08話 【Walpurgis Night!】


←07話 ┃ ● ┃ 09話→



08話 (芙) 【Walpurgis Night!】



5月1日 八女芙蓉



とにかく不快な音だった。
短いスパンで唸りを上げるその音は低く、耳障りだ。
私は今まで以上に強く目を瞑り、煩わしい音を発し続ける元凶を、何度かの空振りを経て手探りで捜し当てる。
ヴーンヴーンという音は、覚醒したての頭でも判別可能だった。携帯電話のバイブとしか考えられない。
「……ん……もしもし……?」
相手からの反応はない。違和感に気付いて画面を見れば、電話ではなくメールの受信だった。
送り主は同期の黛。彼女は極力件名に用件を入れ、本文を空欄にしたまま送る。曰く、「面倒臭いもの」。
素っ気ないメールの内容はこうだ。『Dead or Alive?』。
私は重たい頭をわずかに動かすと、黛方式に則り、件名のみに用件を書き込み返信した。『なんとかAlive』。

――生きてる? それとも死んでる?
――なんとか生きているわ。
そんなやり取りをするのにはワケがあった。
私は……正確に言えば、黛も含めた私達だが、少々ハメを外し過ぎたのだ。
黛からメールが届いた時刻は11時53分。昼まで爆睡し続けていたのが何よりの証拠。
私は元凶を作った伊神十御を呪った。
彼がトリビアを披露しなければ、こんなことにはならなかったのだ。Dead寸前のAliveなんかに。


【4月30日】
昼食時、社員食堂でたまたま伊神を見掛けた。彼の向かい席が空いていたので、私はそこに座った。
伊神の前には、黒とネイビーのツートンカラーの長方形弁当箱。健康に配慮しているのだろう。色とりどりの食材をふんだんに使い、几帳面に詰め込んである。
かなり凝ったそれは、間違いなく彼自身によるお手製弁当だった。
一方、私は食券で買ったナポリタンスパゲッティ。カロリー問題は念頭から追いやってしまっている。
女子力に疑問を持った時点でオシマイだ。こんなことでいちいち凹んでいたら身が持たない。伊神と比べる方が間違っている。(そもそも彼は男だ!)
(そして伊神は、他人が家事をしようがしまいが一向に気にしないタイプだ。その点は凄く助かる)
「やぁ、八女さん」
潮透子が見たら卒倒しかねない笑顔(そして彼女はこう形容するだろう。『素敵!』と。生憎私には『素敵』さが分からないが)で私の名を呼んだ。
「お疲れさま。伊神のお弁当、美味しそうね」
「よかったらこの弁当食べる? オレ、人が食べるものが欲しくなるみたい。そのナポリタンとっても美味しそうだ」
「そういうのを『隣りの芝生は青い』って言うのよ」
「『他人の飯は白い』とも言うね」
「『隣の花は赤い』とも言うわよ」
「参った。これ以上は思い付かないよ」
「まずは1勝ね。喜んで交換するわ」
伊神の1日は早起きから始まる。ランニングをして、シャワーで汗を流すからだ。
そんな忙しない隙間時間で作った弁当を、惜しげもなく私の方へと誘った。
伊神特製昆布入りの玉子焼を吟味していると、面白そうに彼は訊ねてきた。
「じゃあ『ヴァルプルギスの夜』って知ってる?」
「ヴァ……何?」
「ヴァルプルギスの夜。ドイツ北部に伝わる魔女の祭典だよ。春を祝って、魔女や悪魔が饗宴を催すんだ」
「それがどうしたって言うの?」
伊神自身はクォーターだ。伊神の父親は日本人で、母親はレバノン人とインド人のハーフだという。
アジア大陸3ヶ国の血が流れる伊神がヨーロッパ大陸の祭事を口にするのは、何だか不思議に思えた。
(伊神によれば「3ヶ国の混血でもクォーターと表現する」らしい。尤も「これらは和製英語なので国内でしか通用しない」ようだけど)
「その祭りは4月30日の夜から5月1日にかけて行われる。つまり今日だね」
「そうだけど……。でも、ドイツのお祭りが何だって言うの?」
「あらン。芙蓉ってば無粋ねぇ。伊神クンは浴びるほどお酒を飲みましょうって言ってるのよ」
横入りするように、薬膳をトレーに乗せて伊神の隣りに陣取るのは、同じく同期の馬渕だった。
「何もオレは浴びるほど飲みたいとは言ってないけれど……」
「そもそも伊神クンが飲みたいって言い出すなんて前代未聞よ~? ねぇ芙蓉、行きましょうよぅ」
「え~?」
「ふふ。どうせ予定も入ってないんでしょう? 杣庄クンが遅番ってコト、知ってるのよ?」
「どこまで失礼なの、馬渕」
「でも業後に杣庄君とデートの予定が入っているなら、どうぞ遠慮しないで」
にっこり微笑む伊神。
「予定なんかないわよ。……そうね、たまにはいいかも。幸い明日は私休みだし、いつまでも寝られるってもんよ」
「それはそれで悲しい過ごし方よねぇ」
「馬渕、あんたねぇ……」
「オレも久し振りだな。今夜が楽しみだよ」
「じゃあ、香椎と黛にも声を掛けておくわ~。場所はこっちで適当に決めちゃっていいかしらん?」
「いいけど、あまりネオナゴヤから遠い所はイヤよ?」
「了解。後で連絡するわね」

そんな経緯から……。
「しこたま飲むことになったのよね……」
結局は浴びるように飲んだ。誰しもが。
意外にも伊神は酒に強い方だ。確か、酔った私を送ってくれたのは伊神だった気がする。
「うー……気持ちわるー……」
ガンガン鳴り響く頭、激しい胸焼け。
せっかくのゴールデンウィーク中の休日がこんな過ごし方でいいのだろうか?
「……ダメに決まってるじゃない」
私は携帯電話を掴み、『ヴァルプルギスの夜』とやらを口にした伊神宛てにメールを打つ。
【件名:呪ってやる!
貴方の所為で、こちとら立派な二日酔いよ! 呪呪呪!】
飲む量を決めたのは私であり、伊神にとってはトバッチリ以外の何ものでもないのだが……。
20分後、伊神から返信メールが届いた。
【件名:祝わせて! 
今日はカートリペエヴ。つまり『二日酔いの日』なんだ。いまさらだけど、杣庄君とのことおめでとう。祝祝祝!】
……そんなことを言われたら、怒りの矛先を収めなければならない。少し逡巡した後、私は返信ボタンを押した。
【件名:1本取られたみたい。
素直に祝福を受けるわ。ありがとう!】

なぜかいつも勝てない相手。
貴方こそ幸せになりなさいよ?
そうじゃないと、私が許さないんだからね。


2010.04.21
2019.12.09 改稿


←07話 ┃ ● ┃ 09話→

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: