G3 (―) 【Double Happy!】


日常編 (―) 【Double Happy!】



「つ」
それはきちんと発音したものではなく、たんに歯の隙間、口から零れ落ちただけの「つ」だった。
その「つ」という音が出てから4秒ないし5秒後に、麻生の唇からその続きとなる言葉が吐き出された。
「かれた~……」
机に突っ伏す麻生だが、スタミナはある方だ。その麻生を疲れさせるほどの激務だった。1月1日、新年早々の初売りである。
「……お疲れ様です、麻生さん」
労いながら真横に座ったのは、同じ時間に上がった歴だ。とは言え歴の生気も麻生同様抜け切っている。
束ねた髪は所々ほつれており、芙蓉が見たら卒倒するか悲鳴をあげるかのどちらかだろう。それを直すのも今は億劫な状態だ。
「元旦って、こんなに激務でしたっけ」
誰に尋ねたわけでもないその質問に答えたのは、質問者である歴の正面に座った柾だ。
配膳された水を煽り、疲れた声で「いや」と前置きしてから続ける。
「慣れないイベントをこなした所為だろうな。通常業務の他に違うことをしたから疲弊したんだと思う」
……ですよね、と歴は頷いた。
「やっぱり、そうですよね。それが大きな原因ですよね」
「明らかに人員配分間違ってるぞ。本部からの応援はどうしたんだ? 俺はそれが気になって仕方がなかった」
「開始5分の時点で気付くべきだったな。応援者などいないということに」
「開始直後に悟ってたさ。だがな、希望というものがあるだろ? パンドラの箱的な」
「麻生の口からギリシャ神話が出て来るとは思わなかった」
2人が軽口の応酬を繰り広げている間にカフェの店員が注文を取りに来て、歴は3人分の料理を頼む。
早番出勤に加え、元旦ということでいつもより2時間ほど閉店時間が早い。
そのため歴たち3人も16時に上がれたのだが、何せ麻生がボヤきたくなる程度には身体を酷使してしまっている。
それでも柾と麻生のやり取りは、どこか漫才めいていて、歴としては耳に心地いい。
2人の会話に耳を傾けていた歴だったが、ふと視界に入った場面が目を惹いた。
それはいま3人がいるカフェの真正面、絵画を売っているテナント。
店の一等地には『風水』『金運上昇』と書かれたPOPカードの傍に、やたらと黄色が目立つ絵が額縁に入れられ並んでいた。
値段は小さいもので2千円、大きいもので5千円から1万円だ。
「どうした、ちぃ」
その店に注がれていた歴の視線に気付いた麻生は、何がそんなに気になるのかと店を注視した。
そこには黄色い花の絵があるだけで他に目立った特徴はなく、だからこそ解せずにいる。
「さきほど1万円の絵を買われたお客様がいたんです。風水の絵の購入者はクジが引けるらしく、その方は見事に缶ビールのケースを当てました」
「ふぅん?」
尚更解せない麻生である。缶ビールのケースがどうしたと言うのだろう。まさか欲しいわけではあるまい。その心を読んだかのように、歴は言った。
「その次のお客様は2千円の絵を買ったんです。またも当選し、2kgのお米を持って行かれました」
「ビールと米が欲しいのか、ちぃ」
「千早さんが言いたいのはそういうことではないと思うが」
切れ長の目を画廊に向けながら柾。
柾には既にある程度の予測がついたのか、新たに訪れた客と、接客している店員を注目し、答え合わせの段階に入っているようだ。
「駄目だ、頭が働かねぇ……」
疲労が呼んだのか、眠気が襲いかかる。そんな厳しい状況で柾ばりの推理など出来ようはずもない。
「凄い話術だな。ものの数分で1万円をお買い上げ、だ。正月は羽振りがいいとは言え、これは見事」
「あ、クジを引きます」
「当たるぞ」
柾の予想は的中した。老夫婦が引き当てたのは味噌汁の詰め合わせだった。
「何かしら当たるんだな」
くぁ、と欠伸をした麻生の何気ない感想に、柾と歴は顔を見合わせた。
「頭が働いていない割には綺麗な解を出してみせたな」
「凄いです、麻生さん!」
「……あ?」
「やっぱりそういう手口だったんですね」
「……おい、ちょっと待て。解だの手口だの何の話だ?」
もう少しで引っ付きそうな瞼をむりやり開け、麻生は2人に説明を求めた。
「何だ、全部お見通しだと思ったのにちっとも気付いてないじゃないか」
「だから何の話だ」
「『黄色いアイテムで金運上昇間違いなし』という謳い文句を、店側があの場で実践してるんだ」
そこでやっと気付いた。2人が何を訝しんでいたか……に。
ポスターには各当選アイテムの他に数も記載されていた。当然『外れ』も存在しており、本数的には外れが1番多い。
それなのに絵を買い求めた者がクジを引くと、誰しもが何かしら当選する仕組みになっている。まるで外れなど始めから存在しないかのように。
「当選者数を水増しして裁判沙汰になった事件があったが……この場合はどうなるんだ?」
首を傾げた麻生に、
「正月だ。野暮なことは言いっこなしだ」
きっと金額の中に当選アイテム代も含まれているんだろう、だの、それに何の罪に問えるというのか、だの。
挙句の果てに、そもそも外れがないというのも予測の域を出ない、などと、自らの推理を真っ向から否定する言葉さえ生まれる始末。
来たれ平穏、お疲れ自分。もう何も考えたくはない。とにかく疲れた……。
3人は目の前で繰り広げられている珍事を都合良く解釈するに留めた。
「あ、飲み物が来ました」
「ちぃが頼んだいちじくタルトも来たぜ」
「それ、私ではなく柾さん用なんです。お誕生日おめでとうございます、柾さん」
「ありがとう」
「おめっと、柾。んじゃ、紅茶とコーヒーだが……乾杯」
「乾杯」
「今日も1日お疲れ様でした。今年も1年、宜しくお願いしますっ」


2014.01.01
2020.02.20 改稿

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