べんとう屋のつぶやき

 



下弦の月



 細く尖った下弦の月。研ぎ澄まされた空気の中、空高く手を翳してみる。
弱い光が手の隙間から零れ落ちる様は、硬い殻から滲み出る自分の心のよう。

 舞台が終わって一人の部屋に帰ってくると、疲れた身体は眠りを要求するが、
心にあいた穴は日毎大きくなってゆき、ここにはいない影を追い求める事で
ひと時も休まることは無い。

 一年のうちたった6日のコンサート。その心待ちにしてたコンサートも
舞台のリハーサル、ドラマの収録とが重なって満足に打ち合わせすらも出来てない。
追いかけてくる仕事に溺れそうになってたオレを引っ張ってくれた相方。
身体も気持ちも一杯一杯だったけど、隣に剛がいるだけで心が癒されていた。

 そして楽しかった、心が暖かかった日々も終わり、一人立つ舞台へと時は容赦なく 流れてゆく。
舞台は楽しいし、やりがいもある。新しいカンパニーになって色々な発見や刺激も たくさん貰った。
ただ、一人になった時、ふと我に返った時、受け止めてくれる温もりが無い。
 ソロの舞台という事もあってなかなか観に来てはくれない。せめて楽屋にだけ
でも顔を出して欲しいというのは、我侭なのだろうか。
近くで会えなくても声を聞かせてくれなくても、見ていてくれさえすれば・・・
それだけで心に空いた穴は塞がるのに。
 それは剛の優しさなのだろうか・・・
そんな優しさなんていらん。オレが欲しいんのは剛の温もりやねん。
今だけちょっと貰えたら、その温もりが消えてしまわんうち舞台をやり遂げる事が 出来る。
そうきっと出来るわ。

 ゾクッと背中を走った寒気に我に返ると、伝えられない想いを溜息と共にそっと 吐き出し部屋へと戻る。
 明かりを落とした部屋の中、テーブルの上に置いた携帯がふいに光りだす。
煩わしさから逃れるように着信の音は消してあった。画面を見るとメールの着信を 示している。
「お疲れさまです。あと半分な。たくさん食べて身体に気い付けてガンバッテ 下さい。
あなたがドコでなにをしてようとソロでやってようと、帰って来る所は 1つしかないねんで。」
無機質な携帯の文字なのに送ってくれた人の暖かさが伝わってくる。少しだけ 心に空いた穴が塞がった。

 「剛・・・ありがとな。一人は寒いな」
素直な気持ちを文字にしてみたが、かなりの間迷って半分消して送信ボタンを押した。

 同じ下弦の月が照らす空の下、少し離れて見つめる一つの影。
同じく冷え切った 体を車のなかに入れようとしていた時、メール着信の音が流れる。
「・・・?」
めったに鳴らない光一専用の着信音。握り締めてた携帯を慌てて確認する。
「剛・・・ありがとな。」
短くそっけない言葉。
「ほんま短いなぁ・・まっ返事を出せるくらいだから元気でやってんねんな。」
さっき、遠くから見かけた光一の疲れた顔がふと浮かぶ。
「もうちょっと何や言うことないねんか?顔みせろとか、電話の一つくらいよこせ とか、なぁ。
やっぱ、ほんまはむっちゃ疲れてんのとちゃうか?」
一人ごちるともう一通メールを送る。

 何もする気も起きなくて、ぼんやりとソファの上で携帯の画面を眺めていた その時、剛からのメールが届いた。
「頼ってもええで。」
今の気持ちを見透かしたような短いメール。
「剛には分かってまうんやなぁ。」
メールを読み終わったと同時に今度は呼び出し音が鳴る。
「はい。」
ボタンを押すと暖かい剛の声が流れてくる。
「もしもし・・光ちゃん?・・どないした?光ちゃん??」
「・・・・」
「なぁ、今、月見てたやろ?。オレも今見てたで。会われへんけど、
同じ空の下 心はいつも傍にいるんやで。安心してええよ、なっ」
「・・・」
「もうこんな時間や、明日も舞台、がんばり。おやすみな、光ちゃん」
「・・・・おやすみ・・」
剛の一つ一つの言葉が強張ってた体を優しく包み、心に空いた穴を埋めてくれる。
切れた携帯に「ありがとな。」と小さくつぶやくと、今日は少し眠れそうな気持ちで ベッドへと向かう。

 ほんのわずかだけど睡眠の取れた体は心持軽い。
今日も昼夜の公演をこなしながら、ふいに胸に響いてくるのは夕べの剛の声。
その声を聞くと冷えた体も暖かくなる。舞台袖でスタンバイをしてる時の強張った 顔も幾分か柔らいだものになる。
そっと胸に手を当てて暖かさを逃がして しまわないよう、声を閉じ込める。

 夜、疲れた体を引きずるようにしてマンションへと帰って来る。
ベランダに出ると、昨日と変わらず下弦の月。幾分かふっくらしたような 月を見上げる。
暫く見ていたせいですっかり冷え切ってしまった体からくしゃみが出る。 ふいに視線が下の世界へと向く。
「そういえば剛も月見てたってゆうてたな・・」

 一台の車。その車体に凭れるようにして空を見上げる一つの影。
「月もすこしは元気になったみたいやな。」

 遠く離れた二つの影。・・一瞬視線が合ったような気がした。




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