私はこうやってナースになった2


行く場所がカリフォルニアだから暖かいだろうとおもい
日本で買った 半そでのものを沢山スーツケースの中に入れました。
一生会えなくなるわけではありませんが
家族との別れは大変寂しいものでした。
アメリカいく前3日間は泣いてばかりいたような気がします。
そして その3日間の間は・・・
「英語が喋れるようになったら日本にすぐに帰ろう」と
思っていました。 しかしこの考えはアメリカの英語学校に
行き始めてから変わり始めました。 (これにかんしては
また違うページで説明しますね)

母親とは福岡空港で別れ
父親とは成田空港で別れました・・・
男は泣いちゃいけないといわれましたが
すこしばかり涙がでました・・・

飛行機に乗り 成田空港を見ながら・・・
「すぐに戻ってくるぞ・・・」とそのときは
おもっていましたが・・・ご存知のとおり
それは嘘になってしまいました。

飛行機が成田を発ち サンフランシスコへ
不安とエキサイトで一睡もせず
サンフランシスコの空港へ
ここからはすべて英語・・・
すごくナーバスでしたがどうにかこうにか
アメリカ国内へ・・・でも
実は私は乗り継ぎで Eurekaというところへ
数時間後に飛ばなければなりませんでした。
運良く サンフランシスコ空港には沢山 日本語の
出来る人が働いていて その方のおかげで
Eureka行きの飛行機へ・・・
(すごく小さなプロペラ機)
その飛行機で 自分の新しい住居
Eurekaへ。
フライトの時間はものすごく短かく
居眠りも出来ないほどだった。
Eurekaの空港に着き 荷物を持ち
外をみてびっくりした・・・・
「な、なにもないではないか・・・」
Eureka(アルケータ)空港のまわりには
なにもない。 空港も日本の高校の運動場ぐらいの広さしかない・・
こんな田舎に俺はすむのか・・・・・???と心配になって
いたところに 私に話しかけてくる日本人がいる・・・そして
その人は私の名前を書いたカードを持っている。
彼は英語学校から派遣された人だった。 またしても
日本人で安心した・・
彼は大変優しい人で 荷物を車に運んでくれた。
車の中に入ったあと 色々と彼と話した。
その話のなかで一番印象的だったのは
英語学校の日本人の数だった・・・
(続きは私はこうやってナースになった3)


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