08話 【部外者】


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08話 (―) 【部外者】―ブガイシャ―



___不破犬君side

POSルームには店内の商品売価を変更するシステムを搭載したパソコンが置いてある。それを操るのがPOSオペレータだ。
10畳ほどの小部屋にはパソコンが3台並び、普段は2人のオペレータが店内中の売価に関する一切合財の依頼を請け負っている。
この部屋への入室は要注意だ。部屋の「主」によるオモチャ扱いは店内では有名だから。間の悪いことに、今日はその餌食となってしまった。
「わんちゃーん」
『八女芙蓉の声は悪魔の声』。昔、そう言い切った男性がいた。――誰あろう、僕の上司だが。
その美貌、頭脳、行動力。抜群のパロメータを保持した八女さんの欠損部分はズバリ、性格だ。
「わんちゃん、私って凄いのよ。空気が読めちゃうの」
「本当に空気が読めるんでしたら、わんちゃん呼ばわりしないはずですよね?」
「茶化さないの!」
「茶化したわけじゃないんですけどね」
皮肉で応じてみたものの、当の本人は瑞々しい唇の端をわずかに上げただけだった。
「私ね、この部屋が微妙にきな臭いコトに気付いたの」
「換気扇でもつけたらどうですか。そもそも臭うのは、八女さんのキッツイ香水なのでは?」
「あら、潮よりも上手だこと。その潮の様子がおかしいみたいなんだけど、あなた、彼女に何かした?」
柔らかい口調から一転、鋭い口調へ。その目は笑っていない。これこそが八女芙蓉が般若と恐れられている所以だ。
鋭い切込みを入れ、相手を一瞬口ごもらせる手法。この技は、結構通じる。
「告白しました」
『告白』した告白に、八女さんの目がきょとんとなった。
「……ごめん、今なんて?」
「少し前になりますけど、潮さんに告白しました」
「へぇ……。潮が好きなのは知ってたけど、まさか告白するとはね」
今度はこっちが目を丸くする番だった。
「待って下さい。何で八女さんが僕の好きな人をご存知なんです?」
「態度見てればバレバレよ」
おかしいな。隠していたはずなのに。見る人が見れば丸分かりだったのだろうか。
「でも、駄目だったのね?」
「はい」
「でしょうね。あの子、伊神にぞっこんだから」
「そう言われました」
「不憫ね~。想い人の伊神はもう居ないっていうのに。いい加減、幻を追うのは止めなさいって言ってるんだけどなぁ」
「そこをもっと強調して、根気よく言い続けてくれませんか」
「私が言っても聞かないもの。で、あなたは? 早くつけ込みなさいよね」
「つけ……」
「204号」
「なんですか?」
「潮のマンション。あの子、今日1日部屋にいるらしいから」
「何考えてるんですか。行きませんよ」
「平静を装うのもお上手だこと。本当はのどから手が出るほど欲しい情報だったクセに。もたもたしてると他の男に取られちゃうわよ?
そうね~、わんちゃんには落とせなくても、他の男だったらどうかしら。例えばソマとかソマとかソマとか?」
ソマという名はトリガーだった。その人物に負けるわけにはいかない。僕はきっぱりと答える。
「行きます」
「物分りのイイ子は好きよ」
今度は菩薩のような笑顔で微笑むが、ふと疑問を覚え、八女さんへ問いかけた。
「八女さんはどうして僕の恋を応援してくれるんです?」
「私は一途な片想いをしている人の味方。伊神というライバルがいるにも関わらず、潮を想い続けるわんちゃんの熱意に胸を打たれたの。
となるとソマの存在がネックよね? 潮の同期という時点でソマが何馬身もリードしてるんだからフェアじゃないわ。同じ土俵で勝負させてあげる」
「まさかの展開ですね。恋のキューピッドですか。まぁでも、鬼に金棒です」
敵に回すと厄介な相手だけに、心底そう思った。が、八女さんの言葉を鵜呑みにしてよいものかと疑問に思いはした。
でも、例え嘘だったとして、僕が不利益を被るわけでもなし。素直に申し出を受け取ることにした。
「ふふっ。ソマはどう出るかしらね」
不敵に笑う視線の先には、社員旅行で撮った写真。潮さんの隣りに陣取り、自信に満ち溢れた双眸を持つ男に注がれる。杣庄進に。


*

___潮透子side

水にはいい思い出がない。カナヅチで泳げないし、ここぞというイベントでは絶対悪天候になってしまう雨女だし。
現に昨日もそうだった。天気予報では『傘は必要ありません』と言い張っていたのにも関わらず、急に叩きつけるような雨が降るんだから。
でも私だって馬鹿ではない。そんな時のために用意していたのだ。ロッカーに置き傘を。
グリップを押して傘を広げる。少し歩き出すと、店の入り口で、やみそうにない空を見上げ、途方に暮れている客の姿があった。
正直、『う……』と思った。面倒な場面に出くわしてしまったなと。見ぬ振りをしてしまおうとも。でも、でも。
(そんな私を、もし伊神さんが見たらどう思うだろう?)
首を横に振り、『透子ちゃん……』と残念がられでもしたら、二度と立ち直れない。
そんなのは嫌だ。そう思った時にはおばあさん目掛け、駆け出していた。
しきりに固辞するそのおばあさんに傘を押し付けた。その結果がこのザマだ。頭痛に関節痛、のどの痛み。熱が出た。
せめてあのおばあさんが無事ならいい。どうか風邪などひいていませんように。
帰宅してすぐ入浴で身体を温めたものの、夜中には熱が出てしまっていた。
いくらマンションが近かったとはいえ、まだ寒さの残る春先に身体の芯から冷えてしまっては「風邪のフラグ立ってますよ」候だ。
止まらない鼻水に辟易しながら脇から体温計を引き抜いた。8度1分。そんな情報、知らない方がまだ気丈でいられたかも。
汗で身体中がベタベタだ。でも入浴はマズイかも。せめて着替えだけでも……さらに言うなら水が飲みたい。
ベッドから上体を起こし、足を地につける。ぐわん、と頭が揺らいだ。うそやだ、これってば重症? 
思い通りに動かない身体に活を入れ、キッチンまで歩く。部屋の狭さが今日ばかりはありがたい。
冷蔵庫の中に入っている冷たいミネラルウォーターでは、かえってお腹を壊しかねないからコップに水道水を注ぐ。
若干カルキ臭いそれを飲み干して一息つくと、着替えの服を手に取り浴室に向かった。
濡れタオルで身体を拭くだけで精一杯。仕方ないよと自分に言い聞かす。
しまった、いつもの要領で洗濯機を回してしまった。誰が干すのよ? 今日の私にそれをやらせる気?
げんなりしながら再びベッドに戻ろうとしたその時、玄関のチャイムが鳴った。
興味本位でドアスコープから覗いてみたが、顔までは分からなかった。出られる状態でもないので引き返す。
するとあろうことか、ドアノブを回す音がする。 
「え、な、なに!?」
わけが分からなくなって、私は後退る。ベッドの柱が足に当たり、床に尻餅をついてしまった。痛みよりも恐怖が勝り、固まってしまう。
「……あれ? なんだ、鍵開いてる。入りますよ」
なぜ。だれ。どうして。なにがどうなってるの。
駄目だ、頭が朦朧として、正しく働いてくれない。まさか施錠を忘れてた? そんな馬鹿な――!
「どこだろ……?」
私を探しているのだろうか。それとも物取り? 私はといえば、軽くパニック状態になっていた。
「ここかな?」
「だ、誰!? 入って来ないで! 不法侵入!」
「不法……まぁ、確かに」
見慣れた人物が目の前に立っている。
彼のことは分かる。不破犬君だ。それは分かる。分からないのはその理由だ。
「何で! 何で不破犬君がここにいるのよ!?」
「何でって……八女さんにけしかけられたと言うか、脅されたと言うか」
八女チーフったら一体どういうつもりで不破犬君を派遣してきたんだろう。よりによって、弱りかけた女性の部屋に男性を寄越すなんて!
怒りでさらに頭が沸騰しかけた。が、それがいけなかったらしい。身体に負荷をかけてしまったようだ。
(あ、もうダメだ……)
そう思ったと同時に、記憶がぷつりと途切れる。


*

___不破犬君side

「潮さん!?」
幸いにも膝から崩れるように倒れたため、頭を打つことはなかった。
それでも慌てて駆け付け、上半身を起こしつつ顔色を伺う。額には汗が浮かび、身体が火照っていた。高熱は疑いようもなかった。
抱きかかえ、ベッドに潮さんを寝かし、布団をかぶせた。スマホを取り出し、会社に電話した。内線で八女さんを呼びだして貰う。
開口一番、「あら、潮の部屋にいるんじゃなかったの?」と尋ねてきたヤボな質問への回答は打ち捨てる。
「潮さん、相当体調悪いみたいです」
「さっき言い忘れたんだけど、」
「わざと言わなかったんでしょうが」
「潮が今日休んでる理由は風邪をひいちゃったからなのよ。
昨日あの子、お客様に自分の傘を渡して、自分は雨に打たれて帰ったんだって。
あ、『介抱する』なんて馬鹿なこと言わないでよ? わんちゃんに感染ったら困るし」
「だからって、放っておけませんよ」
「よく言ったわ。それでこそ私のわんちゃん! ここで薄情にも見捨てるつもりでいたら首輪を買って付けるところだった」
「ほんっと最低なことしか考えない人ですね。じゃあ、しばらく様子見てますね。2~3時間で戻るつもりです」
「いいわ、青柳には私から伝えておく。あ、どうせなら泊まっちゃえばいいのに」
「そうしたいのは山々ですけど」
「動じなくなったわね。つまんないなー」
「半分以上は本音ですから。それに、いつまでも八女さんのオモチャのままなわけないじゃないですか」
「甘いわね、わんちゃん。潮に関しては私の方が有利なのよ? 潮のスリーサイズも知らないクセに一丁前に刃向かわないように」
八女さんは言いたいことだけ言うと通信を終わらせた。額に当てる水タオルを作りに、僕は立ち上がった。


*

___潮透子side

水の音が聴こえる。ぼたぼたぼたぼた……これは何かを絞る音? 額に冷たい感触。火照った顔に気持ちいい。
瞼を開けると、そこには私を見下ろす不破犬君の顔があった。
「……なんでいるの……?」
「さぁ、何ででしょうね」
素っ気なく言うと、私の頭をすくい上げ、上半身を起こしてくれた。
「飲んで下さい」
コップを差し出されたので大人しく飲んでおく。水だと思ったそれはスポーツドリンクだった。
「お粥を食べる気力と食欲はありますか? 一応作ってあります」
「……うん」
その返答に安堵したのか、不破犬君の顔はそこでようやく緩んだ。
「わざわざ作ってくれたの?」
「いえ、作ったというのは正確じゃないです。事後報告で申し訳ないですけど、勝手に棚を探らせて貰いました。レトルトパウチのお粥です」
「そう、ありがとう」
お粥を持って来てくれた不破犬君は、ふーふーと冷ます。
自分で冷ますことぐらい出来るのに。そう訴えたのだけど、彼はこうやって恩を売っておかないと、と頑なな態度を改めようとはしなかった。
「何か、悪い夢でも?」
「え?」
「……潮さん、うなされてました」
「……夢なら良かった」
「え?」
悪夢だった。
悪夢は過去に起きた実際の出来事で、ご丁寧にも『最も忌むべき日』の再演上演会だった。
私を罵る者はひとりもいなかったけれど、私は自分に対して呵責を覚えていたし、それは今でも心の中に生きている。
私は伊神さんを裏切り、突き放し、しかも彼の誠意を絶望の淵に叩き付けた。
「……あのシーンだったわ」
両目から涙が溢れて来た。不破犬君に見せまいと両手で目を覆う。
「夢なら良かった……!」
「……僕は、詳しい話を知りません。だから、潮さんを慰める言葉も、今は見付からない。傷付いた貴女を守ってあげたいけど……」
「……言いたくない」
「僕だって知りたくないですよ、貴女をそこまで縛り付ける伊神さんの話なんて!」
これまで聞いたことのない、鋭いことばだった。だだをこねる子供が分からず屋の大人に何とか分かってと訴えかけるような。
だけど、切ない声……。
「す、すみません……。病人に向かって声を張り上げたりして……。本当にごめんなさい」
「……ん、ビックリしたけど、大丈夫だから」
だから教えてください。不破犬君はそう呟いた。
「好きだから。潮さんが好きだから。伊神さんを忘れさせる為にも、僕が潮さんに振り向いて貰う為にも、僕は話を聞いておく必要があるんです。
僕がつけこむ隙を見せて下さい。伊神さんなんて忘れさせてみせます。教えて下さい、何があったのか。そんな貴女を見るのは、本当に辛いんです」
痛い。不破犬君の優しさが痛い。私を責めない優しさが痛い。
優しくしないで。優しくされればされるほど、心が軋む。
伊神さんの呪縛が強まるのを感じつつも、弱まる気配も感じる。
雁字搦めだったはずなのに。私の心は、形を変えようとしている。でも、それがいいことなのかまでは自信がもてなかった。
「……すみません。お疲れですよね。いつかでいいです。今は、とにかく眠って下さい。早く元気になって下さいね」
『いつかでいい』。その言葉に安堵する。
いつか、時が来たら。心の整理がついたら。
(ちゃんと話すよ。彼と私に何があったのか、全部話す)
そこまで私を心配してくれる貴方に、せめてものお礼とお詫びを兼ねて。
(だから今は待ってて)
熱が下がって、雨が上がったら。
「おはよう」って、まずは不破犬君、あなたに言うからね。


*

3日後には体調も良くなった。
少しはあの日の功労者である不破犬君に対して優しくなれるだろうかと思っていたのだけど、そうは問屋が卸さなかった。
どうしてもつっけんどんになってしまうのは、弱さを曝け出してしまったことを私が恥じているからだろうか。
目の前に置かれた大量の食料品に、椅子に座っていた私は上半身だけを捻り、不破犬君を見上げた。「なにこれ?」
彼が持ち込んだ商品には見切りシール――賞味期限が近いため処分価格となりましたと銘打ったもの―が貼られている。
「パスタの麺、カルボナーラソース、片栗粉、天ぷら粉、白玉粉、上白糖」
その他にも、お好み焼きソースやら、コーヒーの粉、缶詰、ペットボトル、使用途例が分からない商品が並ぶ。
不破犬君は、しれっと告げた。
「看病した時たまたま目に入ったんですけど、既製品ばかりで不健康そうだったから、あれではいけないと思って」
「つまりこれを買って自炊しろと言いたいの?」
「潮さんのキッチン、レトルトだらけで正直がっかりしました。精々ホットケーキ作るぐらい? それなら僕にだって出来ますよ」
「なっ、なっ……!」
「愛知県民でしょう? 味噌汁は八丁味噌で飲みましょうよ。何で白味噌?」
「偏見反対! いいじゃない、白だろうが!」
「僕が赤味噌派なんで、断然赤をオススメします。最高じゃないですか。何が不満?
とにかく、以上のことを踏まえて潮さんに料理の知識が乏しいのは一目瞭然。自炊すべきです」
「なんでそんな事言われなきゃなんないのよー!」
「料理が出来ない潮さんでも僕は良いんですけど、料理が出来る嫁っていうのも、旦那としては仕事のモチベーションが上がると思いません?」
「その意味不明な未来設計こそ、私の心臓に悪いわよー!」
「ですから、これは潮さんの為にですね……」
「要・ら・な・い! 今まで通り、レトルトで過ごすわよっ」
「潮さんが作った手料理、食べてみたかったなぁ」
どうしてそこで、しおらしい弟キャラになるワケ!? 今までの不遜な態度はどこへ行ったって言うのよ!?
「……まったく」
見切り品を押し戻しながら、私は観念した。譲歩とも言える。まぁ、借りを返すにはいい機会だろう。
「お菓子ぐらいなら作ってあげなくもないわ」
「えっ、本当ですか?」
心底驚いた不破犬君の顔といったら。玉砕覚悟の発言が実現するとは思ってもみなかったのだろう。
「言っておくけど、作って持って来るだけよ? 部屋には入れない。あと、味には期待しないで」
「構いません! 潮さんの手作りお菓子……やった」
普段大人びていると彼なだけに、年相応の反応には微笑ましいものを感じる。
完全無防備な笑顔を見せる不破犬君に、苦笑しながら肩をすくめたのだった。

(→続く)

2019.04.12
2023.02.17

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