「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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12話 【蜃気楼】
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12話 (潮) 【蜃気楼】―シンキロウ―
――3年前。
伊神さんが運命の相手ではないと言うのなら、なぜ私は出会ってしまったの?
今という時間軸、広すぎるこの世界で、なぜこうして出会ってしまったと言うの?
*
伊神さんと知り合ってからというもの、彼のことばかり考え、想いは募るばかり。勇気を振り絞って告白しようと、何度意気込んだことだろう。
そのたびに不安が頭をもたげ、断念する。意気地のなさに腹が立つやら呆れるやら。
その日も例のごとく小用を作り、POSルームに立ち寄って貰った。修理にかこつけ、2人きりになった部屋で、私はとうとう口走ってしまった。
「伊神さん、今度どこかに行かない?」
伊神さんは作業の手を止めて驚いた顔をしている。
(や、今のなし!)
口ではなく、心の中で言い訳している自分が情けない。
「どこかって?」
やんわりと断られるだろうなと思っていただけに、その切り返しに焦ってしまった。
ただ一緒に過ごしたいという漠然とした欲求だけが先走っただけなのだ。答えなど用意していない。
卑しくも『伊神さんがOKしてくれそうな場所を見繕おってしまおう』と、瞬時に打算が働いた。
映画、遊園地。いやいや、もっと大人っぽくて知的な場所がいいかも知れない。
美術館? 博物館? オペラ観賞? 観劇?
駄目だ、正解からどんどん遠ざかってしまっているような気がする。そもそも伊神さんの趣味ってなんだっけ?
伊神さんの声は素敵だから、歌声も聴いてみたい気がする。でも初デートにカラオケは勘弁して欲しい。私が不得手だからだ。
あぁ、どうかこの奇妙な間のせいで「やっぱりめようか」などと言われませんように!
こんなことなら普段からシミュレーションしておくんだった!
後悔し始めたその時、伊神さんはいつものように微笑んだ。
「オレ、透子ちゃんと動物園と水族館に行きたい」
初めてのデートは、まさに伊神さんの性格が滲み出たチョイスだった。
その外出をきっかけに、伊神さんと遊ぶ機会が増えていった。ひと月に一度の頻度でデートを重ねていく。
周りから「まだ付き合わないの?」と冷やかされつつも、その質問はくすぐったく、心地よかった。
けれども、その幸せは続かなかった。その無骨な足音は、私と伊神さんのすぐ背後まで迫って来ていたのだ。
*
杣庄から売価の変更を頼まれた私は、書類を返すため鮮魚売り場へと赴いた。
お客で賑わう売り場はそれほどではないが、その一歩奥、作業場まで足を踏み入れると独特な臭いがする。
魚や磯の匂いがいたる所に染み付き、ここが魚市場だと言わんばかりの聖域と化すのだ。
「すみませ~ん、杣庄いませんか~?」
作業場は広い。あちこちに点在するパートさん、社員に向かって張り上げなければ声など届かない。
現に、ジャーッというよりドドドドドと表現した方が正確な、ど迫力で流れ続ける蛇口からの水音に掻き消されてしまう。
案の定初回の声は無視をされ、再び「すみませ~ん」と声を掛ける羽目になった。
3度目のすみませーんで、ようやく一番近い位置で作業をしていたパートさんが気付き、近寄ってきてくれた。
「はいはい?」
「お忙しいところすみません。杣庄に書類を返したくて。どこにいるかご存知ですか?」
「杣庄さんなら積荷を下ろしてるわ。今日は高速道路が混んでたみたいで、やっとトラックが到着したみたい」
「そうなんですね。ありがとうございます」
お礼を述べ、作業場のドアを閉める。トラックが停車しているところまで行くには、その更に奥に行かなければならない。
通路を通り、ドアを開ける。その先には薄暗いコンクリートの道が続いていた。
頭上がやたら狭かったり広かったりするのは、真上がちょうど第1立体駐車場の坂道に相当しているからだ。
かくして業者のトラックは、荷物の積み替えエリアであるトラックヤードに停車していた。
魚が納められているだろう発泡スチロールの山が荷台から降ろされており、杣庄は受け取りのサインをしているところだった。
杣庄は近付いて来る私の姿を認めたようだけど、当然業者とのやり取りを優先させる。
「カゴ車3台分、確かに受け取りました」
杣庄が伝票を業者に渡すと、帽子を被り直した業者が「まいどあり!」と笑顔を見せて運転席に乗り込んだ。
トラックはすぐに発車する。早々に次の店へ向かわなければならないのだろう。
遠ざかる車体を見送りながら、「はいこれ」と書類を渡す。
「入力終わったけど、付箋ついてるところは入力していいかどうか分からなかったから、わざと入れなかった」
「分かった、後でチェックしとく。サンキュ」
「ねぇ杣庄、今日何だか騒がしいね」
「そうか? 火曜日ほど賑わっちゃいない気もするけどな」
「売り場じゃなくて中のこと。何だか騒がしくない?」
「あぁ、事務所か。そりゃそうだろ。御偉方がいらしてるって話だぜ。店長やフクテン(副店長)クラスがお迎えなさってる頃だろうよ」
「社長がみえてるの?」
「じゃなくて本部」
「本部か」
ほっと胸を撫で下ろしていると、杣庄は伝票にサインしたペンの先っぽを私に向けた。
「甘いな。そういう安堵心から、足元はすくわれていくもんだぜ」
「教訓、身に沁みます」
「信じてないな?」
「私には関係ないもん。本部はいつも男性社員を見てる。出世しそうな有能社員ばかりをね。だから私は平気」
「賛同しかねるね」
「ふんだ! 杣庄の石頭。べー」
拗ねた勢いで踵を返そうとした時だった。まさか背後に人がいるとは思わず、まともに相手の鎖骨部分におでこをぶつけてしまった。
「!? ご、ごめんなさい」
「あぁ、これは! すみませんでした。まさか急に振り向かれるとは思わなくて」
おでこを摩りながら見上げる。目の前に立っているのは知らない男性だった。
質の良さそうなスーツをきっちり着込み、ネクタイのタイピンとお揃いのカフスには、それとなくスワロフスキーが光っている。
魚の匂いが漂う、この場に似つかわしくない風体の男性は、私の肩に手を置くと覗き込んできた。
「大丈夫ですか? おでこ、痛みます?」
色素の薄い、やたら茶色い瞳が印象的だった。思えば髪も色素の関係か、完全な黒髪ではなく茶色だ。
正直男性には免疫がない。逃れるように身体を捻ると、肩に置かれていた手からようやく解放された。
「いえ、大丈夫です」
「良かった。それにしても、この店にこんな可愛らしい女性社員がいたとは。潮さん?」
「え? なんで私の名前……」
「名札を拝見しました。ですが、下の名前も教えて欲しいな」
ギョッと半歩ほど後ずさる。この人、初対面だというのに女性との距離の取り方がおかしくないだろうか。
戸惑いつつ、なんと返答したものかと考えていると、
「そこまでだ。支店まで来てセクハラか? 本部の人間ともあろうエリートが何やってんだ」
厳しい口調で物を言う杣庄に、私と男性がハッと気付いて彼を見る。杣庄の眼光は鋭かった。まるで糾弾するような目だ。
それをまともに食らっているのは男性側なのだが、当の本人は面白いとばかりに口元に笑みを浮かべた。
「相変わらず態度がなってないね、杣庄は。3つ上の、しかもその『エリート』を捕まえてタメ口とは。きみは何様だい?」
「敬って欲しけりゃそれ相応のお手本を見せて貰おうか。
それに何様かと問われたら杣庄サマだとしか答えようがねぇな。おたくこそ、続くのか始まるのかハッキリしろよ」
「まったく。きみの野次は、小学生レベルだな」
やれやれと肩を竦める本部社員に対し、杣庄が意地悪く、鼻で笑った。「ふん。――潮」
急に杣庄に苗字で呼ばれ、え? と思ったけれど、恐らく私の名前を相手に気取られないための配慮だろう。その頭の回転の速さに舌を巻く。
「こちらのお方はな、泣く子も黙る、我がユナイソン本部人事部所属の都築基(つづき はじめ)サマだ」
「つづきはじめ……」
「な? 続くのか始まるのか気になるだろ?」
「そ、杣庄……。そろそろ黙った方がいいんじゃ……」
私と杣庄はまだ入社して数年。対して向こうは年上の、しかも本部人事部だ。なるべく波風を立てないようにして欲しい。
「いい度胸だね、杣庄。どうやら僕を敵に回したいらしい。いつでも受けて立つよ。僕は相手を敵と見なしたら、容赦なく潰す主義だ」
笑顔の裏に潜む、おどろおどろしい素顔をちらつかせたかと思うと、都築さんは私の肩に手を乗せた。
「へ? あ、あの。この手は一体何でしょう、か?」
引きつった笑みを向けると、都築さんは「ん?」と私を見つめる。
「きみに一目惚れしたんだ。僕と付き合ってくれないか?」
「ご冗談を!」
これには笑いを抑えることが出来なかった。てっきり冗談だと思ったのだ。けれども都築さんは本気だった。
「杣庄」
「あ?」
「きみがこの子の彼氏かい?」
その質問に、杣庄が苦々しい顔を作った。杣庄の心が読める。『違うっつーの』。
とはいえ都築さんに諦めて貰うには自分が彼氏役を担わないといけないんだろうなと素早く見積もったのだろう。
杣庄は「そうだと言ったら?」と、肯定でも否定でもない言葉で切り返す。相手の出方を見ることにしたのだろう。
ところが都築さんは飄々と「貰う」とだけ言ってのけた。これには私も杣庄も絶句せざるを得ない。
「……あのなぁ、それじゃあ色々と順番が違うだろ」
「順番?」
「恋人の有無より先に、潮の返事を訊けよ。おたく、それをすっ飛ばしてるじゃないの。そもそも出逢って数分のあんたに潮の何が分かる?」
心の底から呆れた杣庄の声だった。
(杣庄、そんなにバンバン言ったら都築さんの心証を悪くしちゃうって!)
ヤバいと思った私は咄嗟に答えた。きっぱりはっきり言えば、都築さんだって分かってくれる。諦めてくれるはずだと思って。
「お断りします! 私には大好きな人がいるので」
「! おい、透……潮! やめろ、言うな!」
「へぇ、誰なんだい? やっぱり杣庄かな?」
「誘導尋問だ、答えなくていい!」
「メンテナンス部の伊神さんです! 私、物凄く好きなんです。だから付き合えません。ごめんなさい」
「ちくしょ……。潮、来い!」
杣庄は私の腕を掴むと、元来た場所――立体駐車場の坂道の真下――まで連行した。
その腕力たるや一切の手加減なしで、後で青あざにならないか心配になるほどだった。
「杣庄、痛い……!」
訴えると、杣庄はやっと立ち止まり、腕を離してくれた。その代わり、怒涛の叱責が始まる。
「お前! なに口走ってんだ! 都築の標的が俺から伊神さんに移っちまったじゃねーか!」
「だ、だって私が好きなのは伊神さんだもの。このままだと、関係のない杣庄に迷惑が掛かると思って」
「馬鹿、よく考えろ! 俺が標的になってた方が遥かにマシなんだよ。俺はヤツのどんな攻撃にも耐えられる自信があるからな。
だけどこれが伊神さんに向かってみろ。誰よりも優しい伊神さんだぞ? ヤツの精神攻撃に耐えられると思うか!?」
「あ……」
「2人が付き合ってるならまだいい。でもまだ付き合ってないし、これからの関係なんだろ? 今が大事なときなんだ。
ヤツの攻撃がお前に行くのか伊神さんに行くのか分からない。もしかしたら……くそっ、考えたくないが、2人諸共かもしれない……」
「私……どうしよう……何てことを……っ」
ようやく自分の愚かさに気付いた。今からならば、まだ修正が可能だろうか?
「取り敢えず、伊神さんに連絡を……」
「その必要はないよ」
都築さんの声に振り向くと、彼は携帯電話を背広に戻すところだった。
「メンテナンス部の伊神・ラジュ・十御。優秀な社員のようだね」
「ちっ、腐っても人事部。早速調べやがったか。どこからでもアクセス可能な媒体持ってる人間が権限も駆使しやがると相当厄介だな。
一体何を企んでやがる……!」
歯軋りする杣庄と、不敵な笑みを浮かべる都築さん。そこへ伊神さん本人が現れ、私と杣庄は呆気に取られるしかなかった。
「伊神さん、どうしてここへ……」
何が起こっているのか掴め切れていない伊神さんは、それでも只ならぬ雰囲気を感じたのだろう、私に「大丈夫?」と尋ねてきた。
気遣いを含んだことばと、心配そうに私を見る目。伊神さんという、優しさの海に包まれた私は、彼に謝ることしか出来ない。
「ごめんなさい……! 伊神さん、ごめんなさいっ」
「透子ちゃん? 何を謝ってるの? 一体どうしたの」
伊神さんの後ろには八女チーフもいた。私、杣庄、都築さんという組み合わせを確認するなり、小さく溜息を吐いた。
「潮がちっとも帰って来ないわ、伊神が面識もない本部の人間から呼び出されるわ、これは何かあると思って付いてきたけど正解だったわね」
八女チーフと伊神さんも加わったことで私は安堵した。けれど安心するには早かったのだ。都築さんの言葉は、再び冷水を浴びせるものだった。
「伊神君に聞きたいのだけど」
「はい」
「潮さんの彼氏?」
心臓をギュッと鷲掴まれた感覚がした。
(まずい、嘘が露見してしまう)
私は思わず目を瞑った。
ところが伊神さんは一瞬押し黙ったものの、異様な空気を読んだのだろう、「はい」と力強く答えた。
嬉しい嘘に、思わず鼓動が跳ねた。
(伊神さんが私をかばってくれた……)
それだけで十分だ。
「そうなんだ。両思い、ね」
「分かったろ? あんたが入り込む余地なんか、これっぽっちもないんだよ」
杣庄が畳み掛ける。この段階で状況が飲み込めたのだろう、八女チーフは呆れたとばかりに肩を竦めた。
「潮と伊神の仲を裂こうっての? 残念だったわね。既に2人は相思相愛よ」
「そうか。なら、2人には別れて貰おうかな」
「!? ちょっと……なに馬鹿なことを言い出すの?」
「どこまで性格が破綻してやがるんだ、お前!?」
言葉が通じない相手に恐怖を感じた。聞き届けて貰えない。この人には、何を言っても通じないのだろうか。
「オレは透子ちゃんと別れる気はありません。彼女を愛してます。お引き取り下さい」
伊神さんがハッキリと言い切る。こんな状態じゃなければ、本当に、夢のように嬉しいことばだ。
「じゃあ、潮さんには本部に来て貰おうかな」
「!?」
「何を言い出すんだ、都築? 職権乱用だぞ!?」
「とんでもない。僕は早急に部下が欲しくてね。本部がある名古屋市まで通勤可能な候補者を探しているところだったのさ。
僕自ら店舗に赴いて、直接適任者を探してたんだ。今日はその視察がたまたま岐阜店だったというわけ。
でも結局適合者を見付けられなくてね。トラックヤードに社用車を置かせて貰ってたから、この通路を経由して帰ろうとしていたんだ。
ところが! 最後の最後で潮さん、きみに出逢った。これは運命に違いない。潮さんには早速、明日から本部で働いて貰うよ。
あ、スカウトの件は、愛知・岐阜県下の店長全員が既知だからね。本当かどうか、直接問い合わせて貰っても構わない」
淀みなく、一気に喋る都築さんを、杣庄が不気味なものを見るような目で見た。
「尋ねてもいないことをペラペラペラペラと……。かまってちゃんかっての。
だとしてもだ。入社たった数年の、A層の試験にも受かってない女性社員をいきなり本部へ配属するのはおかしな話だろう!」
「僕が手取り足取り教えるから大丈夫さ」
「透子ちゃん、駄目だ! 聞いちゃいけない!」
「そんな無茶が通ると思ってるの? いくら人事部だからって、そんなイレギュラーが認められるはずがないわ!」
伊神さんに続き、八女チーフも反論する。が。
「岐阜店店長は僕に逆らえない。何故だか分かるかい? 僕が本部の人間だからだよ」
その瞬間、八女チーフの顔が青ざめた。何かに脅えた顔。見えざる悪意に言い知れぬ不安を抱いているような、絶望に打ちのめされた表情だ。
「あんたたち本部は……上層部は……いつもそうやって、女性社員を食い物に……!」
恐怖に震えながらも憎しみの矛先を都築さんに向ける八女チーフ。伊神さんも険しい顔をしている。
勝機がないと悟ったのか、八女チーフがそれ以上言い募ることはなかった。ただただ、悔しそうに唇を噛み締めている。
「ねぇ、伊神君が大好きな潮さん。これを断れば、矛先がどこへ向かうか分かるね?」
「っ……」
(今なら分かるわ。伊神さんをどうこうしようって話になるんでしょ?)
私と違って、伊神さんには夢がある。とても素敵な夢だ。初デートの動物園へ行ったとき、白クマを見ながら話してくれた。
彼がユナイソンに入社したのは、裏方だけれどもメンテナンスという手段を通じて人を喜ばせたいという、純粋かつ尊い志望動機によるものだった。
その目標を1つでも叶えるために、伊神さんは日々腕を磨いてきたのだ。
メンテナンスという仕事は優しさだけでは出来ない。高度な技術があって、始めて身を結ぶ仕事なのだ。
(それなのに)
この男は、伊神さんの、その弛まぬ努力を、おぞましくも権力などという乱暴な手段でどうにかしようと言うのか。
(許せない……)
沸々と込み上げてくるのは怒りだった。
「……最低ね……」
「ん?」
「私は! 伊神さんと付き合ってるの。あなたなんかと付き合う気はさらさらない!」
言い切り、肩で息をする。
杣庄がパチパチと拍手をする音だけがバックヤードに響いた。
「……いやぁ、気が強いひとだ。僕は強気な女性は好きじゃないんだ」
「だったら諦めるんだな。伊神さんの前では猫をかぶってるが、こいつは相当口が悪いぞ。敵認定したら、以降絶対に敬語は使わない」
あまりフォローになっていない気もするけれど、それで諦めて貰えるなら安いものだ。
「強気な女性は好きじゃないが、彼女の容姿はタイプなんだ。それに、人前で虚仮にされてプライドが傷付けられた。その責任は取って貰う」
「……歪んでんのな」
「一緒に仕事をしている間に、彼女の意見が変わるかもしれないしね」
向けられるのは、意味深な視線だった。
(あんたなんか、誰が好きになるかっていうの!)
「透子ちゃん。オレはどうなってもいい。行かないで欲しい」
切実な目で訴えてくれる伊神さん。私は恵まれてる。大好きな人から、とても温かい言葉を貰えて。
それは勇気に変換するね。私も闘うよ、伊神さん。
「……都築さん。約束して。伊神さんには指一本触れないって」
「さぁ? それはきみ次第だよ」
伊神さんに危害を加えられたくない。そのために、別れを告げる。ほんのしばしの別れ。
そう、永遠の別れではないから。きっとすぐに戻って来るから。だから待ってて欲しい。
(今ならするすると言葉に出せる。素直に言える。……不思議だね、心の中の情熱はあなたに向かってまっしぐらだわ)
「伊神さん、好きよ。大好き」
もっと早く伝えていれば良かった。今になって後悔の渦に飲まれる。
「どれだけ好きか、心の中を覗かせてあげたいな。大丈夫よ。私はすぐ帰って来るから」
「透子ちゃん」
「あのね、伊神さん。これはただ、距離としてのお別れよ。恋人として別れたわけじゃない。だから」
「……駄目だ、透子ちゃん。行ってはいけない」
大粒の涙が頬を伝う。もうこれで終わりだ。
(伊神さんを傷つけられたくない)
不本意な異動になってしまったけれど、私の心を縛るのは、後にも先にも伊神さん、あなただけよ。
*
本部勤務中は、毎日のようにくる都築さんからのデートの誘いを頑なに拒み続けていた。
私と伊神さんは電話でやり取りを続け、一緒に会える時間を捻出し合い、何とかデートに漕ぎ着けることが出来た。
でもそれが都築さんの機嫌を損ねてしまったらしい。
ある日突然、私は伊神さんが香港支店に飛ばされることを知った。私が本部に来て、11日目のことだった。
「約束はどうなったの!? なぜ反故にするの!?」
その問いに、都築さんは「残念だよ」と大仰に溜息をついて首を振った。「キミが今も伊神に囚われたままだからさ」。
私は伊神さんの出国を見送れなかった。仕事という鎖で拘束されてしまい、空港に行くことも出来なかったのだ。
いつまで経っても自分のものにはならない私を厄介に思ったのだろう。飽きた玩具を捨てるかのように、私は再び岐阜支店勤務を命ぜられた。
解放されたところで、岐阜店に伊神さんはいない。それどころか、国内のどこにも。
意気消沈のていで岐阜店に戻った。口さがない噂が広まっていたら居た堪れないなと身構えていたけれど、意外にも誰からもなじられなかった。
八女チーフと杣庄が、最前線で私を守ってくれたのだと思う。
とはいえ私は呵責を感じていたし、それは今でも私の心の中に棲み続けている。
これが「事件」の顛末。私が犯した消えない罪と、終わることのない罰の話。
2008.10.15
2019.05.03
2023.02.17
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