G2 (杣) 【茶飯事】


日常編 (杣) 【茶飯事】―サハンジ―




「ん……」
枕元付近で鳴るスマホの音で目を覚ます。音の方向に手を伸ばし、まどろみの中、当てずっぽうで電話に出た。
「……ぁい、杣庄ですが……」
「ソマ!」
朝から喚く知り合いの女性は限られている。ヒステリーのあまり、般若の形相になっていなければいいのだが。
「どうせ起こすなら、おはよう進クンぐらい言えないんスか、八女サン」
「何が進クンよ! ご飯しか進まないわよ!」
「耳元で喚かないで下さいよ……っていうか懐かしいですね、そのCM。味の素でしたっけ……」
「そんなことはどうでもいいの。会社のPHSどうしたの?」
「ピッチ? ……あぁ、すんません。昨日そのまま持って帰って来ちまった……」
「しかも、鮮魚のじゃなくて、あれはワンちゃんのPHSでしょう!」
「あーそう言えばそうでしたねー……」
「今すぐ持って来なさい」
「……はぁ?」
「反論は許さないわよ! ついでに手伝えって、あなたの上司が言ってるわよ」
嘘みたいな展開に、一気に頭が覚醒した。
「待て待て待て待て。今日は休みなんだけど? どんな無茶振りッスか」
「チラシの駅弁が間違って緑店に配送されたらしいの。回収しがてらPHSも持って来なさい」
「……人遣い荒……」
「祝日がどれだけ忙しいか知らないワケじゃないでしょう? 1人休みを謳歌してるなんて許さないわ」
「……どんなイチャモンだよ……。わかりましたよー、行きゃいいんでしょ……」
YESが聞ければそれで満足なのか、電話は一方的に切られた。
特に予定はなかったものの、何が悲しくて職場まで行かなければならないんだと挫けそうになりながらも喝を入れ、掛け布団を剥ぎ取った。


*

ドアの向こうに八女サンの頭が見えた。俺に気付いてドアを開けて迎え入れてくれた。
「開店10分前。上出来よ、ソマ!」
「段ボール2箱分って伝票にあったけど、それでよかったのか? 俺、今回の駅弁発注にはノータッチだから、言われるがまま持って来た」
「バッチリよ!」
「あとこれ、不破の野郎のピッチな」
八女サンに預けようとジーンズのポケットから年季の入った社内用PHSを取り出す。するとタイミングよく不破犬君が廊下を通りかかった。
そうだ、透子がいるPOSルームを、あいつが見ないはずがない。案の定室内に視線を走らせたかと思うと、目聡く透子を見付け、手を振った。
「おい、透子」
「分かってる。呼んであげるわ」
俺が手招きしたところであいつは従わないだろう。……いや、透子が近くにいるなら話は別か。
だがとにもかくにも透子自ら勝手出てくれた。透子が不破に向かって手招きすると、尻尾を振った犬のように一目散に入室してきた。
「潮さん、何かご用ですか?」
「はいこれ。あんたのピッチ」
「あぁ、ソマ先輩が間違って持って返ったやつですね」
「人聞き悪いこと言うな。鮮魚のが壊れて修理に出したから、数日ドライのを借りることになっただけだろうが」
「あぁ、ソマ先輩。いたんですか。朝からご苦労様です」
いま気付きましたと言わんばかりの投げやりな挨拶を食らう。
「そこは『お疲れ様です』だろ、糞餓鬼」
「ちゃんと相手を選んで使い分けているので、ご指導は不要です」
営業スマイルで牽制しやがる。
「てめぇ……」
引きつった顔で臨戦態勢に入る俺の背中を後ろから突くのは透子だった。
「まぁまぁ。ソマ、ありがとね。ほんとに助かったよ」
「お前だけだぜ、俺のことを労わってくれるのは。ざまーみろ糞餓鬼、悔しかったらお前も透子の役に立ってみやがれ」
「……どこまで子供なんですか、貴方って人は……」
どちらが年上か分からない、冷たい目を向ける不破犬君。そこで店内中に開店3分前を告げるチャイムが鳴り響く。
「さぁ、イラッシャイマセの挨拶に行くわよー」
ユナイソン名物、従業員によるお客様の一斉お出迎えだ。
俺が「頑張れよ」と背中を叩く。透子は親指を突き立て、POSルームを飛び出した。
今日もユナイソンの1日が始まる。


2009.01.17
2020.02.16 改稿

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