Andy Cole:アンディ・コール 「コール・ザ・ゴール」と呼ばれた90年代初めのニューカッスルのエース。日本では元マンチェスター・Uのストライカーとして語られがちだが、コールの全盛期は年間34ゴールを決めて得点王に輝いたウチでのシーズンであったと確信している。この活躍に目を付けたアレックス・ファーガソンがウチからかっさらっていった時には地元で暴動寸前の騒ぎが起きており、キーガンでさえ身の危険を感じたそうである。ジノラがバルセロナからのオファーを受けた際、キーガンは「僕はコールの件で懲りたから、もう選手を出すのはイヤ」と弱音を吐いたという。コール自身もウチを追い出されたことはいたくショックだったそうで「ケビンを恨んだ」とのちに告白している。んなワリには生まれた時からマン・Uにいるよーな顔してたのは納得がいかない。
Les Ferdinand:レス・ファーディナンド コールの後を受けてエースになったストライカー。QPR から94年に加入。俊足ではコールに劣るものの、あのデカい身体でゴールに飛び込んでこられるとたいがいのDFは負けるかケガをする。加入してすぐにゴールを量産、7 試合連続ゴールという記録も残した。非常に紳士的で穏やかな性格もあり、サポーターからは「サー・レス」と呼ばれている。アホ監督、ダルグリッシュがスパーズに売り飛ばした際には激怒していたが、その後シアラーがケガしたため、ダルグリッシュが放出を取り止めて、戻そうとしたので、もっと怒って「死んでも帰らない」と発言、ダルグリッシュの無能ぶりをしみじみと回帰させる存在である。マンUのリオ・ファーディナンドとはまたいとこに当たる。一昨シーズン、ボルトンの選手としてSJPに戻ってたきた際のレスに対する大歓声に、ボルトンの皆さんがもれなく驚いた後、「凄いよね、レスは何年ここにいたの?」という問いかけに「2シーズンだ」とゆったところ、誰も信じてくれなかった(笑)
Kevin Galleher: ケビン・ガラカー 97年にブラックバーンから加入。ウインガータイプのFWとしてプレーしたが、年齢もあり、あまり活躍はしていない。もともと戦力補強というよりはアランの話し相手という色合いの濃い移籍ではあった。戦力とは言いがたかったが、スコットランド産としては例外的美形だったため、ベンチの花としては非常にイケていたと、個人的には思っている。ヒューイ・ガラカーとは無関係だが、ケビン・ガラカーの祖父パッツィ・ガラカーはスコットランドの伝説的名ストライカーなのだそうだ。写真みると、えらい美形なおじいさんなので、ケビンは才能はともかく、美貌は受け継いだようである。
Paul Gascoigne: ポール・ガスコイン イングランドが生んだ最高のファンタジスタにして、アホの代名詞。ゲーツヘッド生まれで、早くから天才の素質を発揮していた。ジョー・ハーベイはガッザのことを「世界で一番天分の才能に恵まれた少年」と絶賛している。17歳でトップチームにデビューし、ファンタジスタぶりを遺憾なく発揮するが、惜しむらくは当時のニューカッスルは2部。この天才を長く引き止めることはできなかった。ウチを去ったあとも、しょっちゅうニューカッスルに戻ってきては飲み歩いているという。愛称は「ガッザ」。
David Ginola: ダビド・ジノラ 94年にパリ・サンジェルマンから加入。モデル並のルックスと華麗なテクニックで、たちまち人気者になる。シアラー加入以前、ウチで一番多くのユニフォームを売った男である。シアラーとソリが合わず、さらに最大の理解者キーガンの辞任によって完全にやる気を無くし、チーム批判、サポーター批判までやってしまい、今では可愛さ余って憎さ百倍のウチのサポーターから凄まじいブーイングを食らうようになってしまった (涙) 。98年にスパーズに移籍、その後アストン・ビラ、エバートンを経て、現在は俳優もどき。父はイタリア人で母はフランス人というハーフ。イタリア人の血を引いてるなあと思わせたのは、女にはすごく愛想がいいところ(笑)。
Joe Harvey: ジョー・ハーベイ 50年代の黄金時代のキャプテンにして、60、70年代の監督、そしてスカウトとして30年以上ニューカッスルに関わってきた伝説の人。ヨークシャー出身で、しかもチームメイトにはニューカッスル史上最高の選手ミルバーンがいるという状態ながらもキャプテンを任され、FAカップ連覇を達成するという見事な結果を残した。監督としても65年のDiv.2 優勝、69年のフェアーズカップ優勝のタイトルをもたらした。74年にFAカップ決勝に進出したが、リバプールに敗れている。しかし、マルコム・マクドナルド、テリー・マクダーモットといった名選手を見出し、魅力的なチームを作り上げた手腕は見事。スカウトとしてもクリス・ワドル、ポール・ガスコインらを見出している。90年に心臓発作でこの世を去った。イタリアン・マフィアを思わせる眉毛の太い、濃い目のハンサムである。
Steve Howay:スティーブ・ハウイー サンダーランド生まれでニューカッスルのユース育ちという重そうな宿命を背負ってるせいか、本人も重量級DFである。キーガン監督のキャラを反映して、やたらと陽気な選手が多い中、異質の無表情ハードボイルドキャラクターであった。顔と芸風がこんなに一致してる選手も珍しい。
David Batty:デイビッド・バッティ リーズ、ブラックバーンを経て、95年にニューカッスル加入。「タックルの鬼」として知られる怖いお兄さん。当然警告・退場の「嵐を呼ぶ男」でもある。開幕から6 試合出場停止を食らったことも。しかし相手の攻撃の目をつぶすことに関しては、得意技であるロビング気味のパスとともにイングランド随一。レース狂でF1やWGP でしばしばカメラに抜かれている。最も尊敬する人はイギリスの有名なバイクレーサー、カール・フォガティとのこと。息子が双子で、父親を加えると三つ児になるほどクリソツ。私事: サインをくれる際にメンバー中唯一「TO ××」と私の名前を入れてくれたええヤツである。
Peter Bearsley: ピーター・ベアズリー 83年にリバプールから加入。顔がブサイクなのと俊敏ですぐれたテクニックを持つFWとして有名。代表ではリネカーのベストパートナーとして知られた。ニューカッスル出身でウォールズエンド・ボーイズ出身という生粋のジョーディで、キーガンとは親友の間柄。現在はユースチームのFWコーチを務めている。
Oliver Bernard: オリビエ・ベルナール 99年に加入。フランスのリヨンから獲得したが、この時移籍金をめぐり交渉が難航し、結局移籍成立まで4 カ月もかかった難産の息子。給料が安いと不満をいって、昨シーズンはセインツでプレーするも、降格によってフリーに。早速ウチに「帰りたい」とゆってきたが、鬼が門前払いに。バーミンガムやウェストハム入りの噂もあったが、結局スコットランドのレンジャーズに。
Kevin Keegan: ケビン・キーガン 70年代のリバプール、イングランドの伝説。「キング・ケブ」という愛称で知られた。ドイツ、ハンブルガーに移籍後、2 年連続でバロンドールを受賞。同賞を2 回受賞した唯一のイングランド人である。82年から2 シーズン、ニューカッスルでプレー。その後92年に監督に就任。人々を魅了する超攻撃的サッカーでたちまちニューカッスルをプレミアの強豪チームに引き上げた。祖父も父も炭鉱夫という由緒正しいジョーディで、その意味ではヨークシャー生まれとはいえ、彼は生粋のジョーディの血を引いているのである。キーガン指揮下、ニューカッスルは優勝争いには加わったもののノンタイトルに終わる。しかし、その魅力的サッカーはいまだにサポーターの心を捉えて離さない。それがゆえに現在でもニューカッスルの理想の原点はキーガン時代にあるのであり、それを知らずに語るとイタタな目に遭うということを忘れてはならない。
Jimmy Lawrence: ジミー・ローレンス 1904-1922 シーズンで505 試合に出場(クラブ記録)した伝説のGK。グラスゴー生まれのスコットランド人。実は170 センチぐらいしかなかったという。あんまり昔の人なので、プレーを確かめる術がないのだが、他のGKがお手本にすべき選手だったらしい。つまりは“良いキーパーのスタンダード”。ウチを引退した後、すぐに監督になり、プレストン・ノース・エンドにスコットランドの伝説的名選手で後にアーセナルの伝説にもなったアレックス・ジェームズを呼んだ。またドイツに渡り、カールスルーエをリーグ優勝に導くなどの実績も残している。
Robert Lee: ロバート・リー 92年に加入。18歳でチャールトンのトップチームにデビューした時はセンターフォワード、ニューカッスルでは右ウイングとしてデビューした。地元志向の強いウチでロンドン生まれの選手がヒーローになるのはかなり難しいことで、その例外といっていいのはスーパーマックとロブ・リーのふたりだけ。闘志とリーダーシップ、献身的な守備、そして完璧なボールのつなぎ役としてチームメイトとサポーターから深く信頼された男。01-02 シーズン、若返りを計るクラブと対立、ダービーに移籍したが、それも元を返せば、ロブ・リーのコーチ就任を望むクラブ側と現役にこだわるリー本人の話し合いが平行線をたどったため。この対立のさなか、ファンサイトが行なった「リーを残留させるべきか否か」アンケートには実に75%が「残留させるべし」と答えている。「ワトフォードより北に行ったことのないロンドンっ子」を自認するロブ・リー夫妻だが、「でも、ウチの子供は3人ともダラム訛りで喋るんだよ」と笑わせてくれた。
Terry McDermott:テリー・マクダーモット リバプール生まれ。ウチとリバプールを行ったり来たりする選手生活を送ったのち、キーガンのアシスタントコーチに就任。ベンチで女子高生のようにはしゃぐコンビとしてサポーターに愛された。74年FAカップ決勝時はジノラとタメを張れるような美形だったのに、その後リバプールに引き抜かれて以降はダン池田のそっくりさんになってしまったのが不可解。キーガン辞任後はダルグリッシュのアシスタントを務めたが、フリット監督就任と同時に辞任。競馬関係のシンジケートに関わっていたが、鬼の人気のなさに同情して戻ってきた。「テリー・マック(マー!としか聞こえないけど)」という愛称で呼ばれていた。
Billy McCracken:ビリー・マクラッケン ニューカッスルの歴史だけでなく、世界のサッカーの歴史に名を残す選手。1900年代から20年代にかけてニューカッスルでプレーした名CBで、「オフサイド・トラップ」の産みの親である。それだけでも凄いが、彼の名がサッカー史に残るのは、そのオフサイド・トラップによって被害を被った他クラブの猛抗議によって、FAがルール変更に踏み切ったためだ。今も残るFAの17か条のルールが変更されたのは、この時(1925年)だけであり、マクラッケンは史上唯一、ルールを変えた男として伝説になった。クラブの在籍年数に関しては、彼の相棒フランク・ハズペスとともに19年間とクラブ最長記録を持っている。恐ろしいほど頭がよく、話術が巧みで、戦術眼の高さは驚異的だったと伝えられていて、残された写真を見ると長身でハンサムとルックスも完璧。天は二物を与えるものなのだなあ、と感心してしまう男である。
Bobby Moncur: ボビー・モンカー 60年代後半から70年代はじめにかけてキャプテンを務めた。クラブ史上唯一のヨーロッパタイトル、1969年のフェアーズ・カップ優勝をもたらした英雄。DFだったから当たり前だが、ウチでの通算ゴールがたった2ゴールなのに、その2ゴールがフェアーズカップ決勝での2ゴールなのであるから、凄い強運の人。思わず「兄貴! 」と呼びたくなるマッチョな二枚目である。ゴルフの腕がプロ並で、現役引退を発表した時は新聞各紙が大真面目に「モンカー、ゴルファーに転向か?」と書いたそうである。一昨年のUEFAカップのホーム戦にはもれなく顔を見せていた。ガリー・スピードの20年後というカンジのカッコいいおじさんである(惚)
Andy O'brien: アンディ・オブライエン 2000年に加入。イングランド生まれのアイルランド人。レギュラー獲得まではまだ時間がかかるだろうと思われたが、アラン・ゴマの放出、右サイドバック崩壊によるアーロン・ヒューズのコンバートにより、ポジションを獲得。時折若さと経験不足を露呈するタコミスはあるものの、フィジカルの強さと1対1の強さは買い。得意のヘディングはセットプレーの強い武器でもある。一番気になるのは年齢に似合わないおでこの広さとウソついて伸びたと思われる鼻。
Stuart Peace: スチュアート・ピアス 97年に加入。90年代のイングランドを代表する名DFだが、90年イタリア大会準決勝、96年ユーロと、なぜか大舞台でPKを外している。98年のチャンピオンズリーグ、対ディナモ・キエフ戦で恐ろしいFKを決めた時には結構惚れた。あのリネカーが「人生で遭遇した最も怖い体験は? 」という質問に「ピアスのFKで壁に立つこと」と答えていたが、それも納得のいく破壊力であった。ウチでついたものではないが、「サイコ」というニックネームで知られている。プロ選手になる以前は電気工事人の修行をしたことがあり、その腕を活かして、バートン家の照明の取り付けをしてやったそうだ。ウチの選手ってどーしてこう庶民的なのかしら(涙)
George Robledo: ジョージ・ロブレド 50年代始めのウチの看板FW。チリ生まれだが、母親がイングランド人で、1932年のチリ革命の際、家族でイングランドに移住、ヨークシャーで育った。ラテンの血を引くだけにタフで情熱的なストライカーで、50-51 シーズンには得点王にも輝いた。2歳年下の弟テッドもプロ選手で、本来、ウチはジョージだけが欲しかったらしいが、「弟も一緒でなければ行かない」と言い張ったために兄弟で獲得、53年にウチからチリのコロコロへ移籍する際にもふたり揃ってという仲良し兄弟だった。引退後アメリカの製油会社に勤めていたテッドは不幸にも70年にペルシャ湾沖のタンカーから落ちて行方不明に。後に殺人であることが判明したが、結局遺体は見つからなかった。兄ジョージはチリで現役を終え、89年に亡くなっている。ふたりともよく似たエキゾチックな顔だちのハンサム兄弟である。やたらと私がハンサムを連発してるとお思いでしょーが、50年代の黄金時代のウチの選手、ジャッキーをはじめ、ハンサム揃いなんです。そりゃ伝説になるはずだと納得。
Stan Seymour: スタン・シーモア 栄光の20年代を支えた名選手であるばかりでなく、後にディレクター、名誉監督、会長、副社長などを務め、実に50年以上ニューカッスルとともに生きた男。イングランド・フットボール界で『ミスター・ニューカッスル』と呼ばれた人物である。ダーラム近郊の出身で、、ニューカッスル・ユースで育ったが、いったんクビになり、ブラッドフォードやグリーンノックなどを経て、1920年に古巣に帰ってきた。得点力のある左ウイングとしてFAカップ優勝、リーグ優勝など実りの多い8シーズンを過ごし、29年に現役引退。10年後にディレクターに就任、実質的な監督として栄光の50年代を築いた。シーモアは非常に頭も切れ、目端のきく人物であったらしく、ディレクター就任以前はジャーナリストとして活躍し、クラブ経営のかたわら、当時はまだ珍しかったスポーツショップをオープンさせたりもしている。彼の長男スタン・シーモア・ジュニアも後にクラブの会長を務めた。 ジャッキー・ミルバーンは自伝の中で「シーモアを非難する人は少なくなかったし、また非難されても仕方なかった点は確かにあったと思う。だが、ニューカッスルというクラブに賭ける彼の情熱にはいつも感服するしかなかった」と語っている。
Gary Speed: ギャリー・スピード 98年に加入。91年のリーズ優勝時のメンバーでバッティの親友。ウェールズ代表キャプテンでもあった。運動量豊富で守備範囲も広く、2 列目からの飛び出しが持ち味。打点の高いヘディングが見物。しかし最近はやや老衰が気になる。アウトドア・ブランドのカタログモデル型美形で、チームグッズカタログでも写真がデカい。昔はなかなかのプレイボーイだったようだが、ウチに来てから結婚、子供誕生とすっかりジミな家庭人になっているようである。最近、昔ほどのハリがないが、ウチにいた時代のスピードの腹筋は世界一美しかったと断言する。