場合、仕事は趣味みたいに楽しいので、試練とはいえません。ここだけの話、自分が声かけをして始めたアンサンブルが、けっこう試練かも。これまで経営者の心のうちなど、一度も考えたことがないのですが、今は0・1%くらいはわかる気がします。メンバーの気持ちがどこに向いているのか、とっても気になるんですよね。気持ちがあちこちに行く人を警戒してしまいます。そして気がつくとチェックしてたりするんですよね~!あの人とこの人はどうだろう?みたいに。まあやはり、上からの引き立てがあると張り切りますね~(この場合、アンサンブルの指導の先生ってことですが)ざっくり言うと、重要なパートを任されれば張り切り、そうでないと意欲はそがれる、と。楽器の技能次第ってことですから、はっきりしているようでもあり、紙一重の差のようでもあり・・・・どうなることやら。
2009年05月09日
40代の終わりごろまで超・元気だった私ですが、さすがに50歳を過ぎたらそうもいかなくなってきました。イケイケドンドンの時期は過ぎてしまったのかも。あとはたっぷりと身につけた世俗の垢を、落とし続けて無に向かっていくのかもしれません。スイミングを始めてから、人は体ひとつでこんなにも幸せな気持ちになれるのだ、という思いが非常に強いです。また友人の死につながってしまって恐縮ですが、プールで泳いでいると、あまりの気持ちよさに「骨になったら、こんなの味わえないし」と本気で考えてしまいます。自分自身の外側からひたひたと水=命の根源、が押し寄せてきて、自分の内側に入っていくような感覚です。そして私の体が、うれしい♪うれしい♪と喜ぶんです。私の体は、太古の昔、自分が海から生まれたたったひとつの細胞だったことを記憶しているのでしょう。私は根っから頭でっかちで、思春期以降、人生のほとんどを「頭で感じること」を重んじて生きてきましたが、最近は「体感すること」が中心になってきているのを感じます。このままゆるゆると自然と一体化していきたい・・・そんなふうに思います。
2009年05月08日
自分が、ま~、こういってはミもフタもないですが、いい年のおばちゃんになって「花」がなくなってきたせいか、最近、お花がかわいくてかわいくてたまりません♪チャーといえば、植物枯らすのが大の得意だったはずが、愛が芽生えたせいか、最近はよくもってくれます。春先まで切り花をよく買っていたのですが、最近は鉢植えばかり。だってだってだって、私の住んでいるところは思いっきり安いんですもん。田舎ですゆえ。とくに楽しいのが寄せ植えってやつですね。つくば市に、テレビチャンピオン・ガーデニング王のお店(ソーマオリジナルガーデン)があるのですが、そこの寄せ植えのセンスのよさったら~~~!!!たまんないです。そこで私もやるようになりました。最初に作ったのはこれ♪ラナンキュラスの朱色がとっても気に入ってました♪パンジーとグニユーカリ(っていうのかな?白いお花)はピンピンしてますよ。春先になると、よそのお宅にパンジーの寄せ植えが多く見られる理由が、自分で育ててみてやっとわかりました<遅い、ちゅ~ねん!連休中に土浦市内の大きなガーデニングショップに行き、いろいろ仕入れてきました。今日作ったのはこのふたつ♪いずれも渋めの色ですね~。
2009年05月08日
発表会が終わって1か月以上たつのに、友人の死のショックなどがあって、以後、一度もヴァイオリンのレッスンに行っていません。むやみにお花ばっかり買って、やっぱりどうかしてるかもー。昨日はヴァイオリンのお仲間とラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンという、有楽町で開催された音楽祭に行き、バロック音楽のコンサートを聴いてきました。ヴィヴァルディの「夏」を聴いていたら、中世のヨーロッパの修道院で、酷暑の中、体に鞭打つように農作業をする若き修道士の姿が浮かんできました。人間としての欲望と、神への強い信仰心の間で、引き裂かれる心の激しい痛み・・・それがあの曲にとても合っているように思われました。きっと若くして亡くなった修道士です。そして私の音楽は方向を見失いつつあります。
2009年05月06日
世の中には気の利く人、というのがいるものです。こっちがしてもらったらすごくうれしいことを、さりげなくしてくれるんですよね。最近、とってもうれしかったのは、桜にちなんだプレゼントをいただいたことかしら。ヴァイオリンの発表会のときに、贈り物上手なNさんというお友だちにいただきました。桜のすし酢です♪これを使って昨日、お寿司を作りました。それから誕生日のプレゼントとしていただいた桜の紅茶もね♪・・・この日記をまめに更新していた2004年~2006年は、私にとってつらいことがばたばたと起こった年でした。とにかく心のうちを書かずにはいられず、そのために穏やかならざる事態を招いたことも多々あります。それから3年、今の私はもう強い怒りも強い悲しみもこりごり、という心境に達しつつあります。とにかく疲れるんです~!年かしら?静かに紅茶でも飲みながら、ヴァイオリンやヴィオラの練習とか、ちょっとした草花いじりなぞをしながら、本でも読んで過ごしたいですね。あ、お金がないので仕事は必須ですが。
2009年05月04日
昨年、立て続けにスピリチュアル系の取材をする機会がありました。そのときに霊能者の先生に「占い師がぴったり。絶対に成功するから、今すぐにでも始めたほうがいい」と言われたことがあります。タロットの先生にも「近い将来にスピリチュアルや占い系の仕事をするようになる」と言われました。・・・・????・・・・半信半疑。私が占いに頼るのは、かならずといっていいほど、仕事に関して不安になったときでした。おまけに、自分にとって都合のいいことしか覚えていないので、あんまり占いに関しては思い入れがなく、自分が手を染めるっていうことは考えたことがないんですよね。が、別のタロットの先生の取材のときに「タロットカードは、占い手である自分と、相談者である相手の潜在意識を映し出すもの」とお聞きして以来、以前とはちがった興味がわいてきました。そこで定評のあるタロットカードを入手し、とある先生のワンディ・レッスンも受けに行き、有名なタロットの辞典も購入して、夜な夜な占うようになったのですが・・・・・・・やりすぎて疲れるのね~、コレが。何しろ凝り性なもんですから。それにタロットカード占いをすると、自分の中の何かが抜けていくみたいに感じるの。生気を吸い取られる、っていうのかしら?そんなこんな、しばらくほったらかしていたのですが、今日、占い好きな下の妹に簡単なリーディング法を教えてもらい、いろいろ占ってみました。まずは、最近の私の懸案である、室内アンサンブルの運営と仕事に関してね。いや~、なんかすごくいい結果でしたよ!室内アンサンブルのほうは、【動くためのヒント】自分のやっていることに意味があると信じること【金銭面】お金にはつながらない(そりゃそ~だ)【環境面】スムーズに流れに乗る・将来的にいい結果を生む(ボランティア演奏を通じて、多くの人に楽しさを届けたいです)【自分の気持ち】がんばりたい・やる気満々(念願かなっていい人集めて立ち上げたから、がんばらねば!)【現実】リーダーシップを発揮する・求めていたことに対し、たいへん有益な人物が現れる(ものすごくヴァイオリンがうまく、しかも人柄もよく、面倒見のいい人がはいってくれました♪)うれしいじゃん!そして仕事のほうは【動くためのヒント】不安にならないこと・思慮ある行動をすること【金銭面】思っていたよりいい結果が得られる【環境面】いいチャンスが回ってくる【自分の気持ち】困難を乗り越えたこと実感しており、気分がいい。おおいにやる気あり【現実】過去にぶつかった壁が消滅し、チャンス到来いいじゃん♪
2009年05月03日
ものすご~く久しぶりなんですが、私のブログ生活の始まりが、この楽天日記なので、なつかしさ満載です♪さてさて、3年間近いブランクの間、私はどっぷりとヴァイオリンにハマっておりました。今、週末のうち1日はかならずといっていいほど、ヴァイオリン関係のイベントに参加しています。月2回が弦楽中心のアンサンブルの練習(になる予定<この5月から)、1回がカルテットまたはクインテットの練習、残る1回が毎月行われているミニ発表会形式のオフ会です。思えば2004年11月、映画『北京ヴァイオリン』を見て、ヴァイオリンを再開したのがすべての始まりでした。そのことも全部この日記に書かれていますね・・・<遠い目・・そいでもって昨年9月からスイミングを始めたことは、前々回の日記に書きましたねえ。今、バタフライの練習中です。難しいね・・・・はっきり言って。背泳ぎ、クロール、平泳ぎとスムーズに進んできたんですが、バタフライはちょっとかかるかも。スイミングを始めてからというもの、「人間、体ひとつでこんなに楽しめる」ってことに気がつき、お洋服を買わなくなりました毎日ほとんどスッピンで、ショッピングセンターで買った安物のスキニージーンズが定番。みんなに「いきなりカジュアルになるとは!」と驚かれています。でも快適ですよ、私自身は。もっともっといろんなものを捨てて(心理的に)、身軽になりたいなあ~~♪チャーちゃんはいい子にしてます。いつも無邪気でかわいいの
2009年05月01日
前回の日記から、またまた長い月日がたってしまいました。以前、よくこの日記に登場していた、編集者の小柴さんが念願かなって一人目のお子さんを出産された52日後に、不慮の事故により亡くなりました。あんなにキラキラした女性だったのに、あんなに男の子を育てたがっていたのに、本当に残念です。今、私は自分がとても仕事好きだということを実感しています。ブログだろうがゴーストライターの仕事だろうが、とにかく文章を書くのが大好きなんですね。生きて、好きなことができる私はとても幸せです。12年の長きにわたってお世話になった小柴さんの分も、「仕事大好き♪」って思いながら生きていきたいと思ってます。まずは2009年5月1日の決意でした♪
2009年05月01日
長らく留守にいたしました。みなさま、お変わりなくお過ごしですか?私はとっても変わったような気がします。まずですね~、今、スイミングに夢中です。ミーハーなので、北京オリンピックの北島康介選手はじめ、日本人選手の活躍を見て「かっこいい~~♪」と思ってしまったのですね。で、9月にスクールに通い始めた次第。初日に「できるはずない」と思っていた背面浮きができて、感激しました。それからは週1回のスクールのほか、「自主練」と称して、週1~3回のペースで地元の室内プールで泳いでいます。肩こりも背中のこりも解消するので、サイコーですよ♪それになんていうんでしょう、自分の中の「何か」が目覚める気がするのです。太古の記憶・・・なのかもしれません。「水から生まれでた、たったひとつの細胞にもどりたがっている」のを感じるのです。生物としての太古の記憶の前には、個人としての私の悲しみや悩み事など(ってか、そんなのないけどさ)、輪郭がぼやけてどうでもよくなってしまうのですねえ。・・・これからはそんなこんな、最近感じていることなどをつらつら綴っていきたいと思っています。出もどりの私ですが、どうぞよろしくお願いします。
2008年11月05日
↑こよなく愛するダロワイヨのマカロン♪一昨日、日記友達のらんでぃさんにお会いしました♪らんでぃさんは私より10歳以上年下。ご実家が私の家から比較的近く、声楽をお仕事にしています。いや~、きれい・かわいい♪私があのくらいの年のときは、あんなではなかった気がする・・・泣!実は私、その日は午前中に池袋・東武デパートのヴィヴィアン・タムでトップスを買う予定でした。そう、最近の私はまたしてもお洋服ばかり買っているのです。しばらく我慢してたからね~←言い訳が、予定していたお品が売り切れ!で「午後に銀座に行く予定があるから、どこかにおいてないかしら?」ってことで探してもらい、らんでぃさんと待ち合わせた銀座・三越にあるショップで受け取ることにしました。らんでぃさんに初対面のご挨拶もそこそこ「あのねえ、上のヴィヴィアン・タムで洋服受け取っていい?」とか聞いて、ついでに試着したところまで見てもらったりしてさ・爆!いきなりなれなれしいチャーである・・・らんでぃさんとは春、桜の季節に神楽坂のフレンチのお店でランチしましょ、ってことになってたんだけど、お互いの都合で流れてしまっておりました。それが急遽「会いましょう!」という話になったのは、マカロンが好きということがわかったから・爆!マカロン食べられるところでお茶しましょう!ってわけでダロワイヨの路面店に行くことになっておりました。ところが、行ってみたら「今日から改装工事に入りました」という無情なお言葉。力尽きました・・・orzが、気を取り直して、その2回にあるクラブ・ニュクスというとっても雰囲気のいいお店で、そば粉のクレープ(チーズと生ハムと野菜入り)を食べつつ、ものすごい勢いでしゃべりまくりました。楽しかった~~~!!!!なんで女同士というのは、あんなにも話すことがあるのでしょうか・爆!そういえば私、最近、男性とあんまりお話してません。ヒロキと夫を「男性」とカウントすれば、話は別ですが・汗!いいのよ、来週は若い男子二人に大きな顔してご馳走する予定があるんだも~~ん♪そのときに若いエキスってやつを存分に吸わせていただこうではないか!・・・というのはまあさておいて、とにかくらんでぃさんとしゃべりまくったあと、プランタンの中の派手系のお店でお洋服など見たりしたのでした。日ごろ舞台に立つことの多いらんでぃさんのドレス姿、今度はぜひ拝見したいものです。それにピアノと歌を聞かせてもらいた~~い!!!!らんでぃさん、ご実家にいらしているとき、お時間あったらぜひうかがわせてくださいませ~!私、ヴァイオリンもっていっちゃおうかな・あは♪うちにも遊びに来てね~♪またぜひお会いしましょう。そして声がかれるほどおしゃべりしましょうね~~♪マカロンも食べに行きましょうね~~♪
2006年08月09日
↑さよなら、北海道! また会う日までチャーです、こんばんは。今月1日から実に5日間、ヴァイオリンの練習をさぼっちゃいました。弾きたい気持ちはあったのですが、従妹の家に遊びに行ってたりしてなんとなく落ち着かなかったのです。1日に弾いたのは「アヴェ・マリア」(シューベルトのほう)お墓参りのあと、妹の家に行き、彼女のピアノ伴奏で演奏しました。実は今、以前使っていたヴァイオリンが、妹の家にあるのです。いいもんですねえ~!ヴァイオリンがいろんな場所にあるというのは・笑!私が上がりこむ家といえば、母の家と妹の家だけ。母の家にはピアノがないので、置いておく必要はありませんが、妹・ぢゅんこはピアノを弾くので、彼女のところにヴァイオリンを常備しておくというのは大正解です。それにしても「アヴェ・マリア」なんと美しい曲なのでしょう。私は頭の中身があんまり高尚でないので、こういうわかりやすく美しい曲が大好きです。おりしも父の命日です。父はじめ、亡き人をひとりひとり思い浮かべながら弾きました。どうか天上のみなさんの魂が安らかでありますように。来世が幸福なものでありますようにと祈りつつ。私が「アヴェ・マリア」を初めて聴いたのは、昭和38年11月のこと。生まれ故郷・釧路を離れ、東京都渋谷区に転居してすぐのことだったと思います。社宅の前のアパートにヴェトナム人の家族が住んでいて、当時小学校中学年くらいだった姉が、幼い弟や妹の子守をしているときに歌っているのを聴いたのでした。東京の晩秋の夕暮れ時に、異国の少女の歌声は、やわらかな響きをもって、空いっぱいに広がっていきました。そのとき、私は何を思ったのでしょう。今となっては思い出せません。でも確かに「感動」という感情を抱いたのだと思います。今でも目に浮かぶようです。昭和38年、晩秋。東京の社宅3階の自宅から、ヴェトナム人の子どもたちが遊ぶ姿を見ている私。年かさの少女が、芝居がかった声としぐさで歌い始めると、きょうだいたちは高らかな笑い声を上げました。彼女らは、今頃、どこでどうしているのかしら。今でも「アヴェ・マリア」を歌うことはあるのでしょうか。ジャズもJ-popも、古くはフォークソングもシャンソンもロシア民謡もロックも聴けばいいなと思います。基本的に音楽は好きなので。でもやはり私にはクラシックがいちばんしっくりくるような気がします。最初に感動したのがシューベルトの「アヴェ・マリア」だったから。「アヴェ・マリア」は私にとって、音楽の原点なのかもしれません。いえ、きっと原点なのでしょう。ヴァイオリンは私にとって、心を投影しやすい楽器です。でも最近、歌もやってみたい気がします。合唱ではなく声楽です。「アヴェ・マリア」を美しく歌ってみたいのです。体にもよさそうですよねえ、声楽は。
2006年08月07日
↑ブラウスとスカート買ったよ♪こうして写真にすると、なんかぱっとしないね。私は白が似合いません。ジャケット着るとモロに「白衣」みたくなっちゃう。マットな白は全然だめです。私が白を着るとしたら●襟あきが広い●透明感がある、織り地が変わっているなど、なんらかの素材的特長があることといった条件が必要みたいです。でもさあ~、やっぱり着てみたくなるのよねえ。そこで今年の夏は「フリフリで透明感のある素材のブラウス」を探すことにしました。見つかったのが↑コレ。スカートは、バーゲン始まったときにお店で見て「かわいい♪」って思っていたもの。色は黒に見えますが、濃いカーキです。光沢があって、シャリシャリした手触りの素材。ハリのある記事をたっぷりつかったギャザースカートなのではくとふんわり広がります。フリルのブラウスにふんわりスカート♪これはいつの時代も「(年食ったのも含めて・汗!)女の子の憧れ」ですわね・ほほほ♪バーゲン開始からすでに1ヶ月。「残ってるわけないよなあ」と思っていたのですが、お店に行ってみたら残ってたの~~~!!!もう二度と洋服は買わないと決意した私のはずですが、誘惑に負けてゲットしてしまいました。・・・今、悩んでるのが、髪型をどうすべきかということ。頭の形が悪く、ハチが開いているので、やはりパーマヘアは難しいですね。今は、段が入ってパーマがかかっているので「爆発したみたい」です。すそのワンカール分だけ残して、あとは矯正パーマを、根元から3センチ離れたところくらいからかけちゃおうかなあ~。あの矯正パーマのさらさらつやつや感って、いいものだからねえ。
2006年08月06日
一昨日、従妹の石山美恵子の家に、彼女の母にして私の叔母(先日、一緒に北海道に行きました)と泊まりました。身内の女が三人寄れば、話に花が咲きまくりです。話題は親きょうだい・親族、友達関係、本、趣味その他もろもろ・・・美恵子が母親の話を聞いていて、面白いことを言い出しました。「ママって、どうしてそうやって人の話になるとすぐに 『年収は●●くらいだわね』って言うの?」叔母の弁解は「私は証券会社に勤めてたからよ。 お客さんと話するとき、まず年収を把握するのが仕事の第一歩だからね。 人を見ると、年収がいくらくらいなのか、想像するのが習い性になってるの」なるほどね。この叔母、ずけずけものを聞きます。私もしょっちゅう夫と自分の年収を聞かれます。別になれてしまっているので、どうということもありませんが。叔母の特徴は「年収がいくらか」から入る、というだけで、年収がいくらだから、この人にはこう接する、というところはまったくありません。で、考えてみました。人はそれぞれ、人を見るときの「自分なりの切り口」があるのですね。私の場合は何かしら?まず、無意識のうちに、どういう生活をしているのか、想像してしまいます。生活、というよりライフスタイルかな。女性、それも同年代の女性に関していえば、●お母さん・主婦業中心(つか、ほぼオンリー)なのか●仕事をしているとしたら、その人の中でどの程度の位置を占めているのか●人付き合いに関する認識はどのようなものか●警戒心が強いか・そうでないか、人に心を開ける人か否か●遊び心を持つゆとりのある人なのかたぶん、これくらいのことを、初対面で感じ取っていると思います。さらに●どのような家庭環境で育ち、それが価値観にどう影響しているかということも非常に興味深いです。その上で●愛情の対象が家族だけなのか、それ以外の人にまで向けられるのかなんてことも考えたりします。でもおそらく、いちばん目が向くのは●優しさやゆとり、愛情があって、心が満ち足りているかどうかということのような気がします。電車で居合わせた人を、↑こういう目で見ているととても面白いのです。中年の女性は、キンキラ飾っていても、ちっともきれいに見えないことが多いものですが、それは「顔つきが意地悪そうだから」こう書くと、私が心だけを見るとってもいい人、みたいですが、もちろん外見にも目がいきます。つか、私の場合、かなり見ているかもしれません。とくに都会に住む女性の場合、生活レベルと身につけているものははっきりと比例してますからね。おまけにインテリアに関心があるので、どんな家でどんなインテリアで暮らしているかまで考えちゃいます。自分が「趣味のいい生活」にとても憧れているからです。そう、アタシは「趣味のいい生活」が好き。家の中でもこじゃれた服着て、いい家具に囲まれ、ビーズ刺繍入りのバブーシュカなんかはいて、趣味のいい器でティータイムしたいです。芸術的なものに触れていたい、ってのもありますね。どれもそうくわしくはありませんが、芸術的感動というのは、私の中ではけっこうな位置を占めています。が、不思議なことに、趣味のいい生活をしている人とでないとつきあえない、というふうにはまったく考えたことがありません。人を見るときの切り口と、実際に付き合いたい人との間にはほとんど関連性がないのです。私はお金のある状況が好きだし(だれでもか?笑!)、知的な好奇心を持っていたいと思うし、趣味のいい生活にあこがれるけど、その条件を持った人と、できるだけつきあいたいか?というと全然そんなふうには思いません。おしゃれでなくても、インテリアの趣味がなくても、芸術の話が共有できなくても、気の合う人とは気が合いますからね。つまり私は、この人、いい暮らししてるんだな、家の中をきれいにしているんだろうな、とか下世話な好奇心を働かせつつ、実際につきあいたいのは●優しさと愛があり、心が満ち足りるということを知っている人なのだと思います。その他「切り口」は単なる切り口にすぎなくて。これが人によっては「お金がない人とは付き合えない」だったり「高度に洗練された趣味を持っていない人とは話が合わない」だったり「知的な好奇心のない人間なんかつきあう意味ない」だったり「きちんとした生活してない人はだらしなくていや」だったりするのでしょうね。私はけっこう誰とでもほいほいつきあってしまいますが、唯一、「人のことを見下したがる人」とだけはつきあいたくないです。勝手にエラソーにしてろ!崇拝してくれる人のところへ行け!って思っちゃいますわ・汗!
2006年08月05日
昨日は小論文のお仕事の受け渡しに行きました。場所は日暮里から千駄木に変わったので、私にはちと遠くなりました。駅から歩いて5分だったのが10分になったしさあ~!というわけで、あんまり面白くない気分だったのですが、歩き始めてびっくり~~!!すんごく・すんごくいいところではないですか!会社に行くまでの間、たくさんのお寺さんの前を通りすぎました。若いころは何とも思わなかったけど、今、この年になると神社・仏閣ってのはかなり心惹かれる場所ですね。なんていうの?いい「気」が漂っている、というのかしらん?とくに私は北海道という新しい土地の出身なので、これだけ古いお寺さんがある、ということそのものが新鮮です。東京というのは新しいものと古いものが混在していて、飽きませんね。そして私は古くからあって、昔と変わらない町並みを持つ町に深い陰影があるのを感じます。添削済み答案を納品し、あらたなものを受け取って通りに出たら熱風が吹いていて、どうにも駅に向かって10分の道のりを歩く気になれません。そこで目の前のバスストップに停まった御茶ノ水行きのバスに乗りました。さすが都バスはお年寄りが多いですね。最近の私はけっこうお年寄りが好き。父亡きあとは、お年寄りを見るともなくも見てしまいます。心の中で、元気でいてくださいね、なんて思ったりして。途中から、酸素バッグを持った男性のお年寄りが乗ってきました。その方よりもいくらかお若い男性が席を譲るのを見て、心が和んだりして。酸素を吸うお年寄りの横に男子高校生と思しき、若い男の子が二人立ちました。どちらが話しかけたのか、にこやかに談笑して異世代交流なんかしています。いい感じ。なんだかうれしいな。「大学に入るときに北海道から出てきてね・・・」なんて老紳士が話す声が聞こえます。北海道!!!私も話に加えてよ~~!と思わず言いたくなりました。まもなくバスは御茶ノ水に到着。強い日差しの中を、酸素バッグを転がして、老紳士が歩いて行きます。男子高校生たちも別方向へ向かいました。もうきっと二度と会うこともない人たち。でもなんだか、バスに乗るたびに思い出してしまいそうです。・・・新御茶ノ水から地下鉄に乗って、川崎に住む従妹の家へ向かいました。お泊りの予定だったのです。お土産は午前中に三越本店で買った、クラブハリエのバウムクーヘンです。↑サマーパッケージに入ったバウムクーヘンこのパッケージの色使いがなんとも言えずすてきでしょ?従妹の家には今、弟のムスメ・小崎詩織・小学校2年生が遊びに行っています。この詩織、母親譲りで絵と工作が大の得意♪とくに色使いのセンスが抜群なのです。このパッケージを見せたらきっと喜ぶぞ~!それに従妹の石山美恵子もこのバウムクーヘン好きだしさ~!彼女の母親の小崎光子も喜ぶぞ~!と思ってお土産にしたのですが、大正解でした~!おいしくってほっぺたおちそう!北海道の親類縁者たちに食べさせてあげたい~!
2006年08月04日
チャーです、こんにちは。昨日は父の祥月命日だったので、母&妹のぢゅんこと3人でお墓参りに行きました。が、いつもマイペースな母・スマコ、昨日の朝、電話したら「今日、お墓参りに行くの?」とかわけわかんないこと言うのです。あたりまえじゃ~~ん!!祥月命日に墓参りしないでど~すんだっ!!要するに「想像してた以上に寒かったから、あんまり気が進まなかった」らしいです・・・・夫の命日だよ!でもこういう暢気な人が生き残ってくれたから、アタシらムスメたちは気楽なのかもね。もっとも父のほうが生き残ったとしても、けっこう楽しく一人暮らしを満喫していたような気もしますが。ま、そんなわけで行ってきました、お墓参り。父のお墓は、日本一大きな大仏さまがいる霊園にあります。新しい霊園なので、とってもきれい。↑銀杏の木のトンネル♪こんなきれいな並木道があります。緑っていいですねえ。心が癒されます。私は昭和42年~48年まで、6年間、札幌の藻岩山、という山を目の前にして暮らしていました。札幌に引っ越した当初、小学校3年生の遊びたい盛りだったので絶好のロケーションでしたね。毎日、それこそ「野山を駆けずり回って」遊びほうけたものです。ホント~~に、幸せでした~!亡き父・正幸が、夕食時に「たくさん遊んだのか? こんなにパンツまっくろにして」と言って、でれでれしてましたね・笑!つか、なんで着替えさせなかったんだ?母・スマコ!・爆!!ま、そんなこんな、少女時代に、ふんだんな緑に触れていたせいか、今でも山とか野原とかすごく好き♪ちなみに家のインテリア(ってほどでもないけどさ・汗!)も緑と茶色=自然の色、でまとめています。↑お墓参りには派手バッグ父は私が派手派手な格好をすると喜んだので(爆!)、昨日も派手バッグを持っていきました。先日、佐野のアウトレットで、5万円→9450円になってるのを買ったのです。ターコイズはダイエットにいいんだってさ!キンキラは金運アップに効くそうですし。だからこのバッグを持ってると「やせて、お金が入ってくる」ハズ(爆!)
2006年08月02日
↑釧路市・春採湖今日は父・立野正幸の命日である。父・正幸は3年前の今日、腎細胞ガンにより74歳の生涯を閉じた。私と父はメンタリティの点で非常に近いものを持っていたと思う。私はよく、人によって態度を変えることがない、と言われるがこれは父譲りと言えるだろう。相手が大学病院の医者だろうが、露天で野菜を売っているおじさんだろうが、態度をまったく変えることのない父、胸を張って言うべきことをきちんと言う父が、私には自慢であった。父はごく若いときから、両親や一族の生活を担う立場にあった。立場的には三男であったが(戸籍上は四男)、長兄が事情があって家を離れ、次兄は婿入りしていたためである。父とともに一族を支えたのは、父の弟であり、私の叔父にあたる昭であった。昭とは二歳しか年が離れておらず、小さいころ、ふたりの父(私の祖父)孫次郎が酔狂にも放浪の旅に出ていた間、母(私の祖母)ナカと三人で親戚の家に預けられた経緯などから、とくに密着して育ったようだ。三人の寄生先は浦幌という町にあったという。2004年2月、釧路から根室本線で札幌に向かうつもりだった私は、列車の時刻を間違えて、特急ではなく急行に乗った。しかしこれは失敗ではなく成功であった。思いもかけず、浦幌駅で7分間の列車通過待ち合わせがあったからだ。「うらほろ~・うらほろ~」というアナウンスを聞いた私はばね仕掛けの人形のように飛び上がった。父と昭叔父、それに祖母・ナカが降り立った駅ではないか!殺風景な駅であった。周囲には雪原以外の何も見えない。しかし、私にとっては抱きしめたいような光景だった。池田小町と言われるほど美しかった祖母と、4歳の父と2歳の叔父・・・・幼い兄弟は無邪気にはしゃいだことであろう。祖母・ナカは、酔狂な夫のためにずいぶんとお金の苦労をしたようだ。ナカは口が悪く、しょっちゅう誰かの憎まれ口をたたいている人であったが、自分にもっとも苦労をさせた祖父の悪口を言うのは一度も聞いたことがない。年を取ってから、よくお茶飲み話に、貧乏時代のことを面白おかしく語って聞かせたそうだから、おそらく大して苦にしてもいなかったのであろう。妙に肝っ玉のすわったところのある若く美しい母に手を引かれた小さな男の子ふたり・・・すでに三人とも鬼籍に入ってしまったが、確かにそんな時代もあったのだ。病床で、苦しい息の下、父は語り続けた。昭はかわいい弟だったのだ、と。自分は我が強くて生意気な子供だったが、昭は目がぱっちりして性格も素直だった、いつもにいさん・にいさんと自分のあとを追いかけてきて、それはそれはかわいかったのだ、と。父親が和菓子の行商の合間に、山からとってくるコクワの実を二人で分け合って食べた、それはとろけるように甘くて、とてもおいしかった、俺は本当に身内の愛には恵まれたなあ、と病床の父は語ったのだった。・・・今年6月、釧路で、私は昭叔父さんの娘・郁ちゃんに会った。昭叔父さんは昨年10月22日、交通事故で亡くなった。父と昭叔父さんは、父が一時帰宅していた2003年6月末日、電話で話したそうだ。父はガン末期、昭叔父さんは脳梗塞の発作のあとであった。老いた兄弟は、電話で泣きながら語り合ったのだという。父は我慢強い人であった。その我慢強い父に、ともに泣ける兄弟がいてくれたことを心からうれしく思う。郁ちゃんに、父が生前、昭叔父さんについてどう語っていたかを話した。父が叔父さんを高く評価していたように、叔父さんも父のことを「頭がよくて何でもできる自慢の兄さんだった」といつもほめていたのだという。コクワの実を分け合って食べた話をしたら、郁ちゃんが「これでやっとわかった」という。昭叔父さんは庭にコクワの木を植えて、いつも気にかけていたのだそうだ。コクワが大きくならない、コクワの実はいつつくのだろうか、と。コクワは貧しくとも愛に包まれた幼少期の象徴であったのだろう。たとえ釧路と関東地方、住む場所は遠く離れても、昭叔父さんが老いて病んだ私の父と、共通した幸福な記憶を持ち、同じように心の中で大切にしてくれていたことを、私は心からうれしく思う。ありがとう、昭叔父さん。今日はお父さんの命日です。仲良くコクワの実を食べてくださいね。私は二人に聞こえるように、出来る限り美しい音で、ヴァイオリンを奏でたいと思っています。去年の今日の日記
2006年08月01日
こんばんは~!チャーで~す♪北海道は食べ物がおいしいですよね。おみやげもしかり。私、思うんですが、北海道みやげの定番、六花亭のお菓子(一般的にはバターサンドが有名ですが、私は『カプチーノの霜だたみ』ってのが好きです♪)とロイズチョコレートほどおいしいおみやげって、ちょっとないのではないでしょうか(白い●●は、私はそれほど好きではありません)あ、すみません。よその地方にケチつけるつもりはないんです。単なる感想・汗!ですが、北海道生まれの私は一抹の寂しさも感じるですよ。だってさあ~、昭和33年生まれの私にとって北海道みやげといえばなんたってまりも羊羹でしたから~~!!!先日、母&妹のぢゅんこと、その話で盛り上がりました。「まったくねえ、昔は断然!まりも羊羹だったよねえ~~!!」って。まりも羊羹とはその名のとおり、まりもような丸い羊羹です。ゴムに包まれていて、そのゴムを楊枝でぷちっと突き刺し、やぶって中身を取り出して食します。つか「中身を取り出す」というより「中身が勝手に出てくる・飛び出してくる」といったほうが正確ですね。まあるいかわいいまりもちゃんに、意地悪くぷちっと突き刺すと、よくもやったなあ!!この・この・この!という勢いで、まりも形羊羹がぷるるん!とはじけ出てくるのですね。これが楽しくて、ついつい手が伸びてしまうのです。画像を載せたかったのですが、手元にないので、リンクでご勘弁を。親子まりも羊羹かわいいですよ~♪丸いものって、無条件にかわいい♪私は太った犬・太った猫・ピーターラビットシリーズなら、ぷくぷくしてポカンとノー天気にイチゴを食べる「田舎ねずみ・チミー」、および太りすぎてお客様をお招きするときのお洋服のボタンがはじけた「子猫のトム」が大好きです。・・・私の好みを映し出したのかムスコ・ヒロキが「ぷくぷくポカン」なのは、あんまりうれしくないけどさ・泣!!ところでまりもですが、私、実物を見たことがあります。昭和37年阿寒湖で。↑昭和37年・阿寒湖に旅行 母が着ているねんねこの背中にいるのは、妹・ぢゅんこ阿寒湖半に記念館だか博物館だかがありまして、私は大きいのから小さいのまで、さまざまなまりもを見たのでした。4歳の私は思いました。「この いちばん おおきいのは おとうさん。 つぎに おおきいのは おかあさん。 ちいさいのは よーこちゃん(「私」という一人称は使用せず) いちばん ちいさい あかちゃんまりもは ぢゅんちゃん♪」コドモって、なんでも自分および自分の家族に置き換えて考えるんですよねえ・・・笑!またまりも、見に行きたいなあ~~!!↑まりもを愛するあなたに贈る最強のサイト「マリモ・・・その愛・・・」 まりものことなら、これにお任せ♪
2006年07月31日
↑大きな木の下の叔母・小崎光子と私・・・場所は確か美瑛・・・(←地理音痴!)私は貯金が下手。つかあんまり強い興味を抱いたことがありません。一人ムスコ・ホッタヒロキの大学教育資金は、教育保険だけでは足りないことが明々白々でしたので、こつこつ貯金して作ってきましたが。「稼ぐに追いつく貧乏なし!」が私の座右の銘なので、私の思考・行動はお金ないなら、働けばいいじゃん ↓働いてお金が入ってくる ↓また働けばいいか~、と思って使ってしまう ↓お金が残らない ↓さらに働き続けるというパターンになってしまうのです。主婦向けの生活誌では、いつもやりくりと小銭貯金のノウハウが大人気ですね。いつぞや地方在住の主婦の方が「ディズニーランド貯金箱」なるものを披露していました。もう今から10年も前になりますか。まだデジカメなんかなくて、カメラといえばフィルムを使った時代ですよ。フィルムのケースは、500円玉が20個でいっぱい=1万円になるそうな。それを利用して、フィルムケース8個つなげ、前部に「ディズニーランド」という文字と、ディズニーのキャラクターを書いた紙を貼り付けて作ったのが「ディズニーランド貯金箱」です。これを作ってから、パパも喜んで協力してくれるのだそうです。貯金箱がいっぱいになれば、8万円の貯金ができるというわけ。「こりゃ、アタシにはできない芸当だわ」と思っていたのですが、実は私も最近、始めたですよ。「500円玉貯金」6月に釧路の親戚たちに会ったときに話題になりまして。伯母と従弟のお嫁さんのふたりがやっていて、バカにならないくらいけっこう貯まるというのです。旅行に向けて貯めるにはぴったりなんだって。釧路で温かく迎えてもらったのがうれしく、これは母と妹・ぢゅんこも連れてきてやらねば!と思ったのです。もう一人の妹・アキコは自分の収入がありますから、自分で出させましょう・笑!それ言うなら、母のほうが私よりお金持ってるんですが、長女としては、やはり「出してあげたい」つか「自分が出したお金で親を北海道に連れて行きたい」気持ちなのです。さらに私は思ったですよ。そうした性質のお金は、こつこつ貯めなくてはいけない、と。印税のような「あればラッキー♪」的なものではなく、もっと地道にこつこつ貯めたお金、にこだわりを感じたのです。・・・で500円玉貯金ですよ・爆!ロイズのチョコレートの缶が、私の貯金箱。買物して500円玉のお釣りをもらうと、すかさずお財布の中の別ポケットに入れ、帰宅後、貯金箱に「チャリ~ン♪」するようにしています。今、調べてみたら、6月30日からやり始めて、すでに1万500円貯まっていました♪・・・毎日、って思ってたけど、やっぱ忘れるんだわね~・汗!でもほら、楽しみに貯めてるわけだからね。先日、母と妹・ぢゅんこが来たときに「あなたたちを北海道に連れて行くために、アタシは努力 してるんだから~」と恩着せがましく見せてやりました・爆!でも二人とも喜んでたよ♪みなさんもやりません? 500円玉貯金。楽しいよ~~♪
2006年07月30日
こんちは!チャーです。私はとっても偏ったところのある人間です。性格も偏っていますが、知的な面でも偏りがあります。・・・地図および花の名前がどうしても覚えられないのですね・・・頭悪いとも言えるかもしれません。花の名前が覚えられないことにも閉口しますが、地図がさっぱりわからないのも困ったものです。この場合の地図とは「駅からどう行けば目的地に行き着くか」という「(比較的)近い距離を表す地図」ではありません。「国および都市」を表す、広範囲な面積を示した地図のことです。正確な測量に基づいた地図を見せられても、さっぱり覚えられない私ですから(具体的に言いますと、私が日本地図上できちんと点を打って示すことができる都市は、稚内と函館、青森くらいです。関東地方の位置関係はわかりますが、近畿地方になるとかなりあやしくなります)、奈良時代とか平安時代などの「遠隔地の統治に関する記述・長距離移動を伴った記述」に触れると、まず目がテンになります。私のように「地図の把握ができない」人間には、情報が発達していなかった時代、どうして都から遠く離れた地方を統治することが可能であったのか=中央集権国家が成立しえたのか、不思議で仕方ないのです。バカみたいなこと、言っていいですか?たとえば「国司」という役職がありましたが、この交代のときにみんながみんな、きちんと目的地にたどり着けたのでしょうか?・・・これから妹の家で夕食会なので、続きはまたあとでね♪・・・はい、続きです・・・笑!世にもまれに見る地理音痴な私、本日は夫とここ・茨城県南部で生まれた間宮林蔵の記念館に行ってきました。敷地内には林蔵の生家と記念館が建っています。林蔵・生家には感激しました~。私、古い民家、というのが大好きなのです。小学校低学年のころ、私は東京都・渋谷区に住んでいたのですが、校外学習で「明治時代の村長さんの家」の見学に行ったことがあります。私のところは、父の実家が北海道を転々と、母の実家は樺太からの引揚者一家ですから、先祖代々続く古い家、というのを見たことがありません。コドモだった私は、村長さんの家に強い興味を持ったのでした。・・・しかし、昔の人ってえらかったよねえ・・・寒がりの私には、板戸のすきまから風が入ってくるような生活、とても耐えられんわ。ま、そのような感想とは別に、やっぱ間宮海峡の発見、という偉業を成し遂げた人の生まれ育った家を見られた、というのは感激ですな。歴史のひとふしに生々しく触れることができた、みたいな感じでね。間宮林蔵は1780年(安永9年)、常陸国筑波郡上平柳村(現・茨城県つくばみらい市上平柳)に生まれました。生家は農家で、林蔵は両親が神様に願掛けしてようやくさずかった大事な大事な一人っ子でした。彼はコドモ時代、その才能の片鱗を見せるようになります。上平柳村では、毎年春になると、小貝川から農業用水を引くための堰止め工事が行われていました。ある年、水の量が多く、なかなか工事がはかどりませんでした。ところがそばで見ていた林蔵少年、工事をスムーズに終わらせる方法を思いつき、担当の役人に話して聞かせたではありませんか。この卓抜したアイディアで、工事は無事終了。林蔵少年の知恵に感心した役人は、見込みがあると考え、彼を江戸に連れて行き、修行させることにしました。のちの間宮林蔵の出発点ともいえるできごとでした。やがて従者として蝦夷に出た林蔵は、1800年(寛政12年)、伊能忠敬と運命的な出会いを果たし、彼から本格的な測量術を学びます。おりしも、ロシアが南下して日本に接近、鎖国が続いていた日本に通商を要求するなど、日本を取り巻く情勢が変化しつつありました。幕府はこれを警戒し、それまで様子がはっきりとわかっていなかった樺太の調査を進めるため、林蔵と松田伝十郎をかの地に派遣します。この第一次調査は、ラッカという地点よりも先に進むことができなかったため引き返す結果に終わりましたが、このとき、林蔵は大陸と地続きと考えられていた樺太が、島ではないかと考えました。宗谷に戻って1ヵ月後の1808年(文化5年)7月、樺太の再調査をしたいと幕府に申し出た林蔵は、許可を得て、第二次調査のため再び樺太の地を踏みます。樺太の北部ナニヲーに到達した林蔵は、対岸の黒竜江(アムール川)の流れから、樺太が地続きではなく、島であることを突き止めました。これが間宮海峡の発見です。さらに林蔵は樺太北部の人々と親しくなり、酋長・コーニが清国の役所に行く際、同行し、その記録をのちに『東韃(とうだつ)地方紀行』としてまとめました。この文書は現在、国立公文書館所蔵となっていますが、記念館には複製が展示されていました。清の生活が色つきの絵で生き生きと描かれているそれは、とっても面白そうでした。後世に残る偉業を成し遂げた間宮林蔵は、1844年(天保15年)に江戸の自宅で病没しました。64歳での逝去ですから、当時としては非常に長命だったのではないでしょうか。納得と満足のいく人生であったことでしょう。・・・あ~、それにしても、またサハリンに行ってみたい気持ちが強まっちゃったよ~!来年あたり、叔母・小崎光子と行ってくるかなあ。今、すご~くはやってるみたいですよね、サハリン旅行♪
2006年07月29日
どこがどう悪いってこともないんだけど、なんだか今日はダルイわ~。急に暑くなったからかしらん?こんな日はバイオリンを弾いても、頭の中で音が反響しちゃってよけい気分悪くなるからやめときました。そいでもって、ちょっと「うれしい気分」になるために、本日の「夕食の画像をアップする」という目標を立てました<大げさだっちゅ~~の!!本日のメニューは●サーモンのカルパッチョ●焼き茄子●もやしのナムル●長いもとオクラと油揚げのサラダ●白米でございま~す♪茄子は、昨日、歩いて30メートルのコンビにの店長からもらったもの。野菜作ってるお客さんが持ってきてくれるんだって。この季節、もらいものがたいそう多いそうだけど、そのお客さんが持ってきてくれる茄子がいちばんおいしいそうです。・・・で焼き茄子にしてみたら・・・ホントにおいし~~~い!!!みっちりと「味がつまってる」感じ~~!茄子特有の「いがいが感」(わかります??)もちゃ~んとあります。スーパーの水っぽい茄子とは大違いだわ~!感激・感激!サーモンのカルパッチョ、2年位前に作り方をご紹介したら、評判よかったので再掲しますね。●サーモンは3~5ミリの厚さに切る●長ネギをみじん切りにする<カルパッチョソース>醤油オリーブオイルみりんレモンの絞り汁をそれぞれ大匙1杯ずつ混ぜる。好みでわさびを加えても美味。長ネギをちらしたサーモンに、↑このソースをかけるだけ。サーモンではなく、マグロでももちろんOK♪ホームパーティ(ってほどのもんでもないけどさ・汗!)のたびにこれを作りますが、とっても評判いいです。友達・中川さん直伝のレシピです。長いもとオクラのサラダは、先日、友人宅でごちそうになったもの。私バージョンで、カリカリに焼いた油揚げを加えてみました。ドレッシングをかけて食べます。焼いた油揚げは、大根・グリーンアスパラのサラダにも使います。↑このサラダは、最初からマヨネーズと塩、それにちょっぴりのお醤油味のドレッシングで和えるようにしています。理由はとくにないのですが・爆!先日、釧路の従姉の家で作ったら、とっても評判よかったです。油揚げをサラダに加えるのがミソですね。キャベツ・グリーンアスパラ・油揚げ、の取り合わせなど、いろんなバリエーションが楽しめます。せっかく写真とるんだからさ~!と思い、久々に半月盆と箸置きも使ってみました<ミエっぱり??・爆!↑ねこの箸置きと、九谷焼の小鉢がお気に入り♪九谷焼は友人からのプレゼント♪ノリちゃん、見てるかな~?? 大事に使ってるよ♪ありがとね~♪
2006年07月27日
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