「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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06話 【Weak Point!】
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06話 (芙) 【Weak Point!】
「青柳チーフとのコンビネーションに、思わずうっとりしてしまいました」
拗ねるように耳打ちしてきたのは、青柳直属の部下、志貴迦琳。秘密めいた正直な告白を受け、私は青柳を見やる。
つい30秒前まで私の横にいたドライの長、青柳は、用を済ませた途端、今度はわんちゃんこと不破犬君と綿密な打ち合わせを始めていた。
「あら、志貴にはそんな甘いムードに見えたのかしら? 私の受けとらえ方とは、てんで真逆ね。
私的には、『横着にもPOSルームに勝手に押し掛け、商談を始めた挙句、脅迫まがいに入力を迫られた』という解釈だったんだけど」
敢えて青柳本人の耳に届くよう嫌味たらしく言うと、彼は視線も寄越さずしゃあしゃあと言ってのけた。
「たんに時間が惜しかっただけだ。……不破、これは前日発注で。こっちは投入だから気にするな」
「了解。そのように手配します」
「……八女さんはそう仰いますけど、やはり阿吽の呼吸でした。抜群の連係プレイに私、見惚れちゃって」
「あら、志貴。ヤキモチ焼いてるの?」
突いて出た意地悪な指摘に、志貴は顔を真っ赤にして否定する。
その勢いが良すぎたものだから、志貴をなだめるために「ごめんごめん、私が悪かったわ」と詫びねばならなかった。
肩で息を切らす志貴の本音は、じつのところ、分からないでもない。
この子はきっと、私にすら否定する。恋心そのものを。でも間違いなく青柳を好いているはずだった。
だからせめて、『私ではライバルに成り得ないのだ』と、先に告げておくべきよね。
誤解を与えてしまっては、恋する女の子に過度なストレスを与えかねない。それでは余りに可哀想だもの。
「私は青柳に振られてるの。だからどんなに青柳との仲を勘繰られても、なにも出てきやしないわよ」
「ふ……えええ!?」
素っ頓狂な志貴の声に、青柳もわんちゃんも会話をやめ、なにごとかと私たちを振り返る。
「何でもないわ」とにっこり笑うと、男性2人は顔を見合わせつつも打ち合わせを再開する。
「そんなに驚くことかしら」
「驚くに決まってるじゃないですか! なにいきなり爆弾発言してくれちゃってるんです!? どうしてくれるんですか、この膨れ上がった好奇心!」
別に秘しているわけでもないのだけど。むしろ志貴の耳に届いていない方が驚きだった。
「勘弁してくれない? 話せば長くなるのよ。それにもう終わったことよ。何年も前にね」
私の言葉に疑いの目を向けつつ、しかし志貴はそこで折れることにしたようだ。
青柳を盗み見る志貴の横顔は、かつての私のそれだ。恋する表情。愛しい者を見る、恍惚の。
青柳は同期の中でも突出した才を見せ、手腕を発揮し、常に頼れる存在だった。
あの頃は恋をしていた。次から次へ。蜜蜂が、色んな木から蜜を採取するように。
青柳幹久という名の木、加納倭という名の木。そんな具合に。幸か不幸か、伊神十御という木には止まらなかったけれども。
「今となっては、数ある恋の内の1つよ」
じゃあ、と言う。今は? と。
「秘密」
それにまだ勤務中だ。青柳とわんちゃんが白熱したやり取りをしている最中だし。
志貴も、ドライの社員としてその輪に加わらねばと思ったのだろう。私から離れると、2人の方に移動した。
*
打ち合わせが終わったのだろう。青柳の指示がくだり、わんちゃんと志貴はPOSルームから出て行った。
今さら2人きりになったところで鼓動が速まったりすることはない。
それでも「芙蓉」とハッキリした声で呼ばれれば彼の目を見てしまう。恋心を抱いていた頃より、ひと回り頼もしくなったと思う。
「なぁに?」
「杣庄のことだが……」
「……返事のことでしょう? 私なりに考えていたわ。ずっと保留にしてたから、考える時間だけは十分あったし」
「あいつは良いヤツだぞ。って、そんなことは百も承知か。あいつが配属されてからずっと一緒なわけだし」
「そうね」
「俺は……いや、俺が言えた義理じゃないか。恋愛は俺の苦手分野だ。すまないな、役に立てなくて」
「なに言ってるの。嬉しいわよ」
「今からメーカーと打ち合わせなんだ。もう行くよ」
「えぇ」
青柳はノート類をまとめると部屋から出て行った。……はずだった。「そうだ」と言って顔だけ覗かせる。
「なぁ、トオゴに相談してみたらどうだ?」
「伊神に相談? 恋愛について?」
「あいつらしいアドバイスくれるぞ、きっと」
「……本気で言ってる?」
「勿論だとも。じゃあな」
今度こそ青柳の足音が遠ざかる。しんと静まり返ったPOSルームに、私の溜息だけが流れる。
*
『ねぇ、どうしたら良いと思う? 伊神』
そう尋ねれば、誠実な答えをくれた。問い掛ければ「それはね」と優しく教えてくれた。
小さな子供でも納得のいく、噛み砕かれた、懇切丁寧な説法で。
教師のように。またある時は宣教師のように。或いは僧侶のように。胸に慈愛を宿しながら、彼は説く。
誰ひとりとして悪人に見立てたりせず、つねに争いとは無縁でいたがった。博愛こそが彼の信条だった。
それでも守りたい人のためならば、ときに歯を食い縛ったりもした。
独特な生き方をする男で、それはつまり、自分というものを、ブレることなくしっかり持っているとも言えた。
白状すると、個性豊かなその生きざまが好きだった。
いつしか私は自分の思考を止め、時間をかければ導きだせたであろう質問でも、無遠慮にポンポンと伊神に投げ掛けたものだった。
知り合って数年ばかりの間に、すっかり彼への甘え癖、頼り癖がついてしまったものだと思う。
『ねぇ、伊神』
私がこのセリフを20回言って、やっと、
『ねぇ、八女さん』
という1回を耳にすることが出来た。
それだけ私は伊神に信頼を置いては頼りきり、その反面、伊神が私を頼ることは、ほぼ皆無に等しかった。
私たちは、そんな関係にあった。
*
「伊神ー」
ドアをノックをしたけれど、呼びたい張本人どころか、他のメンテナンス社員からの返事もない。
さては作業に集中してるのかと思いドアノブを回せば、案の定、電ノコで木を切るキコリ――もとい、繋ぎの作業服を着た男がいた。
そのくせ人の気配には敏感なのか、あるいは平生聞き慣れないヒール音に違和感を覚えたからか、その人物は私を振り返りつつ電ノコの電源をオフにする。
木屑防止の眼鏡を外しながらニッと笑い掛けてきたのはこの部署の主、一廼穂碩人だった。
「これはこれは。俺の芙蓉サマ!」
「その『俺の芙蓉サマ』は貴方ではなく伊神を探しているの。ごめんあそばせ」
軽くあしらいながら視線を満遍なく移動させるも、この部屋に碩人以外の姿を認めることは出来なかった。不在、か。
「あいつなら工具一式持ってデリバリ中だぜ」
「どこへ行ったの?」
「聞いて驚け。女子更衣室だ」
「女子更衣室?」
驚きのあまり、碩人を凝視してしまった。さすがに女子更衣室と伊神は結びつかない。
「女子更衣室の電球が切れちまってさ。話を受けた俺が出張ろうと思ったんだが、『あはは一廼穂さんが? あはは勘弁してよー』と言い出してだな。
「ははは、そのまさかさー」と言ったら次の瞬間、物凄い形相で『いいから早く伊神さんを寄越しなさい』、だと」
「的確な判断かつ最適な人材配置だと思うけど」
「それは俺も否定しないが、それにしたって作業中は使用禁止の標識用スタンド立てておくんだから、別に構わねぇだろうによ」
「構ったんでしょうね。日頃の行いが物を言うのね」
「俺の芙蓉サマが、含むような言い方で俺の心の傷をえぐるー」
「自業自得でしょうに。それに貴方を付けあがらせると調子に乗るから、その予防よ」
「調子に? 乗ったかな、俺」
木屑まみれの軍手を外すと、スッと私の髪に手を差し入れる。耳朶に指を這わせ、すりすりと擦り始める碩人の手を、私は反射的に振り払った。
「これよこれ。全く、どうにかならないの、その手の早さは」
ぺちんと手の甲を叩き、セクハラをやめさせる。顔では平静を装うものの、ぞわりと総毛立っていた。
「お噂の柾サンよりかは大人しいと思うけど」
「私に言わせれば同じくらい早いわよ」
「いや、早くない。早くないからな、俺は。何なら試させてくれ」
「何の話よ……」
成り立たない碩人との会話にげんなりした私は、伊神がいないならばここにいても仕方がない、と踵を返す。
同期とは言え……いや、同期の中でも一廼穂碩人は浮いた話が多いことで有名だ。ここで捕らわれるわけにはいかない。隙を見せるべきではないのだ。
被害妄想と言われればそれまでだけど、それでも念には念を。張れる予防線は、張っておくに越したことはない。
「あ、出直す? 伊神には『俺の芙蓉サマが来た』って言っておくよ」
「『俺の芙蓉サマ』ネタをいつまで引っ張るつもり?」
「まぁ確かに言い慣れなくて何度も噛みそうになったことは否定しない。あばよ、八女」
碩人は普段通りの呼び方で私の名を呼ぶと、さっさと行けとばかりにしっしと右手で追い払うジェスチャーをした。
やれやれ。どこまで調子のいい男なのだろう。
部屋を去ろうとした私の前に、誰かの体躯が現れた。突然のことでブレーキが効かない。私はその人物の胸に収まり、相手に「おっと」と抱き留められた。
「大丈夫?」
伊神の声だった。
「平気。鼻をおもいっきりぶつけたけど」
「八女さんだったのか」
鼻をさすりながら私。碩人が言う。
「よぉ伊神、お疲れ。さっき俺の芙蓉サマが来たぜ」
「どうして過去系? 八女さんがいることは分かったし、別にお前の八女さんではないよね?」
1つのボケに対して1つのツッコミ。今回碩人は2ヶ所ボケた。だから伊神が入れるツッコミも2回。やれやれ、どこまでも律儀なんだから。
*
まだ早い時間だったけれど、伊神は二つ返事でお昼休憩に付き合ってくれた。
社員食堂の隅の隅、誰にも邪魔されないであろう場所を確保し、弁当箱を突き合わせた。
保温タイプのそれに、伊神曰く「昨日の晩飯に作った残りもの」のビーフシチューと玄米、4粒のいちごが伊神の食事内容だった。
「相変わらずコンプレックスを刺激してくれるお弁当ね」
「なに言ってるの。八女さんのお弁当の方が魅力的。唐揚げ、俺大好きだよ」
いちごを頬張る男に、唐揚げに齧り付く女? ……勘弁してよ。
食欲が失せた私は、弁当箱のふたに唐揚げを全て載せると、伊神の方へいざなった。代わりにいちごを戴くことにする。
伊神の了承など、いちいち取っていられない。
思ったとおり、彼はイレギュラーな物々交換にもめげず、「ありがとう」とにっこり微笑んで唐揚げを頬張った。お陰で肉食女子にならずに済む。
いちごのヘタをぶちりと千切る私に、「それで?」と伊神は尋ねてきた。
「なにかあった? 相談事かな」
つうと言えばかあ。伊神にはお見通しのようだ。時間だって限られているし、話を切り出さないといけない。
「ソマのことよ」
「杣庄君?」
「10月に彼から告白されたまま、ろくすっぽ返事もしてなければ、会話もしてないの。
原因は判明してるわ。私よ。私が怖気づいて逃げてるの。告白の返事を引き延ばしたりして……」
「恋の話かぁ」と伊神は苦笑い。そうよね、伊神だって潮とはぎくしゃくしたままだったわよね。
そこでハッと気付いた。
このシチュエーションにこの座席の位置。ともすれば私と伊神がカップルに見えなくもないんじゃないかと。
急に背後の様子が気にかかってきた。恐る恐る振り返れば、ソマこそいなかったものの、他部署の女子社員と談笑する潮の姿があった。
果たして私たちに気付いているのか、いないのか。
いや、あれは気付いてるに違いない。潮の伊神レーダーを甘くみたらいけない。
視線を横にずらすと、香椎がいた。1人で黙々とスパゲッティを平らげている。
私がこんな席に陣取らなければ、香椎は私たちに声をかけただろう。それをしなかったということは、私たちに遠慮をしたわけだ。
或いは面白がっているか。
スマホを手に取ると、短縮番号を押して香椎に繋いだ。「なぁに?」と香椎。
「あなた、私が伊神といるの、知ってるのよね?」
「勿論。いま貴女の背中をロックオンしているもの」
「こんなこと訊きたくないんだけど、もしかして浮いてる? 私たち」
「えぇ。だって一番奥だものね。真ん中の列誰もいないのに。2人きりだし、近寄りがたいオーラよ。だから今日は遠慮したの」
やっぱり。
「今すぐここに来て!」
「いやよ。面倒臭い」
「来て下さい」
「ギャラリーからしたら面白くなくなっちゃうじゃない」
「やっぱり面白がってただけなのね!」
「じゃあね」
上から物を言っても駄目。下から言っても無駄だった。通話を一方的に切られ、急に針のむしろに座らされているような気分になった。
嘆いていても仕方ない。恨むなら、こうなることを予測しなかった自分の浅はかさを恨むべしだ。
こうなったら、この時間を最大限に活用しなければ損である。
「伊神。私どうしたらいいと思う? ソマの返事を受けるべきか、断るべきか……」
伊神はビーフシチューをすくっていたスプーンを口元から放し、しばらく動作を止めた。
いつだって伊神は答えをくれた。だからきっと、今も伊神なりの考えをまとめているのだろう。そう思ったし、そう願った。
だから伊神が紡いだ言葉を聞いた私は絶句したのだ。
「それは俺なんかに答えられないよ」
*
突き放された。
そう思ったのは多分、伊神が今まで親身になってアレやコレやと丁寧に教えてくれてきたからだろう。
分からない時は「一緒に調べよう」と言ってくれたし、寂しい時は優しい言葉を添えて胸を貸してくれた。
だから今回も答えが貰えると思っていた。まさか「俺には答えられない」というセリフを聞くことになるとは思ってもみなかった。
そのあとに『俺も一緒に考えるよ』と続くことを期待したのに、付け加わる気配はなかった。つまり、話はこれで終了……。
常に伊神を頼ってきた。でも潮のこともあるし、いい加減『伊神断ち』を決意しなくてはならないのだろう。
そもそも伊神を頼るようになったのは、枕営業をさせる目的で近付いてきた加納との一件が男性不信に繋がったからだった。
その点、伊神は安心かつ安全だった。程よく甘えさせてもくれ、大層居心地が良かった。
けど、伊神と恋愛関係になる道はあるのかと訊かれたら、それはないなとも思う。
例え恋愛感情を抱けたとしても、そこまで甘えるわけにはいかない。当然潮への配慮もある。
さっき志貴を安心させたように、潮にも「大丈夫よ」と伝えておかなければ。
――そう、私はもう伊神には頼れない。
*
『二度と恋なんてしないわ』。
それは、さして難しいことでもなかった。積極的にならなければ、それで済んでしまったから。
近付いてくる男性との間に線引きをして、これ以上はヤバイなと警告音が鳴ったら速やかに撤退する。ただそれだけで良かった。
それなのに。
平穏無事な日常を脅かす男性が現れた。
正確に言えば、その人物はある日突然現れたわけではない。それどころか何年も私の近くにいた。
彼は心の中で育てていた秘密の恋心を打ち明け、その瞬間私の『押し殺し、なかったものとして封印していた心の扉』が解錠してしまった。
私はソマのことを、どうすべきか。やはり断るべきか。……。……。
ドン、という接触音が聞こえた。……え? 『ドン』?
「きゃ……っ!?」
果たして、のどから迸る悲鳴が先だったのか、それとも、うず高く積まれた商品が雪崩を起こし、落下する音の方が先だったのか。
分からないし、そもそも分かりたくもないし、それは悪夢以外のナニモノでもなかった。
できればこのまま目を閉じていたかった。開ければきっと後悔することぐらい、目に見えていたから。
……あぁ、目を開けてしまった今、ありありと見える。惨状が。悲劇が。
マスク箱の大・散・乱。この大量の商品を再び綺麗に陳列し直すには、相当の根気と時間が必要だろう。
季節柄、売り場の一等地に一番売りたい商品を置くことになっている。私が倒したのは、日用雑貨売り場のマスク箱の塔だった。
折しも閉店直後の直営売り場。客も社員もアルバイトもいない。今夜は私が鍵当番。現に今も複数本の鍵を持って店内を巡回しているところだった。
散々な1日の締めくくりに溜息をつきながら、よいしょと立ち上がる。既に照明は必要最小限しか灯っておらず、心もとない。
そんな中でタワーを完成させねばならないなんて。私ったら、なんてマヌケなんだろう。
箱を1つ1つ手に取り、潰れていないかを確認する。大丈夫なら積み上げ、角が潰れていたら除外する。報告は明日の朝、一番にしなければ。
そんな作業を始めていると、走ってくる靴音がした。巡回を始めた警備のひとに違いない。
「大丈夫か!?」
「えぇ、平気です。ごめんなさい。私がうっかり商品の陳列を倒してしまって……。麻生さん?」
てっきり警備のひとだと思っていたその人物は、制服姿ではなかった。背広を着た社員で家電売り場のチーフの麻生さんだった。
「2階から降りてくる途中で悲鳴が聴こえたんで、すわ強盗かと思って急いで駆け付けたんだが、そうじゃなくて良かったよ」
全速力で走ったからか、冷や汗をかいたからか。麻生さんは「暑い」と言いながらネクタイを緩めた。
「う~む……。これまた派手にやらかしたもんだな、八女さん」
散らばるマスクの箱を眺め、麻生さんは唸る。そして、「ま、いっそ清々しい」と苦笑して、背広をも脱いだ。
「さっさと直しちまおうや」
「すみません。ありがとうございます」
そうか、麻生さんも鍵当番だったんだ。私は1階に割り振られていたけれど、麻生さんは2階の担当だったらしい。
「それにしても、女子に鍵当番は酷だと思うがなぁ。さっきも言ったように、強盗だったら相当危なかったぜ? 違ったから良かったものの」
「男女平等、男女雇用均等法、ですよ。だからこれも仕事のうち」
麻生さんが眉をしかめたのが、暗所でもはっきり分かった。
「いや、そこが平等じゃ駄目だろ。それとこれとは話が違う。
今まで誰も言い出さなかったのがおかしい。嵐でさえも、そこに気付かなかったのかな。今度議題に乗せるべきだな」
最後の方はほぼ麻生さんの独り言のようだった。
「麻生さんって、優しいんですね」
伊神とは違う。ベクトルが似て非なるもの。でも、他者が気付きにくいところに気が回る点では同じように思えた。
「優しくない。ちっとも優しくない。訊きにくいことを訊ぃちまうが、八女さん、あんた男怖いだろ」
マスクの箱を積み上げる手が止まった。麻生さんを見れば、積み木を作成するかのごとく、マスク箱を累々と山にしている。
その横顔を、私は見つめ……。素直に「はい」と白状した。
「怖いですよ、男のひと。私は一度騙されてしまっているから」
でも麻生さんは平気だ。なぜなら、私の愛すべき千早歴が親しくしている相手だから。
それは時に強固な免罪符と成り得る。『麻生環は無害だ』という免罪符に。
「現に、次の恋に踏み出せなくて。躊躇してしまうというか……」
「あぁ、杣庄のことか? あの告白は格好良かったなぁ。あいつ凄いなぁって心から感心したよ」
本部での公開告白の場に、麻生さんも同席していたことを思い出す。
「ひょっとしたら耳にしたことがあるかもしれないが、俺は女性不信なんだ」
そんな噂は、ついぞ聞いたことがない。私は呆気にとられ、問い返していた。
「女性不信なんですか? 麻生さんが?」
「ちょっとしつこい女がいてね」
ストーカー。その言葉が真っ先に頭に浮かんだ。
「去年ケリがついてやっと落ち着いたんだが、まだ若干抵抗がある。共に異性に苦手意識を持つ者同士か。俺ら、なんだか似てるな」
なんなの、この境遇の合致は? 麻生さんが私と似た体験をしていたなんて――。
「だが、そんなことも言ってられないよな。
自由奔放に恋愛をしている柾を見てるとさ、たまに思うもんな。そんなにハマれるものなら、ゼヒ一度真剣に恋焦がれてみてぇなって」
「……同感です」
青柳を見る志貴の目、伊神を見る潮の目。恋をしている彼女たちの目は、女の私がぞくりとするほどの吸引力を宿している。
思わず吸い寄せられる、真剣な眼差し。かと思えば、とろんと恍惚そうに目じりが緩み、口元を僅かに綻ばせている。
チークなど不要な上気した赤い頬、服装にも気を遣い、醸し出るのはその子特有のフェロモン。
かつての私がそうだったように、今の私もそうありたいと願う。本当は。可能ならば私だって恋をしたい。当たり前じゃない。
「出来ると思います?」
そう尋ねてみると、麻生さんはふっと笑った。そして、
「ほい」
マスクの箱を私に手渡す。
驚いた。これは最後の1個だ。いつの間に、ここまで塔を完成させていたのだろう?
「やって、やれないことはないさ」
その言葉に励まされ、手を伸ばして頂きに箱を置いた。マスク塔の完成だ。
「騙す人間もいれば、騙さない人間もいるぜ、八女さん。杣庄のコト、一丁前向きに考えてみねぇか?」
ソマは裏切らない。ソマは私を騙したりしない。
そんなこと、昔から分かってたじゃない……!
いつだって潮を守り、しかも守り抜いてきた。そんな誠実な男性からの愛の告白を、私は何を躊躇うことがあると言うの?
「……私……、馬鹿だっ……」
考えずとも、答えは明白だった。
それなのに私は長いこと彼を待たせ、避けてしまった。
どれほど傷付いただろう? どれだけ傷付けてしまったのだろう?
申し訳なくて、自然と涙が溢れてきた。堪え切れず、ぽたりと床へ。
「良かったなぁ、気付けて」
目元を拭いながら、私は何度も頷く。麻生さんのその声は、とても優しかった。
そうよ。伊神も青柳もソマも麻生さんも、皆みんな、優しいじゃない。騙さない人間の方が、圧倒的に多いじゃない。
その事実が嬉しかった。そして、その事実にあり付けたことが、この上なく幸せだった。
「さ、帰るぞ」
ぽんと私の肩を叩くと、麻生さんは帰路を促してくれた。
*
「伊神、いる?」
翌日メンテナンス室を訪ねると、伊神がメジャーで木の長さを計測しているところだった。
私に気付いた彼は、作業を停止してくれるようだ。シャッ、パシッという音と共に、メジャーが一気に収まる。
「八女さん、おはよう」
今日も変わらぬ穏やかな微笑みで出迎えてくれる。
「おはよ。伊神、昨日はよくも突き放してくれたわね?」
「突き放したって言うか……」
困惑した伊神を見るのはなかなか珍しい。
「ウソよ。ごめん、意地悪なこと言って。
間違ってたわ、私。あの答えは私が出さなきゃ意味がないのよね。そのことを言いたかったんでしょ?」
「見放したわけじゃないんだ」
「馬鹿ね、そんなこと分かってるわよ。……あのね、私、ソマの告白を受けることにしたわ」
「本当!?」
心の底から驚く伊神。これもまた珍しい一面だ。
「だって、伊神は私の彼氏にはなってくれないしー」
「あの……八女さん、突っ込みにくい冗談は、できれば控えて欲しいな……」
「こんなの、馬渕が繰り出す冗談に比べれば、全然大したことじゃないでしょ」
「そうだけどさ……」
「伊神、今までありがとう」
心の底から感謝のことばを述べる。
「今日まで本当にありがとう。伊神がいたから私、ここまで頑張ってこれたの。伊神のお陰よ。本当に感謝してるわ」
「急にどうしたの? 金輪際の別れみたいな言い方して」
「だって私、伊神断ちしなきゃいけないもの。決めたの。もう伊神に、もたれかかったりしないって。
入社以来、散々甘えてきたでしょう? 彼女でもないのに、図々しくもずっと」
「友達なんだから当たり前じゃないか」
「でも私、ちっとも伊神の助けになってないわ。20回のうちの1回。そんな頻度で『助け合い』という表現はおかしいもの」
「俺には八女さんの助けなんて必要ない」
「うーん、そこまでハッキリ否定しなくても」
「そうじゃない。そういう意味で言ってるんじゃなくて。
一方的な寄りかかりで構わない。っていうか、それが八女さんでしょう? 俺にはずっと素の八女さんを見せてくれてたじゃないか。
それに、迷惑だなんてそんなこと思ってないよ。……『伊神断ち』ってさ、俺には『友達卒業』っていう風に聞こえる」
まるで、打ちのめされ、しょぼくれた子供のような反応だった。初めて見る伊神に、不安なものを感じてしまう。
「違う、そうじゃないわ。だって……だって、私はずっと伊神を頼ってきた。もう解放してあげないと、潮に悪いもの……」
「『解放』ってなに? 俺は今までずっと八女さんに頼られて、凄く嬉しかったんだ。透子ちゃんとか……関係ない」
「違う。分からないの? 潮は貴方が好きなの。その貴方が、私の悩みを逐一聞いたり、傍にいたりするのはおかしいでしょう。
潮からすれば、見ていていい気分じゃないと思うわ。どんな言い訳をしたって間違いなく嫉妬する。好きな人は一人占めしたいものだもの」
「俺の友情表現が、愛情表現に見えてしまうってこと?」
「そんな時もある。だって、貴方は誰よりも優しいから」
優しさが仇になるなんて、随分と皮肉な話だった。
伊神本人でさえ、指摘される今日という今日まで露ほどにも考えたことはなかっただろう。現に苦渋の表情で苦悩している。
やがて、低く呻くように、けれどキッパリと断言した。
「だったら、俺は友情を取るよ」
「!!」
私が驚いた顔をしたからなのか理由は分からない。けれどやっと本来の伊神らしい雰囲気を再び纏った。苦笑いを浮かべ、こう言う。
「従来のスタンスを変えるなんて、申し訳ないけど俺には無理だよ。
八女さんの、『伊神、どうしたら良いと思う?』っていうセリフが聞けなくなるのは御免だよ」
話している最中にも、自分なりの考えがまとまってきているのだろう。柔らかい表情が戻っていた。
「困ってる人を見過ごしでもしたら……、それこそ八女さんを蔑(ないがしろ)にしたら、それはもう『俺』じゃないよ。
そのことで誰かに幻滅されても構わない。『そんな伊神がいい』って言ってくれる人が現れるまで待つからさ。一生無理かもしれないけど」
「伊神……」
「八女さんは変わらないままでいて。でも杣庄君の件は別だから。色好い返事をしてあげてね」
「……いいの? そんなこと言ってたら、いつか本当に見捨てられるかもしれないわよ?」
「うーん……。でもね、俺は、俺でいたいから」
「……馬鹿ね。ほんと、どこまでも御人好しなんだから。損な性分ったらないわ。……でも、ありがとう」
「どういたしまして」
「そうだ、昨日のお詫び。いちごを食べてしまったから、今日はゴールドキウィを持って来たの。あと、これと」
キウィが入ったタッパーと、鳥の南蛮漬けのタッパーを押しつけるように渡す。
「美味しそう。ありがとう、八女さ……」
「おぉ、そこにおわすは我が姫! 我が姫ではありませんか!」
「出たわね、一廼穂碩人……。お生憎様。その『我が姫』は、今日も伊神に会いに来たの。ごめんあそばせ」
「それは残念。またの機会にお目に掛かりましょうぞ」
碩人は、かしずくなり恭しく私の手を取り、唇を落とす。
「ヒ……ヒロト!」
破廉恥な行為は控えろとばかりに叱り飛ばす伊神。その一方で、昨日とは違う感情が湧き上がっていた。
騙す人間もいれば、騙さない人間もいる。
一廼穂碩人は後者の側だ。だから、昨日ほどの怖気は感じられない。でも。
「それとこれとは別よ! 天誅ッ!」
ハイヒールで碩人の靴を踏み付ける。
メンテナンス室を中心に野太い絶叫が響いたものの、それを除けば平穏無事な1日だった。
2012.11.15
2019.12.08 改稿
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