「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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06話 【水面下は、不穏で】
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06話 (青) 【水面下は、不穏で】
___01
本部からの緊急通達書が手元に届き、その仕事をこなすために俺は酒担当の志貴を探していた。
大手酒造メーカーが商品への異物混入を認め、ロット番号に該当するものは即時回収手続きを取るとのことで、志貴を捕まえる必要があったのだ。
会社用スマホを使い、志貴に今すぐ来るよう告げる。「はい」とだけ返事があり、電話は切れた。
次の書類に目を通していると、ノック音の後、不破が顔を出した。何故か不破は「呼びましたか?」と尋ねてくる。
「呼んだのは志貴だ。どうして不破が?」
不破の返答はこうだった。
「僕は代理です。志貴さんは今、手が離せないそうです」
「あいつ……本当に引導を渡してやろうか。お前もお前だ。いちいち請け負うな。自分の仕事があるだろう」
苦々しく言えば、不破は「志貴さんは失恋の痛手から立ち直れていないんです」とぬかす。
「失恋相手から『今すぐ顔を見せろ』と言われたら酷ですよ」と。
「何が酷だ。仕事とプライベートを一緒くたにするな。いいから志貴を呼べ」
これだけ言っても、従順なはずの部下は首を縦に振ろうとはしなかった。
「俺は、お前を買っていたんだがな」
不破は優秀な部下だ。優秀すぎるぐらい優秀な。裏では『柾Jr.』の異名もあるほどの。
そんな華々しい成績にケチをつけてもいいのかと、我ながら横暴で卑怯な揺さぶりをかけても尚、不破の答えはNOだった。
「志貴さん、目が赤いんですもん。チーフも流石に居た堪れないでしょうし」
俺は閉口した。
不破は悪くない。振った俺の立場を慮ってくれた上に買って出た『代理』だろうし、振られた志貴に対する『配慮』でもあっただろうから。
だがこれは仕事だ。そんな程度の理由では通らないんだ。……あぁくそっ、全く、どいつもこいつも……!
「……では不破代理、務めを果たしてみせろ。至急このロット番号に相当する酒を売り場とバックヤードから回収、返品作業に入れ」
「15分で片付けます」
15分で終われば大したもんだ。なるほど、本部の覚えもめでたいだけのことはある。
___02
目の前には『今週中に提出せよ』との達しを貰った、部下の勤務査定表。不破の分はいつでも提出可能だが、店内きっての問題児の方は見事な白紙状態。
問題は志貴だ。
志貴は物覚えはいい方だと思うし、客からの質問にもハキハキと答えてはいるようだ。大きなミスもない。
だが今のあいつは情緒不安定で、日毎に増える命令違反が目に余る。査定表が遅々として進まない理由はそれだった。
何度目かの溜息を漏らしつつ、左手は缶コーヒーを探る。持ち上げた瞬間、空だったことに気付き、今度は舌打ちが出た。自分でもイラついているのが分かる。
「幹久」
肩を軽く叩かれ振り返る。俺を名前で呼ぶのはネオナゴヤ店では限られているからすぐに分かった。伊神・ラジュ・十御だ。
トオゴは向かいの椅子を引き、腰を下ろす。テーブルに散らばる紙を見ると目を丸くし、「幹久!」と非難めいた声で窘め始めた。
「これ、査定表じゃないか。こんなところで堂々と広げるなんてまずいよ」
小声で言うにはわけがある。俺がプライバシーに欠ける共同施設で作業をしていたからだ。
ネオナゴヤ店内にあるフードコート内。広さは東海地方で2位を誇り、週の利用延べ人数は数十万を超えるマンモス食堂。
特にここはお気に入りの場所で、利用する際は決まってこの席を陣取ることが多かった。
大きな観葉植物によって遮られてるし、飲食店から離れているので人の往来も少ない。ソファーは座り心地がいいので穴場だ。
トオゴは俺がこの席を贔屓にしていることを知っているから容易く見付けることが出来たのだろう。
「心配御無用だ。人の気配なんてないだろ。おっと、お前が来たけどな」
まだ言い足りないのか、珍しいことにトオゴは眉根を寄せている。
ここは折れておくべきだなと、長い付き合いで培った経験を活かし、査定表をクリアファイルに差し戻す。
「それ、志貴さんの分だね?」
なぜかトオゴの顔は強張ったまま。いやな予感がして、「何があった?」と尋ねる。案の定、トオゴの瞳は呼応するように震えた。
「チーフ会議だよ、幹久。召喚されたのは志貴さんだ」
トオゴが俺を訪ねて来た時点で気付くべきだった。少し離れた位置に、いるじゃないか。メンテナンス部のチーフが!
「志貴さんを裁こうとしているチーフはどの部門にもいないから大丈夫。形式だけのミーティングだよ」
言いながら、トオゴは一緒に来た男に視線を向ける。
「有難くて涙が止まらねぇよトオゴ。一体志貴は何をやらかしたんだ?」
「オレからは言えない。彼に聞いて」
「分かった。行ってくる。さんきゅ、トオゴ」
頷くトオゴから離れると、観葉植物の葉を指で触っている男に声を掛ける。
「よぅ。お出迎えさせちまって悪いな」
「別にー。降って湧いた災難だからよ。さっさと消火しようや」
メンテナンス部チーフ、一廼穂 碩人(いちのほ ひろと)。
同期であり、友人でもあるその男は、いつだってトオゴより草臥れた繋ぎを身に纏っている。
碩人はくるりと踵を返す。何かのついでだったのか脚立を携えていたのだが、それを軽々と持ち上げる様は、まるで頼りになる江戸町火消しのようだ。
消火――鎮火。
何が起こった? 本当に初期消火は可能なのか?
ざわつく胸を押さえ、俺は碩人の後を歩く。
___03
「不幸中の幸いってやつかね。今の内に片しちまった方がいいと思ってよ」と碩人は言う。
先陣を切った碩人は大股でフードコートからバックヤード、メンテナンス室へと足を進めた。脚立を壁に立て掛けると、行こうぜと顎をしゃくる。
行くってどこへだ? と尋ねれば、隣りだと告げた。
「くだらない厄介事。だが見過ごすわけにもいかない面倒臭ぇ案件ときた。取り敢えず形だけでも俺らで何とかしておくかって話になったんだ」
「俺ら?」
「お誂え向きに今日は店長は会議でいない。副店長は休憩中。そしてチーフ職が身内スタメン揃いの、何とも珍しい日だ」
ここでやっと腑に落ちた。碩人が急いでいる訳を。
「そうか、今日は何人か岐阜店リニューアル記念セールの応援に行ってるんだったな。だから今日しかないのか」
話の展開いかんによっては『身贔屓の俺ら』で塞き止められる――そう言いたいのだろう。
碩人の言う『隣り』とは『第1作業所』のことで、店内に点在する要修理器材・什器などが置かれているのが特徴だ。
ドアに小窓が付いていたので中の様子を窺い知ることが出来た。機材が搬入され、お世辞にも広いとは言い難いその部屋に、見慣れた5人が椅子に座っている。
コスメの柾さん、家電の麻生さん、衣料の五十嵐さん。事務所からは千早凪氏、POSオペレーターの八女芙蓉。本当に身内で固めたようだ。
頼もしい面々というだけでなく、気心知れた仲間がいるお陰で俺は胸を撫で下ろす。
「苦情として持ち上がったからには、何らかの形で対処する必要があったからな。悪く思うなよ」
「いや」
寧ろ感謝してるよと付け加えると、この不良社員は口の端を上げ、笑みを寄越した。
「たまにはお前に恩を売っておくのも悪くないと思って。……行くぞ。時間が惜しい」
確かに、これだけの責任者が売り場から抜けたとなると、時間の経過とともに背負うリスクだって大きくなる可能性がある。
現に俺自身ドライの責任者という立場にあるわけだし、召喚された志貴も同じドライの人間だ。
不破と平塚は休みでいないし、早く持ち場へ戻らないとまずいことになるだろう。
碩人はノックをするとドアを開けた。5人分の視線が碩人へ、そして俺へと注がれる。その奥から6人目の視線を感じ、顔を上げる。
そこには顔を強張らせた志貴が、身じろぎもせず、ただ静かに座っていた。
2011.06.14
2025.12.11
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